トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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果たしてこれは悲劇となったか

「……落ちたか」

 

 呟き、秋雅が護堂の胸から剣を引き抜く。支えを失った護堂の身体は倒れ、地に伏す。その動きに護堂の意思が介在している素振りは、当然のように見られない。

 

「護堂さんっ!?」

「いけません、祐理さん!」

 

 思わず駆け寄ろうとした祐理を、甘粕がその腕を掴むことで止める。たたらを踏むことになった祐理だが、それに構う素振りも見せず、その視線はただひたすらに護堂へと向かう。必死に過ぎるその反応だが、それも無理からぬ話だろう。今まで苦戦や焦燥こそあれ、草薙護堂という男がここまで完全に敗北した姿を、祐理は見た事が無かった。あるいは、これからもそういう姿を見ることはないと、心の何処かで思っていたかもしれない。心配こそ多大なまでにさせるが、そういう意味で悲しませることだけはない。そんな風に、祐理は草薙護堂という、一種の規格外の男の事を信頼していた。

 

 だが、目の前の光景はどうか。信頼する護堂は死に瀕しており、彼をサポートするはずのエリカやリリアナも、相対した者達の所為で行動不能の状態となっている。何かしなければ、と祐理が焦りを募らせ、極めて理性的ではない行動を取ろうとしているのも当然といえば当然であった。

 

「落ち着け、万里谷祐理。先に宣言した通り、私に草薙護堂を殺す気はない。戦いの結果、というのならばともかく、今この状況から彼の命を奪おうとは思わん」

 

 そんな彼女に対し、秋雅は無感情な瞳を向けながらゆっくりと告げる。その口調は冷淡で、ともすれば冷徹であるようにも感じられる。しかし不思議なことに、その瞳の中に殺意の色はまったくといっていいほどに見られない。彼は本当に、護堂を殺す気など無い。そのことを、祐理は不思議と理解できた……いや、理解させられたというべきだろうか。彼が放つ、威厳とも威圧とも思われる王者の気配。思わず身体を硬直させるほどの――しかし全く恐怖は感じないのが、何処か不気味にも思える――それが、祐理の焦る意思すら飲み込み、彼女に秋雅の意思を刻み込んでいた。故に、祐理はその場で立ちすくむ。恐怖ではなく、それが当然であるというように、祐理の脚は全く動かなくなる。

 

「理解できたようだな。であれば、とにかく今は動かないでもらおうか。ここまで来て邪魔はされたくないのでね。君も、理解できるだろう?」

 

 最後の言葉のみ、秋雅の言葉は祐理へと向けられたものではなかった。それは彼女の背後の、甘粕に対する確認――いや、命令だ。

 

「……承りました、王よ」

 

 その言葉と共に、甘粕の祐理を抑える力が僅かに強くなった。それは祐理に邪魔をさせないという甘粕の意思の表れであり、秋雅という王に彼が膝を屈した証でもある。

 

「それでいい。何もしなければ、草薙護堂を含め、君たち全員の命は保証する」

 

 逆説、歯向かえば容赦しない。言外にそう示しながら、秋雅はその場から消える。次の瞬間、ここから遠く離れた、椿達が待つ場所に再出現するのを祐理は視界の端で確認する。

 

 しかし、そうして秋雅が離れた後も、祐理はその場から動けなかった。倒れ伏す護堂に駆け寄ることも、椿に何かをしようとしている秋雅に反応もせず、ただただ立ち尽くしている。

 

 無論、甘粕が彼女を抑えているからというのもある。秋雅がその場を離れようとも、甘粕は決して祐理の腕から手を離さず、彼女が脚を動かすのを阻害しているのは確かだ。しかし、それとは関係なく、精神的な意味で祐理は身体を動かすことが出来ない。それほどまでに、彼女は秋雅の圧に飲まれ、影響を受けていたのだ。

 

 かつて、暴虐の王(ヴォバン侯爵)に逆らったこともある彼女がそうなっていたのは、それが恐怖によるものではないからだ。強いて言うならば、それは義務感に近い。それほどまでに、秋雅というカンピオーネの気配は重く、濃厚で、強烈であった。あるいはこれが、護堂が倒れる前であれば、ここまで祐理に影響を及ぼすことも無かったかもしれない。護堂という柱が完膚なきまでに敗れた――特に、祐理の目の前で――というのは、彼女にとってこれ以上ないというくらいに衝撃的なことであったのだろう。

 

 

 

 

 果たして、そのまま動けぬままにどれほどの時間が経ったのだろうか。客観的には精々数分であったのだろうが、祐理にはその数十倍もの時間が経ったかのように感じられた頃、ふと周囲の風景が一変した。四方を包む壁に大きなベッド、まがまがしさなど欠片も無い白い光に自分達が元の空間に戻ってきた事を理解し、祐理はハッと自意識を取り戻す。

 

「戻って…………」

 

 祐理の口から漏れた言葉が、突如として途切れる。その視線の先にあるのは、秋雅の腕の中に抱えられた椿の姿。その目は閉じられ、腕はだらりと力なく揺れている。特に目を引くのは、袖口に見える蔦のような刺青が、端から徐々に崩壊している様。その現象の意味を、祐理はあの空間に移る間に聞いている。

 

 つまり、

 

「椿さんが、死んだ……?」

 

 呆然とした面持ちで呟いた祐理を気にする素振りもなく、秋雅は無言のままに歩き出した。その先にあるのは病室の入り口であり、ヴェルナと名乗った少女たちもまたそれに続く。

 

「――待ってください!」

 

 思わず、祐理は叫ぶ。しかし、それに対し秋雅は何の反応も見せない。その価値も、意味も無いと言われているように祐理には感じられる。

 

 それでも、それでもなお、祐理は問いたかった。

 

「何故、椿さんは死ななければならなかったのですか!? 何故!?」

 

 理屈の上では分かっている。そうしなければ、多くの被害が出たであろう事など理解していた。言うなればそれは、草壁椿という少女が背負った運命への問いだ。どうして椿なのか。どうして椿でなければならなかったのか。何故、このような理不尽がまかり通ってしまったのか。そんな決してやりきれないものから来た、感情の問いかけだ。

 

 その問いに、秋雅は答えない。聞く耳持たぬと言いたげに、ただ無言のままに彼は椿の遺体と共に部屋を出る。少女たちも続く中、最後に残った紅葉が、ふと祐理に振り向いて口を開く。

 

「……それが、必要だったから。たぶん、ただそれだけだと思います」

「それを貴女が――椿さんのお姉さんである貴女が仰るのですか!?」

 

 冷淡過ぎる、と憤る祐理の前で、紅葉は淡い微笑を浮かべ、言う。

 

「では、貴女に何が出来ましたか? あの子の先輩でしかない貴女に」

「っ! それは……」

「何も出来ていないですよね? 私も、貴女も、ただ信用して待っただけ。貴女は草薙さんを、私は秋雅さんを。そして、私が信じた秋雅さんが勝ち、貴女が信じた草薙さんは敗れた」

 

 静かにそう言って、紅葉はほんの僅かに口元を歪める。それは微笑みか、はたまた嘲笑か。祐理にはそのどちらとも理解出来ない。

 

「分かります? 貴女達は草薙さんに賭け、私達(・・)は秋雅さんに賭けた。ただ、それだけです。それだけなんですよ、これは。そして、その結果はこれから分かる(・・・・・・・)でしょう。じゃあ――」

 

 ――さようなら。

 

 

 最後の言葉を残し、紅葉は部屋を出て行く。後に残ったのは、ただ呆然としている祐理に、深いしわを額に刻む甘粕、そして床に倒れ伏している護堂達のみ。

 

「……とりあえず、皆さんの入院手続きを始めますね」

 

 そんな、電話を取り出しながら言った甘粕の言葉が、何処か虚しく病室内に響くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから二日後。そろそろ日も落ちるだろうかという頃合に、エリカはリリアナの部屋にいた。時間的には学校の放課後に寄ったようにも思えるが、生憎と今日エリカは学校に行っていない。

 

 身体に異常があるわけでもないのにそうしたのは、単にそういう気分でなかったのと、少し身体を動かしたいという欲求から、リリアナと共に一日中剣を振るっていたからだ。今は言うなら、運動後の休憩タイムとでも言うべき時間であった。

 

「……ようやく、気も治まってきたわね」

「ああ、そうだな……」

 

 紅茶を飲みながらエリカがしみじみと言うと、リリアナが静かに同意する。未だにエリカの胸の中に残る、じくじくとしたやりきれない何か。生真面目なリリアナがエリカのサボりの誘いに乗ったのも、おそらくは同じ思いがあるのだろうとエリカは考えている。自分もそうだが、今日のリリアナの剣には何処か荒々しいものがあったのもその理由だ。

 

「まったく、今回は醜態をさらしてしまったわ。武器無しとはいえ、私達がああも手玉に取られるなんて」

「あちらの技量もあるが、やはり私達の油断だろうな。草薙護堂が稲穂秋雅に対し意思表示した時点で、武器を手元に呼び出していれば良かった話だ」

「そうね。相手が相手とはいえ、少し平和的解決を意識しすぎたわ。仮にもカンピオーネ同士の会合なのだから、あのような結末になる可能性をもう少し真剣に考えておくべきだった」

「稲穂秋雅のキャラクターを考えれば、そう油断するのも当然だ……というのは自己弁論なんだろうか」

「さあ、どうかしらね」

 

 それにしても、とリリアナは呟く。

 

「負けたとはいえ、今回は妙に残る(・・)ものがあるな。敗北が当然というわけではないが、今まで負けてきた経験など幾度と無くあるのに、私も貴女も妙に引っかかっている」

「……たぶん、最近私達が戦ってきたのが、まつろわぬ神やカンピオーネだったからよ。勝利などまずない絶対的な相手ではなく、なまじ良くやれば私達でも十分に勝てるだろう相手に負けた。久しぶりに、敗北や苦戦を悔しいと思えているんでしょうね、私達は」

「なるほど、な……」

 

 武器があれば、もう少し技量があれば、後僅かに運が微笑めば。そうすれば自分達は、ひいては草薙護堂は勝てたかもしれない。そんな、手が届く場所にあった勝利を逃がした事が、二人の後悔に繋がっていた。おそらく、これはもう少しの間は残り続けるだろう。そんな風に、エリカは漠然と思っている。

 

 こうして考えると護堂の、あの良くも悪くも後に続かない性格が羨ましく思えないこともないのだから不思議だ。流石に今回は多少堪えたのか、翌日などはやや暗い雰囲気であったのだが、今日はもう――少なくとも表面上は――いつものように戻っていて、平然と学校に通ったようである。学校に通っただろう、と想像が出来るという意味では祐理もそうだが、彼女に関しては単にそういう理由で学校をサボろうという発想が無いと思われるからだ。通いはしてもあまり元気が無かったであろうことは想像に難くない。何となく、エリカたちがいない事もあってまた何か噂をされそうな予感もするが、どうでもいいといえばいい話だと、エリカは自身の想像に対しそのような感想を抱く。

 

 などという、比較的どうでもいいことを考えても、やはりエリカの胸の中にある後悔は薄まる気配が無い。仕方がないものだ、と思いつつ紅茶のカップに手を伸ばすと、リリアナもまた同じく手を伸ばしていくことに気付く。

 

 彼女もまた、同じように流し込みたいと思っているのだろうか。そんなことを思いながら、エリカはリリアナと合わせる様にカップを口元で傾ける。

 

 どちらもが紅茶を嚥下する間に生まれた、僅かな沈黙。それを、カップをソーサラーに置き直す音で破った後、リリアナは口を開いた。

 

「なあ、エリカ。一つ、気になっている事があるんだ」

「気になっていること?」

「ああ。最後に、草壁紅葉が言っていたことに関してなんだが」

「賭けた云々のこと? あれはそこまで意味があることだとは思えないけれど」

 

 あの時、地に伏していたエリカとリリアナであるが、あくまでそれは身体的な自由が利かなかっただけであり、意識や五感などはしっかりとしていた。そのため、あの時に交わされた会話に関してはしっかりと記憶している。しかし、その中になにか引っかかるものがあっただろうかと、エリカは思い出しながら小首を傾げる。

 

「いや、その後だ。彼女は『これから結果が分かる』と言っていただろう? あの言葉がどうにも引っかかる」

「……言われてみれば、そうね」

 

 確かに、改めて口に出されると、その言葉は些か変だ。指摘されるまで自分が気付かなかったということに、頭もまだ上手く回っていないのかと自虐しつつ、エリカは唇を指でなぞる。

 

「草壁椿が死亡した以上、もう何か結果が出るような事象は発生しないはず。だけど、草壁紅葉の言葉は、これ以降で何かが起こる、あるいは分かるという意味に取れる。これはおかしい。そういうことね?」

「ああ。色々と考えてはみたんだが、どうにも納得がいくものが出てこないんだ。そもそも、今回の事件は解明されていない不思議が多すぎる。特に引っ掛かりを覚えるのは――」

「何故、稲穂秋雅がわざわざ出張ってきたのか。そして何故、稲穂秋雅は草壁椿をすぐさまに殺さなかったのか。護堂との戦いであれだけ合理性を追求した戦い方をしておきながら、その二点に関しては矛盾している。そういうことね?」

「そうだ」

 

 改めて考えてみると、それ以外にも細く上げればきりがないほどに疑問は湧いてくる。個々の解消は出来ないが、だからこそ分かる答えもある。

 

 それは、

 

「あの一件には、私達の知らない『続き』がある、ということね」

「あるいは、続きがあった、かもしれないがな。どっちにしろ、今ここで考えるには情報が足りない。ここでも情報不足になるとは、やはり今回はあちらの手の中だったか」

「悔しいことに、ね」

 

 はあ、と二人揃ってため息をついた。考えてはみたものの、やはりどうしようもない。そんな結論しか出せないのだな、とどういう感情によるものか判断が難しい感想を抱いていると、ふとエリカは自身の携帯電話が震えていることに気がついた。

 

 誰からだろう、と思って画面を見れば、そこには彼女の最愛の人の名前が表示されていた。別に構わないだろうと、リリアナに断りを入れるでもなく、エリカはそのまま電話に出る。

 

「――はあい、護堂。一体どうしたの?」

『エリカか? ああ、その、問題……ってわけじゃないが、ちょっとな。エリカたちにも知らせておいた方がいいだろうってことになったんだが……』

「随分煮え切らない言い方ね。そんなに変なこと?」

『変って言うか、なんて言うか。届いたものは普通なんだが、届いた事がおかしいって言うか……』

「護堂? 分かりやすく、簡潔に教えてくれる?」

 

 一体何だというのか。どうにも混乱しているらしい護堂に、エリカは僅かに苛立ちながら尋ねる。すると、護堂は一呼吸ほど置いて、

 

『万里谷と静花に手紙が届いたんだ。その…………草壁椿さん、から』

「え?」

『――彼女、生きているらしい』

 

 その言葉に、怪訝そうな表情を浮かべるリリアナの前で、エリカは驚愕から大きく目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン、とノックの音が響く。

 

「――はい、どうぞ」

 

 一拍の後、まだ幼さの感じられる少女の声が室内から届く。それを確認し、秋雅は病室のドアを開いた。

 

「失礼するよ」

「――秋雅様! お見舞いに来てくれたんですね!」

「ああ」

 

 入室した秋雅を見てベッドから身を起こしたのは、中学生くらいの年齢の少女だ。彼女は読んでいたらしい本を傍にどけ、満面の笑みを浮かべて秋雅を迎え入れる。

 

「元気そうだな、椿」

「はい、もうだいぶ良くなりました」

 

 秋雅の確認に少女――草壁椿は元気良く頷いた。かつての、痛みのために陰のあった表情とはまるで違う、朗らかで嬉しそうな笑みに、秋雅もまた柔らかい微笑を浮かべる。

 

「そうか。それなら、良かった。何せ君は、今までそう類のない患者だからな」

一回殺された後、殺した相手に蘇生される(・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・)なんて、そうあるとは思えませんしねえ」

 

 以前、スクラが提案した、曰く使い古された手。一度椿を殺し、彼女にかけられた術が自壊した後、彼女を死の向こう側から引っ張り戻す。殺す以外に手がないなら、殺した後で生き返らせればいい。それが、もはや手遅れであった彼女を救うために、秋雅と紅葉、そして椿が選んだ逆転の一手であったのだ。

 

 無論、言うほど簡単だったわけではない。蘇生可能な状態で死亡させられるか。術の自壊が蘇生可能なレベルの時間内で終了するか。蘇生後、術が再始動しないか。そして、死亡後に致命的な後遺症が出てしまわないか。他にも細かいものをあげればきりがないほどの不安要素はあった。

 

 それを可能にしたのは、秋雅の持つ『実り、育み、食し、そして力となれ』による、人体への負担を最大限軽くした殺害と蘇生だ。これがもし、他の魔術ないし現代の医療技術を用いての策であれば、今椿はこの世にいないだろう。非常に難しい賭けであったが、最終的に運は彼女達に向いてくれた。結果、椿は二つの後遺症(・・・・・・)を除き、五体満足で今も生存している。

 

「何か、不自由はあるか?」

「そうですねえ。強いて言うならご飯ですかね。味に不満は無いんですけど、こう……もっとがっつり食べたいです。お肉とか、お魚とか」

「まあ、その辺は病院だからな。退院したら祝いに好きなものを奢ろう。何でもいいぞ」

「本当ですか! やった、その言葉でよりいっそう元気になれそうです!」

 

 彼女の今にも飛び跳ねそう勢いの喜びっぷりに、秋雅も楽しげに笑う。これほど無邪気で元気な様子を見ると、自然と見た側の頬も緩むというものだ。

 

「その調子なら、退院もそう遠くはならなさそうだな。体力もだいぶ戻ってきているようで何よりだ」

「それでも結構落ちていますけどね。当分はゆっくり生活しないとだめっぽいです」

「それがいい……呪力の方はどうだ?」

「相変わらずですね。今はいいですけど、限界が来ると風船の気持ちが分かりますよ」

「術の影響で呪力の器が大きくなっているだけマシなんだがな。呪力吸引体質とは、実に厄介だ」

 

 椿に残ってしまった二つの後遺症。正確には術の影響による体質の変化だが、その一つは紅葉と同じ呪力の器の拡大だ。ただし未だ限界の測定が出来ていないあちらと違い、一般的な魔術師十数人分という限界――それでも、他の魔術達からすれば垂涎ものだが――があった。そしてもう一つが呪力の吸引、つまり周囲にある呪力を勝手に吸い取ってしまうというものだ。生物や物品に宿っているものは無理だが、大気中や地脈を投げる呪力を吸い取り、彼女の中の器に入れるというものである。これらにより、カンピオーネには遠く及ばないとはいえ、今の椿は単独で儀式レベルの大規模な魔術を扱えるだけの下地を得ることとなった。

 

 とはいえ、あえて後遺症と称した通り、これらは決して椿にとって利となるものだけではない。いや、前者の器の拡大はまだいいのだが、呪力吸引体質の方があまりよろしくない。

 

 この呪力吸引体質だが、椿の状態に寄らず勝手に周囲の呪力を吸収してしまうのだ。たとえ器が一杯の時でもお構い無しに吸引してしまうので、せっかく拡大化した器でもいずれ限界となってしまう。それでもなお吸引し続けるので、椿の例えのように膨らんだ風船に空気を入れ続けるような状態、つまり身体を内側から押し広げられるような苦痛を味わうことになるのだ。勿論、そのまま放置すれば文字通り弾ける(・・・)こととなるだろう。

 

「まあ、解決策があるだけマシだがな。今日は誰が?」

「室長さんですね。お姉ちゃんと一緒に私の呪力を移してくれました。まあ、お姉ちゃんはまだ下手糞みたいですけど」

 

 呪力が一杯になるなら、その前に移してしまえばいい。単純だが、それがこの問題の解決策だ。移す先に関しても、幸いなことに紅葉という、まるで限界の見えない相手がいる。まあ、正確には先送りのようなものなのだが、根本的な解決手段が無い以上、これを解決策としても別に構わないだろう。いずれ椿自身が呪力の使い方を覚え、紅葉と二人で受け渡しが出来るようになれば完璧、と言ったところだろうか。

 

「紅葉もそうだが、君も出来るだけ早く慣れてくれ。君が魔術を扱えるようになるのが一番手っ取り早いんだからな」

「適当に浪費すればいいってことですもんね、これ。私ももう痛いのは嫌なんで、早く覚えるつもりです」

「それで頼む。こっちも協力は惜しむつもりはないから」

「了解です」

 

 ビシ、とわざとらしい敬礼を椿が見せる。それは別にふざけているのではなく、彼女なりに本気を見せているのだと、秋雅は何となく理解している。彼女が秋雅の事を様付けで呼ぶのと同じだ。口調こそは軽いが、実際は紛れもない感謝や敬意を秘めている。ただ、それを真剣な形で表現するのを好んでいないというだけであり、また相手もそのことを理解していると分かっているからこその行動なのだ。

 

 だから秋雅も、そんな彼女の行動を好ましく思い、それを放置している。でもなければ、いくら椿に対してカンピオーネという存在を説明したといえ、この歳の少女から敬称付きで呼ばれる――しかも、その姉は普通にさん呼びなのだ――のは避けただろう。なお、それらの説明をした上で秋雅の口調が素なのは、将来的に姉と同じ立ち位置になるだろうと分かっているからだ。姉に対しては素で、妹に対しては格式ばって、というのが面倒だったというのもある。どうにも最近、素を見せる相手が増えてきたが、それもまたいいかと何となく思っている秋雅である。

 

「あ、そうだ!」

 

 敬礼を終えた椿が突如、パンと手を叩く。非常に分かりやすい、思い出したと言いたげな動作だ。

 

「どうかしたのか?」

「いえ、そういえば手紙を出させてもらったお礼をしていなかったなと。改めてありがとうございました、秋雅様」

「ああ、そのことか」

 

 椿の礼を受け、秋雅は頷く。

 

「あの程度なら別に構わんさ。一応、こっちの都合で学校を辞めさせることになったんだ。万里谷祐理と草薙静花に手紙を出すくらい軽いものさ。まあ、書く内容は指示させてもらったんだが」

「静花ちゃんには突然の転校の、先輩には私が生きている理由と気を病ませたことへの謝罪だけってことでしたね。今更ですけど、先輩には生き返った云々とかも書いたんですが大丈夫でしたか?」

「検閲させてもらったが、俺に関して突っ込んだことは書いていなかったからな。問題ないと判断したから、どちらもそのまま届くように手配した」

「届いたなら良かったです。このまま放置しっぱなし、というのはちょっと気が引けたものですから。それに、秋雅様が賢い人(・・・)だってことも分かりましたか」

「……どういう意味かな?」

「だってそうでしょう?」

 

 眉をひそめた秋雅に対し、椿がわざとらしく首を傾げる。

 

「わざわざ私の生存を向こうに伝えるのは、マイナス寄りになったであろう心象をプラスに持っていくためでしょう? 何で隠していたんだ、と静花ちゃんのお兄さん辺りは思うでしょうけど、もし失敗した時の為に責任感を抱かせない為の配慮だって、あの騎士さん達は説明するでしょうし。秋雅様には敵わない、と思わせることも出来るかもしれないですしね。仮にそうならなかったにしても、別に何かが悪化するわけでもないんだから、賢い手だと思いますよ?」

「……それが素か?」

「やだなあ、ずっと素ですよ」

 

 ケラケラと、秋雅の詰問に椿は笑ってみせる。それは確かに自然な笑みであるのだが、秋雅に睨まれながら浮かべるにしてはあまりに軽すぎるものだ。秋雅の威圧に気付かない馬鹿、というわけではあるまい。気付いた上で、あえてそういう振る舞いをこの少女はやっているのだと、秋雅は理解する。

 

「大体、素がどうのって話なら、秋雅様もそうじゃないですか」

「――()が何だと?」

「それですよ、それ。今私を威圧してでも、どういうことかを知りたいと思う。後に私との関係が悪化する可能性よりも、私の言葉を探る事を選んだ。秋雅様って、実は取捨選択を迷わない……違いますね、見捨てる事を躊躇わないタイプでしょ? 優先順位をきっちりつけて、その時になったら絶対にどちらかを選ぶ。十のために一を切る、あるいは一のために十を切るって選択をきっちりする。絶対になあなあにはせず、選んで、選んで、選ぶ。もし仮に……そうだな、ウルさんが危険な状態になったとして、それを解消する為に私と、まあついでにお姉ちゃんを殺す必要があるとしたら、何の躊躇も無く殺しますよね? 秋雅様って、そういう人に見えます」

 

 違いますか、と椿は問う。それに無言のまま、まったく応えない秋雅に対し、また笑いながら椿は続ける。

 

「今回だって、実は私の生存なんてどうでもよかったんじゃないかと思っています。秋雅様からしたら、私の生存なんか(・・・)よりも、この国が守られる事のほうが優先順位は高かったんでしょ? 静花ちゃんのお兄さんとわざわざ戦った理由は本当に情報収集なんでしょうけど、私を助ける事を本線に置いているなら、そんなことやっている暇ないでしょうし。あえてそうしたのは、私の生存よりもあちらのことを知るほうを優先させたから。合理的というか、打算的というか、まあ割と計算で動いていますよね、秋雅様って。勿論、日常でのどうでもいいときは別でしょうけど」

「……そう思っていながら、何故それを言う。私がそれを不愉快に思い、お前を害するとは思わなかったのか?」

 

 王としての態度のまま、秋雅は静かに問う。たかだが中学生相手に、とは思わない。それなりに本気(・・)を出す必要性のある相手だ、と秋雅は目の前の少女をカテゴライズする。手玉に取られるなどということは流石にないが、こちらもヘラヘラと笑いながら話をする状況ではない。

 

「別に? それならそれでいいかなー、と。あんまり深く考えて話しているわけじゃないんで」

「死に掛けたからこその達観か?」

「分かった事を素直に言うのは昔からですよ。秋雅様が怒る可能性を考えなかったのは、単に私がもう、秋雅様に『全賭け』しているからです」

「……私の意のままと」

「アハ、頭のいい人との会話は楽チンですね。その通り、私の生殺与奪はもう、秋雅様に全部預けたってことです。あの時、私は秋雅様の言葉を信じて、お姉ちゃんと一緒に秋雅様に賭けました。もうどうなってもいい、わずかな希望に賭ける、って風に。その結果が今です。死にたいと思った私を死なせてくれた上に、生き返らせてすら貰った。これはもう、十分すぎるほどの大満足。申し分ないほどのペイバックって奴じゃないですか。だから、私の全てはもう、秋雅様のものなんです」

 

 ニッコリと笑いながら、椿は宣言する。

 

「秋雅様がくれた命なんだから、秋雅様が要らないならそれまででいいと私は思います。秋雅様なら要らないと思っても、放り出しはしないでしょう? 私くらいの立ち位置なら、秋雅様は自分で殺すと思うので、まあいいかなあと。貰った命なんですから、秋雅様になら納得できます」

「……中学生らしからぬ、狂人だな」

「それ、本心です? 他の人はそう思うでしょうけど、秋雅様ならある程度納得していそうな気がしますよ」

 

 椿の指摘に、秋雅は軽く眉をひそめる。それは彼女の指摘が、ある程度正鵠を得ているという何よりの証左だ。そのことに椿もまた気付いたのだろう。やはりカラカラと、彼女に似合いで、しかしこの状況に似合わぬ無邪気な笑い声を上げる。

 

「で、どうします? 真面目に話すなら、殺すときはお姉ちゃんに適当な言い訳を考えてくれると嬉しいなと思っているんですけど。あんまり何度も、お姉ちゃんを悲しませたくはないので」

「…………安心しろ。その気はない」

「私に、役に立つ要素がありました?」

「ウル達の特徴」

「ああ、そういうことですか」

「いずれは外交を任せる」

「腹芸、無理ですよ?」

「相手が分かれば十分だ」

「それだけで成り立ちます?」

「ああ」

「なら了解です」

 

 繋がらぬように思える、不可思議な会話。だが、この二人の間ではきちんと意思疎通が出来ている。秋雅は椿に、対人関係が壊滅的なウル達に代わって外交役をやれと命じ、それを椿が受け入れた。内容としてみればそれだけなのだが、互いに最低限ないしは歯抜けに話すものだから、常人には奇怪に思われることだろう。

 

「一つ、確認したい」

「はい、なんでしょう?」

「紅葉は知らないんだな?」

「知っていたら秋雅様にも言っていると思いますよ。お姉ちゃんは多分、何も気付いていません。私のこういうところも、私がお父さんたちのことに気付いていたことも」

「だろうな。紅葉は、君は気づいていないと言っていた」

「気付いていない振りしていましたからね。気付けば無理しそうだったし」

「……愛されていない場所から出るために、か」

「そういうことです。あまり気に病んで高卒で急いで働く、とかしそうかなあと思いまして。別にネグレクトされていたわけじゃないんですから、支援してくれる間は受け取っていた方が楽でしょう?」

「一理あるが……そう考え始めたのはいつからだ?」

「さあ? 結構前です」

「大人びたにしても、随分と過ぎたものだな」

「あれ、知りません? 女の子って、案外早熟なんですよ?」

 

 コテン、と可愛らしく首を傾げ、まさしく天真爛漫と表現するに相応しい笑みを椿は浮かべた。それを見て、秋雅は毒気が抜かれたような表情を浮かべた後、

 

「……ハッ、確かにな」

 

 何かを吐き出すように笑って、秋雅は膝の上で頬杖を付いた。既に、気配はいつものそれに戻っている。もう十分だ、と言いたげな秋雅の変わりように、椿はもう一度ニッコリと笑い、大きく背伸びをする。

 

「んー……っと。いやあ、何時殺されるかと冷や冷やしました」

「嘘つけよ。そんなこと、まるっきり思っていないだろ。喜怒哀楽のバランス、何処で狂わせたんだか」

「さあ、生まれつきですかね? まあとりあえず、使えると思ってもらえたならなんでもいいです」

「有能で人格に問題ないなら大体は抱え込む。それが、合理的かつ計算高い行動だからな」

「皮肉っぽい言い方しますねえ。当て付けです?」

「どうかな」

「わあ、大人げない」

 

 ハハ、と笑い声を上げる椿に、秋雅も小さく笑う。ひとしきり笑いあった後、ポンと膝を叩き、秋雅は立ち上がる。

 

「さて、じゃあそろそろ帰るよ。今日は思いがけない収穫があった」

「またのご来店をお待ちしておりまーす、なんて」

「ああ、今度は紅葉がいるときに来る。じゃあな、俺のモノ」

「また今度、私の全て」

 

 そうして、手を振る椿に後ろ手で返しながら、秋雅は病室を出る。そして、ちらりと通ったばかりのドアを見て、

 

「……本当に中学生なのかね、彼女は」

 

 呟き、どうでもいいかと秋雅は軽く頭を振る。そして今度こそ、秋雅は誰もいない廊下を歩き始めるのであった。

 

 




 使い古された手段で助けられた犠牲者枠に見せかけ、実は秋雅陣営の中でもトップクラスで狂っている椿でした。僅かな情報から相手の本質を理解する洞察力を持ちながら、何処かゾッとするものがある。とはいえ闇があるわけではなく、まっすぐでおかしいってだけなので別に問題が起こったりはしないと思います。まあ、この時点で既に秋雅に全部奉げているとかいう子なので、ハーレム関係で騒動が起こる可能性がありますが、その場合も紅葉が動揺する程度かも。と言っても、中学生を相手にする秋雅でもないんですが。せめて後数年は経たないと手は出さないと思う。

 時間がかかりましたが、これで今章は終わりとなります。閑話を挟んだ後、次章に続きます。閑話は多分、護堂とドニの会話、そしてドニと秋雅のかつての戦いを書くつもりです。





 以下、全体的な後書き。思いつくものがないので、今回は秋雅について二つほど補足しておきます。

 まず秋雅の性格ですが、今回椿が語っていたように、慈悲深いように見えて実際は駄目ならばっさり切り捨てるタイプです。何事にも優先順位を決めていて、これを絶対に守る。彼にとって最上位の対象はウルなのですが、もし彼女か国ひとつかとなったら間違いなくウルを選ぶ。必要なら千だろうが万だろうが殺せるというのが彼の本性です。それで何故周りからは慈悲深いと見られているかと言うと、結果的に何もかも救ってきたから、というだけです。今回の椿が良い例で、秋雅自身は椿が死んでもいいと思っていたけれど、まあ生きることになったので紅葉からは感謝されているみたいな感じです。で、もし今後犠牲が出たとしても、秋雅様でも犠牲を免れないほどだったのだと思われ、納得されてしまう。行動はそのまま評価に繋がるということですね。


 もう一つ、彼の権能について。彼の権能は基本的に、使い勝手の良さや応用力に重きを置いて考えています。その分最大出力や破壊力は他のカンピオーネにやや劣る部分もありますが、組み合わせるなどして補うといったところです。純粋に破壊力のみなのは『終焉の雷霆』ぐらいじゃないでしょうか。元々は護堂を意識して考えていたわけはなかったのですが、結果的にみると色々対照的な感じになりました。一応、権能は後もう少し増える予定です。原作者の方から他の王の隠されていた権能も明らかになった今、少しばかり多すぎじゃないかと思われる秋雅の権能の数ですが、これにも一応理由があります。これに関しては、上手く回れば次章で触れることになるんじゃないかなと思います。

 と、こんなところで。疑問等に関しては聞かれれば内容次第で応えると思います。そんな感じで、今回はここまで。




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