prologue of chapter four
夕暮れの教室。放課後、窓から覗く君はいつも走っていた。良く跳ねる球を、君はいつも追いかけていた。
沈む太陽に、帰宅するチームメイト。気にも留めない君は、日が沈んでも尚ボールを弾ませる。
宵闇に沈んだ、彼だけの世界。――そんな無我の極地。ここには彼だけ。傍観者の私は、ただの外野。――それこそ、それだけで全てが足りている。
矛盾であって、必然な空虚。辛くても止まらない。痛くてもまだ走る。やめたいのにやめない。――痛々しいようでいて、その実何者よりも美しい。存在そのものが矛盾した、そんな君。
――だからこそ、私は君に魅かれたのだろう。
→
←
無理もない。仕方がない。何がどうあっても、この未来だけは変わらなかった。
変えることが出来たはずなのに、どうしても――それだけが選べなかった。
もし彼処でそれを防げたら。もしあの場所で俺が勝っていたら。
――もしあの時、俺がもっと早くに死んでいたら……。
たらればをどうこう言った所で、現実はこれっぽっちも変わらない。
わかっている。
何もかも無駄だったって事くらい。
わかっている。
全て、俺のせいだって事くらい。
わかっている。
もう二度と、彼女には会えないのだと――。……わかって、いる
■■■
燻る身体。腐敗するように、際限なく焔を吹き上げる。
月下に晒された肉体が、故郷の空を想い虚空を臨む。
視界には燃える月。夜空にポツンと孤立した、裸の王様。
項垂れる汗は心地がよく。こんなに気持ちが高揚した今なら、彼方にすら声が届いてしまいそう。
今なら届く。きっと、届く。
この想い。
この葛藤。
瞬きに消えてしまいそうだけど。私の全てが、今、ここにある。
――聞こえて、いますか。
叶うなら、君に届け。
これがきっと、最後の最期。お別れの
第四章、「
―――……crow/crown.(1)
1/
滴る汗。唸る太陽。轟く蝉の声。道路にはりつく蜃気楼。アスファルトの熱などもはや、目玉焼きでも作れてしまいそうに常軌を逸していた。
今年の夏も猛暑。ギラギラと外界を見下ろす暑気の権化は、その力の止まるところを知らない。
本日、7月20日。夏真っ只中。もっと噛み砕いた言い方をするなら、高校三年の一学期、最後の日である。
「ほーんと、こう、なんだかねぇ」
窓際の涼しい席、美香子ちゃんがダルそうに黄昏ていた。
「なんだかねぇ。って、何が?」
「いや、高校3年間ってさぁ、あっという間だったよねぇって」
そう。季節がいきなり夏に戻っているものだから、読者の皆さんは過去回想かタイムスリップでもしたのではないかとお思いであろうが、誤解なきよう。あれから1年が過ぎ、麗華先輩がこの学校を卒業してから3か月が過ぎた。
「そうだねぇ」
でも確かに、今から思い返せば懐かしいようであっという間だったような、そんな感じだ。
「入学式だってつい昨日の事のよう」
「ねー。先輩もこんな気持ちだったのかな」
本人ではないので、本来なら知る由もない事ではあるが、――それでもきっと、私たちと同じ気持ちだったに違いない。残された時間さえも、恐らくは一瞬に過ぎる。それを思うと、この教室から臨むこの景色は、急に特別なものに思えてしまう。汗ばんだブラウスも、触れると少しだけ冷ややかなこの机も、飽きるほど聞いた黒板を叩くチョークの音も、――その全てが、とても大事なモノに思えてしまう。
「うん、多分ね……」
□□□
終業式が終了し、担任である蒼崎橙子がHRを簡素的に終わらせてしまったため、これにて下校となった。
「あぁ、君は少し残りたまえ」
と、帰ろうと席を立った途端、橙子さん呼び止められた。
「どうしたんです?」
「いや、取り急ぎ話しておきたい事があってね」
ボソリ、と周囲に聞こえないくらいの声音で呟く。見れば教室には生徒がたくさん残っていて、まぁ、なんとなく察した。
なるほど。
そっち方面の話。詰まる所それは、彼女の本職のそれに関わる話。――魔術。
コチラの話は以前にも説明をしたことがあるので今回は省く。――が、とにかくそう言った、人前でできない話ということだ。
先生の指示に従い、教室に残ることにした。
「あれー? 香桜ちゃん帰らないの?」
「あ、うん。なんか先生に残されちゃって」
そっかー、と言って肩を落とす美香子ちゃん。
「うん。じゃあ、また今度ね! 今年もみんなでプール行こうね!」
「うん。じゃあ、また」
手を振り、美香子ちゃんを見送ったことで、教室には私と彼女の二人だけになった。
「それで先生、今回はまたどうして?」
どうして――というのは、つまり「何故、何のために残したのか」だ。
これは個人的に、かなり重要なことでもある。以前からもよく、こういったことは多くあった。
橙子さんが私やブラハムを仕事に巻き込むなど多々。春にあった幽霊館のそれなど、もう生きた心地がしない程に恐ろしかったものだ。
そんなこんなで、仮に今日のそれがまた、橙子さんのお仕事のお手伝いだというのなら、その内容は至極重要めいた要因になってくる。だから、早々と確認はしておきたかった。またあんな死地に赴くとなると、やはりどうしても心の準備というものが必要になってくる。――だが、
「あぁ。その件なんだが、もう少し待ってくれ」
と、話はもう少し先になるようだ。
だが不可解であった。教室には誰も残っていない。たとえそれが魔術関連の話であって、誰かに聞かれる可能性を危惧しているというのであれば、今は何の問題もない筈だ。
だが、橙子さんは無駄な事をする人間ではない。私が思っている異常に、何かを考えている。だから、この「もう少し待つ」というそれにも、何か意味があるんだと思った。
そしてちょうどその時、後ろの方に設置された教室のドアが、ガラガラ、と音を立てて開かれた。
「お待たせしました」
「や、カオさん」
現れたのは代行者一向、テオルバス・レムドールさんとフウヤ・ミズカゼさんであった。
フウヤさんは制服姿であるが、テオさんは卒業した体になっているためいつも通りのカソックだ。
なるほど、この二人を待っていたのか。
「よし。全員揃ったな。それでは、本題に入ろうと思うのだが、いいか?」
一同同意。よし、と一拍置いて、橙子さんが語る。
「先日、私の工房に侵入した者がいる」
――と、とんでもない内容を口走ったのだった。
橙子さんの工房――つまるところ、美術室のそれをいう。
魔術師とは、魔術を研究ないし成果を補完する場所。――同時に、鉄壁の城塞たる効果をも披露する。
一般的な視点から見て工房とは前者としての意味に囚われがちだが、その実、魔術師としてそれに重要視される最たる要素とは圧倒的に校舎に求められる。
魔術工房とは、端的に言って魔術師本人が丹精込めて作り上げた城塞を言う。
魔術師が魔術を研究する際、求められる絶対条件は神秘・研究成果の秘匿である。魔術師は自身の研究成果は誰にも明かさない。一族継承として自身の後釜となる後続に引き継ぐか、そうでなければ後は墓まで持っていくのが彼らだ。つまり、仮に誰かに侵入されたとして、魔術師はその成果を見られるわけにはいかない。そして、仮に見られた場合、その人間を生かして返すわけにはいかない。そうした理由がり、魔術師の工房は二重三重、十二分以上の注意と難攻不落を発揮せねばならない。
「そこに、侵入された――」
「つーことは、逃げられたんだろ?」
テオさんが、口をはさむ。
「今の言い回しだとそうだろ。アンタの工房に侵入したヤツがいたとして、それが誰だか分からねぇ。そういいうことだろう?」
なるほど。確かにそうだ。誰かが工房に侵入したとして、その人物が捕えられるまたはそこでやられた場合、それだとその人物が特定できてしまう。だから、橙子さんのあの言い回しだと、その人物が未だ誰なのか特定できていないのだ。――つまり、
「つまり――私たちのいずれかがそれだと。貴女はそう言いたいのですね?」
フウヤさんの問いに、シン、と静まり返る教室。もとより人が少なかった空間だ。たった四人――たった四人ばかりの沈黙が齎すそれは、流石に緊張を禁じ得ない。
だが、実際にそうだ。橙子さんの言い分では、まるでこの中に犯人がいるみたいな物言いに感じてしまう。――が、
「まさか。私は君たちを全面的に信頼している。だから今日この場に呼んだのだけどね」
眼鏡を外した状態での彼女の言葉は、嘘偽りのない凄味のような圧倒を与える。その言葉は大凡、本心からのそれであるのだと理解出来る。不思議ではあるが、妙な納得感があるのだ。もう少し、私に語彙というものがあれば、少しはマシに伝えられたと思うのだが、こればっかりは、どうも。
「今日君達を呼んだ理由としては、まぁ概ねこの話もその通りなのだが、また別にも存在する」
「というと?」
「私の工房に何者かが侵入したその日の晩、福山城庭園を起点に中規模の魔術儀式が行われた」
「魔術儀式――?」
聴き慣れない言葉に首を傾げていると、横からフウヤさんが説明をしてくれた。
「魔術を発動させるにあたって行うプロセスのそれを、魔術師の間では儀式と言います。シングルアクションなど極めてシンプルかつ簡素なそれは儀式と呼ぶほどではありませんが、詠唱を組み込ませる瞬間契約や十小節以上の長詠唱を組み込んだそれは、立派な詠唱儀式となります。ようするに、魔術を発動させるにあたって必要な仕事だと考えれば、話は早いです」
なるほど、と首を縦に振って納得する。つまり、ブラハムの固有結界と呼ばれるそれの、あの長ったらしい言葉の羅列とかそれに該当するのか。
魔術を発動するに際して必要とされる要素、それは第一に魔力である。魔力のみをトリガーとする魔術は単一工程魔術、シングルアクションと呼ばれる。例として挙げるなら魔眼。
次に詠唱。詠唱は長ければ長い程、精神の昂ぶりを激しくし、魔力の量や魔術の質も底上げされる。一小節をシングルカウント、また十小節以下の簡易的な詠唱魔術を瞬間契約と呼ぶ。
詠唱魔術を例として挙げるなら先述の通りブラハムの固有結界。また、柴月麗華のそれや、フウヤのそれである。
――また、厳密に言えば、彼ら代行者の扱うそれは洗礼詠唱と呼ばれる魔術とは異なった神秘の現れではあるのだが、この際一括に捕えて差し支えない。
「7月18日に観測したそれなら、俺たちも現場に行ったよ。教会側としても、この土地での儀式は逐一報告するよう指示があるからな。申告の無い無断での儀式は執行対象足り得る。だからまぁ、すぐに現場に向かったわけだが――」
言って、テオさんの口が止まる。少し沈黙を置いて、再び口を開いた。
「誰も居なかったんだよ、そこ。人の気配は愚か、その痕跡すらも残されていなかった」
鬼子もとうとう、終盤に差し掛かってきました。
諸事情やその他もろもろの要素が重なりここまで引き延ばしたわけですが、本章が鬼子史上最大にして最長の章となります。
本章としては、終盤への『繋ぎ』また『入り』としての役割を担っています。
ここまでついて来て下さった読者の皆様には改めて心よりの感謝を。そして、ここからついて来て下さる新たな読者様には約束を。皆様を絶対に満足させることを誓います。
では、よろしくお願いします。
鬼子、第四章です。