「――さて、まずは小手調べと行こうか!」
先に動いたのは義経であった。秋雅が背後にいるヴェルナたちに後退を指示するよりも早く、義経はその手に握る宝剣を天に掲げる。
「我がもう一人の父よ! 我に汝が力を授けたまえ!」
義経の言葉に応える様に、その頭上に雷雲が生まれる。先ほどまで地上を焼いていたものは比べ物にならぬほど、強大な呪力を内包しているそれに、秋雅は一つの確信を持つ。あの宝剣こそ、源義経と同一視されたアイヌの神、オキクルミが暗黒の国を滅ぼした時に振るったとされる、オキクルミの父であるカンナカムイの力が篭った宝剣であるに違いない――と。
「――来い、雷切!」
雷雲の出現に、秋雅は『召喚』を用いて雷切を呼び出し、構える。その最中、後ろ手でヴェルナたちに後退のハンドサインを送ったが、どうしても、事前にすり合わせをしていない紅葉と五月雨の反応が鈍い。間に合うか、と僅かに焦る中、義経が動いた。
「雷よ、我が眼前の敵を焼き払いたまえ!!」
義経が叫び、宝剣の切っ先を秋雅へと向ける。すると、それに呼応するように、頭上の雷雲から轟音と共に雷が放たれる。
「切り裂け、雷切!」
落ちてくる雷に対し、秋雅は雷切を振るう。とても雷に当たるような距離ではないにもかかわらず、その一振りは雷を切り裂き、霧散させようとする。
「――これはっ!?」
だが、そうした秋雅の顔に驚きが走った。雷切の一振りは、必ず雷を切り伏せる。それが秋雅の認識であったのに、しかし今まさに、規模こそは小さくなれど、義経の雷は変わらず秋雅へと落ちてくる。それほどまでに、カンナカムイの雷は強力であった。
見誤った、と秋雅は高速化した思考の中で悔やむ。とてもではないが、もう一度雷切を振る暇はない。ならば『我は留まらず』を用いて避ければいいという話なのだが、そうすると背後にいる紅葉たちに命中する可能性もある。致し方ない、と秋雅は攻撃を受ける決意を固めたと同時、その身体に雷は直撃した。
「秋雅さん!?」
紅葉の悲鳴が辺りに響く。その横で、五月雨も息を呑んでいる。しかし、ノルニルの双子は何故か、二人のような反応を見せていない。
「大丈夫よ、紅葉」
スクラが言う。その表情に、一切の動揺は見受けられない。
「こんなので、秋雅がやられるはずがない」
ヴェルナが言う。その声には、秋雅に対しての確かな信頼がある。二人とも信じているのだ。稲穂秋雅が、この程度で死ぬはずがないと。自分達の王は、その程度の男ではないと。二人は、それを知っている。
故に、
「――まったくだ」
光の中から放たれた声に、ヴェルナとスクラは笑みを浮かべる。稲光が収まったその時、そこに見えたのは、彼女らがもっとも信じる男の背中だ。
「命令する。ヴェルナ、スクラ、紅葉、五月雨室長はこれより全力で後退しろ。最低でもツーマンセルで行動し、降りかかる火の粉を払う以上の積極的交戦は避け、自身の生存を最優先とせよ。何か異常があれば連絡せよ」
背を向けたまま矢継ぎ早に指示を出し、彼は――秋雅は一つ付け加える。
「だから――私を信じて待っていろ」
『――了解っ!』
声を揃え、紅葉と五月雨の背をそれぞれに叩きながら、ヴェルナとスクラは脱兎の如く走り出す。それを受け、少し躊躇いつつも、二人もまたヴェルナ達を追いかけ始める。それを気配で感じ取り、その逃げっぷりに一瞬だけ笑みを浮かべた後、真剣な面持ちに戻りながら秋雅は呟く。
「……さて」
格好つけてはみたものの、実の所、秋雅はそれなりに困惑していた。というのも、雷によるダメージが、まったくと言っていいほどに無かったからであった。肩透かし、と言ってもいいかもしれない。それぐらい、意外な結果であった。
義経は小手調べと言っていたが、あれは間違いなく致死の一撃であったはず。雷切を持ってしても、半分にしか
にもかかわらず、今の秋雅にはまったくダメージがない。勿論、『古き衣を脱ぎ捨てよ』を使ったからというわけではない。いや、死ななければという前提だが、秋雅自身は使うつもりだったのだ、だが、その使用条件すら満たされなかった。
その理由。今の状況をもたらした要因は、何か。
「ふむ……」
二つほど、この答えを導けそうな違和感が秋雅にはあった。一つは、自分の体表で走る紫電の存在だ。『実り、育み、食し、そして力となれ』の発動により見慣れたそれではあるが、しかし今秋雅はそれを使っていない。そしてもう一つ、気の所為か、ここまでで消費したはずの呪力が幾らか回復しているように思えることだ。この二つの違和感を元に、何があったのかを考えるとすれば――
「そろそろ、頃合のようだな」
聞こえてきた言葉に、秋雅の思考が途中で断ち切られる。何かと思って義経を見れば、彼は秋雅の後方、後退しているヴェルナ達の方に視線を向けているようであった。
「頃合とは、一体どういう意味だ?」
「なに、他意はない。ただ、戦わぬ者を巻き込む気がないだけだ」
「……意外な事を言う」
眉を上げながら、紛れも無く本心の言葉を秋雅は口に出す。それは、まつろわぬ神というものは大抵、同じ神か宿敵たる神殺し以外に興味を持つことは稀で、普通の人間の事を気にかけることはないという秋雅の経験から来た言葉だった。そのことを、秋雅は続けて口に出す。
「まつろわぬ神とは、民衆を見ないものだと思っていたのだが」
「それは否定せぬ。しかし、たとえ戦う術を持っていようとも、最初から逃げるというのであれば追いはしまい。一武人として、逃げる女人を追う趣味はない。少なくとも、この義経自らの攻撃で、戦わぬものを討つつもりなど毛頭無いわ。戦はただ、覚悟を決めし武人のみが行うことである」
「……なるほどな」
義経の語る理論に意外の言葉を覚えつつも、秋雅は先の一撃から追撃が来なかった理由に頷く。道理で、のんびりと考える時間があったなと、疑問には思っていたのだ。
ふん、と秋雅は皮肉な笑みを浮かべる。
「そのわりには、外では随分と暴れてくれたものだが」
「仕方あるまい。あの時はこの義経、自身の名をすっかりと忘れてしまっていたのだ。我を失いし時の愚行ゆえ、許せ」
本当に珍しい、と義経の言葉に秋雅はそんな感想を抱く。態度を見る限り、これは確かに、戦闘の意思がない者を積極的に巻き込むつもりはないのだろう。
とはいえ、民衆に害が無いからと見逃すつもりもない。たとえ善き神であろうとも、地上をさすらううちにその神格は歪んでいく。それがまつろわぬ神であり、そうなった神と対峙したことも秋雅はある。だから、どんな手段を用いても殲滅し、後に残さないことが秋雅の使命なのだ。
「問答はもう良かろう? さあ、続きを始めようではないか!」
義経の言葉に、僅かに緩んでいた空気が引き締まり、戦場の雰囲気へと一気に変化する。その変化に秋雅が身構えると、再び義経はその手の宝剣を天に掲げる。
「如何様な手か先の一撃は防いだようだが、これならどうであるか!」
その言葉と共に、頭上の雷雲から雷鳴が響く。雷雲からこぼれる光は一つではなく、最低でも十はあるように見える。
「威力は落ちるが数は先より上。さあ、どうするか神殺し?」
「……どうするか、ね」
義経の問いかけに、秋雅は笑う。どうするかなど、決まっていると言えるだろう。先の雷を斬った影響で、今の雷切はかなりの負担がかかっている。多少威力は落ちているとはいえ、十にも届く雷を全て切り払うことはまず出来ないだろう。ならば、取る手段は一つ。秋雅の基本戦術でもある、転移による回避以外にありえない。
ありえない、が。
「決まっている――真っ向から受け止めるのみ」
「……面白い」
常ならば選ぶ回避を、秋雅はあえて捨てる。先の不可解と違和感。その正体がもし、秋雅の考える通りであるのならば、今ここでそれを確かめなければならない。そうする必要があると、秋雅は判断した。
「とはいえ、無防備に受けるつもりも無い。雷切、力を貸せよ」
右手の雷切に言葉をかけながら、しかし秋雅はそれを鞘に収めてしまう。いや、完全には収めていない。数センチほど、刃の根元を外に出したままだ。
「むう?」
敵を前に剣を収める。その事に義経は当然のようにいぶかしんだ。しかし、次の秋雅の行動と、それが齎した結果に、義経は目を見開くことになる。
「――啼け、雷切」
命ずるように囁きながら、秋雅は鞘から僅かに抜かれた刃を指で弾く。途端、雷切より、とても指で弾いたとは思えない、まるで金属同士をぶつけ合わせたような、高く、澄んだ音が周囲へと放たれる。
その音が如何なるものか。それは次の瞬間に分かった。その音が天へと届いたと同時、頭上にあった雷雲が明らかに小さくなったのだ。しかも、一瞬前まで輝いていた雷光も、見るからにその光量を落としている。
「まさか……その刀、周囲の雷を弱めるのか!?」
状況から雷切の能力を察した義経が叫ぶ。義経の言うとおり、雷切は直接雷を斬るだけが能の刀ではない。その刃を鳴らすことで、その音を聞いた全ての雷を弱める力も持っているのだ。対象が無差別であるので秋雅自身の雷にも干渉してしまうという痛し痒しな面こそあるものの、雷神の類に対しては通常の使用よりも役に立つこともある、秋雅の切札の一枚だ。
「流石に察しがいい、は侮りすぎか……」
この程度なら分かるだろうな、と義経の洞察力を当然と思いつつ、秋雅は叫ぶようにして問いかける。
「さあ、まだそれを落とす気があるか!」
言いながら、秋雅は雷切を完全に鞘に収める。鞘に収まったというのに、その刃の音は一切変化を見せない。その音はもはや、物理的な音ではなく、超常的なものであるからだ。
「落とす気があるか、だと?」
秋雅の問いかけに、義経は再び不敵に笑ってみせる。その笑みが意味することは、つまり、
「――是非もなし! 真っ向より打ち破るのみ!!」
秋雅への意趣返しが如く叫び、義経は宝剣を振り上げる。弱まったと思えた雷雲は、余力を振り絞るかのように轟音を鳴らし、そして次の瞬間にはその内より十数の雷を秋雅に向かって吐き出す。秋雅の挑発に対し、義経は正面から打ち破ろうとしているのだ。
「来い!」
雷雲を睨みつけていた秋雅に、容赦なく雷が降り注ぐ。雷切の音に触れるにつれ、段々と小さくなっていた落雷であったが、最終的には秋雅が普段放つ落雷と遜色ない威力となって、秋雅へと直撃した。神殺し、そして並みのまつろわぬ神であれば消滅しかねないほどの連撃と、それによって発生した土埃に、義経は目を細める。
「……把握した」
土埃の中から、そんな呟きが聞こえた。次の瞬間、切り裂かれるようにして土埃は霧散する。そこに見えたのは、右手に長剣を持ち、体中に紫電を走らせる秋雅の姿。その姿に義経は、己の雷が再び無力化された事を悟り、そして大声で笑う。
「面白い、面白いぞ、神殺し! 我が雷を取り込み、己が力と成すか! それでこそ簒奪者たる神殺しに相応しい!」
愉快そうに叫んだ義経の言葉は、秋雅が今の攻撃を無力化したからくりを如実に示していた。秋雅も今の今まで知らなかったことだが、秋雅が誇る権能の一つである『実り、育み、食し、そして力となれ』には、まだ隠れた特性があったのだ。この権能を得るにあたって討伐した、菅原道真が持っていた特性である、受けた雷を己が呪力に変換するという力。それこそが、秋雅を救った力の正体であった。
人の身に収められた事で許容上限は出来てしまっただろうが、これほど雷神との戦いにおいて有力な能力はないと言えるだろう。何せ純粋な雷神であればあるほど、秋雅に対する手段はないということなのだから。
「しかし! この義経は元より兵を率いる将であり、雷を操るものにあらず! その力、この義経の歩みを止められぬと知れ!」
だが、秋雅の性質を知ってなお、義経は余裕を崩さない。あくまで義経の雷を操る力は彼の持つもう一つの名であるオキクルミの、さらに言えばその父親であるカンナカムイの力でしかないからだろう。彼自身の力、まつろわぬ義経を定める力は、まだ秋雅に頭を垂れるような真似はしていない以上、それは当然の反応だ。
「小手調べももう良かろう。さあ、我らの戦を始めようではないか!」
これまでの攻撃を試しと言い切り、義経は左手を掲げる。それだけで、彼を囲む人形の軍勢、そのうちの弓兵たちが動いた。弓を構え、矢を番え、狙うは目の前の秋雅だ。
「――放て!」
義経の号令。同時、弓兵たちは同時に矢を放った。百はゆうに超えようかという矢が、秋雅と、そしてその周囲に降り注がんとする。
「炎よ!」
対し、秋雅はその左手を大きく振るう。その手から放たれたのは、拳大の炎だ。しかし、その炎は秋雅の手を離れてすぐ、まるで巨大な壁であるかのように、秋雅の眼前に大きく広がった。
燃え広がった炎の壁に、放たれた矢の数々が突き刺さる。広いが薄い炎の壁と、高速で飛翔する矢。加えて、矢は土人形達と同じような材質で出来ており、とても可燃性には見えない。普通に考えれば、矢が炎を突き抜けるだけで終わるはずであった。
「燃やし尽くせ、我に迫る敵意の全てを!」
だというのに、炎の壁に接触した途端、あっという間に矢は燃え尽きてしまう。それこそ鏃から矢羽まで、その全てが一瞬のうちに、だ。
「なんと!」
「今度は私の小手調べに付き合ってもらう! 炎よ、汝が獲物を飲み込め!」
驚く義経を余所に、秋雅は炎壁をさらに前進させる。降り注ぐ矢の全てを飲み込んだ炎は、そのまま義経が率いる軍団のうち、最前列にいる歩兵たちを飲み込もうとする。
「ぬうっ、
義経の命令に、歩兵たちは手に持つ武器を秋雅に向かって投げる。槍や刀といった、先の矢とは質量も体積も上の武具の投擲。それは秋雅に対する攻撃であったのか、あるいは炎壁に対しての抵抗だったのか。どちらにせよ、今の陣形では兵を下げられぬと判断しての命令であったのだろう。
しかしそれも、結局は無駄な足掻きでしかない。投擲された武具も、そして投擲を行った歩兵も、炎壁はそれを飲み込んだと同時、瞬く間に焼失させる。質量等の違いなどまったく関係なく、まるで『焼失』という結果を押し付けたような現象だと表現できるだろう。
何もかもを焼き尽くす炎。これこそ、かのトラウィスカルパンテクートリより簒奪した新たなる力。秋雅が『
「まだまだ!」
炎が兵を焼き尽くし、消え去った後も秋雅は止まらない。すかさず『我は留まらず』を発動させ、焼失によって作られた、義経の眼前の空きスペースへと転移する。
「はあっ!」
気合の声と共に、秋雅は義経に対し、呼び出しておいた雷鎚を容赦なく振り下ろす。
「させぬ!」
幾体もの敵を葬ってきた、秋雅の必殺の一撃。不意打ちの一撃を、義経は見事に宝剣で受け止めた。
「うおおおっ!」
「ぬうん!」
雷鎚と宝剣。雷神を由来とした二つの武器が激突した衝撃、まさには凄まじいの一言であった。ただの一当たりが周囲に轟音を響かせ、衝撃波を撒き散らし、雷撃を迸らせる。ただ単に漏れ出ただけの衝撃波と雷撃が、周囲の土人形達を破壊し、一掃する。
「シッ!」
「でえいっ!」
そのまま二撃、三撃と二人は互いの得物を打ち合わせる。その度に衝撃波と雷撃が発生し、周囲を破壊していく。
「――チッ!」
そのまま数度打ち合った後、突如秋雅は大きく飛び退る。流石は軍神と言うべきか、義経の斬撃についていく事が出来なくなったが故の後退である。
そもそもとして、秋雅の持つ雷鎚は、秋雅に対しては重量を感じさせない、という特性を持っている。そのため、柄が異様に短いことによる取り回しの悪さを克服し、より高速での連撃を可能としているのだが、それでも、軍神たる義経の武芸についていくことは難しかった。この辺りは、やはり秋雅の腕不足と言うしかないだろう。
「逃がさんぞ、神殺し!」
義経の言葉とともに、突如として地響きが鳴り響く。その瞬間、秋雅の背に走ったのは悪寒であった。何かある、と悟った秋雅は反射的に右に跳んだ。
「これは――!?」
自身が一瞬前まで居た場所を見て、秋雅は目を見開く。そこにあったのは、身の丈を肥えるほどの巨大な手であった。もし秋雅が悪寒に対し反応をしなければ、その手に押しつぶされていたであろうことは想像に難くない。
「今こそ立てい、我が最強の従僕!」
地響きを立てながら、その手が持ち上がっていく。いや、手だけではない。腕が、身体が、脚が。段々とそれらが地面より競り上がり、一つの形を成していく。
それは身長十数メートルにも及ぶ、巨大な土人形だ。ただ、他の土人形と違い、その身体からは強い呪力を感じさせる。そのことに、秋雅は直感する。他とは少し異なるが、これは義経が操る神獣である、と。
「……ここまででかくはないだろうに」
おいおい、と巨大な土人形を見上げた秋雅は思わずぼやく。そんなことを言ったのは、その土人形の格好から、その正体が分かったからである。土のような材質ではあるが、僧服らしき服装と、そして背負う七つの長物。それらを見てしまえば、そして主が源義経であることを踏まえれば、その正体など簡単に察しがつくというものだ。
「ふはははは! 見たか神殺し! これぞこの義経がもっとも信頼する者、我に忠節を誓った最強の者! これぞ、この義経の――武蔵坊弁慶である!!」
その存在に、僅かに顔を引きつらせる秋雅に対し、義経はまるで自慢をするかのように笑う。
「さあ、神殺しよ! この義経と、数多の兵と、そして弁慶にどう立ち向かうか! この義経に、とくと見せてみるがいい!」
始まったばかりですが、結構時間が空いてしまっているのでここまでで一旦投稿します。スムーズに行けば義経戦はあと二話ぐらいで終わる予定ですが、どうなることやら。