「……集結? こっちは……人形、か? いや、器、の可能性もある、か。意味もそうだが、そもそも書体が古くて読み難いな……」
床に描かれた魔法陣を観察しながら、秋雅は困ったように眉をひそめる。現在、秋雅は委員会からの応援を待ちながら、目の前にある魔法陣の解析をやっている途中であった。
が、しかし、
「……どうにも、分からんな」
はあ、と秋雅はため息をつく。いくらか、魔術というものを習得している秋雅であったが、魔法陣という分野にはさして手を出していない。おかげで、断片的にはその機能を読み取れるもの、結果としてどのような意図を果たす為の物であるのかということはろくに読み取る事が出来なかった。
とはいえ、実際の所、これは秋雅に限った話でもない。他の、一般的な魔術師の場合でもあっても、精々が秋雅と同程度であるが、あるいはそれ以下というのが今の魔術界の現状である。
現在の魔術界において、魔法陣という分野は現存こそすれ、それを習得しようとする者はほとんどいないのというのが実情だ。理由としては、魔法陣を用いた魔術というものが往々にして大人数、大規模のものばかりであり、実質上の儀式用の魔術となっていることにある。
どういうことかと言えば、実力のある魔術師の大半が個人主義者であるために、こういうタイプの魔術はあまり表舞台に出てこれないのである。加えて言えば、やはり戦闘の場において、主流である詠唱式の魔術と違い、どうしても事前準備などの難易度が高いというのもあるだろう。結局、科学と同じく、技術というものは戦闘、戦争においてより磨かれるものであり、より高速で効果的な詠唱式に魔法陣が追いつけなかったというだけの話である。
そういう事情が存在するので、一応要請はしたとはいえ、正史編纂委員会からの人材に魔法陣を習得したものがいる可能性は非常に低い。だから、僅かとはいえかじっている秋雅が、少しでも解析の手助けでもしようと思ったのであった。まあ、あまり役に立てるとは言い難いのが、何ともはや、な現状であるのだが。
「……そもそも、どうして一つの魔法陣の中に日本語やらフランス語やら中国語やらがごちゃ混ぜに詰め込まれているんだ。言語を変えることで何か意味が生まれるってことなのか? ……そういえば、別の言語を使うことで別の理であると認識させ、反発力を生むことで術を強化する、とかいう理論を前にどっかで聞いたが、その類だったりするのか? それにしても、えらく制御が…………ああ、だから
ぶつぶつと、魔法陣の外縁をなぞりながら分析を試みる秋雅であったが、やはり数分もしないうちに無理だなと首を横に振る。どうにも、自分には解明しきれないと結論を出すより他になかった。
「あいつにでも頼むか。貸しもあるし、これだけややこしい魔法陣なら喜んで……む」
ふと、秋雅は階段へと視線を向ける。理由としては、そちらより階段を降りてくる足音と気配を、それも二つも感じ取ったからだ。そのうち、片方がよく知ったものであるが、もう片方にはいまいちピンと来るものがない。
「何だ、ウルも来たのか。しかし、もう一人は誰だ? 三津橋ではないようだが……」
はて、と秋雅が迫り来る相手が誰であるのかと、内心で首を傾げながら待っていると、それから一分も経たず、この地下室に来訪者が降りて来る。一名は秋雅の予想通り、彼の恋人であるウルであり、もう一人の覚えのない気配の主は五月雨であった。
「ハイ、シュウ」
「お目汚し、失礼致します」
「……五月雨室長? ウルもそうだが、わざわざ君も来たのか」
「タイミング良く話を聞いたから、ね。本格的に動き出す前だったし、こっちのサポートとして着いてきたのよ」
「私は、稲穂様が魔法陣の専門家をご所望とのことでしたので、微力ではありますがお力になれればと」
五月雨の発言に、秋雅は思わず眉根を寄せる。不愉快から、ではない。魔法陣に関わっているのかという、素直な驚きによる反応だ。
「君は、魔法陣の研究をしているのか?」
「そこまで大層なものではありませんが、普通の魔術師よりは精通していると自負しています」
「道中で少し話を聞いてみたのだけれど、確かに私達よりは詳しいみたいよ。この場は任せても良いんじゃないかしら」
そうか、と五月雨の言葉とウルの助言を聞いて、秋雅は頷く。思いがけない人材に、面白いこともあるものだと内心で考えながら、秋雅は五月雨を見やり、
「では、早速で悪いがこの魔法陣の解析を頼む。状況が状況ゆえ、君にはかなり期待することになるが」
「ご期待に添えられるよう、全力を尽くす所存です」
「ああ、頼むぞ……そうだ、五月雨室長」
「何でしょうか?」
「君に渡しておきたい物がある」
そう言って、秋雅は取り出したメモにさらりと走り書き、五月雨へと渡す。そのメモをどこか恐れ多そうに受け取る五月雨であったが、受け取ったそのメモの内容を読んで、やや眉をひそめる。
「これは、誰かの連絡先でしょうか? 名前も書いてありますが……」
「ああ、私の知り合いの魔法陣の研究家だ。少々面倒くさい奴ではあるが、腕は確かであるので解析の間に何かあれば連絡をとってみるといい。あれには貸しもあるから、私の名前を出せばまさか断るということはしないはずだ。そもそも、珍しい魔法陣の話となれば、自分から協力を申し出るかもしれないが」
「そうでしたか。では、何かあれば連絡を取ってみたいと思います。わざわざ申し訳ありません」
「いや、こちらが頼んでいる側だからな」
そう言った後、他に何かあっただろうか、と秋雅は考えてみたが、特に今言っておくことは思い至らない。そのため、後は任せて自分は上に戻ることにした。
「それでは、私は上に戻りたいと思う」
「上には三津橋さんも来ていますから、何かあれば彼にお願いします。とりあえず、今は部下たちが持ち主の部屋を含め、家中の捜索をしている最中のはずです」
「分かった。何かこの魔法陣に関係ありそうなものがあればここに持ってくるように命じておく」
「お願いいたします」
そう言って礼をしたあと、すぐさま五月雨は魔法陣の解析を始める。自分の専門分野で力を発揮できることに内心では張り切っているのか、これまでの彼女にしては珍しく、まだ秋雅が近くにいるというのに既に魔法陣へと興味が移っているらしい。
そんな彼女の態度に、今更秋雅がどうこうと言うわけもなく。むしろ邪魔をしないようにとウルに無言で合図して、二人して静かに階段を上り始めた。
「……で、紅葉の様子はどうだった?」
階段を上り始めて少し、もう下の五月雨には声が届かないだろうといったところまで来たところで、秋雅は後ろについているウルに対し声をかける。
「平静を保っている、という風に見えたわね。表面上は、と付け加える必要があるけれど。何があったの?」
「あの部屋で自分の遺体を発見して、『死』の実感に心が少々、な。自我に影響が出なかっただけマシと言えばマシだろうが」
「……成る程、ね」
合点がいった、とウルが頷く気配を秋雅は感じ取る。
「まあ、とりあえずは、表面だけでも冷静なら、今はそれでいいか。とはいえ、いくらかは彼女にも話を聞く必要がある以上、早く折り合いを付けてほしい所ではあるが」
難しいだろうな、と秋雅は小さく呟く。何か手を打つべきだろうかとも思うが、正直外野がどうこういったところで、どうなるかと思うような問題でもあった。
「まあ、私見だけれども、案外どうにかなるんじゃないかしら」
「根拠は?」
「シュウのことだから、何か彼女に対して誑しこむような事を言ったんじゃない? だったら、シュウに依存する形で解決すると思うから」
「色々と言いたい事がないでもないが、一つだけ言うならば、恋人の言う台詞ではないな」
「逆、恋人だから言うのよ。貴方に一番愛されているという自覚があるからこそ、貴方を誰が愛そうが問題視しないの。貴方が私以外の誰かに、私以下の愛情を向けることも、ね」
ウルの発言に思わず足を止め、胡乱な目つきを浮かべながら秋雅が振り向くと、ウルはニッコリと魅惑的な笑みを浮かべている。深い付き合いから、彼女が本心から言っているということを秋雅は感じ取る事が出来た。
「つくづく、お前は面倒何だか都合が良いんだか分からない女だな」
「悪い男に引っかかる前に、貴方に釣り上げられたのは私にとっても幸運だったと思っているわ」
「……やれやれ、そう言われると、俺としても何とも言えないな。それにしても、何で恋人とハーレムまがいの話をしなければならんのだか」
「自分の性質のせい、じゃないかしらね」
「成る程、道理だな」
困った物だ、とあえて茶化すように言って、秋雅は再び前を向き、再び歩き始める。それに同調するように肩をすくめて、ウルもまた秋雅の後について階段を昇り始める。
「そうそう、スクラとヴェルナのあれだけれど、今日中には調整が完了するそうだから、戻ったら付き合ってあげてちょうだい」
「ん、ああ。そういえばそうだったな」
「それと、そのおかげでこっちに来る事が出来なかったみたいだし、時間が出来たら二人と一緒に過ごしてあげたらいいと思うわ。どこかに旅行にでも行くとか」
「あの二人が外に出たがるかねえ。それに、君は良いのか?」
「私は貴方からの頼まれごとがあるから。いい加減、これ以上放っておくのも気になるから」
「別に急かさないぞ?」
「私が気にするのよ。放置状態でそのまま、というのが長引くのが嫌いなの。それに、個人的にも気になる調査対象だしね」
「まあ、そういうことなら任せる。一応、別ルートからも探らせるからあまり気負うなよ」
「ええ、分かっているわ」
そんな風に軽く会話を交わしていた二人だが、階段の終点が視界に入った所で口を閉じ、そのまま一気に地上へと上がる。
そのままざっと気配を探り、秋雅はウルを連れ立ってとある部屋の前まで行き、そのまま閉じられていた扉を開ける。
「……ああ、稲穂さん。それにウルさんも。お待ちしていましたよ」
すると、その部屋――十中八九、リビングだろうと見て取れる――で電子端末を操作していた三津橋が顔を上げ、秋雅に対し頭を下げる。ちらりと秋雅が部屋内で視線を動かすと、少し離れたところにあるソファに、紅葉が下を向いて座っているのが見えた。が、秋雅の登場に気付いてすぐに立ち上がり、そのまま秋雅達の方を所在無さげに見つめている。
そんな彼女の態度に一瞬どう反応しようかと秋雅は考えたが、まずはということで先に三津橋へと声をかけることにした。
「三津橋、状況はどうだ?」
「現在調査中、と言ったところでしょうかね。ただまあ、この時点ですでに、色々とやばい物も見つかってはいます。委員会として確保するだけの十分な証拠が見つかった以上、すぐにでも草壁康太の確保を行うことになりますね。紅葉さんにも、東京の方の住所も聞いていることですし」
「そうか。となると、調査が進むまではこちらは待ちの姿勢になるか」
「少なくとも、稲穂さん直々に動いてもらうほどの案件はないかと思います。紅葉さんがお父上の元に向かいたい、というのであれば話は別ですが」
「その場合は、私もついていくのが主としての努めだからな。その辺はどうなんだ、紅葉?」
避けては通れないということで、秋雅は先送りせずこの場で紅葉に問う。それに対し、紅葉は顔を暗くして、
「正直、迷っています。皆さんの邪魔をしてまで父さんと話をしたいのかと言われれば違うのですが、でも、その父さんと一緒にいるであろう椿の事は心配しています」
「だから迷っている、ね。確かに、数少ない信用できる身内のことは心配よね」
神妙な表情で、ウルが紅葉の言葉に同意する。おそらく、自分たちのことと重ねて見ているのであろう。
「ただ、正直、私が行った所で、特に何が出来るというわけでもありませんから、少なくとも今は皆さんにお任せしようかと」
「こちらも、妹さんに関して何かあればすぐにでも紅葉さんにお伝えすることにしましょう。勿論、稲穂さんにも」
「そうだな。紅葉、君もそれでいいか?」
「はい、お願いします」
一つ、話がまとまった。そんなところで、秋雅の携帯電話に連絡が入った。画面を見ると、そこにはヴェルナの名前が表示されている。
「すまない、ヴェルナからだ」
その場の人間に断りを入れて、秋雅は電話に出る。すると、表示通り、秋雅の耳にヴェルナの声が飛び込んでくる。
「秋雅? 今いい?」
「ああ、いいぞ。連絡をしてきたということは、そちらの作業は終わったということか?」
「うん、私のもスクラのも最終調整が終わったよ。後は秋雅に実際に手に持ってもらって、必要であれば微調整を加えるだけ。だから、秋雅には手早くこっちに戻ってきてもらいたいんだけど」
「分かった、少し待て」
そうヴェルナには言って、秋雅は三津橋に向かって口を開く。
「三津橋、この後の調査は君たちに任せていいか? 私は一旦あちらに戻ることにしたい」
「了解しました。こちらも急ぎ調査を進めますので、そうですね、夜にでも中間報告を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
「ああ、ではそのように。それと、もし何か魔法陣に関係ありそうなものがあれば下に持っていっておいてくれ」
「室長に渡す為ですね、分かりました」
「で、だが……紅葉、君はどうする?」
「え?」
「ここが君の家である以上、何か三津橋たちが君を頼りたいと思うことがあるかもしれない。その際、君がここに居たほうが話は早いと思う」
「まあ、不必要にプライベートを土足で、というのは気が引けますしね。諸々の調査も含め、紅葉さんがいれば助かることはあるでしょうし」
「とはいえ、紅葉自身の事を考えると、今はここにいたいとはあまり思わないだろう? それも踏まえた上で、ここに残るか私といるかを選んでもらいたいのだが」
どうする? と秋雅が問いかけると、紅葉は少しの間、深く考え込んだ後、
「……ここに残らせてください。今は、何も考えずに動いていたいので」
「そうか」
紅葉の返答に、秋雅は小さく頷く。今はそれでいいと、そう考えた上での了承でもあった。
「じゃあウル、私達は戻るぞ」
「ええ、行きましょうか」
「では、また後でということで。夜、分室の方ですり合わせを行いましょう」
「私も、後で合流します」
「ああ、また夜に」
そう締めて、秋雅はウルと共に、ヴェルナとスクラに合流する為に草壁家を出るのであった。