トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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第五章 世界を翔ける雷は、南洋にて女神に遭遇す
名の無い結社、まだ無い結社


「……調査結果の報告?」

「ええ。文書には勿論纏めているけれど、口答でもざっと話しておこうかと思って。構わないでしょう?」

「そりゃ、構わないが……」

 

 水の流れる音を聞きながら、秋雅は頬杖を付いて頷く。それを横目でチラリと確認し、ウルは内容を思い出すようにゆっくりと口を開く。

 

「例の魔術師、つまりは英国でゾンビを作っていた男のことだけれど、あちらでの調査から、そいつが所属している結社が判明したわ」

「なんて名前だ?」

「ないわ」

「……はあ?」

「だからないのよ、結社の名前が。男がそう言ったらしいの。自分達の結社に名前はない、と」

「ありえるのか?」

 

 少しだけ真剣みを増した表情で、秋雅はウルに問いかける。一般的に、規模の大小はあれど、組織というものは何かしらの名前が付くのが自然だ。組織外との交流に役立つというものもあるが、名前をつけることで自らの所属を自覚させる、というのは案外内部での結束に役立つ。そもそも名前がなければ自分達をどう呼ぶかも分からない。正式名称でないにせよ、とりあえずの通称や便宜上の名前というものは勝手に付くものだ。仮にも結社と呼ばれる規模であればなおさら、名前がないというのは奇妙この上ない。

 

「嘘をついたにしても、明らかにおかしなつき方だもの。暫定的に信じても問題ないと思うわ。それに、男の発言を裏付ける根拠もあることだし」

「根拠?」

「名無しの結社、あるいはネームレスカルトって聞いたことある?」

 

 ウルの問いかけに、秋雅の脳裏をアメリカでの記憶が過ぎった。魔術師、クラネタリアル・バスカーラ。『永劫の安寧』なる結社に所属する魔術師であると名乗ったその隷属願望所持者が、その名前を口にしていた覚えがあった。

 

「ああ、名前だけだが」

「数年ほど前から魔術界で時折名前が挙がるようになった結社だそうよ。まあ彼ら自身がそう名乗っているというわけじゃなくて、彼らを説明する上で便宜上生まれた名前だそうだけど」

「そこに奴が所属していると。どんな結社なんだ?」

「基本理念としては……そうね、『完全なる自由と平等』ってところかしら」

「ピンと来ないな」

「規模が大きくて?」

「あまりに馬鹿馬鹿しくて、だ。一々言わせるなよ」

「あら、ごめんなさい。まあでも、私も正直同意見。そもそも貴方の、カンピオーネの存在自体が平等から程遠いもの」

「まったくだ」

 

 ふん、と秋雅がつまらなそうに鼻を鳴らすと、同感だと言わんばかりにウルは薄い微笑を浮かべ、顔を流れ落ちる水に目を閉じる。

 

「とはいえ、彼らがそれを真面目にやっているというのも事実よ。結社に名前がないのもその一つ」

「どういうことだ?」

「どういう名前にせよ、名前つけるとなれば何かしらの言語、まあ英語なりなんなりでつけることになるわよね? それが既に平等ではないと彼らは考えているみたい」

「……ああ。だから頑なに、どの言語でも名前をつけないってわけか。その後他言語に翻訳するとしても、最初にどれかの言語で名前をつけた時点でもう平等ではないと」

「そういうことらしいわ」

「徹底しているな、まったく」

「加えて、彼らの結社に上下関係はないらしいわね。精々が新人かどうかって程度で、それ以外は完全な同等関係になっているみたい。流石にもぐりこめはしなかったけれど、会議やらなんやらももっぱらネット上の匿名形式でやっているみたいよ。そこで情報伝達だったり魔術の教導だったりを隠し事なくやっているんだとか」

「ハッ、そこまでくると呆れも通り越すってもんだ」

 

 処置なし、と言いたげに秋雅は肩をすくめる。

 

「それで? 平等は分かったが、自由ってのは?」

「誰しもが魔術を使えるようになる自由、という所かしら」

「……そりゃ、表の世界の住人もってことか?」

「ええ」

 

 手元のコックを閉めながら、ウルは秋雅の質問に頷く。そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、秋雅は目元を揉みながらため息をつく。

 

「阿呆だろ、そいつら。今はもう、摩訶不思議で片付く古代じゃないんだ。この科学の時代でそんなことをやったところでろくなことにならん。やるにしても、世界規模で足並みを揃えないと妄言の域を抜けるのは無理だろう。何でまた、そんなことを考え付きやがったんだか」

「簡単に言えば、彼らはどうも過去に魔術で救われた経験があるらしいからよ。彼らにとって大事な存在が、魔術によって失われずに済んだ。故に魔術は人を救う術であり、それを隠匿することは自由に繋がらない、とか何とか」

 

 秋雅がついている肘の隣に腰掛けながら、ウルは皮肉げに笑う。その笑みに、そうだろうなという感想を秋雅は抱く。彼女の人生において――今現在はともかくとして――魔術という存在は、どちらかと言えば奪う側に立つ事が多かったはず。そうであるウルと、そしてそれを知る秋雅からしてみれば、名無しの結社の理念に対し、懐疑をすっ飛ばして正気を疑いまでするのは、当然といえば当然の反応と言えるだろう。

 

「……そもそも、魔術なんて不平等の代名詞みたいなものだ。才能がなければ絶対に使えないものが、自由と平等に繋がるとは思えないな。羨望と優越が精々だな」

「加えて起こるなら、混乱と暴走というところでしょうね。下位の魔術でさえやろうと思えば人を殺傷するなんてわけない。銃をばら撒くよりよっぽど危険かもしれないわね」

「大体、それをやるにしても、他の結社が邪魔をするに決まって……」

 

 ふと、秋雅の言葉が止まる。それは彼の脳裏に、一つの推論が浮かんだからだ。

 

 名無しの結社の目的に連動して今しがた思い出した、クラネタリアル・バスカーラの、『永劫の安寧』の目的。それは名無しの結社と同じく、魔術を表の世界に広めるということであったはず。しかし同時に彼は、『永劫の安寧』と『名無しの結社』の関係を、似ているが逆であるとも言っていた。

 

 そして、そもそもこの話題をすることとなった、英国で下した例の魔術師。彼はこうも言っていたはずだ。『カンピオーネを潰すことが我らの目的である』と。

 

 それは一体、どのような意味であるのか。その問いに対する一つの解答が、秋雅の表情を真剣なものとする。

 

 

「……そうか。奴ら、今の時代を終わらせる(・・・・・・・・・・)つもりなのか」

「どういうこと?」

「今の魔術界は、俺たちカンピオーネを頂点とした、ある種の王制を敷いていると言えるだろう。それがある限り、魔術師になることは俺達に仕えることと同義となりえる。それじゃ、奴らの謳う『完全な平等と自由』は成し遂げられない。俺達が居る限り、他の結社は王制の崩壊を認めないはず」

「――カンピオーネを下すことで自分達の力を見せつけ、同時にカンピオーネが絶対的な強者でないと知らしめる?」

 

 そうだ、と秋雅はウルの問いかけに大きく頷く。

 

「カンピオーネを頂点とした王政は、俺達の圧倒的な力を元にしているといっても過言じゃない。俺達の怒りに触れず、さりとて可能な限り利用する為に魔術師達は俺達に平伏する。だが、その力の理論が大きく崩れたら? 少なくとも、力による王政は崩壊に向かうことになる可能性がある」

「なるほど。そうなれば同時に、カンピオーネを倒せる存在として、彼らは魔術界でも特別な立ち位置を得られる。そうすれば新たなる力の論理によって、彼らが何をしようとも、他の結社は妨害できなくなるでしょうね。あるいは、そのまま彼ら自身が新たな王となりえる……と」

「案外、それが本音の奴も居るかもな」

 

 舌打ちをし、秋雅は面倒くさそうに頭をかく。

 

「思った以上に七面倒な自体が起こるかもしれん。ちょいと警戒レベルを上げておくべきか。幾つかの結社にも声をかけておく必要もありそうだ」

「もう少し、調査を続けてみる?」

「そっちはもう研究の合間に、というレベルで良い。流石に奴らも、ネット上で深い情報を落とすほど馬鹿じゃないだろうから、残りの情報収集は足を使った調査で対応する」

「ネットにつながっていない情報を、私は探れないものね。分かったわ、後は秋雅の手腕と伝手に任せる」

「ああ……まったく、忙しくなりそうだな」

 

 やれやれ、と秋雅は大きくため息をつく。そんな彼の頬にウルはそっと手を伸ばし、優しい手つきで軽く撫でる。

 

「あまり頑張り過ぎないでね? 貴方が本当にやるべきことは、そんな細かいことじゃないんだから」

「分かっているさ。俺だって、自分の向き不向きぐらいは理解している」

「理解しつつ、不向きでもやろうとするのが貴方よ。私も、それは理解しているわ。だからこそ、あまり貴方には、余計な心労をかけたくないの。それも分かって、シュウ」

「ウル……」

 

 そう言って秋雅は顔を上げ、彼を見下ろしているウルと視線を交わらせる。そのまま互いに顔を近づけていき――

 

「――椿、何をしている」

 

 その唇が触れる直前、秋雅とウルは唐突に、その視線を扉の方へと向ける。しばしの物音の後、ガラリと戸が開かれ、ひょこりと椿が顔を出した。

 

「何だ、気付いていたんですね?」

「舐めるな」

「これでも、気配を探るのは得意なのよ」

「みたいですねえ。お風呂で二人きりになっている(・・・・・・・・・・・・・・)みたいだから、ちょっと覗いてもばれないと思ったのに」

 

 ハハハと笑いながら、椿は戸を躊躇いなく浴室内に足を踏み入れる。浴槽の秋雅と、その縁に腰掛けているウルを含め三人になってなお、秋雅の家の浴室は広く余裕があった。これは元々がそうであったのに加え、秋雅がわざわざ手を加えた結果、一般的なそれと比べて随分と広く作られているからだ。

 

「二人きりって、何を想像していたんだか。というか、椿こそその格好は何だ」

「何って、裸ですよ。お風呂だから当然じゃないですか」

 

 平然と、椿は一糸纏わぬ姿のままに胸を張る。中学生ということを考えればそれなりにある胸だが、そうじゃないと秋雅は額に手を当てながらため息をつく。

 

「俺は、何で一緒に風呂に入ろうとしているのか、と聞いているんだが」

「あらシュウ、別にいいじゃないの」

「ウル」

「アハ、じゃあウルさんの許可も出たということで、失礼しますね」

「……好きにしろ」

 

 はいはい、と楽しげに笑いながら、椿は浴槽に入る。大の大人でも三人は余裕では入れそうなそれは、秋雅の隣に椿を加えたところで何の問題もない。もっとも、別の問題が発生はしているといえばしているのだが。

 

「それで、秋雅様達はお風呂で何を? 私はてっきり、恋人らしく淫蕩な行為に耽っているのかと妄想していたんですけど」

「残念だけど、私もシュウもそういう趣味はないの。やるなら寝室だけだから、椿も次はそっちに混ざりなさいな」

「はあい、分かりました」

「誘うな、乗るな、この馬鹿共が。ウルもそうだが、椿、その手のことに積極的に混ざろうとするな」

「あいたっ!?」

 

 朗らかに笑う椿の額を、秋雅が不意に指で弾く。高らかな快音が上がり、椿は痛そうに額をさする。しかし、音ほど痛みはなかったのか。椿は飄々とした様子で、悪戯がばれた子供のように口をとがらせる、

 

「別にいいじゃないですか。私はもう、この身の全てを秋雅様に奉げているんです。だったら、そういうのも奉げ物のうちだと思うんですよ。でしょ?」

「…………せめて、もうちょい育ってから来い」

 

 眉根を寄せながら、秋雅はそんな言葉を口にした。先ほどまでの諦めや呆れの表情からずれ、何処か硬さのようなものが何処となく感じられる。そんな急な態度の変化と、彼にしては珍しい返し。それに何かを感じ取ったのか、ウルは小さく首を傾げながら口を開く。

 

「シュウ、どうかしたの? 確かにちょっと冗談が過ぎたとは思うけれど……」

「……ああ、いや。そうじゃない。別に機嫌を悪くしたわけじゃないから気にするな。まあ、呆れているのは確かだが……」

 

 そう言って、秋雅は見せつけるようにため息を吐く。その様は今度こそ、秋雅らしい態度のようでもある。

 

「ん……まあ、気にしていないならいいわ」

「……それで、結局お二人は何を?」

「ああ、調べ物が終わったからその報告よ」

「それを、わざわざお風呂でですか?」

 

 心底不思議そうな表情で、椿は首を傾げる。そんな当然の疑問に対し、ウルが微笑を浮かべながら頷く。

 

「ええ、報告に来たらシュウはお風呂に入っているようだったから。一息つきたい気分だったし、ついでにね」

「どうせ、後で紙面でも見るからな。別に害もないし、まあいいかと流した」

 

 ウルはその豊かな胸を見せつけながら、秋雅はため息と共にそっぽを向きながら、それぞれに現状の説明を行う。それを聞いて、椿はわざとらしいほどに首をかしげる。

 

「前から思っていましたけど、お二人ともちょっと淡白ですよね。興奮しろ、とまではいいませんけど、もう少し意識とかしたりしません?」

「四六時中発情するほど、秋雅とは浅い仲じゃないもの。それなりに自制も利くし、そもそもあまりベタベタし過ぎるのは性に合わないの」

「椿の恋人像も分かるが、自然体で居られる方がむしろらしい(・・・)だろ」

「言いたいことは分かりますけどねえ…………秋雅様はこんなグラマーな美女の裸を見てまったく興奮しないんですか?」

「グラマー……いやまあ、それはそうだが」

 

 ウルの身体をチラリと見て、秋雅は椿の言葉に同意を示す。確かに椿の言うとおり、ウルのスタイルは非常に整っている。女性特有の魅力的な身体のラインを備えながら、全体的なバランスが抜群に良い。現実的にウルがそうするということはないだろうが、仮に彼女がボディバランスの見える服装をして外を歩こうものならば、その恵まれた容姿も相まって、多くの男女の視線を釘付けにすることは間違いないだろう。

 

「そもそも、ウルさんたちって皆スタイルが良いですよね。胸は当然大きくて、その上背も高いから全体的なバランスの不自然さみたいなのもない。顔も髪も綺麗で非の打ち所がない。秋雅様もそこに惹かれたりしたんですか?」

「いやあ……俺はそもそも、女性の外見にはそれほど興味がないからな……」

「あら、そうなの?」

 

 初耳、とばかりに頬に手を当てるウルに、秋雅は腕を組みながら唸る。

 

「女性に限った話じゃないが、昔からあまりそういうのには関心がないというか。そりゃ、ある程度は美人なほうが良いと言えば良いが、それ以上となるとなあ」

「平均点より上であれば、ギリギリでも満点でも別にいい、みたいな感じですかね?」

「そうなるかね」

「好みとかはないの?」

「あまり気にしたことはないな。強いて言うなら、しっかりとして頼りになるような人がいいと思うが。まあこれは内面の話か」

「ん……それだけです?」

「何が?」

「いや、内面の好みの話です」

「別にないと思うが……何か?」

「…………いえ、気にしないでください。ただの気の所為かもなので」

「それは――」

 

 どういう意味だ、と問いただそうとした秋雅であったが、それよりも早く椿が言葉を発する。

 

「結局、秋雅様としては内面外見共にそれほど拘りはなくて、平均より上であればいいって感じですか」

「……まあ、そうだな」

「でも、前に髪は長いほうがとか言っていなかったかしら?」

「そう……だったか? 覚えていないな……基本的に、似合っていればいいとは思っているが」

「その人次第って感じですか?」

「ああ、そうだな。身体の豊かさとかもそうだが、よっぽど崩れていたり、不自然だったりしなければそれほどどうこうは思わない。髪形が似合わないくらいならともかく、最近だと整形やらで妙なバランスの奴もいるが、そういうのはちょっと気になるな」

「不自然に胸の大きい人とかいますもんねえ」

「……椿、君は妙にそこを気にするな」

 

 思わずジト目で問いかけた秋雅に対し、だってと椿は自身の胸を軽く揉みながら答える。

 

「今、私はまあ小さいですけど、お姉ちゃんのことを考えるとそれなりに大きくなる可能性がありますからね。秋雅様がそっちの方がいいならそれでいいですけど、もし小さい方が好きなら困りますし。それこそ今誘惑しないといけないかもなあ、と」

「……胸の大きさでどうこうとは思わないから、安心しておけ」

「というか、紅葉って大きいの? あまりそういう印象がないけれど」

「着やせするタイプなんですよ、お姉ちゃん。ボディラインが分かりやすくなる服を着たがらないのもあって、あんまり気付かれないでしょうけど。流石にウルさんには負けているでしょうが、たぶんヴェルナさんたちには勝っているんじゃないでしょうか」

「へえ、意外ね、秋雅」

「……そこで俺に振るのか」

「あの娘たちのことも考えると、どうせ貴方は紅葉も椿も抱くと思うから」

 

 しれっと言ったウルを、秋雅は軽く睨む。数秒ほど、柔和な笑みを浮かべたままの彼女と睨みあう秋雅であったが、すぐにため息をつき、再び頬杖をついてしまう。

 

「まったく……どうしてこう、恋人がそういう事を言うんだか。しかも椿はともかく、紅葉まで勝手に」

「まあ私も、お姉ちゃんもそうなるとは思っていますよ。何だかんだ言ってお姉ちゃんもお姉ちゃんで、身体のことを考えると特殊ですし。丸ごと受け入れられるのは秋雅様くらいだろうし、お姉ちゃん自身もたぶんそういう風に思っていますよ」

「そういうものかね」

「はい。ですので、その時は二人で夜這いをかけに行きますね」

「阿呆」

 

 再び、秋雅が椿の額を指で弾く。今度は痛かったのか、額を押さえて唸る椿の頭を軽く触れた後、秋雅は立ち上がって浴槽を出る。

 

「先に上がる。きっかけはどうあれ、入ったのならもう少し温まっていけ。痛い内(・・・)はな」

「じゃあ、私も出ましょうか。椿、また後でね」

「はい…………また後で」

 

 未だに唸る椿を残し、ウルが浴室の戸を開ける。彼女に続き、秋雅も脱衣所の方に移ろうとしたところで、

 

「――気付かれちゃったかな、あれは。まあ、これで私を捨てないでくれるなら、それでもいいんだけど、」

 

 背後から、独り言のような、秋雅に聞かせるつもりであるような、椿の小さな声が聞こえた。そこには、直前まではあった、額に痛みを感じている色はなく、にんまりと笑っているような気配すらある。

 

 それを聞き、秋雅は一瞬だけ足を止めた後、そのまま振り返りもせず、浴室から外に出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、最後のあれはどういう意味なの?」

 

 リビングで髪を拭きながら、ウルは秋雅に流し目を向ける。すると、その隣で水を飲んでいた秋雅はコップをテーブルに置き、ウルに手を広げるようなジェスチャーをする。

 

「ウル、ちょっと手を出してみろ」

「手?」

 

 不思議そうにしつつ、ウルは秋雅の言う通りにする。彼女が広げた手を、秋雅は椿にやったように指で弾く。

 

「痛いか?」

「いいえ、まったく。これがどうしたの?」

「今のが、二回目に椿にやったのと同じくらいの奴だ」

「……これが? 彼女、かなり痛そうだったけれど……」

「で、こっちが最初の奴だ」

 

 もう一度、秋雅がウルの手を指で弾く。先ほどとはあまり代わり映えのしないような放ち方だったが、それを受けたと同時に、ウルの顔色ががらりと変わる。

 

「……本当に一度目がこれ? 私でも痛いと思うレベルよ、これ」

「ああ、こっちが一度目だ。昔師匠に教わった、全く見た目を変えずに威力を変化させる小技なんだが、一度目はお仕置きの意味で割と本気の奴をやった。その結果が、あれだ。一度目はそれほど痛がらず、二度目は大きく痛がった。二度目はオーバーな演技で片付くが、一度目は明らかに変だ。慣れているならともかく、素人が受けたら確実に悶絶するなのに、あの態度は異常としか思えん」

「だったら、あれは……」

 

 推測だが、と秋雅は前置きをした後に言う。

 

「椿はおそらく、痛覚に異常を抱えている」

 

 数秒の沈黙。その後、ウルが眉をひそめながら口を開く。

 

「気にしすぎ、ということは?」

「最後の椿の態度も根拠だ。何もないなら怪訝に思うだろうに、彼女は演技を続けていた」

「彼女も自覚していて、その上で貴方が気付いたことも察したと。まあ確かに、彼女ならやりそうではあるけれど…………原因は?」

「たぶん、例の魔法陣の影響だろう。術の副作用で身体が狂わされたのか、あるいは長期間の苦痛の所為で身体が痛みを受け付けないようになったか。ともかく、痛覚に関してはかなり鈍磨していると思う。今まで露見していないことを考えると、日常生活に支障が出るようなものではないんだろうが……」

「接近戦を教えるとなると、ちょっと厳しいかもね。身体の動かし方や戦闘の痛みを知った上で痛覚が麻痺したならともかく、ろくに知らない状態で教えた場合は、ちょっと無理しすぎる可能性がある」

「痛みに強いくらいならともかく、痛みが分からない場合は身体の限界も見極めにくいからな。身体を動かす方面の訓練はある程度控えておいたほうが無難だろう。元々の呪力量もあるし、椿はそっち方面に特化させたほうがいいだろうな。代わりに紅葉をそっちに特化させることにしよう。その辺り、少し纏めておいてくれないか? プリンセス・アリスの所に渡す分だ」

 

 秋雅の頼みに対し、ウルは真剣な表情のまま口を開く。

 

「そう言うってことは、二人は一度賢人議会に預けると見ていいのね?」

「ああ。あの二人の体質の研究も含め、軽い戦闘面での訓練を頼むつもりだ。後者はともかく、前者に関してはこっちよりあっちの方が専門だし、効率的だろう」

「少し意外ね。てっきり、もしもの可能性もあるからと、二の足を踏んでいると思っていたのだけど」

「悩んではいたが、椿の障害も考えると突っ込んだ調査の出来る施設は必要だ。俺からも言い含めるし、アリス殿は人格者であるから、よほど非人道的なことはされないと思う。王の怒りに触れる愚に関しては、賢人議会ほど知っている結社もいないはずだ」

「確かに、ね。分かったわ、諸々のことも含め文書を作っておく」

「頼む。こっちもこっちで、色々とやっておくことがある」

「やっておくこと?」

 

 ああ、と秋雅は頷き、前々から考えていたことを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いい加減、自前の結社のことを持とうかと思ってな」

 

 

 

 

 




 ゆっくりになるでしょうが、新章を始めていきます。どちらかというと、今章は次章以降の繋ぎみたいな形になるかも。まあ、その辺は書いていけばはっきりすると思います。


 余談ですが、本文中で秋雅が言っていた女性の好みはちょっと誤りがあります。外見はともかく、内面はしっかりしていて頼りになる人がいいと言っていますが、実際はそれに加えて『自分に依存してくれるような人が好き』という、完全に無意識の願望を持っていたりします。その所為か、彼の周りには狂信者かそれの一歩手前くらいの人が結構多かったり。ノルニル姉妹だったり、草壁姉妹だったりが彼の傍にいるのも、三姉妹の中でも実はもっとも重症のウルを一番においている理由もそれといえばそれです。まあ、本人は気付いていないし、周りでもそれを勘付いている人はほとんどいません。まさかそんな性癖があるとは思いませんからね。辛うじて椿だけが、ひょっとしたらひょっとするかも、というレベルで可能性に上げているだけ。最後の彼女の発言もこれに寄るものなわけですね。ある種、彼女が一番の人外と言えるかもしれません。



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