トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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諦めないと言うのは誰か

 翌日。護堂、祐理、エリカ、リリアナの四人は、揃って件のアパートの前に立っていた。昨日の流れを考えれば、甘粕辺りも共に居ておかしくないのだろうが、如何せん彼は彼で調査に忙しい状況だ。実際に何かあれば呼べばよいということで、とりあえずはこの四人だけで来た形である。

 

「パッと見る限り、何かある感じはしないなあ」

「そうね。何の変哲もない、古びた建造物という風にしか見えないわ」

 

 築二十年ほどは経っているのではないだろうか。古びた木造の二階建てで、部屋数は上下合わせて八つといったところ。特に怪しい所も見られない、時代を感じさせる普通のアパートにしか見えない。

 

 無駄足だっただろうか、と護堂が小首をかしげる一方、祐理とリリアナの二人は怪訝そうに眉を顰める。

 

「何か……妙な感じを覚えますね」

「貴女もそう思うか? 私も、あの辺りから漠然と、何かが隠されているような気配を感じる」

 

 そう言ってリリアナが指したのは、アパートの二階の角部屋だ。祐理も、やや自信はなさそうではあるものの、リリアナの指摘に対し頷きを示す。言われ、護堂はエリカと改めてそちらを見るものの、やはり何かを感じるようなものはない。

 

「とはいえ、言い出したのが祐理とリリィとなれば、何かありそうではあるわね」

 

 祐理とリリアナのどちらも、程度の差はあれども霊視能力所持者だ。故に、二人ともその手の気配に敏感であったり、時に未来予知に匹敵するほどの直感を示したりすることもある。そんな二人が同時に、何かがあると告げたのだ。たとえ護堂達には分からずとも、本当にそうである可能性は非常に高い。

 

「幸いこのアパートから人の気配は感じられないし、いっそ乗り込んでみるというのも手かしら」

「乗り込んでみるって言ったってなあ。俺らが大家さんなりに頼んだところで、見られるってもんでもないだろ」

「あら、何を言っているの? 人の気配は無いって言ったばかりじゃない」

 

 そう言って、エリカはすたすたとアパートに向かって歩き出す。彼女の後姿に何やら嫌な予感を覚えつつも、仕方ないかと顔を見合わせて、三人も彼女に着いていく。

 

「……ここでいいのよね?」

 

 祐理たちが示していた角部屋に辿り着いた所で、エリカが二人に確認を取る。二人が頷いたのを見て、エリカは腰をかがめドアノブに対し何やらし始めた。そして、すぐに立ち上がり、こちらを振り返る。

 

「ビンゴ、と言うべきかしらね。ここ、確実に何かがあるわ」

「どういうことだ?」

「試しに使った『解錠』の魔術が弾かれたのよ。この部屋、何か魔術的な防護が施されているわ」

「『解錠』って……まあ、いいや」

 

 いきなり何をしようとしていたのか。苦言を呈したい気持ちを抑えるように護堂は軽く頭を振る。いくら何かあるだろうとはいえ、いきなり不法侵入を行おうなどと、一般的な倫理観を持つ護堂からすれば信じがたいことである。

 

「とりあえず、甘粕さんに連絡を取って部屋に入れるようにしてもらうか。それまでは――」

「あら、そんな面倒なことしなくても、こうすればいいじゃない――クオレ・ディ・レオーネ!」

「は? って、ばっ!?」

「エリカさん!?」

 

 護堂や祐理が気付いて止めるよりも早く、エリカは呼び出した愛剣を振るい、目の前のドアの蝶番の部分を見事に切り裂いてしまった。場が狭いことと対象の小ささなどを考えれば実に見事な技であるが、かといって素直に賞賛できるかと言えば、まあそうでもないだろう。

 

「おい、エリカ! 何やってんだよ!」

「言ったでしょ、人の気配は無いって。だったらこの方が手っ取り早いし確実だわ」

「いや、だからってなあ」

「草薙護堂、お気持ちも分かりますが、むやみにドアを砕くでもなく、最小の破壊で済ませたのですから、ここは良いとするべきかと」

 

 リリアナがエリカを援護する、というのはやや意外にも思えるが、しかしよくよく考えてみれば、彼女もまたエリカと同じ武闘派の魔術師でもある。彼女らからしてみれば、むしろこういった手段というのはありな選択肢なのだろう。勿論、護堂からしてみれば、物騒この上ない方法なのだけれども。

 

「ったく……」

 

 リリアナに宥められ、不承不承ではありつつも、護堂はそれを飲み込む。流石に、この二人に対し自分と祐理の二人では些か分が悪いと判断したからだ。それは祐理も同じようで、彼女もまた何処か納得行かないような表情を浮かべている。

 

 しかし、そういう態度を取っていたのも部屋に入るまでのことだった。ドアをどかし、室内に一歩踏み入れた瞬間、四人の顔色が一気に変わる。

 

「……魔術の気配。それも中々に強いわね」

「ああ。それとかなり強力な結界が張られているようだな。内向きの、中の気配を漏らさないためのものか」

「そのよう、ですね」

「つまり、何かあるとするなら……」

 

 奥か、と護堂は呟く。入ってすぐの部分には特段何も見つけられないが、玄関から続く短い廊下の先には、おそらく居間に繋がっているのであろうドアが見受けられる。その先に何かあると考えるのは、至極当然の流れだろう。

 

「……じゃあ、開けるぞ」

 

 一呼吸して、護堂はドアを開けた。その先にあったのは、物のほとんどない室内。故に護堂はすぐに気付いた。そこにある唯一の家具であるベッドの上に、一人の少女が寝かされていることに。

 

「あれは……」

「椿さん!」

 

 もしや、と護堂が思ったと同時、後についていた祐理が護堂を押しのける勢いで少女――草壁椿に向かって駆け出した。常の彼女では中々見られない機敏な動きに、思わず護堂は状況も忘れて瞠目する。しかし、そんな暢気な反応を見せていられたのも、数秒程度であった。

 

「きゃあっ!!」

 

 突如、祐理の身体が吹き飛ばされた。彼女がベッドに近づいた時、一瞬何か、半円上の『壁』のようなものが現れ、領域内に侵入しようとした彼女を弾き飛ばしたのだ。

 

「万里谷!!」

 

 そんな彼女を、護堂は獣じみた反応速度で受け止めた。幸い、彼女の身体を弾き飛ばした勢いは、そこまで強烈ではなかったようで、難なく護堂は彼女の身体を受け止めてみせる事が出来た。

 

「万里谷、大丈夫か?」

「は、はい。申し訳ありません」

「いいって。それでエリカ、今のは何だ?」

 

 祐理を抱えた体勢のまま、護堂は振り返ってエリカに尋ねる。するとエリカは、僅かに顔を顰めさせながら口を開く。

 

「おそらくは結界の類。この部屋に貼ってあったものとは真逆で、物理的な侵入を防ぐものだと思うけれど……」

「けれど?」

「見たことのない術式だわ。そのベッドの近くに刻まれているものからして、特殊な魔法陣によるものだと思う」

 

 言われ、祐理を立たせてやりながら護堂がそちらに目を向けると、随分と薄く目立たぬように刻まれているものの、確かにこれぞ魔法陣と分かるような模様が刻まれているのが見える。

 

「とはいえ、私は魔法陣にはあまり詳しくないのよね……リリィは?」

「貴女もおおよそ分かっているんだろう? 私だって、その辺りはそれほど学んでいない」

「でしょうね。今時、魔法陣なんて真面目に修得している魔術師は少ないもの」

「どういうことだ?」

「流行じゃない、ってことよ。一昔前ならともかく、現代だと積極的には学ばれていないのよ、魔法陣という魔術は」

「そういうもんなのか。で、そうなるとどうにも出来ないのか?」

「解除、という意味では確かにそうね。でも、こと物理的な障壁なら、どうとでもしようはあるわ」

 

 と、エリカは一歩踏み出しながら、未だ手にしていた愛剣を構える。

 

「クオレ・ディ・レオーネ、黒き騎士の鍛えし剣よ! 至高の剣の末裔よ! 我が祈りに応え、王者の鋼たれ!」

 

 愛剣の切れ味を最大限に高める呪文。それを唱え、エリカは虚空に向かって剣を振るう。その刃に反応して、先と同じ半円状の障壁が発生したものの、鋭さを増した獅子の剣に切り裂かれ、ガラスが砕け散るような音と共に崩れ去る。

 

「ハアッ!」

 

 さらに、エリカは薙いだ剣を天に掲げ、十字を切るように振り下ろした。剣の切っ先はもはや何に邪魔されることも無く空間を走り、そして床に刻まれている魔法陣の一部までを切り裂き、そして止まる。

 

「なんで床まで切ったんだ?」

「魔法陣は一部でも欠ければ効力を発揮しなくなるからです。いくらマイナーとはいえ、その程度は常識として知られていますので」

「へえ」

 

 そうなのか、とリリアナの説明に護堂は頷く。そんな二人を余所に、エリカは剣を収めながらベッドに近づく。同じく、祐理も彼女に続こうとはしたのだが、やはり先の一件があったためか、すぐさまに歩みを止め、護堂たちと同じく静観の姿勢をとる。

 

「これは…………また、厄介そうね」

「どういうことですか?」

 

 ベッドの上の少女の顔を覗き込んだエリカが、眉根を寄せながら呟いた。その呟きに、祐理は数秒前の逡巡も忘れ、急ぎ駆け寄る。勿論、今度は護堂達も一緒だ。

 

「椿さん……!」

 

 彼女の顔を覗き込んだ祐理が悲痛な声を上げる。そうさせた原因は、ベッドに横たわる草壁椿の表情にあった。

 

 目を閉じ、何も反応を見せないのは、おそらく眠っているからなのだろう。そんな彼女が浮かべていたのは、まるで悪夢に苛まれているかのような、まるで絶えぬ痛みに耐えているかのような、そんな苦悶の表情だ。意識がないようであるにもかかわらず、その口からは時折苦しげな息が漏れ、まるで何かから逃げようとしているかのようにその手は小さく動いている。夢見が悪い、という言葉があるが、まさしく今の彼女は、そういうよくない夢を見ているかのような風であった。

 

「椿さん! 椿さん!!」

 

 夢ならば覚ましたいと思ったか、祐理は椿の身体を揺する。しかし、いくら彼女が揺すったところで、椿はやはりうなされながらも決して目を開ける事がない。おかしいと、護堂がそう思ったと同時、エリカが祐理の腕を掴んで止めた。

 

「止めなさい、祐理。ここまで起きない以上、たぶんこの子は今体力に余裕が無い状態なんだと思う。気持ちは分かるけれど、今無理やり起こしたころで、この子をより消耗させるだけよ」

「そんな…………どうして……」

「原因はその刺青か」

 

 じっと、草壁椿を観察していたリリアナが口を開いた。その言葉に、護堂が彼女に視線を辿ると、祐理の行動で僅かに乱れた袖口から、確かに刺青らしきものが覗いているのに気がつけた。よくよくと見てみると、それはまるで蔦か何かのようにも見え、さらに首筋などにも同じような刺青らしきものがあることにも分かる。

 

「何か分かるのか?」

「いえ……しかし、何かしらの呪術が彼女の身体にかかっているのは確かだと思います。刺青は、その術の一部かと。おそらく、その術が彼女の体力を奪っているのではないでしょうか」

「勘だけど、それはこの子の身体を傷つけるようなものかもしれないわね。だとすれば、起きられないほどに体力が無くなっている事も説明がつくわ」

「痛みに疲れちまった、ってことか……」

 

 つまり、椿は寝ているというよりは、絶え間ない痛みに消耗し、失神してしまったのだろう。それならば、彼女が苦悶の表情を浮かべていることにも説明がつける。例え意識を失おうとも、おそらくはその刺青がある限り彼女はその痛みを受け続けているのだろう。

 

 ひょっとしたら、彼女は失踪したその日からずっと、その痛みを感じ続けているのかもしれない。そう思い、護堂は大きく顔を顰めてしまう。直接の面識は無いとはいえ、護堂にとっては妹の大事な友人であるし、そうでないにしても目の前にそんな状態の人がいれば、そうなるのも当然なのかもしれない。だからこそ、護堂は当然の言葉を口に出す。

 

「だったら、早くその術を解除したほうがいいんじゃないのか?」

「生憎と、こんな事をしでかす魔術に心当たりがないのよ。もしかしたら、これも何かの魔法陣由来のものかもしれない。そうなると、私達で解呪するのは難しいわね」

「素直に専門家を呼んだほうがいいってことになるのか。甘粕さんに連絡を取ろう。あの人なら多分、どうすればいいか教えてくれるはずだ」

 

 言いつつ、護堂は携帯電話を取り出す。呼び出しのコール音を聞きながら、厄介なことになったと護堂が考えていると、

 

「――その必要はない、草薙護堂」

「なっ!?」

 

 突如として背後から聞こえた声に、護堂はギョッとしながら振り向く。振り向いた先、そこに当然のように立っている男の名前を口に出したのは、護堂と同じく驚愕の表情を浮かべているリリアナだ。

 

「稲穂秋雅様!? 何故ここに!?」

「端的に言えば、君達を監視していた。いざという時の対処の為であったんだが、まさか大当たりに反応することになるとはな」

 

 ため息をつき、秋雅は護堂の肩を押しのけて椿に近づく。思わず身体を硬直させている祐理を余所に、彼は膝をつき、椿の顔を覗き込む。

 

「間違いない、草壁椿だ。しかし、この進行度は……」

「何かご存知なのですか!?」

 

 椿の身体にある刺青を見て意味深に呟いた秋雅に対し、祐理が先ほどまでの硬直から脱して叫ぶ。しかし、そんな彼女の大声にさして反応を見せることも無く、秋雅はゆっくりと椿の身体を抱え、そして立ち上がる。

 

「本当に知りたいのであれば、病院まで来るといい。私はこの子をそこに連れていく」

「病院……ですか?」

「魔術師達も使う病院だ。この辺りでは一つしかないから、君も知っているのではないかな? もっとも、その果てに君がどう思うことになろうとも、私は関与しないが」

 

 そう言って、秋雅は椿を抱えたまま部屋を出ていく。あまりに自然な動作であったので、思わず護堂達も黙って見送ってしまう。

 

「いや、ちょっと待ってくれ!」

 

 だが、そう傍観していたのも数秒のことであった。すぐに正気に返った護堂は、当然のように秋雅を止めようと追いかける。

 

 しかし、飛び出した先、アパートの外の廊下には、既に秋雅の姿はなかった。上下左右と周囲を見渡してみても、やはり何処にも秋雅と椿の姿は無い。

 

「あの時の瞬間移動なのか?」

 

 以前、サルデーニャにおいて秋雅と初めて会った時。あの時も、秋雅は一瞬のうちに姿を消していた。今回もまたそれを使われたのかと護堂は困惑しつつ、思わず廊下に取り付けられている手すりにもたれる。

 

「……あっ」

 

 その時、ようやく護堂は、携帯電話を握ったままであったことを思い出した。秋雅の突然の襲来のため、コール中のままずっと放置していたのだ。恐る恐る見ると、ディスプレイには通話状態であることが表示されており、少し前から繋がりっぱなしであったことが見て取れる。

 

「えーっと……甘粕さん?」

『草薙さんですか? 良かった、電話が来たのに誰も出ないから、一体何が起こったのかと心配しましたよ』

「すみません、ちょっと今…………立て込んでいまして?」

『はい?』

 

 思わず疑問系で言うと、電話口からも困惑したような声が返ってきた。そりゃそうだ、と護堂は反射的に思う。しかし、一体全体、どういう風に説明すればいいのだろうか。背後にいるエリカたちに視線を移しながら、悩みつつも護堂は口を開くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着きましたよ、草薙さん。しかしすみません、案外時間がかかってしまいました」

「いえ、とりあえず到着は出来たんだから十分ですよ」

 

 結局、事の次第に関しては、時系列順に一から説明した。結論から話しても、むしろ自分の方が混乱しそうだと判断したからだ。おかげでこうして、多少の混乱は引き起こしつつも、スムーズに件の病院まで案内をしてもらえたのだから、まま悪くは無い選択だったのだろう。もっとも、それでもやはり色々と時間はかかってしまったのだが。先の甘粕の発言も、その事を受けてのことである。

 

「……にしても、ここが委員会の息のかかった病院だったなんてなあ」

 

 甘粕に礼を言いながら車から降りた後、護堂は軽く顔を顰めながら呟く。秋雅の言っていたとおり、あの場所からそう遠くない総合病院――護堂の実家からもまあ近く、護堂も多少は利用した経験がある――が、まさか魔術関係のものだったとは。その事に、護堂は何とも言えない気分を抱いてしまう。そちら関係は別棟の方で行われているらしいとは聞いたが、昔から身近にそういう胡散臭いものがあったのだと思うと、どうにも護堂にはがっくりとしたものを感じざるを得ない。

 

「まあ、今はどうでもいいか。甘粕さん、場所は分かるんですよね?」

「ええ。あちらも何故かこれに関しては隠す気がないようで、すぐにこちらにも情報が回ってきましたから」

「では急ぎましょう。椿さんが心配です」

 

 と、やはり後輩のことが気にかかるのだろう。真剣な面持ちの祐理に引っ張られるようにして――あくまで比喩表現であり、実際に引っ張って行ったわけでは当然無い――護堂達は病院内に入った。そしてそのまま、特に受付によることもなく、甘粕の案内の下に別棟の方に進んでいく。多少廊下に人は多かったが、かといって特に誰に止められるでもなく、護堂達はスムーズに歩いていく。

 

 病院という場所柄か、不思議と誰も口を開こうとしない。ただ静かに通路を歩き、階を一つ上り、そして棟を隔てているドアをくぐることで、ようやく護堂達は別棟に足を踏み入れる。ここまで来るともう一般の患者らしき人影は無くなり、代わりに魔術師らしき人物たちが廊下を見張っている。

 

「彼ら、福岡分室所属の人たちですね」

 

 その魔術師達を見て、甘粕がボソリと呟く。それを聞いて護堂は、やはり、と頷いた。何故ならば、その魔術師達の自分を見る目に、甘粕を始めとした東京分室の者達のそれと違う所があったからだ。

 

 警戒、観察、そして僅かに顔を見せる不信や敵対の感情。前者はともかくとして、後者は明らかに、護堂を敵ないしは敵対予備軍として見ている目だ。護堂にすら分かるほど、その視線は露骨なものがある。とてもカンピオーネに、特に自分の組織が公に恭順している相手に対し向ける目ではないだろう。だが、それが例の福岡分室のものならば別だ。話半分ではあったが、これは本当に、福岡分室の人間は稲穂秋雅という王を崇拝、狂信しているのだろうか。もしかすると彼らは、今ここで護堂と敵対することになっても、ある意味では構わないと思っているのかもしれない。

 

「これがあの方のカリスマ、と言うべきかしらね」

 

 護堂と同じ事を考えていたのか、エリカもまたそんな事を呟いた。これは思った以上に警戒しなければならないのかもしれないと、護堂は改めて気を引き締める。

 

 とはいえ、それらもあくまで表面化していていない話だ。特に彼らに見咎められることも無く、護堂達はそのまま廊下を進んでいくことが出来た。途中でまた別の魔術師にも会ったが、そこでもまた同じような感じであり、僅かな緊張感を孕みつつも護堂達は何事も無く進む。

 

「ここですね」

 

 とある部屋の前で、甘粕が立ち止まる。何が、と聞くまでも無いだろう。ご丁寧に、『草壁椿』と書かれたネームプレートが掲げられているくらいだ。ここが目的地であるということは、誰の目にも明白であった。

 

「――入るといい」

 

 甘粕がノックをしようとした直前、部屋の中から声がかけられた。それは紛れも無く稲穂秋雅の声であり、おそらくは護堂達の気配を読み、先んじて声をかけたのだろう。

 

「失礼します」

 

 一呼吸ほど置いて、甘粕がドアを開いた。そのまま甘粕がまず入室し、護堂達もそれに続く。

 

「来たか、草薙護堂。それにエリカ・ブランデッリと、リリアナ・クラニチャール。そして、万里谷祐理」

 

 その病室にいたのは、一人の男性と四名の女性だった。まず、部屋の中央に立ち、先の言葉をかけながらこちらを睥睨する稲穂秋雅。その奥にあるベッドには草壁椿が身を横たえていて、その隣の椅子に姉の草壁紅葉が座っている。そして、部屋の奥、ベッドの隣の壁に二人の女性がいた。その鮮やかな金髪の長さを除けば、ほぼほぼ容姿の変わらないその二人はおそらく双子なのだろう。名前も、秋雅との関係も不明なその二人は、護堂達を明らかに警戒する目のまま、壁に背を預けて立っている。

 

「……稲穂さん、その草壁って子に何が起こっているか、貴方は知っているんですよね?」

 

 開口一番、前置きもなしに護堂はそう問いかけた。挨拶や回りくどい話は一切しない。たぶん、そういう事をしても、煙に巻かれるだけ。そう、護堂は直感したからだ。

 

「前置きもなしか。いや、そうだな。今更前置きも何もない。いいだろう。彼女の身に何が起こっているのか、説明をしてやろう。もっとも、聞いたところで君たちに何が出来るでもないがな」

 

 そして淡々と、秋雅は護堂達に語った。草壁椿の身に何が起きたのか。彼女の父の狂気と凶行。彼女にかけられた術の過程と結果。これから起こることとその対処法。そして、彼女の死による決着。そういったことを、秋雅はどこまでも平坦な口調で告げていく。まるで、護堂達の反応や、彼女の身にかかった不運など意にも介していないかのように。

 

「――以上だ。現状は理解できたかね?」

 

 そんな確認の言葉すら、やはり熱の篭らぬ口調であった。不快そうに顔を顰めるエリカにも、かの狂気に対し憤りを見せるリリアナにも、絶望に顔を青ざめる祐理にも、そして理不尽に震える護堂にも、まるで何も感じていないかのような風だった。

 

「稲穂さん、アンタは――」

 

 何故、そこまで平然としていられるのか。今、草壁椿に課せられている問題すら忘れて、護堂は思わずそう問いかけようとした、その時だった。

 

「失礼します」

 

 ノックの後、護堂達の背後のドアが開かれた。振り向くと、そこには二人の男女が立っていた。二十代ほどの女性と、三十代か四十代ほどの男性。共にスーツを着たその二人は、目の前に居る護堂達に驚いたような表情を浮かべたものの、すぐさまに表情を戻してこちらに対し頭を下げる。

 

「失礼。草薙護堂様とお見受けいたします。正史編纂委員会福岡分室所属、三津橋と申します」

「同じく、福岡分室室長、五月雨と申します」

 

 男性、女性の順で二人はそう名乗った。福岡分室、しかも一人はエリカの話にも出てきた魔術師と分かり、護堂はどう反応すればいいのかと一瞬うろたえる。

 

「結果が出たのか、三津橋、五月雨室長」

 

 護堂が反応するよりも早く、秋雅は二人に対し声をかける。二人がその言葉に頷きを返すと、秋雅は護堂たちに視線を向けながら、

 

「では、説明を頼もう。彼らのことは気にせずに、な」

「稲穂様がそう仰るのでしたら。室長、お願いします」

「はい、では、検査の結果ですが…………」

 

 言葉がそこで途切れる。そして、言い悩むように視線をめぐらせた後、意を決したような表情で、五月雨と名乗った女性は言った。

 

「……手遅れ、でした。もはや、彼女の術を解く方法はありません」

「それは……! 一体どういう意味ですか!?」

 

 五月雨の言葉に、祐理が叫ぶように問いかける。そんな彼女に答えたのは、結果を告げた五月雨ではなく、結果を求めた秋雅のほうであった。

 

「その通りの意味だ、万里谷祐理。もはや草壁椿の命と術の解除を両立させる手段は無い。他の多くの人を救うため、草壁椿は殺さなくてはならない」

「ですが!」

「…………大丈夫ですよ、万里谷先輩」

 

 弱々しい声が、祐理の動きを止めた。ただただ疲れに満ちたその声を発したのは、いつの間にか身を起こしていた草壁椿であった。彼女は、横に座る姉に手を貸してもらいながら、震える祐理に対しかすかに微笑む。

 

「もう、無理なんでしょう? だったら……私はもう、終えたいんです」

「椿、さん……話、を?」

「はい、先輩たちが来る前に、もう説明を聞いていました。覚悟は、その時から出来ています」

 

 何より、と椿は目を伏せて言う。

 

「もう、痛いのは嫌なんです」

 

 件の魔法陣は、対象者に文字通り身を砕かれるような苦痛を与え続ける。稲穂秋雅の説明には、そのことも確かに入っていた。よほどの激痛が、ずっと続いているのだろう。明るく、元気であっただろう彼女が、こういうような表情しか浮かべられないほどに、その痛みには辛く苦しいものであるようである。

 

「椿、さん……」

 

 泣きそうな表情で、祐理はそれ以上言葉を発しなかった。椿の苦痛を、祐理もまた察したのだろう。悲しみや憤りを覚えつつも、しかし彼女の悲痛な言葉を聞いては、もはや表には出せないようであった。

 

「一応尋ねるが、本当にいいんだな?」

「はい……お願い、します」

 

 秋雅の確認と、椿の頷き。彼らはもう、決心をしてしまっているのだろう。だが、それを見ても、護堂はどうしても諦め切れない。他に何かあるのではないか、そんな思いがどうしてもあった。

 

「待ってくれ! 他に方法はないのか!? 何か殺す以外で――」

「――それは彼らに対する侮辱だぞ、草薙護堂!!」

 

 それは、まるで巨龍の咆哮のようであった。護堂の言葉を遮るように、稲穂秋雅は怒りの声を上げる。その凄まじさたるや先の淡々としたものなど欠片も無く、ビリビリと部屋やこちらの身体を痺れさせるほどのものであった。事実、エリカたちですら身体を震わせ、祐理にいたっては思わず座り込んでしまっている。

 

「彼女の結論は、彼女と私の知人が見つけたもの。この問題に対し、専門家たる彼らが定めた、もはやそれ以外にないという答えだ! 何も知らぬ君如きが私に協力を誓った者達を侮るなど、不遜以外の何物でもない!!」

 

 非常に強い力に満ちた、怒りを表す表情と声。今の秋雅の姿は、まさしく憤怒の二文字に尽きていた。こんな彼の姿は本当に珍しいのか、あちら側であろう草壁紅葉や双子の少女ですら、呆気にとられたような表情を浮かべている。

 

「……理解せよ、草薙護堂。もはやこの問題、草壁椿を殺す以外に手段などない。今更君に出来ることなど、何一つとして存在しないのだよ」

 

 一転、再び平淡な口調で、稲穂秋雅はもう一度告げた。もはや、それに対し誰の声も上がらない。先の秋雅の怒りに、この場の全員が完全に飲まれていた。

 

 

 

 

 

 だが、

 

「それでも……」

 

 一人だけ、居た。否定の言葉を投げ、秋雅の怒りを引き出した者。

 

「それでも、まだ何か調べればあるかも知れないじゃないか!?」

 

 草薙護堂は、諦めていなかった。可能性はあるかもと、彼は今度こそ言い切った。

 

 妹が悲しむだろうと思ったからか。友人が気を病むだろうと思ったからか。それとも、単に目の前の少女に同情したからか。それは、護堂自身にも分からない。だが、諦めてはいけないと、そう思ったのは確かであった。

 

「まだ時間はあるんだろう? だったら、他に何か方法がないか調べたほうがいいと俺は思うんだ。俺達も協力するから、だから」

 

 そんな護堂の言葉は、必ずしも間違ったものではなかったはずである。命を救う機会を失ってはならない、その思いは決しておかしなものではない。

 

 

 しかし、

 

「くどいな、草薙護堂」

 

 その想いを、稲穂秋雅は切り捨てる。無駄だと、手遅れだと、秋雅は大きく首を振る。

 

「もう結論は告げた。手はないと既に示した。それでもなお、君は否定するか? それでもなお、君は私の前に立ち塞がるのか?」

「ああ」

「そうか………………では、仕方がない」

 

 ゆっくりと、秋雅は右手を上げる。胸の辺りで開いたその手には、真っ黒な何かの、果物の実らしきものが見えた。

 

「我、冥府にある者なり。我、汝を冥府に招かんとする者なり。故に告げる――汝は既に、かの地に縛られし者なり――!」

 

 聖句。そう護堂が悟ったと同時、秋雅はその手の果物を握りつぶす。その次の瞬間には、世界はがらりと変わっていた。

 

「な、んだ…………?」

 

 赤い。ただ、その一言に尽きた。壁が、床が、空気が、その全てが赤黒く染まっていた。その不気味に変化した世界は、護堂に自然と、『あの世』という言葉を思い起こさせる。

 

 だが、不思議なのだが、そんなおどろおどろしい世界にもかかわらず、何故か『重い』ものはない。『死』という言葉が自然と浮かぶにも関わらず、この世界の空気には重く纏わりつくようなものはなく、不思議とカラリとしたものがある。死者の世界に限りなく近く、しかし何か決定的なものが違う。そんな印象を護堂は抱いた。

 

 だが、そんな風に呆けていられたのも、精々が数秒程度のことだった。

 

「護堂!!」

 

 焦りに満ちたエリカの声に、護堂はハッと我に返る。それと同時、何か背筋に粟立つような感覚を覚え、護堂は直感のままに横に跳ぶ。

 

 次の瞬間、護堂は閃光と轟音が自身の真横を駆け抜けていったのを知覚した。圧倒的な力を感じさせたそれは、以前に戦ったヴォバン侯爵の雷を思い起こさせる。そう、今しがた護堂を狙うように放たれたのは、まさしく神の雷とでも呼ぶべきものであった。そして、それを放ったのはおそらく――

 

「――稲穂秋雅!!」

「その通りだ、草薙護堂!」

「っ!?」

 

 護堂の叫びに、閃光を切り裂くかのように手刀が現れる。鋭く、真っ直ぐにこちらへと向かってくるその手刀を、咄嗟に護堂は回避しようとした。だが一歩及ばず、バッと開かれたその手に、がしりと腕を掴まれ、そして大きく投げ飛ばされた。

 

「うおおおおおおおッ!?」

 

 護堂の身体が、思い切り後方へと投げ飛ばされる。本来であればすぐに壁なりにぶつかっただろうその身体も、何に止まることなく病院の外に投げ飛ばされた。先の雷によって、後ろにあった壁の一切が破壊されていたのだ。

 

 投げ飛ばされた護堂の身体は、すぐさまに重力に従って落下を始める。そんな中で何とか護堂が姿勢を整えたのと同時、護堂の身体はコンクリートで出来た地面へと墜落した。

 

「いった!?」

 

 着地の瞬間、足などに来た痛みに、護堂は思わず声を漏らす。とはいえ、多少不恰好な着地ではあったものの、病室が二階であったことと何よりカンピオーネ特有の頑丈な身体のおかげで、たいしたダメージは負っていないようである。

 

「……流石に頑丈だな、草薙護堂」

 

 カツカツと、コンクリートの地面を蹴る音に護堂は顔を上げる。わざわざ音を立て、主張するかのように歩いてきたのは、やはり稲穂秋雅であった。彼は立ち上がる護堂を、冷たい目で見下ろしながら言う。

 

「草壁椿の抹殺において、君の存在は決定的なまでに邪魔であるらしい。不都合な介入を防ぐ為にも、草薙護堂、私は君をここで下す」

 

 それは、草薙護堂に対する、稲穂秋雅からの、紛れもない宣戦布告であった。

 




 ようやくここまで来ました。次の一話、二話ぐらいで戦闘を終わらせ、最後に一話締めの話を挟めば、ようやくこの章も終わりとなりそうです。上手く予定通りにいけばいいのですが。しかし書いていて思いましたが、実際護堂ってここまで食い下がるのでしょうかね。食い下がりそうでも、案外諦めそうでもある感じがします。ああ、あと今回秋雅が怒っていましたが、これは彼が真っ当に努力している人間を何も知らない他者が愚弄するようなことを言う事を嫌っているからですね。護堂は原作で、武術は人を傷つけるだけとか魔術は胡散臭いだとか言っていた気がしますが、そういった事を口に出すとやはり秋雅は怒ると思います。エリカとかにそれで守ってもらったこともありますしね。まあ、それでも怒りの度合いとしてはまだ低い方でしょうけどね。実際、護堂の行動によっては、秋雅はそれこそ護堂を完全抹殺しようとするほどに怒る可能性もありますから。

 以下、化身の相性解釈後半



 第六の化身 少年 評価 不明

 正直な話、この権能によって少女たちがどこまで秋雅に対抗できるかというがいまいち分からないというのが大きい。確かに原作を読むかぎり、ある程度はどうにかなるだろうが、個人的にあれは相手がまつろわぬ神であった事が大きいと思う。彼らと違い、秋雅は人間であり、そして必要とあれば姑息な手を打つことも厭わない性格である。そのため、普段ならばともかく、護堂のサポートを行う彼女らを先に撃破しようと考える可能性が高く、流石に各個撃破されると思われるからである。


 第七の化身 鳳 評価 悪くない

 秋雅の主な攻撃手段である雷で発動でき、それと同速度の神速に至れる為攻撃はともかく回避手段としては優秀だと思われる。ただし、時間制限があることと、あくまで同速度である関係上、囲まれるなどすれば当てられる可能性はあると思われる。


 第八の化身 雄羊 評価 良くも悪くも無い

 その気になれば秋雅は護堂を即死、あるいはその全身を消し飛ばすほどの攻撃を行えるので、そうなると発動も何もないと思われる。ただし、そういう手段を取る気があまり現在の秋雅にはないので、彼がその気にならない限り護堂がこれを発動出来ないということは無いだろう。逆説、その気になれば念入りに殺されてしまうので、意味が無いのだが。

 
 第九の化身 山羊 評価 悪い

 発動条件もあるが、道真の権能により秋雅に対し雷系の攻撃はほとんど効かないというのが大きい。もし彼の耐性を破ろうとするならばかなりの呪力を込める必要があるが、そうしたところで雷切によって弱められるであろうことは目に見えている。こと雷の攻撃で秋雅を倒すことは、例えヴォバン侯爵が相手でも難しいだろう。


 第十の化身 戦士 評価 不明

 当てる事が難しいであろうことが評価の理由。また、『剣』を避け続けた場合の劣化、他の権能による攻撃を受けた場合の挙動など、いまいち解釈が不明な部分があることも大きい。攻撃手段も回避手段も豊富な秋雅からすると、表に出ている『剣』以外の権能で護堂を追い詰めることは不可能ではないと思われる。



 以上が、私なりに考える護堂の各化身と秋雅との相性になります。これでもそこそこざっくりとした纏めなので、機会があればもう少し詳しい補足を書くこともあるかもしれません。ぶっちゃけ、カンピオーネの、特に護堂の権能ってふわっとした部分が多いので、この纏めが絶対に正しいとは思っていません。




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