―――その瞬間。私達の運命は動き出す。
◇
「よう。吸血鬼」
突然の声にブラハムが振り向く。声がしたのは電柱の上。立っていたのは、神父のような格好をした金髪の男の子。―――そして、キョウさんのあの忠告を思い出す。
『黒い牧師様みてぇな格好した、ガキのような
コイツの事だ。間違いない。こんなやつ他にいない。
それは確信に変わった。そして徐に、ブラハムの顔を伺う。
衝撃はここだ。ブラハムの顔は驚愕や恐怖の一色に染まっていた。
「お、お前が、どうして、―――」
「その反応は正解だ。俺が恐ろしいのもわかる。俺がここにいる事が驚きなのもわかる。―――そして、俺が懐かしいのもわかる。」
ブラハムは彼を知っている。でないと、こんな反応は取れない。彼をどうして恐れているのかわからない、だけど、私の知っているブラハムは怖いもの知らずな人間のはず。ブラハムを恐怖させるほどのモノをあの少年が持っているだけ。
「事実。俺もお前との再開が懐かしく思える。お前が変わってから何年になるか、それ以来だ。懐かしくもなる」
「あぁ、そうだな。だけど、なんで今更お前が来た、テオルバス・レムドール?」
どうやら、彼とは知り合いみたいだ。良かった、それなら闘いにはならないんじゃ―――
「―――だが、それ以上にお前への憎しみが強い。今となっては死徒の身であるお前はただの敵。ただの滅殺対象だ。」
―――と言うのは無理。どうやらあちらは徹底的に闘うつもりだそうだ。この時の私の思考回路は、どうやってここを切り抜けるか、そう考えていた。だけどどうやって?私は彼をどうやって助ける?考えろ。思考を回せ。どうやってここからブラハムと共に逃げ切る?考えろ。考えろ。
無い頭を回して考えていると、
「カオ!逃げて!!」
怒号のような大きい声で叫んだ。突然の大声にビックリして足がすくんで尻餅をついてしまった。その瞬間ブラハムが跳ぶ。
「横か―――」
ブラハムの懐からは既に針が3本引き出されており、大通とはいえ、人が少ない方に飛び込む。そして、真横の方向に針を放つ。
カキン、と弾かれたそれは程なくして地面に真っ逆さま。弾いたのはカソック姿の白い長髪を後で結んだ女性。弾いた手には、なにやら長細い剣のような物。それを、ブラハムと同じ持ち方で片手に3本、計6本も携帯している。
「ブラハム!」
ようやく声が出た。
彼は一瞬だけ立ち止まりコチラを振り向くと
「ダメだ!追いかけてきちゃ!」
そう言い放ち、カソック姿の2人に終われるように夜の街へと消えていった。
◇
夜の街。中心部から少しずつ離れながら、2組の小競り合いは続いた。
ビルが集中したこの地帯、ビルの屋上を足場として、ブラハムは針杭で牽制しつつ元々居た場所、香桜の居る城周辺から離れようと逃げる。
「ちょこまかと素早いですね」
代行者フウヤの剣が空を走る。
3本の軌道がブラハムめがけて一直線に進む。しかし、ブラハムはそれをいとも容易く弾き飛ばす。
「な―――」
フウヤの放った剣はたしかに弾丸。それほどの精度と速度を孕んでいた。だが、ブラハムレコッツはたしかに弾き飛ばした。まるで、ハエでも追い払うかの如く簡単に。
「見え見えの軌道だ、甘い威力。
己が投擲を弾かれて、女は初めて眼前の生物の実力を知った。
この死徒はこれまでのどれとも違う。まるで別格だ。このまま順調にゆけば、祖の道を歩むことは確かであっただろうと。
「
黒鍵、とは―――
聖堂教会の代行者が用いる概念武装。
投擲専用の剣であり、剣戟にはあまり向かず、刀身は聖書のページから魔力を介して精製される。その為、柄の部分を大量に持ち運ぶ者が多いが、その使い勝手の悪さと、物理的破壊力の乏しさから近頃は敬遠されがちだ。
故に、比較的新しい世代の代行者である彼女、フウヤ=ミズカゼが「太陽の死徒」と呼ばれる彼にソレを弾かれるのは致し方ないと言えよう。
だが、侮ることなかれ。フウヤの黒鍵は通常の死徒なら2秒と経たず仕留めることが出来うる。ブラハムのこの芸当は、彼が
「投擲とはこうするんだ」
ブラハムの袖から針杭が片手に3本ずつ、合計6の流星が代行者を襲う。
フウヤが防御の姿勢をとるがそれは無意味。6つの軌道は全く別の軌道により無効化される事となる。
丁度真横、6つの針杭めがけて6つの黒鍵が弾き出される。
カキン、
衝突音のみ確認し、放った6本がソレを弾いた事を確信する。そして、更に6本追加。間髪入れずにブラハムめがけて投擲。
「クッ―――」
ブラハムも針杭を追加。今度は投擲では間に合わない為、両手に1本ずつ、正確に一つ一つ薙ぎ払う。
が、その隙を付いてフウヤが先回りするように前方から黒鍵を穿つ。ぎりぎりで躱しては右手に構えていた針杭をフウヤに左手のソレをテオルバスに擲つ。
両方、各々弾き落とす。
「フウヤ、ここは俺1人で充分だ。お前はマスターの足止めに行け」
「―――」
無言のまま首だけをコクンと縦に振ると反対方向に引き返して行く。
この辺で良いだろうと足を止める。辺りに住宅地はなく、建設中のマンション地帯の真ん中、順調に行けばそこは住人のリラックススペース、公園か何かになったであろう空き地。人がいない事を確認し、ようやく周りを気にしなくて良くなった。
「彼女が僕の後釜かな?」
「あ?あぁ、そうだな。アイツはほんとに優秀なヤツだよ」
「そのようだね。僕だから防げたあの一撃。生半可な死徒では既に3回は死んでるだろう。」
これは過大評価でもなんでもない。ただ、あの代行者がそれだけの使い手であり、ブラハムはソレを上回る実力を持つのみ。だが、
「それに、お前との
ブラハムがこの男を恐れている事も事実。
「それにしても、お前がこの街に居たとはなぁ、ブラハム・・・」
テオルバスは薄ら笑いを浮かべそう問いかける。
「それはこちらの台詞だ。埋葬機関第4位、教会の
「お前こそ、まーた懲りずにままごとやってんのかよ。いい加減理解しろ。お前はもう化物で、人間とは相容れず、ただ俺に殺されるだけの存在だと自覚しろ」
その言葉が気に入らなかったのか、強ばった顔つきになる。
「・・・っ!それは聞き捨てならないな。僕は血なんて飲みたくないし、魔力で代用が効いている。君に、とやかく言われる必要は無い!」
すると、何が可笑しかったのかテオルバスは腹を抱えて盛大に笑い出す。
「ハハハハハ!!バカかよお前!知ってんだろ?俺たちの教義はイカれてる。血を吸わない?知るか。異端は徹底的に排除。主様の御意向に逆らうゴミは必要ないんだよ」
「・・・・・・。」
ブラハムが静かに得物を構える。
「お?ようやく闘る気になったか」
「あぁ、お前の単細胞の脳みそには口で言っても無駄なようだ。なら、その腐りきった性根を叩き直すため、直接身体に教えこもう。荒療治だが、理解のない自分の低能さを恨むんだな」
「分かりきったことだ、俺が阿呆なのは」
その一言が開始の合図となった。
◇
「はっ、はっ、はっ、は―――」
走れ。走れ。走れ。走れ―――。
気が付けば走っていた。無意識、無自覚に無我夢中だった。ただ、彼を独りにしてはいけないと思った。
ひたすらに走ること10数分、自分でも気が付かぬほどの汗と距離を走る。
現在、私の中に流れる感情はただの一つ。
「ブラハムを、追いかけなきゃ―――」
心臓が爆発しそう。暑さで身体中の水分が蒸発しそう。身体が熱く、血が熱い。身体中の全器官が、酸素を欲している。一息で吸い込む酸素量など、一秒後には皆無。脳に充分な酸素が回っていないことは明白。何も、考えられなくなり、ただ、ひたすら走る機械となっていた。
―――瞬間、私は宙を浮いていた。
何が起きているのかなど理解できるはずもなく。意識を身体に任せ、異常に長く感じられる時を過ごす。
ドサッ、と音と共に地面に倒れた。転げたのだ。胸から地面に落ち、その衝撃で機能を失っていた肺が動き出す。
「はぁっ――――!」
溜まっていた息を吐き捨てる。深呼吸を数回。ようやく脳に酸素が周り始める。冷静な判断が出来るようになった所で思い出す。彼らの移動速度が早すぎて、途中で姿を見失ったのだ。
「ブラハム・・・どこへ行ったの・・・!?」
宛もなく、ただひたすらに彼を追いかけた。走った。何処を目指すわけでもなく。無我夢中に。
この程度の疾走で息を切らすなど情けない。自分の不甲斐なさを呪うように深く目を閉じた。
「―――!?」
光が灯った。瞼の裏。しかして、それはたしかに胸の内側を灯した。ブラハムの位置が判る。彼の居る方向が、直感的に理解出来た。
「あっちだ!」
疑いようがなかった。確証はないが、確信はある。コレは、絶対的な自信だ。彼と同じ意思を私の胸の内から方角として感じ取れる。
ソレは、ブラハムとの契約の副産物。ただのオプションに過ぎなかったが、香桜の想いは通じた。香桜が進む方向に、たしかにブラハムは居る。
「ここは―――」
そこは、彼女がブラハムと初めて出会った公園。何の因果か、ここで、彼女を待ち受けるのは―――
「お待ちしていました」
代行者。フウヤ=ミズカゼである。