アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
第六階層の
待ち伏せをされていたということは間違いがない。だが、デミウルゴス、コキュートス、シャルティアがいるというのは一体どういうことだ?
アウラとマーレがいるということなら理解できる。ここは彼等の守護階層だ。だが、コキュートスは地下五階層の守護者で、デミウルゴスは地下第七階層の守護者であったはずだ。
観客席にも、配置した覚えのないモンスターがいる。本来のナザリックではあり得ないことだ。NPCは、その場に有り続けて、侵入者が来たら設定された
そして、なぜ、泣いている? いや、泣いているように目から液体が流れている? そんな機能はNPCに無かった。いや……。ユグドラシル自体にそんな機能は存在しなかったはずだ。
一体、何が起こった?
ふっと、モモンガはユグドラシルの最終日のことを思い出す。ユグドラシルのサービス最終日にログインをしていたことが、自分がこの世界に来た原因であろう。強制ログアウトされるはずだったユグドラシル最後の時。あのときにユグドラシルにログインしていたからこのような世界にいることになった……。
もしかして……。
ヘロヘロさんもこちらの世界に来ている? てっきり終了前にログアウトしたのかと思っていたが、そうではなかった? ヘロヘロさんも、こっちの世界に来ていた?
ヘロヘロさんなら、NPCの行動プログラムを組み立てることができる。この世界は、嗅覚が再現されているなど、ユグドラシルよりも自由度が遙かに高い。ヘロヘロさんは、凝った作りの行動プログラムも実装させていた。感情豊かなNPCを、人間のようなNPCを作りたいと言っていた。
この世界では、そのヘロヘロさんの夢が実現できる世界であろう。NPCは、目から液体を流す。いや、NPCは泣いているのだろうか。
「ヘ、ヘロヘロさんですか? 何処に隠れているんですか? いやぁ、脅かされましたよ! 涙まで実装しちゃうなんて! 凄いじゃないですか!」
モモンガは、あたりを見回しながらヘロヘロの姿を探す。
「モモン、何を言っているの?」と、モモンの後ろでアルシェは胃の中の物が逆流しないように口元を押さえながら、誰かを呼び探すモモンに声をかける。
モモンの声は、敵を前にした緊張した声ではなく、喜びに溢れたような明るい声だ。敵に囲まれた状態で発するには暢気すぎる声であった。
モモンは、アルシェの言葉が耳に入らなかったのか、『ヘロヘロ』なる人物を呼び続けている。
「ヘロヘロさん〜! 何処ですか?」とモモンは、観客席に向かって叫び続ける。だが、そのモモンに対する呼びかけの応答はなく、モモンの声は、天井に輝く星に吸い込まれていく。
ヘロヘロなる人物を呼び続けるモモンの姿を見て、アルシェは、モモンは何か混乱していると判断した。魅了系の魔法か混乱系の魔法が使われたのであろうかとアルシェは推測するが、アルシェには状態異常を回復する魔法が使えない。
幸いにも、目の前の敵たちも自分たちを襲おうとしてこない。このまま、モモンが正気に戻るのを待つ。それが最善の手だ。
外見は、日傘を持った貴族の少女である女。魔力量がおかしい。
アルシェは、現状での最善の手は、相手を刺激しないこと。そしてモモンが正常に戻るのを待つことであると判断した。
アルシェがそう判断した時、「ヘロヘロ様は、このナザリック地下大墳墓には現在おられません」とスーツを着た悪魔が、重い口を開いた。
「じゃあ、何処にいる?」
「私には分かり兼ねます。私の無知をお許しください」と、悪魔はそして右手を胸の前に回し、そして慇懃な態度で片膝をついた。
「嘘を吐くな! じゃあ、お前達は一体なんなんだよ!」
目の前の異形の者達の表情が凍りつき、そして絶望の色へと変わったのが、アルシェにも分かった。
「私達は、……至高の御方がたに創造された……階層守護者でございます……」と、悪魔は震えた声で、途切れ途切れながらも、アルシェにもはっきりと聞こえる声でそう答えた。
後ろに控えている、闇妖精の姉妹やドレスを着た少女は不安そうな顔をしてモモンを見つめている。表情などは一切分からないが、白い鎧のような者を着た化け物も、カタカタと震えている。
アルシェはその様子を見ていて、もしかしてあの異形の集団は、敵対する意志は無いのではないかと思う。敵対するならば、すでに襲ってきていてもおかしくはない。
おそらくこの遺跡は墓所。眠りについた墓の主を見守る墓守。それが、この異形の者達ではないのか?
私たちはこの遺跡に侵入したが、幸いなことに墓荒らしのようなことはしていない。無断でこの遺跡に侵入したということは、こちらに非がある。だが、そこを謝罪して許してもらえれば、友好的に撤退ができるのではないだろうか。
「ヘロヘロさん……いらっしゃるんですよね……。いるなら早く出てきてくださいよ……」
先ほどの怒声と打って変わって弱々しい声で呟くようにモモンが言う。地面を見つめながら、モモンは何かを呟いている。
モモンはまだ混乱状態が続いているようだとアルシェは判断する。
今は、私がしっかりとしなきゃ! そうアルシェは自分の心を奮い立たせる。正直、あんな化け物じみた魔力を持っている魔物と向かい合いたくない。モモンの背中に隠れていたい。
だけど、今は、自分がしっかりとしなければならないと、アルシェは、奥歯を噛みしめながら、前に進み出た。
「私たちは、バハルス帝国冒険者チーム“モモンと愉快な仲間たち”。私は、アルシェ。そして、このチームのリーダー、“モモン”です。まずは、無断でこの地に足を踏み入れてしまったことを謝罪させてください」とアルシェは、異形の者たちに向かって頭を下げる。
「ん? 冒険者? もう一度、その御名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」と、スーツを着た悪魔がアルシェの言葉に反応し、問いかける。
「私は、アルシェ。“美少女”アルシェです」
「いえ、あなたの名前などに興味ありません。
「モモンよ。“釣りは要らない”モモン!!」とアルシェは答える。
「モモン? 様……?」と悪魔は呟いた後、右手を顎まで運び、考え込み始める。
「無断でこの地に足を踏み入れてしまったことを謝罪します。速やかにこの場を去りますので、どうか見逃してください!」とアルシェは再び大きく頭を下げた。
「ヘロヘロ様をお探しに……。バハルス帝国。冒険者…。なるほど……そういうことでございましたか。流石は至高の御方がたを纏められていた方。そして、最後まで残ってくださった慈悲深きお方……私たち守護者の無能を深くお詫びいたします」と、悪魔は体を地面に五体投地した。
「いえ、謝罪するのは私たちの方です……」
「何を謝罪することなどございましょう!! ところで……あなたは誰ですか?」と、悪魔はアルシェの方をまっすぐに見つめてきた。
態度は柔らかく丁寧だが、アルシェは悪魔の視線を感じて、背中が冷たくなる。冷や汗が流れ始める。魔力量もさることながら、
「私? 私は、バハルス帝国冒険者チーム“モモンと愉快な仲間たち”のアルシェ。“美少女”アルシェ!」と、アルシェはもう一度名乗った。
「そうですか……。それで、“アルなんとか“さんは、このナザリック地下大墳墓に何をしに来たのです?」と、悪魔は優しく問いかける。
アルシェには、“ナザリック地下大墳墓”という単語は聞きなれない名前だった。だが、それがこの遺跡の名前であることは分かった。やはり、ここは墓所だった。
「ここの調査に来たのが目的です。ですが、直ぐに撤退します」
「それで問題ないのですか? 調査であるなら、何か成果が必要なのではありませんか?」
「……」
アルシェは悪魔に図星を突かれて沈黙する。遺跡調査をしたという証拠を持ち帰らなければならない。遺跡の中には、想像を絶するような魔物が住みついていると報告しても、無事な状態で帝都に帰っても、まったく説得力がない……。
「必要なのは、マジック・アイテムですか? それならばこれをお持ちください」と、悪魔はアルシェに歩み寄り、禍々しい悪魔の像を手渡してきた。
「こ、これは?」と、アルシェは強引に渡されたそのアイテムを訝しげに見つめる。何かとてつもない魔法が込められているように思われる。悪魔の像を模ったアイテム。造形だけでも、非常に手が込んだつくりであるのは分かる。悪魔の像を飾りたいと思うかどうかは別として、美術品としても価値が高そうであるとアルシェは思う。そして、遺跡から持ち帰った品としては十分であるように思われる。
「これは、私のもっとも大事にしている大切なアイテムです……が、どうぞお受けとりください。……シャルティア。外までお送りして差し上げなさい」と悪魔はそのままアルシェに背を向けた。
「え? お送りするでありんすか? どうして?」
「後で説明します。思う所はあるでしょうが、お願いしますね」
「了解でありんす」と、今度は、ドレスの少女がゆっくりとアルシェへと近づいてくるが、その少女の視線はモモンを見つめながら歩いている。
アルシェは、その少女の真っ赤な瞳。その少女が吸血鬼であるとその時気付く。
そして、その少女は魔法を唱えると、門が出現した。門の中には、暗黒の空間が広がっている。フールーダ先生が使えるという第六位階魔法
「これを通れば、地上であんす」
「い、行こう。モモン!」と、アルシェは棒立ちしているモモンの腕を強引にひっぱり、その門まで連れていく。そして、先にモモンの背中を押して、そのゲートを潜らせた。
そして、自分もその門を通ろうとしたとき、アルシェは「またどこかでお会いしんしょう。尻尾が似合いそうなお嬢さん」と、少女が呟くのが聞こえた。
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地上は、太陽が沈みかけていたところであった。遺跡の地上にあった墓石の影が長く伸びていた。
あの遺跡の中では、夜空であった。夕方と夜。時間さえくるっている遺跡。それだけでも、あの遺跡の恐ろしさが理解できる。
そんな遺跡から、どうやら無事に生きて帰って来れた。
「モモン、馬車の所までまずは帰ろう……」
アルシェは、モモンの手を取りながら馬車へと向かう。そして、ときどきモモンの様子を振り返り見る。地面を見たまま、とぼとぼと力なく歩いているモモン。
アルシェは、モモンに話しかけることができなかった。
モモンが言っていた『ヘロヘロさん』という人。モモンはその人を探していた。それはきっと、モモンの大切な人なのだろう。そうでなかったら、モモンがこんなボロボロの精神状態になるわけがない。
アルシェには、『ヘロヘロさん』という人が誰かは分からない。そして、その人が、モモンと離れ離れになってしまっただけなのか、それとも、もう既にこの世にいないのかも分からない。
だけど、モモンにとっては大切な人なのは確かだ……。何故だか、心がチクリと痛い。
モモンが探しているのは、何でも願いを叶えてくれるという指輪。それをモモンが探している理由が、分かった気がした。
金貨も二百枚くらいポンと出せるくらいお金も持っていて、高価なマジック・アイテムもたくさん持っている。そんなモモンが、叶えたいと思うような願い。
『ねぇモモン、ヘロヘロさんって、誰なの? モモンの仲間? ……もしかしてモモンの恋人?』
気軽な雑談を装って、聞いてみたいと思いつつも、モモンの様子を見る限りそんなことを聞ける雰囲気ではない。それに、どうしてそんなことが気になるか自分でも分からない。冒険者、たとえチームであろうとも、素性を聞いたりするのはご法度である。でも、そんなことは分かっていながらも、聞いてみたくなる。
なんなんだろう。遺跡から生きて帰れて、気が抜けてるのかな……。アルシェは、夕陽の眩しさに、少しだけ目を細めた。