艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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人間模様

 木村が横須賀に戻ってきたのは、その日の夜遅くだった。鉄道網も寸断されている今、松本から横須賀への移動は楽ではない。制帽を脱ぎながら司令室のドアを開けると、執務中の風間が顔を上げた。

「お帰りなさい、中将」

「風間か…。いつも代役すまないな」

 そう言いつつ、制帽を衣紋掛けに掛けると、木村は疲れた体を自分の椅子に預けた。激務で艶を失いつつある長い髪が、背もたれの向こうで揺れる。

「江田総長は、どのようなご用だったのですか?」

 書類にペンを走らせる手を休めずに、風間はそう聞く。その風間の姿にちらっと視線を送ったあと、木村は口を開いた。

「また大規模な作戦を考えてるようだ。今度の作戦は、正直に言ってかなりきついな」

 そう言って木村は目を伏せる。史実のMI/AL作戦の帰結が頭を過ぎった。壊滅した機動部隊、大破して漂流する飛龍と三隈。艦娘たちにあのような惨敗を味わせたくはない。それに、二面作戦となると、MI作戦は自分が指揮をするとして、AL作戦を指揮する人間も必要だった。指揮を任せられるような部下の数は少ない。

「風間」

「はい」

 呼ばれて、ようやく風間は手を止めた。木村に視線を送ってみても、木村は背もたれに体を預けたまま、目を閉じて天井を見上げている。仕方なく、風間はまた書類に視線を落とした。部屋には、風間が走らせるペンの音だけが響く。

「今度はお前にも艦隊の指揮を執ってもらうことになるかもしれない。覚悟だけはしておいてくれ」

 風間は少し驚いて書類から顔を上げたが、木村は微動だにしない。その疲れた横顔は何も語ってはくれなかった。

「…はい」

 風間は静かに頭を下げたが、木村はその風間を振り向くことはしなかった。

 

 軽巡の中では天龍に続いて鎮守府では古株である由良の仕事の大半は、旗下の第七駆逐隊を率いての船団護衛任務や対潜哨戒任務が殆どだ。時に、白露型寄せ集めの仮の第二駆逐隊(白露、時雨、村雨、夕立)を代わりに率いていくことや、着任して日が浅い練度の低い駆逐艦の教導をすることもある。そんな由良も、ローテーションの都合で非番になるときもあった。今日は、護衛任務は姉妹艦の名取が第二駆逐隊を率いて出撃していた。非番だからと言っても、鎮守府にいればできることは限られる。中には外出許可を得て「外の世界」へ行く艦娘もいるが、今日の由良はそんな気分ではなかった。もっとも、深海棲艦の攻撃の結果、鎮守府や工廠の関連以外放棄された街には、鎮守府に関係のある人たちが暮らすだけであり、最低限の娯楽がわずかながら存在しているしかない世界だ。

 その日の由良は、訓練に明け暮れる長良と五十鈴の相手をすることも、同じように暇をもてあます鬼怒と阿武隈の相手をすることもせずに、夕張のいる工廠へ顔を出していた。工廠にいるときの夕張は、戦闘時よりも張り切っているように見え、試作武器のテスト要員として木村からの信頼も厚いので、いつもやる気に満ちている。そんな夕張の姿を、邪魔もせずに時に会話のやりとりをするのが、由良の楽しみの一つでもあった。

「あら、大佐さん」

 夕刻、夕張と別れて工廠から戻る道すがら、由良は風間を見つけた。当の風間はというと、タオルを頭に巻き、整備兵の服を着て、植木の手入れをしていた。

「やあ、由良かい」

 植木ばさみを動かす手を止め、汗を拭いながら、風間は脚立の上から由良に笑いかける。その笑顔を見て、由良は思わずため息をついた。

「大佐さん、今日は植木職人?」

「だいぶん手入れされてない状態が続いてたからね。そろそろ何とかしたいと思っていたんだ」

 全く屈託なく、風間は由良に笑いかける。その笑顔に由良の唇は曲がった。つかつかと脚立の下に歩み寄り、風間を見上げる。

「大佐さん、そんなことしてる場合じゃないじゃない。提督さんはなにやら忙しそうだし、秘書艦の日向さんだって、いつも難しい顔してるし」

 そう怒ったように言う由良に、風間は苦笑いを返す。由良にはとんっと胸をつかれたような笑顔だ。

「だからこそだよ。僕まで平静を失っちゃいけない。今日は僕も由良と一緒で非番だからね。非番の日にできることをやっとこうと思っただけだよ」

「だったら、由良も…」

 風間は、そう言う由良を笑っていなす。もう一度汗を拭うと、脚立から降りてきた。

「残念ながら、この辺の刈り込みは終わったよ。もうすぐ夕食だし、由良も寮に戻ったらどうだい?」

 由良はそう言われて、周りを見渡した。ぼんやりと記憶にある手入れの行き届いていなかった植木たちは、きれいに刈り込まれていた。きっと、この人は朝からやっていたんだろうなと言う推測は容易にできる。

「よう、風間!」

 由良が口ごもっていると、その背中から大きな声が追い越した。

「佐々木」

 風間の口がそう動く。風間と同じ海軍大佐の佐々木誠司だ。

「お前、またこんなうだつの上がらないことやってんのか?」

 そう言いながら、佐々木は由良のスカートの上から尻をわしづかんでいく。

「ちょっ!?」

 由良が慌ててその手を払おうとしたが、佐々木はまるで何事もなかったように風間の横にいた。

「佐々木、そう言うのは良くないぞ。艦娘だって、一人の女性だ」

 顔を真っ赤にして佐々木を睨みつける由良から視線を外すと、風間は佐々木にそう忠告する。佐々木はそれを笑い飛ばした。

「構わねえじゃねえかよ。減るもんじゃなし」

 由良に顔を近づけ、佐々木はそうニッと笑う。由良は佐々木を睨み返していたが、終始下卑た笑みを見せる佐々木に、最後は視線を逸らしてしまった。その右手に胸を揉まれ、由良は慌てて飛びすさる。

「佐々木!」

 それにはさすがに風間も声を上げた。

「お前は堅物すぎんだよ。艦娘だって一人の女だ。善がらせてやるのも、俺たち『希少種の男』の使命だろ?」

 佐々木はそう言うと、また笑う。由良は胸を両手で覆いながら、身構えるようにして佐々木を睨んだ。その顔は真っ赤だ。

「そういうことを部下や艦娘たちにするなと中将からも言われてるだろう!」

 普段温厚な風間も声を上げる。佐々木の素行の悪さは、鎮守府でも有名だ。それでも、陸戦隊長として勇猛果敢で実績も上げていることから、煙たがられてはいるものの、その軍籍を剥奪されずにいる。当然、女性である木村からも毛嫌いされていた。

「あの女提督も、いずれ誰かの下でヒンヒン鳴くことになるんだ。こいつらだって同じだよ」

 もう一度由良を振り返って、佐々木は言う。

「深海棲艦の攻撃で、俺たち男は激減したんだ。俺たち希少種の生き残りが、これからの人類を支えるんだぜ? それをこいつらにもわかってもらわねえとな」

「そんなことを考えるのは、平和になってからでも遅くない」

 風間も、頭に血が上ってきたのか、激高を堪えながら佐々木に言う。佐々木は鼻で笑った。

「それが甘いって言うんだよ。お前は何事にも貪欲さが足りない。いつまで経っても、あの女提督に使われるだけだぜ。成り上がって力を手に入れりゃ、金も女も思いのままだ」

 そう言いながら、佐々木は風間に背を向けて、ひらひらと手を振って去って行く。佐官の宿舎の方へ向かったようだった。

「…由良、あの人苦手…」

 胸を押さえるようにして言う由良は、風間の方を見ていない。俯いた視線は、自分の足下で揺れていた。

「僕も苦手だな。自分の欲望に忠実すぎて、他人と協調できない。自分を特別な何かだと誤解してるんだ」

 そう言うと、風間は頭のタオルを取って由良に頭を下げる。

「同輩が嫌な思いをさせて申し訳ない。何とかするとは言ってやれないのが心苦しいのだが…」

「そ、そんなのいい! 大佐さんが謝ることじゃないから!」

 由良は慌てて声を上げてしまう。タオルで巻かれていたくしゃくしゃの髪が、由良の眼前にあった。

「…大佐さんは、ホントに真面目すぎよ…。もう少し、その真面目さを解してもいいと思う…」

 由良がそう言うと、風間はやっと頭を上げた。驚いたようなその目に射貫かれ、由良は真っ赤になってまた俯いてしまった。

「…えと、寮に戻るね。大佐さんも、あとはゆっくりしなきゃダメよ」

 由良はそう言うと、逃げるように寮へ駆け去った。あとには、呆然とした風間だけが残されていた。

 


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