トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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魔剣の価値

 イギリス、ハムステッドにあるプリンセス・アリスの邸宅。その応接室において、邸宅の主であるアリスは、感心と呆れが混じったような調子でため息をついた。

 

「……まさか、と言いたい気分です。紅葉に続き、彼女の妹まで特異な存在になるとは」

 

 彼女にそのような言葉を紡がせた原因。それは彼女の手に握られている資料にある。先の騒動から作成された、草壁姉妹に纏わるレポート。あくまで概要のみではあったが、秋雅から渡されたそれに記された前代未聞とすら思える内容の数々は、アリスの脳に軽い負担をかけるには十分なものであった。

 

「ともあれ、事情はおおよそ把握しました。我々は彼女達の体質の研究、及びある程度の教育を施せばよいのですね?」

「そうだ」

 

 アリスの問いかけに、秋雅は鷹揚に頷く。

 

「分かっていると思うが、研究に関してはあまり無茶なことはしないでもらいたい。仮にも私の部下なのでね、もしも倫理に反するような真似でもすれば……」

 

 言葉を切り、秋雅はその視線をアリスに向ける。先ほどまでの無感情なそれはとは違う、僅かだが確かな殺意が混じった、冷酷な警告の視線。もし生身であれば、ともすれば冷や汗の一つでも流れていたのではないだろうか。アリスにすらそんな感想を抱かせるほどに、秋雅の醸し出す雰囲気は冷たく、そして恐ろしく思える。年齢や経験に合わぬ、王者としての風格。それを易々と手繰るこの青年は、やはり『例外』ということなのだろう。

 

「……承知しています。元より我らは非道な行いを嫌う者達の集まり。いかに魔術の深遠を望もうとも、越えては成らぬ一線は深く理解しておりますから」

「期待している」

 

 その一言と共に、秋雅が纏っていた雰囲気が霧散した。重圧が消え去ったことに、アリスは思わず安堵の息を吐く。そんな彼女へのフォローなのか、秋雅はほんの僅かに申し訳なさそうな口調で言う。

 

「元より君達の倫理観は信用していたが、何分ものがものだ。もしも技術として確立できれば、他の結社に対しこれ以上無いほどのアドバンテージを得ることとなる。それを渇望し、暴走する者がいないと純粋に思うには、私は少々()を見すぎた」

「そうですね……しかし、その心配は無いかと。この資料を見る限り、再現性は相当低いもののようですし」

「うむ。草壁家の血筋に宿る力が関係している可能性も考慮すれば、よほどの事が無い限り完全再現は無理だろう。出来て精々、僅かにその模倣を行えるという程度といったところか。あくまで個人的見解だが、そう外れてもいまい」

「そうですね」

 

 秋雅の私見に、アリスも同意の頷きを返す。秋雅の言うとおり、今回彼女達に起こった異変は、そのどれもが天文学的な確立の末の結果であるはず。残された資料以外の外的要因の存在まで踏まえると、よほどの事が無い限り全く同じことは起きないどころか、僅かに足を踏み入れることすら難しいだろう。一縷の可能性があれば、と思う者もいるかもしれないが、流石に今回ばかりはそんな気すら起こる余地は無いだろう。無論、それでも不埒な事を考える可能性は否定できないので、アリスとしても研究に携わる人員の選別には特別注意させるつもりではあるが。

 

「……それと、アリス殿。もう一つ、賢人議会に研究を願いたいものがある」

「もう一つ、ですか?」

 

 次は何だ、とアリスは緊張に身を固める。身体的な虚弱さとは裏腹に、胆力のある彼女であるが、ここ最近秋雅が持ってくる情報はどれも、彼女ですら驚嘆させるようなものばかりだ。気をしっかりと持っておかないと醜態を晒しかねないと、アリスは身を引き締めて秋雅の言葉を待つ。

 

「ああ。私の部下が開発した、量産を前提とした魔剣だ」

「…………はい?」

 

 思わず、といった風にアリスは無防備な声を上げた。先の決意はなんだったのかと言わんばかりの、まさしくポカンという表現が似合う反応。普段の彼女であれば起こさないであろう、それこそ『例外』とでも呼ぶべき返しであったが、それも無理からぬ話だろう。

 

 前提として、魔術の世界において『魔剣』や『魔槍』などと呼ばれる武器はそもそもが特別な存在である。騎士と呼ばれる、武術と魔術のどちらにも優れた魔術師にのみ贈与を許される、錬金術や鍛冶の粋を集めて作られた武器。それらはほぼ全てがハンドメイドの一品物であり、《赤銅黒十字》のような古き騎士団などが独占している技術の結晶。それが、一般的な魔術師にとっての『魔剣』という武器である。

 

 それが、量産を前提として作成が出来る。そんな言葉を聞かされようものなら、まずは一笑に付し、続いてそれを言った相手の正気を疑い、最後には自身の正気を疑う。古代より脈々と続いてきた『魔術師』という者達にとってはそれほどまでに衝撃的な言葉であるのだ。

 

「さ……流石は稲穂秋雅様ですね」

 

 ようやくアリスが搾り出したのはその一言であった。幾度となく彼女も思ったことであるが、これほど彼が『例外』なのだと実感したのは、果たして初めてのことであるかもしれない。相手が彼でさえなければ、そう易々と信じは出来ないだろう。稲穂秋雅なら常識では測れないようなこともやるという前提があるからこそ、このような荒唐無稽とも言える発言でもどうにか信じられるというものだ。

 

「……それは、どういう意味なのだろうか」

 

 アリスの言葉に、秋雅は心なしか不思議そうに呟く。良くも悪くも、彼は魔術など関わりの無い生粋の一般人から、魔術師の王たる神殺しになった存在だ。今でこそ魔術も学んでいるようだが、やはり幼少の頃より魔術にどっぷり浸かって育った者と比べると、些かこちら方面の常識(・・)に欠けるところがある。そのため、おそらくは『魔剣』というものは特別製造が難しい、ということを本質的には理解していないのだろう。あるいは、表の世界を知っているために、どんなものであろうとも突き詰めれば量産可能である、という価値観を持っているのかもしれない。どちらにせよ、彼とこの驚きを共有するのは難しいようだ。それが良いことか悪いことかは、少なくとも現時点では不明のことである。

 

「お気になさらず。少々、率直な感想が漏れただけですので」

「ならばいいが……とにかく、その資料がこれだ」

 

 気をとりなすようにして、秋雅は新たに紙資料とUSBメモリを取り出した。先ほどと同じく、紙の方は概要、USBメモリの方に詳細が記載されているのだろう。そう判断したアリスは、差し出された紙資料の方を手に取り、パラパラと大まかに目を通していく。

 

「…………成る程、頑健さと切れ味に注力した上で、魔術なしでの形状変化ですか。能力としてはそう高くないようですが、量産品として考えるなら十分すぎるほど。稲穂様の部下の方は、随分と良い腕と発想を持っていらっしゃるようですね」

 

 ざっと内容を見た上で、アリスは感嘆の声を上げる。それほどまでに、この資料に書かれた魔剣の性能は高く思われた。勿論、これはあくまでデータ上、カタログスペックでの話。最終的な結論は実品を見るまで下せないが、秋雅が持ってきたものと考えればそれほど誇張した数値ではないはず。おおよそこの通りと見ていいだろうと、アリスはそのように判断した。

 

「うむ、だが所詮はあくまで試作品。見てもらえば分かると思うが、現状で正式に量産するには、まだコスト面等に不安がある。その辺りを賢人議会にはブラッシュアップしてもらい、より量産式魔剣としての完成度を高めて欲しいのだ」

「ご要望は把握いたしました。しかし、二つほど疑問があります」

「なんだろうか」

「まず一つですが、何故私どもに? 確かに我々は魔術関係全般の研究機関でもありますが、魔剣となるともう少し武に傾注した、それこそ騎士団などの方が適任かと」

「理由としてはおおよそ三つある。一つ、騎士団の類は他の王の力が及びやすい。二つ、騎士団では魔剣というアドバンテージの損失を嫌う可能性がある。そして三つ、機密保持の徹底という意味で私は君達以上の結社を知らない。これらが、君たち賢人議会にこれを依頼する理由だ」

「……なるほど」

 

 一つ、かつてより欧州の騎士団はヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニ、最近では草薙護堂と他の王に近いため、秋雅よりもそちらに忠を向ける可能性のほうが高い。二つ、そもそも量産可能な魔剣という存在そのものが騎士団という存在に喧嘩を売っており、真正面から協力が可能とは考え難い。三つ、加えてこれらの結社は他の王に情報が漏れやすいが、賢人議会は秋雅以外とはある程度距離を置いているため漏洩の可能性が低い。まあ、これに関しては秋雅が例外的に深い関係にある、という見方や、こちらをその気にさせるリップサービスという見方もあるが、それはともかく。

 

 これら、秋雅が挙げた三つの理由を理解したアリスは、納得したように小さく頷いた。多少神経質気味にも思えるが、これまでの秋雅の言動、特にリスク管理の感覚などを考えれば妥当な判断だと言えるだろう。

 

「そちらに関しては納得致しました。ではもう一つ。これは根源的な疑問となるのですが、何故稲穂様はこのような武器の開発をなさったのですか? 偶発的な研究の結果を生かした、と考えるには些か特殊すぎますし、仮にそうだとしても、それで発展まで行おうとするのは明らかに秋雅様ご自身の意思であるはず」

「私が個人用に強力な武器を一振り依頼するならともかく、安価な量産品を欲するのはおかしい、と言うことかな?」

「率直に言えば」

「もっともな、疑問だな」

 

 どうなのか、とアリスは秋雅に疑問の視線を送る。それに対し、秋雅は軽く居住まいを正した後、今まで以上に真剣な声音で問いかけた。

 

「アリス殿、貴女はカンピオーネという存在をどう思う?」

「……まつろわぬ神を討つことのできる、唯一の存在かと」

「そうだ。世界に混乱を撒き散らすこともある我らが存在を肯定されているのも、我らが撒き散らす十の被害よりも、まつろわぬ神を討たぬことでもたらされる百の被害の方が厄介だからに過ぎない。私が一部例外を除き、他の王達と積極的な交戦を果たさないのも、彼らが生きていることでまつろわぬ神による被害を抑えられるからだと考えているからだ」

 

 そうだったのか、とアリスは秋雅の言葉にそのような感想を抱いた。以前より疑問であった、彼が他の王とさして戦いたがらない理由。民を守る事を優先しているようである彼にしては、些か消極的であるようにも見えたそれが、大を守る為に小を切り捨てる理論あったとは。それの是非はともかくとして、彼らしい合理的な考え方である。

 

「だが、それはあくまでまつろわぬ神と相対する場合の話。これが神獣の場合は話が別だ」

「神獣、ですか?」

「そうだ。貴女も知っていると思うが、私はまつろわぬ神の撃退の合間に、幾度となく神獣退治の依頼も請け負ってきた。それは神獣というものが、まつろわぬ神には劣るとはいえただの魔術師ではそうそう太刀打ちできる相手では無いからだろう。だが、私はこうも思うのだ。たとえ相手が屈強な大人であれど、武器さえあれば子供でも倒せる事があるように、まつろわぬ神はともかくとして、神獣程度(・・・・)であればただの魔術師にも対応は出来るのではないか、と」

「……まさか」

 

 察し、瞠目する彼女に頷きながら、秋雅は全く揺れの無い口調で続ける。

 

多数の魔術師に強力な武器を渡し、(・・・・・・・・・・・・・・・ )神獣を迎撃、撃退させる。(・・・・・ ・・・・・ )そこまでは行かないとしても、神獣を抑え込む事が出来れば、その間に神獣を真に倒せる実力者が駆けつけられる。少なくとも格段に被害を抑える事は可能となるだろう」

「一部の実力者の武に頼るのではなく、全体的な質の底上げを果たすことで横暴な存在への対処と成す…………それが、貴方のお考えである、と…………」

「そうだ」

 

 想像以上にも程がある、とアリスは動揺を払うように頭を振る。今度こそ――それこそ霊体の身であっても――冷や汗があふれるのではないか、というくらいの衝撃がある。それくらい、今、秋雅が唱えた考えは、驚愕に値するものだった。

 

 そもそもとして、アリスの知るカンピオーネというのは、往々にして協調性の無い人種である。絶対的な力があるためか自己中心的な一面を持ち、周りに被害を与える事を罪と思わない。基本的に己一人で動く事を主義の根幹におき、たとえ窮地に陥ろうとも易々とは徒党を組もうとしない。それがカンピオーネの横暴さであり、だからこそ彼らは『覇王』と称されるのだ。

 

 それが、今の稲穂秋雅の発言はどうか。民の為ならず、付き従う者達の犠牲も抑えようとし、少々(・・)の障害であれば自身がいなくても問題ないようにする。己の手間を減らす為、というわけではあるまい。ただひたすらに、それが世界全体にとって良いことであると思っているからこその行動なのだろう。それがたとえ、自身の優位性を失いかねないことであっても。

 

 はたして、そんな王は『覇王』であるのだろうか。いやむしろ、民の安寧を考え、配下に守護の力を与えようとする様は――

 

「アリス殿?」

 

 ハッと、思考の渦に巻き込まれていたアリスの意識が戻った。見れば、正面には訝しげに彼女を見やる秋雅の顔がある。いけないと、今しがた浮かんでいた思考を脇に置き、アリスは軽く頭を下げる。

 

「……失礼しました。少々、思いがけぬ考えであったもので、つい」

「全体的な戦力の拡充、というのはそれほど突飛な考えでもあるまいに」

「それを、カンピオーネたる御身が仰るというのが意外であったものですから」

「確かに、暴君たる我らがこのような事を言えば、疑問に思うのも当然か。成る程」

 

 と、何処まで本心か分からぬ調子で、秋雅は納得したような素振りを見せる。本気か、あるいは演技か。それはアリスの目にも、易々とは見抜く事が出来ない。

 

「さて、アリス殿。貴女の疑問には答えたつもりだが、返答は如何だろうか。これは君達にとっても、有意義な研究になると思うのだが」

「……全面的な協力をお約束します」

 

 一拍の後、アリスは承諾の意を告げた。ここまで来れば、それ以外の返答などあるはずもなかった。

 

「それは良かった。分かっていると思うが、これもまた機密として研究をお願いしたい。特に、ただ力を求めるだけの者達には漏れないように気をつけて、な」

「承知しております。神獣への対抗手段を、ただ人同士の戦いに使われるような真似は絶対に回避しなければなりませんから」

「そこまでご理解頂けているなら安心だ。では、以後よろしく頼む」

 

 そう言って、秋雅は右の手をそっと差し出す。契約締結を意味する握手なのだろうが、それはこれが命令ではなく、ただの協力や支援であるという裏の意味もあるのだろう。つまり、彼はあくまで個人で依頼に来ただけであり、賢人議会に腰を据える気は無いということ。そのことに、何処か残念じみた感情を抱きつつ、アリスはそっと彼の手を握り、握手を交わす。

 

「……さて」

 

 数秒の硬い握手の後、秋雅は気持ち柔らかい表情を浮かべる。

 

「話も纏った所で、アリス殿」

「何でしょうか?」

「身体の調子はどうだろうか。そろそろ、私のかけた『雷』は効力を失っている頃だと思うのだが」

「それは……確かに」

 

 秋雅の言うとおり、以前に彼が治療の為にアリスにかけた『雷』は、もはや存在感を失いかけている。感覚的に後数日もすれば完全に消え去るだろう、ということを理解していたアリスは、後に続くであろう言葉を予想しながらも頷く。

 

「では、私にもう一度、貴女の私室に足を踏み入れる無礼を許していただきたい」

 

 真摯な、誠意からであろう言葉。実利において、そして自身の感情においても、その頼みを断る選択を、アリスは欠片として持っていなかった。

 




 進みが些か遅いですが、切りが良かったのでここまで。今回の話に限らず評価の多少高い秋雅ですが、ぶっちゃけ秋雅単体で見ると、秋雅の言うとおり大層な者でもないと思います。ただヴォバン侯爵などの他のカンピオーネがあまりにアレなので、相対的に秋雅の評価が上がっているのでしょう。仮に彼がただの力のある魔術師などでしかなければ、作中ほど持ち上げられることも無いと思います。まさしく『例外』なだけ、という感じかと。あくまで個人的な感想ですがね、と作者が言うのも変ですが。



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