主人公→ユザク
第一部ネタバレあり
国に生きる者誰もが望まなかった動乱は、王女の帰還と教皇パルデブロンの死により集結した。
互いの信念の違いはあれど負けは負け、教会は国内においてかなりの影響力を失い、王国騎士団の監視の下、されど解体されることはなく新しい体制下で動き出していた…長く信仰を集め国教である以上、解体は反発や民の困惑を招くのだから当然といえば当然の流れなのであろう。
王女や国王が新しく教会の基軸に選んだのは、教皇の絶対的支配の中、長く身中にありながら正しくあろうとしていた教会騎士団総長ゲオルグ・ダルマス。彼は己を信じ従う者を見捨てず王女に弓を引く形にはなったが、その責任感が買われる形となり次期教皇に指名されたのだ。
結果、彼は辞退し教皇の座は空席となったが、代理として己の信仰に悩み苦悩する神殿騎士達をまとめ上げ、ひとまず崩壊は回避されたのである。
無論、それに違をを唱える者もいた。頑なに教皇の描いた未来を信じ、殉じたものもいたし、教会を離反し行方をくらませた者も存在する…一つの眩しすぎる光であった教皇は、良くも悪くも人々の心を死してなお掴むものなのだ。
そんな不穏な種を認識しつつ、新しい枠組みで教会は立ち直りつつあった…そもそも国に根付いた信仰は深い、少し気が咎めるが此度の動乱の原因を反逆者ルギスと教皇パルデブロンに押し付けてしまうことが人々を安心させ、教会を立て直す手っ取り早い方法でもあったのである。
「ベアトリス、もう休みなさい。こちらは片付いた、後は一人でも大丈夫だ」
夜もすっかりふけ切った頃、少しの疲労を顔に乗せた壮年の男が手伝いとして執務室に詰めていた女性に声をかける。もう夜も遅い…若い女性をいつまでも手伝いにつき合わすわけには行かないだろう、丁度区切りが見えた所でもあるから明日に回しても問題あるまい。そんな事を考えながら声をかけた男に、ベアトリスと呼ばれた女性は多少の疲労を滲ませつつ、それでも上官を心配する声音で。
「ゲオルグ様こそお休みください、新しい体制が始まってからろくにお休みになられていないではありませんか」
心配を響かせつつも、無理をする上官に少しの苛立ちを感じているのだろう…何処となく強められた口調にゲオルグが苦笑すると、己の言葉の強さに気付いたのかベアトリスは顔をわずかに赤らめ謝罪する。そんな彼女に謝罪はいらないと身振りで示し、ゲオルグは凝り固まった肩を軽く揉むと苦笑しながら。
「確かに、君の言う通りかもしれないな。新しい枠組みでが始まり神殿は大騒ぎだ…未だ過激な教皇派の行方は知れぬし、いち教団員の戸惑いや不安も多い。国民達から失墜した教会の威光を取り戻すには果てしないのだしやる事は山積みだ…此処で無理をして倒れるわけには行かないな」
「そうですよ、ゲオルグ様まで倒れられては私たち神殿騎士はどなたに導いて頂いたら良いのか。今は教会にとって試練の時なのです…いずれ霧は晴れます、その時までどうかご自愛を」
ようやく少し休む気配を見せた上官を逃すまいと言葉を重ねる彼女にそんなに心配をかけていたかと苦笑しつつ、ゲオルグもまた今日の所は休むかと机を片付け始めた。折角休む気になった上官が心変わりしないよう部屋を出るまで見張る気なのか、書類をまとめ終わったベアトリスが待つ気配がする。そんな部下の行動に苦笑しながら、彼女を待たせぬようゲオルグもまた簡単に書類をまとめ終えると席を立ち、宿舎に帰る為にドアに向かったのだ。
少し季節が巡ったとはいえ、まだ夜は随分と冷え込む。雪こそもう降らなくなってきたが日が沈むのはまだ早いし、夜の闇は深かった。
少し寒そうにするベアトリスに神殿支給のマントをかけてやりながら、ゲオルグ達は神殿騎士の暮らす宿舎に向けてゆっくりと歩いていたその時、不意に殺気を感じ彼女を引き寄せ一歩下がったその場所に、空を切り裂き刺さる一本の矢。
「何者…!?姿を見せなさい!!」
咄嗟に何が起こったか理解し剣を構えるベアトリスと打って変わり、ゲオルグは矢の飛んできた方向に注意を払いつつ、地面に刺さった矢を横目で確認すると静かな声で。
「これは人力で引く弓ではなく巻き上げのクロスボウの矢だ。私はこれと同じ形状の矢を報告書で読んだ事がある…フェールトゥールの暗殺者、君かね?」
「フェールトゥールの!」
ゲオルグが告げた名前にベアトリスが反応し、声を上げる。一時期フェールトゥール監獄の騎士達を恐怖に叩き落とした暗殺者はあまりにも神殿騎士に有名だ…音もなく忍び寄り、仲間と分断された所を的確に射殺す見えざる狙撃手。ある時期から突然始まり、2ヶ月もの間捕まえることすら叶わなかった暗殺者は、王女の処刑騒動に紛れてぱったり姿を消していたはずだが。
歴戦の騎士達が何人も犠牲になった暗殺者だ…何故今こんなところに。警戒し緊張のピークに立たされたベアトリスを半ば守るようにさりげなく立ち位置を変えたゲオルグは、闇に沈む森へと刺激せぬよう静かな声音で語りかける。
「王女やユザク殿から聞いている…君が私を襲う理由は何かね?」
「ゲオルグ様…?」
まるで相手を知るような口ぶりに驚き、ベアトリスがゲオルグを伺うが、その問いに答えてやる余裕はなかった。
ここは夜の森…相手のテリトリーであるし、皮膚を刺す殺気は紛れもなく本物だったのだから。
どれほどの時間が経ったのだろうか?永遠とも一瞬ともつかない時間に緊張が高まっていく。相手はいつでもこちらを仕留めることが出来るはずだ…方向はわかるが気配は完全に消されてしまっているのだから。
更にここは宿舎へ向かう小道で時間も遅い、想像通りの人物であるとすれば不審者の警備の網にそもそも引っかかっているはずもない。
冷や汗が背中を伝う。
会話が成立する状態であるならばどうにかなるかもしれないが、相手が自分たちを狙う理由はモーリスに既に聞いて理解していた…彼の理由ならば教皇派であるとかないとか、そんな問題ではないのだろう。
どうにかしてベアトリスだけでも逃がせないか隙を伺うが、相手の殺気は本物だ…下手に動いて刺激するのは得策ではあるまい。だが当然自分たちを討てば彼とてただでは済まないのだ、ただでさえ教会の被害者である彼にこれ以上罪を着せるわけにもいかず、ゲオルグに出来ることはただただ闇に潜む彼が冷静さを取り戻すことを祈るだけであった。
「それを…お前が聞くのか!神殿騎士の長であったお前が…っ!!」
永遠ともとれた沈黙の後、闇の中に静かな、それでいて激しい炎のような怒りの声が風に乗って聞こえてくる。込められた呪いのような激しい怒りに気圧されたのか、ベアトリスが小さく震えた。
そして森の中から現れる闇を切り取ったかのような一人の男の影。
(ひとまず、話はさせてくれるようだ…よかった)
現れた男が想像通りと知り、胸を撫で下ろす。
決して御し易い訳ではない…むしろ教会の人間としてみるならば、相性は最悪の相手だろう。目の前の青年は、過ちを犯した教会のすべての被害者を体現するような存在なのだから。
だからこそ、彼の怒りは最もだと感じていた。教皇派だとか総長派だとか外部の人間には関係ない…彼の大切な人を奪ったのは神殿騎士なのだ。
「貴方は誰なのですか!何故私たちを狙うのです!」
自分が恐怖を感じたのが何の変哲もない一人の男と知り、ベアトリスが誰何の声を上げる。仮にも騎士として生きる彼女は気圧された事に屈辱を感じたのだろう…そんな彼女を激しい怒りの篭った視線で射抜くと、男はゆっくりと。
「俺が誰とか、あんた達には関係ない話だ。俺はただ…大事なやつを奪われた!あんたらにありもしない魔女の疑いをかけられてな!!」
「ーーー魔女狩り…!」
彼の怒りの言葉に事情を察し、ベアトリスがひるむ。彼女自体は年若くゲオルグの配下であった為直接関わりはなかったが、神殿に所属していればその噂は嫌でも耳に入るのだ…当然その残虐性も、犠牲になった女性の数もそれなりに理解はしていた。
だがあれは教皇派が率先してやっていた事だ、ゲオルグはあの状況の中必死に救える者には手を伸ばし、掬い上げるべく尽力していた…それは側にいた自分が一番よく知っている。
「確かに、教会は罪を犯しました…魔女狩りという名目で多くの無実の女性や、それを守ろうとした男性も沢山殺してしまったと聞いています。それは許されざる行為ですし、私たちは真摯に罪に向き合い償わなければなりません。でも!でもゲオルグ様はそれを出来得る限り止めようとなさいました!少しでも沢山の方を守ろうとなさいました!」
「だまれっ!!教皇派とか総長派だとか、そんな事俺には関係ない!救うだ?守るだ!?御前達が連れて行きさえしなければ何も起こらなかった!誰も死ななかった!問題をすり替えるな!!」
魂の全てを搾り取るような激しい怒りにベアトリスが言葉をなくす。
確かにこちらにも言い分はある…だがそれはあくまで教会内部の事であり、犠牲になった者達にしてみれば言い訳にしか聞こえないのは当然の事であった。
「…確かに教会はあってはならない罪を犯した。それは間違いない事実であるし、それに対し君の怒りは正当だろう。だが…君も神殿騎士達の命を奪い続けた事も事実だ」
「…ッ!!」
唐突に、静かな声で逆撫でするような言葉を紡いだゲオルグに驚き、ベアトリスは彼を見上げる。そんな彼女に一瞬だけ視線を流し任せるように促すと、ゲオルグは静かな声でなをも言葉を紡いだ。
「君の怒りは私が受け止めると誓おう。そうする事で気がすむなら私を殺すといい…君が感じている通り、私はあの蛮行を止めれたかもしれない唯一の人間だ。そんな私が今ものうのうと生きている事が許せない気持ちも、怒りのぶつけ先がない苛立ちも理解できる。ただ…少しだけ私に、教会に時間をくれないだろうか?」
「…時間?」
少しだけ、目の前の青年からピリピリと張り詰めていたものが和らぐのを感じ安堵する。怒りは治まるはずもないが、それでも少しだけ冷静さを取り戻したのだろう…その瞳の奥に映る怒りの炎の中に見定めるかのような静けさが生まれていた。
「この国は、まだ混乱している。だが新しい風が吹き、悪いものが洗い流されているように感じるのだ。私は教会の罪を認め、償う道を探したい…それが我々の不甲斐なさに振り回された全てのもの達に出来る唯一の償いであり、今を生きる若い騎士達へのせめてもの贈り物になると信じている」
「……てめぇの復讐に巻き込んだ神殿騎士の奴らにも、大事なやつがいる…わかってたんだよ、俺がやってた事はただの八つ当たりだって。でも…どうしたら良かったってんだ…」
ぽろりと漏れる、弱々しい呟き。
怒り、迷い、苦しんだ者が出す深い絶望の声。
彼は確かに神殿の被害者なのだ…自分たちが不甲斐ないばかりに巻き込まれた、心優しい一人の青年だっただけなのだ。
だからこそ、これ以上彼に背負わせるわけにはいかない。自分たちの不始末は、自分たちで償わなければ、犠牲になった者達にに申し訳がたたないというものだ。
「君の怒りを、悲しみを、私は忘れない。そして見極めてくれないか?君が罪を犯してまで果たそうとした教会のその後を。その時にまだ許せないようなら、私は君の罪と怒りを受け止め君に討たれよう」
届いてくれと、切に願う。
我々に狂わされた青年の人生が、この後幸せになれるように。怒りと憎しみに支配されず生きていけるように。
そんな願いが届いたのか、青年は。
「…パスカルだ」
小さく告げるその言葉に素直に驚く。まさか名乗るとは思わなかった、どのような心境の変化かわからずゲオルグが言葉に詰まっていると、青年は何かを下ろしたような軽いため息をつき。
「忘れるな、あんたらを見張る男の名だ。…変わるっていう、あんたらを見張ってやる。何も変わらなかったら…俺はまた復讐の矢であんたらを狙うからな」
そう言い捨て、彼は引き止める間も無く闇に溶けて行った。あまりにも見事な気配の消し方に最早彼が何処にいるのか探す事すら難しかったが、もう危険はないのだろう…彼の最後に見せた気配がそう告げていたのだから。
「ゲオルグ様!大丈夫ですか!?」
長い緊張から解放され、今更冷や汗が吹き出すのを感じながらゲオルグは駆け寄るベアトリスに平気だと伝える。全く生きた心地がしないとはこの事だ。
「ああ、問題ない。ふう…身に積まされる事を突き付けられてしまったな」
「そうですね…我々は償いを続けなくてはなりません。彼の様な人々は沢山いるのですから…」
目の当たりにしてしまった激しい怒りを思い出し、ベアトリスが神妙に頷く。若い彼女には相当な衝撃だったのだろう僅かに震える彼女の頭を軽く撫で、ゲオルグは告げたのだ。
「そうだな。それには私だけの力では不可能だ…これからも力を貸して欲しい」
「ゲオルグ様…はい!わたくしでよろしければお力になります、ですから…ですから、教団を良き方向にお導き下さい!二度と悲しみに塗りつぶされる事がない様お護り下さい!」
(本当は、私が導くのではなく新しい世代皆が共に切り開いて欲しいのだが…それはこれからだな)
そう苦笑する。一人のリーダーが絶対であればあるほど組織は歪み行くものだからだ。
だが、それはこれから変わっていくだろう…新しい風を入れるとはそういうものなのだから。
「やる事は山積みだ、明日も頑張って貰わなくてはならないから、君ももう寝なさい。私も休むとしよう」
そう告げるゲオルグにベアトリスが少し迷うそぶりを見せる。襲撃されたばかりだからゲオルグを一人にする事に抵抗があるのだろう…だがもう襲撃はないだろうと、心の何処かでそう思う。
そんなゲオルグの空気を感じたのか、食い下がることもなくベアトリスは一礼すると。
「では、明日またお迎えにあがります。おやすみなさいませ!」
一礼した後一息に告げて、女性寄宿舎に向かう彼女に頼もしさを感じる。新しい世界を作る世代が健やかにあれる世界を守るのは、今の時代を作ってきた自分たちの役目だ。
(二度とあんな悲しい怒りを抱えた復讐者を生み出してはいけない…頑張らねばな)
新たに誓い、歩き出す。
二度と同じ過ちを繰り返すことの無いように、悲しみを振りまかないように、悲しい復讐者の怒りと悲しみを心に焼き付けて。