骨舞う旅路   作:ウキヨライフ

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第36話:願いと対価

 ラナーは“蒼の薔薇”を招いて久方ぶりに細やかなお茶会を開いていた。

 戦時中は不要な貴族どもを滅して周り、戦後はその後始末のために多方面に忙しく働きかけていたのだが、その苦労がようやく実って一段落ついたのだ。

 しかし、お茶会は以前のものとは少し様相が異なった。招かれているラキュースは正装ではなく、愛用する無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)を脱いだだけの軽装だ。ラキュースだけではない。普段なら面倒臭がって来ない他のメンバーも、全員が思い思いの格好で寛いでいる。部屋全体に堅苦しさはなく緩い雰囲気だ。

 王族のラナーも護衛のクライムも、品性に欠ける彼女らの振る舞いを咎めない。なぜなら招待したラナー本人が、正装の必要は無いと伝えてあったからだ。

 

 さりげなく見渡せば、豪華絢爛とはいえないまでも高級感のある調度品で飾られていて、それなりに上流階級の部屋であることが分かるだろう。しかし、ここは以前使っていたメイドの目が煩いヴァランシア宮殿の一室ではない。もちろん、ロ・レンテ城でもない。

 ここは()()()()()()()()()()()()()()()()()。元リ・ブルムラシュール領で、今は亡きブルムラシュー侯爵の館。現在は改築されて生まれ変わったラナーの邸宅だ。

 

「こうして気兼ねなく来れるのはいいな」

 ガガーランが茶菓子を食べながら笑うと、双子の忍者も同意とばかりに頷く。

「リーダー、拠点をこの街に移そう」

「そうすべき、活気があって面白い」

 

 丘の中腹に建てられた邸宅からはエ・ティエールの街が一望できる。かつてラナーに与えられていた王都近郊の領地、小さな農園と比べると規模が桁違いである。

 双子が望む窓の先には賑わう人々が見える。エ・ティエールに直接的な戦禍の傷跡は無い。それでもブルムラシュー侯爵と共に参戦した多くの領民を失っているのだが、街からは戦後の暗い雰囲気はなく復興に向けた活気のようなものを感じる。

 

 双子の言葉にラキュースは呆れる。

「気軽に言ってくれるわね……」

 アダマンタイト級冒険者ともなると、所属している冒険者組合が手放そうとしないのは周知の事実だ。アダマンタイト級が所属しているだけで組織の箔となり、組合への依頼が増えて潤うからだ。

 

「ふふふ、皆さんであればいつでも歓迎しますよ?」

「そうは言うけどねラナー……」

「あら、家を持つだけなら問題はないでしょ? 宿屋暮らしも身軽でいいのかもしれないけれど、客の目をいちいち気にする必要は無くなるでしょ」

 

 唸るラキュースにラナーはたたみかける。

「幾つか物件を紹介するから考えてみて。それにまだ区画整理中だから、何か要望があれば多少の融通も利くと思うの」

「……みんなとよく話し合ってから決めるわ」

 

 その答えにラナーは内心ほくそ笑む。

 神との繋がりが出来た今、ラナーの中で“蒼の薔薇”の優先度はやや下がった。しかし従属神と親交のある彼女ら、特に気に入られているであろうイビルアイを側に置いておけば後々役に立つかもしれないとラナーは考えていた。

 迷っているのはラキュース一人、双子はラキュースに追従するだろう。イビルアイもチームの決め事には一歩距離を置きたがるが、その正体を考えれば人目を憚らず自由に振る舞える場所は魅力的だろう。明確に反対しそうなのはガガーランだが多数決には従うはずだ。

 

 

 

 

 

「それにしても、ラナーが領主になるなんて思ってもいなかったわ。……クライムも、ラナーと一緒に居てくれてありがとう。友人として感謝するわ」

「そんな、感謝だなんて……。この命はラナー様あってのもの。私がラナー様をお守りするのは当然のことです」

 

 クライムは当然のことと言うが、その覚悟は並大抵のものではない。

 雨が降り注ぐスラムの道端で、飢えと寒さで死にそうになっていたところをラナーに拾われた。拾われた命は当然のことのようにラナーに捧げるつもりであった。戦士としての素養は平凡。それでも、人生で初めて見出した太陽を守りたい一心で研鑽を積み、今では王国でも指折りの戦士となったのだ。

 そしてラナーから血を伴う改革の話を聞かされた時、クライムは驚きはしたがラナーに付いて行くことに迷いは無かった。

 

 ただし、認識が甘かったと言わざるを得ない。

 

 改革にあたり、ザナック王子とラナー王女は陣頭指揮をとりその身を晒した。それ故に敵対貴族の矛先は自然と二人に向かい、度々反撃や襲撃を許す結果となった。その度にクライムは、ラナーを守るためにその身を投げ打って敵の前に立ちはだかった。

 しかし、全てが終わって立ち止まったクライムは、血に染まる己の手を見て心を痛めた。

 

 宮仕えで城に出入りしていたクライムは妬まれていた。

 平民出の男が王女の護衛として召し抱えられる。貴族位を持つ騎士やメイドたちにとっては面白くない話だ。それは他の騎士たちにとっては出世の機会をひとつ失ったに等しく、またラナーがクライム以外の騎士を側に置きたがらなかったためにその妬みに拍車をかけていた。

 王女直属なので直接的な嫌がらせこそ無かったが、陰口を叩かれたり無視されたりは日常茶飯事。だから、城内に友人と呼べる者はいなかった。

 

 それでもだ。どんなに己を蔑む相手だろうと、いざとなれば王国の為に肩を並べて戦う仲間であるとクライムは信じていたのだ。

 

 そんな仲間だと思っていた騎士たちを幾人も斬り伏せた。

 

 仕える主人を違えたばかりに敵となってしまった騎士を斬ったのだ。

 覚悟は出来ていたつもりでも、実際に王国民を手にかけたという事実は健全なクライムの精神を想像以上に蝕んだのだ。

 

 そんな憔悴しきったクライムの頭を優しく抱きしめて慰めた時のことを思い出し、ラナーは小さく身を震わす。いつもより少しだけ強く抱き寄せたクライムの頭。その汗臭さがラナーの鼻孔をくすぐり意識を痺れさせた。胸元にかかるクライムの吐息がラナーの身体を熱くさせた。

 あの瞬間は、間違いなく至福のひと時であった。

 

「まったく……、貴方たちには妬けちゃうわ」

 想い出に浸り、僅かに上気した表情を浮かべるラナーをどう読み取ったのか、ラキュースが溜息交じりに言う。クライムは顔を赤くし俯くだけだ。

 そんなクライムを横目でチラリと観察しつつラナーは話題を戻す。

 

「……居なくなった貴族に代わって治める者は必要ですからね。領主の真似事は今までもしてきましたから、苦ではありません」

 敵対貴族、とりわけ支配階級の人間を多く討ち取ったため、必然的に上に立つ人間が不足したのだ。王国は猫の手も借りたい一心でラナーにも領主の話が舞い込んだ――というのはもちろん建前で、金鉱山とミスリル鉱山で最も潤っていた領地をラナーが得たのは偶然ではない。

 

 

 

 

 

 イビルアイが抑揚のない声で口をひらく。

「……今回の騒動はお前たちだけで決めたのか?」

 彼女の指す“お前たち”とは指輪同盟のことだ。

 しかし、指輪同盟が結託したそもそもの要因である“指輪”に関して知る者は少ない。事情を知らない者からすれば、今回の改革に関わった5人は政治的な利害によって結託したとしか見えないだろう。しかも、鮮血帝もかくやと思わせるほど苛烈に、多くの血が流れたことは隠しようのない事実だ。直後に発表した政策によって各領民をなだめはしたが、この一件でラナーに恨みを持つようになった民は少なからずいるはずだ。

 

 ラナー自身、率直に言って「らしくない」と思う。守り続けた「黄金と謳われた16歳の可憐な王女様の姿」からはかけ離れている。それはラナー本人も重々承知している。

 だからだろうか、イビルアイは“巨大な力”が働いているのではと邪推しているのだろう。なによりも、彼女には“巨大な力”に心当たりがあるのだから当たり前だ。

 

 ラナーは真実を織り交ぜ軽く(うそぶ)き話題を反らす。

「はい。今回の帝国との戦いで王国が近い将来崩壊することは分かっていましたから、多少強引でも建て直しが必要でした。ただ……、エ・ランテルの件は想定外でしたが」

「“死の螺旋”……か」

 

 予測していた死傷者数を倍に跳ね上げた“死の螺旋”は致命的であった。

 戦争と“死の螺旋”の犠牲者の多くは農民だが、当然のことながら手に職を持つ者も多く含まれる。理髪師、料理人、靴職人、仕立て屋、細工技師、鍛冶師、大工などなど。王国の捕虜を一ヵ所に集めればそれだけで小さな町ができるほどに様々な職業の人間が従軍していたのだ。

 そんな彼らを、人々の生活を支える彼らを、多くの領地が失った。特に、壊滅した左翼を丸々構成していたリ・ボウロロール領の損失は大きい。その傷跡は凄まじく、王国内で最も広大だったかの領地は未だに混乱状態が続いている。警邏を担っていた精鋭兵団の壊滅も治安悪化に拍車をかけ、人口80万を誇る大都市は無法状態だ。

 

 ガガーランは紅茶を飲み干すとティーカップを置く。

「さっきの話は……、その、何百万も餓死するってのは避けられないのか?」

 その言葉に部屋の空気が重くなる。

 ラナーはその厳しい現実を、お茶会が始まって早々に“蒼の薔薇”に伝えてあった。アダマンタイト級冒険者ともなると、他の冒険者たちよりも“お国の事情”とやらに詳しくなる。しかし、ラナーから語られた内容は彼女たちにとっても受けいれ難く、信じたくないものであったようだ。

 特に、見た目に反して根は優しいガガーランは大いに心を痛めたようだった。

 

「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。王国としては他国の援助に縋る他に道はありませんが、それも無償で得るのは難しいのです」

「それで“この領地”、なのか?」

「はい。先立つものが必要ですから」

 

 大飢饉への対抗策である“立体農場”に関して、ラナーは“蒼の薔薇”へは伝えない。それどころか指輪同盟にすら知らされておらず、王国では彼女しか知りえぬ極秘事項だ。彼女以外でその存在を知る者はフィオーラ王国の極一部とその関係者、つまり神と繋がりのある者のみ。構想を練るにあたって農業の基礎を聞き出した農夫には不慮の事故で死んでもらう念の入れようだ。

 

 ラナーには早急に叶えなければならない願いがあった。クライムと共に神の庇護下に入り、今回の改革で生まれた怨恨による脅威から逃れるというものだ。

 しかし、リ・エスティーゼ王国の中枢をまとめ上げて示した“指輪同盟の価値”で得た対価は“王国の共存協定への参加”という形で支払われてしまっていた。なので今度は指輪同盟としてではなく、()()()()()()()()願いを叶えてもらおうと画策しているのだ。

 その為に、ラナーと従属神との間で既に取引きを済ませていた。条件として新たに提示されたのは、アインズ・ウール・ゴウンに“利益をもたらす”と、“王国民に威光を知らしめる”だ。

 

 “利益”には立体農場の“構想”を充てた。

 

 そしてもうひとつ、如何にして王国民にアインズ・ウール・ゴウンの威光を知らしめるか。如何にして、誰もがアインズ・ウール・ゴウンに日々感謝の祈りを捧げるように仕向けるか。

 ラナーが採ろうとしているその手段は、確実に訪れる大飢饉を利用した“()()()()()()()()”だった。飢えによって夫や妻、子供や友が、一人また一人と死んでいく絶望的な状況のさなかに、“全員に行き渡らない程度の食料”を少しずつ配給するのだ。それもアインズ・ウール・ゴウンの紋章が入った食料をだ。

 そうすれば文字の読めない者でもすぐに知ることになるだろう。一体何が自分たちを生き長らえさせているのか。それを否応なく理解させるつもりなのだ。

 

 つまるところ、ラナーは立体農場を領地に取り入れて飢餓の被害を減らす気はさらさら無かったのだ。全てはクライムと安寧を享受するため、ラナーは一貫して保身のために動いていた。

 今回、血を伴う改革でラナーは潜在的な敵を作ってしまった。飢餓で国民が何十万、何百万と死ぬのが避けられないのならば、せめて利用しようと考えたのだ、が――。

 

 実のところ知恵者三名の間ではラナーは高評価であるため、新たな取引きを交わさずとも彼女とクライムの保護は確定事項であった。つまり、完全にラナーの取り越し苦労な訳だが、そこはそれ、動機がなんであれアインズ・ウール・ゴウンの利益に繋がるであろう活動に水を差すのも野暮と判断し、守護者たちは快く取引きを受けたのだ。

 ラナーに必要なのは言外の保護ではなく確約された安寧、守護者たちはそう理解したのだった。

 

 

 

 

 

「ラキュースのところはどうなの?」

「……他所と同じよ。徴税した作物は貯蓄してあるけど、習わし通り夏祭りとか収穫祭で領民に配っていたから……正直キツイわね」

 ラキュースの実家、アインドラ家もまた貴族ゆえに小さいながらも領地を所有している。他の貴族と同様に商人からは金を、職人からは製作物を、農民からは作物を徴税していた。

 そして年に数回、祝い事などが催された際はアインドラ家から領民へご馳走が振る舞われていた。場合によっては食べ物以外にも、農具や衣類なども配られたりするのだ。これらの催しは祭儀的な理由から執り行われるものが多いが、領民の不満や鬱憤を解消させる働きを目的に王国では広く浸透している風習だ。

 領主としては痛み始める倉庫内の貯蓄を放出する良い機会であり、同時に領民の憂さ晴らしもできる一石二鳥の催しという訳だ。

 

「領民たちが極限まで倹約すれば、もって二年。……でも、ボウロロールから人が流れてきたら危ないかも」

 リ・エスティーゼ王国は他の生存圏と比べると肥沃な大地に恵まれている。その為、もともと飢饉とは縁遠い土地なのだ。各領主たちの飢饉にたいする備えはお世辞にも万全ではない。万が一、領地外から難民が流入した場合、領民と難民の両方を養うのは無理だろう。

 

「なあ、イビルアイ。シャルティアに頼めないか?」

 ガガーランの言葉に視線がイビルアイに集まる。

「……止めとけガガーラン。ああ見えて奴の本質は邪悪だ。助けを求める相手じゃないぞ。それに、どう助けてもらうつもりだ? 人々を吸血鬼(ヴァンパイア)にしてもらうつもりか? 吸血鬼(ヴァンパイア)になれば確かに飲食は不要になるが、お勧めしないぞ」

 イビルアイの本気とも冗談とも取れない言葉にガガーランは唸る。

 

「駄目もとで頼みに行かないか?」

 食い下がるガガーランにイビルアイは溜息交じりに応える。

「何度か話して気づいただろ? 従属神は神のためにしか動かない」

 

 なおも不満顔のガガーランにイビルアイはなだめるように続ける。

「頼むなら従属神ではなく神へ直接が望ましい。ただ、彼らはこの地に来て日が浅い。絶大な力を持っていても出来る事に限界はある。力にはなってくれるだろうが期待し過ぎない方がいい。それに……、そんな事をしなくてもラナーは既に手を打っているんだろ?」

 

 ガガーランとイビルアイのやり取りを観察していたラナーは不意に話を振られて目をぱちくりさせる。

「良く分りましたね」

「“他国の援助に縋る他に道はない”と言ってただろ? 城に籠っていた頃より自由が利くんだ。何かしら行動済みでもおかしくはないと思っただけだ」

「……ええ、確かに。具体的な量や費用の相談はまだですけど、既にフィオーラ王国に食糧援助を頼んでいます」

 それを聞いたガガーランの表情が幾分か和らぐ。

 

「そこで、私から蒼の薔薇の皆さんに依頼があります」

 姿勢を改めたラナーにリーダーのラキュースも応える。

「荒事かしら?」

「危険なことには変わりませんが、どちらかと言えば“荒事にしない為の下調べ”です。クライム、例の物を皆さんに」

「はい」

 

 机の上に出されたのは一枚の地図とペンダントが5個。

 ラキュースはそれらを手に取り確認する。

「トブの大森林の地図に、アインズ・ウール・ゴウンの紋章が入ったペンダント……」

 

 “トブの大森林”と聞いて蒼の薔薇の三人が身じろぐ。

 以前、トブの大森林で死んだガガーラン、ティナ、ティアの三人だ。戦闘らしい戦闘もさせてもらえず一方的に踏み殺された彼女たちは、“森”にある種の苦手意識が芽生えていた。

 

「このペンダントが必要ってことは、行先はフィオーラ王国かしら」

 アインズ・ウール・ゴウンの紋章は少しずつ周知されつつあった。

 現在、国策として、王国を縦に走るリ・ウロヴァール、エ・ティエール、エ・レエブル、エ・ペスペルの四都市を繋ぐ街道整備が大々的に執り行われており、その街道にリ・エスティーゼ王国とアインズ・ウール・ゴウンの紋章が刻まれた標識が所々に設置されているのだ。

 教養のある者なら言わずもがな、学のない者でも漠然と「王国が何かしらの協定に参加した」程度には認識されていた。

 

「行先は森ですがフィオーラ王国ではありません。皆さんには地図に記された“共存協定に参加していない勢力”を調べてきてほしいのです」

「どういうこと?」

 

 ラナーは説明する。

 共存協定には王国の主権を維持するために“同盟国”として参加したこと。そのため有事の際には加盟国の援軍を期待できるが、反面、国防においての初動は自国のみで対応せざるを得ないこと。共存協定に参加していない勢力に関しては個々の判断に任されていること。そして、リ・エスティーゼ王国はそれら無所属の勢力に関して、極力接触しない方針である事を告げた。

 

「その地図に記されているのはフィオーラ王国が調べた“意思疎通のできる亜人”の集落です。皆さんには彼らの行動範囲や敵対心の有無を調べてきてほしいのです。特にフィオーラ王国、エ・ティエール、エ・レエブルを繋ぐ街道は食料運搬に必須。街道に近い勢力は今後のためにも把握しておきたいのです」

「それで“意思確認”なのね」

「はい。我々王国としても要らぬ争いは避けたい。その為には互いに遭遇する可能性を減らすのが一番ですから」

 

「そういう事情なら任せて。皆もいいわよね?」

 蒼の薔薇の面々が頷く。

「相手を理解しようとすることは良いことだ」

「食いもんの運搬に必要なら森が怖いとか言ってられねえよな」

 窓辺の双子も息を合わせたように頷く。

 

 その答えにラナーは満足そうに礼を言う。

「皆さん、ありがとうございます」

 そして調子を切り替えると街への散策に蒼の薔薇を誘う。

 

「では、仕事の話はこれで終わり。――これから街か鉱山を視察がてら皆さんをご案内したいと思いますけど、ご一緒にどうですか?」

「面白そうね。それじゃ、近場の街から案内してもらおうかしら」

 

 こうして蒼の薔薇は新たな任務に赴く前に、暫しエ・ティエールの散策を楽しむのであった。

 

 

* * *

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第十階層玉座の間には死の支配者(オーバーロード)半魔巨人(ネフィリム)の姿があった。

 

「娼婦を迎え入れたいだって?」

 モモンガの驚く声が響く。

「そのようだね。正確には“娼婦になるしかない女”だろうけど」

「それは……、エンリの考えなんですか?」

「うん。村の生産力を安定させるのに40人」

 

 人手不足であることはモモンガも承知していたがその意外な提案に戸惑う。

「えっと、その娼婦候補ですか? それである必要はなんですか?」

「王国が流出を止められないから、かな」

 

 エンリが言うには、戦争の大小に関わらず戦災未亡人は少なからず生まれるという。その中で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が行きつく先は、街で身体を売ること。子供を抱え、着の身着のまま日銭を稼ぐには他に方法がないのだ。

 職業選択の自由がない王国だとしても「ではそのまま飢えて死ね」とは言えず、娼婦としての出稼ぎを黙認する傾向があるという。そして村々においても、たとえ彼女たちが子供諸共消えたとしても「口減らしになった」で済まされ追う者は現れない。

 それが現実、つまり、見捨てられた母子だ。

 

 エンリはそこに目を付けた。

 リ・エスティーゼ王国が共存協定に参加してしまった手前、カルネ村自治領にとっても王国は言わば同盟国だ。その同盟国の労働力を勝手に移住させる訳にはいかない。そこで国から見捨てられた母子に焦点を当てたのだ。

 母親は直ぐに働ける労働力であり、子供は将来の労働力という訳だ。それと子供のうちから亜人と接すれば村に馴染むのも速いだろうという思惑もある。

 

「いままで移住しなかったのに、今更集まりますかね……」

「大丈夫じゃないかな。お姫様たちの減税政策は人の流出に歯止めはかけたようだけど、労働者不足や食糧難に対してなんの解決にもなってないからね。あれから時間が経ったことだし、()()()()()()()()()()なら集まるんじゃないかな」

「実感……か。まあ、そうですね」

 危機的な状況に晒されなければ人はなかなか動くことができないものだ。モモンガも現実(リアル)でそういった人間を何人も見てきたので知っている。実感が伴わなければ現状維持に流される人が大半で、事前に行動を起こせる人は一握りだ。

 

 やまいこは続ける。

「心配があるとすれば、集まり過ぎることかな。お姫様も孤児院を建てたりしているみたいだけど、雇用枠はまったく足りてないようだからね。エンリが何かしらの受け入れ条件を作るだろうけど……、情に流されないか、ちょっと心配」

 

 カルネ村自治領に関しては村長のエンリに一任しているが、彼女は年相応の少女でもある。生活がままならない相手を前に16歳の心が揺るぐかもしれない。

 必要以上に受けいれてしまっては、逆にカルネ村が破綻する恐れもあるのだ。

「その時は少し手を貸してあげましょう」

「うん、そうだね」

 

「モモンガ様、やまいこ様、お待たせいたしました。こちらが報告書になります。それと、この後は魔法詠唱者(マジックキャスター)たちとの謁見となっております。もう間もなく到着するかと思います」

 会話が一段落したタイミングでアルベドが玉座の間に現れる。

 

「うむ。では先に報告書に目を通しておくか」

 モモンガは綺麗にまとめられた報告書をざっくりと斜め読みする。

 フィオーラ王国と傘下に加わった諸部族との取り決め、竜王国との貿易状況、リ・エスティーゼ王国が結んだ同盟条項の内容、牧場に取り入れた立体農場の稼働状況、そして以前デミウルゴスが提出した羊の新生児へ施す教育案が廃案となったことが書かれていた。

 

「やまいこさん、子羊への知育は廃案になったそうですよ」

「へえ、羊の損耗を減らすにはいい案だと思ったんだけど、なんで?」

「排卵誘発剤が見つかったそうです。民間で使われていたものみたいですね」

 モモンガは報告書をやまいこへ渡す。

 

 報告書を読んだやまいこは納得する。

 エ・ランテルで見つかった排卵誘発剤をナザリックで改良、羊の安定した生産が可能になったことで教育にコストをかける必要が無くなったのだ。

 それに、教育には時間もコストもかかる事は教師であったやまいこは知っている。将来的に潰される羊よりは、カルネ村自治領で引き取った子供へ投資する方が有益なのは間違いない。

 

「スクロールに関しては一安心かな」

「立体農場で作られた成長促進剤が動物にも流用できれば安定しそうですね」

 実のところ中位用スクロールは素材である獣人が多産であることと成長が早いため、低位用スクロールより供給量が安定していた。そして排卵誘発剤が見つかった今、あとは成長促進剤さえ見つかれば羊皮紙の供給も安定する筈である。

 

「残るは高位階用スクロール……、か」

 モモンガが悩まし気に呟くと玉座の間とレメゲトンを隔てる巨大な扉が薄く開き、ユリ・アルファが魔法詠唱者(マジックキャスター)たちの到着を告げる。

 

 ユリに導かれた魔法詠唱者(マジックキャスター)4人が玉座のもとまで辿りつくと揃って跪く。

「モモンガ様、やまいこ様。立体農場に携わっていたデイバーノック、カジット、アルシェ、ニニャの4名が揃いました」

 アルベドの声にモモンガとやまいこは鷹揚に頷く。

 本音としてはもっと気楽に接したいものだが立場がそれを許さない。創造主と崇められている自分たちが、冒険者として活動するにあたって守護者達には多くの我が儘を通している。だから、モモンガもやまいこも、せめて自分たちが玉座の間にいる時くらいは、彼らが望む上位者であろうと努めているのだ。

 モモンガは静かに語りかける。

 

「立体農場の件、大儀であった。お前たちの働きでフィオーラ王国の反収は劇的に増える見込みだ。これによってリ・エスティーゼ王国への支援も捗るだろう」

 モモンガの言葉を受け4人が深く頭を下げる。

「さて、前にも伝えたようにアインズ・ウール・ゴウンの支援のもとで得た立体農場に関する技術、知識はアインズ・ウール・ゴウンが独占する知的財産だ。門外に出さぬよう厳命する。特にカルネ村在住の二人は注意するように。たとえ相手がエンリでも秘密だ。良いな?」

『はい!』

 声を揃えた返事にモモンガは満足する。

 

「では、褒美の話をしよう。今回の件で皆の願いを叶えてやりたいが、暫し保留とする。理由は、諸々の数値がまだ“見込み”だからだ。結果が出るまで長くとも1年、その間は辛抱してほしい。とはいえ、働きに対して全く褒美が無いのも勤労意欲に関わる。そこで今からお前たちを最古図書館(アッシュールバニパル)へ案内しよう」

最古図書館(アッシュールバニパル)! あ、ありがたき幸せ!」

 

 “最古図書館(アッシュールバニパル)”に真っ先に反応したのは、より多くの魔法を習得することを夢見るデイバーノックだった。彼が代表して謝意を示す形となったが、残る3人も魔法詠唱者(マジックキャスター)。その表情には知識に対する小さな欲が覗く。

 

「いい表情だ。――司書長を紹介しよう。なにせ魔導書は我々の言葉で書かれているからな。全ての蔵書を公開する訳にはいかないが、翻訳に関しては彼に協力を仰ぐといい」

 

 

 

 

 

 皆が御方の言葉に平伏すなか、ニニャは飢餓に襲われるリ・エスティーゼ王国に――、いや、王国民に対して憐憫がわく。

 ただ自分の境遇を想えば王国自体に憂うところは無い。せっかく完成した立体農場の機構を大々的に喧伝できないことを残念に思わなくも無いが、開発に関わった者として手軽に導入できるものでもない事も同時に理解しているからだ。

 

 立体農場は極力森祭司(ドルイド)に頼らないように設計されている。しかし、だからといって魔法詠唱者(マジックキャスター)の協力が必要無い訳ではない。その稼働には大量の〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が必要で、元より魔法詠唱者(マジックキャスター)が不足している王国には導入が難しい代物なのだ。

 それこそスレイン法国やアインズ・ウール・ゴウンでもなければ実用化に何年もかかるだろう。

 

 ニニャは保留となった褒美に想いを馳せる。

 結果が出ていない以上、延期となったことに不満は無い。皆を窺っても同じように不満は無さそうだ。

 皆の願いがどのようなものかは知らないが、今回の働きで王国の被害は本来の三割程度に抑えられると試算されている。きっとそれに見合うだけの願いが叶うのだろう。

 

 ニニャは目を閉じる。

 長くて1年の辛抱。今はただただ、ペテルとダインの復活が待ち遠しい。

 

「ニニャよ」

「は、はい! ご用向きでしょうか!?」

 安らかに眠る仲間の顔を思い描いているところに御方から声がかかり、ニニャは慌てる。

 

「そう身構える必要はない。なに、最古図書館(アッシュールバニパル)へ向かう前にな……」

 御方は優しく諭すと玉座の間の入口、ニニャたちの背後を指す。

「お前に会わせたい人がいる」

 

 ニニャの心臓がひとつ跳ねる。

 

 予感めいたものを感じた。

 モモンガと交わしたもうひとつの約束――いや、()()()があった。

 

 ニニャは恐る恐る振り返る。

 そこにはメイドに付き添われたひとりの女性が佇んでいた。異国の服に身を包んだその背丈は自分より少し高く、長く伸ばした金髪を後ろで結わえている。まっすぐ向けてくる青く澄んだ瞳はどことなく不安気だが、面影は間違いなく想い出の中の尋ね人だ。

 

「……姉さん?」

 声に出してみたものの、別れ離れになってから既に6年が経っている。高鳴る期待と同じくらい不安が大きい。置かれた状況に確信が持てず、目の前の存在が幻ではないかと疑ってしまう。

 いっそ駆けだしてしまえば確信を得られるはずだが、抱きついた瞬間に泡となって消えてしまったら立ち直れる自信が無いのだ。ニニャを踏みとどまらせたのは傷付くまいとする心の防衛本能といえた。

 

 そんなニニャの呼びかけに応えるかのように女性が微笑む。

 ぎこちないものであったが、不思議と心からの笑みであると察することができる。

 そして、その手が大切そうに抱える()()()()()()を目にした瞬間、何年も日記に綴り続けた想いがニニャの思考を染め上げる。

 

「――おねえちゃん!」

 感情が、堪らず爆ぜた。

 

 もう迷子は御免だ!

 

 6年前の自分が、そう叫ぶ。

 

 ニニャはここが玉座の間であることも忘れ、人目も憚らずに駆けだした。

 

 




ラナーとエンリ、二人は16歳☆彡

独自設定
・ラナーの領地、エ・ティエールの命名規則は適当。ラナーのフルネームから引用。語尾が「ル」なので他の街と統一性があるかなと。街の名前の頭にくる「エ」と「リ」が何を意味するのか分からなかったので全体の語感で「エ」にしました。
・アインザックが高級娼婦に飲むよう指示した薬が「排卵誘発剤」だと明言されてはいない。が、まあ、そういうことだと思う。

補足
・ツアレは男子禁制の神社で巫女の侍女をしていた。ナザリックが法国の戸籍にならって関係者のリストを作っていた為に検索に引っかかった。今後カルネ村自治領に移住するかは未定。

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