骨舞う旅路   作:ウキヨライフ

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幕間
第35話:みんなのお仕事


 カルネ村自治領村長、エンリ・エモットの朝は早い。

 王国と帝国の戦いから約一ヶ月、地面には霜が降り雪が舞う季節だ。夫を起こさぬよう静かに寝床から出ると冷気に身を震わせながらいそいそと身支度を始める。今日は蜥蜴人(リザードマン)の集落に交易品を運ぶ日。より正確には集落に隣接する物流拠点に運ぶ日だ。

 その見送りをするためにエンリは早起きしたのだ。

 

 物流拠点の警備はフィオーラ王国が担っている。蜥蜴人(リザードマン)もいるが、なにしろこの季節、寒さに弱い蜥蜴人(リザードマン)はお世辞にも役に立つとは言えない。

 荷は軟膏と毛織物。本来は特産品でもある水薬(ポーション)を売りたいところだが、森の住人には薬草から作った軟膏の方が好まれた。そして人間の器用さを生かした毛織物も受けがいい。

 

「おはようございます、皆さん」

「おはよう村長」

 ヘッケランにイミーナ、ラッチモンとその弟子のブリタ、ルクルット、そして小鬼の騎兵(ゴブリン・ライダー)のキュウメイが荷造りしている。ブリタとルクルットはカルネ村の新たな住人。二人ともエ・ランテルで仲間を失い冒険者を引退した身だ。

 今回は6人と少人数だが、これが冬以外の季節ともなると安全確保のために荷馬車2台以上10人以上が必要になる。森全体が落ち着いているこの時期だからこそ、イミーナも夜間の見張りから解放され同行することができるのだ。

 

 いつの間にかルプスレギナがエンリの隣に立っていた。

 この突然現れるメイドとの付き合いも早数ヶ月、エンリはいまだに慣れないでいた。しかし驚いて見せると喜ばせる事になるので努めて平静を装う。

「あれ、ルプスレギナさんも見送りですか?」

「最近エンちゃん反応薄くてつまらないっす。……ん?」

 狙った反応を得られなかったルプスレギナはふとエンリを見据えて鼻をスンスン鳴らすと、何かに気づいたのかイミーナのもとへ駆け寄ると耳打ちする。そして、二人してとても意地悪な笑みをエンリに向けるのだった。

 

「な、なんですか?」

「んん? いや~、なんですかって聞かれても、ねぇ、イミーナさん」

「おほほ、なんでしょうねぇ、ルプスレギナさん」

 その煮え切らない受け答えにエンリは詰め寄るが、直前にルプスレギナが鼻を鳴らしていたことを思い出す。そんなに汗くさかったのかなと自分の匂いを嗅いだ瞬間、エンリに衝撃が走る。強烈に汗臭かった訳ではない。ただ、冬の夜、汗をかいた()()()()()()()を思い出したのだ。そしてそれを悟られたのだと直感する。

 恐る恐る顔を上げるとエンリの機微を見逃すまいと愉悦に染まった二つの笑みが見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 顔を真っ赤にしたエンリがやや離れたところでルプスレギナとイミーナをポカポカと叩くのを横目に、ヘッケランは誰に聞かせる風でもなく荷造りしながら独り言つ。

「朝っぱらから元気だな……。アンタは交ざらないのか?」

 突然話を振られたブリタの表情は硬い。

「そんな余裕ないわよ。森に入るってだけで緊張するんだから……」

 ブリタは胸元のペンダントを確かめる。亜人種に示す同盟者の証だが当然の如く獣の類には通用しない。以前より安全になったとはいえ森はまだまだ人外の領域。冬とはいえ油断はできないのだ。

 

「ブリタ、肩の力を抜け。先は長い、気疲れするぞ」

 彼女の師匠ラッチモンが気負い過ぎぬよう助言する。これから進む道は綺麗に舗装された道ではなく、単純に切り開かれた林道だ。カルネ村自治領と蜥蜴人(リザードマン)の集落を繋いでおり、荷馬車の往来を目的としたそれは人が歩くことを考慮していない。

 闇妖精(ダークエルフ)やハムスケが巡回しているため比較的安全ではあるものの、中には危険な場所も存在する。それは林道によって切り開かれた“森と森”を繋ぐ野生生物専用の道。臆病な野生生物が林道を往来する者と不幸な遭遇をしないよう立体的に交差する橋で、一定間隔で林道を跨ぐように設置されている。それぞれの利用者が物理的に接触することは滅多にないが、稀に肉食の獣がその高低差を利用して待ち伏せていることもあるのだ。

 

「分かっちゃいるけど、こちとら元(アイアン)だよ? 怖がりもするさ」

「恐怖心も警戒心も大切だ。必要以上に固くなるなってこった。ルクルットを見ろ」

「え……いや、あれはダメでしょ」

 

 ブリタが同期に目を向けるとどう見ても鼻の下を伸ばしている。視線の先はルプスレギナ。弛みきった表情からは緊張感は窺えず、とてもじゃないがこれから森に入る男の顔ではない。これでそこそこ優秀な野伏(レンジャー)なのだから納得がいかない。

 

「イミーナ! そろそろ行くぞ」

 荷馬車の最終確認を終えたヘッケランが出発を促す。行程にして片道二日弱、彼は道中の責任者だ。良好な天候と荷馬車を伴わなければ一日半ほどの距離だが、軽い積雪のなか荷馬車に積んだ交易品を気遣いながらの行軍となると話は別だ。

 ヘッケランとしては初日で出来るだけ距離を稼ぎ、蜥蜴人(リザードマン)の集落に近づきたかった。なぜならトブの大森林全域にまたがる物流拠点として蜥蜴人(リザードマン)の集落は厳重に守られているからだ。そのため集落周辺はカルネ村よりも安全なのだ。

 

 イミーナが荷馬車に乗り込むのを確認するとヘッケランはエンリに出発を告げる。

「では村長、行ってきます」

「はい。お気をつけて」

 

 小鬼の騎兵(ゴブリン・ライダー)を先頭に荷馬車が進む。林道は曲がりくねっているので直ぐに荷馬車は見えなくなる。馬の負担を減らすために林道は高低差の激しい土地を迂回しているのだ。

 

「んじゃあ、戻るっすかね」

「はい」

 二人で門をくぐり村へと戻る。

 道すがらルプスレギナはエンリに話しかける。

「それにしても、住民増えないっすね」

「そうですね……。村の拡張計画を少し修正しないとダメみたいです」

 

 当初、カルネ村がリ・エスティーゼ王国から独立するにあたって他の村々から難民が流入する可能性があると漆黒のモモンとマイ、そしてンフィーレアから示唆されていた。話を聞いたエンリも重税から逃れるためならばその可能性は高いとして、今後増えるであろう人口を見据えてカルネ村自治領の拡張計画を立てていたのだ。

 しかし、独立宣言から約二ヵ月、戦争が終わり落ち着きを取り戻したこの時期になってもほとんど動きが無かったのだ。

 実際に移住してきたのはカルネ村と同じ境遇の、つまり八本指に村々を襲われた人々ばかりで、懸念されていた難民はほぼ皆無であった。

 

 主な理由は二つ。

 ひとつは封建国家であるリ・エスティーゼ王国の農民はいわば農奴、住居や耕具の所有は認められているが転居や職業選択の自由はない。彼らは領主の所有物であり、その人格は尊重されることはなく往々にして権力者間で“土地の付属品”として取り引きされる存在だ。そして誰が領主になろうとも恣意的に課税される運命は変わらない。

 僅かな貯蓄では逃亡生活に堪えられない。捕まれば連帯責任で村全体が苦境に立たされる。何よりも、逃亡した農民を受け入れる領主なぞいるはずもない。“逃げ癖”という疫病が自分の農民に感染しないよう見せしめに処罰するのが普通だ。

 建国から二百年弱、生かさず殺さず、農民たちは土地に縛られ搾取され続けた。自立心を奪われた彼らはとっくに心が折られていたのだ。だからこそ、カルネ村自治領の噂を聞いても行動を起こす者が現れなかったのだ。

 

 そして二つ目の理由。

 開戦と同時にリ・エスティーゼ王国内で起こったザナック王子とラナー王女による貴族領の接収と、直後に両殿下の連名によって発表された新しい税額の発表によって農民たちが希望を見出したのだ。大きな変化を伴わず生活が改善されるのであれば不確かなカルネ村の噂に命を懸ける必要はない。彼らは現状維持を選んだのだ。

 

「これ以上山羊を増やすのは止めようと思っています」

 現在、カルネ村は帝国から輸入した山羊で小規模ながら放牧を始めていた。森には手先の器用な種族が半人半蛇のナーガくらいしかおらず、また森では毛織物が直ぐに痛むため需要がそこそこ高い。そこに目を付けてカルネ村でも交易用の毛織物を生産してみたら評判は上々。規模を拡大する予定であったのだ。

 

「ま、仕方ないっす。出稼ぎも期待できないみたいだし、割り切った方がいいっすよ」

 ルプスレギナの言う通り王国や帝国からの出稼ぎは期待できない。どんな形であれ自国から民が流れるのを権力者は嫌うものなのだ。

 

 エンリは小さく溜息をつく。

 一時は60人まで減った人口も今では107人と回復した。しかしそれは小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)を入れての単純な合計人数。襲撃によって断絶した13世帯に代わる家庭は、自分を含めて僅かに3家族しか増えていない。しかもそのうちの一家族は襲撃を逃れた別の村の老夫婦で子供は望めず、最近めでたく結婚したヘッケランとイミーナも種族的に子供が授かるのか不明だ。

 

(アルシェさんとブリタさんも結婚してもおかしくない歳よね。あ、そういえばニニャさんはどうだろう。好きな人とかいないのかな。いや、いっそ村の男衆を紹介……。ああ、なんでこんなお見合いを薦める近所のおばさんみたいなこと考えてるんだろ……。はぁ……、もっと簡単に増やせないかな……)

 

 エンリは沢山の小さなンフィーレアに囲まれる未来を幻視して思わず首をふる。

「多くても精々3人よね……」

「ん? そこはぱぱっと12人くらいどうすか?」

「か、勝手に妄想を覗かないでください! ……というか何で子作りの話だと分かったんですか」

「いや~、エンちゃんとも長い付き合いっすからねえ」

 ルプスレギナがしみじみと語る。

 確かに短い間柄でもないが頭の中を覗かれたようで恥ずかしい。

 

「それに最近、()()()()、みたいすからね!」

「ル、ルプスレギナさんっ!」

 羞恥が再燃し腕を振るうがルプスレギナには軽々と避けられる。付かず離れず絶妙な距離を保ちつつちょこまかと逃げまわるルプスレギナをエンリは追いかける。

 こうしていつもと変わらぬカルネ村自治領の一日が始まるのだった。

 

 

* * *

 

 

 ニニャは窓から洩れる陽の光に起こされる。

 大きく伸びをすると窓を開けて空気を入れ替える。そのまま窓から望める広場中央に設置された小さな時計塔で時刻を確認する。 午前7時、農家や放牧を担当している住民はとっくに仕事を始めている時間だ。

 

 冬の冷気に当てられブルリと小さく震えると窓を閉めベッドからでる。そのままスリッパを履いて自室をでると、階段を下り2階の居間へと移動。暖炉に火を灯し、昨夜のうちに汲んでおいた水を人肌より気持ち高めに温める。その間、パンとハムを軽く炙って簡素な朝食を取る。温まったお湯でタオルを湿らせると、隠す必要のなくなった小ぶりの乳房を晒して寝汗を拭き取る。

 

 ここはカルネ村自治領に宛がわれたニニャの自宅。独り暮らし用の3階建ての物件だ。1階は店舗として貸し出しており、2階に居間と台所、3階に広めの自室と書斎にしている小部屋がある。

 貧しい村の出身である彼女には考えられないほど立派な家だ。

 

 ニニャは着替え終わると姿見の前で服装を確認する。胸の膨らみを隠していないので男装とは呼べないが相変わらず男っぽい服装だ。性別を偽る必要がないからといっても急に女性らしい格好をするのには抵抗があったのだ。

 そして、“ニニャ”という偽名も引き続き使っている。冒険者は引退した。それでも連れ去られた姉を求めて冒険者になったことを忘れたくなかったのだ。姉を忘れないために、姉の名前からとったこの名も捨てることはできなかった。

 

 ニニャは冒険者を辞めた日の事を思い返す。

 二人の仲間を失ったあの日、亡骸の前で途方に暮れてしまっていた。ただ、同時に冷静な自分が新たな仲間を探さねばとも考えていた。残酷な話だが生き残ったニニャとルクルットには死んだ二人を蘇生させるだけの貯えも、亡骸を保存し続ける当てもない。魔物の討伐で日銭を稼ぐ下級冒険者には蘇生という選択肢はないのだ。

 だから、ニニャは二人の亡骸に祈った。せめて安らかに眠ってくれと。それは失った仲間と決別するための大切な儀式。前に進むのに必要な儀式だ。

 

 そんなさなかに漆黒のモモンが現れた。

 彼が二人の死を惜しむ言葉を紡いていれば決別しようとしていたニニャの心を後押ししたかもしれない。しかし、語られたのは協力の見返りに二人を復活させるというものだった。

 生存率5割と言われる駆け出し時代を共に過ごし、厳しい昇格試験を経て(シルバー)になった大切な仲間。苦楽を共にし気を許せるようになった彼らを叶うなら助けたい。

 それが自分次第だと告げられたのだ。

 

 ニニャの心は躊躇いなく傾いた。

 仲間を救う機会が目の前にある。それをふいにしてまで姉の捜索を続けられるほどニニャの心は冷えてはいなかった。行方知れずの姉とは違い、ペテルとダインには機会がある。助けられるはずの彼らを見捨てては、姉を探す資格を失うような気がしたのだ。

 だから、ニニャはモモンの話を呑んだ。

 

 未練はある。いまだに偽名を使い男っぽい服装である理由がそれだ。

 でも、その未練は日記と共にモモンに託した。自分よりも遥かに強者である漆黒であればもしかしたら姉に辿りつけるのではと考えたのだ。

 彼らがそれを引き受けた時、ニニャもペテルとダインのために全力を尽くすと誓ったのだった。

 

 そして暫くたってからモモンとマイに真実を告げられた時、ニニャはこの時の選択が正しかったことを神に感謝した。いや、()()()()()()()()に感謝したのだ。

 

 

 

 

 

「そろそろ行かなきゃ」

 準備を終えるとニニャは家をでる。行先は先輩であるアルシェの家。そこでアルシェと合流し、一緒に研究所へ向かうのがここ最近の日課だ。

 

 アルシェの家は同じ広場に面しているので直ぐに着く。ニニャの家よりも幅があり4人家族用だという。基本構造は同じだが1階は貸し出さずそのまま物置に使っているようだ。

 勝手知ったる他人の家、家主の許可も得ているので軽くノックをして返事を待たずに入る。驚くべきことにカルネ村自治領の多くの家は鍵を掛けていない。牧歌的な農村だった頃の残滓か壁に囲まれているせいか、どうにも防犯意識が薄い。

 とはいえ、カルネ村自治領の防衛力はそこらの村より遥かに高く、また保有する戦力も侮れないのは確かだ。

 

 居間に向かうと幼い双子の妹たちが起きて間もないのか眠そうな顔を擦りながらテーブルについて朝食を待っていた。元貴族の子供だからか食事の準備を手伝うという発想はまだまだ芽生えていないようだ。なんでも手伝おうとする村長の妹さんとは大違いだが5歳も離れていては比べるのも可哀想だろう。

 もう数年経てば自主的に手伝うようになるかもしれない。

 

「おはようございます、ニニャです」

「おはよう、ちょっと待っててね」

 

 アルシェが朝食の準備をするかたわら、ニニャは居間の奥に設置された祭壇を見る。

 そこにはアインズ・ウール・ゴウンの紋章をレリーフにした壁飾りと、漆黒のモモンとマイの小さな肖像画が飾ってあった。

 初めて見たときは冒険者を崇拝の対象にしている事に驚いたものだが、秘密を知った今では疑いようもなく彼女の信仰が本物であると分かる。

 

「ニニャさんお待たせ。クーデリカ、ウレイリカ、お姉ちゃんお仕事に行ってくるからね。食べ終わったら後片付けしてネムちゃんのお手伝いに行くのよ?」

『はーい』

 

 息の合った双子の返事を後にアルシェと中継地点である漆黒の別荘へと向かう。

 玄関先に立つとノックをして待機する。流石にアルシェの家のように返事を待たずに入る訳にはいかない。

 

「おはよう。準備はできている」

 出迎えてくれたのは漆黒に仕えるメイド、シズ・デルタ。

 挨拶を交わし客間に通されると転移用のマジックアイテムが既に壁に掛けられていた。壁の向こう側には目的地の研究室が見えている。

「それでは、シズさん。行ってきます」

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

 

 ニニャとアルシェが研究室へ転移し終えると研究室側のマジックアイテムは枠だけ残し別荘との繋がりが切れる。これは一方通行という訳ではなく、警備上の理由から別荘側のマジックアイテムをシズが取り外したためだ。

 再び接続されるのは帰宅する17時。それまでは緊急事態などの例外を除き、カルネ村自治領に戻ることはできない。

 

「むむ。君たちが来たという事は、もう朝か」

 ニニャらを見てそう言葉を漏らしたのは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のデイバーノック。外見が不死者(アンデッド)のそれなので初めは恐ろしかったが、ひと月もすれば普通に言葉を交わせるようになった気心の知れた同僚だ。

「おはよう、ディバー。……また休まず研究してたんですか?」

「ニニャ、前にも言ったが――」

「アンデッドは眠らない。読んでいたのは趣味用の研究資料で仕事用ではない、ですか?」

「そ、その通り」

 デイバーノックは自分でも屁理屈であることは自覚しているのか微妙に視線を逸らす。

「まあ、いいですけど。きちんと休まないと叱られますよ」

「う、うむ」

「ニニャ、その辺で許してやれ。研究に取り掛かるぞ」

 

 横から声をかけてきたのはもう一人の同僚、カジットだ。

 目を向けるとアルシェと共に既に資料を広げている。

 

 ここはフィオーラ王国深部に位置する研究施設。

 フィオーラ王国が国家を挙げて取り組んでいるのは主に植物に関するものだが、アインズ・ウール・ゴウンにとって秘匿性の高いその他の研究もここで行われているのだ。

 そんな施設でニニャたちが取り組んでいるのは新たな魔法の開発だ。

 

 数週間前、この研究室に“黄金”と謳われたリ・エスティーゼ王国の姫、ラナー王女その人が現れ、野菜の新しい栽培方法を提示したのだ。

 それは立体農場とでも呼べるもので、従来の畑を立体的に文字通り積み重ねたものだ。理論上、当たり前ではあるが畑を2段重ねにすれば反収は単純に2倍。3段にすれば3倍だ。もちろん実際には人が動き回る空間を差し引けばこれより目減りするがそれでも収穫量は圧倒的に増える計算だ。

 

 ラナー王女と農家、闇妖精(ダークエルフ)森祭司(ドルイド)による検証で立体農場の設計は既に終わっており、また室内に組み込むための規格化も済んでいた。ラナー王女の最終的な目標は森祭司(ドルイド)に頼らない必要最小限の魔法設備で栽培が可能な室内農園の構築だ。

 それに伴いニニャたちに求められているのは植物を育てるのに適した魔法の明かりの検証と、必要ならば新たな魔法の開発だ。

 

 現在、一般的な〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉による栽培実験が行われている。野菜は枯れることなく育ち、さらには栽培期間が通常の半分以下、3割程度の期間で収穫できることも分かった。

 しかし、自然光で育てたものに比べると発育が悪いのだ。実が小さいだけならいいが、最悪の場合、実はなるが種が無かったり、株分けに耐えられなかったりするのだ。これでは畑は続かない。

 諸々細かく検証した結果、原因は“〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の魔法”ないし“光そのもの”にあることまでは突き止めたが、光の何が植物の成長を阻害しているのか、または何が足りないのかを調べる必要があった。

 

 ニニャはラナー王女が頭を下げた光景を思い出す。

 何故そこまでするのかと問えば、この立体農場の成功にリ・エスティーゼ王国民の命が懸かっているのだという。先の帝国との戦いで未曽有の戦死者を出した王国は、労働者不足から始まる収穫量の減少で食糧難に陥るという。試算によれば1年後に主要都市での暴動を皮切りに360万人が餓死するという。

 フィオーラ王国からの食料援助を受ける予定だがそれで延ばせる猶予は長くて半年。森祭司(ドルイド)を多く抱えているとはいえ個々の魔力量には限界がある。900万もの人口を養うだけの食料を生産し続けることは不可能だ。ラナー王女が最終目標を森祭司(ドルイド)に頼らないとしたのはその為だ。

 

 ニニャはその話に言い知れぬ恐怖と重圧を感じた。ついこの間まで普通の冒険者だったのだ。それが自分たちの働きに多くの人の命がかかっていると暗に言われたのだから当然だろう。

 

「――ニニャ。……ニニャ? 聞いているか?」

「あ、すみません。考え事をしてて」

「しっかり頼むぞニニャ。もし新たな魔法を作る必要がでた場合、君の生れながらの異能(タレント)は必要不可欠だ」

「はい……」

 

 ニニャを襲う重圧のひとつ。それは自らの役割だ。彼女の持つ生れながらの異能(タレント)“魔法適性”は魔法の習熟が早まるもの。新しい魔法が必要となった時、誰よりも早く習熟できる可能性があるのだ。

 だが、習得する魔法がどの様な物になるかはまだ分からない。もし立体農場の稼働に必要な魔法が魔法適性を以ってしても習得に5年や10年かかるとしたら……。

 

 ニニャは胃がキリキリと痛むのを感じる。

 しかしここで逃げ出す訳にはいかない。

 

「昨日の続きからだ。全員〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が植物に悪い影響を与えている可能性は低い、という認識で良いな?」

「それは間違いなかろう。植物に直接影響を与える森祭司(ドルイド)魔法とは違い〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉は純粋な魔法の光だ。術式を紐解いても怪しい部分は見当たらない」

「そうね。自然光との違いは熱の有無だけど、それも関係が無いことは実証済み」

「となると残るは……、光の強弱か……色?」

 

 ニニャの言葉にデイバーノックが同意する。

「〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉を基準に弱い光は試したが、より強い光はまだ試していないな。それに色……、色か。試すにしてもどう試す?」

「〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉に色の付いたガラス瓶を被せてみては?」

「ああ、それなら瓶を取り寄せれば直ぐ試せるな」

 

「光の色で植物の発育に差が生まれるだろうか」

 カジットは色に関してやや懐疑的な様子だ。

「それを調べるんですよ。今の栽培方法なら早くて2週間で結果がでます。やるべきです」

「ふむ。では色の候補は? 瓶を取り寄せるにせよ候補を絞らないと大変だぞ」

「自然光で生まれる虹を参考に、象徴的な6色で試すのは如何ですか? 赤、橙、黄、緑、青、紫の6色」

「なるほど……、それは好い案だな。自然光由来の候補であれば試す価値はありそうだ」

 

「ついでに、()()()()()()()()()()()()()()?」

『え?』

 アルシェの発言に皆耳を疑う。

 

「な、なによその目は! ほら、アウラ様が森精霊(ドライアード)を仲間にしたって言ってたでしょ? 彼女たちにどの色が好きか聞くの」

『なるほど!』

 アルシェの言葉に皆合点がいく。確かに森精霊(ドライアード)であれば本体である樹木の気持ちを代弁してくれるかもしれない。

 

「じゃあ、わたしは瓶の手配を」

「私は森精霊(ドライアード)たちに協力を仰いでくるわ」

 ニニャとアルシェが早速準備に取り掛かる。

 

「では我々は並行して別の実験を、――〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉より強い光を模索してみるか」

「うむ。魔法だと〈閃光(フラッシュ)〉が候補にあがるが……、永続化がな……」

 デイバーノックとカジットも別の実験へと取り掛かる。

 

 それぞれが手分けして実験が進められる。

 時間は限られているのだ。

 思いつく限り試さねばきっと後悔するだろう。

 

 

* * *

 

 

「見えてきたぞ」

「へぇ、結構立派ね」

 ヘッケランの声に顔を上げたイミーナが率直な感想を述べる。緩やかな上り坂を登り切った時、眼下に目的地である蜥蜴人(リザードマン)の集落が見えたのだ。

 彼女が立派と称したのは勿論その外見だ。湿地帯の上に高床式住居で構成された集落が巨大な円を描くように建ち並んでいた。その七割ほどが“ひょうたん湖”の上に位置するので見る角度によっては水上集落とも呼べそうだ。

 さらに壮観なのは集落に隣り合う陸地に、カルネ村自治領の三倍程の敷地に大量の倉庫が整然と並んでいるところだ。遠目に見ても多くの者が動き回り活気づいているのが分かる。そこがまさにこの大森林の要であった。

 

「このまま物流拠点に向かう。荷下ろしと積み込みは向こうの人員がやってくれるから買い付けに関しては俺とラッチモンさんだけで大丈夫だ。他の皆は一足先に集落で休んでてくれ。キュウメイ、向こうに着いたら皆の案内を頼む」

「おう、任せとけ」

 今回のメンバーでこの物流拠点に来たことがあるのはヘッケランとラッチモンとキュウメイの3人。残りの3人は初体験だ。

 

 荷馬車が拠点の入口に着くと闇妖精(ダークエルフ)の係員が木札を御者台のヘッケランに渡す。木札には大きく“1番2号”と書かれている。

「なにそれ」

「荷を下ろす倉庫の位置だ。ほれ」

 ヘッケランが指さす場所に標識があり、似たような書式の数字がずっと先まで続いている。

 

「この季節は空いてていいな」

 この拠点が稼働してまだ半年も経っていないが、秋頃に一度訪れているヘッケラン曰く「相当数の亜人たちで溢れかえっていた」のだが冬は比較的静かなようだ。倉庫から倉庫へと小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)たちが物資を運搬しているが、買い付けや搬入といった荷馬車の姿は少なくヘッケランたちの荷馬車も難なく通りを進む。

 

 しばらくすると目的地の倉庫に辿りつく。

 荷馬車を倉庫に寄せると厚着をした人食い大鬼(オーガ)数匹が闇妖精(ダークエルフ)の指示を受けながら積み荷を降ろしていく。その動きに迷いはなくなかなかに訓練されているようだ。

 

「よ~し、ここで一度解散だ。直ぐに合流するから先に部屋へ行っててくれ。それと集落の入口にある一番大きな建物が食堂を兼ねているから、今夜は皆で飲もうぜ」

 ヘッケランの解散の合図にラッチモンを除くメンバーは一路集落へ向けて歩き出す。

 

 

 

 

 

 集落に着いた一行はキュウメイを除き全員が感嘆の声を漏らす。

「間近で見ると凄いわね……」

 聞くところによると4ヶ月程前までは何もなかった場所らしい。というのも食糧難によって部族間闘争が起こり、互いに争っていたところへ現れた破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が全てを薙ぎ倒したのだ。そして2ヵ月前、復興に励む各部族の前にフィオーラ王国が現れて瞬く間に各部族をまとめ上げ、2000人弱を収容する蜥蜴人(リザードマン)の一大集落を作り上げるに至る。

 

 イミーナはぐるりと集落を見渡す。

 遠くから見た通り、同心円状に広がる高床式の集落だ。各家が桟橋で繋がっており移動に船を使う必要はないようだ。

 そして集落の中心部には巨大な施設が水蒸気をモクモクと上げていた。警備状況から蜥蜴人(リザードマン)にとって重要な施設であることが推測できる。詳しく観察すると、その施設から湯気をまとったパイプが各家庭に延びている。状況から察するとお湯を配っているようだがお湯を作るだけにしては建物が大きい。他にも何か用途があるに違いない。

 

「見ない顔だな。カルネ村の者か?」

 イミーナがパイプの先を目で追っていると声をかけられる。

 振り返るとモコモコに着込んだ蜥蜴人(リザードマン)がこちらを窺っていた。そして同時に自分以外の者が居ない事にも気付く。どうやら景観を楽しんでいる間に置いて行かれたらしい。

 

「ええ、そうよ。えーっと……」

「先に名乗るべきだったな。俺はザリュースだ」

「私はイミーナ。どうやら置いて行かれたみたいなんだけど、案内頼めるかしら」

「いいだろう。こっちだ」

 

 道すがらザリュースが話しかける。

「初めて来る奴は大体迷う。似たような建物ばかりだからな」

「確かに。でも異国情緒があって私は好きよ。そういえば中心の建物は何なの?」

「ああ、あれの大部分は生け簀だ」

 聞けば食糧難で争った過去から部族総出で養殖を始めたとのことだった。水温調整用のお湯を沸かし、その副産物として各家庭に暖房用のお湯を配っているらしい。

 

「因みに俺はそこの所長だ」

「え、そうなの!? なんか悪いわね、偉い人に道案内させちゃって」

「気にするな、どうせ殆どの者は冬の間は引き籠って出てこないからな。俺が通りかかっただけ運がいい」

「お湯を配ってても?」

「まあ、本能だからな。部屋を暖めても駄目な奴はだめだ」

 お湯を配る試みには感心するがどうやら本能に抗える個体は少ないようだ。

 

「そうだ、宿泊施設にもお湯を送っているから風呂で温まるといい。カルネ村には無いんだろ?」

「お風呂なんて貴族か娼婦しか入らないわよ。でも、蒸し風呂くらいは欲しいわよね……」

「ははは、村長に頼んでみるんだな。……さあ、着いたぞ」

 

「イミーナ! 心配したぜ」

 キュウメイが走り寄ってくる。

「ごめんごめん。そこが泊まるところ?」

「ああ、俺たちはそこのロッジだ。そうだ、鍵を渡しておかなきゃな」

 キュウメイから鍵を受け取る。

 どうやら各利用者ごとにロッジを丸々貸し出す仕組みで、今回カルネ村自治領が借りているのは小さめのロッジのようだ。少人数とはいえ6人では少々手狭な印象を受けるが贅沢は言えない。

 

 イミーナがロッジに入ろうとするとザリュースに肩を掴まれる。

「待て」

「え、なに?」

「お前はこっちだ」

「ど、どういうこと? え!? ちょ、ちょちょ!?」

 状況を飲み込めないイミーナをザリュースがずるずると引きずっていく。

 そんなイミーナにキュウメイの声が届く。

「悪いなイミーナ。ここは4人用なんだ」

 

 混乱するイミーナにザリュースが説明する。

「お前はヘッケランの(つが)いだろ? (つが)いには(つが)い用の部屋がある」

(つが)(つが)いって連呼するなあ! というか、何で知ってるのよ!」

「そりゃヘッケランに散々聞かされたからな」

「はあ!? あ、あんの野郎……。へ、変なこと言ってなかったでしょうね……」

「何を怒っている。妻自慢は悪いことではなかろう?」

「つ!? ま、まぁ……、ね?」

「うむ。――さぁ、ここだ」

 

 新たに案内されたロッジは先ほどのものよりさらに小ぶりな造りだった。

 しかし、(つが)い、いや、夫婦で利用することを考えれば十分な大きさともいえる。

「じゃあな、俺は行くぞ」

「え、もう行っちゃうの?」

「言っただろ。ここは(つが)い用だと。見知らぬ雌と一緒に居る所を妻に見られたら大変だ」

「ああ左様ですか。ま、案内には感謝するわ」

 

 ザリュースと別れてロッジに入る。

 入ってすぐの場所は居間だろうか。狭すぎず広すぎず落ち着きのある部屋だ。暖炉には火がついていないが、例のお湯のせいか部屋全体が温かい。気持ち湿度が高い気もするが不快という訳でもない。乾燥している今の季節だと心地よいくらいだ。

 ざっと見渡すと宿泊するのに最低限の設備は整っているようだった。暖炉の側に簡易的な水場もあるので簡単な調理ならできるだろう。

 続いて扉を開けて奥の部屋を覗く。

 

「うわぁ……」

 部屋を見た第一印象は“うわぁ……”である。ひとことで言えば寝室だ。これが蜥蜴人(リザードマン)風の寝室なのかは分からないがなんとも個性的であった。

 まず、4メートル四方の部屋には香が焚かれており濃厚な甘い香りが部屋に充満していた。そしてベッドが無い代わりに部屋の七割ほどの面積が20センチほどせり上がっており何枚もの絨毯、布団、毛布が敷き詰められていた。つまり部屋全体がベッドだと言っても過言ではない。

 

「干し草とかじゃなくてよかったわ」

 イミーナはベッドに手を乗せてみる。

 ()()()()()()()()()()()()なほどに敷き詰められている。

「こ、これは、色々駄目になりそ……」

 

 気を取り直すと寝室に隣接するもう一部屋を覗いてみる。

 ザリュースの話によれば風呂が有るはずだ。

 

「へぇ……」

 風呂を覗いたイミーナは感嘆する。

 浴槽は蜥蜴人(リザードマン)2人が余裕で入れるだけの広さがある。尻尾を持つ彼らが使うことを想定しているだけあって浴室も広々としていた。鱗用の巨大なブラシは遠慮したいが石鹸は問題なさそうだ。石鹸からは人間が好むような強い香りがしないことから森に住む亜人種が作ったものであると分かる。

 総じて風呂としては申し分なくイミーナの評価は高い。

「羨ましい限りだわ」

 

 これはいよいよエンリに共同浴場の設置を打診しなくてはならない。元々貧しい村なだけに住民も風呂に対する欲求が少ないように見える。なんとか意識改革をしなければならないだろう。

 お湯を張った風呂が無理でもせめて蒸し風呂くらいはカルネ村にも欲しい。

 

 ひとしきり風呂に思いを馳せるとイミーナは溜息をつく。

「はぁ……、何考えてるんだろ私……」

 

 踵を返すと装備を脱ぎ捨て軽装になる。

 そのままベッドに飛び込んで身体を沈めるとついつい口元が弛む。

 この甘ったるい部屋の中で期待するなという方が無理な話だ。

「くふふ、早くかえってこーい」

 

 

 

 

 

「へっぷしっ!」

「風邪か? ヘッケラン」

 くしゃみをするヘッケランをラッチモンが気遣う。

「いや、体調は問題ない」

「そうか。まあ、今夜は温かくして寝るんだな」

「ああ、今日はもうクタクタだ」

 

 何とも無しに応えるヘッケラン。

 しかし、彼が()()()()()()終えて休めるのはずっとずっと後の事だった。

 

 




???「うちの嫁さんは色白でスラっとしててなぁ」
???「凹凸が無いって意味ならうちの嫁も同じだぜ!」
???「わはは、お互いいい嫁に恵まれたな!!」

ルクルット「俺の出番は?」

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