艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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ありがとう

 由良が務めていた第三艦隊の旗艦任務は、名取が務めることになり、鎮守府の日常は少しずつ穏やかさを取り戻していく。その中でも、風間は胸の奥に開いた風穴を意識せずにはいられない。今日も、軍令部に呼び出しを食らった木村の代わりに、鎮守府で司令代行の役割を果たしていた。

「それでは、失礼します…」

 名取から船団護衛任務の報告を聞いた後、風間はふっとため息をつく。名取に由良の姿は重ならない。日が経つにつれていなくなった由良の存在を大きく感じる。あの少女に救われていた部分が確かにあったのだなと。陸戦隊を率いている時も、幾度かは深海棲艦の艦載機に襲われたことはある。だが、艦載機の攻撃に怪我をした兵士はいても、死亡した兵士はいなかった。そのために、深海棲艦の攻撃に耐性のある兵士ばかりを連れて行ったのだ。だが、陸上でなく水上にいる艦娘は、同じように行かなかった。そのことが今でも悔やまれてならない。窓の外に目をやると、第七駆逐隊のメンバーが駆逐艦寮へ戻っていく。少し元気になったとはいえ、以前のような賑やかさはまだ取り戻せていない。そのことだけでも、風間の胸は痛んだ。

「風間、戻ったぞ」

 そんな時に、出し抜けにドアが開き、木村の柔らかい声が響いた。風間は思わず振り返る。

「ご苦労様でした。特に報告するようなことは何もありません。第二、第三、第四艦隊とも順調に任務を終えています」

「そうか」

 風間の声に、木村はふっと笑顔を浮かべて自分の椅子に腰を下ろす。そうして、持ち帰った荷物の中から一つの封筒を取りだした。

「風間宛の辞令を預かってきた。まあ、風間だけではないんだけどな」

 そう言って、無造作に封筒を風間の方へ差し出す。風間は思わず面食らった。内示もなく、譴責の話もない。いったいどういうことだろうかと。

「どうした? 私が読もうか?」

 木村は微苦笑を浮かべながら、半ば硬直している風間に向けていた封筒を引っ込めた。

「…できればお願いします。少し見るのが怖い気がします」

 風間も、木村に向かって苦笑を返す。どういう辞令か全く内容が読めないのだ。

「じゃあ、開けるぞ」

 木村は言いながら、封筒の封を切る。そうして、辞令を取り出した。

「海軍大佐、風間祐平。貴官を海軍少将に任ずる。また、トラック基地司令に任ずる」

 木村はわざとらしく声を作って、仰々しく読んで見せた。風間は思わず声を上げていた。

「ちょ、ちょっと待ってください。私が、少将ですか? それに、トラック基地司令というのは…」

「昇進はAL作戦の指揮を評価されてのことだ。そのまま素直に受け取っておけ」

「しかし、私は由良を…」

 言われて、風間は思わず俯いてしまう。完勝にはほど遠い内容だったのだ。評価に値するとは思えなかった。

「戦闘詳報は以前提出したぞ。総長は由良一隻の喪失でこの戦果は素晴らしいと褒めておいでだった」

 木村は敢えて明るい声でそう言った。風間が、このことを気に病んでいるのはわかりすぎるくらいわかっている。だからこそ、そろそろ吹っ切ってやりたい気持ちもあった。

「そうですか…」

 それでも、風間の声は暗い。まだ由良のことは前に向ける状況ではなかった。

「それと、艦娘の数も増えたし、最近は新規建造、海上で収容した艦娘に、同じ艦娘が増えてきた。南方への戦線拡大と防衛力強化のために、鎮守府や基地を増やすことになったそうだ。南方は、風間に任せると言っていたよ」

「有り難い配慮です…」

 まだ煮え切らない風間に、木村はさすがに小さくため息をつくしかなかった。そうして、改めて二枚の紙を取り出す。

「風間の部下になる二人だ」

 木村は立ち上がると、棒立ちの風間に書類を突きつけた。二人の青年将校のプロフィールが綴られている。

「秋嶋由衣中佐はラバウル基地、大沢拓巳中佐はパラオ泊地を任される。この間までの風間と同じで、艦隊指揮の経験はない。それぞれ南方の要衝だ。風間がしっかりしないでどうするか」

 木村は新人司令の二人のプロフィールに見入る風間に、些か強めにそう言った。秋嶋は意志の強そうな大きな瞳が特徴の女性将校だ。一方、大沢は少し険のある瞳が印象に残った。この二人を、これから風間が指導していかねばならない。トラック、ラバウル、パラオと離れた場所で。責任は重大だった。

「私も補佐官の風間を引き抜かれるのは正直辛いが、これもお互いのためだ。世界のためにそれぞれの場所で最善を尽くそう」

「…はい」

 風間はそう言って、木村に頭を下げた。佐官から将官へと階級も上がり、専属の艦隊も持たされる。身に余る栄光であり、分不相応な役職への抜擢だとも思う。だが、やるしかないのだ。南海は未だに混沌としており、島嶼国の国民は内陸部を持つ大きな国へ難民として避難していった。疎開先での軋轢も聞こえる今、彼らの帰る場所も確保せねばならない。由良のことは未だに吹っ切ることはできないが、それでもやるしかなかった。

「由良のことだがな、本当に辛いのはこれからかもしれないぞ」

 そう言い出した木村に、風間は思わず目を見張る。

「どういう…ことですか?」

「工廠で新しい由良が生まれる可能性も多い。そうして、今由良がいない以上、新たな由良は戦力として運用しないわけにはいかないからな」

 木村はそう言って、ため息をつく。

「なぜかわからないが、同じ艦名を持つ艦娘は、全く同じ容姿で現れる。工廠で建造された艤装を艦娘適正のある者に装備させてもだ。偶然の一致じゃ済まされない数だぞ」

 風間は、その言葉に微かにうなずく。

「次に由良が来たとして、全く外見が同じ由良が我々の前に現れることになる。そのことは肝に銘じておかないとな」

「酷い話ですね…。本人がそこにいるのに、それは僕たちの知っている本人じゃないなんて…」

「呪いだよ。艦娘と、艦娘を扱う我々に対するな」

 俯く風間に、木村はそう言って口を噤んだ。そうして、それきり書類に目を落としてもう風間を振り向かない。風間も、それ以上は何も言わず、渡された辞令と部下となる二人の佐官のプロフィールをもう一度眺めた。

 

 風間は、私室に戻る前に工廠へ顔を出した。そこには、いつものように摂津や矢風と共に、工具を握って汗を流す夕張の姿があった。

「夕張、ちょっといいかい?」

「風間大佐…」

 夕張は風間の姿を見かけると、一瞬絶句した後矢風と摂津を振り返る。二人の笑顔は「行ってこい」と言っていた。

「ちょっと待ってください」

 夕張はそう言うと、かけていた分厚いエプロンを外して、作業台に無造作に置く。そうして、風間を先導するように工廠の外へ歩いた。

「どうかしたんですか?」

「いや、たいした用事ではないんだが、工廠なら安全に火を使えるかと思ってね」

 急な来訪を訝しむ夕張に、風間はそう言って微苦笑を浮かべた。夕張の顔に、怪訝なものが浮かぶ。

「どういうことです?」

「ちょっと燃やしたいものがあってね。一斗缶とかでもいいから貸してもらえないかな」

 風間は夕張の視線に耐えながら、そう言った。作戦が終わって以来、一番の仲間だった由良を失った夕張の悲しみは深い。そうして、夕張本人も無意識に、その責を司令官であった風間に向けてしまっている。以前の夕張にはなかった刺々しい態度がそれを表していた。

「ちょっと待ってください」

 夕張はそう言うと、工廠の中へ引っ込んでいく。風間は小さくため息をついて夕張を待った。夏が暮れていくことを感じさせてくれる風が、風間の頬を撫でるようにすり抜けていく。

「これでいいですか?」

 夕張は本当に空の一斗缶を持ってきた。中では、冬に薪を焚いていたのだろうと思われる煤がびっしりこびりついている。

「ああ、ありがとう」

 風間はそう言うと、鞄の中から便せんとマッチを取りだした。

「それって…」

 夕張がその便せんを見て声を上げる。

「由良の遺書じゃないですか!」

 艦娘たちにも、どこで情報を仕入れたのかわからないが、青葉から由良が木村と風間宛に遺書を残していたという話は伝わっていた。夕張は、その話を聞いて木村と風間をほんの少しだけ羨んだのだ。自分には、一言も残してくれなかった由良が、上官の二人には、沈んでもしっかりと感謝を伝えようとしていたことに。

「燃やすんですか…!?」

「上官じゃなければ、こんなことはしたくないんだけどね」

 風間は言いながら、由良の遺書をそっと一斗缶の底に置く。中に入り込む風で、開いた便せんはかさかさと音を立てた。

「また別の由良が着任するかもしれない。その由良に、僕は沈んだ由良を重ねちゃダメなんだ。だから、これを持っておく訳にはいかない」

 マッチを擦る音がする。赤い炎が、暮れ始めた空と同じ色で夕張の頬を照らした。

「だからって…! 酷いですよ! 由良がどんな思いでこれを書いたか…」

 言いながら、夕張はもう泣いていた。風間には心の痛む光景だ。由良を無事に連れて帰ってこられれば、こんなことにはならなかったのに。

「…だからなんだ。僕には由良を弔うものが何もない。だから、これを焼いて、由良の弔いにしたいんだ。それに、書かれてあったことを忘れることはないよ」

 そう言うと、風間は炎を便せんに近づける。燃え移った炎は、あっという間に便せんを焼き尽くし、由良の書いた丁寧な文字と思いは、煙となって空へ上っていった。

「夕張」

 風間は火が消えたのを確認してから、夕張に声をかける。だが、夕張は俯いたまま返事をしなかった。仕方のないことだと、風間は理解する。

「いつか、夕張のいる鎮守府に、新しい由良が着任するかもしれない。その時は、また今までのように親しい友達でいてやってくれないか」

「…そんなこと…言われなくても…!」

 夕張はそう言うと、わずかな燃えかすが残る一斗缶をひったくるようにして工廠へ駆け込んでいく。風間はその夕張を見送ると、私室へ歩き出した。

 

 さようなら、由良。ありがとう。

 

 それだけを小さく呟いて。

 


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