アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
邂逅 1
ユグドラシルの最終日、ヘロヘロさんが、体に鞭を打ってログインしてきてくれた。他の仲間は……これ以上まっても、来ないだろう。
モモンガは、プレイヤーがログインしてきた時に現れるラウンドテーブルが置かれた部屋を後にする。
自分がユグドラシルで最後を迎える場所。それは、玉座の間こそ相応しい。モモンガは、玉座の間の赤絨毯を威風堂々と歩く。そして、モモンガの視線は、玉座の横に立つ女性型のNPCへと向けた。
それは純白のドレスをまとった美しい女性だ。彼女の名はモモンガでも忘れてはいない。ナザリック地下大墳墓階層守護者統括、アルベド。ナザリック地下大墳墓全NPCの頂点に立つ存在。
「どんな設定をしていたかな?」とモモンガは好奇心のままにコンソールを操作して、アルベドの設定を閲覧する。
「長っ……。タブラさん……」
一気にモモンガはアルベドの設定を読み飛ばすと、モモンガの視界に現れたのは、『ちなみにビッチである。』
「え?」と、モモンガは一瞬、目が点になる。これはちょっと酷くないかぁ、とモモンガは悩み、ギルド長特権を使って、アルベドの『ちなみにビッチである。』の文字を消す。そして、『モモンガを愛している。』と書き換える。
「うわ、恥ずかしい」
でも、最後だからそれくらいやっても良いだろう。どうせ最後なんだし。モモンガはそう思い、そのまま王座に腰掛ける。
そして、リアル時間の時刻を眺めながら、自らもカウントをする。
23:59:48、49、50……
モモンガは目を閉じた。
時刻となれば、強制ログアウトが発生するだろう。ユグドラシルの思い出が走馬燈のように頭に浮かんでくる。
23:59:57、58、59……
0:00:00……1、2、3
「……あれ?」
長い走馬燈からモモンガが目を開けると、森林であった。頭が真っ白になった。
「……どういうことだ?」
まだ、自分は異形種の姿のままだ。
0:00:38
何が起こったのか状況把握をしようとするが、コンソールが浮かび上がらない。サーバーがダウンするはずであるのに、サーバーがダウンしていない。自分が強制排出されていない。そして、自力でログアウトしようにも、コンソールが出現しない。
そして、決定的なのは、森から漂ってくる匂いだった。土の匂い、木々の匂い。
モモンガは足下に生えていた草を一本抜き、それを指ですり潰した。そしてそれを自らの鼻の近くへと持っていく。間違いない。これは、匂いだ。なぜ、ユグドラシルに匂いがあるのか。
ユグドラシルが現実になった?
突拍子もない考えだった。だが、考えれば考えるほど、その可能性しかないように思える。モモンガは森の中をさまよい歩く。どっちに歩けば良いのかもとんと見当が付かない。とりあえず、出来るだけ真っ直ぐに歩いてみるかと思う。闇夜でも視界は確保できるので、確かではないが一つの方向ヘと歩いていく。アンデッドの不労不眠の効果で、疲れをまったく感じないということが、これが現実の体ではないということを示している。疲れがまったく無い。
夜通し歩き続け、太陽が昇ったころ、森が拓けた。そして、その草原近くで人が木を伐採しているが見えた。NPCか? と思いながらも、モモンガはその木こりらしき人に近づく。言葉が通じるのか? 見たところ、髪の色は金色。現実世界で言えば、外人だ。日本語を喋っている可能性は低い。
「あ、あの、すみません……」
「ひぃぃぃぃ。アンデッドだ!」
モモンガの姿を捉えた瞬間、その木こりは自らが持っていた斧や荷物を置いて逃げていってしまった。
あぁ、この外見だしな……。モモンガは寂寥感と共に、ある種の納得感があった。
言葉が通じるのは僥倖だが……この姿は不味いか……。この世界が未だにユグドラシルであったとしても、異形種狩りというリスクがある。ここが現実の世界であったとしたら、アンデッドはモンスター扱いであろう。
姿を変える、もしくは偽装すべきであるな、とモモンガは思う。だが、幻覚の類いは見抜かれる可能性がある。
モモンガは、
これならば、中身がアンデッドでもばれない。
モモンガは、木こりらしき人が逃げていった方向へと足を向ける。それにしても、信じられない。空には、青空が広がっている。空が青いということは聞いていたが、汚染された現実世界ではいつも空は、薄灰色の有害物質に覆われていた。ブルー・プラネットさんがこの青空を見たらどう思うのであろう。
きっと、涙を流しながら深い深呼吸をずっと繰り返すのではないだろうか、そんな事をモモンガは想像をした。
やがて見えた貧相な集落。おそらく先ほどの木こりは、この集落の者であるのだろう。集落の入口では、農具を持った男達が五、六人立っている。おそらく、武器を携えているつもりなのだろう。
とりあえず友好的に接して、敵対関係になった場合は即座に撤退するか。
「こんにちは。私は、旅の者です。名前は、モモン・ザ・ダーク・ウォリアー」
相手を刺激しないように、十分に離れた場所からモモンガは声を張る。
「武器をその場に置くのであれば歓迎しよう」という返答が数秒の沈黙のうちに返ってきた。
武器を置け。突然の訪問者。警戒するのも当然だろう。モモンガは、背中の二本の剣を地面に置いて、両手を挙げながら集落へとゆっくりと歩く。
・
「実は、森で迷ってしまったのです。それで、集落が見えたので、尋ねてみたという次第です」
モモンガは、何故この集落に来たか? という問いに答える。出来るだけ丁寧な物腰で対応する。そして、嘘はできるだけ付かない。自分の状況でさえ分からない。そんな状況で嘘を吐くのは得策ではない。
「そういったご事情でしたか……」と、一人の男は安堵したように呟く。が、「し、しかし、さきほどあなたが来た方角に、アンデッドがいたが……。俺はさっきそいつを見て逃げてきたんだが」と別の男が口を開く。さきほど森で木を切っていた男と外見が一致する。
「あぁ。そのリッチならもういませんよ。私が倒しました。実は、そいつを追いかけていたのです。そして、討伐したのは良いけれど、追跡に夢中で自分が道に迷ってしまいまして。なんとも情けない話です」とモモンガは、右手を頭の後ろに回し、困ったように言う。
「あ。なるほど。冒険者の方でしたか」
モモンガは冒険者という単語に反応する。そして、『冒険者』の仕事は大凡予想ができた。
「いえ。私は冒険者ではありません。あのアンデッドは、いわば私の最愛の者の仇……。私怨で追っていたのです」
「そうだったのですか……」と一気に男達の警戒の色が薄まり、自分に同情したような雰囲気になったことをモモンガは感じ取る。
「……ですが、私の生きる目的だった復讐も今日で終わりました。今後は冒険者にでもなって生きようと思います。どこで冒険者になれるのですか?」
「冒険者ですか? あぁ、それなら、このまま南に向かって一週間も歩けば、帝都ですよ」
「帝都?」とモモンガは聞き返す。帝国の
「帝都アーウィンタールですよ。もうここは、バハルス帝国ですよ。北からアンデッドを追って、この村に来たということは……モモン・ザ・ダーク・ウォリアーさんは、都市国家連合の方ですか……。長い復讐の旅路でしたね」と、一人の男が、お疲れ様でした、というような口調で言った。
バハルス帝国、帝都アーウィンタール、都市国家連合……。どれも、ユグドラシルでは聞いたことはない名前だ。やはりここはユグドラシルの世界では無いのか? だが、ユグドラシルの外装のままで、しかも魔法は問題なく使える……。
「ありがとうございます。来て早々ですが、私はその帝都アーウィンタールへ向かいたいと思います。迷っているところ、助かりました」
「いや、こちらこそ……。アンデッドを討伐していただき助かりました。もしあいつが村に来ていたら、多大な被害が出ていましたから」と集落の男たちはお礼を言い始めた。
「いえいえ。これは私の私怨でしたので、お礼を言われることではありません。さて、私は、太陽が高いうちに、帝都に向かいたいと思います。大変たすかりました」
モモンガは、帝都アーウィンタールへと向かって歩き始めた。