トリックスターの友たる雷   作:kokohm

46 / 77





明らかとなっていくこと

 五月雨に続いて向かった場所、そこで一人の女性が待っていた。パッと見た限りでは、精々が三十半ばというぐらいの女性にしてはやや背の高い人物である。秋雅達が彼女の存在を認識したと同時、彼女の方もまた秋雅達の事を認識したようで、その顔に人好きのしそうな笑みを浮かべながら歩いてくる。そして、互いに十分に会話が届くといった距離にまで来たところで、先んじて女性が口を開いた。

 

「いやあ、お久しぶりですねえ稲穂様。一年ぶりぐらいでしょうかね。我らが北海道に、ようこそおいでくださいました」

 

 やや大げなさ身振り手振りを交えながら、女性はひどく軽い口調で言う。それに対し、秋雅は頷きを返してみせる。

 

「そんなものだろうな、早瀬室長。息災で何より、と言ったところか」

「おかげさまで、すこぶる好調ですな。いやはや、これもまた稲穂様の御威光のお零れに預かれたが故のこと。まったく、稲穂様には足を向けて眠れません」

 

 現代日本人、特に女性としてはえらく芝居がかった口調。しかし、それに嫌気や不自然さは感じられない。秋雅にとっては馴染み深いあの仮面の王と同じく、不思議とそんな言動が似合うというのが、早瀬というこの女性の特徴であった。滅多にない人物であるためか、あまり他人に興味がないヴェルナとスクラはともかくとして、その一連の態度に五月雨は少しばかり顔を顰め、紅葉は呆気にとられたような表情を浮かべる。

 

「世辞はいい。それよりも」

「ええ、ええ、分かっておりますよ。どうぞこちらへ、失礼ながら私が案内をさせていただきます」

 

 そう言って、早瀬は先ほど自分が立っていた場所に止められている車を示し、そちらへと歩き出す。その背を見ながら、ポツリと紅葉が呟く。

 

「……何と言うか、大仰な人ですね。素なんでしょうか」

「まあ、おそらくは演技だろうな。以前など露骨に棘のある物言いをしていた」

「それって、秋雅が活躍しているから胡麻をすりだしたってこと? 気に入らないなあ」

 

 呆れたようにヴェルナが言う。そんな彼女に、秋雅が僅かばかりの笑みを浮かべ、口を開く。

 

「そうか? 俺は結構気に入っているが」

「それはまた、どうして? 貴方なら不愉快に思いそうなキャラだと思うのだけれど」

「あえておかしな物言いをすることで、こちらのデッドラインを見極めようとする。その度胸と組織への忠義は好ましいと思うんでね」

「……どこまで秋雅が怒らないかの見極めをしているって事?」

「それもそれで、不遜じゃないかしら」

 

 まさか、とヴェルナは秋雅の顔を見返し、スクラは小さく首を傾げる。

 

「そのぐらいのほうが好ましいだろうさ。ただのイエスマンよりはよほど面白い。まあ、反抗心に依るものではないのが条件だが」

 

 口の端に笑みを浮かべながら、面白そうに秋雅は言う。

 

「主の怒りを恐れ、唯々諾々と従う者よりは、時には命をかけた忠言を行える者のほうが好ましい。そういうことさ」

 

 それは秋雅が普段から、時折口に出す言葉であった。だから、三津橋などは秋雅の意に従うにしても不備等があれば躊躇わずに口に出すし、ヴェルナたちもまた常日頃から少しでも引っかかった所があれば素直に口に出す事が多い。故に秋雅の今しがたの感想も、ヴェルナたちにも納得が出来るものがあったらしく、そのような反応を軽く見せている。

 

「まあ、結局は俺の推測に過ぎないんだけどな」

 

 にもかかわらず、先ほどまでの発言から一転して、からかうように秋雅は肩をすくめて見せる。ある意味では早瀬と同じ、何処まで本気で言っているのか分からない態度、と言ったところか。こういうところも、あるいは秋雅が彼女を気に入っている理由かもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋雅達が車に乗り込み、早瀬を運転手として出発して数分。ちょうど赤信号に引っかかった所で早瀬が口を開いた。

 

「さて、顔も合わせぬ状況ではありますが、ご依頼の件について報告をしてもよろしいでしょうか」

「ああ。無駄に時間を使う必要もない」

「分かりました。まず、調査を頼まれた草壁夫妻の件についてですが、ざっと調べた限り委員会に所属する魔術師ではありませんでした」

「じゃあ、祖父達は魔術には関係ないということですか?」

「とも言い切れません。委員会に登録していない野良の魔術師、という可能性がありますから」

 

 一応、委員会以外の結社に所属する魔術師、という可能性もあるのだが、その点について早瀬は口に出すそぶりを見せない。おそらく、日本の魔術結社事情が原因だ。

 

 まず、『正史編纂委員会以外の魔術結社の魔術師』は『他国の魔術結社の魔術師』ということになる。一時的に滞在している、というのならそれもありえるだろう。しかし、今回で対象となっている紅葉の祖父たちは、この地に数十年と住んでいると既に調査が済んでいる。流石にそれだけの期間を日本の、特に北海道という首都から離れた地域に住み続けているのは不自然だ。流石に時間がなかったの、で外国の結社の関係者と接触があったかどうかについてまでは調べられていないが、渡航歴を調べた限りでは日本を出た形跡がないし、何より紅葉も証言していることだが、彼らは純日本人であるはず。そういった事を踏まえれば、夫妻が他国の魔術師である可能性はさして見ないでいいだろうと、早瀬は判断したのだろう。

 

「とはいえ、この時点ではどちらとも言えません。じっくりと調べれば会わずとも分かったでしょうが、何分今回は時間が足りません」

「押しかけて強硬手段を、というわけにも行かないからな」

「ええ、流石にそのような手を打って稲穂様のご機嫌を損ねる蛮勇は抱けません。ただ、今回の稲穂様方の訪問にあたって、とりあえず警察関係者ということで連絡を取ってみたのですが、その際、正史編纂委員会の名前を不意打ちで出してみたところ、若干の反応がありました」

「どんな反応だ?」

「電話越しだったので断言は出来ませんが、やや驚いていたようにも思いました。少なくとも、委員会の名を知らない人間の反応ではないですね。そうであるならば、まず見せるのは困惑の類のはずですから。ああ、ちなみに祖父君の方です」

「ふむ。ならば素直に、紅葉の祖父が魔術師であると考えるべきだろうか」

 

 一応、他の魔術師からその名を聞いた事があるだけの一般人、という可能性もあるのだが、シンプルに当人が魔術師であると考えたほうが色々と分かりやすい話だ。

 

 ちらりと、秋雅が隣に座る紅葉に視線を向けると、彼女はやや緊張した面持ちでじっと前を見ていた。両親のみならず祖父母までも魔術に関わっている可能性が出てきてしまった。彼女にとっては衝撃の事実の連発であり、少なからず心労も重なっているだろう。そのことをどうにかしたいとは思うものの、しかしその手立てはというと、これといったものが思いつかない。精々が、かえってストレスがたまらないように、隠すことなく真実を共に知る、くらいしか出来ることがない。

 

 難しいことばかりだ、と秋雅は心の中でため息をつく。が、そうしたところで状況は動いてくれない。今はただ、やるべきことをするべきだと思い直し、視線と意識を運転席に座る早瀬へと戻し、口を開く。

 

「ところで、早瀬室長。北海道分室室長である君がわざわざこのような雑事を行うことにしたのは、何か私に要請したい事があると見ていいのかな?」

 

 空港で再会してからずっと思っていた疑問を、秋雅は早瀬にぶつけた。秋雅に対しての出迎えとしては決しておかしな人選ではないのだが、たかだが草壁家への案内だけとしてはやりすぎな風に感じられないこともない。ありえるとすれば、ここで秋雅に対し何かしらの要請なり依頼なりをする場合だろうと秋雅は考えたのだ。

 

「……流石の慧眼、感服する限りです。ええ、確かに、お忙しい最中に申し訳ないのですが、一つ、ご依頼したい件がございます」

 

 敬服している素振りを見せながら、早瀬が秋雅の言葉を肯定する。

 

「以前、秋雅様をこの地にお招きした際のこと、覚えていらっしゃると思います」

「大鹿の姿をした神獣の討伐の依頼だったな。事前に出現が予知され、それを元に先んじて私が待機した結果、神獣による被害を最小限に抑える事が出来たと記憶している」

「その通りです。その予知をした媛巫女が、数日前にとある夢を見たそうなのです」

「夢――予知夢ということか?」

「かもしれない、と注釈をされたうえで、私どもはその夢の内容を報告されました。その内容は、『天より放たれた雷が地を焼き、万を超える軍勢が街を蹂躙する』というものでした」

 

 ピクリ、と秋雅の眉が動く。それは自分の事を言っているのかと反射的に思ったからだが、しかし、どうやらそうではないらしい。

 

「その時点では、分室内でその夢の内容はさして重視されていませんでした。霊視成功の確率の低さは有名ですからね。とはいえ、前回の一件もありましたし、個人的には注目していました。その状況が変わったのは、昨日、不自然な落雷の情報が上がってきてからです」

「不自然、というとどのようなものなのですか?」

「雷雲の発生と消滅が異様に早いんですよ。先ほどまでは快晴であったのに突如雷雲が発生し、そして幾度か雷を落とした後にふっと消滅してしまう。そんなことが各地で繰り返されています。しかも、それが起こった場所を記していくとまるで意思を持って動いているようにすら見えるのです。結果、明らかに自然のそれの動きではない、と結論付けられました」

「つまり何者かの――いえ、まつろわぬ神の仕業であると、北海道分室は判断したのですね?」

 

 五月雨の確認に、早瀬が頷く。

 

「明らかに、ただの魔術師には出来ないことですからね。稲穂様含め、カンピオーネの方々がその時点でこの地に足を踏み入れておられない以上、自然と可能性は絞られます」

「如何なる神の仕業であるのか、は分かっているのですか?」

「それがどうにも。現象だけを見れば雷神の類かとは思うのですが、予知夢の事を踏まえると『軍勢』というキーワードがやや引っかかる。外から来た神ということでないのであれば、日本神話の神か、あるいはアイヌ神話の神かとは思うのですが、やはり情報が足りません。稲穂様はどう思われますか?」

「……いや、私も現状では何とも言えないな。それよりも、まつろわぬ神の仕業という割には、呪力の気配は感じない方が気になるのだが」

 

 車の窓越しに空へと視線をやりながら、秋雅は呟く。見るからに快晴で、遠くの雲まで見えるその空に、不穏な気配は感じられない。この地域に件の雷雲が来ていないからのもあるのだろうが、しかしそれほど大規模な異変を起こしているのであれば、多少なりとも呪力やまつろわぬ神の気配というものを、秋雅が感じ取る事が出来ないというのがややおかしな話だ。

 

「それが、どうやらその雷雲自体は自然発生したもののようなのです。少なくとも現地に派遣した魔術師には呪力の残滓を感じ取る事が出来なかったと。おそらくですが、まつろわぬ神の存在に呼応して、自然現象の側が引っ張られているのではないかと」

「成る程な」

 

 ヴォバン侯爵と同じようなものか、と秋雅は納得する。かの王の気の昂ぶりに応じ嵐が発生する事があるが、おそらくはそれと似通った現象が起こっているらしい。

 

「そういうわけですので、北海道分室は今警戒態勢です。雷雲の発生を監視し、何かあればすぐに行動を起こせるようにしているのですが、もう一つの予知である『軍勢』とやらの正体も掴めぬ現状、我らだけで事態の収拾をつけることはまず不可能でしょう」

「だから、いるであろうまつろわぬ神を、私に討ってもらいたい、ということか」

「そういうことになります。今このタイミングで稲穂様がいらっしゃったこと、それが比類なき幸運であったと我らに思わせて頂きたく、自ら参上した次第です」

「――分かった。草壁夫妻との接触が済み、こちらの用件が片付き次第、北海道分室に協力しよう」

 

 さほど悩む素振りも見せず、秋雅は早瀬からの依頼を快諾する。こちらもそれなりに忙しい身ではあるが、元よりまつろわぬ神の討伐はカンピオーネにとって最大にして唯一の義務。よほどの状況でもない限り、それを断るという選択肢は秋雅にはないのだから、その快諾も当然の話ではあった。

 

「おお、受けてくださいますか! ありがたい、これで我らも一息がつけます」

「すまないが、一息ついてもらうには早い。こちらが暴れても構わぬよう、人民の避難や後始末等の準備を行ってもらうぞ。それと、何処でも良いが宿の準備は頼む。どれほどであちらを見つけられるかも定かではない上に、討伐が成功した後も、最低でも一日程度は休息をとりたい」

「畏まりました。稲穂様方をお送り次第、後方支援と滞在の準備を進めさせてもらいます」

 

 ホッと、秋雅の快諾に対し早瀬が小さく安堵の息を漏らした。命を懸けて秋雅の度量を測ろうとする度胸を持った彼女であるが、流石にまつろわぬ神の出現には気を揉んでいたらしい。秋雅から色よい返事を受け取る事が出来たので、一先ずは安心だと思ったようであった。

 

 それによって、幾分か余裕が生まれたということなのか。そう言えば、と思い出したように、早瀬がバックミラー越しに秋雅を見る。

 

「実を言うと、今回稲穂様が草壁家を訪れることになった事情というものをあまり存じ上げていないのですが、宜しければお聞かせ願えるでしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、五月雨は僅かに眉をひそめ、振り返って秋雅を見る。どうしましょうか、と暗に告げている五月雨に対し、問題ないと秋雅は頷いてみせる。

 

「事は我らだけの問題で済まない可能性がある案件だ。万一の可能性に備えて、北海道分室と情報共有しておいても構わないだろう。五月雨室長、すまないが私に代わってざっとした説明をお願いしてもいいかね?」

「……畏まりました」

 

 秋雅の返答に少しだけ逡巡を見せたものの、五月雨は早瀬に対し今回の一件に関しての説明を始める。

 

「今回、我々が追っている事件についてですが――」

 

 そうして始まった五月雨の説明であったが、非常に理路整然としていて分かりやすい。思わず、聴いていた秋雅が感心の声を漏らす程度だ。それは運転中ということで、集中力を注ぎきれない早瀬にとっても、実に助かるものであったらしい。彼女は数度ほど頷きつつ、理解したが故の皺を眉間に作る。

 

「いやはや、ご丁寧な説明、ありがとうございます。しかし、尋ねておきながらなんですが、私どもが力添えできる案件ではなさそうですね。事の中心が魔法陣関連では、どうにもお手伝いというのも難しい。うちには魔法陣に関する知識を修めた者はおりませんからね」

 

 早瀬の言葉に、当然だろうと秋雅は内心で頷く。そもそもとして、五月雨は正史編纂委員会内でも魔法陣に詳しい魔術師としてちょっとした有名人だ。その彼女に匹敵、あるいは凌駕するほどの知識を持った者は、委員会内には流石にいないだろう。いれば、多少なりとも噂になるか、当人がアピールなりしていてもおかしくない。秋雅自身はともかく、その手のことに強い三津橋が何も言ってこなかった以上、そうだろうと予想するのはそう難しいことではなかった。

 

「しかし、もし単純な人手不足ということでもあれば、可能な限り助力いたしますので。まあ、こちらの問題が片付いた後にはなるでしょうが」

「そうだな。もし何か、こちらの手に余るような事があれば頼もう。流石にないとは思うがな」

「それを残念と見るべきか否か、何とも難しい所です」

 

 茶化すように早瀬が呟く。どこまでもペースを変えない早瀬に、仮にこれが他の王に対してであればどうだっただろうか、などとどうでもいい事を秋雅はふと思いつく。もっとも、思いついたというだけで、特に口に出すこともないのであるが。

 

 

 

 

 

「……そろそろですね」

 

 話が一段落ついたところで、先ほどから外を眺めていた紅葉が呟く。

 

「ええ、もう五分とせずに着きますよ」

 

 紅葉の呟きに、ハンドルを握る早瀬が応える。五月雨の説明も含め、案外長々と話をしていたが、どうやらもうすぐ草壁家に到着するらしい。

 

「心配か、紅葉?」

 

 外を眺める紅葉に、隣に座る秋雅が声をかける。彼女の現状を踏まえれば、今回の祖父母との再会は、思うところが多くあるだろう事を察するのは簡単なことであった。

 

「心配、といえば心配はしていますかね。父は何か大事を起こそうとしているようですし、何より私はもう死んじゃっていますから。でも、どんな反応をされるにせよ、一度は会っておく必要があると思ったから、今回の提案をしたんです。だから、大丈夫です」

 

 振り返り、秋雅を見つめながら紅葉は言う。その目に不安の色は確かに見受けられるが、怯えの色は見当たらない。

 

「……そうだな、君なら大丈夫だ」

 

 だから、秋雅もゆっくりと頷きを返す。そんな、期待の持てる表情を、紅葉は浮かべていた。

 

「ああ、見えてきましたよ」

 

 早瀬の報告に、秋雅は視線を前に戻す。正面に見えるのは、それなりに年季が入っているらしい一軒家だ。

 

「あれか」

「はい、祖父母の家です」

「何か進展があると良いのですが……」

 

 どうなるでしょうか、と五月雨が呟く中、車はその家の前で停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さて」

 

 腰を下ろした老人が口を開く。草壁家を訪れた秋雅達を家の中に招いた老人は、突如頭を下げる。

 

 

「お初にお目にかかります、羅刹の王よ」

 

 老人の態度をいぶかしんだ秋雅であったが、最後に老人が呼んだ名前に、ピクリと眉を動かす。

 

「その言葉を知っている、ということは」

「はい、正史編纂委員会にこそ属しておりませんが、私と妻は魔術師の端くれでございます。御身のことも、同じく在野の知人から聞き及んでおりました」

 

 そこまで言った所で老人は頭を上げ、真剣な表情で名乗る。

 

「草壁家当主、草壁幸次郎と申します。ご存知の通り、御身の隣に座っている草壁紅葉の祖父でございます」

「神殺し、カンピオーネが一人、稲穂秋雅だ。彼女らは、私の直接の部下であるヴェルナ・ノルニルとスクラ・ノルニル、そして正史編纂委員会福岡分室室長である五月雨恵だ」

「五月雨です」

 

 秋雅の紹介に、五月雨のみが名乗り、車に乗ってからずっと口を開かなかったノルニル姉妹は、やはりここでも黙ったまま軽く頭を下げる。なお、ここまで秋雅達を連れてきた早瀬は草壁家に秋雅達を下ろして早々、例の件について対応する為にその場を離れているのでここにはいない。

 

「いきなり大所帯で押しかけ、申し訳なく思っている。奥方にも、何やら負担をかけたようだな」

「いえ、大事を取って休ませてはおりますが、既に家内も意識は回復しています。あまり御気になさらぬよう」

 

 実は、秋雅達が草壁家を訪れた時、応対をしたのは幸次郎の妻、つまりは紅葉の祖母であった。だが、彼女は今ここにいない。というのも、彼女は玄関扉を開けた先にいた秋雅達の姿を確認した途端、突如卒倒してしまったのだ。そのため、今彼女は家の奥で休んでいるという次第であった。

 

「お爺ちゃん、お婆ちゃんは何か持病でも持っているの?」

「……いや、そういうわけじゃないんだ、紅葉。何と言うか、お婆ちゃんはちょっと特別でな」

「特別?」

「それは、どういう意味だろうか?」

「少々説明が難しいのですが…………家内は人あらざる者を知覚する、特殊な才があるのです」

「どいうと?」

「実を言うと、私どももよく分かっておりません。ただ、家内の家系に代々そういった力が継承されてきたらしく、家内はどのような姿であれ、相手が人でないならば、それをすぐに見破ってしまうのです」

「媛巫女の霊能力のようなもの、ということでしょうか?」

「おそらくはそういうことかと思います」

「なるほど、それで紅葉を見て卒倒してしまったと」

「……そっか、私の正体に気づいたから」

「うむ……言いたくはないが、そういうことだ」

 

 何とも言えぬ表情で、幸次郎が頷く。確かに、久しぶりに現れた自分の孫が、幽霊となって会いに来たなどと知ってしまったら、ひどくショックを受けるのも道理であるだろう。

 

「稲穂様、紅葉に起こったであろう何事かが、今日ここにいらっしゃった理由なのですか?」

「そう、だな。少なくともきっかけはそうなるだろう。幸次郎殿、少し長い話になると思うが、お聞き願えるか?」

「勿論です。我が孫に何が起こったのか、知らぬままで済ますわけにはいきません」

「分かった。五月雨室長、手間をかけるが」

「はい。草壁さん、私の方から今回の訪問の理由についてざっと説明をさせていただきます」

 

 そうして、本日二度目となる五月雨による説明が始まる。自分の孫に起こった事と、息子が起こそうとしているかもしれないこと。幸次郎は秋雅達がやや不思議に思うほどに静かに、特に大きな反応を見せるでもなく、じっと話に聞き入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これが、私達が今回、草壁さんにお話を聞きにきた理由となります」

「そう、ですか。康太が……」

 

 最後まで話を聞き終わった所で、幸次郎はその顔を手で覆う。自分の息子がその娘、つまりは自分の孫に対し行ったことと、これから起こそうとしているであろう事。少し前までまるで思いも寄らなかったことを突然に聞かされたのだ、幸次郎が感じている衝撃、怒り、嘆きは外様の人間が易々と語れぬほどであろう。

 

「幸次郎殿、貴方が感じているであろう心痛は、私では理解しきれぬほどであると思う。だが、酷な事を言うようだが、今は草壁康太の目的の阻止と、紅葉の妹である草壁椿の身の安全を確保する事が最優先事項だ。無理を承知の上で、どうか草壁康太についての話を聞かせてもらいたい」

 

 どうか、と真摯な態度で秋雅が頼み込む。そんな秋雅の態度に、息子の凶行にショックを受けていた幸次郎は長い沈黙の後、意を決したように口を開く。

 

「……分かりました。稲穂様、貴方様の望みの通りに致します。康太が紅葉に行ったこと、とても許せるものではありません。椿を紅葉と同じような目に合わさぬためにも、私が知りうる限りの事をお話いたします」

「感謝する」

 

 そう言って、秋雅は頭を下げる。これに対し、ぎょっとした気配が五月雨からは感じられた。まさか、自分達からすれば絶対的な王者である秋雅が頭を下げるというのが意外であったのだろう。ここまでずっと黙り込んでいたヴェルナ達まで、軽くとはいえ秋雅に合わせるように頭を下げたことも、あるいは彼女の驚愕に拍車をかけたのだろうか。

 一拍し、五月雨が慌てて頭を下げたことを確認した後、秋雅はゆっくりと頭を上げ、改めて口を開く。

 

「さて、では話を進めさせてもらおう。まず前提として確認をしたいのだが、草壁康太に魔術の手ほどきを行ったのは貴方だろうか?」

「はい、その通りです。私と家内が康太に教えました。その後、康太自身が幼馴染である楓にも教えていたようです」

「その際、草壁康太に対し、魔法陣に関する知識も教えたのだろうか?」

「……そうですね。私が受け継いできた知識には魔法陣に関するものもありました故、草壁家嫡男として康太にも教えました」

「魔法陣の知識を受け継いでこられたのですか?」

「ええ。そしてそれが、私が正史編纂委員会に入らなかった理由でもあります」

「どういうことだろうか?」

「それは……」

 

 秋雅に問いかけに、幸次郎は少し悩む素振りを見せる。だが、すぐに意を決したように頷き、口を開く。

 

「それは、草壁家が代々受け継いできた、とある魔導書が理由です。数百年前に、本州の方から伝わったものらしく、万一にもこれの存在を他者に知られないようにするために、代々の草壁家の当主はこれを封印し続けておりました」

「封印ということは、禁書の類なのだろうか?」

「はい。使い方次第では、それこそ国すらも滅ぼせるほどの術を記した魔導書です」

「国って……」

 

 ここで初めて、黙っていたヴェルナが口を開いた。まさかそこまで、と幸次郎の言葉を否定するニュアンスを含んだ呟きであったが、それを耳に入れた幸次郎はゆっくりと首を横に振る。

 

「信じられない気持ちは私も分かります。私も、父にこれの存在を知らされたときは、馬鹿な、と思いました。ですが、実際に記された術を見て理解したときは、流石に背筋がぞっとしたことを覚えています」

「それで、その術とはどのようなものなのだろうか?」

「――とある、特殊な魔法陣です」

 

 幸次郎の言葉に、場の雰囲気が一気に硬くなる。

 

「魔法陣、か。だから、貴方は隠してきたそれを、今教えてくれたのか」

「そうなります」

「それで、その魔法陣とはどのようなものなのですか?」

「いくつかあるのですが、特に危険であるのが一種の爆弾を作る魔法陣です」

「爆弾、ですか?」

「爆弾と申しても、物理的な被害はさしてありません。ですが、その爆弾は土地を汚す(・・・・・)事が出来るのです」

「土地を汚す?」

「はい。その爆弾が爆発すると、中に込められていた……汚染された呪力、とでも申しましょうか、それが辺り一帯に撒き散らされ、地脈等を汚してしまうのです。地脈は土地の命を運ぶ血管のようなもの。それが汚染されると、その土地が汚染されることとなります。汚染された土地では全体の運気が降下し、その地に住む生物にも悪影響を及ぼします。風水に失敗した場所を思い浮かべて頂けると分かりやすいかもしれません。あるいは、このご時勢になんでしょうが、放射能によって汚染されるようなもの、というイメージが近いかもしれません」

「最終的に生物は寄り付かなくなってしまい、その土地は荒廃する、ということか。成る程、規模にもよるが、確かに場合によっては国を滅ぼせるかもしれないな」

「試したわけではないので詳しくは分かりませんが、手のひら大の水晶球を使えば一つの街を滅ぼせると記載されていました」

「当時と街の規模などには差異があるだろうが、十分に驚異的な汚染範囲と考えていいな。これはまた厄介な……」

 

 幸次郎の説明に、思わず秋雅が唸る。確かに、幸次郎の話がすべて事実であれば、国を滅ぼすという大言壮語も決して誇張ではないだろう。今まで正史編纂委員会にこの情報を渡さなかったのも納得がいく。こんなものが記された魔導書の存在など、下手に誰かに教えられるものでもない。

 

「幸次郎殿、具体的なその爆弾の作り方はどのようなものだろうか?」

「まず、魔法陣の中央に何かしらの呪力を込められた物品を用意します。そして、その中に込められた呪力を徐々に汚染していくのです。すると、その物品の表面に蔦の絵が浮かび上がるそうです。これは内部の呪力の汚染と共に数を増していき、それと同時にその物品を徐々に締め付けていくそうです。最終的に、この蔦がそれを破壊し、汚染されてきった呪力を周囲一帯にばら撒く、と記されています」

「自動起爆、ということか」

「であれば、こちらに露見せず数を多く設置するのも難しいでしょう。思ったよりも大規模な被害は出ないと思われますね」

「だといいが。それで、解除方法は?」

「蔦が破壊する前に、先んじてその物品を破壊するしかありません。汚染された呪力は最後まで工程を踏まないと安定しないらしく、途中で破壊された場合は無害な普通の呪力へと再変換されると。逆説、最後まで工程が終了した場合はもうどうしようもありません」

「対処は簡単だが、時間との勝負になるな」

「魔法陣に設置したらもうお仕舞い、というわけではないだけまだ楽ですが、しかし面倒な代物ですね……草壁康太の狙いはこれなのでしょうか?」

「さて……幸次郎殿、他にその魔導書に危険な魔法陣は記載されているのか?」

「いえ、後は地脈から呪力を引きだすものなどで、直接的な危険性があるものはなかったかと」

「例の奴の元となった魔法陣はそれだな。まあ、それが分かった所で…………」

 

 ふと、秋雅の言葉が止まる。何事か、と紅葉が見てみると、彼は信じがたいものを見たかのような表情を浮かべ、口元を手で覆っている。

 

「まさか、それが奴の……?」

「秋雅さん? どうしたんですか?」

「…………もしかしたら、という可能性を思いついた。ヴェルナ、スクラ、呪力を込められる物体に関して聞きたい」

「はい?」

「急にどうしたのよ」

「聞け。最も相性の良い物体を使ったとして、それにどの程度の量の呪力を込められると思う?」

「ええ? そりゃ、まあ量にもよるけど、ウーツ鋼を使ったとして……そうだなあ、十キロで一般的な魔道師十分の一ぐらい?」

「もう少し低くないかしら? まあ、でも他の素材でもたぶんその程度が限界だとは思うわ」

 

 突然の質問に、怪訝そうにしながらも私見を二人が答えると、秋雅の表情がますます険しくなる。どうしたのだろうか、と皆が思う中、

 

「――まさか、そういうことですか!?」

 

 思わず、といったように五月雨が立ち上がる。呆然とした面持ちで自らに視線を向ける五月雨に、秋雅はゆっくりと頷きを返す。

 

「ああ、おそらく、それが草壁康太の狙いだろう。それならば、紅葉の件の理由も分かる。この手なら自動起爆による数の不利も簡単に覆す事が出来る」

「ですが、だとすれば正気の沙汰ではありません」

「今更だろう。草壁康太という男が私達の印象通りならば、むしろ納得がいくとすら言える」

「……ねえ、二人して分かり合っていないで、こっちにも教えてちょうだいよ。一体何が分かったっていうの?」

「紅葉が死ぬ原因となった魔法陣の効果を思い出せ。あれは紅葉の呪力として器を広げ、その中に呪力を流し込もうとしていたんだぞ」

「ええ、それが……」

 

 言いかけて、スクラの言葉もまた止まる。彼女だけではなく、ヴェルナと、そして紅葉ですら、驚愕したように目を見開いている。幸次郎も、察してはいないようだが、しかし嫌な予感というものがあるのか、表情を曇らせている。

 

「ああ、そういうことだ」

 

 皆の表情を確認し、秋雅は吐き捨てるように言う。

 

「奴の狙いは、人間を呪力の爆弾とすることだ」(・・・・・・・・・・・・・・ )

 

 秋雅の言葉に、場の空気が凍る。改めて口に出されることで、その言葉の意味と、それに含まれた狂気を理解したからであった。そんな空気の中、秋雅は口を止めない。

 

「結局、人間以上に呪力の保持量に優れたものはいない。さらにその『器』を広げたものを利用すれば、これ以上ない規模の呪力の爆弾となる。さっきまでの幸次郎殿の話どころじゃない。最低でも人間数人分の汚染された呪力が地脈に乗って撒き散らされるなど、下手をすれば街どころか県の一つぐらいは潰れる可能性もある……!」

 

 何ということだ、と秋雅は苛立ちから頭を乱暴にかく。流石にこれは予想外に過ぎた。まさか、一人の魔術師がそのような規模の大事を起こせるとは思っていなかったのだ。ウルの懸念が当たったということになるが、これであればまだ秋雅を直接狙ってくれたほうが楽と言うより他にない。

 

「幸次郎殿、件の魔導書を借り受けることは可能だろうか。時間が怪しいが、可能な限りそれを研究して対抗策を見つけなければならない」

「分かりました。先祖には申し訳ありませんが、やむを得ません。ですが、厳重に封印してあるので解除に時間がかかります。書庫の封印と魔導書自体の封印とで、最低でも一時間ほどは必要でしょう」

「随分と厳重だが、致し方ない。急ぎお願いしたい」

「ええ、では失礼します」

 

 そう言って、幸次郎は小走りで部屋を飛び出す。それを見ながら、秋雅は携帯電話を取り出しつつ言う。

 

「一時間もただ待っているのは時間の無駄だ。五月雨室長、私は早瀬室長の依頼を受けてくるから、君はここで待機を。ついでに三津橋に草壁康太の確保を急ぐように伝えてくれ」

「分かりました」

「紅葉、君もここに待機だ。立て続けのことで疲れだろうから、少し休んでおくといい。五月雨室長、紅葉の事も頼む」

「それは……いえ、分かりました」

「そちらもお任せください」

「私とスクラは秋雅についていくからね、良いでしょ?」

「ああ、ここに置いておいても仕方がない」

「じゃあ急ぎましょう。あっちもこっちも、急いで片付けないといけないことばかりだわ」

「では二人とも、ここは頼むぞ……ああ、早瀬室長か。すまない、こちらに車を――」

 

 そう言って、秋雅は電話をかけながら部屋を出て行き、それにヴェルナとスクラも着いていく。

 

 そんな中、

 

「……待機、か」

 

 紅葉が漏らした小さなつぶやきが、ふと秋雅の耳に残った。

 

 




 思ったよりも長くなってまつろわぬ神まで行かなかった。これでも細かい所を削ったつもり、かなりのカット進行のつもりなんですがね。やっぱり余計な事を書きすぎるのが私の悪い癖か。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。