「チェック」
「…………これで行こう」
「あら、もったいない使い方をするのね」
「言うな。ろくに打ったことなんかないんだぞ、俺は」
「その割には――」
悪くない手だけれど。
そんなウルの言葉に、どうなのかね、と秋雅は軽く息を吐き出した。
「チェスをしましょう」
その一言をウルが放ったのは、研究の成果の発表等を済ませ、秋雅が話題を変えようとした、その時だった。
ルール程度しか知らない、と難色を示した秋雅に対し、珍しくウルが強引に準備を進めて始まった対局。
戦局は言うまでもなく、経験者であるウルの独壇場だった。辛うじて局地的に秋雅が勝っている場面もあったものの、大局的に見ればまず間違いなくウルが勝つだろう。そのことが誰の目にも分かるぐらいにまで盤面が進んだ時、ふとウルが口を開いた。
「……どうしたいと思っているの?」
主語のない、あやふやな言葉。しかしその言葉に対し疑問を持つでもなく、秋雅は憮然とした表情を崩さぬままに口を開く。
「今、この状況でする話か?」
「今だからいいのよ。真剣な話こそ何かの作業中にする、というのが私の持論だから」
「それはまた、初耳の論だな。いまいち分からん」
「真剣な話をするほど、途中で余計なことを考えるものよ。だったら最初から、主動作に関わりのない話をして、余計なものが浮かび上がる枠を失くす。そういうことよ」
「成る程ね……」
まるで他人事のような口調で、秋雅は小さく呟く。そのまま、続いて言葉を紡ぐでもなく、二人はまた無言で駒を進めていく。
「……ある程度、答えは出ている」
何手かの後、突然秋雅が口を開いた。
「でも、ウルの考えも聞かないといけないとも思っている……いや、理解していると言う方が正しいか」
「あら、何が聞きたいの?」
「はぐらかすなよ――スクラとヴェルナのことだ」
そうね、とウルは駒を一つ手にとりながら言う。
「姉としては、まあ、妹たちが幸せだと思えるのであればいいのではないか、と考えてはいるわ。真っ当な関係のみが想いを成就する方法というわけではないもの」
「真っ当じゃなさ過ぎる関係は崩壊を生むだけ、とは思わないのか?」
「そもそも私達自体が真っ当な存在じゃないもの。他人を信じられなくなった姉妹に、その姉妹が唯一心を許す、カンピオーネという現代の王。元々普通の立場ではない私達なんだから、これ以上足を踏み外した所でたいした問題じゃないわ」
「どうだか、な」
トン、とウルが一手を打つ。
「どう言い繕ったところで、結局は浮気であり、そしてそれは相手にとって不義理な行いだとは思わないのか?」
「その相手である、私がいいと言っているのだけれどね。第一、浮気というのはこの場合正確な表現じゃないんじゃないかしら? 正確に言うのであれば、ハーレムとかそういうものになると思うのだけれど」
「ハーレムか。あまり、その言葉は好きじゃないんだが」
「あら、男としてロマンを覚えたりしないのかしら?」
「思わないな。皆好きだとか、誰かを選ぶなんて出来ないだとか、そういうのはやはり不義理に過ぎるだろう」
「一人を選んだら他は切り捨てないと駄目だと思う?」
「それが普通だ」
一般論ではな、と秋雅は小さな声で付け足す。それに対し、ウルはクスクスと口元に手を当てて微笑む。
「……何が可笑しいんだ?」
「自分が異質だとは思っているのに、一般論なんて言葉を口に出すなんて。本当は、自分でも滑稽だと思っているんでしょう?」
その言葉に対し、秋雅は答えない。ただ、黙って駒を一つ進めただけだ。それにより動いた盤面を見ながら、ウルは口を開く。
「真面目な話、姉としては貴方に二人を受け入れてもらいたい所はあるのよ。正直、私も含めて、私達姉妹は貴方に依存している面があるわ。私達にとって唯一心の底から信用できる人だから、当然と言えなくもないかもしれないわね」
「依存ね。そんな大層な人間じゃないつもりだったんだが」
「そうでもないと、私達は思っているのだけれど。相変わらず、自己評価は低いのね」
「俺だってまで二十代の若造って奴だ。客観視できないところもあるさ」
「そうかしら……ともかくとして、シュウが受け入れなかったときに、あの娘たちが何をするか。貴方も、それが分からないわけでもないんでしょう? 分かっていなかったら、そもそもこんな話はしないもの」
「……まあ、な」
「好意を見てみぬふりをするよりはまし、と考えてもいいじゃない。好きだと言われながら、それを一方的に否定するよりは義理が通ると、私はそう思うわよ」
その言葉に、秋雅は思わず黙り込む。言葉に詰まった彼を見て、ウルは軽く肩をすくめる。
「まあ、仮に受け入れられなかったにしても、案外あっさりを諦めるかもしれないわね。私が貴方に告白した時も、さして動揺している素振りはなかったわけだし」
「……あれは、最初から二人がそういう立ち位置に移るつもりだったからだろう。だから、ウルと俺が恋人になってもそこまで動揺しなかっただけだ。逆に言えば、その場所すら奪ってしまうと、流石にまずい」
「あら、分かっているんじゃない。そこまで言えるんなら、もう決まっているんじゃないかしら」
再び笑みを浮かべたウルに対し、秋雅は罰が悪そうに顔をそらす。それこそつまり、その言葉が紛れもなく、彼の本心であるという何よりの証左だ。
「だが、お前はいいのか?」
「私?」
「ああ。もうここまで来たんだ、俺があの二人を見捨てられないというのは肯定するしかないだろうさ。だが、その場合お前はどうなる? 俺が他の女と、自分の妹と愛を語らっていいと思っているのか?」
「そうねえ……」
僅かに悩んだ素振りを見せた後、ウルは一つの駒を手に取る。クイーンの駒だ。それを動かして、チェックの言葉を告げた後、
「酷い事を言ってもいいかしら」
「ああ」
「じゃあ、言うのだけれど――正直、あの二人では私に勝てないと分かっているもの」
ふふ、と薄く笑みを浮かべて彼女は言う。
「あの二人がどう頑張った所で、シュウが最後に選ぶのは私しかありえない。だったら、妹たちにも良い思いをさせてもいいじゃないかと、そんな風に思ったのよ……幻滅する?」
「……いや。むしろ、皆で幸せになったほうがいい、なんて言うよりはよっぽど納得できる。どんな関係であれ、序列が出来ないわけがない。出来ない方が、不自然だ」
今度は秋雅がナイトを手に取り、チェックと告げた後に続ける。
「俺だって、ウルと、ヴェルナ、スクラのうち誰か一人をとれと言われれば、まず間違いなくウルを取る。お前の為だったらお前の妹ですら、自分を慕う者ですら見捨てる。俺をシュウと呼んでいいのは、後にも先にもお前だけだ」
結局の所、と秋雅は言う。
「俺とお前がどう決めた所で、所詮は勝者の驕りに、上位者から被庇護者への施し以上の何でもないか」
「私達にとって都合のいい事を言っているだけだもの。当たり前といえば当たり前ね。で、どうするの?」
――チェックメイト。
その言葉と共に、クイーンを動かしたウルに対し、秋雅は小さくため息をついた後、決心を固めた表情で言った。
「……ヴェルナとスクラに任せる。二人が告白してきたら受け入れ、そうでない場合俺からは何も言わない。そうするのが妥当だろう」
「告白するように誘導しても構わないわね?」
「ああ。むしろ、俺から言った方がいいのかもしれないがな。どうにも、情けない」
「いえ、あの娘たちに任せるべきよ。最終的な決心は、自分でするべきだと思うわ。何より、私の時だって、私から告白したんだから、あの娘たちもそうしないと」
「……その辺りは、考え方の違いか」
どうするのが正解だったのかね、と背を伸ばしながら秋雅は呟いた。他に正しい道はあっただろうに、しかし結局この選択をした自分に対し、自嘲するような呟きだった。
「まあ、あまり気にしすぎないほうが良いわよ。むしろ、貴方の立場を考えると側室の一人も居た方が変な干渉も受けないと、実利的なことも考えましょう」
「それが正妻の姉妹だからややこしいとも言えるんだがな、っと……ああ、そういえば、日本に移り住むのはどうかっていうスクラの提案、どう思っているんだ?」
「ああ、そのこと? ええ、基本的には賛成よ。ただ、ここにある設備をどうするかとかが少し気にかかっただけ」
「とは言っても、そのまま持っていく必要があるのはお前のスパコンぐらいだろ。保存場所がちょいと問題になるが、まあどうとでもなるさ。移動にしても、最悪俺が転移させれば良いしな」
「貴方には色々と手間をかけてしまうというのも、あまり乗り気じゃない理由の一つなのだけれどね」
「この程度、今更だろ」
「そうだったわね」
「まあ、そんなことより、だ」
ついと、目の前にあるチェスボードを指差して、秋雅はにやりと笑みを浮かべる。
「もう一局、頼めるかな? 負けるにしても、もう少しまともな結果で終わりたいんでな」
「あらあら、負けず嫌い、でもないのかしら? いいわよ、一度と言わず幾らでもお付き合いさせてもらうわ」
そうして、二人は今度こそただチェスを楽しむ為だけに、再び駒を並べだす。
そんな中、ふと秋雅の携帯電話が音を立てて鳴り出す。
「ん」
「出ていいわよ」
「ああ」
ウルに促され、秋雅は携帯電話を手に取り、画面を見る。
「……また、これは珍しい相手だ」
「あら、誰かしら」
「我が盟友、ってところかな」
アニー・チャールストン。それが、そこに表示された名前であった。
色々と考えた結果、予定を繰り上げて話を進めることにしました。ただ、流石に入れないといけない流れとかがあるので、まつろわぬ神が出るのは二話ぐらい先になると思います。それと、今回秋雅達が出した結論に対しては色々と意見もあると思いますが、とりあえずこういう関係であるということで。