「のび太のくせに生意気だぞ!」
今日も僕はいじめられている。
僕は頭が悪くて、運動も出来ない。要領も悪いからクラスでは最底辺の立場だった。そのせいでよくからかわれたり、いじめられたりしている。
「なんとか言えよ、のび太!」
反論すれば余計にいじめられる事を経験で学んだ僕は、ただ黙っている事しか出来なかった。
「おい、何か言えって、言ってるだろ!」
“ドン”
黙ったままの僕に苛立ったのだろう。スネ夫は僕を突き飛ばした。
「うわ!? あっ、ぶつかってゴメンね」
つき突き飛ばされた僕は、近くにいた女子にぶつかってしまった。
咄嗟に謝ったけど、彼女には悪い事をしてしまったなあ。
「あれ、スネ夫、顔が真っ青だよ?」
さっきまで真っ赤な顔で、僕をいじめていたスネ夫だったのに、今見ると真っ青な顔色になっていた。
「……」
スネ夫は、僕の言葉が聞こえていないみたいだ。本当にどうしてしまったのだろう?
その時、可愛らしい声が聞こえた。
「あたしにぶつかるだなんて、いい度胸をしてるよね♪」
それはいっそ嬉しそうにさえ聞こえる響きを帯びた声だったけど、その声の持ち主に気付いた僕は、目の前のスネ夫以上に真っ青になる。
僕がぶつかったのは“最凶の彼女”だったんだ。
「ぼ、僕は関係ないから!!」
スネ夫は今まで見たこともないような素早さで教室を飛び出していった。
僕もスネ夫の後に続いて逃げ出そうとした。
“ガシッ!!”
だけど、それよりも遥かに早く僕の肩は、“最凶の彼女”に掴まれていた。
「当て逃げはいけないと思うよ?」
恐る恐る振り返った僕に、可愛らしく首を傾げながら“最凶の彼女”は言った。
たぶん今日が、僕の命日になるのだろう。
***
「えへへ、ここのケーキは美味しいよね」
彼女は僕の土下座とケーキセットだけで許してくれた。
僕の知っている彼女なら絶対にあり得ないことだ。
そういえば、彼女はこの間まで海外留学をしていたから、なにか心境の変化があったのだろうか?
ニコニコと微笑みながらケーキをパクつく姿は、普通の可愛い女子にしか見えないけど、彼女はその笑顔のままスポーツ自慢の男子達と乱闘をして、無傷で勝利を収めるような猛者だ。
その気性の荒さは学校でも随一で、あのガキ大将のジャイアンですら逆らおうとしない相手なんだ。
最近でこそ同じ女子の友達が出来たみたいで、ほん少し危険度が下がったみたいだけど、学校一の危険人物であることに違いはない……と、思うんだけどなあ。
以前に間近で見たときは肌がピリピリとして震えも止まらなかったのに、今の彼女の側にいても何も感じない。
「ん? どうしたの、あたしの顔をジッと見つめたりして。惚れちゃったの?」
「ち、違うよっ!? そんな恐ろしいことしないよ!!」
しまった!?
こんな返事をしたら絶対に怒り出すよ!!
「あはは、もう冗談なんだからそんな慌てないでよね」
僕の予想に反して、彼女は朗らかに笑うだけだった。
これは明らかにおかしい。
いくら心境の変化だといっても限度がある。
飢えた闘犬とすら称された“最凶の彼女”が、こんな普通の反応を返すわけが物理的にあり得るわけがないぞ。
何かがあるはずだ。
僕はこの異常事態を解決するための推理を試みる。
そうか!
分かったぞ!!
「君は高町さんの偽物だね! たぶん留学中に彼女と入れ替わったんだ! いや、警戒しないで欲しい。僕は君を歓迎するよ。あの“生きた災害”と恐れられた高町さんなんかより、穏やかな君の方が何億倍も好ましいからね。これからよろしく」
次の瞬間、僕の脳天に彼女の踵がめり込んでいた。
***
気がつくと部屋で寝ていた。
「あれ、全部夢だったのかな?」
「うん、うなされていたから悪夢だったんだね」
寝ていた僕の近くで、高町さんがどら焼きを食べていた。
お皿が二つあるけど、両方とも既に空になっている。
どうやら僕の今日のおやつは無しらしい。
僕の視線に気付いたのか、高町さんが食べかけのどら焼きを差し出してきた。
「美少女の食べかけだから10万円と言いたい所だけど、同じクラスのよしみで一万円でいいよ」
「いらないよ!? それにそれは僕のおやつだよね!」
「いらないならあたしが食べるね」
高町さんは何事もなかったようにどら焼きを食べ出した。
「…どうして僕は部屋で寝ていたの?」
きっと僕の予想通りだろうけど。
僕の予想だと、高町さんの怒りに触れた僕は殴られて気絶でもしたのだろう。
気絶した僕を家まで運んでくれた高町さんには感謝すべきかもしれないけど、気絶させた犯人も高町さんだと思うと素直に感謝出来ないかな。
「うん、あんたにカカト落としを決めた後も蹴りまくっていたら警察が来ちゃったんだ。とりあえず、その場の全員の記憶を奪って逃走しようとしたんだけど、あんたを残しておいて厄介なことになっても面倒くさいから、家まで引き摺って来たんだよ。家まで運んであげたんだから感謝していいよ」
予想以上の酷い現実だった。
…どうりで、全身が痛いはずだよ。
でも、記憶を奪うって、どうやるんだろう? まさか、記憶を無くすほど殴りまくったんじゃ……深く考えるのは止めよう。
まあ、僕にとっては高町さんに殴られるのもジャイアンに殴られるのもどうせ変わらない。
いや、今の高町さんは近付いても怖くない分、ジャイアンよりマシかな。それにジャイアンだったら間違っても家に運んでくれたりしないからね。
高町さんはどら焼きを食べ終わると、勝手に本棚から漫画を取り出して読み出した。
別にいいんだけど、高町さんは帰らないのかな?
***
高町さんと夕御飯を食べている。
何でも、高町さんの両親は町内会の寄り合いで遅くなるらしい。
兄はデートに出かけ、姉と妹はそのデートの尾行をしに行ったそうだ。お手伝いさんもいるらしいけど、その人は友人の家にお呼ばれしていて今日は高町さん一人だそうだ。
一部に不穏な単語があったけど、そこはスルーするのが処世術というのだろう。
現に僕の両親は何も言わない。
僕の両親は、僕が初めて友達を連れてきた思って、高町さんを歓迎している。
いやいや、母さんは気絶をした僕を引き摺ってきた高町さんの姿を見てるはずだよね!?
「女の子なら引き摺るしか出来ないわよ。むしろ引き摺ってでも家まで運んでくれたのだから、のび太はちゃんと感謝しなさい」
「えへへ、あたしは当たり前の事をしただけだよ」
ウググ、僕をボコボコしたのは高町さんなのに、まるで高町さんが良い子のように扱われているなんて悔しいぞ……怖くて反論は出来ないけど。
「なのはちゃんは勉強も出来るのよね」
「大した事ないよ。日本に飛び級制度があれば、今頃は大学に入っている程度だもん」
「スポーツも得意なのよね」
「あはは、サッカー部のレギュラーを負かせる程度だよ」
「なのはちゃんは可愛いし、学校でもモテそうよね」
「うーん、それはどうだろう。男子達には遠巻きにされることが多いからよく分からないかな」
母さんと高町さんの会話だけを聞いていると、高町さんは凄い女子のように思えるな。
いや、確かに高町さんは凄い女子ではあるけど、“凄い”の言葉のニュアンスがきっと母さんと僕とでは絶対に違うと断言できるよ。
「なのはちゃんは本当に凄いのね。そうだわ、出来ればでいいのだけど、のび太を鍛えてあげてくれないかしら? この子ってば、ちっともやる気になってくれないけど、なのはちゃんみたいな可愛い女の子に鍛えてもらえるなら頑張ると思うのよね」
やめて!?
母さんは僕を殺したいの!
高町さんに鍛えられるなんて、死ねって言ってるようもんだよね!!
…なんて、怖くて口には出せないけど。
まあ、高町さんがそんな面倒なことを引き受ける訳ないよね。
「うーん、あたしは色々と忙しいからちょっと無理かな」
うんうん、そうだよ。高町さんにそんな暇はないよ。
「一番、三日で普通の子コース、二番、三日で優等生コース、三番、三日で末は博士か大臣かコース。この三つのコースから選んでくれるなら、明日から三連休だから付き合ってあげてもいいよ」
「ぜひっ、三番コースでお願いします!」
最悪だ!!
どうして、あの高町さんがこんな時だけ譲歩するんだよ!!
どう考えても、碌に喋った事もない人間を鍛えようとするような親切な人じゃないよね!!
「あんたは運がいいよね。今回の連休は、アリサちゃんとすずかちゃんが用事があって遊べなかったから暇だったんだ。こんなチャンスは二度とないよ」
「ただの暇つぶしかよ!」
「あれ、誰に向かって口を聞いているのかな?」
しまった!? 口に出してた!
笑顔の高町さんからピリピリとしたものを感じるぞ。
うう、どうしよう? 土下座で許してくれるかな?
ふと、高町さんの視線が僕のお皿に向いていることに気付いた。
今日のおかずは僕の大好きなエビフライだけど、命には変えられないよね。
おずおずと高町さんお皿に、僕のエビフライを置いたらピリピリが収まった。
ああ、今日の夕御飯はおかず抜きか…
***
一日目
「まずは基礎知識が大事だよね」
最初は漢字の書き取りをした後、そのテストをした。
なんだか普通だなあ。と思いながらやっていたけど、いつまで経っても終わらない。
もうお昼かな? と思って時計を見ても一分しか過ぎてなかった。
えっ!? 一分だって!?
壁の時計を二度見しても間違っていなかった。念のため、置き時計を確認しても一分しか経っていない。
「時間が過ぎるのが遅く感じるのは、あんたが勉強を嫌がっているからだよ」
確かに嫌なときは時間が経つのが遅く感じるけど…
「もう、面倒だからグダグダ言うな!」
「ゲボッ!?」
肝臓に抉り込むような手刀を喰らった。
よ、余計なことを考えずに勉強しよう。
漢字が終わった後も全ての教科を基礎からさせられた。
空腹になると緑色でドロドロの謎の液体を飲まされた。
クソまずいけど、これを飲むと空腹は無くなるし、頭の中もスッキリする気がした。
そして延々と勉強と謎の液体を飲むだけの時間が過ぎていく。
僅かでも僕の集中が無くなれば、容赦無く高町さんの手刀が襲ってくるから手を抜けなかった。
意外と丁寧で分かりやすく勉強を教えてくれる高町さんだけど、途中から無機質な感じになった気がする。そして、もう一人の高町さんが後ろで寝転がって漫画を読んでいる。
うん、幻覚が見える。
“ズボッ”
「ゲフゥ!?」
すいません。勉強に集中します。
そんな地獄のような一年が過ぎた。と、思えるような一日が終わった。
***
二日目
「勉強だけじゃなくて、運動も必要だよね」
狭い部屋の中を走らされた。
それも全力でだ。
なのに壁にはぶつからない。
どこまでも走り続けられる。
大丈夫だ。
幻覚にはもう慣れた。
すぐに腹は痛くなったし、息も上がる。
だけど、僕の足は止まらない。
すぐ後ろを走る高町さんが恐ろしいからだ。
殴られるから恐ろしいわけじゃない。何故か分からないけど恐ろしいんだ。
まるで、昔の高町さんのようだ。
いや、昔の高町さん以上だ。
僕の肌は泡立ち、鼓動は早鐘のように鳴っている。魂が悲鳴を上げているのが分かった。
ただただ、高町さんが恐ろしい。
僕は走った。走った。走った。倒れた。
起き上がって走った。走った。気絶した。
気付くとまた走った。走った。走った。心臓が止まった気がした。
気のせいだった。
僕は走った。走った。走った。発狂した気がした。
もちろん、気のせいだった。
僕は走った。走った。走った。
やっと、休憩になった。
時計を見た。
まだ、一分しか経っていなかった。
***
三日目
高町さんが飽きて帰っちゃった。
「いい加減すぎる!? でも、助かったー!」
二日目は本当に地獄だったからね。
運動と勉強を交互に行ったんだ。
僕の感覚だと3年ぐらいに感じた濃密な一日だったよ。
さてと、今日は少し勉強してから散歩でもしようかな。
あれ、どうして僕は自然と勉強しているのかな?
*
空き地に行くとスネ夫が飛行機のラジコンで遊んでいた。
「いいな、いいな、僕にも貸してよ!」
「バーカ、のび太なんかに貸すわけないだろう」
僕はスネ夫に頼んだけど、あっさりと断られてしまった。
うう、悔しいな。
でも、仕方ないよね。
トボトボと家に向かっていると、高町さんに出会った。
「げっ!?」
「ふーん、あんたは家庭教師までしてあげたあたしに会って『げっ』なんて言うんだね」
思わず声を上げてしまった僕に高町さんはニッコリと微笑む。
“ゾクリ”
その笑顔に死神の姿を幻視した僕が取るべき行動は一つだけだった。
「尊敬する高町さんにケーキセットを献上させて下さい!!」
「あはは、そこまで言うなら仕方ないなあ、付き合ってあげるよ」
僕は命拾いをした。
*
「ふーん、男子はラジコンが好きなんだね」
僕はさっきの出来事をなんとなく高町さんに話した。
高町さんは美味しそうにケーキを食べている。ちなみに僕は水だけだ。僕のお小遣いが高町さんのお腹の中に消えていく。
僕がそんな事を考えていたら高町さんが突然口を開いた。
「そんなにラジコンがしたいなら、あたしがスネ夫をシメてあんたに貸すように言ってあげようか?」
はあっ!?
高町さんは何を言っているんだ!
確かに高町さんならスネ夫に言う事を聞かせるのなんて、息をするよりも簡単だろうけど暴力はダメだよ。
「へえ、いつも暴力を振るわれているあんたがそんなこと言うんだ」
「…高町さんは知っていたんだね。僕がイジメられてるって」
「クラスの全員が知っているよ」
「そっか、そうだよね」
僕がイジメられているのを皆んなが知っていたんだ。
でも、誰も助けてくれない。
「戦おうともしない奴を助けるお人好しなんかいないよ」
僕が落ち込んでいると高町さんが突然そんな事を言った。
「皆んな、自分の事で精一杯なんだよ。誰かのために行動を起こすのは凄く勇気がいる事なんだよ」
確かにその通りだ。僕を助けようとすれば、逆に自分がイジメられる危険だってある。
「本当に助けて欲しいなら、自分でも勇気を示さなきゃね。誰だって、本当は何が正しいかを知っているんだよ。だけど、そのために行動する勇気が足らない。それなら当事者が頑張って勇気を奮い起さなきゃね」
高町さんがケーキをパクパクと食べながらそんな事を言ってくれる。
「でも、高町さんはさっき僕を助けようとしてくれたよね。僕は勇気を示していないよ」
「あんたの指導が一日残っていたからね。その分だから気にしなくていいよ」
「そっか、そういえば二日間の指導のお礼を言ってなかったね。ありがとう、高町さん。お陰で勉強と運動が少しは出来るようになったよ」
「少しはって、あんたはまだ気付いてないみたいだね」
えっ、何のこと? そう言おうとした僕を遮るように高町さんは言った。
「ケーキ、美味しかったよ」
そう言って、一度も振り返らずに高町さんは行ってしまった。
***
「この問題が分かる者はいるか?」
先生の言葉に誰も手を挙げようとしない。
どうしてだろう、随分と簡単な問題だと思うけど?
うーん、そっか。
簡単すぎて、逆に誰も答える気が起きないんだな。
それなら、偶には僕が答えてもいいよね。
「はい!」
「なに、野比がこの問題が分かるのか?」
どうして、そんなに不思議そうな顔をするんだろう?
いくら僕でもここまで簡単な問題なら解けるぞ。
「はい、答えは……」
僕が答えると先生は驚いた表情のまま『正解だ』と口にした。
同級生達も驚いているのが雰囲気で伝わってきた。
…僕はどれほど頭が悪いと思われているのだろう?
流石に少し悲しくなってしまった。
***
「のび太をチームに入れたら負けるからダメだ。さっさとどっかに行け、行かなきゃぶん殴るぞ」
野球の試合に出させてほしいとキャプテンのジャイアンに頼むと素っ気なく断られた。
うう、悔しいけど、確かに僕は運動音痴だからなあ。
僕は諦めてトボトボと家に向かっていると、高町さんに出会った。
「うげっ!?」
「なるほど、あんたは家庭教師までしてあげたあたしに会って『うげっ』なんて言うんだね」
しまった!? また、口が滑ってしまった。
高町さんがブンブンと腕を振りながらニヤリと邪悪に笑って、僕を見ている。
ま、不味い、殺される。
「世界一可愛くて素敵な高町さんにケーキセットを奢らせて下さい!」
「にゃはは、世界一は言い過ぎだよ。うーん、そうだね、世界で二番目か三番目ぐらいだと思うよ」
僕は生き延びれた。
*
「男の子は野球が好きなんだね」
なんとなく、さっきの出来事を高町さんに話してしまった。
「じゃあ、あたしがジャイアンをブチのめして、あんたにキャプテンの座を譲りわたすように言ってあげようか?」
はあっ!?
何を言っているんだよ!?
確かに高町さんならジャイアンを言いなりにさせるのなんて、ケーキを食べるより簡単だろうけど暴力はダメだよ。
ジャイアンは僕にとっては嫌な奴だけど、野球に関しては真剣に取り組んでいるんだよ。そんなジャイアンをキャプテンの座から暴力で引き摺りおろすなんて出来ないよ。
「ふーん、いつも暴力で言うことを聞かされてるあんたがそんなこと言うんだね」
「自分が暴力を振るわれてるからこそ、その理不尽さが許せないんだよ」
「そっか。でもあんたが暴力を許せなくても、結局はあんたは暴力で言うことを聞かされるだけだよ」
「…それならどうすればいいんだよ」
「人間には言葉という武器があるんだよ。世の中には暴力でしか解決しないこともあるけど、同級生同士の問題なら大抵は言葉で解決するよ」
高町さんは口ゲンカをしろって言っているのかな?
確かに口ゲンカなら怪我はしないかもしれないけど、言葉の暴力は心を傷付けるんだよ。
「このバカチンめー!!」
「ゲボォオオオオッ!?」
高町さんの突き上げるようなフックが僕の身体を浮かせる。
「誰が口ゲンカをしろって言ったのよ! 言葉は武器ってのは比喩に決まってるでしょう! あんたにはちゃんと国語の勉強の時に教えたでしょうが!」
「は、はい……すいませんでした。高町せん…せ」
内臓が破裂したような痛みで、僕の意識は闇に沈んでいった。
*
「居眠りすんな!」
高町さんの声で目が覚めた。どうやら居眠りをしてしまったようだ。
「だからね、あんたはちゃんと言葉で話し合う必要があるんだよ。萎縮して何も言わないあんたがムカつくから、ジャイアンもつい暴力を振るっちゃうこともあると思うの。もちろん、話し合うだけで全てが解決するわけないけど、あんたが暴力が嫌なら言葉で戦うしかないんだよ」
言葉で戦う。か…
今まで全てのことをその“暴威”でねじ伏せてきた高町さんのその言葉は、説得力が有るような無いような…ちょっと微妙だな。
「なんか文句があるのかな?」
不味い!?
高町さんが不機嫌になってきた。
「ううん! 高町さんの言う通りだと思うよ! 僕は言葉が足りなかった! これからは勇気をだしてちゃんと言葉で戦うよ!」
僕の必死の剣幕に納得してくれたみたいだ。高町さんはウンウンと頷いたら素直に帰ってくれた。
まあ、ちょうどケーキセットを食べ終えたことも関係するんだろうけど。
***
「しずかちゃん、一緒に宿題をやらない?」
「ええ、いいわよ。のび太さん」
勇気を出して、しずかちゃんを誘ったらオッケーしてくれた。
しずかちゃんは優しくて可愛いクラスのアイドルだ。
可愛いだけなら他にも何人かいるけど、性格に非常に難のある子達だから、僕にとってはしずかちゃんが一番だ。
「やあ、しずかちゃん。僕と図書館に行って勉強をしないかい?」
僕達が話し合っていると、出木杉の奴が割り込んできた。
「あの、ごめんなさい。今日はのび太さんと宿題をする約束なの」
しずかちゃんは先約の僕との約束を優先してくれた。やっぱり優しいなあ。
「おや、のび太くんとかい? それは宿題をするんじゃなくて、宿題を見せてくれという事じゃないのかい? のび太くん、宿題は自分でやりたまえ。では、しずかちゃんは僕と一緒に図書館に行くって事でいいよね」
出木杉は勝手に話を纏めると、しずかちゃんを連れて行こうとする。
出木杉は僕のことを見下すような目で――いや、見下した目で見た後、フッと鼻で笑いやがった。
そして、そのまましずかちゃんを連れて行ってしまった。
うぐぐ、悔しい。
確かに前の僕ならしずかちゃんに宿題を見せてもらおうと考えただろう。
でも、高町さんの悪夢の指導を受けた今の僕は、ちゃんと自分で宿題をするし、予習と復習に自主学習だってしてるんだ。
絶対に出木杉にだって負けな――いや、これは言い過ぎだな。
えっと、絶対に宿題を見せてくれだなんて言うもんか!
僕は高町さんとの会話を思い出す。
しずかちゃんは困った顔をしていた。だけど、僕が何も言えないから黙ってたんだ。
僕は勇気を出さなきゃいけなかったんだ。
出木杉の言葉にちゃんと反論すべきだったんだ。
過去はどうあれ、今の僕は違うと言うことを言葉にして伝えなければ分かってもらえるわけがない。
次こそは僕は勇気をだして言葉で戦うぞ!
僕はそう心に誓って帰宅した。
***
「あんたはアンポンタンなの!」
いつものように僕は高町さんにケーキセットを奢る羽目になっていた。
いや、奢ることはいいんだ。高町さんには世話になっているからね。
ただ、出木杉との一件を報告したら叱られたのには納得がいかないよ。
「僕は次はちゃんと戦うって決めたんだよ! たとえ、高町さん相手でも僕の気持ちは曲げないぞ!」
高町さん相手でも一歩も引かずに僕は言葉で戦うぞ!
あれ、どうしたの 高町さん?
高町さんはフォークをテーブルに置くと、空っぽになった手を僕に見せてくれた。
指を開いた手は、小さくて白くて可愛い手だった。それに柔らかそうで優しい手だと思った。
小さな手の指が、ゆっくりと閉じていった。
可愛い小さな握り拳が出来上がっていく。
“ギチリ”
金属が歪んだような音が聞こえた気がした。
あれ、あんなに可愛かった握り拳が、何故か金属の塊のように見える。
いつもの幻覚かな?
高町さんはその金属の塊を振りかぶる。
危ないよ、そんな金属の塊を振りかぶったりしたらダメだよ。
「戦うのにも“機”というものがあるんだよ。戦うべき時に戦えなかったあんたは負け犬だよ。そして、戦うべき相手を見誤れば死ぬだけなの」
僕の顔面に金属の塊がめり込んだ感触と共に、僕の意識は永久に閉ざされた。
*
という夢をみていた気がする。
居眠りをしてた僕は高町さんに蹴り起こされた。
「あんたは考えすぎだよ。心に芯を持たせれば、後はその心が命じるままに動けばいいんだよ。たとえ、それで失敗しても自分の信念を貫き通した結果なら笑って死ねるよ」
いや、失敗したからといって死にたくないよ。
なんだか、高町さんの見ている世界と僕の世界は別次元のような気がするなあ。
もちろん、僕の気のせいだろうけど。
でも、高町さんの言うことは理解できる。
人生における選択はやり直しは出来ない。そういうことを言いたいのだろう。
今日の出来事は確かに小さな事だ。でも、その小さな選択の積み重ねが人生なんだ。
次は頑張ればいい。そんな思いでいれば結局は今までと変わらないだろう。
「ありがとう、高町さん。目が覚めたよ。僕はもう迷ったりしないよ」
「うんうん、出来の悪い教え子を持つと苦労するよ。じゃあ、あんたの目が覚めたお祝いに出木杉の奴はあたしが始末してあげようか?」
「それはダメだよ!?」
やっぱり、高町さんの見ている世界は僕と違うのかな?
***
「のび太のくせに生意気だぞ!」
スネ夫がまた言い掛かりをつけてきた。
「さっきのはスネ夫が悪いんだろ!」
もちろん、スネ夫の方が悪いのだから僕は抗議する。
「そうよ、さっきのはスネ夫さんが悪いわよ」
クラスメイトのしずかちゃんも援護してくれる。
「う、うるさあい! 僕は悪くないぞ!」
だけど、スネ夫は意地になって自分の非を認めようとしない。
ここはスネ夫を追い詰めるべきか?
いや、それは違う。
スネ夫は嫌な奴だけど、なんだかんだいって、こんな僕にも話しかけてくれる奴なんだ。
僕はスネ夫とちゃんとした友達になりたいんだ。
僕がスネ夫に歩み寄るべきなんだ。
「まったく、スネ夫は素直じゃないなあ。でも、僕も少し言い過ぎたと思うからゴメンな」
「ふ、ふん、その通りだぞ。ま、まあ、僕にも少しは責任がある。わ、悪かったな」
「うふふ、これで仲直りよね。みんなで遊びましょう」
「うん、そうだね。ほら、スネ夫も一緒に遊ぼうよ」
「……言っておくけど、しずかちゃんの誘いだから行くんだぞ。のび太だけなら行かないんだからな」
「あはは、分かっているよ。でも、今は一緒に遊んでくれるんだろ? ならそれでいいよ。ほら、早く行こうよ!」
「……ふん。のび太のくせに仕切るなんて生意気だぞ。のび太こそ僕について来い!」
僕達は競うようにグラウンドに駆けていく。
途中で、高町さんとすれ違う。
すれ違った瞬間、彼女が笑ってくれた気がした。
“少しは成長したみたいだね”
そんな声が聞こえた気がした。
振り向くと、彼女はいなかった。
どうやら、また幻覚だったようだ。
あはは、こんな幻覚なら大歓迎だな。
スネ夫の僕を呼ぶ声が聞こえた。
僕は慌ててスネ夫達の後を追いかけた。
〜Fin〜
大魔王様の学校生活のワンシーンでした。もっと、ドラエもんっぽい大魔王様にしたかったけど無理でした。のび太はまだ子供だから大魔王様なりに優しく接したつもりです。