トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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天神、顕現

「…………ほう」

 

 ふと、『彼』は目覚めた。何がきっかけというわけでもない。ただ、目覚めた。それだけであった。

 

「うわっ?!」

 

 『彼』が最初に聞いた声は、男の驚いた声だった。そちらへと目を向ければ、そこには何とも珍妙な格好をした男がいる。

 

「……否」

 

 違うな、とすぐに自身の考えを否定する。これが、今のこの世の格好なのだろうと。しかし、どうでもいいことだ。

 

「お、おい。アンタ、一体何処から出てきたんだ? てか、何だその格好? 平安時代か何かかよ」

 

 ポンと、『彼』は誰かしらに肩を叩かれた。その馴れ馴れしさに、『彼』は不愉快そうに眉をひそめる。

 

「無礼な」

 

 呟きと共に、その身体から火花が舞う。

 

「ぎゃっ!?」

 

 同時、『彼』の肩を叩いていた男が悲鳴を上げて倒れた。何事か、と視線を送る周囲の人々など気にも留めず、彼はただ天空を見上げる。

 

 

 ゴロゴロと、頭上より音が聞こえ始める。先程まではまだ、曇り空と言うべきだった空が、瞬く間に雷雲へと変わっていく。

 

「――さあ、始めようぞ」

 

 『彼』はその身に宿っている力を、否、本能を解放する。『彼』がまつろわぬ神たる、その力を。

 

「さあ、参ろうぞ!」

 

 雷鳴と共に、まつろわぬ神は――天神、『菅原道真』は大きく叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やっとついたか!」

 

 大宰府の一角。そこに突如として、稲穂秋雅の姿が現れた。そこではまるで、天を枯らし、地を沈ませるのではないかと錯覚するほどの豪雨が降り注いでいた。いかに梅雨とはいえ、異常といっていい雨量に、秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

 雷音が辺り一帯に響く。その数たるや、一や二ではきかない。十、二十の雷が天より落ちていく。地を焦がし、人の造形物を破壊せんとする光だ。

 

 辺りに人の姿はない。異変に気づき、その全てが自主的、あるいは他者に引きずられる形で避難をしたためだろう。

 

 

「やってくれているな」

 

 その身を思い切り濡らす雨をものともせず、彼はキッと天を睨む。確かに、頭上の雷雲はまつろわぬ神の呪力を漲らせているということが、秋雅には分かった。

 

「あの中か? ……いや、違うか」

 

 あの雲の中ではない。あそこには、まつろわぬ神(彼の敵)はいない。では、何処にいるのか? 辺りを見渡し、そして気がついた。

 

「そこか――」

 

 再び、秋雅の姿が消える。彼が先程まで見ていた場所は太宰府天満宮、その奥であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まつろわぬ神、だな?」

「貴様は……神殺し、か」

 

 

 太宰府天満宮、その本殿の前で、ついに二人は対峙した。一人は、カンピオーネ、稲穂秋雅。一人は、まつろわぬ神、菅原道真。二人は、しばしの間、己が宿敵を睨む。

 

 先に口を開いたのは、秋雅であった。

 

「菅原道真――で間違いないか?」

「然り」

 

 やはり、と秋雅は口には出さずに呟く。予想通りではあったが、まさか本当にそうなるとは、という思いだ。

 

 今でこそ菅原道真、天神様は学問の神として親しみをもたれているが、しかし本来は祟り神だ。それが後の時代になり、怨霊として恐れられることよりも、今のように学問の神として信仰されるようになったのである。

 

 道真の祟りとしてもっとも有名なのが、清涼殿落雷事件だ。当時の都である平安京、その内裏にあった清涼殿と呼ばれる建物に雷が落ち、多くの人が亡くなったという事件なのだが、この事件をきっかけとして道真は雷神と結び付けられたのである。

 

「また雷神か、まったく……」

 

 目の前に立つ神の情報をざっと振り返りながら、秋雅は小さく呟く。またか、という思いだ。何故こうも自分は、雷神というものに縁があるのだろうかと思わずにはいられない。まあ、愚痴ったところでその原因が分かるわけでもないし、そもそも分かったところで目の前に神様がいるということに変わりはないのだが。

 

「私だけが名乗ると言うのも不快だ。貴様の名は何だ、神殺し」

「稲穂秋雅だ。覚えたければ勝手に覚えるといい」

「それは、貴様次第であろうな」

「――ちっ」

 

 突如、光が爆発し、轟音が生じる。ついと道真が降らせた雷を、秋雅が逆向きに生じさせた雷で迎撃した結果だ。所詮は軽いお試しといったところなのだろうが、それでも軽々と相殺した為だろう。意外そうに道真が片眉を上げるのが秋雅には見えた。

 

「ほう、貴様も雷を操るか」

「どうにも、お前のような雷神とばかり縁があってな」

「左様であるか」

 

 言いつつ、再び道真が雷を降らせる。今度は一つではなく複数であったが、その全てを秋雅は迎撃してみせる。

 

「やるではないか、神殺し」

「ふん、言ってくれる」

 

 道真の言葉に鼻を鳴らした秋雅の右手に、突如真っ黒なザクロの実が出現する。そのザクロの実に感じ取るものがあったのか、道真は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「む? 何をするつもりだ」

「これ以上お前に好き勝手をされると被害は大きくなるばかりなんでな、場所を変えさせてもらうぞ」

 

 ぎゅっと、右手を握り締めて言う。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!!」

 

 次の瞬間、その場から忽然と、秋雅と道真の姿が消えさる。残ったのは、天にて未だ唸りをあげる雷雲のみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 道真が不思議そうな表情で辺りを見渡す。地形や景色、天候こそは先程と同じであるというのに、しかしその色は不気味なほど赤黒い。明らかに、先程までいた空間ではないという事がすぐに分かる。どういうことかと考える素振りの後、道真は得心がいった様に頷いた。

 

「成る程、ここは黄泉の地であるのか。神殺し、貴様は冥府に属する神を殺し、そしてその権能を簒奪したのだな」

「……そうだ」

 

 己の権能を言い当てられたことに、秋雅は僅かだが驚く。流石は学問の神かと、どうでもいい納得をする。しかし、そう暢気にしている場合でもないと、秋雅はその右手に己の代名詞たる雷鎚を呼び出し、構える。

 

「さあ、勝負といこうか、『天神』道真!」

「来い、神殺し!」

 

 バチバチと、二人の身体に火花が生まれる。それぞれが持つ雷の力が、その闘志の高ぶりによって活性化しているためだ。降り注ぐ雨の中、二人はしばしの間睨みあう。

 

 

「喰らって貰う!」

 

 先手を取ったのは秋雅だ。その手から放たれた雷が、真っ直ぐに道真へと向かっていく。しかし、その雷に対し、道真は回避の姿勢を見せない。一瞬の後、その雷は道真に直撃した――かに思われた。

 

 

「効かんよ、神殺し」

 

 しかし、光が晴れたその先にあったのは、道真の不敵な笑みだ。彼が吐いた言葉の通り、まるで今の一撃などなかったかのように、道真にはまったく堪えた様子がない。

 

 何故だ、と一瞬の驚愕が秋雅に走る。だが、すぐさまに、半ば直感的に秋雅は理解した。

 

「雷を吸収したのか!?」

 

 しかも、おそらくそれはダメージを与えられなかっただけではない。雷に込められていた力――呪力をも取り込み、道真の力となってしまったのだ。

 

 かつて天神――雷神は各地で信仰されていた。しかし道真が天神と呼ばれだしたことで、次第に各地の天神は道真と同一視されるようになった。それはつまり、道真が各地の雷神を自身に取り込んだということと、同義としてとらえることができるだろう。そうであるならば、他の雷神の力を吸収するということも出来て不思議ではない。自前の知識からの推論に、秋雅のこめかみを冷や汗が伝う。

 

「マズイな、これは……」

 

 元々、秋雅の権能は日本の神から簒奪した物ではない。だが、それでもなお取り込まれたということは、それだけ目の前の神の力が強いということだ。それを考えれば、多少出力を上げた程度で対応できるか怪しい。秋雅の遠距離攻撃手段が雷一つである以上、近距離攻撃以外は封じられたと思っておく方がいいだろう。もしかしたら彼の切札(・・)なら通用するかもしれないが、しかしそれは最後の手段。最初からこれを当てにするというわけにはいかない。

 

 おそらくは物理攻撃は通用するであろうから、何とかしてこの雷鎚を当てるしかない。あるいは……

 

「では、こちらの番だ!」

 

 秋雅が次の手を考えている中で、今度は道真が雷を秋雅へと放つ。先程の鏡写しのように、真っ直ぐと秋雅へと雷が突き進んで行く。しかし、それが命中する直前に、秋雅の姿はその場から消え去った。

 

「むっ!?」

 

 何処に行った、と道真は警戒し、すぐさまその場から跳び退る。

 

「――外したか!」

 

 道真が先程までいた場所の右横、そこに現れた秋雅が何もない空間を雷鎚で殴り抜く。もし道真がその場を離れていなければ、その一撃を受けていただろう。

 

「中々良い権能を持っているではないか、神殺し! その力、おそらくは北の地の、善と悪をうつろう神より簒奪した力だな! 転移ではなく、場の交換とは、中々に面白い!」

「っ!? これだけで見抜いただと!?」

 

 自身の権能、その能力を初見で見抜かれたことに、秋雅は今度こそ驚愕の表情を浮かべる。これまでこの権能、北欧神話の神であるロキより簒奪した、二つの物体の場所を入れ替える権能、『我は留まらず(ダンス・イン・マイ・ハンド)』を見破ったものなどそうはいない。それを初見で見破られたということに、秋雅は驚きを隠す事が出来ない。

 

「……だが、それだけだ!」

 

 しかし、秋雅はすぐに思考を切り替える。見破られたところで、大して問題はないと割り切ったのだ。実際、転移の正体を見破られたところで、彼の動きが制限されるというわけではないのだ。

 

 再び、秋雅の姿が消える。その事を確認した道真は、再び後方へと大きく跳んだ。その一瞬後、またもや秋雅の姿が現れるが、再び彼の攻撃は空振りに終わる。そんな秋雅に対し、道真は言う。

 

「その権能、おそらくは視界に入っていなければ使えないのであろう! 使えるのであらば、単に私の後ろを取ればいいだけだからな!」

「ちっ、本当に慧眼だな!」

 

 秋雅の権能、『我は留まらず』には二種類の使用法があるのだが、そのうちの一つは道真の推測通り、秋雅の視界内にあるもの同士、もしくは自身の場所を交換するというものだ。この際、視界内に入ってさえいればいいので、直接は目に見えていない塵や埃などとも場所を交換する事が出来る。視界さえ確保出来ればいいというその使い勝手の良さから、秋雅の戦闘において決して欠かせない能力だ。

 

 もう一つの方法が、彼が認識した物体同士を交換するというものだ。この場合は視界内に入っているかどうかは関係なく、秋雅がそれを認識さえしていれば、例え彼我の距離が何十キロと離れていようとも関係なく交換できる。しかし、こちらの方を戦闘中に用いるのは少々難しいところがあるので、秋雅はこれをもっぱら非戦時の長距離移動用として――向こう側に彼が知っている物体がないと使えないので、基本的には特定の場所への移動のみとなる――使用している。

 

 このどちらにも共通しているのが、交換する対象同士の差異が大きければ大きいほど呪力の消耗が大きくなるという点だ。例えば、秋雅自身と何かの交換する場合、彼と同じ体格の人間、あるいはマネキンなどとであれば消耗は少なくてすむが、小さい子供のような大きさ、重量に差があるものだと消耗は大きくなる。戦闘中、彼は基本的に空気中の塵などと自身を交換しているが、実のところこれはかなり消耗が大きい。そのため、彼は基本的に短期決戦を主として戦う事が多いのだが、

 

「やはり、きついか……!」

 

 顔をしかめ、思わず秋雅が吐き捨てる。ここに来るまでに交換を繰り返したのが、思いのほか秋雅の呪力を消耗していた。『我は留まらず』は距離による呪力消費量の増加はそう多くないが、視界に移る所までしか跳べないという都合上、長距離をそれだけで移動するにはどうしても回数が増してしまう。途中から降り始めた豪雨に視界が著しく阻害されたことも、それに拍車をかけた。結果として、秋雅は既に多量の呪力を消費してしまっていたのんだ。

 

 その上、道真の雷の迎撃と、この空間に移動したことで――まあ、こちらはそれほど多く呪力を消費するわけは無いのだが――現在の秋雅の呪力の残量はそう多くない。流石に、すぐ様に何もできなくなるというほどではないが、余裕をもって戦えるほどの余力はないだろう。もはやこうなると、遠距離攻撃をすっぱりと諦められるというのはある意味では良い事かとすら思えてくる。

 

「どうした? 随分と疲れているようだが、まさかもう終わりかね?」

「舐めるな。この程度で、王が諦めるものかよ」

 

 言って、秋雅はその手の雷鎚を横に落とす。

 

「む?」

 

 何を、と怪訝な表情を浮かべる道真の前で、秋雅は召喚の魔術を用いて、己が手の中に『それ』を出現させた。

 

「やはり、これを使うのが一番か」

「それは……」

 

 秋雅が手にするのは、一振りの日本刀だ。鞘に収められたままのそれをゆるりと腰に差し、そして抜き放つ。

 

「ここからが本番だ」

「得物を変えたところで、どうなるというのか!」

 

 日本刀を正眼に構えた秋雅に対し、嘲笑すら浮かべながら道真は雷を放つ。数は四、そして空の雷雲からさらに四。計八の雷が、螺旋を描くように秋雅へと向かう。

 

「言おう――この刃に、切れぬ雷はない!」

 

 叫びと共に、秋雅はその刀を振るった。雷が刀身に当たることすらない、タイミングが合わぬように見える一刀。ただの愚行にも見えるその行動の結果は、果たしてすぐさまに見受けられることとなった。

 

「何だと!?」

 

 その結果に、道真の顔が驚愕の色に染まる。彼の放った八つの雷。その全てが、まるで解けるように霧散していた。そこには雷に焼かれるはずであった神殺しの姿はなく、再びその刀を構える秋雅の姿があるだけだ。

 

「その刀、もしや神刀の類か!」

 

 道真の叫びに対し、秋雅はニヤリと笑い返して言う。

 

「そう。これこそが、かつて雷の中にあった雷神を切ったとされる一振り。それにより、主から新たな名を賜った伝説の刀――」

 

 その名を、

 

「これぞ名刀、千鳥。そしてまたの名を――雷切!!」

 

 

 雷切を構え、秋雅は不敵に笑う。そして、再び宣言する。

 

 

「この刀に、切れぬ雷はない!!」

 

 

 そう叫び、秋雅は地を蹴った。

 







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