N日まではまだ少し日があった。由良は第七駆逐隊を率いての船団護衛任務や対潜哨戒任務をいつものようにこなしている。数日経ったある日、船団護衛任務から戻ってくると、司令室の前で日向が待っていた。
「日向さん…」
「戻ったか」
手入れをしていた瑞雲を仕舞うと、日向は由良と第七駆逐隊に近づく。
「今晩一九〇〇から、司令室でAL作戦の詳細を通達する。遅れずに来るようにな」
小声で、日向は由良たちにそう言った。
「日向さん、それだけのために待っててくれたんですか…?」
「秘書艦の仕事だからな。こういった秘匿事項は、口伝が一番確実だ」
驚く由良に、日向は微笑う。
「確かに伝えたぞ。時間まで司令室は立ち入り禁止だから、今日の報告はその時でいいそうだ。みんなそれまでゆっくり休め」
それだけ言い残すと、日向は軽く手を振って戦艦寮へ消えていく。第七駆逐隊の面々は顔を見合わせてうなずいた。
「じゃあ、あたしたちも解散します!」
「ご苦労様でした!」
漣と曙が由良の背中に敬礼しながら、そう声を上げた。由良が振り返ると、作り生真面目顔の漣と曙の後ろで、朧と潮が苦笑いのまま敬礼をしていた。思わず由良はため息をつく。
「じゃあ、時間まで解散。遅れずに来るのよ」
「はいっ!」
漣と曙の声は必要以上に大きく、完全に遊ばれてるなとは思うが、由良は彼女たちに敬礼を返した。それを見届けると、第七駆逐隊の面々は踵を返してわいわいと駆逐艦寮へ戻っていく。由良は、一度司令室の扉を見つめてから巡洋艦寮へ足を向けた。
頭の中で、夕張の言葉がリフレインする。「風間大佐はさ、五十鈴じゃなくて由良を選んだってコトよね」と。姉の五十鈴は、高い練度と二回の艤装の改装を経て、今は対潜および防空に特化した性能を得ていた。対する由良は、古参とはいえ練度は遠く及ばず、旧知の夕張がずば抜けた練度を持っていることを除いても、軽巡で七番目の位置にいるに過ぎない。他の姉妹艦である長良、名取、鬼怒、阿武隈ともそう大差ない状態だ。それなのに。
それでも、素直に喜んでいいのかなとも思う。
木村の補佐官として、風間は地味だが欠かすことのできない立ち位置にいる。その人に選んでもらえたのは、純粋に嬉しい。天龍龍田と共に、最初期から木村とこの鎮守府を支えてきた自負もある。いつしか、戦艦や空母たちに華やかな立ち位置を奪われてしまっている今になっても。だが、船団護衛や輸送、哨戒と言った、やはり地味であっても欠かすことのできない仕事を黙々と続けている自分は、風間の背中にも被るのだ。だからこそ、その人がちゃんと自分を見ていてくれたことが嬉しい。その反面、主力と認定されたMI攻略部隊に選ばれたかったという思いもある。二つの思いを抱えながら、由良の気持ちは全力で前を向けずにいた。
由良が部屋に戻ると、同室の名取は本を読んでいた。改長良型、由良型とも呼ばれる由良と違って、純然たる長良の姉妹艦はこの名取までの三隻だ。活動的な二人の姉と違って、名取は引っ込み思案で大人しい。正直なところ、なんでこんな大人しい人に艦娘適正があったのかと思ったことは一度や二度ではない。木村もそれを感じたのか、名取に任せる主な任務は、由良が非番の時の遠征旗艦か、練度の低い駆逐艦の教導だ。
「あ、おかえり」
ドアの音に気づいて、名取は読んでいた本から目を離して由良を見上げる。その穏やかな笑顔は、由良のささくれ立っていた気持ちを少し和らげてくれた。
「ただいま、名取姉さん」
由良はそう名取に笑顔を向けると、湯飲みに茶を注ぎ、ちゃぶ台の名取の対面に腰を下ろした。
「今日はどうだった?」
「特に何もないわ。いつもどおり、漣ちゃんが調子いいことばっかり言ってるくらい」
由良はそう言うと、大きく溜息をつく。その由良に、名取は微苦笑を返した。
「ほんっと、七駆には遊ばれてる感じするのよね。特に漣ちゃんには。名取姉さんが旗艦の時はどうなの?」
「潮ちゃんと朧ちゃんはすごく真面目だよ?」
「それは知ってるわ。あの二人には不満ないもの。曙ちゃんだって、ちょっと性格がひねてるだけで、根は真面目ないい子よ」
由良がそう唇を尖らせると、名取ははやりというか苦笑いになった。名取にとっても、漣はやはり手を焼く相手らしい。
「なんかこういい手ないかなあ。漣ちゃんがもう少し真面目になるような」
「そのときが来れば、きっとちゃんとやるよ」
「慢心は艦娘を殺すわよ」
そう言って、由良はため息をまたつく。名取はバツ悪そうに俯いてしまった。
「なんにもなく、無事に退役させてあげたいんだね」
「それが一番だもの…。沈んじゃったら、元も子もないから…」
由良はそう言うと、優しく笑う名取をちらっと見てから、視線を湯飲みへ落とした。今度は激しい戦いが予想されるのだ。潮を除く第七駆逐隊にとっては、初の大規模作戦への参加だった。
夕食の終わった後、由良は一緒に食事をしていた夕張と別れて、司令室へ向かった。入り口には、夕方と同じように日向が立っている。
「日向さん、ご苦労様です」
「由良か。入っていいぞ」
夕方と同じように、瑞雲を磨いている手を止めて、日向は軽く微笑む。日向は司令室のドアを開け、由良の背中を軽く押した。
「長良型軽巡由良、参りました。失礼します!」
由良は敬礼を解くと部屋の中を見渡す。司令席には木村がおり、脇の席には風間がいた。既に天龍と龍田は来ており、飛鷹と隼鷹も来ていた。廊下からドタドタと音がして、「おっ、日向さん、お疲れっ!」という摩耶の大きな声が聞こえてきた。少しずつ、作戦に参加する艦娘が集まってくる。時間通りに全員が揃う。由良の視線は方々を彷徨い、時には木村に、時には第七駆逐隊の面々に、時には僚艦の天龍へ注がれたりしながら、やはり時には風間のところへも行っていた。
「始めよう」
木村が言うと、日向がドアを閉めて出て行く。おそらくまた司令室の前で立ち番をするのだろう。由良の思考が日向に注がれた一瞬の後、また木村の声が響く。
「作戦の中心は、AL列島のキス島、ウラナス島、アツタ島から深海棲艦を駆逐し、駐留部隊を現地に送り込むことだ。そのためには、各港湾施設の占領が重要になる」
木村はここまで言って、ちらっと横の風間を見る。風間は頷いて立ち上がった。
「巡航速度の遅い工作艦朝日は、七月二十九日一足先に現場海域へ向かう。これには、若葉と初霜が護衛で行ってくれ」
その声に、若葉と初霜から「はいっ」という声が上がる。
「それ以外の参加艦は、大湊に八月一日集合。翌二日〇二〇〇に出撃する」
その声に、天龍や摩耶から声が上がった。由良も、思わず右手をグッと握ってしまう。
「あくまで攻略目標はALという偽電文を流す。無線封鎖は基本的に変わらないが、完全封鎖ではなく折を見て電文を流すから、MI作戦のことは忘れて返信するように」
「暗号で流すが、暗号は解読されているものと思ってくれ。MIの方は新暗号を用いた上に完全封鎖で作戦の行うから、心してかかってくれ」
風間と木村が交代で言う。その意味を租借して、部屋の中の緊張の度合いが増した。
「摩耶、鳥海、扶桑、山城は第一戦隊として、目標海域までの露払いを頼む。天龍、龍田と第六駆逐隊は第二戦隊として飛鷹、隼鷹の護衛だ」
そう言った風間の目が、一瞬由良に注がれる。由良は思わず唾を飲み込んだ。
「由良と第七駆逐隊、合流後の若葉、初霜は、司令艦はまゆきと、輸送艦おが、第十九輸送艦、第九輸送艦、工作艦朝日の護衛だ」
「はいっ!」
由良だけでなく、第七駆逐隊からも、わずかに緊張した声が上がった。護るべき相手は深海棲艦への攻撃手段を持たない丸腰の艦ばかりだ。陸戦隊を搭載した輸送艦の護衛を預かると言うことは、それだけの人の命を預かっていることでもある。いやが上にも緊張の度合いは高まった。それに。はまゆきの護衛ということは、風間の命を預かったと言うことでもある。その重責に自分の率いる戦隊を選んでくれたと言うことは、素直に喜べた。
その後も、攻略目標、作戦の細かい説明、朝日との落ち合い場所など、たくさんの連絡事項があった。そうして、その会議が終わったのは、二十一時を回ってからだ。第四艦隊を率いて同じように護衛任務に就いていた木曽がやってきて、由良と電が今日の任務の報告を済ませ、それぞれが解放されたのはさらに三十分遅れだった。