艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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海に融ける

 キス島を回り、ウラナス島へ向かう間に日が落ちた。警戒は続けながら進むが、島影がやはり気になる。

「…ここで水上打撃部隊が来たら…」

 由良は満天の星の下の暗い海に目をこらす。右の島影の向こうに、明らかにおかしな影。由良はさらに目をこらした。

「右舷七〇度敵艦発見! 戦艦二! 駆逐二!」

 由良は声を上げた。明らかに移動する影。それは敵艦以外何物でもない。ならば、夜戦では艦載機を出せない空母である飛鷹と隼鷹を狙わせるわけにはいかない。

「飛膺さんと隼鷹さんは下がってください!」

 言いながら、潮に合図を送って前に出る。

「探照灯照射!」

 由良は、言いながらほんの少しの間だけ探照灯を照射する。そこには、由良が声を上げたとおり戦艦二隻と駆逐艦二隻の姿が浮かび上がった。第一戦隊にも動きが出る。摩耶と鳥海が前に出たようだ。

「砲撃開始!」

 無線から鳥海の声が響いた。由良は探照灯の火を落とし、間合いを詰めながら主砲を放つ。敵に第一戦隊の位置はまだ不明だろうがが、こちらの姿は丸わかりになったはずだ。激しく動きながら、先へ急いだ。第一戦隊の鳥海と摩耶の攻撃が敵艦で火柱を上げる。だが、それだけでは沈まない。敵の主砲が摩耶を穿ち、摩耶は大きく後ろへ吹き飛ばされた。

「摩耶!」

 鳥海の声が無線から響いていた。それを聞きながら、由良はさらに間合いを詰める。敵の戦艦までもう少し。由良は主砲の狙いを定めた。

「由良さん、魚雷!」

「えっ!?」

 潮の声に、由良は海面を凝視する。敵の駆逐艦からの魚雷がもう眼前まで迫っていた。

 避けられない。

 瞬時に判断した由良は、そのまま主砲を構えて敵の戦艦を穿った。戦艦で火柱が上がるとほぼ同時に由良からも大きな水柱が上がった。

「由良さん!」

 潮が声を上げる。

 由良はまだ、辛うじて水上にあった。

 だが、艤装は被弾で大きく破損したし、無事なのは機関くらいだろう。燻る魚雷は投棄するしかなかった。

 両脚をはじめ全身に痛みはあるが、まだ動けないわけではない。その間にも戦闘は続き、鳥海と山城、響の奮戦もあって、敵艦は全て海中に没していた。

「姉様の消火を!」

 山城の悲痛な声が響く。扶桑の艤装は火を噴いており、下手をすると弾薬に誘爆する危険すらあった。妖精が消火に走りまわっていた。

 由良はよろめく身体を支えながらその様子を眺めることしかできない。もう一撃浴びれば、由良は海中に没するだろう。周りを見ても、摩耶と暁はもう戦うことができない。もはや無事なのは鳥海、山城、響、潮、隼鷹しかいない。飛鷹のダメージはたかだか知れているので問題はないだろうが、扶桑はかなり難しい状態になった。はまゆきやおが、輸送艦の護衛も割くわけにはいかない。

「敵艦完全撃破しました。こちらの被害は、扶桑さん中破、摩耶大破、暁大破、由良大破です」

 鳥海の声が由良の耳に冷たく響く。目的のウラナス島はもうすぐだ。それでも、由良は引き上げろと言われてしまうだろうなと思う。魚雷は全て投棄したと言っても、まだ主砲のいくつかは発砲可能だし、航行だって支障はない。由良は、無線の奥に耳を澄ませた。風間の苦しげな息づかいが聞こえるようだった。

「そうか…」

 鳥海にそう返事をしたきり、風間も沈黙していた。

 作戦はまだ完遂しておらず、MI作戦も継続されているだろう。ここで撤退することになれば、MI作戦も頓挫するかも知れない。だが、進撃するには無事な艦が少なかった。指示を出せないまま、時間がじりじりと過ぎていく。

 そんな風間の気持ちを察して、由良の胸の奥も苦しい。敵の陸上棲姫の詳細な情報がわからない以上、進むにはリスクが大きすぎた。風間の気持ちを思うと、由良の心は少しずつ澄んでくる。

「…潮は大破した僚艦を護衛してはまゆきまで戻ってくれ。残った艦だけで突入する」

 風間の出した結論だった。鳥海、山城、扶桑、隼鷹、飛鷹、響の六隻で突入する。あまりにも貧弱になってしまった戦隊だが、もう朝日で補修可能な艦がない以上、そうするしかなかった。

「攻略部隊、進撃します」

 鳥海がそう宣言して、編隊を組み直した六隻がその場を離れていく。扶桑は鎮火したものの、まだ煙を噴いていた。

「皆さんも…、戻りましょう…」

 潮がおずおずとそう切り出す。取り残される形になった由良、摩耶、暁はそれでもウラナス島の方を見つめたまま動かなかった。

「敵棲姫発見! 護衛要塞一、駆逐四が随伴! 突入します!」

 その僅かな時間の差で、鳥海の声が無線から響いてきた。ここにいた由良たちも思わず空を仰いだ。遠いとはいえ、こちらの残存艦を狙われれば、ひとたまりもない。

「対空戦闘の用意はしておいた方が良さそうだな」

 摩耶がそう言って、痛む腕を上げ砲を上空に固定する。暁も、艤装に残っていた主砲を対空位置で固定した。

「皆さん、迎撃するより、待避してくださいっ!」

 潮の声が響く。今は停止しているようなもので、ここを襲われればひとたまりもないのだ。

「少なくとも、移動はしましょう。このままじゃ、回避もままならないわ」

 由良はそう言って立ち上がる。その姿を見て、摩耶が舌を打った。

「悔しいけど正論だな。暁、迎撃の用意はしたまま、可能な限り待避だ」

 暁はその摩耶に渋い顔を返していたが、最後には頷いてウラナス島に背を向ける。陽はもう完全に昇っていた。

「対空電探に感あり! ヤベえ、来たぞ!」

 退避を始めてすぐに摩耶がそう声を上げる。攻略部隊が吸収しきれなかった艦載機が、後続部隊を狙ったものだろう。新型の艦載機が、遠い空に見えた。

「潮ちゃん、可能な限り対空砲火!」

「はいっ!」

 由良の声に、潮は主砲を空に向け、まだ遠い敵艦載機に照準を合わそうとする。その潮に目もくれず、由良は摩耶を振り返った。

「私たちは散開しましょう!」

「おうよっ! 暁も沈むなよ!」

「わかってるわよ!」

 背中側の空に気を向けながら、由良たちは銘々にその場から散った。いずれも機関は損傷していないから、回避行動を取ることには問題がない。やがて、敵の艦載機は眼下に見える煙を吐いた艦を仕留めようと、攻撃に移ってきた。

「こんなところで沈んだりしないからっ!」

 由良は行き足を反転させて、残った主砲で対空戦闘を始める。予想したとおり、敵は健在艦の潮には目もくれず、重巡である摩耶に目標を定めたらしい。

「摩耶さん、来ます!」

「ざけんなぁっ!」

 由良の声に、摩耶も回避行動を続けながら、肩の機銃を放つ。だが、由良にしても摩耶にしても、損傷で対空砲火の力は弱かった。摩耶の周囲にいくつもの水柱が立つ。

「摩耶さん!」

「大丈夫だ! 当たってねえ!」

 空から目を離した、その一瞬だった。

「由良さん、雷撃機です!」

 潮の声が響いた。

「えっ!?」

 対空砲火をかいくぐった敵雷撃機は、由良を捉えていた。放たれた魚雷は、スローモーションのように見える。振り上げていた主砲を慌てて下ろし、最後に放った砲撃も、投弾の終わった雷撃機を粉砕しただけで、近距離から放たれた魚雷は、由良の脚を穿った。

「きゃああああっ!」

 炸裂した水柱から、由良は勢いよく放り出され、水面に叩きつけられた。痛む脚を堪えて立ち上がり、気づく。

「機関損傷!?」

 どんなに脚を動かしても、艤装が発生させている謎の浮力があるだけで、由良の身体は前にも後ろにも動かない。敵艦載機が舞う空の下で、動力を失った由良は、立ちすくむしかなかった。

「由良さぁん!」

 潮が悲鳴を上げる。動きの止まった由良の上空に、爆撃機が集まってきた。潮が対空砲火を続けるが、瀕死の獲物を狩人が見逃すはずがない。由良もありったけの反撃はする。それでも、固定砲台になってしまっている由良の砲撃は、急降下してくる爆撃機をいくつか落としただけで、根本的な解決にはならなかった。

 カシッと視線の先で音がする。爆撃機が、散華する数瞬前に爆弾を切り離した。それは、違わず由良を捉えている。その後続も次から次へと投弾を成功させる。

 ああ、由良、沈むんだ。

 そんな空虚な声が、胸の奥で響いた。

 大佐さんに、もう一度会いたかったな。

 会って、ちゃんと好きでしたって言いたかった。

 直撃した三つの爆弾は、炸裂して由良を包み込み、大きな火柱となった。

「由良ーっ!」

 摩耶の叫び声が耳に届いた後、由良の姿は海の中へ消えていた。

 艤装を完全に破壊され、艤装由来の浮力を失った由良は、少しずつ海の底へ沈んでいく。水面へ出るためにもがこうにも、もう由良には艦娘としての力はなかった。喉を、気管を、肺を海水が埋めてゆき、苦しみの中で由良の意識は少しずつ失われていく。

 大佐さん…ごめんね…。あなただけは…どうか無事で…。

 その意識を最後に、由良は完全に意識を消失し、艤装の呪いから解き放たれた。

 やがて、由良だった少女は、由良とは似ても似つかない栗色の短い髪をした少女の姿に変わっていく。ただの溺死体として海中を流され、やがて大きな鯨のような怪物の腹の中に飲まれていった。

 

 はまゆきの艦橋からも、二カ所で戦闘が起こっていたことはわかっていた。ひとつは、ウラナス島での敵棲姫との航空砲撃戦。もうひとつは、待避させようとしていた、損傷艦が取り残されていた海域。いずれでも、大きな火柱が確認されている。風間は、連絡を待つしかなかった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

「敵棲姫の撃破に成功しました。揚陸隊の派遣をお願いします」

 鳥海からの無線が入ったのは、永遠とも思える時間が去った後だった。鳥海の声は、いつもの冷静な落ち着いた声ではなく、激しい戦闘があったことを物語る、強く弾んだ声だった。

「隊の損傷は?」

「飛膺さんが大破、私と扶桑さん、山城さんが中破、隼鷹さんが小破です。飛膺さんの艦載機は、ウラナス島の飛行場へ避難させました」

 鳥海の声に、風間は頷く。溜めいていた大きな息を一気に吐いた。

「すぐに陸戦隊をそちらへ向かわせる。到着まで周囲を警戒しておいてくれ」

「了解しました」

 鳥海との通信が切れると、デッキの先端で、天龍が目をこらしているのが見える。あとは、待避艦がどうなったかだ。

「潮、そちらの様子はどうだ?」

 風間は潮との無線を開いた。だが、潮からすぐには返事がない。

「潮?」

 訝しんで、風間はヘッドセットの音量を少し上げる。かすかに聞こえてきたのは、小さな嗚咽だった。

「潮、応答しろ。どうした?」

 風間は努めて冷静に、潮に呼びかけた。冷静になっているつもりだった。

「摩耶だ。代わるぜ」

 そこへ飛び込んできたのは、回線に割り込んできた摩耶の声だ。その摩耶の声も、幾分疲労の色が濃い。風間の頭を、嫌な予感が走り抜ける。

「何があった?」

 それでも、風間は務めて冷静な声を出そうとした。自分が動揺してはいけないと言い聞かせた。

「敵の艦載機と交戦した。あたしと暁、潮は至近弾を食らっただけで無事だ」

 摩耶からの声は、いつもの気丈なものではあったが、それでもいつもより低い。まるで、絞り出しているような声だ。

「由良は、右舷に雷撃を食らって機関停止。行き足が止まったところを爆撃されて、直撃弾三で、沈んだ」

 その声は、風間の耳と心に突き刺さった。

「由良が…沈んだ…?」

 声が震えている。自分でもわかるくらいだった。それでも、努めて冷静にと自分に言い聞かせ続ける。

「響がこっちへ戻ってきて、捜索すると伝えてきてる」

「…わかった。摩耶たちはそのままこちらに向かってくれ。追いついたところで収容する」

「了解だ」

 摩耶との通信が切れると、風間は大きく息を吐いた。

 さっきまで、この艦を護ってくれていた由良はもういない。

 出撃の前日、同じく眠れない時を過ごした少女はもういない。

 こんなことになるなら、由良の願いを叶えてやれば良かった。

 臍を噛んでも始まらない後悔が押し寄せてくる。

 誰もが、こうなることを望んではいなかった。だからこそ、あの時はそのまま帰したのだ。由良が望む未来があると信じて。

「艦隊強速前進。ウラナス島へ向かう。途中で摩耶たちと合流すれば、収容する」

 それだけを傍らの航海士に告げると、風間は自らの席に腰を下ろした。

「みんなに、ちゃんと説明しないとな」

 呟いた声は、誰にも聞こえていないようだった。

 

 攻略戦隊を離れた響は、摩耶の誘導で由良が沈没した海域にやってきていたが、潜水艦でない彼女にできることは限りがあった。ソナーを使って海中の様子を確認し、時には顔を海中に突っ込んだりしながら由良の姿を探すが、一人で現場海域を捜索する姿は、悲壮感しかなかった。やがて、疲れ切った響は立ち止まってしまう。

「また…私は救うことができなかった…」

 ぽろぽろと大粒の涙を流す響を慰めるものはここにいない。

 まだ鎮守府に来てすぐの頃、由良の艦隊で優しくしてもらった思い出と、ほんの少し勝ち気だった笑顔が浮かんで消える。普段は自分のことを私と呼んでいるのに、気を抜くと由良になってしまうお茶目な癖も。

 やがて、響は声を上げて泣いた。

 帰らぬ仲間のことを思って泣いた。

 


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