トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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『例外』の戦い方

「さあ、行くぞ」

 

 そう言ってゆっくりと、秋雅は右腕を真っ直ぐに上げる。またあの雷かと護堂が警戒する中、

 

 パチン!

 

 と、不意に指を鳴らした。何だ、とその意味の分からぬ行動に護堂が疑問を覚えようとした、その時。

 

 拳を引き、まさに今解き放とうとしている稲穂秋雅の姿が、目の前にあった。

 

「――は、はああっ!?」

 

 理解するよりも早く、護堂の身体が動いた。横っ飛びで躱した護堂の真横を、唸りを上げた拳が勢いよく通り抜ける。それを確認しつつ、護堂は姿勢を整え秋雅と正対する。

 

「そうか、あの転移……」

 

 秋雅がこちらに視線を動かしている最中、護堂はふと秋雅が今何をしたのかを察した。おそらく秋雅は、以前にも見せた転移術を使うことで、護堂にいきなりの不意打ちを放ったのだろう。

 

「流石に、反応はいい。だが、いつまで避けられるかな?」

 

 言って構える秋雅の腕には、いつの間にか銀色に鈍く光る篭手が装着されている。飾り気の無い無骨なそれは、だからこそ振るわれたときの威力を保証しているようにも感じられる。

 

 パチン。再び秋雅が指を鳴らす。咄嗟に反応し護堂が跳び退ると、右前方に秋雅の姿が現れた。もし何も反応していなければ、そのまま至近距離での拳を受けていただろう。

 

「シッ――!」

 

 だが、秋雅の動きもそれでは終わらなかった。転移したと同時、護堂の方に向かって地を蹴る。まるで砲弾のように加速されたその身体には、気の所為か紫電が走っているようにも見える。

 

「このっ!」

 

 目の前にまで迫った秋雅の拳。右、左、そして右と、ドニの剣には劣るとはいえ一般人から見れば十分すぎるほどに速い三連撃を、護堂は勘頼りにどうにか躱す。

 

 

 

 だが、無事に避けられたのもそこまでだった。

 

「――がっ!?」

 

 深々と、護堂の腹に秋雅の蹴りが突き刺さる。鋭い拳のラッシュに隠し、護堂の死角から放ったのだ。

 

「こ、のっ!」

 

 足を引き、更なる一撃を秋雅が加えるよりも早く、護堂は全力で後ろに跳ぶ。腹部に痛みはあるものの、権能による攻撃に比べればまだマシな威力だったので、顔を顰めはしても動くことに大きな支障は出ていなかった。

 

 距離を取り、護堂は痛みに耐えつつも秋雅を睨みつける。次はどう動いてくるかと、警戒を深める護堂と裏腹に、ふと、秋雅は構えを解いて護堂を指差す。

 

「草薙護堂、一つ、君に問おう。君が今すべきことは、一体何だと思う?」

「はあ? そんなの、アンタを倒して、あの子を助ける方法を探すことだ」

 

 流石に護堂ももう、敬語を使う気になれなかった。そして、今から戦いを止めようと説得する気も、無い。ヴォバン侯爵の時と同じで、どちらにも歩み寄る、もしくは譲歩するだけの要素がまるでない以上、ここから説得が通じることはありえないだろう。だから、不本意であるとはいえ、力づくで事態を収束するしかない。そう考えての護堂の言葉に対し、つまらなそうに秋雅は鼻を鳴らす。

 

 

「違うな。それは君が、これからしようと思っている流れに過ぎない。私は、今、と言ったのだ」

「だったら、アンタを倒す、だ。たぶんだけど、そうすればここから出られそうな気がするしな」

 

 そう護堂が判断したのは、以前にエリカが言っていた事を思い出したからだ。稲穂秋雅は、対象と自身を別の空間に移す事が出来る。その事を思い出してみれば、ここがその別の空間とやらなのは察しがつく。

 

 空間を作っているのか、単に移動させているだけなのか。それまでは分からないが、秋雅の権能が関与していることはまず間違いない。であれば、秋雅を倒してしまえばそれを解除することも出来ると、護堂がそう判断したのも自然な流れだろう。

 

「私を倒す……か。ハッ、やはり、な」

 

 護堂の返答に対し、秋雅が見せた反応は嘲笑だった。あからさまな呆れと嘲り。見下しいているというのが良く分かった。

 

「何がおかしいんだ?」

「笑いもしようというものだ。草薙護堂、やはり君は、勝利条件を決めることすら出来ない男なのだな」

「勝利……条件?」

 

 どういう意味だ、と護堂が眉をひそめた瞬間、パチン、とまたもや指を鳴らす音が響く。

 

「――ッ!」

 

 再び、護堂の眼前に現れる、秋雅の拳。それを護堂は状態を逸らし、半ば地面に倒れこむようにして躱す。無論追撃も来るが、それもどうにかこうにか、必死に飛びはね、身体をよじることで直撃を避ける。

 

「この、不意打ちかよ!」

「敵の言葉を聞きすぎる君が悪いだけだ。これで直撃すれば、さらに滑稽だったのだがな」

 

 思わず護堂が悪態をつけば、秋雅は何も気にした風でもなく薄く笑う。何かやりにくい、と護堂は素直にそう思う。そんな護堂に対し、秋雅は追撃を仕掛けるでもなく口を開く。

 

「さて、草薙護堂。君は勝利条件を決められぬ人間であることは分かった。故に私は判断する。君は、責任を抱けぬ人間である、と」

 

 話を続けるのかよ、と思い、しかし続いた言葉に護堂はつい反応してしまう。

 

「責任を抱けない、だって?」

「そうだ。だから君は、甚大な被害を出しても気にしない。一時、自分の行いに頭を抱えても、結局はそれだけだ。その後の復興に関与するでもなければ、そもそも破壊を防ぐようなこともしない。自分の成したことに責任を抱けていないと、そうではないか?」

「それは……」

 

 思わず、護堂は言葉に詰まる。確かに、と一瞬でも思ってしまったからだ。特に秋雅のような、周りにたいして被害を与えないという手法を取れる人に言われては、ぐうの音も出ないところはある。

 

「責任を抱けないということは、自分を正しく客観視していないということでもある。己がどういう存在で、何が出来て、何をしないということを理解して――定めていない」

 

 つまり、と秋雅は護堂を見下すように言う。

 

「君の軸は定まっていない。だから通すべき信念が薄い。決めた事を全うしようという決意がない。君には一本筋が通ったものがない。これでよく他の王に勝てた――いや、勝っていないな。ただ、死んではいけないところで死んでいない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だけか。まったく、器ではないな。それぞれ己がどういう者かという事を理解し、貫いている点を見れば、サルバトーレ・ドニやヴォバン侯爵のほうがまだ敬意を持てる」

「好き勝手――」

 

 パチン、と三度指が鳴る音が響く。反射的に護堂がその場から飛び退いたと同時、一瞬前まで護堂の頭があったところを秋雅の回し蹴りが通り過ぎる。

 

「――ッ!?」

「だから! 君は勝利条件を――私を殺すという手段を提示出来ない。人を殺す覚悟もなく、しかし神すらも殺せる力を、楽観と共に私達(カンピオーネ)に対して振るう」

 

 場違いなほど淡々と放たれる秋雅の言葉を伴奏に、踊るように蹴りは放たれ続ける。勢いこそ達人には劣るだろうが、途切れぬ猛攻は護堂に回避を強い、秋雅の言葉に反論を許さない。

 

「カンピオーネなら死なないから大丈夫だと思っているか? 違うな、我等とて同胞や仇敵たちの攻撃を受ければ容易く死に至るのは必定の理。それは君自身も良く分かっているはず。であるのに、己が与える死の可能性を真っ直ぐに見ないのは、殺人という責任を抱け無いからこその現実放棄そのもの――だ!」

「ガッ……!」

 

 続いてきた蹴舞が突然に止み、虚をつくように掌底が放たれた。真っ直ぐに迫る秋雅の掌底は護堂の回避を上回り、胸を強かに打ちながら護堂の身体を吹き飛ばす。

 

「異議もあるだろう。反論も抱くだろう。しかし、君に選択肢などない」

 

 痛みに耐えながら身体を起こそうとする護堂に、何故か秋雅は追撃を行わない。ただ、その冷たい瞳でもって護堂を見下している。

 

「君が彼女を救いたいと思うなら、私を殺すほかにない。逃せば私は何度でも現れ、君を討とうとするだろう。君は彼女を救うために時間を欲するが、私は彼女を殺す為の時間さえあればいい。たったの一度、君の行動を短時間でも阻害すれば目標は達される。私の殺害は、君の本懐を遂げる為の必要条件なのだよ」

「……それがどうしたってんだ」

 

 胸を押さえつつも立ち上がり、護堂はそう吐き捨てる。

 

「それはあくまでアンタの理屈だ。アンタの解析だ。好き勝手に人をああだこうだと言ってもらっちゃ困る」

「ほう、この程度の言葉では大きな動揺もしないか。流石と言うべきか、やはり客観視出来ぬ故と言うべきか。さて、どちらかな?」

「それも、こっちを動揺させるための問いかけだろ」

「正確には挑発だな。実の所、私は普段戦闘中グダグダと話したりはしない。格上の相手に対し、手よりも口を動かすなど無駄なことだからだが……では何故、私は今話していると思う?」

 

 これも挑発か、と護堂は顔を大きく顰める。秋雅にとって護堂は格下で、お喋りをするだけの余裕があるのだと挑発しているのだ。しかもやらしいことに、その理屈と口調は護堂に、ある程度の不快と怒りを発生させることに成功している。これ以降、完全に冷静な行動を取ることは出来ないだろうと、護堂はそう感じざるを得なかった。

 

 

「ところで、草薙護堂。もう一つ、私は君に問いを投げかけたい。何故私は、ここまでたいした権能を使っていないと思う? 流石に、今まで見せたのが私の手の全てだとは君も思っていないだろう?」

「……それも、俺を下に見ているからか?」

「いいや、違うな。むしろ君の権能を警戒しているからこそ、私はこんな戦い方をしているのだよ」

 

 どういう意味だ、と護堂は思う。確かに、秋雅の戦い方は奇妙だ。素人とは言わないが、秋雅の体術は護堂でも――回避に限っての話だが――ある程度は対処出来ないこともないレベルだ。少なくともこれでまつろわぬ神に勝てるとは思えない以上、最低でも一つ以上の攻撃手段、攻撃用の権能を秋雅は所持しているはずだ。

 

 にもかかわらず、彼が今まで使って来たのは、この謎の空間を除けば転移の権能だけ。押しているとはいえ、本当に勝つ気があるのかと思ってしまう戦法だ。

 

「草薙護堂。君の権能は確かに強力だ。ウルスラグナの十の化身は、それぞれが時に一つの権能に迫るほどの力を持っているだろう。だが、故に条件が厳しい。元々変幻なる権能は条件が厳しいものだが、君の権能はそれに輪をかけている。圧倒的な膂力、神の如き速度、こと細やかな知識など、君の権能は厳しい条件を、しかも相手に依存しなければならない。神の如く、神殺しの如く、強く、圧倒的な存在だからこそ、君の権能は使用できると言っていいだろう」

 

 だからこそ、と秋雅は言う。

 

「私はあえて力を振るわない(・・・・・・・・・・)のだよ」

「それは――」

 

 どういう意味だ、と護堂は問いかけようとした。

 

 

 だが、それもよりも先に、護堂の中に答えが浮かんだ……いや、浮かんでしまった。(・・・・・・・・ )

 

 

「――まさか!?」

 

 ゾッとしたものが、護堂の背を走った。言葉に出した通り、まさかという思いが護堂の中に生まれる。まさかこの王は、と護堂は信じられないような者を見る目で秋雅を見る。

 

 そんな護堂の反応に、秋雅は薄く笑みを浮かべながら頷く。

 

「そう、その通り。私は君を、人の限界を超えぬ程度(・・・・・・・・・・)の力でしか攻撃しない。人の速度、膂力、反応速度。それをギリギリ上回らぬ程度の攻撃を、淡々と君に叩き込む。そうすれば君は、君の持つ権能を一切使えぬままに、私に敗北することになる。脳への攻撃がカンピオーネにもある程度は通ることは実証済みだ。打撃により脳を揺らし、気絶に追い込む。ただの人の力でも、それは決して難しいことではない」

 

 稲穂秋雅は『例外』である、というエリカの言葉を、今ここで護堂は実感した。彼以外の王に、このような発想が出来るはずがない。並みの王であれば、誰であれその圧倒的な力で相手を押しつぶすだろう。こんな、まるで弱者のような戦い方を王が取ろうとするなど、誰が思おうというのか。

 

 さあ、と護堂はゆっくりと見せ付けるように構えながら言った。

 

「草薙護堂。君は……私に勝てるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな手を打ってくるなんて……!」

 

 風通しの良くなった病室で、エリカは思わず臍を噛んだ。魔術により強化された聴覚で聞いた、思いがけない秋雅の策。それが護堂にとって致命的な策であるからこそ、しまったという感情をエリカは強く抱く。

 

「確かに護堂の権能は、まつろわぬ神やカンピオーネ相手でないと使えない事が多い。とはいえ、それを逆手にとって来ると……しかも、よりにもよってカンピオーネその人が……」

 

 基本的に、カンピオーネの戦い方というのは、その圧倒的な権能で蹂躙するか、あるいは神にも通ずる武を存分に振るうかの二つだ。そしてその戦い方は、どんな状況、どんな相手であれ変わることは早々ない。各王がそれぞれに自分の戦法に自信を持っていて、相手がどんな存在であれその果てに勝利できると確信しているからこそ、彼らはただ己が道を進み続けるのだ。

 

 それが、まさかのこれだ。護堂の権能を調べあげ、それを封じる方向で動いていく。小賢しく、しかし護堂にとっては致命的にもなりかねない戦法を、よりにもよってカンピオーネが行ってくるとは。ただの騎士や魔術師であればどうとでもなるだろうが、力を封じているといえカンピオーネが相手ではそうとも言い切れない。

 

「賢人議会と稲穂秋雅が繋がっているという噂、本当だったようね。まさかこうもあからさまに、護堂の権能の弱点をついてくるなんて」

 

 最悪の事態もありえるかもしれない、とエリカはその美貌を歪めながら判断する。今の状況は、護堂にとって圧倒的なまでに不利であった。

 

「どうする、エリカ? このままでは草薙護堂が危険だ」

 

 エリカと同じ結論に至ったのか、リリアナも焦ったような表情を浮かべる。それは二人の近くに立っている甘粕や、彼から話を聞いたらしい祐理も同じだ。この場の全員が、今の状況が最悪に近いという判断を下していた。

 

「このままでは良くて千日手、悪ければ何も出来ぬまま草薙護堂は嬲られることになる。どうにか状況を打破する手立てを考えなければ……」

「加えて、たぶん千日手になったところで、稲穂様にはそれほど不利に働かない、というか、どちらかというと草薙さんの方こそ不利になりますか。この場所に連れてこられた以上、こちらにはタイムリミットはありますが、あちらにはそのリミットを待っても問題ないはずです」

 

 甘粕の指摘ももっともな話だ。今回の戦いが、草壁椿を救うか否かということにある関係上、護堂はあまり長々と戦ってはいられない。長引けばそれだけ彼女を救う方法を調べる時間は無くなるし、もしかすると戦いの最中に限界が来てしまい、彼女が『起爆』してしまう可能性すらある。

 

 対して、稲穂秋雅にとってみては、それはそれで問題ないと思うはずだ。何故なら彼の目的はあくまで壊滅的な被害をもたらさないためであり、この外部と隔絶された空間に移動してしまった以上、たとえ『起爆』したところで被害は最小限に抑えられるはず。精々が椿本人とその姉、そして身体の弱い祐理くらいだろうか。故に、大のために小を切り捨てるという彼の目的は、時間切れでも達せられてしまうのだ。

 

 

「だけど、今護堂が使えるであろう化身があまりに少なすぎる。状況の打破を狙うにしても、稲穂様がそれに乗ってくるかどうか……」

 

 現状把握している、草薙護堂の化身の中で戦闘に使えるもの全部で七つある。だがそのうち『雄牛』や『鳳』は秋雅が攻撃を抑えているせいで使えず、『駱駝』を使うには負傷が足りない。今ここにいる程度の人数では『山羊』は発動出来ないだろうし、『戦士』に至っては斬るための知識どころか斬る対象すらはっきりとしない状況だ。最大火力である『白馬』も、正直発動できるかどうか怪しい所だ。民衆を苦しめる大罪人を対象とするこの化身は、ひょっとすると稲穂秋雅をそれと認めないかもしれない。他の王と違い、彼には暴虐の過去というのがまったくないのだから。

 

 

「唯一使えそうなのは『猪』の化身だろう。ここなら、あれを使うことにも問題は無いはずだ」

「……だけど、おそらくそれも、稲穂秋雅は読んでいるはず」

 

 言いつつ、エリカは地上に目を向ける。視線をやったのは秋雅と護堂ではなく、その遠くから戦いを見守っている三津橋たちだ。二人の戦いが始まってすぐ、彼らは草壁椿と共に地上に飛び降り、病院から僅かに離れた場所から戦いを見守っている。そんな行動をすぐさまに取ったのもおそらくは、単にエリカたちを近くに置いておきたくないという以上に、護堂が『猪』を使ってくると読み、その破壊に巻き込まれないためなのだろう。

 

 

「せめて、クオレ・ディ・レオーネが呼び出せれば……」

 

 愛剣さえ手元にあれば、とエリカは無手を握りこむ。かの獅子の剣があれば、それを銀の巨大なる獅子へと変化させることで、護堂に『雄牛』の条件を満たせる事が可能だ。

 

 だが、残念ながらエリカはそれを行う事が出来ない。どういう理屈か、普段であれば簡単に発動できるはずの『召喚』の魔術が、どうやっても発動出来ないからだ。その理由を答えたのは、同じく愛剣を呼び出していないリリアナだ。

 

「おそらく、この空間は外部と完全に切り離されているんだろう。私達程度の魔術ではその壁を突破出来ない。旅神やその権能であれば可能かもしれないが……」

 

 しかし、そんなことは不可能だ。結局、この空間に取り込まれる直前に愛剣を呼び出さなかった時点で、エリカとリリアナは稲穂秋雅に敗北したようなものだ。これでは、護堂に代わり戦うこともろくに出来ないだろう。

 

「この状況で、ただ見守るだけなん――!?」

 

 突如、地が大きく揺れた。地震かと勘違いしそうなそれが、とある化身の出現の予兆であると、エリカは良く知っている。

 

「使うのね、護堂!? 今打てる唯一の手を!!」

 

 となれば、自分達も下に降りなければならない。これから起こるであろう破壊に巻き込まれないために、エリカは急ぎ祐理たちに行動を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「主は仰せられた――咎人に裁きを下せと。背を砕き、骨、髪、脳髄を抉り出せ! 血と泥とともに踏み潰せ! 鋭く近寄り難き者よ、契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」

 

 護堂の唱えた聖句と共に、秋雅の眼前の空間が歪む。その内より現れたのは、全長二十メートルはあろうかという巨躯に、鋭い牙を持つ獣。これこそ、護堂の化身の中でも一、二を争う破壊力を持つ化身である『猪』だ。発動条件として何かしらの巨大建造物を破壊させる必要があるが、この辺り一帯の何もかもをも破壊していいと言うと、この化身は嬉々として現れた。特別巨大なものはないが、何もかもというところがどうやら奴の琴線に触れたらしい。こればかりは、このいくら壊してもいいと秋雅の空間が役に立った形と言えるだろう。

 

「遠慮しなくていいから、全力で暴れろ!」

 

 この、現時点で数少ない使用可能な化身を、護堂は秋雅の話を聞いてすぐに発動させた。延々と攻撃を受け続けチャンスを待つよりも、自ら場を動かすことで相手に超常の力を発動させ、それを元に更に手を増やす方を選んだのだ。

 

「『猪』を使ったか! ならば、流石にこちらも本気を出さなくてはならんな!」

 

 『猪』の出現に対し、秋雅は不敵に笑い、右手を挙げる。次の瞬間、その手の中には鎚のようなものが現れた。やや小ぶりで、明らかに柄の短い鉄槌は、彼の代名詞でもある『雷鎚』なのだろうか。その鉄槌を天に掲げながら、秋雅もまた聖句を唱える。

 

「雷雲よ、来たれ! その身に絶対なる破壊の力を携えて、我が敵の悉くを討ち滅ぼせ!」

 

 秋雅の聖句と共に、護堂達の頭上に陰が落ち始める。見れば、赤黒い空を黒々とした雲が覆い始めていた。護堂には一目で、それがヴォバン侯爵のそれと同じ、呪力と破壊をその内に秘めた雷雲であると察する事が出来た。

 

「来たれ、雷を支配せし双の刃よ!」

 

 更なる秋雅の命令は、彼の両の腰に二本の剣を出現させる。そのうちの、右腰に差した方を左手で抜き、秋雅は眼前にそびえる『猪』を指して言う。

 

「宝剣よ! 我が異なる名の元に、我が敵にその力を示せ!」

 

 雷雲の内の呪力が高まった。そう護堂が感じた直後、雷雲よりついに雷が放たれた。ヴォバン侯爵のそれに見劣りもしないそれは、始まりの閃光を皮切りにして、段々と数を増加させながら、続けざまに『猪』を打ち据える。

 

 絶え間ない雷撃に、『猪』が落雷の轟音に負けぬほどの咆哮を上げる。それは衝撃波となって周囲の物体を破壊していくが、天空に広がる雷雲にまでは届かない。避ける為に動こうにも、それを読んでいるかのように的確に、無慈悲なまでに雷が襲う。思わず顔を顰める護堂の前で、段々と『猪』の咆哮に悲痛なものが混じっていく。

 

「アイツ、案外打たれ弱いんだなあ……」

 

 攻めているときは調子の良い『猪』であるが、守勢に回るとどうにも弱いらしい。目の前の光景に、思わず護堂は状況を忘れてそんな感想を呟く。だが、護堂がそんな風に暢気をしていられたのもそこまでであった。

 

 パチン、とこの落雷の轟音の中で、不思議とその音は響いた。また転移か、と反射的にその場を飛び退った護堂であったが、

 

「――はあっ?!」

 

 目の前の光景を見て、思わず護堂は呆気にとられた。何故ならば、肉を打ち据えた鈍い音と共に、『猪』の巨体が確かに浮いていたからだ。さらにその真下には、まさに今しがた打ち付けましたと言わんばかりに、その手の雷鎚を振りぬいている秋雅の姿が見える。

 

 まさか、その小さな鎚で、あの巨大な『猪』を殴り飛ばしたと言うのだろうか。愕然とする護堂の目の前で、パチンという音と共に秋雅の姿が掻き消え、次の瞬間には『猪』の真横に出現する。

 

 

「でえいっ――!」

 

 秋雅が、『猪』に向かってその手の『雷鎚』を大きく振りぬいた。そのインパクトの瞬間、再び鈍い音が周囲に伝わり、その巨躯をその場に固定していた落雷が突然に止んだこともあり、宙に浮いていた『猪』は数メートルほど吹っ飛び、地を揺るがしながら倒れこんでしまう。

 

「マジかよ……」

 

 その光景に、護堂の首筋を冷たい汗が伝う。まさか、あの暴れん坊の『猪』が殴り飛ばされてしまうとは。ヴォバン侯爵のそれに迫るほどを落雷が続けざまに放たれたことなどよりも、こちらの方が護堂にとってはよほど驚くべき光景だ。護堂も『雄牛』の化身を使うことで超常なる膂力を得ることは出来るが、流石にあの巨体を殴り飛ばすことは出来まい。

 

 だが、そうして倒れこむ『猪』に意識を向けてしまったのが悪かったのだろう。

 

「護堂!」

「――ッ!?」

 

 エリカの叫びに、護堂はようやく迫り来る脅威に気付いた。そう、『猪』を殴り飛ばした秋雅が、ただ黙ってその倒れこむ様を見ていたはずが無い。護堂がそちらに意識を向けている間に、その剣と鎚を手にして、護堂に向かって駆けてきていたのだ。しかも、先ほどまでのものとは違い、およそ常人では出せない跳躍と速度で。

 

「呆けている場合か!」

「くっ!?」

 

 気付いたのが遅すぎた。護堂が秋雅の存在を認識した時には、彼は既にあと一歩で護堂の首に届くというところにまで迫っていた。そしてその一歩を踏むと共に、秋雅は左手の剣を振るう。その刃は速く、そして長い。護堂が背後へ踏み切るよりも、その刃は護堂の首を掻き切るだろう。

 

「く、そっ!」

 

 だから、護堂は足ではなく、背を動かした。上体を逸らし、その刃をギリギリで避ける。気付いたタイミングを考えれば、十分すぎるほどに見事な反応速度。だが、それでもまだ、稲穂秋雅のほうが上手であった。

 

「シッ――!」

 

 剣を振るった勢いをあえて殺すことなく、秋雅は己の身体全体を円運動に巻き込んだ。その結果起こるのは、剣と入れ替わりに現れる背面回し蹴り。その蹴りは、体勢不十分な護堂の腹部を強かに打ち据えた。

 

「ガハッ!?」

 

 蹴りの勢いに、護堂は呼気を吐き出しながら吹っ飛ばされる。受身を取る暇も無く、その背は硬いコンクリートの地面に叩きつけられる。『猪』の出現で周囲の地面がひび割れ、一部では隆起していることを踏まえれば、平坦な場所に倒れたのはまだマシなのだろうが、そんな不幸中の幸いを護堂が実感する暇は無い。何故ならば、護堂が周囲を見渡すよりも先に、飛ばした護堂に追いついた秋雅が、その鉄鎚を天に振り上げていたからだ。

 

「――受けるがいい!」

 

 その言葉と共に、今立ちに伏す護堂に向かって、秋雅の鉄鎚が放たれた。

 

 




 一旦ここまで。予定よりも短い部分で切ったので、戦闘はあと二話に伸びるかもしれません。あと今回の秋雅の戦法ですが、実際護堂って神様の力とかを使わない方が勝てそうな気がする時があります。獣じみた直感を除けば、素人がポンポン爆弾を投げればそのうち死にそうなきもするんですよね。まあ駱駝とかありますし、無いにしても死にそうな気は結局しますが。カンピオーネですしね、護堂は。

 あと、本文で秋雅が護堂に対し色々言っていますが、あれはあくまで挑発に言っているだけなので、実際の彼および私の考えとは必ずしも一致しませんと念のため言っておきます。まあ、護堂に殺すことの覚悟があるかどうかを疑問視しているのは合っていない事もないですが。ドニとの最初の戦いとか、護堂は武器を封じましたが、多分秋雅なら鋼の肉体の方を潰して攻撃を通す、殺す方を選ぶでしょう。他の王も何となくそっちを選ぶ人はいそうな、いなそうなという気がします。まあ、カンピオーネって案外人の、それこそ敵の命すらあんまり感心なさそうな風にも思えるんですけどね。死ぬならそれで、生き残ってもまた戦いを吹っかけてくるなら面白いと。ある種、強者の余裕というか、上位者の驕りのようなものがあるような気がしないでもないです。

 それと予定していた章全体の後書きですが、次回に延期します。代わりに、原作最終刊を一通り読み終わったので、それによる本作の今後の展開等に関して、活動報告の方にうたうだと書いたものを投稿しています。原作と後の展開に関してのネタバレがありますので、興味のある人だけ読んでください。



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