トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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恩義と依頼

「……本当に、若返っていますね」

 

 鏡に映っている自分の姿を見て、アリスは小さく呟く。手などを見ている限りでは実感が湧かなかったが、やはりこうして鏡で自分の顔を見るとよく分かる。前に見たときは確かに大人の女性の顔であったはずなのに、今ではかつて見ていた少女の姿だ。若返らせるということで分かってはいたのだが、実際に見てみると何とも不可思議な気分だという感想をアリスは抱く。

 

「霊体を作るときは、前の時の姿で作るようにしてもらいたい。そうしないと色々と不都合が出るだろうからな。貴女にも、そして私にも」

「ええ、存じておりますわ」

 

 基本的に霊体というものは本体を同じ姿になるものなので、姿を変える――さらに、それを維持しなければならない――というのはそう簡単な話ではないのだが、アリスは当然だと頷く。多少のことならともかく、若返りなどそう易々と行えるものではない。その困難を起こした原因は何かと他者に探られれば、芋づる式に秋雅の権能についても知られる可能性がある。それを秋雅が嫌うことなど考えるまでもなく分かるので、アリスは秋雅の頼みを受け入れた。もっともアリス自身、一々事情を聞かれるのはうっとうしいと思うので、言われずともほぼほぼそうするつもりであったのだが。

 

 まあ、いくら外向けに偽ってみたところで、時折無礼に訪れることのある例の神殺しには隠し通せない可能性が高いのだが、そればかりは仕方のないことであろう。

 

「……それにしても、またこうして部屋の中を歩き回れるとは思っていませんでした」

 

 改めて、しみじみとアリスが呟く。ここ六年の間、公に出来なかったために十分ではなかったが、それでもトップレベルの治療を受けていたにもかかわらず、決して治ることのなかった彼女の身体。それがこうして、自由に歩き回れる程度に回復できた――秋雅の言うとおり、正確には回復ではないのだが、それはそれだ――のだから、これほど嬉しいことはないだろう。

 

「アリス殿」

 

 そうして喜びを見せているアリスに、ふと秋雅が声をかけた。どうしたのだろうとアリスが彼の方を見ると、彼はそっとアリスに対し右の手を差し伸べる。

 

「失礼だが、もう少しだけ私に付き合ってもらえないだろうか?」

「え?」

 

 どういうことだろうか。秋雅の言葉にアリスは首を傾げる。そんな彼女の疑問の視線に、秋雅はその視線を真正面から受け止めて言う。

 

「上手くやれば、貴女の身体をもう少しだけ治せるかもしれない手がある、ということだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスは思わず黙り込んだ。どう返答すべきか。たっぷりと一分は悩んだ後でアリスは口を開く。

 

「……それは、何故でしょうか?」

「言うまでもないと思うが? 私の頼みを確実に果たしてもらうために、貴女には可能な限り体調を良くして貰いたいというだけだ」

 

 秋雅の返答から、おそらく裏はないだろうとアリスは考える。裏の意味があるとすれば、精々個人的同情心からの治療ぐらいで、別段これを理由に何かを要求しようということはまずないと思って問題はないはず。しかし、そうなるとそれはそれで問題が発生する。それは、借りが多くなりすぎるという点だ。

 

 既に身体を健常な――病弱ではあるが、少なくとも身体を壊しているというほどではない――身体に治してもらっているのだ。その上でさらに治療を受けるなど、これは少々所ではなく受け取りすぎだと言える。

 

「気にしているようだが、これは元から考えていたことだ。先のそれの続きでしかない、と思ってもらって結構だ」

 

 アリスが悩んでいると、秋雅がそんな助け舟を出してきた。相変わらず、自分の利を簡単に捨てる方だと、アリスは秋雅に改めてそんな感想を持つ。しかし、そんな場合ではなかったと、今の秋雅の言葉を加えて彼女はさらに考え込む。

 

「…………分かりました」

 

 更なる沈黙の後、アリスははっきりと頷いた。受け入れてしまおう、それが最終的な結論であった。

 

 ここまで来たらもはや貸しの大きさなどたいした問題ではない。既に賢人議会から出されていた秋雅への依頼や嘆願は、もうとっくにアリスの頭の中から放り出されている。とてもではないが今更こちらから何かを依頼できる状況にないからだ。むしろ今後――最低でも数年は――彼からの依頼を無条件で受け入れる覚悟を決めて、アリスは秋雅に対し自分の手を差し出す。

 

「お願いします」

「うむ」

 

 そっと、秋雅が彼女の手を取り、左手で上からさらに覆う。次の瞬間、秋雅の身体から再び大量の呪力が巻き起こる。先のそれと比べれば少ないが、しかしやはり一般的な魔術師からすれば膨大といっていいほどの量の呪力を纏いつつ、秋雅はその口から聖句を唱える。

 

「――汝は砕くものなり、壊すものなり。すなわち、汝は天よりの怒りなり。されど、汝はまた実らせるものでもあり、育むものでもあり。故に、汝は天よりの恵みでもあり――故に、我は今願う。我に今こそ、汝が豊穣を授けん事を、今切に願うものなり――!」

 

 秋雅の聖句と共に、彼の身体からバチバチと火花が散る。権能、それも雷の力であると、アリスにはすぐに察せられた。その力は秋雅の全身から発せられたかと思うと、徐々に一箇所に、秋雅の両の手の中へと収束していく。しかし、それは始まりに過ぎなかった。

 

 

「これは……」

 

 思わず、アリスは自分の手を見て呟いた。それは、秋雅の手に感じていた『雷』が、ゆっくりと自分の手に移っていくのが感じられたからだ。力が移動している、自身の体内に入ろうとしているのだと気付き、アリスは驚きから目を見開く。

 

「んっ……」

 

 僅かに感じるくすぐったさに、アリスはほんの少しだけ身じろぐ。そんなアリスの反応など知ったことではないとでもいう風に、その『雷』は、ゆっくりと、ゆっくりと、アリスの腕の中を昇っていく。痛みのない静電気、とでも言うのが正しいのであろうか。ともかくそのような、何とも不思議な感覚をアリスは覚える。身体の中に『雷』があるというのに、一切の痛みを感じられることのない。むしろ、慣れてくればそれは、何処か心地よくすら感じられる。

 

 

 そうして、ついにはその『雷』はアリスの胸の――心臓の辺りでようやくと動きを止める。そして、まるで心臓の鼓動に合わせるかのように、『雷』から身体全体に、何か力のようなものが広がっていく。

 

「これは……」

 

 十数秒前と同じ台詞を、アリスは再び呟く。しかし、先のものが困惑から来るものであったのに対し、今度は驚愕を理由としていた。何故なら、『雷』の力の広がりと同時に、アリスが自身の身体に感じていた重さのようなものが、段々と無くなっていったからだ。

 

 体調が良くなって行っている、ということなのであろうが、何か奇妙な感覚であった。アリスからしてみれば今までの、何処か疲労が抜けきらないような重さのある感覚こそが常であった。それが徐々になくなっていき、代わりにそれこそ庭を駆け回れそうな力が湧いてくるという今の感覚は、酷く奇妙なものに思えてしまう。いや、勿論嬉しくないわけではないのだが、どうも今まで感じた事のない常人の良好に、病弱の内での良好しか知らなかった彼女の感覚が追いついて来ないのだ。

 

 その感覚をより知ろうとして、自分の内に感覚を集中させたのが原因であろうか。彼女の霊視能力がここで発動する。それは彼女に、この『雷』が如何なる神の権能であるのか、その情報の断片を見せてくる。

 

「極東の、識者……かつて、人であったものの力……」

 

 やはり、気が緩んでいたのであろうか。見えたその断片を、そのままアリスは口に出してしまう。直後、ハッとその事に気付いたアリスは、急ぎ頭を下げた。

 

「申し訳ありません。御身の力を覗くような真似をして」

 

 情報の漏洩を嫌う彼に、その権能を目の前で暴くような真似をしてしまったことに対する謝罪。

 

「いや、むしろ感心したぐらいだ。よく、この程度でそのような情報を知れたものだ」

 

 そんなアリスの謝罪を、秋雅は問題ないと受け入れる。彼からしてみれば、霊視されることは想定していたことであり、それを口にしたところで、他に『耳』もないのだから問題ないと、そういう風に思ったのであろう。

 

「ともかく、少しばかり今のこれについて説明しておこう。これは先日手に入れた権能の能力でな、対象者の体内にその力を残留させることで、一定期間その身体の治癒を行う」

「治癒、ですか。ではその力がなくなったら終わりということで?」

「いや、今回は貴女の身体機能の改善に注力している。実験例がまだほとんど無いから分からないが、多少は貴女の身体の病弱さも改善できると思う」

「そのようなことが……」

 

 これこそが、今しがたアリスが体感した権能。アリスはまだ知らないが、これが秋雅が『実り、育み、食し、(ディストラクション・イズ・オンリー・)そして力となれ(ワンサイド・オブ・ザ・サンダー)』と名づけた権能の、その力の一旦であった。

 

「勘だが、おそらくは『それ』は半月から一ヶ月程度は貴女の体に残ると思う。現状含め、その後の体調がどうなるかは適度に報告してもらえると私としてもありがたい。場合によっては、また貴女にこれを使ってもいいと思っている」

「それは……ありがとうございます」

 

 一時的なものではなく、ともすれば完全にこの身体の脆弱さが治る。その可能性の提示に、アリスは心から秋雅に感謝の念を伝える。長年自分が抱えてきた難題、それがこうもあっけなく解決したのだから、如何な人物であっても、アリスと同じ立場に立てば同じように絶大な感謝を覚えるだろう。それほどまでに凄まじいことなのだ、今秋雅が行ったことは。

 

 だからこそ、アリスはよりいっそう神妙な面持ちをして、目の前に立つ王に対し口を開く。

 

「……稲穂様」

「何だ?」

「今回、貴方様が私に対して行って頂いた事。それは何物にも代え難い、いえ、どれ程感謝してもしきれるものではありません」

「何が言いたい?」

 

 いぶかしむ様子ではない、あくまで確認であるという風な秋雅の問いかけ。それに対し、アリスははっきりと言った。

 

「――貴方様が望むのであれば、我ら賢人議会は稲穂秋雅の元につくことすら行いましょう」

 

 そのアリスの言葉に、秋雅の眉がピクリと動く。

 

「まさか、そのような事を言うとはな」

 

 正気かと、秋雅の目は問いかけている。彼の気持ちも当然だが、しかしアリスは確かに本気でそう言っている。

 

 元々、賢人議会とはカンピオーネの脅威に対し発足した組織だ。不倶戴天とまではいかないが、基本的にカンピオーネたちと敵対の姿勢をとっていることは言うまでもない。そんな中の数少ない例外が秋雅であったのだが、彼にしたって互いの益が重なったが故の協力関係という程度の関係で、秋雅に無条件で協力をするというほどではない。

 

 しかし、そうであるはずの賢人議会の、そのトップであるアリスは、今ここで稲穂秋雅という王に下るという選択に手をかけている。賢人議会の存在理由、その根幹を砕きかねない選択だが、しかしそれ以上に、アリスの治療に対する礼として返せるものがない。それほどまでに、プリンセス・アリスという存在は賢人議会にとっても重要なのである。それを分かっているからこその、アリスの選択。

 

 だが、

 

「不要だ」

 

 と、秋雅のアリスの提案を切って捨てる。

 

「これはあくまで、私の依頼に対する料金の前払いのようなものだ。故に、貴女がいらぬ恩を感じることも、いらぬ重荷を背負う必要もない。全てはただ、私が気まぐれに与えたものなのだから」

 

 そう、秋雅は己が行動に対しての対価を望まぬという姿勢をとる。はっきりと言って、アリスには彼のその態度がまったくと言っていいほどに理解できない。

 

「だが、可能であれば貴女には私が連れてきた彼女を預かってもらえないかとは思っている。貴女の力を行使するにしても、徐々に時間をかけてのほうがいいだろうし、何より彼女をこれ以上手元においておくと、『彼女ら』にいい気をさせないと今更ながらに気づいたのでな。何とも勝手な話だが、受けてもらえると助かる……ああ、当人には既に話を通しているので、そこは気にしないでいい」

 

 分からないと、信じられないという視線を向けるアリスを前に、途中軽く苦笑を漏らしつつも秋雅は、そう続けた。

 

 確かにその提案はアリスに多少の負担をかけるだろう。彼が可能であればと、そう前置きしたのも理解は出来る。だが、所詮はそれだけだ。その程度で、今しがた起こったことに釣り合うはずもない。

 

 そういった事を口に出そうとしたアリスに対し、今から放たれるはずの言葉を察していたかのように、秋雅は彼女の口元で指を立てる。

 

 静かにしろ、そんなジェスチャーを行った彼は、まるで思い出したかのようにこう言った。

 

「こちらに滞在中に、面白い噂を聞いた。何でも、このロンドンをどこぞの魔術師がさすらっているらしいな。聞けばこれの対処に、貴女達も苦労していると聞く。どうだろう? この一件、私に任せてもらいたいと思うのだが。無論、依頼料は相談に乗ろう」

「それは…………」

 

 確かに、そういった事件が起こっていることは確かだ。今回行おうとしていた彼との会合において、それも話題に上げようと思っていたことも事実。

 

 だが、問題はそこではない。問題なのは、その言葉の裏の意味だ。

 

「秋雅様、貴方は……」

 

 アリスにはすぐに、秋雅の発言の意図が察せられた。つまり、彼はこう言いたいのだ。

 

 依頼をよこし、その依頼料は超高額にしろ。そうすれば、この一件はチャラにしてやる、と。

 

 はっきりと言って、その提案は秋雅に一切の益がない。そんなことで手に入る金額などたがが知れており、一組織を掌握する利に勝るはずもない。そもそも、彼はもう十分な資産を得ているはずであり、多少金額を上乗せしたところでたいした差額もでない。アリスには全くと言っていいほどに、秋雅の意が読めなかった。

 

「貴方は何故、それほどまでに恩を感じられたくないのですか……?」

 

 だから思わず、アリスはそう秋雅に問いかけていた。まるで、アリスたちからの恩義を札束に変えるような彼の提案に、そう言わざるを得なかった。

 

「貴方にとって、信頼はどれほどに重いものなのですか?」

 

 再度放たれた、アリスからの問いかけ。それに、秋雅はゆっくりと首を振って、口を開く。

 

「それは、しがらみと同義だ。踏み込まれすぎない方が、良いこともある――それだけだ」

 

 秋雅の言葉に、アリスはどう答えていいか分からなかった。彼の言葉に、その表情に、何を言う資格があるのだろうか。知らぬ者が何も考えず、易々と答えていいことではない。そう感じられた。

 

 

 だから、

 

「……依頼の達成を、願っています」

 

 ただ、その一言だけを口にし、アリスはゆっくりと頭を下げた。

 




 次回からはまた秋雅視点で進みます。どうでもいいですが毎回権能の英名を考えるのが大変です。結構適当なので間違っていてもあまり気にしないでください。なお、あと二つほど秋雅は権能を隠していたり。


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