アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
神殿で、階段の上に立つモモン。その背後に立つアルベド。バルディッシュの刃が夕陽に照らされて輝いていた。
「謝ること? 何かあったのか?」とモモンがアルシェに尋ねる。
「モモンの方こそ……。何かあったの?」
アルシェは、モモンと同じ
その人物は、胸の部分が突き出たような鎧の形状。それに、モモンの肩幅に比べて随分と細い。
「いや……。実はな……」
モモンガは、一緒に冒険者を続けられなくなった。モモンガはアルシェにそう伝えねばならないと思う。自分は帰る場所を見つけた。かつての仲間たちの幻影。そして彼らが生み出したNPCが、NPCを超えている。
かつてタブラさんが熱烈に語ったアルベドの設定、そしてデザイン。ユグドラシルでは、再現できなかった質感が、再現されている。
エントマの姿。あれは、設定を超えた、もはや人格と言えるものであろう。
仲間達は去っていった……そう思っていた。自分はリアルとの天秤に掛けられ、そして捨てられた。自分だけが残された。そう思っていた。
けれど、ナザリック地下大墳墓を、そして彼らが作ったNPC達を、自分に残していってくれたのではないか。
スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを破壊し、アインズ・ウール・ゴウンの呪縛を自分の力で解き放ち、自分が新しい人生を始めるために自分はこの世界にやってきたと思っていた。だが、そうではないのではないか。
仲間達が残していったもの。彼らが丹精込めて生み出した、命を与えたと言っても過言では無いような存在と共に生きていくことこそが、この世界に自分が来たという理由なのではないか。
鈴木悟のアバタ―としてのモモンガではなく、モモンガ自身として、ナザリックで生きていく。自分が孤独ではないように、仲間達は仲間達自身の代わりに、NPCに命を与え、そしてずっと自分と一緒にいてくれる。
しかし、自分がその選択をしたということは、アルシェと別れなくてはならないということだ。アルシェは、社会人であるか? 冒険者として報酬を得ているのだから、社会人だと言っても良いかもしれない。しかし、アルシェは人間だ。異形種ではない。"あけみさん"のような例外対応をとることも可能かもしれない。
だが、少なくとも、もう冒険を一緒にすることなどできない。冒険者とナザリック地下大墳墓は利益相反だ。冒険者がナザリックに潜入してくるのであれば、それを迎え撃たねばならない。自らの大切な居場所を守るために……。
そして何より、自分は、モモンガだ。異形種、アンデッド、死の支配者、そして、人間とは現在、敵対関係にある存在だ。ニグン殿が、いつか、異形種と人間種の間の溝を埋め、橋渡ししてくれるかもしれないが、今は敵同士であろう。
アルシェに別れを告げねばならない。
しかし……短い期間だったとはいえ、チームを組んだアルシェに、チームの解散を伝えねばならないのは辛い。別れを告げられることの辛さを十二分に知っている。
そして、モモンガは気付く。引退して別れを告げていくギルドの仲間たち。その仲間たち自身も、別れを告げられる自分と同じように、辛かったのだと。忍びなかったのだと。
自分の愛用していた装備を託す。それは簡単なことではなかったのかも知れない。自分がギルド長として、装備を押し付け易かったのではなく、言い訳や建前ではなく、本当に有効活用して欲しいと、託してくれていたのかもしれない。
別れなら、四十一回告げられてきた。慣れている。しかし、自分が別れを告げるのはモモンガにとって初めてであった。
「モモン……先に言わせて……」
神殿の階段の上で歩みを止め、押し黙るモモンを見て、アルシェは口を開いた。
「私、妹たちを連れて、冒険者の拠点を移して活動しようって言ったよね。だけど……やっぱりそれは出来ない。ごめん。私はやっぱり、お父様とお母様を置いて行ったりなんかできない……やっぱり、家族を捨てたりなんかできない。私から言い出したことだけど、ごめん。せっかくモモンも乗り気になってくれたのに……。」
「…………家族を捨てられない、か。俺も同じだな。俺たちは似ているのかもしれないな……。すまないアルシェ。俺もだ。俺は昔の仲間と造りあげた場所に戻る……」
ユグドラシルから、アインズ・ウール・ゴウンを捨てて、新たな冒険者としての人生を踏み出そうとした。しかし、踏み出さないと決めた自分。
両親を捨て、妹たちと一緒に新しい人生を踏み出そうとした。しかし、踏み出さないと決めたアルシェ。
アルシェ……お前は俺と似ているのかもしれないな。ふっとモモンガはそんなことを思う。
初めて冒険者に登録し、アルシェと出会った。偶然のように思える。だが、もしかしたら自分が、自分と似た人間を無意識に探していたのかもしれない。
そんなことを思い、そしてモモンガの気持ちは軽くなる。アルシェも自分も、自分の道を決めた。
スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを破壊し、新しい人生を歩くという決断ではなく、アインズ・ウール・ゴウンを……ユグドラシルの夢の続きを生きる。
そして、アルシェは、妹たちを連れて家を出るという選択肢を捨て、家族の絆を取り戻すために帝都に残る。
別々の道になってしまったが、それはそれで良いじゃないか……。
「そっか。じゃあ、遺跡に再チャレンジというのも無しだね。でも、帝都を拠点にしながら冒険を続けていくことだってできるし――」
「――すまない、アルシェ。それが出来なくなった」
「え?」
「俺は……冒険者を辞める。アルシェ、お前が冒険者を続けるなら……。次に出会う時は……敵同士となるかもしれない」
「え? そんなのヤダよ……」
アルシェが、神殿の階段に足をかけた瞬間、モモンガの後ろに控えていたアルベドが動く。
「これ以上、前に進むのであれば、殺します」
アルシェの首筋にバルディッシュの刃が突きつけられていた。
「アルベド……やめろ」
「畏まりました」
スッとバルディッシュを引きゆっくりと階段を上がるアルベド。そして、アルシェを神殿の階段上から見下ろす。
「すまないな。アルシェ。チームは解散だ」
モモンは、自らの首にぶら下げていた”モモンと愉快な仲間たち”のミスリルプレートを引きちぎった。この帝都の悪魔騒動の解決の立役者であるなら、さらにアダマンタイト級冒険者へと昇格出来ていたかもしれない。そんな冒険者のプレートを、引きちぎる。
「そんなの嫌だよ……」
バルディッシュを突きつけられたばかりなのに、アルシェの口からそう自然と声がでた。
「アルベド……。何もするな!」とモモンガは、すっとバルディッシュを持ち上げたアルベドを制する。
「だって、私は、本当の意味で、”モモンと愉快な仲間たち”になれてなかった。いつも、モモンや、ニグンさんや、レイナースさんの足を引っ張ってた! 遺跡の件だってそう、迷惑ばっかりかけてた! いつも、三人の背中ばっかり見つめてた。いつか、自分も実力を付けて、いつかきっと、レイナースさんやニグンさんのように、モモンの隣を歩く事ができたらいいなって思ってた。それが目標だった! モモンに助けてもらうばっかりなんて嫌だった。レイナースさんやニグンさんの足を引っ張ってばかりで嫌だった。いつかモモンと対等な関係になって、命を預け合えるようになる。その時が、きっと、私が本当に”モモンと愉快な仲間たち”になれる時だと思ってた。これからも頑張ろうって思ってた。モモンとこれからも冒険できるって思ってた。モモンと対等になって、一緒に冒険ができるように精一杯頑張ろうと思ってた! それなのに酷いよ……冒険の拠点を移せないことは私が悪いよ……。だけど、だけど、チームが解散だなんて、モモン……酷いよ……」
「まだ若いんだ。俺なんかよりもっと良い冒険者や、冒険者チームと巡りあえるさ。お前の力を必要とするチームは沢山あるさ。『魔法の腕には自信がある』のだろ? アルシェ?」とモモンガは言いながら神殿の階段を降る。そして泣きそうになっているアルシェの頭を優しく撫でる。
かつて、ユグドラシルで異形種狩りに嫌気がさして、辞めようと思っていたときに、たっちさんが声をかけてくれたように、アルシェにもきっと、良い仲間は見つかる。アルシェが今はそう思えなくても、『世界の可能性はそんなに小さくない』。きっと、アルシェにも良い仲間が見つかるはずだ。モモンガはそう確信できる。
「全然実力不足だって、思い知ったもん……ニグンさんは、私よりも早く第三位階を使えたみたいだし……」
「お前はこれからさ……」
「モモンと一緒に冒険がこれからもしたい……」
「別れは生きていれば必ず来るものさ。『子ども扱い』もしてほしくないのだろ? それなら、分かるはずだ。別れは絶対に来る。それが遅いか早いかだけの話だ」
「こんな時だけ、大人扱いはずるいよ」
「あぁ。大人は狡いのさ」と、モモンはアルシェの両目に溜まっている涙を右手の親指の部分でさっと払い、「もう泣くな。きっとお前なら良い仲間と巡りあえる」と言った。
その様子を眺めていたアルベドが、「モモン……様。そろそろ……」と口を開く。
「あぁ」とモモンはアルシェから離れる。
「冒険は一緒にできなくても、また会えるよね?」
「いや、もう会うことはないだろう……。ニグン殿やレイナースさんにも、よろしく言っておいてくれ。頼んだぞ。じゃあ、元気でな、アルシェ……」
ゆっくりと遠ざかっていくモモンの足音。かつん、かつんという、モモンが装備している金属製の靴と敷石のぶつかる音が無機質に響く。
「あなた、名前は?」とモモンガの後ろをついて歩くアルベドが足を止め、アルシェに名前を尋ねた。
「アルシェ。アルシェ・イーブ・リイル・フルト。あなたは?」とアルシェは答えた。
自分の名前だけではなく、自分の家名まで含めた全ての名前を告げる。それが、フルト家で生きていくというアルシェの覚悟の表れでもあった。
「そう。憶えておくわ」とアルシェの質問にアルベドは答えず、そして再びモモンガの後ろを歩く。
モモンが遠ざかっていくのが分かる。だが、引き留めることはできないだろう。
モモンともう二度と会うことが出来ないかも知れない、アルシェは肩を震わしている。地面に顔を向け、歯を食いしばる。
引き留めたかった。だが、アルシェは、振り返って遠ざかるモモンの姿を見ることすらできなかった。
モモンの足音が聞こえなくなり、アルシェは泣いた。
モモンの足音が聞こえなくなっても、ただずっと下を向いて泣き続けた。
どうして自分は泣いているのか。自分の感情の名前を上手く付けることがアルシェには出来なかった。寂しいという感情だけでもない。悔しいという感情だけでもない。様々な感情が入り交じって、自分を泣かせている。
モモンと二度と会えない。その事実がただ、悲しかった。
涙の量は多くなっていく。
涙がやがて嗚咽となり、嗚咽がやがて
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帝都アーウィンタールの神殿。その神殿の屋根の上から、パンドラズ・アクターは、配下として連れてきていた
「
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アルシェが、自分が泣いたその涙の理由を。自分を泣かせる感情の名をはっきりと自覚したのは、もう少し後になってからであった。
パンドラたちが歌っている歌:
Johann Sebastian Bach "Matthäus-Passion"(著作権保護期間を経過しています)
邦訳:作者
*歌詞をかなり変えさせていただきました。