トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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かくして、地に伏したのは

「お相手願おうか、草薙護堂の騎士さん!」

 

 そう言ってエリカに突っ込んできたのは、ヴェルナと名乗っていた長い髪の少女であった。もう一人のスクラという少女は、リリアナの方をターゲットと定めたらしくエリカの方に迫る素振りはない。

 

「いいわ。このエリカ・ブランデッリが相手をしてあげる!」

 

 駆けて来るヴェルナに、エリカもまた果敢に走り出す。その身のこなしから、目の前の少女が並々ならぬ使い手であることは察している。無手の相手に対し油断もしていないようだし、悠長に足を止めて魔術を使う暇は無いだろう。触媒の類も呼び出せないので、大きな術は使えない。戦いが始まる前に施した『護身』と『身体強化』の魔術が今のエリカの限界だろう。

 

 魔術で戦うことは難しく、格闘も愛剣がないために不利。普通に戦えば勝ち目などそうあるものでもないだろう。

 

 だが、そこであえて真っ向から迎え撃つ。それがエリカの美学であり、同時に勝利への道でもある。

 

「へえ、いい覚悟じゃん!」

 

 面白げに口の端を歪めながら、ヴェルナは右手を横に伸ばす。

 

「――来なさい、パッチワーク!」

 

 その言葉と共に、ヴェルナの手に一本の長剣が現れる。秋雅の篭手と同じく素材なのか、銀色で飾り気の無いはないものの、代わりに頑強であることをうかがわせる。

 

「『召喚』の魔術……!?」

「貴女達と違って、こっちには『召喚』の権限があるんでね!」

 

 使えるのか、と驚愕するエリカに、ヴェルナは得意げな笑みで応える。この空間は外とのつながりを完全に遮断するものとエリカは思っていたが、どうやらそれも例外というものがあるらしい。おそらく秋雅自身と、彼が許可した者に限り、『召喚』などの魔術が使えるのだろう。

 

「素手相手だからって、油断するつもりはないよ!」

 

 十分に距離が詰まったところで、ヴェルナが更に加速し、エリカに向かって剣を振るう。宣言通り油断した雰囲気は全く無く、刃は驚くべき速度でエリカの首筋を狙うように迫る。

 

「――ッ!」

 

 首筋に迫る刃を、エリカはギリギリで躱す。だがその鋭さはエリカに、この相手が自身に比する剣の腕前を持っていると悟らせるには十分なものだ。

 

「ハアッ!」

 

 剣を回避した直後、エリカはヴェルナに向かって素早く蹴りを放つ。狙いは彼女の胸元、剣を振るったことで隙が生まれた場所だ。

 

 たとえ防御されても構わない、牽制の意味も込めた蹴り。それをヴェルナは、なんと驚くべきことに、バッと引き寄せた左手で掴み取ってしまう。

 

「なっ!?」

「でえいやっ!!」

 

 驚愕するエリカを、ヴェルナは強引に投げ飛ばす。その短い滞空時間内で何とか空中で体勢を整え、エリカはどうにか上手く着地することに成功する。

 

「そこっ!」

「くっ!?」

 

 着地の隙を突き、ヴェルナの追撃の刃がエリカに迫る。それをまたもやギリギリで回避するエリカであったが、今度は先ほどと違い反撃をする暇がない。回避に専念しつつ、体勢を整えるのが精一杯だ。

 

「流石の大騎士様も剣無しじゃ逃げの一手? 面白くないね!」

「言ってくれるわね!」

 

 ヴェルナの挑発に眉を上げるエリカだが、彼女の中の冷静な部分は、あちらの言い分がある種間違っていない事を理解していた。エリカに限らず、基本的に騎士という存在は剣ありきの存在だ。無論魔術も修得しているし、人によってはそちらの方の比が高い者もいるが、どちらにせよ無手での格闘技術は案外修得していないことが多い。『召喚』という便利な魔術もある都合上、どうしても剣無しの戦闘はやる機会がないからだ。精々が剣撃の合間や追撃として、蹴り技を多少習得する程度だろう。

 

 そのため、武器も無く魔術を使う暇も無いというこの状況は、エリカにとって――リリアナもそうだろうが――は圧倒的に分が悪い。しかも、相手が自分と遜色ないレベルの格闘技術の使い手ならばなおさらだ。いかにエリカの『護身』の魔術が強力でも、ただの拳で達人の刃を受け止めるなど不可能なのだから。

 

 

 

 だが、だからといって大人しく諦めるエリカではない。息つく間もない連撃ではあったが、幸いその攻撃は素直で避けやすい。当人の性格か、はたまた経験が少ないのか。ヴェルナの攻撃は一撃でも貰えばアウトだと思うほどに鋭いが、代わりにフェイントの類がほとんどなかった。その為、今のエリカでも回避に徹すればどうにかならないこともない。

 

 そしてそのまま、どうにか回避を続けることで、エリカはついに反撃に移れるだけにまで体勢を整える事が出来た。続けざまの剣閃を回避しながら、エリカはタイミングを計る。

 

「フゥ――――」

 

 回避しつつ、エリカは呼吸を低く整える。戦闘中に不釣合いなほどに呼吸を落ち着けることで、エリカは意識的に自分の中の熱を冷やしていく。それはエリカの中で余裕を抱かせていた彼女の自信を抑え、思考をクリアに、そしてシャープにしていく。

 

 そして、

 

「――ッ!」

 

 ここだ、とエリカは隙を見つけ、すぐさまに反撃の掌底を打ち込む。習熟しているわけではないが、拳を叩き込むよりは幾分かましだ。この程度の攻撃であれど、『身体強化』の魔術を含めれば十分な一撃となりえる。

 

「へえ、流石に!」

 

 賞賛らしき言葉を口に出しながら、ヴェルナはエリカの攻撃を軽やかに躱す。だが、エリカの攻撃もそれで終わりではない。蹴り、掌底、肘打ちと、普段であれば使わないような攻撃手段を繋げ、果敢に攻め続ける。

 

 その一撃一撃の威力自体はやや控えめで、直撃してもすぐに行動不能にさせるというほどではない。だが、その代わりに攻撃そのものは素早く、そして滑らかだ。結果として全体としての威力は落ちるものの、先ほどのような致命的な反撃を受ける可能性は低くなり、攻撃を途切れさせないことで相手を封じる事が出来る。相手を最大限に警戒し、静かに勝機を狙う戦法だ。

 

「ははっ! 成る程、さっき足を掴んだのが堪えたってわけか! でも、獅子の踊りというには迫力が欠けるねっ!」

 

 エリカの攻撃を苦もなく捌きながらヴェルナは嘲笑う。それにエリカは答えず、ただ黙って攻撃を連ねる。まったく聞いていないわけではないが、今のエリカにはそれに答えるという思考自体が存在していなかった。

 

 エリカにとって、この圧倒的不利な状況で相手を封じるためには、常以上の集中力と忍耐力が必要だ。それを維持するためにエリカは、戦闘とは直接関係ない情報をシャットアウトし、ただただヴェルナの挙動のみに意識を収束させている。ヴェルナの挑発を無視したのも、戦闘に関係ないからと彼女の脳が判断し、心まで届けていないからであった。

 

「……思考をスイッチしている? ふうん、エリカ・ブランデッリがそういう『剣』を使うなんて知らなかったけど、無手だからこそってことなのかな? まあ、そうでもなければ面白くないけど!」

 

 エリカの態度に首を傾げたヴェルナだが、その手は決して止まらない。エリカの放つ連撃の全てを、たった一本の長剣のみで防ぎ、回避しきっている。武器の有無があるとはいえ、その防御能力は尋常なものではない。

 

 それをヴェルナが成し遂げているのは、ひとえに彼女の尋常でない反応速度が理由だろう。普通に攻撃すれば、何処を狙っていようと完全に防御してしまい、フェイントをかけた場合には、当初こそそちらに反応するのだが、途中で攻撃の意思がない事を見切ったかのように無視し、本命に備えるようにする。

 

 元からエリカの攻撃を読んでいる、というわけではおそらくない。その場その場で、異様なほど素早く対応して見せる。だが、かといってヴェルナの動作がエリカよりも格段に速いというわけでもない。言うならば、動作から異なる動作への移行が速い、という風になるのだろうか。まるでエリカの攻撃がひどく鈍く、ヴェルナはそれを見ながらあえてゆっくりと動いている。そんな風にエリカが錯覚しそうになるほど、ヴェルナの対応力は速く、異常だ。

 

「……貴女、何者なの?」

 

 高速戦闘の最中、エリカはついに、ヴェルナの異様さについて問いかけた。当然、集中させていた意識がそちらに割かれてしまい、彼女の攻撃は僅かに鈍る。

 

「私が何者か? ハッ、答えは決まっている!」

 

 そして、ヴェルナという少女は、その隙を見逃すほど甘い相手ではなかった。

 

「――私はヴェルナ・ノルニル! ただ秋雅の命に従う者なり!」

 

 その言葉と共に、攻守が逆転する。エリカの隙を突いたヴェルナが攻勢に回り、隙を突かれたエリカは一転して防御を強いられる。

 

「くっ、これは……!」

「武器無しじゃやっぱりこの程度なのかな、エリカ・ブランデッリ!! もっと私に、実戦を感じさせてほしいんだけどな!!」

 

 ヴェルナの攻撃が苛烈さを増していく。先ほどと違ってフェイントの類も数を増しており、段違いに回避が難しくなっている。一旦集中の途切れたエリカには反撃の隙を見つける暇すらなく、ただ必死に回避に専念することしか出来ない。

 

「だ、らぁっ――!」

 

 そんな中、ヴェルナは気合と共に大振りな攻撃を放った。エリカから見て右から、彼女の胸元に迫る勢いを乗せた横薙ぎに対し、エリカはむしろチャンスを感じ取った。これを回避し、薙いだ隙を突けば一気に流れを取り戻せると思われたからだ。

 

 エリカは、その判断を抱えて後ろに跳ぶ。ギリギリでヴェルナの長剣を回避でき、尚且つすぐさまに反撃を放てる、そのくらいの位置への跳躍だ。

 

 だが、

 

「ッ――!?」

 

 ぞわり、とした悪寒がエリカの背筋を走った。何に、と疑問に感じたエリカは咄嗟に反応しようとしたものの、既に彼女の足は直前の命令通りの動作を行ってしまっていた。直前の意志など関係なく、本来の予定通り、エリカの身体は後方へと跳んでしまう。

 

 発生する、僅かな滞空時間。その最中、エリカの目に自身へと迫る長剣の姿が映る。

 

 その姿が一気に伸びた(・・・・・・・・・・)。刃は掻き消え、代わりに細長い金属の棒のようになっている。まるで剣が、長物の武器の柄に変わってしまったようであった。

 

「ばっ――!?」

 

 馬鹿な、と驚愕しつつ、エリカは咄嗟に右腕を身体の横で立てる。次の瞬間、エリカの腕に衝撃が叩き込まれた。その一撃は重く、彼女の身体は真横に吹き飛ばされる。

 

「がっ、はっ――!?」

 

 一、二回ほど地面をバウンドし、エリカの身体が停止する。立ち上がろうとしたエリカであったが、その身体の動きはひどく緩慢であった。『護身』の魔術をかけていたにもかかわらず、先の一撃はエリカの腕を痺れさせ、その身体の芯にまでダメージを通していたのだ。

 

「何、が……?」

 

 ようやく、ゆらゆらと立ち上がりながら、エリカはヴェルナの手元を見る。そこに見えたのは少し前まで振るっていたはずの長剣ではなく、鉄板すらも打ちぬけそうなほどの迫力がある、銀色のバトルハンマーだ。

 

「『変形』の魔術……? でも、そんな気配は無かったはず…………」

 

 『変形』の魔術はエリカも良く使う十八番の魔術だ。他の魔術以上に、使えばすぐにエリカには感じ取れるはず。にもかかわらず、ヴェルナが『変形』の魔術、あるいは『召喚』の魔術を使った気配は感じ取れなかった。

 

 では、何が起こったのか。その答えとして思い浮かんだものを、エリカは思わず口に出す。

 

「まさか……剣自体が変化したの? 特別な魔術も使わずに、剣の機能として……」

「流石に気付くよねえ。まあ、そういうことだよ」

 

 ハンマーを肩に担ぎながら、ヴェルナはエリカの言葉を肯定する。エリカに攻撃を通したことで余裕を持ったのか、すぐさまに追撃をするという素振りは感じられない。

 

「残念ながら貴女のクオレ・ディ・レオーネには劣るだろうけど、これもまた魔剣の一種なんだよね。まあ、まだまだ試作品の域を出ない代物なんだけど」

「その言い方……まるで貴女が作ったかのように聞こえるわね」

「そうだよ? 私が作った、一応成功の部類に入る魔剣の一振りだね。まだまだ欠点も多いけど、それもまた味ってね」

 

 事も無げに言い放たれたヴェルナの言葉に、エリカは思わず目を見開いた。ただ魔術的に鍛えられた刀剣ではなく、特殊な機能を保持した魔剣。それを目の前の少女が、自ら創り上げたというのだから、驚くのも当然の話だ。

 

「まさか、刀匠でありながらこれほど強いとは、ね……」

「魔剣研究者って呼んでほしいかな、個人的には。別に私は剣を鍛え上げているわけじゃないからね――っと」

 

 ふと、ヴェルナの手の中のハンマーが縮み始めた。全長で二メートル弱はありそうであったそれは、見る見るうちに三十センチ程度の短剣の姿に変化してしまう。

 

「――そらっ!」

「ッ!」

 

 唐突に、予備動作も何も無く、ヴェルナはその短剣をエリカに向かって投擲する。完全なる不意打ちであったが、エリカは僅かに身体をずらすことで、何とかそれを回避する。

 

「この程度――」

 

 当たらない、とエリカは続けようとした。

 

 だが、

 

「ぐ、ぁ…………!?」

 

 エリカの口から漏れたのははっきりとした言葉ではなく、肺から無理矢理吐き出された空気であった。エリカの背に当てられた、不意の衝撃。痛みと、それ以外の何かの所為で、エリカの身体が硬直する。

 

 何事か、と思うエリカの視界一杯に映るのは、腕を引き、こちらに駆けるヴェルナの姿。

 

「これで――お仕舞い!」

 

 その言葉と共に、エリカの胸にヴェルナの掌底が深々と突き刺ささった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ええい、いい加減に!」

 

 戦闘開始から数分、リリアナは顰め面と共に吐き捨てる。彼女にそうさせる理由は、今まさに戦っている相手にある。

 

「逃げてばかりでは勝てないわよ」

 

 淡々と言いながら、スクラは銃の引き金を引く。同時、銃口より放たれた弾丸は、今まさにリリアナが足を置こうとした場所を小さく吹き飛ばす。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちをしながら、リリアナは自身の軌道を変える。スクラに迫る軌道から、むしろ距離を離れる軌道に変わり、結果として彼我距離は欠片と埋まらない。ここ数分、戦闘が始まってからずっとこの調子であった。

 

「どうにかしたいが……っ!」

 

 難しい、とリリアナは思わざるを得ない。何せ、相手の武器が武器だ。銃という、騎士としてこれまで生きてきた彼女からすれば、些か無骨で無粋と思う武器がまさしく厄介である。流石は、登場した後、戦いの在り様を大きく変えた武器であると、皮肉交じりに言いたいくらいだ。

 

 それでも、普段のリリアナであればどうとでもしようはあっただろう。だが、何と言っても今のリリアナには武器が無い。『召喚』の魔術を使えないために愛剣であるイル・マエストロは呼び出せず、かといって『ダヴィデの言霊』を用いてヨナタンの矢を呼ぼうにも、それを察したスクラの銃撃により集中を乱されてしまう。遠距離攻撃を防ぐための魔術もあるが、どうやら弾丸に呪力が込められているようで、使っても完全に防ぐことは難しいと判断できる。そもそも、それを使う隙が無い。今使えるのは、発動が容易な初歩的な魔術と、持ち前の身体のみ。それだけしか使えないから、リリアナは追い詰められているのだ。

 

「近寄らないと意味がない、と」

「このっ!」

 

 心臓、身体の中心に向かって飛来する弾丸を、リリアナは必死で回避する。軽やかとは言い難い動きであるが、そうしてでも彼女は銃撃を受けたくはなかった。

 

 スクラの両手に一つずつ握られた、二丁の自動拳銃。優美さの欠片もないその金属の塊から放たれる――かけられているであろう魔術の影響を除いたとしても――馬鹿にならぬ運動エネルギーを蓄えた弾丸は、リリアナにとってまさしく脅威の二文字に過ぎる。リリアナも『護身』の魔術は使えるが、エリカなどと比べればその強度はたいしたものではない。直撃すれば怪我ではすまない可能性すらある。だからこそ、絶対に彼女は、その弾丸を回避しなければならないのである。

 

 

 とはいえ、本来であれば、リリアナほどの騎士にとって、直線的な軌道しか描けない弾丸を避けることはそこまで難しいものではない。持ち前の身体能力と動体視力を生かし、銃口から導ける射線を読むことで、発砲前に回避することはまあ出来ないことではない。加えて、リリアナは『跳躍』を飛翔の域にすら達するほどに使えるのだ。それらの点を踏まえれば、リリアナにとって普通の射手など相手にもならないはずであった。

 

 

 しかし、スクラ・ノルニルという射手は、それが通じるような相手ではなかった。

 

「――はい、そこ」

「ッ!」

 

 咄嗟に急ブレーキをかけたリリアナの膝の前を、一発の弾丸が駆け抜けていく。もし急停止しなければ、弾丸はリリアナの膝が撃ち抜いていただろう。危機一髪の回避に、リリアナの頬に冷や汗が落ちる。

 

「中々難しいわね。まあ、機動力のある相手では仕方ないか」

 

 ひたすら無感動に、淡々と結果を見ながらスクラは再び引き金を引く。真っ直ぐに自身へと迫る弾丸を、リリアナは再び走り出すことで回避する。

 

「くっ、本当に面倒な!」

 

 スクラの銃撃で特に厄介であるのが、未来予知をしているかのような行動予測と、とても片手撃ちとは思えない命集精度だ。その瞬間は首を傾げるものの、次の瞬間には背筋を凍らせる予測射撃と、正確無比にリリアナの身体の一点を狙ってくるその精密さは、リリアナにただならぬ緊張と焦燥を感じさせる。

 

 たったの一手でも、間違えればすぐさまに撃ち抜かれるというその予感は、リリアナの行動を否応なしに縛らせてしまう。それで身体が硬くなって動けないということはないが、どうしても前に出て行きにくいのは確かだ。事実、リリアナが『跳躍』などの魔術で身を軽くし、空を駆けるようにして避けないのも、それが理由である。並みの相手ならばともかく、この相手に対して下手に三次元的な回避を晒そうものなら動きを見切られてしまうだろう。そんな根拠の無い不安があるからこそ、ある程度ミスを取り戻しやすい二次元的な回避に努めていたのである。

 

「だが、いい加減そろそろのはず……!」

 

 とはいえ、リリアナに勝機がまったくないかといえば、そういうわけでもない。刀剣による戦いとは違い、射撃戦というものにはどうしても、弾切れという明確な弱点が存在する。生憎とリリアナは銃の種類というのには詳しくないのだが、それでも二丁合わせて五十、百と弾が装填されているとは思えない。これまでの発砲数から考えても、そろそろ弾切れになってもおかしくないはずであった。

 

 加えて、スクラの武器は二丁拳銃である。素直に再装填をしようと思えばどうしても手間はあるだろうし、『召喚』の魔術を使って銃本体を持ち替えるにしても、多少なりとも照準を合わせ直すことにはなるだろう。素直に機を見つつも、そのような隙もまたリリアナは狙っていた。

 

 

「……あら?」

 

 幾ばくかの銃撃の後、カチン、と軽い音が二回、スクラの手の中から聞こえた。首を傾げるスクラを置いて、金属の塊を吐き出し続けていた銃口は、ただひたすらに沈黙を保っている。

 

「そこだっ!」

 

 待望の合図に、リリアナはスクラに対し全力で走り出す。この瞬間を逃がしてはいけないと、リリアナはただ真っ直ぐに駆ける。

 

 そんな彼女に対し、

 

「――なんてね」

 

 首を傾げたままに、スクラの口元が薄く弧を描く。無表情であった彼女が浮かべた、初めての感情。嘲りを含んだ瞳で、スクラは引き金を引く。

 

 次の瞬間、弾切れのはずの銃口から、黒く染まった弾丸が放たれた。

 

「ッ!?」

 

 ありえぬことに絶句しつつも、リリアナは咄嗟に横に跳ぶ。意識したものではなく、身体に染み付いた経験から来る無意識の回避。しかしそれを嘲笑うかの如く、リリアナに最接近した瞬間、弾丸が不意に爆発する。

 

「なにっ!?」

 

 今まで無かったことに、リリアナは驚愕の表情を浮かべる。とはいえ、爆発自体はそう大きいものではない。回避行動に移っているリリアナには、まったくもって掠りもしていない――はずであった。

 

「こ、れは……!?」

 

 跳躍から着地しようとしたリリアナの脚が滑り、彼女は思わず膝をつく。苦悶の表情を浮かべ、リリアナは自身がそうなった原因を叫ぶ。

 

「呪詛……! 怨嗟の声を込めた魔術か!?」

「ご明察」

 

 リリアナの発言にスクラは笑みを止め、無表情に戻しながら同意する。

 

「今撃った弾丸には、呪いの意を込めた魔術を刻んでいたわ。物理的な被害はないけれど、爆発すれば周囲にマイナスの意思を撒き散らし、受けた者の動きを阻害する……」

 

 それは脳内でずっと、恨み辛みを囁き続けられるようなものだ。単なる思考阻害に留まらず、受けた相手はそれに対する拒絶感から自身の身体を動かすことすらままならなくなる。リリアナが動けなくなったのも、その影響によるものであった。

 

「一体、どうやって……っ!?」

 

 だが、それ以上にリリアナの気を引いたのは、どうやってスクラが再装填を終わらせたのかということであった。本来であれば今気にすべきことではないのだろうが、一度ありえないと結論付けたはずの事を覆されてしまったということが、どうしてもリリアナの中に疑問として存在し続けている。

 

「どうやって、ね…………それは、今貴女に出来なくて、私には出来ることよ」

 

 そんな彼女の問いかけに、意外にもスクラは追撃もせずに、ヒントのような言葉を返した。あるいはそれは、リリアナに対し絶対的な優位性を抱いていることによる余裕なのかもしれない。

 

「私に出来なくて……貴女に出来ること……?」

 

 それは何だ、とリリアナは考える。今、自分がやれないこととは何だと考え、すぐさまに彼女はハッとした表情を浮かべ、叫ぶ。

 

「『召喚』か!」

「正解。頭の回りは悪くないのね」

 

 つまりは、こういうことなのだろう。あの時、スクラはまず弾切れとなった弾倉を『送還』の魔術で何処かへ送り、その後新しい弾層を『召喚』の魔術を使うことで呼び出し、そして装填し直したのだ。魔術の高度なコントロールを行えることが前提となるが、こうすれば両手が塞がっていても確実に装填できる。おそらくは銃本体にも、そういうやり方でもきちんと弾丸が装填されるように改造を施しているのだろう。

 

「全て、計算づくだったということか……っ!」

「撃った数を忘れるほど、私は馬鹿じゃないの。馬鹿なのはまんまと引っかかった貴女の方。さて――もういいかしら」

 

 そう言って、スクラは銃口をリリアナに向ける。もう余裕の時間は終わったということなのだろう。

 

 だが、リリアナにとって、時間はもう十分過ぎるほど経っていたのだ。

 

「――舐めるなっ!」

 

 内々より聞こえる怨嗟の声を否定しながら、リリアナは体内の呪力を高めることでどうにか立ち上がる。それなりに強力な術ではあるが、リリアナとて大騎士の称号を得た魔術師である。不意打ちであるからこそ無防備に受けたが、とはいえ直撃はしていないのだ。注力する暇さえあれば跳ね除けるのは出来ないものではない。

 

「流石に、呪力の練り様は見事ね。しかし遅い」

 

 呪縛を振りほどいたリリアナに、スクラは引き金を引く。先ほどとは別の、やはり再装填などしていないはずの銃が、彼女の動きに連動して銃口より弾丸を吐き出す。

 

「ええいっ!!」

 

 もはや細かい事を考える余裕すらない。リリアナは使用を控えていた『跳躍』を解禁し、空を飛ぶようにしてその場を退く。結果として、その過分とも思える回避は正解であったのだろう。なにせ、まるで先のそれと同じように、放たれた弾丸が突如大きく炸裂したのだから。しかも今度は爆発ではなく、まるで花火のように散弾を撒き散らすという形で、である。

 

「――ッ!?」

 

 空中で足元を確認したリリアナは、もはや何度目かも分からぬ驚愕の表情を浮かべる。しかし、それも無理からぬ話だ。一つ一つは小さいものの、しかし隙間を見つけられぬほどの数の散弾が炸裂するのを見せられれば、そんな反応をしてしまうのも当然だろう。下手をすればそれを全身で受けていたともなればなおさらだ。先の魔術の爆破であれば直撃しても精々が一時的な行動不能にしかならないだろうが、これは違う。魔術も使われているとはいえ、芯は単純な物理攻撃だ。その小片の一つ二つならともかく、範囲内で直撃を受けでもすれば『護身』の上からでもダメージが残るだろう。

 

「戦術を変えてきたか!」

 

 弾切れの前まで、スクラの戦術は精密射撃による狙撃一本だった。あえて弾幕を作らず、ただひたすらにリリアナの急所を狙うという、大物狙いの短期決戦と言えるだろう。

 

 だが、彼女はそれを切り替えてきた。当たり判定の大きな攻撃で、その効果からリリアナの足そのものを止めようとしてきている。じわじわと相手を追い込める長期戦へと、スクラは戦い方を変えてきたのだ。

 

 

「当たらなければ意味がないもの、ね」

 

 呟きながら、スクラは二丁を天と地に向け、弾丸を放った。天はリリアナ、地はその着地予想点。どうリリアナが避けても当てようということなのだろう。やはり、スクラは戦術を切り替えてきているのだ。

 

「ならばっ!」

 

 僅かな落下の後、リリアナの身体が空中で静止する。リリアナが修めた、人並みはずれた『跳躍』の術によるものだ。天と地に放たれる弾丸たちが決して直撃しない位置取り。そこで僅かに待機した後、彼女の身体は不意に重力を取り戻し、落下を始める。いや、ただの落下ではない。垂直ではなく、斜め方向への落下。それは紛れもなく、スクラに対しての強襲の飛翔だ。

 

「当てられる前に、懐に飛び込む!」

 

 当たり判定の大きい、爆発系の攻撃。それは確かにリリアナにとって不都合な攻撃であるが、一つだけ有利な点もある。それは弾丸の性質上、攻撃範囲が最大となるのが、発砲して少し経った時になるというところだ。つまり、弾丸が爆発するよりも先に、その後方に飛び込んでしまえばいいのである。

 

「はあああっ!」

 

 後方での爆発を感じながら、リリアナはスクラに向かって飛ぶ。防御を捨て、加速に全てを振ったおかげで爆発の影響は無い。

 

「むっ……!」

 

 リリアナの接近に、スクラの目が僅かに開く。そんな彼女の反応に見向きもせず、リリアナは更に加速する。術者の近くで爆発を起こすとは思いにくいが、スクラは弾丸をノーモーションで入れ替える事が可能だ。そんな隙を与えるよりも先に、その懐に飛び込んで無力化する。それ以外にもう、勝機など無い。

 

「これで――!!」

 

 スクラの再発砲よりも早く、ついにリリアナはその懐に飛び込んだ。着地によりやや下がった姿勢から、突き上げるように掌底を繰り出す。狙いはスクラの腹部、このタイミングならもっとも防御し難いだろう部位。威力も相まって、当たれば確実にスクラの動きを止める事が出来るだろう。

 

 ――当たれば、であったが。

 

「ガ、ハッ…………!?」

 

 苦痛と、驚愕の声が漏れる。だが、それを漏らしたのはスクラではない。

 

「良い狙いだったわ。ええ、本当に。でも残念、確かに私の武器は銃だけれど――」

 

 予想通りだった、とでも言いたげな口調で、スクラは告げる。

 

「――生憎と、脚も武器なのよ」

 

 膝蹴り。それが、リリアナの動きを止めた攻撃であった。あの瞬間、リリアナが掌底を繰り出すよりも早く、スクラは膝蹴りでカウンターを放っていたのだ。深々と突き刺さったそれは、リリアナの身体の奥底にまで、鈍く強烈な痛みを与えている。

 

「こ、のっ!」

「っと」

 

 半ば破れかぶれに、リリアナはスクラの顔に掌底を放った。しかし如何せん、常の鋭さなど微塵も感じられない攻撃だ。その証拠に、スクラは僅かに顎を引くだけでそれを回避してしまう。

 

 だがそのおかげで、一瞬ではあるもののスクラの視線はリリアナから逸れる。加えて、上体を逸らしたことでリリアナに刺さっていた膝が僅かに緩む。その隙を突き、リリアナは残った力で大きく後方へと跳ぶ。先ほどまで見せていた鋭さ、優雅さなど微塵も感じられぬ、まさに悪あがきのような跳躍だ。

 

「諦めないことは良い事なのだろうけど…………まあ、もういいわね」

 

 距離を取ったリリアナに対し、スクラは静かに銃を向け、すぐさまに撃つ。今までと違い、その狙いは何故か僅かに甘い気配がある。

 

「くっ……!」

 

 だが、それを疑問に思う余裕すらなく、リリアナは身体を僅かにずらす事で射線上より退避する。大きく回避しないのは決して余裕ではなく、先ほどの一撃の所為で身体が満足に動かせないからだ。弾丸がいよいよ自身のすぐ傍まで辿りついた瞬間、リリアナは起こるであろう爆発に身体を縮める。

 

 しかし、そんなリリアナの予想に反し、弾丸は爆発することも無くリリアナの真横を通過してしまう。それは、不発弾という可能性を除けば、スクラが再び例の方法で違う弾丸を放ったということになる。

 

「何故――」

 

 当然の疑問。それをリリアナは思わず口に出そうとした。あるいはそれは、スクラが案外会話に乗ってくることからの、何かしらの返答を期待したものだったのかもしれない。

 

「――な、がっ!?」

 

 しかし、その疑問を言い切ることは出来なかった。代わりに彼女の口から発されたのは、苦痛と驚愕の入り混じった声だ。

 

「な、に…………?」

 

 今しがた彼女が感じた、その背に感じた何かが高速でぶつかったような衝撃。小さく、しかしだからこそ、身体の奥底まで貫くかのような鋭い痛み。この正体は何か、とリリアナは状況を忘れ、ゆっくりと振り向こうとする。

 

 その隙を、彼女は見逃さない。

 

「これで――本当にお仕舞い」

 

 背を向けようとするリリアナに対し、スクラはやはり無感動な目で静かに引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ、いい加減に!」

 

 こちらを見据え、泰然としている秋雅に対し護堂は吐き捨てる。鈍い痛みを訴える身体に命じ、護堂は秋雅に向かって一直線に駆け出すが、ある程度距離を詰めた所で秋雅は大きく跳躍することで距離を取ってしまう。

 

「学習しないな、草薙護堂。君が『駱駝』を使用している間、私は接近戦に乗る気はないと言っているだろうに」

 

 これだ。この調子で、護堂がいくら走ろうとも秋雅は一定の距離を取ってしまう。例え武神に比するだけの能力を与える『駱駝』ではあろうとも、相手に近寄れなければ何も出来ない。それを秋雅はよく理解しているのだろう。最大限警戒されていると言えるのだろうが、どうにも護堂には、秋雅に嘲笑っているような気がしてならなかった。

 

「だが、そうだな。流石に、逃げてばかりというのも芸がない」

 

 ついと、秋雅が天に指を向ける。刹那、未だ天にあった黒雲より轟音と共に雷が放たれる。

 

「ッ――!」

 

 天より落ちてくる閃光を、護堂は強く地を蹴ることで避ける。だが、一度の回避を成功させた程度では護堂も安堵しない。このまま二、三と続けざまに落雷を起こす可能性があるからだ。

 

 とはいえ、『駱駝』の化身を使っている間は身軽さなども強化される。神速たる雷とはいえ、カンピオーネ独特の勘の良さも合わせれば、数発程度ならば連発されても避けられるはず。その予想を確実に手繰り寄せるべく、護堂は呪力を高めながら警戒を強める。

 

「……ほう、これはまた」

 

 しかし、護堂の予想に反して秋雅はその一発で攻撃を止めた。どころか、護堂の存在などまるで気に留めていないかのように、その視線を何処かへと向けている。

 

「スクラのアドリブにヴェルナが合わせたか。攻撃を互いの相手に当てるとは、相変わらず見事なコンビネーションだな」

「何のことだ?」

 

 警戒しつつ、護堂は尋ねる。秋雅の視線を辿ればいいのだが、一瞬でも稲穂秋雅という相手から目を離したくもない。故の愚直な問いに、秋雅はちらりと護堂の方に目を向け、言う。

 

「なに、ただ……『悪魔』と『妖精』が我が従者に屈した、というだけだ」

「まさか――!?」

 

 瞬時に、護堂はその言葉の意味を察した。警戒していたことなど忘れ、護堂は視線を秋雅から逸らし、彼が見ていた先を見る。

 

「――エリカ! リリアナ!」

 

 護堂が見た先にあったのは、剣を持った少女に力なく倒れこむエリカと、銃を持った少女の前で地に伏しているリリアナの姿。その光景に、護堂は強く理解させられる。二人は、その少女達に敗北したのだ、と。

 

「安心しろ、死んではないはずだ。我が手の内ではないとはいえ、優秀かつ善良な魔術師を殺す気は私に、つまり我が部下たちにもないからな。ただ――」

 

 そこで言葉を切り、秋雅は意味ありげな視線を護堂へと向ける。こちらを試すような、あるいは嘲笑うような目をしたまま、秋雅はわざとらしく顎を撫で、言う。

 

「――彼女らの身柄は今、私の手の内にあるということになるな」

「エリカたちを、人質にするってのか!?」

 

 まさか、と反射的に思い、しかしすぐさまに護堂はそれを否定する。確かに、ある程度良識があり、自分にある種の自信がある者ならば、人質などという戦法は取らないだろう。そして、これまでの振舞いを見れば、稲穂秋雅という王が確固とした『誇り』を持っていることはおおよそ察する事が出来る。

 

 だが、しかし、彼は同時に『例外』とも呼ばれている王だ。他の王とは明らかに違うからこそ、その呼び名がつけられたというのは、ここまでの流れから分かりきっていること。目的の為ならば、どのような手段でも選ぶという証拠もある。であれば、例え卑怯卑劣と罵られそうな手であろうとも、秋雅はそれを選ぶことを躊躇いなどしないだろう。そんな予感が確かに護堂の中にはあった。

 

「さて、草薙護堂。君はどちらを選ぶ?」

 

 護堂の言葉を否定もせず、秋雅はそんな問いを発する。『どちら』という言葉の意味も、否応無く察せられる。秋雅はこう言っているのだ。

 

『エリカとリリアナの解放と、草壁椿の身柄。一体どちらを選ぶ?』

 

 それが、秋雅の問いの意味だ。どちらを助けるのだと、護堂に対し二者択一の選択を強いているのだ。

 

「くっ…………」

 

 どうすればいい、と護堂の顔が苦悩に歪む。まず、草壁椿を見捨てたいとは思わない。その理由は当人への同情だったり、理不尽の否定だったり、万里谷や静花の悲しませないためだったりと幾つかあるが、とにかく護堂は草壁椿を見殺しにしたくないと、そう心から思ったからこそ、今護堂は戦っているのだ。

 

 だが、かといって、エリカやリリアナを放って置くのかと言われれば、また違う話だ。大事な友達を見捨てよう、などと思う訳が無い。いや、はっきりと言えば、まだろくに話したことも無い相手と比べるなら、まず間違いなく護堂は彼女達を選ぶだろう。そう言い切らないのは、先述したような草壁椿に対する思いと、同時にエリカたちなら何とかしてくれるのではないかという期待があるからだ。

 

 

 だが――

 

「――くそっ」

 

 どうにも、動けない。いくら考えても、護堂にはどちらを選ぶことも出来ない。いっそどちらも、とは思うものの、しかしそうするための手段など欠片も思い浮かばない。

 

 どちらを選べば――どちらを見捨てればいい。正解の見えない問いに苦悩する護堂の姿に、ふと、秋雅がつまらなそうにため息をついた。

 

 

「もう少し様子を見ようかと思ったが、そろそろ時間も惜しい頃合だ。遊びは、ここまでとするか」

 

 そう言って秋雅はついとその指を動かす。その指が向いたのは、

 

「――――え?」

 

 心配そうにこちらを見やる、万里谷祐理に対してだった。

 

「万里谷っ!!」

 

 直感に従い、護堂は『鳳』を発動させる。高速の攻撃を受けるという条件は、これまでの戦闘で十分に満たしていた。『駱駝』の使用を止めたことで身体の痛みが先鋭化したが、知ったことかと護堂は走り出す。

 

「終わりの、始まりだ」

 

 秋雅の宣言と共に、頭上の黒雲より雷が放たれた。その狙いは護堂ではなく、その外で戦闘を見守っていた祐理だ。そのようにした秋雅の意図を考える余裕も無く、護堂はただひたすらに祐理に向かって走る。今護堂がすべきことは、雷よりも先に祐理の元へと辿り着くことだ。

 

 『鳳』は使用者を神速へと至らせる化身だが、そも神速というものは雷と同程度の速度のことである。つまりこのレースにおいてどちらも速度は同じ。後は単に、どちらが近いかどうかにある。そして、より近かったのは――

 

「――させるかっ!」

 

 タッチの差で、護堂が雷よりも早く、祐理の元へと辿りついた。だが、流暢に抱えて逃げる余裕は無い。護堂に出来たのは、せめて祐理を突き飛ばすことくらいであった。

 

 神速の勢いのままに突き飛ばしてしまった為、彼女の身体を大きく吹き飛ばしてしまうことになったが、その先には――秋雅の動きに反応してか――なにやら動き出そうとしていた甘粕がいた。おそらくは彼が祐理を受け止めてくれるだろうと、護堂は神速の中で僅かに安堵する。

 

 

 しかし、上手くいったのは、残念ながらそこまでであった。

 

「があああああっ!!?」

 

 護堂の口から絶叫が漏れる。倒れこむ護堂の右足は、黒く焼け焦げていた。祐理こそ範囲外に逃がしたものの、僅かに護堂の右足だけはその落ちてくる雷から逃げる事が出来なかったのだ。

 

「護堂さんっ!?」

 

 甘粕に支えられた状態で、祐理が悲鳴を上げる。全てが一瞬のことで、彼女からしてみればまるで意味が分からないという状況だろうが、それでも護堂が自分を庇ったということは察したのだろう。

 

 思わずといったように駆け寄ろうとした祐理であったが、それよりも早く、護堂の傍に秋雅が虚空より降り立ったことで、彼女はその歩みを止めることとなった。

 

「稲穂様っ!」

「動いてくれるなよ、万里谷祐理。君をこれ以上巻き込むつもりはないのでね」

 

 祐理への忠告の後、秋雅の視線は護堂に向けられる。

 

「思ったよりも簡単だったな、草薙護堂。てっきり彼女を抱えたままの君を、私が狙い続けることになると思ったのだが」

「ぐっ……アンタ、どこまでも万里谷を狙う気で…………」

「彼女を狙えば君が勝手に庇ってくれる。実に効果的だろう?」

 

 さて、と言って、秋雅は剣を構える。

 

「その脚では『鳳』も満足に扱えまい。安心しろ、『雄羊』を使う暇は与えてやる。私はただの一人の例外を除き、他のカンピオーネを殺す気はない(・・・・・・・・・・・・・・)のでね」

「――知るかよっ!!」

 

 剣を振り上げた。その気配を感じたと同時、護堂は身体を跳ね上げ、拳を背後に突き出す。確かに脚はやられたが、『鳳』自体はまだ使用可能。護堂の主観では酷く愚鈍な反撃であったが、その全ては神速にて行われる。せめて一矢だけでも、と拳を繰り出した護堂であったが、それが当たる直前に、秋雅の姿が掻き消えた。

 

「っ!?」

「――遅い」

 

 その言葉と共に、護堂の胸から刃が突き出る。思わず護堂が見下ろせば、その刀身は秋雅が振るっていたそれと同じものだ。

 

「は…………」

 

 一瞬の静寂の後、護堂の口から血があふれ出す。胸に痛みを感じ、しかしそれは段々と薄らいでいく。癒えている、というわけでは勿論無い。死に近づいているからだと、護堂は意識が薄れていくのを感じつつ理解する。

 

「護堂さん!? 護堂さんっ!!!」

 

 もはや、必死に自分の名を呼ぶ祐理に応えることすら出来ない。出来たのは、心の内で聖句を唱えつつ、『雄羊』の化身をイメージすることだけ。それを最後に、護堂の意識はついに途絶えるのであった。

 

 

 

 




 ようやく書けました。最後はもう少し真っ当に、神速と転移の戦いを書こうかとも思ったのですが、秋雅ならこういう風に終わらせるのもありだろうなと思ったのでこの路線です。祐理を抱える護堂を執拗に追い、彼女を下ろす暇を与えない、あるいは離れた彼女を狙うということで『鳳』を封じるという流れでも良かったのですが、何となくあっさりと終わらせました。次回冒頭で戦いの終わり、中盤で戦いの後、後半で秋雅視点に戻って諸々、という流れでこの章を終わらせようかなあと思っています。伸びてももう一話足すだけだと思います。


 

 以降、章全体の後書き。確かこの戦いの裏を書くという話だったと思うのでそれでいきます。

 元々ですが、護堂の化身はもう少し活躍させる気がありました。本編では椿の部屋からそのまま戦いになりましたが、例えばそこでは一旦戦わず、改めて夜中にでもひっそり来た秋雅達に、それを読んで忍んでいたリリアナが一緒に『冥府』へと転移し、『強風』で護堂達を呼ぶ。発動条件を満たせなかったので出来ませんでしたが、『山羊』の化身で秋雅の雷雲を奪って攻撃するも効かず、雷雲のコントロールも逆掌握される。あっさり終わらせてしまいましたが、同速度である事を活かして雷の連続攻撃で『鳳』を追い詰め、最後は囲んで倒す。『戦士』にしても、戦闘前にエリカが念のためにと『教授』し、言霊の剣で秋雅を追うなど、そういうことも考えてはいました。まあ、初期時点では、発動が難しいであろう『白馬』と『少年』以外は使わせる気だったんですよね。結局は流れとか発動出来ないとかなんやらで没になりましたが。特に『戦士』に関しては今後のちょっとした路線変更もあって取りやめに。実際、もし護堂が秋雅の権能を斬った場合、最悪護堂は秋雅にとってアレクと同じ立ち位置、つまり何が何でも殺す枠に入りかねなかったもので。実際、ここでの戦闘で殺しかねないという。まあ、その際は流石に誰かしらに止めさせるでしょうが。

 それと、今回の秋雅の戦い方に関して。基本的に秋雅はまず勝利への道順を考え、足りないところはアドリブでどうにかするという戦術を取る事が多いです。今回で言うと、

1.『鳳』の使用直後の硬直で止めを刺すのが一番楽そうだ

2.でも『猪』なら硬直中も使えそうだからさっさと使わせたい

3.(秋雅視点では)ひょっとすると『鳳』の硬直で『駱駝』が使えるかもしれないし、一撃で仕留められなかったら困るから、これも使わせた方がいいかも

4.じゃあ、まず『猪』を使わせ、可能であれば『駱駝』も消費させつつ、『鳳』を使わせて硬直のタイミングを狙おう

 と、まあこういう風に考えた結果が本編の流れでした。こういうところがあるので、この時点では護堂は秋雅とかなり相性が悪いと思っています。まあそもそも、ヴォバン侯爵も初戦の時点で、条件見極めたら封殺出来そうみたいなことを言っているんですが。

 それとヴェルナとスクラに関してもちょっと補足。それぞれの最後のシーンですが、あれはスクラがリリアナ狙いのふりをしてエリカを、ヴェルナがエリカ狙いのふりをしてヴェルナを攻撃し、それぞれに出来た隙をついたという形です。実際、向こう側の相手に当てる気だったので、目の前の相手には回避される事を前提での攻撃でした。秋雅も言っていますが、四人が偶然一直線上になったことで、スクラが何となく出来そうだなと思ってやったことに、ヴェルナが即興であわせた形です。基本的にスクラは直感で戦ってるですが、ヴェルナはそれを双子ゆえの読みで理解できるという風になっています。リリアナがスクラの攻撃を未来予知じみた予測とか考えていましたが、実際はほぼほぼ勘でやっています。逆にヴェルナは五感で得た情報をまとめ、全て頭の中で思考しきりながら戦っています。この辺も対称的なんですが、不思議と互いの思考を読み会うのは得意というのがこの二人です。なお、この所為で二人が戦うと基本的にヴェルナが勝ちます。互いの動きが分かる以上、後はコツコツと地力を上げているヴェルナの方が有利だからです。で、そのヴェルナには経験の差で秋雅が勝ち、その秋雅には直感頼りに訳の分からない動きをして翻弄できるスクラが勝つという、一種の三すくみになっていたりします。なお、ウルはこの三人と同時に戦っても、辛勝ではありますが勝てます。二人だと楽勝、一人だと圧勝がデフォです。まあ、それもあと数十年もすればまた変わるんですが、その辺はまたの機会で。次話では……まあ、たぶん何かについて書きます。




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