トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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英国の姫は、王の訪問を受ける

 ハムステッド。ロンドンでも屈指の高級住宅街に、その邸宅はあった。古城じみた外見を持つ四階建ての建物、広い敷地と庭、さらには四つの塔と、中々に豪華な建物だ。豪壮なデザイン集合住宅が多いこの場所でなければ、周囲から浮いてしまうことは想像に難くない。

 

 そんな邸宅の一室、応接室として用いられているその部屋に、一人の女性がいた。ゴドウィン侯爵家令嬢にして、この邸宅の主、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。プリンセス・アリスとも呼ばれる彼女こそ、グリニッジ賢人議会の元議長にして現在の顧問であり、『天』の位を極めた魔女である。

 

 そんな彼女が一体、何処の誰を待っているというのか。その答えは、彼女が傍らに置いていた一通の手紙、その差出人の名を読み上げたことで判明する。

 

「……稲穂秋雅。まさかあの方をここに招くことになるなんてね」

 

 そう、何処か楽しげにアリスは呟いた。

 

 

 

 その手紙がアリスの元に送られてきたのは、今から三日ほど前のことである。『投函』の魔術などで直接的に送られたのではなく、平常の郵送の手段で送られてきた――おそらくは部屋に直接届けるなど無礼であると、そんな風に秋雅が思ったからではないかとアリスは推察している――その手紙には、秋雅からアリスへの訪問の許可と協力の要請を願う内容が、丁寧な文体と文字で綴られていた。上辺だけのものではなく、確かにアリスへの敬意や尊重を感じられる文面であった。

 

 かのカンピオーネからそのような気遣いをされているということですら驚くべきことであるのに、さらにそこには、都合が悪ければこれを断っても構わないとすら書かれていたのである。我侭で己が道を突き進む傾向のあるカンピオーネからの手紙とは、とてもとても思えぬような内容であった。

 

 無論、そこまで書かれていて要望を断るという選択を取るはずもなく、アリスは急ぎ使用人たちに命じて歓迎の準備を進めつつ、返答の手紙をしたためた。それを、届けられた手紙に書かれていた住所――ロンドンにあるとある高級ホテルのものであったことから、わざわざイギリスに来てから手紙を送ったのであろう――に急ぎ郵送し、こうして今日という日を待っていたのである。

 

 

「それにしても、一体どのようなご用件なのかしら?」

 

 手紙に書かれていたのはアリスへの協力の要請だけで、その具体的な内容にまでは触れられていなかった。協力の対価として、現在賢人議会が何かしらの問題を掲げていた場合は解決に協力するとも書かれていたことから、それなりに大きな用件であるのかとは思っている。だがしかし、稲穂秋雅という王は時折報酬と依頼内容が釣り合っていないことを言う場合も――その場合、どう見ても秋雅が損をしているようにしか見えないものばかりだ――あるので、そうだとは断言できないところがあった。

 

 

 また、同行者がいるとも手紙には書かれていたので、あるいはそちら関係だろうかと、アリスが何度目かの推測をつらつらと重ねていると、ノックの音を挟みつつ、一人のメイドが部屋に入って来た。

 

「姫様、稲穂様がいらっしゃいました」

 

 そのメイドの言葉に、アリスは一つ頷いて返す。

 

「ここにお通しして頂戴。くれぐれも、粗相の無いように」

「はい、畏まりました」

 

 一礼し、そのメイドは部屋を出る。そのメイドはこの邸宅で働き始めてもう長いベテランであるのだが、珍しいことにその動きは何処かぎこちなさが感じられる。そんな様子に、無理もないかとアリスは僅かに苦笑を浮かべる。

 

「カンピオーネたる方の正式な訪問、緊張するなという方が無理な話でしょうね」

 

 この邸宅にも時折、とあるカンピオーネは出入りしているが、彼の場合は無遠慮で無作法、勝手に来て勝手に帰るという振る舞いであるので、こうして正式に礼を尽くして王を迎えるということは初めてだ。今回の訪問客の性格を考えると多少の無礼は気にしないであろうが、だからと言って手を抜いていいというわけではないし、何よりその事を知っているのは、実際に彼と会ったことのあるアリスのみだ。使用人たちが気を張り詰めているのも無理からぬ話であろう。

 

「これがアレクサンドルであれば――っと、いけない」

 

 この邸宅を訪れたことのある男、己がもっとも付き合いのあるカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコインのことを口に出そうとして、アリスは慌てて口を紡ぐ。何せこれから来るカンピオーネ、稲穂秋雅は、アレクサンドルの事を毛嫌いしているからである。

 

 

 基本的に、稲穂秋雅という王は平和的だというのが、アリスが集めた情報、そして彼と直接あった経験を基にして出した結論である。勿論、平和的とは言っても、それは戦いを行わないという意味ではなく、単に自分から戦火を起こしたり、あるいは大きくしたりということを行わないという意味だ。

 

 加えて、秋雅は無益な、あるいは周囲への被害が大きくなるであろう戦いを極力避ける傾向にある。これは他のカンピオーネたちとの関係を見ればよく分かるだろう。例えば暴君として知られているあのヴォバン侯爵とも、実体はともかくとして、少なくとも表面上は相互不可侵という間柄だ。アリスの知る限りという条件だが、その他の王とも明確に敵対をしているというわけでもない。特に、アメリカの王であるジョン・プルートー・スミスとは盟友と呼び合う間柄だと聞いている。流石に表舞台に滅多に出てこない羅濠教主やアイーシャ夫人との関係は深くは分からないものの、それでも敵対をしているという情報は入ってこない。どうやら、稲穂秋雅という王は、出来うる限り他の王、及び力のある魔術師、魔術結社との敵対を好まないらしいというのが、それなり以上の情報収集能力を持つ魔術師たちの間で知られている話だ。

 

 しかしそんな中、唯一の例外というべきだろうか。ただ一人、『黒王子』アレクサンドル・ガスコインに対してのみは、稲穂秋雅は完全な敵対関係を取っているのである。それこそ、顔を見ればすぐにでも戦いの火蓋を切るであろうと言われるほどだ。あの、民の被害を最大限抑えようと様々な方法で尽力している秋雅が、だ。

 

 その理由自体は、アリスもよくは知らない。以前、アレクサンドルに一体何があったのかと尋ねたことはあったが、しかしその際に返って来た答えは、

 

『知らん。気付いたらこうなった』

 

 という、全く何も分からぬものであった。この答えを聞いて、アリスはすっかりこの事を掘り下げる事を諦めた。こういう物言いをするときのアレクサンドルは、己が行動に対する自覚という物がまったくないと理解していたからである。ただ、アレクサンドルが計画なり何なりで多大な失敗をしでかす時は大抵彼の女難の相の所為だろうと、そんな風には何となく考えていたりするが。これで秋雅の方に原因があったと考えないあたり、付き合いの深さからなる信頼というものが、ある種逆向きに働いているということであろうか。

 

 

 とまあ、そういうわけであって、稲穂秋雅の前で下手にアレクサンドル・ガスコインの話をすると彼が非常に不愉快そうな表情を浮かべる――なお、どうやら本人に自覚は無いらしい――ので、必要があって話題に出すという場合を除き、秋雅の前ではアレクサンドルの名前は愚か、下手に脳裏にその名前を浮かべるということも避けたほうがいい。それが、これまでの交流の中でアリスが学んだことの一つであった。むしろこれだけを押さえておけば大抵は何事も無く謁見を終わらせられるのだから、稲穂秋雅はという王はある程度気を楽にして会話の出来る相手だと言えるのかも知れないが。

 

「……まあ、稲穂様の話題によっては、他の事に気を取られる余裕なんてないのかもしれないけれど」

 

 そんな風にあれこれとした思考を纏めて、アリスは一つ頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、待つこと数分ほど。再び部屋の戸をノックする音が響く。

 

「どうぞ」

 

 アリスが中から返答をするとドアが開き、一礼するメイドの前を悠々と通って、一人の男性が現れる。今回の待ち人、稲穂秋雅その人であった。

 

「プリンセス・アリス。今回は突然の訪問でありながらこのように歓迎頂き、真に感謝する」

「いえ、こちらこそ稲穂様を当屋敷に迎える事ができ、その喜びに感激しております」

 

 秋雅の言葉に、アリスは軽く頭を下げて言う。普段であれば姫として頭を下げられる立場であるアリスだが、流石に相手が王ともなれば彼女の方が礼を尽くさなければならない。

 

「……ところで稲穂様、そちらの方が同行者の?」

「ああ、そうだ」

「あ、初めまして」

 

 頭を上げたアリスは、秋雅の後ろについて来ていた一人の女性に目を向ける。東洋人らしき女性だと見た目から分かる事を思った後、アリスはおやと首を傾げる。

 

「そちらの方は、もしや幽体ですか?」

 

 今の自分と同じ、幽体の存在ではないか。感じ取ったその推測をアリスが口に出すと、秋雅は感心したように頷いてみせる。

 

「やはり分かるか。その辺りも含めて、今日は貴女に協力を要請しに来たのだ」

「何やら事情がお有りのようですね。早速お話を伺わせて貰いますわ」

「うむ。話は長くなるのだが――」

 

 そうして、秋雅は傍らの女性について話を始めたのだが、その内容はアリスにとっても驚くべきことであった。幽霊であるというのに呪力を吸収する体質に、その呪力を用いた実体化など、中々に信じがたい内容だ。

 

 しかし、実際にソファの軋みや沈み様から彼女が実体、ならびに質量を持っている事が見て取れるし、あまつさえ出された紅茶を飲むという、アリスですら出来ない幽体の身での飲食なども見せられては、目の前の幽霊が些か規格外の存在であると認めざるを得ない。

 

 

「成る程、中々に興味深い存在のようですわね」

 

 秋雅の話をあらかた聞き終わった後で、アリスはそんな感想を述べる。魔術、オカルトの探求者の一人として、目の前の彼女のような例外的な存在に対し、好奇心や探究心を覚えずに入られないというのが、アリスの素直な感想であった。

 

「ああ。しかも、これで名前も記憶も覚えていないのだからまったく訳の分からない話だと思っている」

「……よくそれで自己を保っていられますね」

 

 自分という存在を構築している要素のほぼ全てを失っておきながら、本来不安定な存在である幽霊が確かな自己を保っている。そこまでいくともはや呆れてすらしまうと、アリスは彼女を見ながら乾いた笑みを浮かべる。そんなアリスの視線に晒された彼女は、若干居心地悪そうに身体を縮めている。もっとも、今行われているアリスと秋雅の会話は全て英語であったので、別にアリスたちの会話を全て理解した上での態度、というわけではないのであるが。

 

 

 

「それで、結局私に何をさせたいのでしょうか?」

 

 説明も済んだと感じたところで、アリスは本題に切り込む。それに対し、秋雅も頷いた後アリスを見て口を開く。

 

「まず、一つ質問をしたいのだが、貴女が持つ精神感応能力、それを用いて他者の記憶を呼び覚ますことは可能だろうか?」

「精神感応ですか?」

 

 精神感応とは、精神を研ぎ澄ますことで他者の気配や感情を読み取るだけでなく、霊体や魂に干渉して自在に操る能力のことだ。アリスが現在用いている幽体離脱も、この能力の一環である。

 

「そうですね……精神感応はその人の魂にも干渉は出来ますから、上手くやれば感情や記憶を読み取る要領で行けるかもしれません。お話から察するに、お相手はそちらの幽霊さんなのですよね?」

「ああ」

「でしたら、より可能性は高いと思います。肉体が無く、より純粋な存在である分、成功の目はそれなりにあるかと」

「ふむ、そうか」

 

 アリスの推測を聞いて、秋雅は何度か軽く頷いている。何を考えているのだろうかとアリスが思っていると、秋雅は不意に立ち上がって、テーブルの向こうにいたアリスのすぐ隣にまでやってきた。

 

「稲穂様?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべているアリスの前で、秋雅は徐に片膝をつき、言った。

 

「プリンセス・アリス、淑女の寝室に足を踏み入れる許可を頂きたい」

 

 その秋雅の言葉に、アリスはたっぷり十秒ほど固まった後、

 

「……えっ」

 

 と、完全に素の声を漏らす。どういう意味か、脳の冷静な部分がそういう意味合いの言葉を急ぎ口に出そうとした、その瞬間。

 

「私に、貴女の身体を治す許可を頂きたいのだ」

 

 続けて放たれた秋雅の言葉に、今度こそ完全に、アリスの思考は固まった。

 

 






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