トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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雷神は、満足したように果てた

「……私の、負け、か」

 

 地に倒れたまま、道真が呟く。ばっさりと袈裟斬りにされ、深く刻まれたその傷から、血の類が見えるそぶりはない。だが、まるでその代わりだとでもいうように、傷や身体の端から、風化した草木のようにぼろぼろと崩れ始めている。決して生き物らしくない、遺骸すらも残さぬ死。それが、まつろわぬ神の最期だ。

 

「教えてくれないか、稲穂秋雅」

 

 不思議と穏やかな口調で、道真は秋雅のほうを見ながら言う。その事に、道真の近くに立っていた秋雅は片眉を上げるものの、すぐに頷く。

 

「何だ、道真」

「どうやって、私を攻撃したのだ?」

 

 言葉足らずのようでもあるが、何の事を言っているのかは秋雅には検討がついた。だから、秋雅は道真に近づいて、そしてしゃがみ込む。

 

「これを使った」

 

 そう言って、秋雅は道真のそばに落ちていたそれを拾い上げ、見せる。

 

「これは……」

 

 秋雅が道真に見せたのは、秋雅が当初武器にしていた雷鎚であった。しかし、秋雅はそれを一度手放し、その後回収していない。手放した場所も、今道真が倒れている場所からはもう少し離れた場所だったはずだ。

 

 どうしてここにあるのか。道真の視線は、そんな疑問に満ちているようだった。それを受け、秋雅はひょいと、手に持ったばかりの雷鎚を放り投げた。そして、眉根を寄せた道真の前で、秋雅は投げた雷鎚に手を向ける。

 

 次の瞬間、ひゅんと音を立て、雷鎚がひとりでに飛んだ。勢いよく飛んできたそれを、秋雅は何でもないように軽く受け止める。

 

「俺が望めば俺の手元に来る――そういう武器なのさ、これは」

 

 主の意に沿い、自らその手のうちに収まる。それが、元となった神話から受け継いだ、この雷鎚の特性であった。

 

 その様子をじっと見ていた道真は、急にフッと笑みを浮かべる。

 

「成る程、な……私は、策に嵌め返されたのだな……」

 

 あの最後の攻防、秋雅が道真の背後を取ろうとしたのは、道真を背中から切りつけるためではない。雷鎚と秋雅を一直線上に置くことで、主の下に向かおうとした雷鎚を道真にぶつけようとしたのである。

 

 道真の策を破った、秋雅の策。あるいはそれを称賛しているのだろうか。この瞬間の道真から秋雅への視線には、どこか敬意が籠っているように感じられた。

 

「流石だな、稲穂秋雅……よくぞ、この私を討ち取った」

 

 そう秋雅を賞賛する道真の身体は、既に胸の辺りまで消失していた。しかし、その身体の状態とは裏腹に、彼は不思議と満足そうな笑みを浮かべている。

 

「その賛美、ありがたく受け取っておく」

「ああ…………」

 

 不倶戴天。決して相容れぬ二人であったが、全力を尽くし、こうして勝敗が決した今、秋雅の中には何とも言いようのない――無理やりに当てはめるのであれば、それこそ友情のような――不思議な感覚があった。あるいは、命をむき出しにしたぶつかり合いの果て、そこから生まれた奇妙な感覚に、秋雅は何を言うでもなく黙り込む。

 

 

 道真の身体も、もう肩より下がないというところまできたところで、ふと道真が口を開いた。

 

「……稲穂秋雅」

「何だ?」

「あれを、持っていたりしないか?」

「あれ?」

「餅、だよ。私が好物としていた、あの」

「……ああ、梅ヶ枝餅か」

 

 その名を、秋雅は知っていた。小豆餡を薄い餅の生地で包んで焼いた餅。それが梅ヶ枝餅だ。大宰府に左遷され悄然としていた道真に老婆が差し入れられた際に好物となった、あるいは道真が左遷後軟禁され、食事もままならなかったおりに、部屋の格子越しに老婆が梅の枝の先に刺して差し入れたという伝承を由来としている。大宰府のみならず、福岡県内ではそれなりに知られている餅菓子だ。

 

 しかし、秋雅はそんな道真の願いに対し、軽く首を横に振る。

 

「悪いが、流石に持っていない。ここに来る前にちょっと、などと言える状況でもなかったからな」

「そうか……それも、そうだな……」

「……後で供えてやろうか?」

「それでは、『藤原道真』は楽しめても、『私』は食べられぬなあ……」

 

 と、道真は心底残念そうに言う。その様子は神らしからぬ、あまりにも人間くさいものだった。これも彼が元は人間であったからだろうかと、道真の残念そうな表情を見て秋雅はそのような事を思う。

 

「……まあ、致し方ない、か――稲穂秋雅」

 

 もはや、道真の身体は頭部しか残っていない。そんな状態で、道真は真剣な面持ちになって秋雅の名を呼ぶ。

 

「どうした?」

「汝が生に、神殺しに相応しき苦難と――人としての幸、あらんことを」

 

 その言葉に、秋雅が驚いたように目を見開く。そんな秋雅の表情をおかしげに笑った後、『藤原道真』は消失した。

 

 

 

 道真の消失と同時、秋雅の背に何かが乗ったような感覚があった。ずしりと、何かを背負ったような感覚に、

 

「……権能が増えた、か」

 

 そう感慨深げに呟いて……秋雅はばたりと倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー…………疲れ、た」

 

 ごつごつと石が背に当たるのも気にせず、秋雅は身体を伸ばす。呪力はもう殆ど空に近く、さらに最後の攻防で体力、気力共に使い切った。正直な話、道真と最後の会話を交わしていたときから、こうして身体を地面に預けていたかった。それを、敗者に見せる勝者の矜持として必死に立っていただけであった。

 

「……それにしても、また雷神と戦うことになるとは。これで三回目(・・・)、か」

 

 多いよなあ、と秋雅は、雲が散り、ある種見慣れた赤黒い空を見上げながら呟く。どうにも、偏りのある戦闘経験を重ねてきたものだと、そんなことをぼんやりと思う。

 

「実は、お前の仕業だったりしないよな、『ロキ』」

 

 思わず、かつての己の友人に対し、秋雅はそんな事を呟く。至極当然のことだが、それに応える声があるわけでもない。まあ、何でもいいかと、秋雅はもう一度伸びをする。

 

「このまま、眠りたい……」

 

 疲れから、秋雅はそんな事を口に出す。今秋雅がいるこの空間は現実空間とは切り離された空間であり、基本的に外からの干渉は不可能だ。秋雅以外誰もいないここでなら、どれだけ無防備な姿をさらしたところで危害を加えられる可能性は無い。そのことに、秋雅はつい目を閉じそうになる。

 

「ああ……でも駄目だな」

 

 現実空間で道真が発生させた雷雲、その存在を思い出して秋雅は身体を起こす。ここでのそれのように消え去っている可能性は高いが、ひょっとしたら残った道真の呪力で存在を維持しているかもしれない。操る者がいないとはいえ、偶発的に雷が落ちる可能性はある。可能性がある以上すぐにでも戻らなければならないというのと、あちらで気を揉んでいるであろう正史編纂委員会の事を考えて、気だるさに耐えて秋雅は立ち上がる。

 

「やれやれ――王様も楽じゃない、ってか」

 

 まあ、楽だったためしもないか。そんなことを呟いて、秋雅はその場から消え去るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん、大丈夫だったか」

 

 現実空間に戻って早々、秋雅は空を見上げてそう呟く。雷雲こそは残っているものの、既に道真の呪力は消失しているようで、強い雷の気配という物はしない。これはならば、放っておいたところで街に大きな被害が出るということはないだろう。

 

 良かったと思いつつ、秋雅は辺りを見渡す。少し離れた場所に魔術の気配を持つ男――十中八九、正史編纂委員会の者だろう――を見つけ、そちらの方へゆっくりと歩いていく。相手のほうも秋雅の気配に気付いたのであろう、驚いたような表情を浮かべた後、小走りで彼の元へと近づいてきた。

 

「失礼致します。稲穂秋雅様、で宜しいでしょうか?」

「ああ、そうだ。依頼を受けた、まつろわぬ神の討伐を完了した」

「おお……!」

 

 秋雅の報告に、男は嬉しそうな表情を浮かべる。まつろわぬ神を、しかもそれほど大きな被害も出さずに討伐したという事実に思わず、といったところだろう。

 

 そんな彼の様子に少しだけ満足感を覚えつつ、秋雅はふと尋ねる。

 

「三津橋は、もうここに来ているか?」

「いえ、三津橋さんはまだ。しかし、もう少しで来るかと」

「そうか……では、すまないが君に頼もう」

「何なりと」

 

 自分よりも年上の人間を顎で使うということにもすっかり慣れてしまったなと、毎度のように思っている事を脳裏に浮かべつつ、秋雅は命令を下す。

 

「まず、どこか適当に宿を用意して欲しい。グレードはどうでもいいが、ともかく休みたい」

「ご宿泊ということで宜しいでしょうか?」

「ああ、それで頼む」

「畏まりました」

 

 流石に、この状態で家に帰る気には秋雅はなれなかった。いっそのことこちらで一泊して、明日ゆっくり帰ろうと、そう思ったのである。つくづく、明日が大学のある日でなくてよかったと秋雅は思う。まあ実のところ、最悪何もしなかったとしても――それこそ、すべての授業に無出席だったとしても――秋雅の卒業は確定していたりするのだが、そこはそれである。

 

「それと……梅ヶ枝餅を、本殿にでも供えておいてくれ」

「は……?」

「頼む……ついでに、幾らか私の元にも持ってきてくれると嬉しい」

「――畏まりました!」

 

 例え意味が分からなくとも、王の勅命は絶対というのがこの世界の理だ。一瞬だけ惚けるような表情を浮かべた後、男はすぐに真剣な表情で頷く。

 

 そんな彼に、変なことを言ってすまないとも言えず、秋雅は王としての態度を保つしかなかった。こういう時、三津橋がいればもう少し楽なんだがと、改めて彼の存在に感謝する。

 

「私からは以上だ。急ぎ、報告を済ませてくるといい」

「はい。では、失礼致します」

 

 礼をし、その場から駆け出した男の後姿を見た後、

 

 

 

「……これで勘弁してくれよ、『道真』」

 

 本殿の方を見て、秋雅は苦笑しつつそう言った。

 

 




 これで一章は終了。追加で閑話か何かをもう一話くらい書きます。その後は間を空けて、適当なタイミングで二章を書き始めるつもりです。



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