トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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第四章 軍神、そして同胞との戦
彼女の名前


「……思ったよりも、早く戻ってくることになったな」

 

 ロサンゼルスで一夜を過ごした翌日、秋雅は再びロンドンの地を訪れていた。前回の訪問からまだ一週間と経っていないうちから再度の訪問に、秋雅としても自分の行動に対し忙しないという評価を下さずにはいられない。さらに言えば、今回もまた目的地、待ち人が同じプリンセス・アリスであるというのが、それに輪をかけていると言えなくもない。

 

 特に今回は長居する予定もなく、用事が済めばすぐにでもインド経由で日本に戻ることになっているので、非常に忙しいスケジュールであろう。正直ここまで急ぐ必要は、実の所そうないのであるが、まあこの辺りは秋雅の性分が理由である。

 

「さて、事前に連絡は入れていたが……」

 

 空港を出たところで、秋雅はふむと周囲を見渡す。前回はこちらから訪れたが、今回に関しては向こうが招いた形になっているので、迎えを寄越してくれる、という手筈になっている。それらしいのはないかと、周囲を見渡してみると、見覚えのある顔が見つかった。

 

「ああ、あれか」

 

 頷いて、秋雅はそちらにゆっくりと歩いていく。すると向こうもまた秋雅の存在に気付いたようで、パタパタと小走りで秋雅の下に駆けて来た。

 

「――お久しぶりです、秋雅さん」

 

 そう言って頭を下げたのは、秋雅にとって前回の英国訪問の理由となった、幽霊の女性であった。ただ、何故か身に纏っているのはメイド服だ。デザインから察するに、プリンセス・アリスに仕える者たちが着ているものと同じそれであろうか、と秋雅は思う。

 

「ああ。ただ、久しぶり、というにはまだ時間が経っていないと思うが」

「あれ? そうですっけ?」

「一週間程度のはずだが」

 

 小首を傾げる彼女に対し、そう口には出すものの、しかし秋雅もまたやや自信なさげ口調であった。客観的に見て、別にそれが間違っているというわけではないのだが、前回英国を出立して以来極めて短いペースで各国を回ることになってしまい、秋雅の時間間隔に微妙な狂いが出ているのが理由である。

 

「そうですかね? ああ、でもお屋敷での生活が結構濃かったから、それでちょっと感覚が狂っていたのかもしれませんね……まあ、それはそれでいいです」

 

 えっとですね、と彼女は一つ咳払いをした後、秋雅を見つめて口を開く。

 

「改めて自己紹介をさせてもらいます。私の名前は草壁(くさかべ)紅葉(もみじ)、秋雅さんの二つ下の後輩……でした」

「……後輩?」

 

 はて、と秋雅が首を傾げる。明らかになった彼女の名前にも興味は当然あったが、それ以上に引っかかる言葉がある。

 

「その辺りはまあ、車内でってことで良いですか? ずっとここにいても、アリス様を待たせることになってしまいますし」

「……そうだな」

 

 疑問はある、が今ここで聞きだすよりはいいか、と秋雅も彼女の――紅葉の言葉に頷いてみせる。事実、先ほどから紅葉の格好の所為か、二人に対しそれなりに視線が集まっており、これ以上ここにいると面倒ごとが発生する可能性すらあった。

 

「じゃあ、こっちに来てください。アリス様が手配したお車がこっちに止められていますから。あ、運転手さんは別にいますから安心してくださいね。私が運転するとかじゃありませんから」

「だろうとは思っていたから問題ない……そういえば、死者の気配を制御できるようになったようだな」

「ああ、はい。流石に私の所為で周りの人が倒れていくとか洒落にならないんで、真っ先に制御方法を教えてもらいました。他にも簡単な魔術とか、ちょっとした『切札』とかも覚えたりしました」

「ほう」

「ついでに言うと、今着ているメイド服も私がイメージして出せるようにした奴です。実際に着替えたってわけじゃないですし、この場でドレスチェンジとかも出来ますよー」

「ふむ。君も色々と頑張ったようだな」

「その代わり、メイドとしての作法とかはあんまり覚える暇がなかったんですけどね……」

 

 などと言う事を話しながら、秋雅は紅葉の先導でその場から移動する。空港の裏手にある、おそらくは関係者用であろう人気のない駐車場についた所で、

 

「あ、あの車です」

 

 紅葉が指差した先にあったのは、気品の感じられる胴の長い一台の車。一般的に、リムジンと呼称されるであろうものであった。乗せる人間と目的地の関係から、アリスが準備した物であろう。

 

「お待ちしておりました、稲穂秋雅様」

 

 リムジンの傍らに立っていた、ぴしりと身なりを整えた男性が秋雅に対し深々と頭を下げる。まず間違いなく、この車の運転手を努めている者であろう。

 

「プリンセスの元までご案内させていただきます」

「うむ、よろしく頼む」

「お任せください」

 

 畏まる男性に対し、当然という態度を見せながら、秋雅は紅葉が開けたドアから車内へと入る。続いて、紅葉もまた車内に入った所で、男性も運転席に戻り、車を走らせ始める。

 

「何か飲みます? 色々と準備されているみたいですけれど」

 

 発車して早々、紅葉は車内に設置された小さな冷蔵庫らしきものを開け、中からワインなどを秋雅に示す。

 

「そうだな。ではその白ワインでも貰おうか。君も飲むか?」

「あー……遠慮しておきます。一応、私未成年なので」

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 一旦保留としていたが、先ほど紅葉は秋雅の後輩であると言っていた。現在、秋雅が二十一に近い二十歳――名前通り、秋雅の誕生日は秋だ――であるので、それを踏まえると確かに彼女が未成年であるというのは分かりやすい話だ。

 

「ならば、その辺りのことを改めて話してもらおうか。そのために、わざわざ君は私の迎えについて来たのだろう?」

「ええ、まあ。秋雅さんはあんまり私生活の事を魔術関係者の前で話したくないって聞きましたんで、ここなら大丈夫かなと思いました」

 

 秋雅達がいる空間と運転席の間には仕切りがあり、互いの声は聞こえないようになっている。よほどの大声を出したり、あるいは大きなアクションを取ったりという事をしなければ、運転手に話の内容が伝わるということはまずないだろう。

 

「ではまず、君が私の後輩というのは、どういう意味かね?」

「まずはそこからですね。と言ってもそのまんまで、私が通っていた高校って、秋雅さんが通っていた花村高校なんですよ」

「ほう」

 

 確かに、その高校名は秋雅が通っていた母校のものだ。珍しい偶然もあるものだな、と秋雅は思っていると、紅葉はさらに驚くべき事を口にする。

 

「と言うか、まあ、さらに言うとですね。私、秋雅さんと会った事があります」

「……そうなのか?」

 

 言われ、秋雅は記憶を手繰る。しかし彼の高校生活において、彼女と会ったという記憶は特にない。はてと、首を傾げる彼の反応に、彼女は予想通りとばかりに頷く。

 

「覚えていないのも当然だと思います。会ったのは一回だけで、その時も特に会話をしたってわけじゃないですし」

「なら、どう会ったんだ?」

「あれです。秋雅さんの弟さんの稲穂君――じゃない、えーっと、幹春君とクラスメイトだったんです、私。まあ、一年の終わりに私は東京の高校に転校しちゃったんですけどね」

「……ほう」

 

 思いがけない名前が出てきたことに、秋雅の視線がやや鋭くなる。しかし、そんな秋雅の視線に気付いていないのか、紅葉は特に動じることなく説明を続ける。

 

「で、ですね。幹春君とか他のクラスメイトの子達と一緒に遊びにいく事が何度かあって、その時に偶然秋雅さんと会ったんです。まあ軽く挨拶を交わしたって程度で、たぶん私は名乗っていないと思いますけど」

「成る程」

 

 確かに、そのようなことは多々あったと秋雅は過去の記憶を思い出す。彼の弟である稲穂幹春はかなり社交的なほうで、友人を引き連れて遊ぶということがよくあり、その最中に偶然秋雅と会い、弟の友人に挨拶をしたという事が何度もあったのだ。どうやらそのうちの一つで、秋雅と紅葉も出会っていたらしい。

 

「ほぼ勘なんですけど、私が最初から秋雅さんの事を名前で呼んでいたのも、そのあたりが理由じゃないですかね。私にとって稲穂というのは幹春君のことであって、秋雅さんのことじゃなかったですから。その辺を無意識に覚えていたんじゃないかと思います」

「ふむ。ありえなくもない話だな」

 

 秋雅としては単に、距離感が近い性格であるのだろうと考えていたのだが、そういうことであるのならば納得できない話でもない。たぶん秋雅が最初に名乗った時も姓よりも名前の方を重視するように名乗ったはずであるから、それが印象に残っていたのかもしれない。

 

「それにしても、思い出してみると結構印象が変わるものですね。あの時と比べると今の秋雅さんって、何か近寄りがたい感じがします。やっぱり神殺しになるとそうなるものなのですかね」

 

 しみじみとそんな事を紅葉が言うが、これは中々に危険な発言と言えるかも知れない。秋雅に対し特に従順な者などが聞けば、不敬だと声を荒げる可能性がある発言だ。もっとも、秋雅自身は全くそんな事を気にしないし、むしろそれを宥める方なのだが。

 

「まあ……な」

 

 とは言え、今回ばかりはその秋雅も、やや表情を曇らせている。気分を害した、というわけではないのだが、しかし、素の自分を少しでも見せたことがあり、なおかつそのようなことを言った相手に対し、このまま王としての態度を続行していいものかと思ってしまったのである。

 

 一度は素の自分を見せた相手に、王として偉ぶった態度をとるというのも、何となく気恥ずかしいものがないこともない。無視できる範囲であるが、しかし、と思ってしまうのも事実。そういった問題に対し少しばかり思考をめぐらせた後、はあとため息をつき、改めて紅葉に顔を向ける。

 

「まあ、別にいいか。いい加減面倒だ」

「何がですか?」

「演じるのはやめた、ということだ。弟の友人であるし、一応は一度会ったこともある相手だ。たまにはこういう選択を取るのも悪くない」

 

 結局、秋雅は紅葉に対し、素の自分で接する方を選ぶことにした。実際、ウル達やアニー以外にも、魔術関係者で気安い会話を交わす相手は極少数だがいないわけではない。また一人、それが増えたということだと、秋雅はそう思うことにする。それに、いくら魔術関係者であるとはいえ、生粋の魔術師と比べればほとんど素人に近いのだから、まだ精神的にも妥協できるレベルではあるのだから。

 

 こうなるのであれば家に置いていた時からそうすれば良かったと思わないでもないが、まあ、その時点では知らないことばかりであるので、意味の無い思考だなと秋雅は切って捨てる。まあ、もしかしたら、委員会の調査次第ではすぐに分かったかもしれないと一瞬だけ思うものの、しかし、やはり写真一枚で、しかも途中で転校した少女の事を見つけ出せというのは、非常に難しい話だと思いなおす。本腰を入れる必要はないと命令していたのは秋雅自身であるし、この件で委員会に文句を言うのは大人げがなさすぎる。

 

 そういうわけで、不必要な思考は止めて、秋雅は今まさに纏っていた気配を散らし、普段のように、ただの稲穂秋雅として生活している時の雰囲気、口調に自らを戻す。

 

「というわけだ。君に対しては、普通どおり振舞うことにしよう。君の身柄を引き受けている以上、これから長い付き合いになる可能性もあることだしな。まあ、人前ではまた、王として振舞うからそのつもりで頼む」

「はあ」

 

 と、突然の秋雅の変貌に呆然とする紅葉であったが、

 

「……まあ、よく分からないですけど、分かりました」

 

 どういう形かは分からないが、自分の中で折り合いをつけたのだろう。紅葉は真剣な面持ちを浮かべ、秋雅に対し頷きを返す。きっちりと理解しているわけではないのだろうが、しかし秋雅が大変珍しい選択を取ったということは察しているようであった。

 

「とりあえず、秋雅さんのそういう雰囲気とかを黙っていれば良いってことですよね?」

「そんな感じだ。まあ、面倒だろうがよろしく頼むよ」

「命の恩人、ってのは変ですけど、まあとにかく恩人の頼みですからね。大抵のことは了承させてもらいますよ」

「ありがたい……じゃあ、そろそろ話を戻そうか」

 

 真剣さは変わらず、しかし表情を僅かに柔らかくしながら、秋雅は紅葉に話の続きを促す。

 

「そうですね。と言っても、私のほうから言っておきたかったことは一先ずこれだけなんですけど」

「じゃあこっちから聞くが、君は自分の死因などは覚えているか?」

「いえ、それがさっぱり。大学入学の為に戻ってきた、って所までは思い出したんですが、そこからどうして死んじゃったのかまでは思い出せないんですよね」

「戻ってきた、ということは、福岡に?」

「ええ」

 

 秋雅の質問に対し、紅葉は自分が入学する予定だった大学の名前を告げる。奇しくもそれは、現在秋雅の弟である稲穂幹春が通っている大学の名前であった。

 

「ああ、それなら幹春が今通っている大学だな」

「あら、そうだったんですか? ああでも、あのあたりで一番近い大学はあそこですし、そこまで不思議でもないですね。じゃあ、ちゃんと通えていれば彼と再会する可能性もあったんですかね」

「む。その言い方だと、入学前に亡くなったのか?」

「多分そうじゃないかと。通った記憶は全くないですからね。まだ思い出せていないだけかもしれませんけど、それだったら私も高校じゃなくてそっちに化けて出るんじゃないかって思いますし」

「一年しかいなかった高校も大差ないと思うんだが、違うのか?」

「んー……私の中では結構違いますね。正直、小中学時代や東京でのものを比べても、花村高校での一年が一番楽しかったですから」

「ふむ、そういうものか。想いが残っていた、という意味では自宅に化けて出るのが自然な気もするが」

「ああ、それはないかと」

「うん? それはどういう――」

 

 秋雅の疑問に対し、突如紅葉の口調が冷たくなる。明確な否定の雰囲気に、一体どうしたのかと秋雅は不審そうに眉をひそめるものの、

 

「――あ、もう時間みたいですね」

「ん……ああ。そうみたいだな」

 

 目的地であるアリス邸が見えてきたことにより、その場での追求は、そのまま棚上げとなってしまうのであった。

 

 


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