気に入りませんわ。
熊野は先行する天龍の背中を見つめる。いかにも旧式の艤装や腰に挿した刀。速力も軽巡のくせに自分よりも遅く、軽巡の中では夕張と同じくらい小柄だ。なのに、あの大きな態度で口を開けば生意気な口上ばかり。胸の奥のイライラを抱えたまま、熊野は航行を続けた。
ソロモン海の中で、艦娘側の最前線基地であるショートランド基地は既に包囲されているか陥落したのか、まだ何も連絡はない。守備についていた第十八駆逐隊にしても同じだ。近隣には、コロネハイカラ島やバニラ・バラ島をはじめとした、守備隊を置いている島がいくつもあるが、こちらも同様だった。天龍は状況を思い出しながら、ちらと後ろを振り向く。熊野は正直苦手だが、旗艦として手札は有効に使わなければならない。熊野の水上機はどう考えてもこの艦隊には有効だった。天龍は気持ちを着替える。
「熊野、索敵出してくれ。前方六十度を三十度ずつ三本で」
ラバウルを出発していくらかも経たない内に、天龍は熊野をそう振り返った。
「こんなに早くですの!? まだラバウルを出てからそんなに経っていませんわよ!?」
意表を突かれた熊野は思わずヒステリックな声を上げる。だが、天龍の顔は冷静そのものだった。
「何もなきゃそれでいいんだよ。何かあれば、すぐに対処するか報告しないとな」
「…わかりましてよ」
熊野は天龍の言うことには納得したが、それでも渋々飛行甲板を空に向けた。
なんですの。普通の指揮をできるんじゃないですの。用意のすんだ瑞雲をカタパルトに載せた。
「瑞雲、発艦ですわ!」
カタパルトから順に三機の瑞雲が空へ放たれる。瑞雲は散開して予定通りのコースへ乗った。天龍はそれを一瞥すると、声を上げようとした。
「三番機から報告ですわ! 敵の偵察機と遭遇! これを撃墜!」
その時に熊野の声が響く。天龍以外の全員が呆気にとられた。
「やっぱりいたか。こっちの存在もバレたろうし、気合い入れていくか!」
天龍はそう言うと、腰の得物を抜く。
「艦隊、単縦陣だ! 俺のあとを熊野、龍田、長波、早霜、清霜の順で続け!」
天龍の号令が響く。呆然とする熊野に、龍田が笑いかける。
「天龍ちゃんの勘は野生なのよ~。私ですら、何がそうさせるのかわからないもの~」
龍田に言われて、熊野は天龍の背中を見た。それは鈴谷とも最上とも三隈とも違うオーラを纏っている。仲のいい摩耶とも違う気がした。その理由を考えていると、また索敵機からの入電が響く。
「今度は二番機からですわ! 撤退中の味方駆逐隊と遭遇! 引き返して誘導中!」
「十八駆かしらね~」
「恐らくそうだろうな。間に合わなかったか」
龍田にそう応えてから天龍は舌を打つ。そうなれば護衛艦を失ったショートランド基地の状況は厳しいと言わざるを得ないだろう。
「十八駆と合流するぞ! 艦隊強速!」
天龍はそう宣言すると、缶圧を上げて艦隊速度を速めた。
先へ進むと、小一時間ほどで第十八駆逐隊と遭遇した。第十八駆逐隊は朝潮型の霰、霞と陽炎型の陽炎、不知火、黒潮の五隻で構成されている。そのいずれもが酷い損傷状態で、ショートランドを襲った惨状が垣間見える。
「大変だったわね~」
龍田が息も絶え絶えの陽炎たちを介抱する。それでも、全員が航行に支障はないようだ。天龍は全員がラバウルまで帰還可能だと判断した。
「怪我をして大変なのは悪いが、状況を教えてくれ」
「敵は駆逐棲姫よ。昨日の晩突然夜襲をかけてきたの。こっちは準備がなくて、なすすべもなくこの有様よ」
天龍に陽炎が悔しそうにそう言う。
「ですが、夜襲を仕掛けてきた敵は陸戦隊を有しておらず、航空機もいませんでした。ショートランド基地自体への被害はほぼないと考えます」
不知火がそう続ける。
「他には?」
「それ以外の敵がいるかも知れへん。きっとあれは威力偵察か露払いや」
「敵の編成は駆逐棲姫に駆逐五よ。駆逐は恐らく後期型」
黒潮と霞がそう言って大きく息を吐く。早霜や清霜、長波が陽炎たちに自分たちの食料や燃料を分けて一息ついてもらっていた。
「こりゃあ、気合い入れていかねえと、俺たちも酷い目見るな」
天龍はそう言いながら、第十八駆逐隊が戻ってきた海の向こうを見つめる。撤退してきた第十八駆逐隊を追撃している可能性は捨てきれない。
「熊野、二番機のコースにもう一度索敵を出してくれ。お前の空の目が頼りだ」
天龍の言葉に、思わず熊野はびっくりする。
「た、頼りって…」
「俺や龍田は水偵を積めねえ。電探だけじゃ限度がある」
意表を突かれたままの熊野に、龍田が笑いかけた。
「提督は、水偵の積める軽巡を温存したかったのね~。だから、私たちと航巡の熊野さんの組み合わせなのよ~」
「…わかりましたわ」
熊野は龍田の言葉に納得したわけではない。それでも、木村の意図は教えて貰えた気がした。なら、仕事をきっちりやるしかない。最上型の中で一番練度が低いのは自分なのだ。天龍と龍田が一線級を外されていることを自覚して作戦に臨んでいるように、自分も自分の立場でできることをするしかない。熊野は戻ってきた瑞雲に補給をすませると、もう一度カタパルトに載せた。
「もう一度行きましてよ! 瑞雲、発艦!」
カタパルトから放たれた瑞雲は、高く舞い上がり所定のコースへ乗る。それを見送りながら、天龍は第十八駆逐隊のメンバーを振り返った。
「悪いが護衛して戻ってやることはできねえ。お前たちはまだ航行可能だ。一人残らずラバウルへ帰り着け」
強い瞳が陽炎たちを見下ろす。全員が同じ瞳の強さを天龍に返した。
「誰一人欠けることなく、ラバウルに戻ってみせるわ」
陽炎が代表するようにそう言いきった。第十八駆逐隊の全員を見渡した天龍が大きく頷く。
「早霜ちゃ~ん、ラバウルに無電しといてね~」
龍田の声に早霜が頷き、打鍵を取り出して状況を報告する。その間にも、第十八駆逐隊はなんとか動けるだけの体力と気力を回復したようだ。
「天龍、行くわ。ありがとね」
「無事に帰り着けよ」
そう言う天龍に、陽炎は笑い返す。
「十八駆、行くわよ!」
右手を突き上げる陽炎に、残りの四隻も声を上げた。