司令室を訪れると、由良からの連絡は随分前に届いていたらしい。執務中の提督は、書類の山に埋もれながら、私を迎えてくれた。
「こんな状態で済まないね、響」
疲れの見える顔を上げて、司令官は苦笑いを作る。「問題ない。司令官も、ご苦労様」と私も返す。
「由良から聞いてるわ。海上で拾ったのは綾波型駆逐艦で間違いない?」
再び書類に視線を落とし、ペンを走らせながら、司令官はそう聞いてくる。また何か問題でもあるのかな。司令官はいつも忙しそうだ。
「本人はまだ目を覚まさないけど、艤装から綾波型特ⅡAの朧だと確認した。明石に引き渡したから、今は医務室にいる」
報告は手短に済ませた方がよさそうだと判断し、結論までを言う。
「そう、お疲れ様、響。船団護衛の報告は改めて由良に聞くわ。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」
「了解した」
そう言う司令官に敬礼をして見せたが、司令官は切れ長の目を細めて微笑っただけで、すぐに書類に視線を戻してしまった。
「失礼する」
司令官の走らせるペンの音に混じって、私の声が司令室に響いた。
夜の鎮守府は静かだ。第一艦隊が戻ってきていないなら、今この鎮守府にいるのは軽巡の龍田と、駆逐艦では私と朝潮だけ。普段秘書艦をつとめている電がいないところを見ても、第一艦隊はまだ戻っていないんだろう。私は、自分の靴音だけが響く廊下を抜け、駆逐艦寮に戻った。
「ただいま」
第六駆逐隊の部屋に戻ると、やはりというか誰もいない。雷のベッドで畳まれた毛布は、私の出撃前と何も変わっていない。ふっと不安になる。艦隊全滅なんて事になってなきゃいいけど。
眠れずにまんじりしていると、夜半になってから由良たちが帰投してきた。相変わらず無表情に近い若葉の様子を見ていても何もわからないけど、由良と時雨の力の抜けた表情を見ていると、護衛は無事成功したんだなと少しホッとする。廊下を行く足音で、若葉と時雨が部屋に戻ったのを確認してから目を閉じた。もう一度前を通り過ぎる足音がしたから、時雨は修理のために船渠へ行ったのだろう。
朝になって食堂へ降りていくと、朝潮と時雨、若葉はもう食事を始めていた。常時仏頂面の若葉と生真面目な朝潮が相手だから、時雨は少し困っているようだ。ここに私が加わっても何も変わらない気もするけど、時雨は助けを求めるように、朝食を載せた盆を手にした私の方に苦笑いを送ってきた。
「おはよう」
「おはよう、響」
時雨の前に腰を下ろす私に、時雨は助かったと言わんばかりに挨拶を返してきた。
「おはよう」
「おはようございます!」
全く平坦な若葉の挨拶と、裏腹に声は大きいけどなぜか緊張も走らせる朝潮の挨拶も時雨の声に被ってきた。
「時雨はもう平気か?」
「あのくらいの被弾なら大したことないよ。艤装の修理が終わったら再出撃できる」
時雨はそう言って箸を進める。
「昨日保護した朧さんなんですが、まだ目を覚まさないそうです」
朝潮が、聞いてもいないのにそう報告してきた。朝潮はもうちょっと気楽でいた方がいいのになと思うが口にはしない。もしかしたら、そうしたくてもできない何かがあるのかも知れないし。
「こんなことは珍しいね。いままで僕も含めた海上で保護された艦娘は、たいていその場で目を覚ましてるのに」
「確かにな」
原因はわからない。時雨も言ってから眉を寄せた。
「朧の本体に何かあるのかもな」
ぼそっと若葉が言う。その可能性も否定できない。海上で保護される艦娘の現状は、全く誰にも解明されてないからだ。深海棲艦との戦闘で時折保護されることがあると言うだけで。保護される前の私たち海上保護艦がどういう状態だったのか、自分たちですら知る術はないし、覚えてもいない。だから、朧がどういう状態なのか、本人でない私たちには推測するしかない。
その時、食堂のスピーカーが鳴り出した。
『第一艦隊が帰投する。各自持ち場にて出迎えろ』
司令官の声だ。作戦内容はわからないけど、帰ってくるんだな。
「僕たちもご飯食べたら出迎えに行こう」
そう言う時雨に、私と若葉は頷く。朝潮だけが「はい!」という元気な返事を返していた。