「……案外と早く、またここに来たものだ」
クラネタリアルとの
しかし、前回とは決定的に違う部分がある。それが、今秋雅の隣に立っている女性の存在だ。
「また、というのは、ワシントンにてまつろわぬ神と戦った時ということでしょうか?」
「おおよそはその通りだ、アリス殿」
そう、この今秋雅の隣に立つ女性というのは、なんとあのプリンセス・アリスであった。秋雅の訪米の同行者という形で、彼女もまたこの地に足を――もっとも、生身ではなく霊体のそれだが――踏み入れたのである。その目的は秋雅の補佐とのことであったが、実際は自身が外出を楽しむためでは無いかと、秋雅は密かに思っていた。
「おおよそですか。では及第点は貰えそうですわね。それで、すぐにでもスミス様の元に?」
「そのつもりだ。彼からもそう要請を受けている」
だから、と言うべきではないが、秋雅はあえて今の時刻――つまり会談の時間を夜としていた。スミスの怪人めいた服装が昼に合わぬと言う訳ではないが、最大限に合わせようと思えばやはり夜であるだろうと、そういうことをほんの僅かばかり考えたためである。もっとも、結局は酔狂の域を出ないなと、秋雅自身も約束を取り付けた後で自嘲した程度の拘りであった。
「……しかしまったく、実際にこの地に立ってみると妙な気分だ。まさか貴女を連れ立って、我が盟友を訪れることになろうとは」
「申し訳ありません。私もご無理を言ったとは思っているのですが」
「いや、非難しているわけではない。私とて、貴女の存在が利になると理解している。今でも、貴女の迅速なる行動の数々を思い出すと、つい感心してしまうくらいだ」
「まあ、お恥ずかしい」
実際、クラネタリアルとの謁見の後、秋雅がアメリカに行くとアリスに告げてから彼女の行動は素早かった。秋雅の訪米の予定を聞いてすぐさま同行の約束を取り付けたことに始まり、賢人議会を含めた諸所に対し誰にも文句を言われないような形にするまでに、たったの半日すらかかっていなかったのである。その最中の剣幕たるや、秋雅が陰で目を白黒させたほどであった。他にも、最後まで抵抗していたパトリシア・エリクソン――アリス邸で女官長を務める女傑である――に対して、
『もし許さないのならば、生身でも行ってしまいますわよ?』
などと脅迫まがいのことまでして外出を取り付けるなど、まさしく形振り構わずといった風であった。なまじ身体が回復に向かっているからこその言であるが、それを間近で聞かされた秋雅としては思わず瞑目するしかなかったものである。
もっとも、その直後に、
『……身体が動くようになってきたからこそ、籠の鳥の気分は堪えるの』
という、小さな小さな呟きを耳に捉えてしまった時のほうが、よっぽど反応に困ったのであるが。
「まあ、それはまたの小話としよう……どうにも、妙な気配だ」
途中から腰を曲げ、アリスの耳元で囁くように続ける。先ほどから、どうも周囲の様子がおかしい。巧妙に隠されているのだが、見張られている、あるいは警戒されているという雰囲気が秋雅には感じられた。
「ええ、それは私も感じております」
「貴女もとなると、私の気の所為でもないか」
頷いて囁き返したアリスに、秋雅は目を鋭くして警戒の度合いを上げる。流石に遅れを取る気はないが、だからといって完全に気を抜けるほど、秋雅は自身の力量を高く見積もっていない
「しかし、何者でしょうか? 私達二人が揃っているというのにこのような真似をするとは、まさしく蛮勇とも感じてしまいますが」
「素直に考えれば敵対勢力と見るべきだが……」
そこで秋雅は言葉を切り、視線を周囲へと向ける。そうだ、と改めて意識してみると、こちらに注意を向けている幾つかの顔には、多少だが見覚えがあった。
「……やはり、監視者の中にSSIの者が混じっている」
「本当ですか?」
「ああ、先の一件の時に見た顔だ」
「となると…………いえ、今はスミス様との会談を急ぎましょう」
「そうだな」
それがいい、と秋雅は小さく頷く。そして、表面上は周囲のことなど気にしていないかのように振舞いながら、秋雅はアリスを連れ立って歩き出したのであった。
秋雅達が空港を経ってしばし。二人が目的地であるホテルの、その最上階の一室を訪れると、そこには既に先客たる仮面の怪人が寛いでいた。
「――ふむ、壮観だな。この世で最も尊き姫を、最も人道的な王がエスコートしている様というのは」
「それを言うならば、複眼の仮面を被った男がこぢんまりとソファに腰掛けている様もまた、君の想像以上に滑稽だがね」
そのように軽口めいたものを叩き合った後、稲穂秋雅とジョン・プルートー・スミスは滑らかに握手を交わす。常に遊び心を欠かさないスミスと、案外とノリの良い秋雅においては、時折こういう会話が飛び交うことも多かった。
「そしてプリンセス・アリス。今宵、貴女の美しさを目に焼き付けることが出来たこと、私はとても光栄だと思っている」
「ありがとうございます。私も名高いロサンゼルスの守護聖人殿と再びお目にかかれたことを、心より光栄と思っております」
秋雅へのそれとは一転して美しく装飾されたスミスの挨拶に、アリスもまた優雅な礼と共に返す。仮面を被った人物が一礼と共にこのような事を言っているとなれば滑稽さすら感じられそうな状況であるが、ことスミスの場合には不思議と似合ってしまう。芝居がかっているはずなのに酷く自然だと、改めて秋雅はそのような感想を抱く。あえて芝居がかった物言いをすることもあるという意味では秋雅もまた同じなのだろうが、こういったところではスミスの方に一日の長があるようであった。
「……それで秋雅。今日は一体どのような用件なのかな」
そんな挨拶の後、まず口火を切ったのはスミスであった。
「君が電話口で詳細を語らなかったところから見て、よほど重要なものなのだろう? しかもプリンセスまでも連れ立っているとなれば、相応の大事であると私は思っているのだが」
「ああ、それなりに秘匿性の高い案件だ。面倒なので単刀直入に言うが、私は近い将来に自分の結社を作ろうと持っている」
「ほう。それはそれは大層なことだが、いいのか? 君は日本の……正史編纂委員会だったか? その結社と親しくしていると聞いていたが」
「ふむ、その言葉は合っていると同時に間違ってもいる。確かに私は正史編纂委員会の幾つかの分室とは親しくしているが、その『上』とも言える東京分室とは断絶に近い状態なのだ」
「確か……数年ほど前に、当時の上層部が愚計を画策した為、ですわね?」
「ああ、そうだ」
良く知っているものだと思いながら、秋雅はアリスの問いかけに同意する。それは正史編纂委員会にとっては機密も機密の情報であるはずなのだが、流石は賢人議会の長と感心すべきところだろう。これが秋雅にとっても重要な情報なら眉の一つも顰めただろうが、生憎とそういうわけではない。心の内で褒める程度に留め、秋雅は更に続ける。
「これに加えて、草薙護堂の存在もある」
「先日戦った、と聞いたが」
「ああ、結果的には私が勝利した。ただその際あまり
「そうだろうな……うん? 秋雅、その言いようだと君は国外に結社を置く気なのか?」
首を傾げたスミスに対し、秋雅はゆっくりと頷いてみせる。
「そうなるな。母国愛がないわけではないが、私のそれは場所に対してと言うより、そこに住んでいる人に対してのものだ。そして、極少数のそういう人を守る程度なら、必ずしも私が近くに居る必要はない」
「なるほど、それもまた道理か。むしろ君が博愛主義者であるとか言い出すほうがしっくりと来ないだろうな」
「良く分かっているじゃないか。まあ、民草を守ることは私の使命であると思っているし、それを草薙護堂に任せるのは少々不安もあるがね」
「そこは時が経てばまた変わることだろう。ところで秋雅、それで君はどこに結社を置くつもりなんだ? 姫君と来たことを考えれば英国かと思うが、もう欧州には王が三人も居てパンク気味。中国には羅濠教主、アフリカにはアイーシャ夫人が既に居て、王の居ないオーストラリアでは色々と不便がありそうだが……」
「ああ、だから
「なっ…………!?」
平然と放たれた秋雅の言葉に対し、仮面の奥でスミスが動揺する気配があった。しかし、それも数秒のこと。彼は一つの咳払いを挟むことで、常と変わらぬ態度を取り戻す。
「失礼。思った以上に
「そう言ってくれると私も嬉しい。この国であれば日本ほど口出しをしてくるものもいないだろうし、君という盟友も居る。君が西海岸を、私が東海岸を、というのは悪くない考えだと思うのだが」
「そうなれば世界各地を飛び回る君の不在を私がカバーでき、逆に私の方も君の手をすぐさまに借りられるようになる。ふむ、考えていけばいくほど良い案のように私も思う」
「では……」
「ああ。先にも言ったが、私は君を歓迎する。ジョン・プルートー・スミスの名において、君の結社の設立を支持しよう」
「感謝する、我が友よ」
伸ばされた手を取り、秋雅はスミスと深い握手を交わす。これで一つの問題が片付いたなと内心で安堵の息を吐いた秋雅であったのだが、その感情は次に放たれたスミスの言葉で一変することになる。
「だが、今は駄目だ。君が結社をいつ作るのかは知らないが、今だけは、その話を進めるのは難しいだろう」
「……と、言うと?」
「その前に、君はこの国の異変に気付いているか?」
スミスの問いかけを聞いて秋雅の脳裏に浮かんだのは、空港での監視の気配のことだ。秋雅の表情からそれをスミスも察したのだろう。彼はやや芝居がかった風に首を横に振る。
「まったく厄介な事態だが、今のSSIは死に体となっている。《蝿の王》の陰謀によって上層部のほとんどは洗脳ないし買収され、今や正しい行いをしているとはとても言えない状況なのだ」
「まさか……とは言えませんね。でもなければ私達をわざわざ監視するような真似もしないでしょうし。しかし稲穂様、こうなると……」
「ああ。こうなると元の予定通りとは行かないな」
アリスが止めた言葉をつなげた秋雅はため息をつきながら首を振る。元々、秋雅は自身の結社の設立において、スミスの次にはSSIに話を通すつもりであった。後から来て結社を作るのだから、この土地の最大結社である彼らに話をしておくのは必要なこと。裏の無い協力関係を結ぶ為にも、そういう根回しをしておくべきだと考えたからだ。アリスが同行を求め、それを秋雅が受け入れたのも、賢人議会とも同盟の予定を示すことで彼らの首を縦に降らせるためであった。
「まったく、わざわざ手土産も持ってきたと言うのに、これではどうしようもないか」
「手土産?」
「ああ、これだ」
そう言って秋雅が見せたのは、スクラの研究成果である、銃に関する新たな魔術を纏めたレポートだ。秋雅は賢人議会に対し、ヴェルナの研究成果のブラッシュアップを依頼したように、SSIに対しても同じ事を依頼する予定だった。
このように秋雅が考えた理由は、銃火器に関する魔術という点においては、他の大手の魔術結社よりもSSIが一番良いだろうと思われたからである。他の魔術結社と比べて比較的歴史が浅いSSIであるが、お国柄も相まってか他の国では中々発展していない銃火器に関する魔術の研究に特に力が注がれている。秋雅にとっては一番造詣の深い結社に依頼した方が早いし、SSIにとっても新たな魔術というのは魅力的に見えるだろうと判断できる。
無論、賢人議会の時とは違い、SSIが相手となると、情報漏えいの危険性が無視出来ない確率で存在することになる。だが、ここで話題となっているのは、近代において世界に現れた、銃火器に関する魔術だ。古代より脈々と続いてきた他の結社群にとって、どうにもこの手の魔術はそれほど魅力的に思われないらしく、仮に情報が漏れたとしてもすぐさま解析されつくしてしまうということはない。つまり、それほど大きな危険性はない、と言えないこともないのだ。
実際はそこまで都合良くもいかないだろうが、そもそもSSIからしても、普通の状態ならそうそう情報漏えいも許さないはず。だからまあ、どうにかなるだろう、と秋雅は判断したのだ……まあ、この瞬間までは、の話であったが。
そんな手土産となりそこなったレポートを一読したスミスは、ほうと感心したような声を漏らした。
「なるほど。私は決して研究者ではないので断言は出来ないが、確かにこれならば手土産とすることは出来ただろうな……ただ、今は止めておいたほうがいい。みすみす《蝿の王》に技術を与えてしまうだけだ」
「そうなるだろうな。まったく、こういう形でも祟ってくるか」
厄介な、とため息をつく秋雅であったが、そんな彼にアリスが声をかけた。
「稲穂様、逆に考えましょう。いかに華麗に上層部の問題を一掃したとしても、彼らは少なからず弱体化することになります。そうなれば戦力の拡充も兼ねて稲穂様の提案を断るということは無いと思います」
「しかも、場合によっては彼らに対しての優位性を高めることも可能になるだろう、か?」
「はい」
「……悪くはないな。交渉しなければならないことも多くなるが、それを上回る利点も生まれると」
「既に事はなってしまっていますし、ここは最大限利用するべきです。火事場泥棒ならともかく、あくまで借りを作る程度ならば、後ろ指を指されることもありません」
「確かに。では、私の知己に声をかけ、彼らの復興を手伝わせるか。今日の監視のこともある。上手く回せばいっそう私に頭が上がらなくできるな」
「……やれやれ、末恐ろしい会話だ。我が盟友と姫君と敵対していないというのは、ある意味で私にとって最大の幸運と言うべきか」
淡々と後の事態について画策する二人に、スミスは呆れたように肩をすくめる。そんな彼の態度に、秋雅は思わず顔を顰める。しかし、それは決して彼の言葉に不快感を覚えたからではない。彼こそが、ある意味でこの件に関する一番の重要人物だからである。
「他人事のように言ってもらっては困るな、スミス。何に関しても結局は君が《蝿の王》を打ち負かしてくれなければ意味がないんだ。あまり遊んでばかりのようなら、私も自己の利益その他の為に腰を上げざるを得ないのだが?」
「おっと、それは困るな。彼らを討つのは私の役目であり、因縁でもあるのだ。この私が健在である限り、他の者の手助けを借りるわけにはいかないな。もっとも、もしもの場合は真っ先に君の手助けを借りるだろうがね」
もし仮面を被っていなければ、ウインクの一つもしたのではないだろうか。そう思われるほど軽快に言葉を紡いだスミスに、秋雅も少しばかり顔をほころばせる。
「ああ、その時は何時でも駆けつけよう。無論、私も君がしくじるとは思っていないが」
「うむ。君が口を挟む暇も無いほどに、華麗で苛烈な勝利を成そう」
鷹揚に、二人の王は同時に頷く。ただそれだけの行為であるが、同時にそれは互いの友情の篤さを十分に示していた。
「ふふふ、お二人はまさしく盟友であらせら――――え?」
微笑を携えていたアリスの表情が、唐突に凍りついた。同時、秋雅の懐にしまわれた携帯電話が振動を発する。思わず秋雅が取り出すと、画面には三津橋の名が表示されている。
「――稲穂様! その電話、おそらく火急の用件のはずです!」
世界屈指の霊視能力を持つ、プリンセス・アリスの言。尋常なものではないはずと思いながら、秋雅は急ぎ電話に出る。
「私だ!」
『秋雅さん、大変です! 太平洋上を巨大な未確認生物が出現しました!! おそらく神獣かと思われますが、それが海上と空中に二体! 移動ルートからおそらくこの日本を目指しています!』
「――何だと!?」
三津橋の焦燥に満ちた報告に、秋雅は大きく目を見開いた。まつろわぬ神には劣るとはいえ、神獣とて十分に驚異的な存在だ。しかもそれが二体ともなれば、単純に脅威度は二倍。こうもなるとまつろわぬ神への対応と等しく思っても、過剰とは言い切れぬ自体である。
幾ら秋雅が新たに拠点を移そうと思っているとはいえ、今はまだ日本こそが秋雅の立つ場所であるのだ。他に優先事項があるわけでも無い以上、これはすぐさまにでも秋雅が動くべきことであるだろう。
「三津橋、現場までの足を急ぎ用意しろ。私もすぐ向かう!」
『了解しました!』
電話を切り、秋雅は盟友と姫君に視線を向ける。その表情は硬く、視線は非常に鋭い。
「スミス、アリス殿。私はすぐに日本に戻らなければならなくなった。悪いがここで失礼させてもらう」
「ああ、この地から君の検討を祈らせてもらおう。どうか武運を、な」
「稲穂様、お気をつけください。ぼんやりとではありますが西方――いえ、南方より何かを感じます。もしかすれば、事は二体の神獣だけでは終わらぬかもしれません」
「ぞっとしない提言だが、ありがたく受け取らせてもらう」
頷き、二人の言葉を胸に刻みながら、秋雅は聖句を口ずさむ。
「――我は留まらず。我が立つ地は、全て我の意思のままに」
その瞬間、秋雅の視界が一変した。アメリカの高級ホテルから、日本の三津橋の仕事のオフィスに、である。『我は留まらず』による長距離転移の結果であった。今頃あちらには秋雅が転移に用いたマネキンが現れているだろうが、それに対して想像する余裕が今の秋雅には無い。今秋雅がすべきことは、目の前に立つ三津橋の話を聞くことであった。
「呼び出してしまってすみません。しかし、先の通り急ぎの事態です」
「分かっている。それで、準備は?」
「飛行機の用意が出来ています。一先ず鹿児島まで飛んでもらおうと思っていますが、構わないでしょうか?」
「問題ない。一度最南端まで行った後で、向こうの動きを踏まえて動く。最悪飛行機から飛び降りるつもりで行くぞ」
「了解しました。ではこちらへ」
頷き、秋雅は三津橋の先導で部屋を出る。福岡分室の廊下を歩きながら、秋雅はこの先に待つであろう戦いと、アリスが述べていた言葉の意味について思考をめぐらせるのであった。