トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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幽霊

 夜の校舎に、足音が響く。歩幅が狭く、歩数の多い足音が四つと、歩幅が広く、歩数の少ない足音が一つの組み合わせだ。全体として、そう早いものではないそれらを奏でているのは、四人の少女たちと、その少し後に続く一人の男性――つまり、冬音とそのクラスメイトたち、そしてその保護者である秋雅であった。

 

 この、見事な黒一点の組み合わせは、純然たる偶然の産物だ。集まった面々を、くじ引きにより四人から五人程度のグループに分けた結果である。なお、秋雅は冬音とセット扱いであったので、くじを引いたのも当然冬音であり、秋雅は結果に対し一切の干渉をしていないのだが、それでも、決まった後の秋雅を見る男子たちの視線は、中々に面白いものであった。

 

 そういうわけで、現在秋雅たち五人はライト片手に夜の校舎を歩いていた。ちなみにあまり遅くなると色々とまた問題が発生してしまうので、時間削減のため秋雅達以外にももう一グループ――偶然にも、それは秋雅の友人である久家美代が混ざっているグループだ――が、別ルートから校舎内に入っている。

 

「……やっぱり結構雰囲気があるね」

「見慣れているはずなのに、こう暗いだけで知らない場所みたい」

「うん。いつも来ているのにね……」

 

 前を歩く女子たちが、手に持った懐中電灯を左右に振りながら言う。その動作と、何よりその声に、彼女たちが若干の恐怖を感じている事が察せられる。

 

「……大丈夫かな。本当に何か出ちゃったりしたら……」

 

 一人が、そんな言葉を口に出す。ぶるりと、その身体を恐怖で震わせた彼女に対し、冬音が明るい口調で言う。

 

「大丈夫だって。いざとなれば兄さんが助けてくれるから。ね、兄さん?」

「……ん?」

 

 一人、四人の少女たちから少し遅れて歩いていた秋雅は、突如振り返った冬音に対し、何だ、という表情を浮かべた後、

 

「ああ、大丈夫だ。何かあっても、俺が君達を守ろう」

 

 と、妹も含めた四人の少女たちに対ししっかりと頷いてみせる。その兄の返答に満足したのか、冬音は満足そうに頷きを返し、他の三人も自信に溢れた秋雅の態度に安堵したように軽く笑みを浮かべる。

 

「いいお兄さんだね、冬音ちゃん」

「自慢の兄さんだからね。兄さんがいれば大抵のことは大丈夫だよ」

「そっか。そこまで稲穂さんが言うなら安心できそう」

「うんうん。安心してね」

 

 そんな妹の信頼に秋雅は僅かに苦笑を浮かべていたものの、ふと何かを探すように周囲を見渡し、そして天井を見上げる。

 

「……また移動したか? どうにも、意図が読めんな」

 

 そう呟く秋雅の目には、王として戦う際の、鋭い光が宿っている。何かを警戒している、というのがよく分かる光だ。

 

「一体、何が起こっている……?」

 

 剣呑さに満ちた呟きを秋雅は漏らす。何故、ここまで秋雅が警戒を露にしているのか。それは、外にいるときから感じ取っていた、校舎内に存在する呪力が原因であった。

 

 

 まず前提として、学校という場所は存外、呪力という物が集まりやすいところがある。同じ年代の少年少女たちが、同じ様な目標を持って、同じような事を行う。これはある意味で、魔術師達が意思を集中させて行う大規模な儀式と、相似性を持っていると言えないこともない。そのため、この他にない特異性を持つ学校という場所では、時折そのエネルギーに引き寄せられるように、大気中、あるいは地中の呪力が集まってしまう事があるのだ。

 

 もっとも、これ自体はそれほど大事ではない。集まると言ってもそう大きな量ではなく、精々が魔術師数人分といった程度。何かしら外から方向性を与えない限り、これが問題となることはまずないと言っていい。

 

 逆を言えば、何らかの外的要因が加われば、問題が起こりえるということでもある。

 

 一例として分かりやすいのが、いくつかの学校に伝わる、所謂七不思議というやつだ。まるで神話を元にまつろわぬ神が受肉すると同じように――まあ、規模は段違いなのだが――語り継がれてきた七不思議を元に『現象』が起こってしまうということが、実際に起こりえるのである。こうなると流石に、無害だ何だとは言っていられないので、正史編纂委員会などが介入することになる。

 

 かつて、今秋雅達がいるこの高校でも同じような事があった。もっともその時は七不思議ではなく、当時流行っていたこっくりさんが原因だ。こっくりさんにより降りてきた低級霊が、集っていた呪力で所謂『良くないもの』に転じてしまい、あわや大事となりかけたのである。

 

 なりかけた、という言葉からも分かるとおり、その一件は表面化し、生徒達に危害が加わるということもなく、事前に鎮圧されている。それを実行したのが、当時から既にカンピオーネとして力を振るっていた稲穂秋雅その人であった。別に誰に依頼をされたというわけではなく、単に自分の縄張りで低級霊如き(・・)が暴れまわるというのを我慢できなかったが故の、迅速な行動の結果だった。

 

 その事後処理の際に、秋雅はこれらの事情を委員会のメンバーから聞いた――当時はまだ、秋雅もそちら関係(魔術の世界)の知識には疎かったのである――のだが、その時に得た知識はもう一つあった。それは、この自然発生的に呪力が集束する現象は、一度発呪力が霧散してしまえば、最低でも十年は起こらないということである。

 

 だから、以前の発生からまだ四、五年しか経っていないにもかかわらず、こうして秋雅が感知するレベルにまで呪力が集まるのは、とても不自然な話なのだ。しかも、今回はその呪力があちらこちらと校舎内を移動しているのだ。何かの意思が介在している、というのはまず間違っていない推測であるだろう。

 

 

「出るなら出てきて欲しいが、しかし悩み所でもある、か」

 

 どうやら現状、その呪力は秋雅の上――今彼がいるのは二階なので、おそらくは三階の何処かにいるようだ――を動いていない。そのことにもう少し気を揉む必要があるようだと、秋雅はうっとうしそうにぼやく。とはいえ、現状彼は護衛対象――当然冬音のことであり、一応は彼女の友人達も含んでいる――を抱えているために、こちらから向かうも、こちらに来てくれことを望むのも、どちらもどちらで問題がある。

 

 一番いいのは何事もなく肝試しを終わらせ、改めて秋雅一人でここに戻ってくることだろうが、それはそれで気になって仕方ない。結局、秋雅としてはその呪力を警戒しつつ、現状は観察に留めるという選択を取るしかない。まったくもって、面倒な状況なのであった。

 

「まったく、厄介な」

 

 ふん、と秋雅は不愉快そうに鼻を鳴らす。その後、秋雅は歩きつつ懐から携帯を取り出し、自分の専用窓口と称されることもある、正史編纂委員会の三津橋へとメールを打ち始める。内容としては、現状をざっと伝えた上で、何かあった場合のフォローを頼むというものである。このような時間に、ということに引っ掛かりを覚えるほど、秋雅はもう浅く(・・)はない。時場所を問わない、それが自分達の生きる世界なのであると、もう随分と前に理解しているからであった。

 

 

 

 そんな風に、秋雅が警戒を強め始めた時であった。

 

『キャアアア――ッ!!』

「え?」

「何!?」

「――チッ!」

 

 上階より突如、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。突然の状況変化に舌打ちしつつ、秋雅は警戒態勢であった頭を瞬時に戦闘時のそれへと切り替える。同時、打ち終わっていたメールの本文に、至急の二文字をつけ加えて送信する。

 

「今のって、悲鳴!?」

「ま、まさか本当に何か起こったの?!」

 

 困惑、そして混乱によって少女たちの間に恐怖が生じ始める。その中で、唯一冬音のみが秋雅のほうを振り向き、真剣な表情を浮かべて叫ぶ。

 

「行こう、兄さん!」

 

 悲鳴を聞いて、何かが確実に起こっていると冬音は判断したのであろう。正義感が強い冬音らしい選択だと秋雅は思ったが、しかしそれに対する反応は、首を縦ではなく横に振ることであった。

 

「駄目だ。上で何かが起こっているとして、それにお前を巻き込ませるわけは行かない」

 

 冬音の傍で彼女を守る。あるいは大本を叩きにいく。それが秋雅の中の選択肢であったが、少なくとも彼女を上に行かせることだけは、どうしても選ぶわけには行かない選択だ。そんなリスクしかない事を、自分の大事な妹にさせる気など、秋雅が起こすわけもなかった。

 

「でも!」

「冬音!!」

 

 食い下がろうとする冬音の肩を掴み、秋雅は真っ直ぐと彼女の顔を見て叫ぶ。滅多にない秋雅の叫び声に、冬音はびっくりしたように彼の顔を見上げる。

 

「俺が様子を見に行く。お前は彼女らを連れて今すぐ校舎の外に出ろ。まっすぐに、わき目も振らず、だ。いいな?」

 

 真っ直ぐと、真剣な表情で秋雅は妹の目を見つめる。事情を知らない者からすれば少々大げさな指示であるが、しかしそれを受けた冬音は数瞬の後にゆっくりと頷く。

 

「……分かった。兄さんに任せる。皆、行くよ!」

 

 秋雅達のやり取りを聞いていたからか、あるいは思考が停止しかけているのか。冬音の指示に友人達は反論することなく走りだす。冬音がそれを先導しているのを確認した後、秋雅もまた逆方向にある階段に向かって走り出す。

 

 

「調整が厳しいな……!」

 

 身体強化をかけ、秋雅は跳躍混じりに駆ける。時折力を込めすぎてしまい、ぴしりと床にひびが入ってしまうことに舌打ちをしつつ、秋雅は足を止めることなく走る。元々、自分の身体を思い切り強化するために覚えた魔術だ。こういう細かい強化というものはどうしても慣れていない。だが、天井や壁があるここでは、『我は留まらず』による転移もやりにくい。無駄に細かい転移を繰り返すよりは、単純に足を使う方が速いとなれば、不慣れを承知で走るしかない。

 

 そうすれば、すぐさまに上へと続く階段が見えてきた。律儀に昇るのも面倒だと、秋雅が床を蹴り、階段を囲う壁の方に足を乗せる。そのまま壁を蹴り、三次元的に秋雅は駆ける。次の着地も階段の踊り場ではなくその壁、その次もまた壁。三度の壁蹴りの後、ようやく秋雅は三階の廊下へと着地し、先程から感じている呪力の方へと再び走り始める。

 

「――あれか!」

 

 すぐに、倒れこんでいる男女の姿が見えた。美代の姿もあることから、秋雅達と同時に入ったグループだろう。さらにその前には、まるで彼らを見下ろしているように、人の姿のような、何かぼんやりとしたものが存在している。それを、秋雅は幽霊か何かだと結論付ける。以前にも、同じようなものを見た経験からであった。

 

「消えろ!」

 

 秋雅は手に呪力を集め、ボールのようにそのまま投げつけた。ここで攻撃系の魔術や権能を放つわけにも行かないし、何よりこの程度の幽霊であれば、横合いから別の呪力を叩き込むだけでその存在を散らしてしまえる。これは多量の呪力を外部から与えることで、幽霊の身体を構築している呪力が、より強い呪力の干渉によりバラバラに散ってしまうからだ。実際に秋雅はかつて、英国で幽霊と会ったときに同様の方法で退治に成功している。だからこそ、今回もそうなると判断していた。

 

 

 だが、呪力が幽霊に接触した瞬間、徐々に、呪力と接触した箇所から、段々と白いもやの姿が、色が変わっていく。薄い青が、呪力が幽霊の身体に触れていくほどに――幽霊が、呪力を取り込んでいくほどに――広がっていく。そして、ある箇所から、青は肌色へと変じた。青、そして肌色。心眼とまではいかないが、秋雅の動体視力は一般人などよりははるかに上だ。だからその目で、秋雅ははっきりと、その面妖な変化を見ることとなった。

 

 ここで、秋雅は察する。青は服の、肌色は皮膚の色なのだと。つまり、幽霊が人の姿を、生前の姿を取り戻そうとしているのだ。

 

 この時点では、驚きこそすれ、まだ秋雅の思考は冷静であった。こういう、形すらも失ってしまった幽霊が、外からの干渉により元の姿を取り戻すということが――例としてはそう多くないが――ありえるということを知っていたからだ。勿論、それが退治として放った呪力によって起こるなど聞いたこともなく、だからこその驚愕であった。

 

 しかし、本当に驚愕すべきだったのは、ここからだ。呪力が完全に幽霊に取り込まれ、その姿がはっきりと秋雅の目に映る。綺麗な、見た目には若い女性だ。青いワンピースのような服に身を包んだそれは、高速化した秋雅の視界の中でゆっくりと後ろに倒れていく。まるで、自分に飛び込んできた秋雅の呪力の勢いに押されたようでもあった。

 

 そのまま女性の霊は床へと倒れていき、

 

 

「――きゃあっ?!」

 

 鈍い、物が床にぶつかった音と共に、ありえないはずの悲鳴を上げたのである。

 

 

 

 

「いや……は?」

 

 その瞬間、秋雅は思わず、呆けた声を漏らしてた。この時ばかりは、秋雅の思考は完全に固まっていただろう。今の音と、目の前の幽霊の悲鳴。それらを踏まえて考えると、幽霊が床に接触し物音を立てた、ということになる。それはつまり、その幽霊が実体を取り戻しているということだ。

 

「あいたたたた……」

 

 しかも、幽霊の反応から察するに、どうやら彼女は感覚すら――この場合は痛覚だろうか――も取り戻しているようである。

 

「幽霊が……実体化した?」

 

 客観的に見て事実であるらしい事を、秋雅はそのまま口に出す。だが、それ以上思考が進まない。なまじ中途半端に、幽霊という存在に対する知識がある所為か、この状況を理解してしまいつつ、しかしそれに対する答えを導けない。それ故の、珍しくはっきりとした、思考停止であった。

 

 そんなことはありえないと、幽霊に対する知識を持つ魔術師は言うだろう。秋雅だって、人伝に聞けばまず疑ってかかったに違いない。だが、しかしだ。今実際に、秋雅の目の前で、その幽霊は確かに実体化してしまっている。ありえないことが起きたということに、秋雅がまぎれもなく困惑していた。

 

「……あれ?」

 

 ここで、ようやくその幽霊は秋雅の存在に気付いたようだった。秋雅の発言にか、あるいはそもそものこの現状についてか、彼女は不思議そうな表情で秋雅を見上げている。

 

「えっと…………誰、ですか?」

 

 立ち上がりながら、幽霊は秋雅を見て首を傾げる。その、明確に自分を対象とした声に、秋雅の思考がようやく動き始める。

 

「……稲穂秋雅、だ」

 

 まだ思考は解凍されきっていなかったので、彼女の誰何に声に対し秋雅は、半ば反射的に自分の名を名乗る。その直後、はっとしたように秋雅は頭を振り、思考を切り替えて彼女に強い視線を向ける。

 

「私も聞こう。君は誰だ?」

「私? …………あれ?」

 

 疑問符が頭についているのが見えそうなほどに、彼女は首を捻り、怪訝な表情を浮かべる。そのことに、秋雅は思わずため息を吐き出す。

 

「覚えていない、ということか」

「えっと…………はい」

 

 申し訳なさそうに、彼女は俯く。実のところ、幽霊が自分の事を覚えていないということは、決して珍しいことではない。肉体を失い、霊体、あるいは霊魂といった不安定な存在になった際に、何かしらの記憶を失ってしまうということがありえることなのだ。まあ、姿は保てているのに自分の名前を覚えていない、というパターンは非常に珍しいことではあるのだが。

 

「……えっ?!」

 

 俯いていた彼女が、突如驚いたような声を上げる。どうやら頭を下げた拍子に――ようやく、と付け加えるべきだろうか――自分の足元で倒れている美代たちに気付いたようだった。このことから、先ほどまで自分が何をしていたのかも覚えていないようだと察し、秋雅は再びため息をつく。

 

「あの……これって、私の所為でしょうか?」

 

 恐る恐るという感じで、幽霊が倒れている美代達を指差す。その幽霊の行動に、秋雅は片眉を上げる。

 

「まあ、大枠で言えばそうなるが。君、自分が幽霊ということには気付いているのか?」

「はい。まあ、どうして死んじゃったのかは覚えていないんですけど」

「……つくづく変な幽霊だな、君は」

 

 自分の名前は覚えていないくせに、自分が幽霊だということには気付いている。何ともちんちくりんな幽霊だと、秋雅は不思議そうに眉を顰める。

 

 なお、美代達が気絶をしているのは、決して幽霊の存在に恐怖しただけ、というわけではない。実は生きている生物というものは一種の波動のようなもの、いわゆる『気』を発している。一部の達人などが気配、気を感じるなどということがあるが、それはこれを感知しているからだ。

 

 この気というもの、これは幽霊になっても継続して纏っているものなのだが、一度死んでしまった所為か、正常な生者のそれとは変質してしまっていることが多い。ラジオに他の電波を発する物を近づけるとノイズが混じるように、生者に幽霊が近づくと、その僅かに異なった波動が干渉してしまい、生者の側に悪影響を与えてしまい、場合によっては意識を失わせてしまう。これが、幽霊譚のオチが気絶で締められることが多い理由だ。

 

 なお、これに先天的に耐性を持ち、逆に退けることを可能にした者などが、テレビなどに出ている所謂霊能者などになる。まあもっとも、一般的な魔術師であれば、そんな才能がなくとも幽霊退治くらい簡単に出来るのだが、それはそれというやつだろう。

 

 

「……さて、どうしたものか」

 

 頭を軽くかきながら、秋雅は心底面倒くさそうに呟く。この目の前の、色々と不可解の多い幽霊をどうするべきか。それについて秋雅が悩んでいると、その当人が口を開いた。

 

「あの……秋雅さん、でしたか?」

「何だ?」

「質問なのですけど、秋雅さんは霊能力者って奴なんですか?」

 

 

 今聞きたいのがそれなのかと、幽霊の質問に対し少しばかりの呆れを覚えつつ、秋雅は小さく首を振る。

 

「違う。どちらかといえば……まあ、魔法使いの方だな」

「魔法使い、ですか」

「信じられない、か?」

「いえ、そんなこととは。私という幽霊がいるんですし、魔法使いがいたっておかしくはないと思います」

 

 同列に語るべきことなのだろうか。そんな風に秋雅は思ったものの、しかしどちらも非科学的なことには変わりないかもしれない。とにかく、今はどうでもいいことだ。

 

「まあ、そうかもしれないな」

「質問なんですけど、私ってこれからどうなるんでしょうか?」

「それは、退治されるとか、そういうことを聞きたいのか?」

「そうなります」

「……他人事のように言うな、君は」

 

 どうにも先ほどから、我が事の話だというのに、幽霊は妙に他人事のような口調で言う。その事を秋雅は指摘すると、うーんと幽霊はこめかみの辺りを人差し指で弄りながら口を開く。

 

「何と言うか、実感がないんですよね。自分が幽霊だってことは分かっているんですけど、それでこう、このままでいたいのかって言われると分からないですし。かといって成仏したいのかというと、それはそれで、って感じで……記憶が無いからですかね?」

「私が知るか」

 

 ですよねえと、彼女は苦笑いを浮かべる。そんな彼女の、少しばかり暢気な様子に、またもや秋雅は呆れたように息を吐く。

 

「……だったら、自分の記憶でも探してみるか?」

「え?」

「自分が誰か分かれば、身の振り方も考えやすくなるだろう。乗りかかった船だ、少しばかり手伝ってやってもいい」

 

 偽善的だな、と秋雅は自分の提案に対しそんなことを思う。だが、そうしてみようかと思ってしまったのだから仕方ない。どうにも甘さを捨てきれない、そう自分を評しつつ、それが良い点なのか、はたまた悪い点なのかと、自分自身にそう問いかける。もっとも、そんな事をしたところで、答えなど出るはずもなかったのだけれども。

 

「良いんですか?」

 

 対して、秋雅の提案を聞いた幽霊は少しばかり驚いたような表情を浮かべて言う。まさかそんな事を言われるとは、欠片も思っていなかったという表情だ。

 

「君自身について個人的な興味も湧いたからな。どうやって幽霊が実体を持ったのかも含めて、多少調べてみたいという欲求がある」

「実体?」

 

 どうやら自分が単なる幽霊でないことには気付いていなかったらしく、彼女は不思議そうに首を傾げる。しかしそれに対し答えず、秋雅はもう一度問いかける。

 

「で、どうする? 別に、ここで今払ってやってもいいが。まあ、少なくともこのまま見逃してやるわけにもいかんがな」

「…………これから、お願いします」

 

 深々と、幽霊が頭を下げる。直前の秋雅の脅しが効いたというわけではないらしく、時間は短かったもののじっくりと考え込んだ末の結論のようであった。

 

「分かった。では、そういうことで」

 

 そう秋雅が言った直後、足元から唸るような声が聞こえた。どうやら、気絶していた生徒達の一人が意識を取り戻そうとしているらしい。

 

「……思いのほか長話になっていたようだな。君はとりあえず、屋上にでも移動しておけ。後で迎えに来る。もし誰か、スーツの男なりが来たら私の名前を出せ。そうすれば少なくともすぐに退治されることはないはずだ」

「あ、はい。分かりました」

 

 秋雅の言葉に頷いて、幽霊がタタタと廊下を走っていく。それだけを見れば完全に、生きている人間にしか見えないだろう。

 

「つくづく、普通の幽霊ではないな」

 

 さて、どうなることやら。そんな風に呟いて、秋雅は一先ず美代を起こそうと彼女の傍らに膝をつくのであった。

 








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