作戦の概要は発表されないまま、鎮守府の日々は過ぎていく。第一艦隊には特に大きな出撃もないまま、演習と遠征を繰り返している。
そうして、夏がやってきた。
「風間、いいか?」
今日も松本の軍令部に呼び出されていた木村が、帰って来るなり木村の仕事を代行していた風間に声をかけた。秘書艦として風間を補佐していた日向は、少し眉を動かしただけだ。
「はい。報告書をまとめているだけですので」
そう言うと、風間は補佐官の席を立った。日向が、その風間をちらっと見る。
「私は、外しておいた方が良さそうだな」
そう言って二人に背を向ける日向に、木村は微苦笑を向ける。
「終わったらすぐに呼びに行く。瑞雲の調整をしておいてくれ」
「わかった」
ちらとだけ振り返って、日向は司令室を出て行った。
「大規模作戦のことですね?」
確認するように聞く風間に、木村は頷く。いつも軍令部に行けば現れる瞳の奥の憂鬱は、今日もそのままだ。
「N日が確定した。攻略目標は、中部太平洋MI島と、北部太平洋AL列島」
「二面作戦ですか…」
木村の声に、風間もさすがに憂いの表情を纏う。南西方面を重点的に攻略中の状態で、北方と東方に兵力を出すのはあまりにもリスクが高い。南方の敵とて沈黙したわけではなく、冬には正体不明の艦隊と手を組んで攻撃を仕掛けてきたばかりだ。
「軍令部は本気でH島を攻略するつもりらしい。その前哨戦として、MI島を攻略するそうだ。ALには陽動部隊を送り込む」
「補給線はどう考えても保ちませんね」
「そうだな。敵の勢力圏内の孤島MIを攻略したところで、おそらく維持はできまい。死力を尽くして奪取しても、ガ島と同じで血みどろの争奪戦になるだけだ」
木村はそう言うと、大きくため息をつく。長い髪が揺れた。
「だが、軍令部が言ってきている以上従わねばならん。AL方面の作戦指揮は風間、お前が執れ」
「私がですか!?」
風間の声が思わずうわずる。風間はいろいろな作戦に従事はしているが、人間を率いて戦ったことはあっても、艦娘を率いて戦ったことは今までにない。艦隊戦も始めてだ。
「お前以外に適任者がいない。やってくれ」
木村が言ったのはこれだけだ。消去法で残ったのだとしても、選ばれた責任はとてつもなく重い。陽動作戦なので、失敗は許されない。失敗は即本作戦であるMI島攻略に影響するのだ。
「わかりました。作戦成功に向け尽力します」
風間はそう言って頭を下げた。ふっと木村の気が緩むのがわかる。
「後は編成だ。風間の方にはあまり戦力を避けない。早速で悪いが、お互い連れて行く艦娘を決めよう」
木村はそう言うと、自分の椅子に腰を下ろした。机の上の作戦ボードに乗っていた所属艦娘のプレートはこのためだったのかと、風間は改めて気づいた。
翌日の夜、全艦娘にアナウンスがかかる。本来は休息時間である二十一時に作戦室へ集合せよという命令だ。本棟の五階にある作戦室に、ぞろぞろと艦娘たちが集まってくる。その中には、当然だが由良もいた。
「いよいよ大規模作戦の発表かしら?」
由良の横で、夕張がわくわくした表情を見せながら言う。装備マニアの彼女にとって実戦はまたとない実験や調整のチャンスだ。明石や矢風、摂津とあーだこーだ言いながら開発した新装備をここぞとばかりに使いたい。
「おそらくそうね。あんまり遠出しないと嬉しいんだけど…」
「大規模なのに遠方じゃなかったら、それこそこの鎮守府だって火の海よ」
由良の言葉に、夕張は呆れたように言う。それもそうかと納得して、由良は小さく頷いた。
作戦室には、もうかなりの艦娘が集まっていた。戦いたい天龍や摩耶などは、それぞれの相棒である龍田と鳥海を伴って最前列の席を陣取っているし、長門などはあえて一番後ろで全員の背中を眺めている。壇上には、鎮守府司令の木村の他、風間と佐々木が左右にいた。
「時間が来たので始めます」
入り口の鍵を閉め、防音用の分厚いカーテンを引き、部外者が紛れ込んでいないことを確認してから、風間は口を開いた。
「軍令部より、中部太平洋MI島の攻略が下命された。みんなも知っているとおり、MI島は敵の根拠地と目されているH島に近く、激しい抵抗が予想される。そのため、敵戦力を分断する目的で、陽動作戦としてAL列島の攻略も同時に行うこととなった」
風間の声と共に、作戦地図が壇上のスクリーンに表示される。艦娘たちにどよめきが広がった。
「部隊はMI攻略隊を本隊とし、AL攻略隊を別働隊として扱う」
風間の声に、会場はしんとなった。次に何が発表されるか、みんなわかっているのだ。
「本隊、および別働隊に従事する艦娘を発表する!」
凜とした木村の声が作戦室に響いた。所々で息をのむ音が聞こえる。天龍や摩耶などは、気合いが声となって漏れていた。
「本隊! 航空戦艦日向!」
「は」
木村の声に、日向がゆらりと立ち上がる。その日向に一部の視線が集まった。現在最も高い練度を維持する艦娘で、秘書艦としての働きもこなし、木村の覚えもめでたいだろうという視線だ。
「航空戦艦、伊勢!」
「はいっ!」
姉妹艦の伊勢は、日向と違い勢いよく立ち上がる。これもまた、当然という視線が集まった。
「高速戦艦、金剛、比叡、榛名、霧島!」
「ハーイ!」「はいっ!」「はい」「はい!」と四者四様の声が返る。
「正規空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍! 航空巡洋艦、最上、三隈、鈴谷、熊野! 重巡洋艦、青葉、衣笠!」
それぞれの艦娘がそれぞれの声を返しながら立ち上がる。
「軽巡洋艦!」
その木村の声に、夕張と由良は顔を見合わせて頷いた。
「夕張!」
「はいっ!」
夕張は驚いたようで、声を上ずらせて立ち上がった。由良も驚いてその夕張を見上げる。夕張は強武装が売りだとは言え、駆逐艦とさほど変わらない船体なので、耐久力は由良たち五千五百トンクラスの軽巡と比べるとかなり落ちた。それでも、高い練度と変幻自在な装備が買われたのだろうか。
「能代、矢矧!」
「はいっ!」
最新鋭の阿賀野型軽巡の二隻が立ち上がる。小柄な夕張とは対照的だ。
「駆逐艦!」
その木村の声が、軽巡枠の終わりを告げていた。由良は本隊では呼ばれなかった。見上げる夕張は、まだ別働隊があると言いたそうだった。
「浜風、浦風、谷風、夕立、時雨、朝潮!」
新鋭の陽炎型以外は、由良もよく知る古くからの仲間だ。由良がよく護衛任務に連れ出していた時雨や朝潮も混じっている。
「本隊はこれに工作艦明石が随伴し、輸送艦みうらの陸戦隊および司令艦さわゆきの護衛も担当する。現場での指揮は私が執る」
木村はそう宣言すると、わずかにどよめく艦娘たちを一瞥して段を降りた。続いて、風間が壇上に立つ。
「別働隊! 航空戦艦、扶桑、山城! 軽空母、飛鷹、隼鷹! 重巡洋艦、摩耶、鳥海!」
風間はいつもと違った厳しい顔で、艦娘の名前を読み上げていく。
「軽巡洋艦、天龍、龍田!」
そうして、ちらっと風間の視線が由良を見た。由良は思わず上体を起こす。
「由良!」
「はいっ!」
由良は長い髪を揺らしながら、立ち上がる。既に腰を下ろしていた夕張が、軽く頷いて由良を祝福する。由良も微笑でその夕張に返した。
「駆逐艦、暁、響、雷、電、若葉、初霜、朧、潮、曙、漣!」
駆逐艦たちから元気のいい声が返ってきた。そこで、風間の声はいったん止まる。
「これに工作艦朝日が随伴し、輸送艦おが、第十九輸送艦、第九輸送艦の陸戦隊および、司令艦はまゆきの護衛も担当する。現場での指揮は、私が執る」
風間の声に、作戦室はどよめいた。風間が現場の指揮を執るのが初めてなのは、全員が理解していたからだ。
「後のメンバーは鎮守府の守備を任せる。鎮守府守備隊の指揮は、佐々木大佐が執る」
風間がそう言うと、佐々木は作戦室内を睥睨し、一歩下がった。その佐々木も、評判が悪いだけに、小さなどよめきが起きた。そのどよめきを制するように、再び木村が壇上に上がる。
「作戦実行のN日は八月八日だ。それまでに各艦準備を怠るな」
「情報の漏洩は厳罰だ! わかってるな!」
木村の声が切れるとともに、佐々木が声を上げる。返事の声が、作戦室に響いた。
「作戦の詳細はそれぞれ追って説明する。本日はこれにて解散!」
風間の声で艦娘たちは一斉に立ち上がる。木村の右手が敬礼位置に上がると、ザッと一斉に艦娘たちの右手も上がった。
作戦室から出た由良と夕張は、それぞれの面持ちで部屋への道を歩いていた。夕張の顔は希望に満ちており、由良の顔は少し沈んでいた。
「由良は大佐と一緒ね。良かったじゃない」
その由良の表情を見て、夕張はわざと茶化すように口を開く。由良の頬にさっと赤みが差すがそれは一瞬で、また視線は足元に落ちた。作戦に従事する軽巡は、練度の高い物順だった。軽巡で一番練度の高い夕張は、エースとしての抜擢だろう。矢矧、能代も陽炎型駆逐艦を率いて任務に出ていることが多い。艦隊決戦には欠かせないだろう。AL作戦の方も、天龍、龍田は第六駆逐隊との息を買われたのだろう。自分は余ったピースを埋めているに過ぎない。由良はそう思えた。
「青葉さんから聞いたんだけどさ」
夕張の声に、由良は弾かれたように顔を上げて夕張を振り向く。
「今回の出撃艦娘って、提督と大佐がそれぞれ指名して決めたらしいのよね。提督がMI作戦、大佐がAL作戦にそれぞれ連れて行く艦娘を選んだ…」
夕張はそう言って、ニッと笑う。
「風間大佐はさ、五十鈴じゃなくて由良を選んだってコトよね。五十鈴の方が練度高いのに」
「たまたまよ、たまたま。五十鈴姉さんは対潜能力が高いから、鎮守府の守りに残ることになっただけで…」
由良はそう言った後、頬を染める。
「そりゃあ、大佐さんに直接選んでもらえたのは嬉しいけど…」
由良の顔をちらっとのぞき見てから夕張は口を開く。
「AL作戦は、随伴する輸送艦の数も多いし、結構護衛も大変よね。六駆に七駆、若葉に初霜…。お守りする駆逐艦の数も多いしね」
「天龍と龍田も一緒だから、そこは心配してないわ。七駆も六駆も、若葉も初霜も、どんな娘たちかはよく知ってるから」
そう言って、由良は細く微笑った。この鎮守府に初期の頃からいる暁型、綾波型、吹雪型、初春型、白露型の駆逐艦たちは、本当によく知っていたのだ。彼女たちを引き連れて、船団護衛や輸送艦護衛、対潜哨戒などの任務を遂行していたのは、由良と天龍、龍田の三隻が殆どだった。
「むしろ、朝潮ちゃん以外の朝潮型、陽炎型や夕雲型の娘たちを任される方が、どう接していいかわからないもの」
苦笑する由良に、夕張は小さくため息をつく。夕張は主力軽巡洋艦の一隻として、陽炎型を率いて行くことも多いが、鎮守府の脇を固めている地味だが欠かせない任務の旗艦としての由良の役目は、決して小さなものではない。だからこそ、風間は天龍、龍田と共に由良を指名したのだろうと思っていた。随伴の駆逐艦が、やはり脇を固めている第六駆逐隊、第七駆逐隊、若葉、初霜というところからも、その事実は容易に想像できるだろう。それでも、夕張にとって由良の煮え切らない態度は、少し残念でもあり、腹立たしくもあった。
「風間大佐と今まで以上に仲良くなれるチャンスじゃない。私たちがMIの方は決めてくるから、由良はALを攻略して、ついでに風間大佐も攻略しちゃいなさいよ」
夕張はそう言うと、由良の背中をバンと叩く。思わずよろけた由良は、体勢を立て直すと自分より小柄な夕張をジト目で睨んだ。
「前向き、前向き!」
夕張は、そのジト目に怯まず、そう言ってニカッと笑った。