夕方までみっちりと訓練をしたはずの第六駆逐隊は、響を除いて一様に不安の色を顔に残したまま戻ってきた。いつもは四人でワイワイと食べていた夕食も、今日に限ってはことのほか静かで、いつも淡々としている響が返って明るく見えるくらいだ。
あの後、俺たちにも普段装備してる14センチ単装砲に換えて、主に重巡用の20.3センチ連装砲と61センチ四連装酸素魚雷が支給された。いつものより装備は重くなったが、重巡相手ならこれくらいがちょうどいいかもしれねえな。電と雷にも普段の61センチ三連装魚雷に換えて61センチ四連装酸素魚雷が支給されたみたいだしな。
夕食の後、龍田と新兵装を試験し終えると、俺たちは宿舎の部屋に戻って床についた。それでも、久々の実戦かと思うと、容易には眠れない。隣の龍田はあっさりと夢の中だから、龍田の神経の太さには恐れ入る。俺は部屋と宿舎を静かに抜け出すと、いつもの倉庫近くの岸壁へブラブラと歩いて行った。ふと岸壁の先に目をやると、暗闇の中に小さな影が見える。俺はその影に近づいていく。
「響」
声をかけると、小さな影は俺を見上げた。
「天龍…」
抑揚のあまりないその声の横に、俺は腰を下ろした。いつもは被っている帽子も被らず、寝間着のまま色の薄い長い髪を海風に吹かれながら、響は海を見ていた。
「お前も眠れないのか?」
「少し…。天龍も?」
俺の方は見ずに、響は海に視線を落としたままそう聞いてくる。いつも以上に淡々とした感じになってるな。
「久しぶりの実戦かと思うと、昂ぶっちまってな。龍田の奴はもうぐっすりと夢の中だ。あいつの図太さには驚くよ」
そう言って、俺は声を出して笑う。ちらっと、響が俺の方を向いた。
「暁たちは、少しの間緊張で眠れなかったみたいだが、昼の訓練で疲れ切っていてすぐに眠った。私は、起こさないように静かに出てきたんだ」
ぽつりぽつりというように、響は言葉を漏らしていく。
「そうか」
淡々とした表情の奥で何かに耐えているような響の雰囲気は、珍しいと言わざるを得ないな。響にも、龍田のように潜水艦に対する思いがあるんだろうか。
「天龍は、前世で同型艦の龍田とずっと一緒だったのか?」
響は俺の方を見ずに聞いてきた。
「龍田なあ…。第一次ソロモン海戦の前までは一緒だったけど、俺だけが第一次ソロモン海戦に参加して、その後は別々に護衛任務に就いてたからな。俺がマダン沖で殺られた後も、龍田は二年近く頑張ってたよ」
そう言って、前世の記憶を手繰る。そう言えば、マダン沖で潜水艦に殺られる直前、同じ任務に就いてた電も同じマダン沖で航空攻撃に遭って損傷して、ラバウルに戻ったんだっけな。思えば縁があるのか、俺と電にも。
「私たちは、四隻で一緒にいれたのは戦争前の二年ほどだけだった。暁が撃沈された第三次ソロモン海戦には、私だけがキスカ島攻略作戦の損傷で入渠していて参加できなかった」
「俺も二日目のガ島の砲撃には参加してたからな。暁、探照灯照射艦になって、一瞬で蜂の巣にされたんだって聞いたよ」
ぽつぽつと話す響に、俺はそう応える。前世の暁は、この第三次ソロモン海戦の第一夜戦で戦没して、第六駆逐隊は三隻に減ったんだよな。雷も損傷して横須賀に戻った。無事だった電だけが、ラバウルに来て俺と一緒に輸送船団護衛に就いたんだ。俺の方が先に逝っちまったけどな。
「雷は、私や電とは別の船団護衛任務に就いていたときに行方不明になった。潜水艦に撃沈されたって知ったのは、戦争が終わってからだった」
響はそう言うと、その大きな瞳を閉じる。そうして小さく息を吐いた。
「電は、私と一緒に船団護衛の任務に就いているときに、私の目の前で潜水艦の魚雷攻撃を食らって撃沈された。もう三十分早かったら、同じ位置にいた私が撃沈されていた。真っ二つにされて私の身代わりになって沈んでいく電の姿を、私は忘れられない」
響の握りしめていた拳が震えている。
「私は、誰も助けられずに生き残って、二十年以上もソビエトで余生を送った。損傷と入渠を繰り返した私には、みんなのような死に場所はなかった」
「そうだな…」
そう言って、俺は響の頭を撫でる。俺には生き残った者にしかわからない苦しみは理解の範疇を超えてる。それでも、響が電の戦没に責任を感じているのは痛いくらいにわかった。
「…私は、電や雷を撃沈した潜水艦が憎い」
「…辛かったら、泣いていいんだぞ」
俺は、響の方は見ずにそう言う。生き残ったからこそ、背負い続けた思いがあるんだよな。賠償艦として異国に連れて行かれ、新たな名を与えられ、敵国で死ぬまで生活したんだよな。俺たちにはわからない辛さが響にはあったはずだ。だからこそ、響は第六駆逐隊のメンバーの中では格段に淡々としていたんだな。また一緒にいられる喜びと、姉妹たちを失っていった前世の記憶に板挟みになって。どう感情を制御していいかわからなくなって、能面を決め込むしかなくなったんだな。
「天龍…」
驚いた顔で響が俺の方を見る。俺は響の方を向いた。
「提督が対潜水艦用の装備をおまえと暁に渡したのは、潜水艦の怖さを知る前に戦没した暁と、心底潜水艦を憎んでいるおまえの感情に賭けたんだろう。俺や龍田も含めて、他の奴は全員潜水艦に殺られてる。特に電や雷には潜水艦に対する怖れもあるだろうからな。おまえが今度こそ電を守りたいって気持ちを敵にぶつければいい。潜水艦はおまえと暁に任すけど、おまえと暁は、俺と龍田が守ってやる」
「天龍…」
響の表情がみるみる崩れていく。しばらくもしない内に、まだ若い艦娘らしい感情を溢れさせた。
「…ずっと、辛かった。誰かに聞いてほしかった…。みんなには、心配かけたくなかったんだ…」
俯いてそう零すと、号泣する響の声は波音に混じる。俺は、響が落ち着くまで、その頭を撫でていてやった。俺が死んだ後の龍田もこんな感じだったのかな。あいつにも感謝しないとな。
響が落ち着いたのは、もう深更を過ぎていた。俺は響を先に宿舎へ帰すと、しばらく海を見てから宿舎に戻った。響の髪の感触がまだ掌にある。その感触を忘れないように、俺は拳を握った。