生命を得た弁慶の一刀。それはまさに、見事と言うより他にないものであった。不撓不屈の英雄たるオデュッセウスは、その鉄弓と左腕を切り裂かれ、暁の女神たるキルケーは、その身体を大地に叩きつけられた。
もはや大勢は決した、と秋雅は冷静な頭で判断する。確かに、不撓不屈と称されるオデュッセウスであれば、今の一撃は痛手でこそあれ、致命傷ではないだろう。だが、それはあくまで彼が単体で秋雅に立ち向かっていた場合の話だ。キルケーに召喚されたという形を取っている以上、主が致命傷を受け、気力も呪力も尽きかけているだろう今の状況で、身体の維持など出来る筈も無い。
そんな秋雅の想像は、まさしく的中していた。睥睨する彼の前で、こちらを見上げていたオデュッセウスの姿が、ゆっくりと薄れ始めたのだ。おそらく最期の一撃も、この状態では難しいだろう。どうにかなかったか、と秋雅が内心で安堵の息をついた時、不意に弁慶が膝を折った。がくりと、急激に視界が落ちたことに、秋雅は傍らの巨顔に視線を向ける。
『申し訳ありません、主よ。拙僧はこれにて失礼とさせて頂きます』
突然の謝罪の言葉。それを聞いた秋雅の脳裏に、再び義経と戦った時の光景が思い起こされる。あの時、秋雅によって生命を得た馬は、その力を――与えられた生命力を使い果たした時、その実体を失った。ならば今の弁慶もまた、そういうことなのではないか。オデュッセウスの防御を切り捨てる為、弁慶は与えられた力を全て使い果たし、そして今まさに消え去ろうとしている。
「そうか……」
全てを察した秋雅は一度瞑目し、そして万感の想いを込めて告げる。
「大儀であった、弁慶。今は休み、我が新たなる戦の命を待て」
『ははあっ!』
最後に、力強い承服の言葉を残し、弁慶の身体が掻き消えた。突然に足場を無くした秋雅達であったが、二人の反射神経はそれぞれの身体を危なげなく着地させてみせる。
そして数秒、消え去った弁慶の残影に思いを馳せた後、秋雅は視線を前方へと戻す。既にオデュッセウスの姿は完全に無いが、まだキルケーは現世に留まっているようであった。ただ、オデュッセウスの消滅からも分かる通り、彼女には最早力など残っていないだろう。最低限の警戒のみを行いつつ、秋雅はウルと共にゆっくりとキルケーへと近づく。
「……ふふ。お見事でしたわ、稲穂様」
地に伏したキルケーが、息も絶え絶えに言う。彼女真鍮造りの義体は切り裂かれ、大きくひしゃげている。だが、それにもかかわらず、キルケーの身体自体には何故か傷も無く、不自然なほどに美しく見える。ここだけを切り取れば、深手を負った魔女というよりも、病を得た深窓の令嬢という風にも感じられる。
あるいはこれは、この女神の矜持というものなのかもしれない。最期だからこそ、自身にもっとも相応しい姿――美の終焉を示してみせる。他者を虜にするだけの魅力を備えた彼女らしい、美しい終末である。
しかし、そんな彼女の終焉の美を見ても、秋雅の表情は些かも曇りを見せない。事ここに来て、その程度で心を揺らすような秋雅ではなかった。
「私の勝ちだな、キルケー」
「ええ……もはやこの身、精神のどちらも、貴方様の勝利を認めております。ふふ、最期に貴方様のような勇猛果敢な戦士を戦えたこと、光栄に想いますわ……」
ふう、とキルケーが苦しそうに一息をつく。
「しかし、惜しむらくは私の神としての命、半分は数年前にアレクサンドル様に奪われていること……我が半身のみが贄では、あの戯けた魔女もおそらく『簒奪の円環』をまわすことはかないますまい……」
「『簒奪の円環』だと?」
何のことだ、と秋雅は疑問の声を上げる。しかし、キルケーはそれに応える素振りを見せない。酷く緩慢な動作で秋雅を見つめるだけであった彼女だが、不意に、その宝石のような目を大きく見開いた。
「ああ……ああ……! 貴方様の中にある、
「……何を言っている、キルケー」
一体、どうしたというのか。まさか錯乱したというわけでもないだろうが、さっぱりと状況が掴めない。何か、彼女が目を引くような権能でもあっただろうか。頭をめぐらせる秋雅を余所に、興奮も醒めてきたらしいキルケーが、その視線をウルのほうへと向ける。
「娘……いえ、ウル・ノルニルと言うのですね」
名乗ったはずの無いウルの名を、キルケーが自然と口に出した。何とも奇妙なことであったが、秋雅の心に疑問は湧かなかった。魔術の神であるキルケーならば、他人の名を探るくらい出来てもおかしくない。これまでの戦闘の経験から、不思議とそう納得していたのだ。
むしろ、何故ウルの名を今呼ぶのか。そちらこそを疑問としつつ、先のキルケーの言う力のことは一度どけながら、秋雅はしばし見守ることにする。
「ウルよ。貴女は先ほど、こう言いましたね。私は一つ、決定的な過ちを犯していると」
「ええ、言ったわ」
「それは……果たして、何だったのでしょうか?」
女神からの、真剣な問いかけ。それに対しウルは、少しばかりの沈黙の後、いつになく真剣な表情で口を開く。
「――簡単なことよ、キルケー。秋雅は、自分を
そう言って、ウルは秋雅に身を預けた。秋雅もまた、何を言うでも無く、そっと彼女の身体を抱きしめる。そんな二人の様子を見た後、ふっとキルケーは皮肉げな笑みを浮かべる。
「なるほど……確かに私は、最初から間違っていたようですね……」
ひどく残念そうな口調で、キルケーは弱々しく呟いた。その姿は、彼女が本心から後悔しているようにも見える。だが、そう感じさせたのも一瞬。彼女は再び、女神に相応しい微笑を携えながら、秋雅に対し口を開く。
「稲穂様――いえ、秋雅様。どうやら、ここまでのようです。だからこそ、今はあえてこう申し上げさせていただきます。
最後に、少女のように可憐な笑顔を残して、キルケーの身体が砂と消えた。おそらく、勝利の呪詛を破ってしまった代償として、その心臓が潰れでもしたのだろう。消滅する直前、彼女の身体から『ぶつっ』という異音がしたことが、その証左であった。
「倒した、か」
何とも言えぬ表情で呟き、秋雅は一度頭をかく。途中から予想はしていたが、やはり権能が増える感覚はない。骨折り損のくたびれ儲けかと、常であれば悪態をついてみたくなる結果であったが、どうにもそういう気も湧かぬ。何とも不可思議な戦いとその結果であったなと、他人事のように称するのが精いっぱいであった。
「……また会おう、ね。一体、どういう意味なのやら」
疑問ばかり残していったものだ、と秋雅は消え去ったキルケーに、内心で更にそんな言葉を投げる。当然、それに対して返答があるはずもない。ないないづくしだな、とそんなどうでもいい感想が浮かぶばかりだ。
何にせよ、現段階における情報で、彼女の最後の意味を探るのは無理だ。しょうがないなとため息をつき、秋雅は腕の中のウルに対し声をかける。
「帰ろうか、ウル」
「そうね、シュウ。戦いはもう、終わったわ」
微笑を浮かべながら、ウルが頷く。普段通りの笑みと、口調。だが、そこからは少しだけ、安堵のようなものが感じられた。おそらく秋雅以外には感じられないのではないか、と想われるほどに微かなそれに、秋雅は口を開きかけ、そして止める。
ひょっとしてウルは、キルケーという女を探ろうとしていたのではないのだろうか。敵としてではなく、
まつろわぬ神を巻き込んでするには、何とも不遜な推測であろう。しかし、ウルであるならば、それもまた納得できるところがある。姉妹の中でも特に人嫌いの彼女は、対応こそ多少前後するにせよ、心のうちでは皆々等しく嫌い、あるいは信用していない。そんな彼女にとってみれば、相手が人であろうが、そうでなかろうが、案外と関係ないのかもしれない。それこそ、まつろわぬ神であろうとも、人と同じように対応し、我を通してしまいそうな想像が、秋雅には容易に出来た。
だが、秋雅は不思議と、その想像を口に出す気にならなかった。無論、実際に聞いてみるのも悪くないとは思っている。秋雅が愛するに足る相手であれば、一体どうするつもりだったのかと尋ねてみることに興味を引かれるのも事実である。
しかし、それでもなお、秋雅は尋ねないことにした。さして理由があるわけではないが、強いて言うならば、
「――その方が、面白そうだ」
そんな秋雅の呟きにウルは、全て分かっていると言うような、深い笑みを浮かべる。その表情と、身勝手な自己の想像に、珍しい彼女のいじらしさを感じつつ、秋雅は彼女の肩をそっと抱く。
「行くぞ、ウル。俺の愛しい、一番の女」
「ええ、シュウ。私の愛しい、一番の人」
あえて、誰かに示すようにそう交し合いながら、秋雅はウルと共にその場から消え去るのであった。
フランス、ブルターニュ地方。そこには太古より、魔女達に守られた聖域が存在する。ブルターニュの深き森としばしば評されるその場所に、十代前半くらいの少女が立っていた。
アンティークドールに生命を吹き込めばこうなるのではないか、と思えるほどの精緻な美貌を、喪服めいた黒のドレスで飾った少女。その名を、グィネヴィア。大地母神の生まれ変わりである神祖、その中でも特に力を持った女王とでも呼ぶべき存在である。
「遅いですわね……」
やや険のある口調で、グィネヴィアは呟く。彼女をここに呼び出した知己、それがいつまで経っても姿を見せない。それほど暇でもないのだか、と無為に流れゆく時間を惜しんでいた彼女であったが、不意にその肩に手が置かれた。
「お待たせぇ」
「っ!」
びくり、と肩を震わせ、グィネヴィアは急いで振り向く。振り向いた先、彼女の肩に手を乗せながら笑う赤毛の女の姿に、グィネヴィアは鋭い視線を向ける。
「お久しぶりですね、ミスティ。相変わらず、悪趣味なようで」
「ん、んー。そりゃ失敬。グィネヴィアちゃんがポツンと寂しそうに立っているものだから、ちょっと和んでもらおうとでも思ってねえ」
「よく言いますね。そもそも、呼び出しておいて遅刻とは何事ですか」
「ああ、ごめんね。ちょっとこっちも忙しくてさあ、つい時計を見るのを忘れていたよ」
くっくくと、赤毛の女――ミスティは独特な笑い声を立てる。彼女もまたグィネヴィアと同じ神祖であり、百年ほどの時を生きた『今の』グィネヴィアよりも更に長くこの世で生き続けている、言わば先達である。
ただ、だからと言って、グィネヴィアが彼女の下に立った事は、一度と存在していない。さして年齢が物を言う間柄ではないのと、グィネヴィアに女王としての自負があったのもあるが、ミスティという女のキャラクターがそれに拍車をかけたというのも大きいだろう。先の冗談のように、常にふざけているような雰囲気を感じさせる相手に対し、本気で膝をつく者はそういない、ということである。
同輩として敬いこそしても、決して傅く気にはなれない。有用なのは事実なのだが、どうにも利用されている気も強く、油断出来ない。総じて、中々に面倒な相手。それがグィネヴィアにとっての、目の前の赤毛の女の評価であった。
「……それで、此度はグィネヴィアに何の用で? 頼みたい事がある、とのことでしたが」
「そう、そう。ちょっとね、こっちの目的のために、グィネヴィアちゃんの手を借りたいなあって」
人数の都合や個々の我の強さの関係上、基本的に個人行動を主とするのが神祖の特徴であるのだが、グィネヴィアとミスティの二人に関しては、共同歩調を取る事がよくあった。
ミスティは確かにふざけたところもあるが、その腕は確かであるし――先ほどグィネヴィアの背後を取ったこともそれを証明している――それに何より、主である『最後の王』の復活に関しては、グィネヴィアに負けず劣らずの意欲を示している。数百という年月をかけ、彼女が独自の手法で主を呼び覚まそうとしているらしいというのは、グィネヴィアを含めた他の神祖たちの間でも良く知られている。その熱意と、時折見せる主への純粋な崇拝心が、グィネヴィアに一方的な利用関係ではない、ミスティとの対等な協力関係を築かせていた。
果たして、今回は一体どのような用件か。いぶかしむグィネヴィアに対し、ミスティは常の口調で、何とも驚くべき事を口にした。
「いやあ、実はね? グィネヴィアちゃんが持っている『魔導の聖杯』の呪力を、ちょっとばかり頂きたいなあ、と」
「……どういうことでしょうか」
見目に相応しくない冷徹な声が、グィネヴィアの口から発せられる。しかし、そんな冷たい空気を浴びせかけられても、ミスティの表情は変わらない。常と同じヘラヘラとして笑顔を浮かべたまま、まあまあとグィネヴィアに対し両の手のひらを向ける。
「落ち着いてちょうだいな、グィネヴィアちゃん。私は何も聖杯を奪おうっていうんじゃないんだ。ちょいとばかり、その呪力を分けてもらえればいいんだよ」
「……では、その理由をお聞かせ願えますか? 貴女のことですから何か考えはあるのだと思いますが、それがグィネヴィアに対しても利であるとは限りませんので」
「うん、そうだね。まあとりあえず、これを見てもらおうかな」
そう言って、ミスティは何かの魔術を使用する。警戒しつつ見るグィネヴィアの前で、一つの物品がミスティの手の中に現れた。それは、見た目と大きさこそ杯のようであるが、よくある金属製ではなく、黒曜石か何かで出来ているように見えた。また、その表面には蛇らしき生き物の姿が描かれており、それが妙な迫力を感じさせている。
「これは……大地に近しい物品のようですが」
「うん、その通り。グィネヴィアちゃん、ヘライオンの事は知っているよね?」
「存じております。ナポリの魔女たちが秘していた、女神ヘラの印のことですね。数ヶ月ほど前、サルバトーレ・ドニ様によって破壊されたと聞きましたが……もしや、それが?」
「ご明察。これはその時破壊されたヘライオンの欠片を元に作った、私なりの『聖杯』だよ。グィネヴィアちゃんの前身たる女神が身を賭して創り上げた『魔導の聖杯』には劣るけれど、まあ器としてならばそう悪いものでもないと自負しているね」
なるほど、とミスティの説明に対し、グィネヴィアは心の中で軽く頷く。大地の精の結晶体であったヘライオン。それを元にしたのであれば、彼女の言う通り、大地母神の呪力との相性は悪くあるまい。事実、ミスティの聖杯に宿る呪力からは、馴染み深い大地の気配が感じられる。
「ただ、造ったはいいけれど、この聖杯にはまだ呪力があまり込められていないんだ。呪力を集める手立てがないわけじゃないんだけれど、それには大地の呪力を引き込む為の呼び水が必要なんだよねえ」
「そういうことですか。その呼び水とやらに、私の聖杯の呪力が必要であると」
「勿論、量はそこまで多くなくていいよ。全盛期と比べて、そっちの聖杯の呪力は目減りしているそうだからね。大勢に影響が出ない程度に頂ければ、私としては十分だ」
「ふむ……そうした場合、グィネヴィアにはどのような利があるというのですか?」
ミスティの要望の意味はある程度理解できた。だが、グィネヴィアとミスティの協力関係は、常に対等なものであった。一方的な享受ではなく、互いに利益を獲得するというのが、この関係における絶対条件となっている。少ないとはいえ、大事な聖杯の呪力を渡すのだから、グィネヴィアとしても相応の利は必要である。
「そうだねえ、もしグィネヴィアちゃんの聖杯に何か起こった時、こっちの聖杯をスペアとして提供する、というのはどうかな? 不滅不朽の神具とはいえ、何かの要因で使用不能になる可能性がないわけじゃあない。その時、私の聖杯を代用品として使わせてあげる、というのは保険として役に立つんじゃないかな?」
こういうところが厄介なのだ、とグィネヴィアは心の中で呟く。この、それらしいと感じさせる内容と、何よりこちらを乗り気にさせる物言いの仕方。こういうところがミスティのずるい、あるいは面倒な部分だ。彼女との協力関係が今日まで続いているのも、この口の上手さが十分に働いているのは間違いない。
「保険、ですか。何も起こらなかった場合、グィネヴィアには何も利がないことになりますね」
「そこはほら、保険だからさ。お願い出来ないかな、グィネヴィアちゃん」
拝むような体勢で、ミスティは更に懇願してくる。長い時を生きている弊害なのか、どうにもそういう動作には人間臭さが感じられてしまう。しばし、そんな彼女を見つめるグィネヴィアであったが、ついには嘆息の後、分かりましたと了承の返事を出す。
「貴女の言葉にも一理あります。その取引、お受けしましょう」
「あっはあ! ありがとうね、グィネヴィアちゃん」
「触らないで下さいませ、ミスティ」
わざとらしく抱きつこうとしてきたミスティを、グィネヴィアはさっと横にずれて躱す。こういう、オーバー気味な感情表現を見せ付けるようにしてくるのが、彼女の胡散臭さを増長させているのだが、彼女がそれを聞き入れた試しはない。これもまた、グィネヴィアが彼女の事を面倒だと思っている理由の一つである。
「くっくく。照れ屋だねえ、グィネヴィアちゃんは」
「照れているのではなく、呆れているのです」
大きく嘆息しながら、グィネヴィアはミスティに告げる。果たして、この提案が後に、どのようなことに繋がるというのか。その答えはまだ、さしものグィネヴィアにも想像出来ぬものであった。
「……あれは手を出しすぎたのではないか?」
「何を言う。あの程度、児戯のようなものよ」
そこは、真っ白な空間であった。果ての分からぬほど、ただ白だけがある世界。その中心に、一つの円卓が置かれている。たっぷりと余裕を持って座るのであれば、十人は腰をかけられないだろう大きさの円卓に、三人の男が腰を降ろしている。
「それで言うならば、貴様こそ手を出していたではないか」
「それこそ何を、だ。あれを発現させたのは、あくまで稲穂秋雅の力であろう」
円卓に座る三人のうち、二人の男が言葉を交わしていた。一人は艶やかな装束に身を包んだ、文官然とした男。もう一人は甲冑に身を包んだ、武士らしき男。東洋人らしきその二人は、喧騒とまではいかないにしても、それ相応に強い語気で互いに相手を非難している。
「そも、あの木偶は汝が兵であろう。それを今更に繰り、稲穂秋雅に意思を示したようにも見えたが」
「まさか。弁慶は既に秋雅が兵。それをここから操るなど、もはや出来ぬよ。むしろ、秋雅がああも都合よく貴様の力を掌握せしめた方こそ、どうにも解せぬ気がするのだが」
「勘繰りが過ぎるとしか言えぬな。大体――」
「まあ、良いではないか」
言い争う二人の肩を、大きな手が同時に叩いた。見るとそこには、見るからに筋骨粒々の男が、二人の肩に手を置きながら立っている。上半身は布を巻きつけだけではないかと見えるほどに、非常に古代的な格好をしたヨーロッパ系の容姿の男。座る二人と比較すれば二メートルは越そうかという長身なのだが、その鍛え上げられたと見える筋肉の鎧が、診る者に極めてがっしりとした印象を与える。おそらく比較対象が無ければ、実際よりも背が低く見られるのではないか。そう思えるほどに、その男は生物として極めてバランスの取れた肉体を誇っていた。
「裏にて多少あれども、秋雅は
長身の男の言葉に、二人はしばしの沈黙の後、納得したように頷いてみせる。
「確かに、その通りであろう。ここは我らが稲穂秋雅に、献杯の一つでもすべき場面であったな」
「うむ。無意味な喧騒を生んだこと、深く謝罪する」
「よいよい。時には多少の口喧嘩も悪いものではなかろう。無論、拳を交えるのも一興であるが」
「その場合、汝が仲裁と称して割って入るのであろう? それは勘弁願いたいこと故」
「然り。余計な危険を冒さぬのも、良き将の条件である」
「何だ、つまらぬのう」
「――結論は出たようだな、諸君」
沈黙を守っていた、円卓の最後の男が、ここで初めて口を開く。スーツ姿を着た、西洋人らしき青年。見た目はこの中でも最も現代的なのだが、その纏う雰囲気は彼らに負けず劣らずに浮世離れしている。その姿を見て、彼が現代社会に溶け込むと思う者は、おそらく一人としていないだろう。
「おう、友よ。口の回るお前にしては珍しく、今回は随分静かであったではないか」
「偶には我も、のんびりと話を聞く側に回ることはある。これはこれで、中々悪くない見世物であった」
「相変わらず趣味が悪いのう、我が友は」
そう言って、長身の男は豪快に笑う。対し、スーツの男は自嘲か嘲笑か分からぬ笑みを浮かべ、さてと視線を動かしていく。
「どうやら、我らの新たな同輩の身支度が済んだようだ。迎えるにあたり、異議のある者はいるかね?」
そんな男の問いかけに、応える者は誰もいない。しかし、異常が一つだけあった。いつの間に現れたのだろうか。空いている円卓の席の一つに、一人の男が腰をかけている。まるで幽鬼のようなその男は、見るからに気だるげな雰囲気を纏いつつ、スーツの男にゆっくりと頷く。
「冥府の友も含め、誰にも異存はないようであるな」
そう言い、男は芝居がかった態度で指を鳴らす。
「今ここに、我らは汝を同輩と認め、この円卓に座るを許す。異論はあるか、女神よ」
「――ありませんわ。善悪を移ろう自由なお方」
何も見えぬ白い空間。その一箇所に、突如として
「此度はお招き頂き、真に感謝いたします。この時より私も、貴方様方と同じ目的を持ちし者。我らが認めしあのお方、稲穂秋雅様の御為に、この身を保つ所存でありますわ」
言い切り、少女は可憐な笑みを浮かべる。そんな彼女に手で席を示しつつ、男は満足げな口調で言う。
「これで、六柱の神が我が友を認め、その力となる事を決めた。同輩らよ、
男の宣言に、五柱の神々が頷く。そんな彼らの姿に、スーツの男は再び、自嘲とも嘲笑とも分からぬ笑みを浮かべるのであった。
無理矢理ですが伏線をねじ込みつつ、意外と長引いた今章は終了となります。閑話を挟みつつ、次章では原作六巻以降の話を進めるつもりです。閑話に関してはいくつか考えているのですが、流れを鑑みるにドニの時のような独白を、アレクサンドルにしてもらうのが自然かなと考えております。