骨舞う旅路   作:ウキヨライフ

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第34話:戦後

 “死の螺旋”が止み、悪夢のような一夜を乗り越えたエ・ランテル。

 しかし、武装した者たちがいまだに慌ただしく走り回っていた。日が昇り、霧は晴れているが、「どこそこで不死者(アンデッド)を見た」と目撃情報が後を絶たないのだ。その大半は負傷した兵士を不死者(アンデッド)と誤認したものだったりするのだが、中には本当に地下室や路地裏に逃れた不死者(アンデッド)が居たりと予断を許さない。

 

 そんな状況のなかでも、漆黒の活躍を目の当たりにした人々は惜しみない称賛をモモンガたちへ送った。エ・ランテルに住む者のみならず、戦で負傷し未だに火傷が癒えぬ国王からも感謝の言葉を賜ったのだ。当初の目論見以上の収穫といえる。

 

 ただ、己の能力を全て発揮すれば、“より多くの人々を救う事が出来た”と自覚するモモンガとやまいこは、その過剰にもてはやされる扱いを素直に受け入れることができなかった。

 カジットが引き起こした“死の螺旋”はモモンガたちとは無関係だ。

 しかし、それを利用し、能力を抑え、活躍を演出した手前、どうしてもわだかまりが拭えない。純粋な善意ではなく、完全に利己的な理由で助力したに過ぎなかったからだ。

 

 

 

 

 

 時刻は昼。

 モモンガは取巻く人々から逃れたい一心で、冒険者組合を出て西地区に足を運ぶ。望んだ事とはいえ英雄扱いする周囲との温度差に疲れ、気分転換をしたかったのだ。

 道すがら周囲を観察すると所々焼け落ちた建物がある。西地区は墓地と隣接していたことが災いし一番被害が大きかった地域だ。大通りの両端には埋め尽くすほどの亡骸が横たえられている。その多くは不死者(アンデッド)化した元兵士、つまりは農民だ。詳しくは分からないが、聞くところによると再び不死者(アンデッド)化しないよう司祭が適切な儀式で浄化し弔わねばならないらしい。

 

 ここでも道行く人々はモモンガに気づくと感謝の言葉を贈り、モモンガはそれに軽く手を上げて応える。足を止めるとたちまち囲まれてしまうので歩き続けるしかない。

 多少煩わしくも思うが、時間と共に冷めるまでの辛抱。

 ここに至るまでなんども繰り返された光景だ。

 

 しかし、その歩みが突然止まる。

 とある建物の敷地内。見知った冒険者が崩れた壁に寄りかかっていた。

 ニニャとルクルットだ。

 

 モモンガはその光景に立ち尽くす。

 彼らの足元には亡骸がふたつ。ペテルとダインと思われる。

 

 モモンガも空気が読めぬ男ではない。

 今まで起こった事と彼らの置かれた状況を見れば察しはつく。

 この地域は居住区内でも最も不死者(アンデッド)が溢れた場所だ。戦士長のように宝具で身を固めていなければ戦い続けるのは困難。敷地内に横たわっていることから立て籠ろうとしたのだろう。しかし突破されたのか、結果的にその命を散らしたようだ。

 

 (シルバー)級冒険者チーム“漆黒の剣”。

 彼らとは特別親しい訳では無い。初めての依頼で行動を共にしたきりで、その後は組合で見かければ軽く挨拶を交わし情報交換をする程度の仲だ。疎遠ではないが親密でもない。そんな関係だ。

 

 ただ、初めての冒険、共に過ごした僅かな時間の出来事は良く覚えている。

 そのチームワークに感嘆し、前向きな姿勢には好感を持ったものだ。特にこの世界に転移したての頃だったこともあり、クレマンティーヌのような強者とは別の、まったく違う視点での物事、この世界の常識を享受できたことは感謝しかない。

 スレイン法国で王国の闇を聞かされていたにも関わらず、王国民にそれほど悪感情が芽生えなかったのは少なからず彼らの影響があったはずだ。

 

 モモンガの心がざわつく。

 このざわつきに似た感覚は何度か味わっている。一回目は二ヵ月ほど前だったろうか、王都で瀕死の娼婦を見たときだ。二回目は数時間前、カジットの願いを聞いたとき。

 そして三回目。仲間を失い、目を赤く腫らしたニニャを見た今。

 

 瀕死の娼婦を見たとき、モモンガは過労死した己の母親を重ねてしまった。

 その時に感じた苛立ちは、無知だった当時の自分、無茶をし続けた母親、腐りきった社会など、漠然とした何かが原因だったと思う。

 ただ、それらは全て過去の事。この転移した世界とは何の関係も無いと割り切った。

 

 そして娼婦の回復を申し出たソリュシャンの提案を却下した。

 瀕死の娼婦の苦痛を和らげるより、囲っている巫女たちの経験値にしようと考えたのだ。それはただの実験に過ぎない。しかし、経験値の獲得が可能と分かればアインズ・ウール・ゴウンの利益になる。必要な実験だ。

 この時の判断は間違ってはいないと思っていた。

 

 しかし、カジットの願いを聞いたとき、モモンガは大きな衝撃を受けた。

 

 カジットと出会ったとき、人間が不死者(アンデッド)に転生するとの情報に好奇心が刺激され、モモンガは舞い上がっていた。ユグドラシルの法則が通用するこの世界で、ユグドラシルとは違う転生方法を目撃できるかもしれなかったからだ。

 最終的に“死の宝珠”にはそのような転生能力が無いことが分かったが、初めて見る知性あるアイテム(インテリジェンス・アイテム)に気分を良くしたモモンガはカジットに取引を持ちかけた。

 

 忠誠を誓えば願いを叶えると告げたのだ。

 

 ユグドラシルでは引率してくれる仲間さえいれば、中間種族であればそれこそものの数時間で転生ができる。カジットはそれに五年もの歳月をかけたのだ。

 ユグドラシル最後の五年間を振り返れば、カジットの執念が半端なものではないと理解できた。騙されていたとはいえ、“死の螺旋”などという大それた事をやってのける行動力が気に入ったのだ。

 

 カジットの渇望、モモンガにはその願いを叶える力がある。

 貯めにため込んだ転生アイテムが宝物庫に溢れている。そのひとつを与えるだけでいい。

 願いを問えば迷わず不死を願うと思っていた。

 しかし、返ってきた答え、カジットの願いは“母の復活”であった。

 

 モモンガは大きな衝撃を受けた。

 予想が外れたからではない。そもそもカジットの生い立ちなど知らないのだ。何のために不死者(アンデッド)化しようとしていたのかなど知る由もない。

 

 モモンガが衝撃を受けたのは己自身。

 あの瀕死の娼婦に亡き母親を重ねたとき、何故その復活を願わなかったのだろうか。

 現実(リアル)の出来事を“過去の事”とモモンガは割り切った。アインズ・ウール・ゴウンのギルド長として、経験値に関する考察の実証を優先した。ギルドの損得から娼婦の回復より実験を選んだ。

 その判断自体はモモンガとして正しい選択だと思う。

 

 では、その後はどうだろうか。

 娼婦を利用した実験と、母の復活は別問題。あの場での復活は状況的に不適切だが、落ち着いてからいくらでも試せたはずだ。

 

 いや、違う。

 モモンガには既にざわつきの原因が分かっている。

 そもそも、復活を試す試さないの話ではない。

 モモンガはあの時、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 瀕死の娼婦を前にして“鈴木悟”が一瞬浮上したが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 カジットの願いを聞いたとき、その事に気付いてしまった。

 娼婦を前にしたとき、そしてカジットの願いをゲーム感覚で夢想していたとき、()()()()()()()()()()()()

 

 そして今、ニニャたちを前にまたしても損得で考えていた。

 ニニャの生れながらの異能(タレント)、魔法適性。それをペテルとダインの命をダシに得ようと考えたのだ。カジットの件から大して時間が経っていないにもかかわらず、またしても損得で考え、あまつさえ人命を餌に何かを得ようとしている。

 そんな自分自身にモモンガはゾッとする。

 

 

 

 

 

 モモンガは人知れず崩れ落ち膝をつく。

 どうして損得抜きで二人の若者を蘇生することができないのだろう。

 

 なぜならば、PKギルドとして名を馳せたアインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして、転移したての新参者として、他のプレイヤーの目を引く派手な行動はリスクがあるからだ。

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の討伐ですら、ミスリル級で対処可能だと聞いていたから実行したのだ。ミスリル級の漆黒が倒しても不自然ではない。順序だてた活躍が必要なのだ。

 それに比べると蘇生はリスクが高い。最低位の復活魔法でさえ英雄クラス、アダマンタイト級冒険者のラキュースほどの実力を要する。2ランク下の漆黒が気軽に提案、または実行していいものではない。それこそ、ニニャの生れながらの異能(タレント)と引き換えにしなければアインズ・ウール・ゴウンを動かすことも憚られる。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 では、鈴木悟としてはどうだろうか。

 

(分からない)

 

 鈴木悟は、どこに行ってしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

「――モモン? ……大丈夫?」

 やまいこの声に振り返る。

「……()()()()さん」

 

 ロールそっちのけのその言葉に“何かがあった”と察したやまいこは、先ほどまでモモンガが何を見ていたのかに気づき、納得したようにヤレヤレと腕を腰に困った表情でモモンガを見る。

「まったく……、酷い顔」

 言われて初めて民家の窓に映る自分の顔を見る。

 確かに酷い顔だ。とても街を救った立役者の顔には見えない。

「すみませ―― うわっぷ!?」

 

 モモンガの前に回り込んだやまいこが、モモンガの頭を抱き寄せる。

 突然豊満な胸に顔を埋めることになったモモンガは動転する。一晩中戦闘をした後だ、香水はとっくに薄れ、汗の混じった甘酸っぱい香りに包まれる。

「や、やまいこさん!?」

「しー。静かに。……茶釜さんほど包容力は無いけどね。今は静かにしなさい」

 そう諭されては大人しく身を任せるしかない。

 

「それで、どうしたの?」

「……転移したての頃、アインズ・ウール・ゴウンを枷にしたいって言ってましたよね。……今、自分自身がなんなのか、分からなくて」

 モモンガは胸の内をやまいこに告白する。

 カジットとの間に何があったのか。そこから遡り、娼婦に何を感じ、何に気づかなかったのか。自分自身に自信を持てなくなったことを語った。

 

「そう、お母さんをね……」

 やまいこに吐露したことで幾分か気が楽になったモモンガは、徐々に冷静になるにつれて今度は妙な気恥ずかしさに襲われる。

 カジットとは異なり、モモンガは魔法の無い世界に生まれた。元の世界の科学力を以てしても、数十年前に死んだ人間の復活なぞ不可能、それが普通の世界。モモンガは当の昔に母の死を受け入れていたのだ。

 それがこの転移世界に飛ばされ、なまじ魔法の力なんぞを手に入れてしまったがために揺らいでしまったのだ。お母さんに会えるかも、と。

 そんな自分を、やまいこに知られてしまった。

 

「我思う、故に我在り」

「え、なんです?」

 小難しい文言にモモンガは戸惑う。

 

「ひとつハッキリさせよう。……そうやって思い悩んでいる存在は紛れも無く“今の貴方自身”。それをどう捉えるかはモモンガさん次第だけど、少なくともボクから観測するモモンガさんは良くも悪くもいつものモモンガさん。気負い過ぎているくせに身内にめっぽう甘いモモンガさんだよ」

「……それ、褒めてはないですよね?」

 モモンガは小さく抗議する。

 

「まあまあ、こうして思い悩んでいるのがその証拠。……彼ら(漆黒の剣)のこと、気に入っていたんでしょ? でも身内じゃないから、助ける理由を探してしまう」

「……はい。どうしても利己的に考えちゃうんです」

 やまいこは小さく溜息をつく。

 

「モモンガさんは自分のことを利己的だと卑下するけど、モモンガさんは取り引きには必ず対価を払ってきたじゃない」

 やまいこは、カルネ村の復興、バレアレ家の誘致、竜王国の防衛、封印の魔樹(ザイトルクワエ)の討伐等々、多くの活動において相互に利益を得ていると説く。さらには王都の娼婦、蒼の薔薇、そしてここエ・ランテルでの活動も同じだという。

 

「命をチラつかせて対価を要求することに嫌悪感を持つこと自体は悪いことではない。それはモモンガさんが優しい証拠だからね。でも、ボクたちと彼らとでは立場が違う。彼らが自らでは叶えられない誰かの復活を望むなら、それに見合った対価を求めるのは当然の権利でしょ?」

 対価を求めることは悪い事ではないとやまいこは言う。ギルド長であるモモンガであればなおさらだと。

 

 やまいこは一際強くモモンガの頭を抱きしめると小さく囁く。

「この問題は異形種として転移したボクたちには遅かれ早かれ訪れる問題。モモンガと鈴木悟と死の支配者(オーバーロード)、やまいこと山瀬舞子と半魔巨人(ネフィリム)。この先、これらの境界がもっともっと曖昧になる日が必ず来る。それは避けられない。でも、モモンガさんにはボクが。ボクにはモモンガさんがいる。きっと大丈夫」

 

 モモンガはその言葉に少し肩が軽くなる。

「ま、根拠はないけどね」

「ちょ!? そこは大丈夫だって言いきってくださいよ」

 

 やまいこは胸に抱いていたモモンガを解放すると、首に回した手はそのままに視線をモモンガに合せる。

「……ボクは変質することを恐れて枷を望んだけど、転移した時点でボクたちの変質は逃れようのない運命だと思う。ボクたちは変わったしこれからも変わる。だから、せめてどう変わるかを自分で選ばなきゃ」

「……」

 

 やまいこは続ける。

「共存共栄を掲げたとき、綺麗ごとだけじゃやっていけないよって言ったよね? ボクたちは既に“牧場”という闇を抱えている。だからという訳じゃないけど、もっと肩の力を抜かなきゃ。ギルド至上主義を止めろとは言わない。だけど、モモンガさんはもっと自由に振る舞っていいと思う。理由を探して彼ら(漆黒の剣)を助けるんじゃなくて、助けた後で理由を作ったっていいんじゃないかな。何か間違えたり、やり過ぎだと感じたらボクが殴ってでも止めてあげるから」

「一応聞きますけど……、それ、フォローですよね?」

 

「もちろん。クレマンティーヌもそう思うでしょ?」

 その呼びかけに初めてクレマンティーヌが側にいたことに気づく。

 と同時に後頭部にドスッと衝撃を受ける。

「痛てて……、って何だ?」

 

 首を回して確認したいが、やまいこに続きクレマンティーヌにも後ろから頭を抱えられる。ガツガツと胸元を押し付けてくるが、彼女が着ているのは帯状鎧(バンデッドアーマー)。鎧の留め金やベルトに髪が絡まって凄く痛い。

「いや~、雰囲気的にこうした方がいいかな~って」

「痛いから離れろ。というか、お前にまで気を使われるとはな……」

 

 頭上からクレマンティーヌの声が響く。

「事情はよくわからないけどさぁ~。悩んでいる二人は人間臭くて私は好きだよ? 全知全能なんて人生退屈なだけじゃん。ろくなもんじゃないって!」

 

 どこか的外れな言葉だが、鈴木悟を見失っていたモモンガにとって“人間臭い”との評価は素直に嬉しい。少なくとも彼女にはそう見えるのだ。

 今はそれだけで十分だとモモンガは思う。

 

「……もう大丈夫です」

 モモンガは立ち上がる。

 色々と吹っ切れたが弱味を握られたようでこそばゆい。

 はにかむモモンガにやまいこが問いかける。

「では、我らがモモンガ様はこの後どうするのかな?」

「ニニャを手に入れます。もちろん、正当な対価を提示してね」

 

 そう宣言するとモモンガはニニャたちのもとへ向かう。

 これから行われる交渉は一方的なものだ。

 それでもお互いにとって良い取り引きになるとモモンガは確信する。

 

 かくして、ひとつの(シルバー)級冒険者チームが解散しエ・ランテルから姿を消すのだった。

 

 

* * *

 

 

 日が大きく傾きあたりが薄暗くなる頃、城塞都市エ・ランテルの全区画に安全宣言が成される。

 不死者(アンデッド)騒動で慌ただしかったエ・ランテルに、昼頃になって援軍が現れたのだ。その援軍とはザナック第二王子率いる3万の兵と補給物資。

 彼らが墓地の再調査と都市の防衛を担ったのだ。

 

 しかし、その安全宣言の裏では血の粛清が行われていた。

 

 ラナーとザナックは、敵対貴族が戦争に赴いている間に指輪同盟から預かった私兵と八本指を使って貴族派の領地を接収し、それと並行して兵をエ・ペスペルに集めていたのだ。

 兵を集めていた理由はひとつ。カッツェ平野での勝敗に関わらず、生き残った六大貴族を捕らえて処分するためだ。王都は新体制が整いつつあり、既に貴族派の帰る場所は無い。

 

 しかし、開戦まもなくエ・ランテル包囲の知らせが届き、ザナック率いる3万の軍は即座にエ・ランテルへと兵を進めることになる。貴族派狩りも重要だが、それ以上にエ・ランテルは王国の生命線。失うわけにはいかなかったからだ。

 ザナックが軍を進め、エ・ランテルに駐留する軍と挟撃すれば帝国の一翼くらいは散らせると考えたのだ。

 だが、エ・ランテルに辿りついてみると包囲しているはずの帝国軍はおらず、エ・ランテルは不死者(アンデッド)の襲撃で疲弊していた。

 

 ザナックはこの状況を好機とみて行動を起こす。

 つまり、生き残った貴族派をエ・ランテル内で粛清したのだ。

 

 現地にいたレエブン侯、ペスペア侯、ウロヴァーナ辺境伯の協力を得て、行政区で数人の近衛のみを従えていたブルムラシュー侯爵とリットン伯爵を襲撃し、駐屯区に控えていた彼らの私兵を葬り去った。 

 全ては住民の目の届かないところ、行政区と駐屯区で行われ、それらは不死者(アンデッド)の襲撃で壊滅したことにされたのだ。

 

 これらが全て秘密裏に、そして滞りなく完遂された夕刻。

 リ・エスティーゼ王国は国民のあずかり知らぬ間に新たな時代を迎える事になる。

 

 カッツェ平野戦死者約41000人、死の螺旋被害者約54000人、粛清による死者約6000人。僅か二日の間に歴史的に見ても膨大な数の犠牲者がでた。それゆえに王国にとってこれから迎える数年は厳しいものになるだろう。

 失われた兵士の多くは徴兵された農民だ。つまりは貴族の私兵を除き、王国はこれだけの数の働き手を失ったことになるのだ。それはそのまま穀物の生産量に影響を及ぼすだろう。

 

 これは生まれ変わった王国が今までの重い税を廃止し、蔑ろにしていた民に目を向けなければ国が崩壊するほどに深刻なものだ。腐敗していた王国と、帝国の策略で蝕まれてきた国力は数十年かけなければ回復は難しい。指輪同盟にとって頭の痛い問題だが、しかし、これからは国政において足を引っ張る貴族共は居ない。

 決して楽な道のりではないだろうが、それでも幾らか明るくなった未来に彼らは安堵するのだった。

 

 

* * *

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール中央に位置する皇城。

 その最奥の会議室ではカッツェ平野で行われた戦い、及び城塞都市エ・ランテルで起こった出来事の分析が行われていた。

「つまり、王国は生まれ変わったのだな?」

「はい。いまだランポッサ三世が在位していますが、ザナック王子に王位が継承されるのも時間の問題でしょう」

「ふん、ラナーは相変わらず表には出てこんか……」

 懸念事項がひとつ現実となりジルクニフは小さく唸る。

 

「それで……、数字だけで見れば今回の戦いで一軍を丸々失ったわけだな?」

「はい。死の騎士(デス・ナイト)に対しカーベイン将軍が適切に距離を取ったことで被害を抑えられたと分析しております。カッツェ平野での死者を上回っていますが将軍の判断が遅れていたら被害はこの比ではなかったことでしょう」

「なるほど。将軍を労わねばならないな」

 

 ジルクニフは報告書を片手に肩を落とす。

 幸いにも死の騎士(デス・ナイト)と遭遇した第二軍を率いていたカーベイン将軍と、その死の騎士(デス・ナイト)をエ・ランテル内に誘導した第三軍のベリベラッド将軍は共に生還した。

 しかしその過程で多くの兵士を犠牲にしてしまった。特に四騎士の一人、“不動”ことナザミ・エネックを失ったのは痛い。帝国は王国とは異なり兵士を育成している。ありていに言えば職業軍人というやつだ。兵士一人一人にかけている費用が王国とは桁違いなのだ。

 にもかかわらず今回の戦争で得たものが余りにも少ない。いや、正直なところ失うばかりで得たものなどひとつもない。さらにフィオーラ王国の今後の動きによっては二度と王国からこの損失を取り戻せなくなる可能性すらあるのだ。

 

 そして気になる報告もある。

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が持ち帰った情報によると、エ・ランテルに現れた死の騎士(デス・ナイト)は2体とも討伐されたとのことだった。人類としてはめでたい。しかし敵国としては素直に喜べない。

 上空からの観測のため戦闘行為が事細かく目撃された訳では無いが、1体目はガゼフが戦っているところに現れた冒険者チーム“漆黒”の一人によって、2体目はガゼフとやはり漆黒が使役している魔獣との共闘によって倒されたらしい。帝国軍が7000近い被害を出した死の騎士(デス・ナイト)をガゼフは助力があったにせよ倒すことができたのだ。それが宝具の力なのか、または漆黒の力なのかは精査が必要だが、どちらにせよ対王国戦略を見直さねばならないだろう。

 

 そしてこの漆黒が問題だ。

 報告によれば彼らはエ・ランテルの居住区に現れた複数の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を討伐している他、集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)なども撃破している。死の騎士(デス・ナイト)に続きこれらの活躍が認められ、彼らは近々アダマンタイト級冒険者に昇格するらしい。

 ジルクニフは訝しがる。

 

(出来過ぎている。まるで彼らが活躍する為にエ・ランテルが襲われたようではないか)

 

 さらに注視すべきは、そんな彼らがあのカルネ村自治領の関係者であることだ。

「お前たち、エ・ランテルを襲ったのはズーラーノーンで間違いないな?」

「はい。王国軍が墓地を調査したところ秘密の神殿が発見され、中から複数の魔法詠唱者(マジックキャスター)の死体と、秘密結社ズーラーノーンに関係する多数の遺留品が見つかっております。これに関しては密偵が裏を取っております」

 

(使徒がズーラーノーンの蛮行を看過できずに介入した可能性もあるか)

 

 ジルクニフは秘書官たちに問う。

「この漆黒なる冒険者チームがスレイン法国に現れた神と関係があると思うか?」

 問われた秘書官たちは一様に頷く。

 カッツェ平野の戦いに向けた会議では取り上げられることのなかったこの冒険者チーム“漆黒”に関して、彼ら秘書官たちは全力で資料を取り寄せた。そして蓋を開けてみればその活動は目覚ましく、一介の冒険者では到底及ばないほどの異彩を放っていたのだ。さらに漆黒の登場時期やその動きを精査すると使徒との関りが透けて見えてくるのだ。

 

「カルネ村での動向から関係者と思われます。しかしどのような立場かは不明です」

「使徒と目されるフィオーラなる闇妖精(ダークエルフ)や、竜王国で目撃されたという紅の戦乙女は強大な力を持っていると伝えられていますが、この漆黒は活躍こそしておりますが使徒と比べるとかなり大人しい。神代の存在かと問われると疑わしく思います」

「漆黒のうち二人は南方出身とのこと。可能性として神が南方で得た人間の協力者、または信徒という線もあります」

 

 ジルクニフは秘書官たちの言葉に小さく頷く。

「冒険者として接触できるだけでだいぶ気が楽になるな。……よし、漆黒に関してはそのまま情報収集に努めろ。監視する必要は無いが、少なくともこの帝国に現れたら直ぐに分かるよう国境の兵には通達しておけ」

「は! 畏まりました」

「王国に関してはひとまずここまでにしておこう。――続いて、ロウネ!」

 ジルクニフは己が最も信頼を寄せる優秀な秘書官を呼ぶ。

 

「ロウネ、まずはよくやったと褒めておこう」

「はい。ありがとうございます陛下」

「報告書は読んだがフィオーラ王国を見てきたお前の口から直接感想を聞きたい」

「畏まりました」

 

 ロウネは一礼すると、このたび赴いたフィオーラ王国で見聞きしてきた事を報告する。

 彼はカッツェ平野での戦争に先立ち、布告文を寄こしたフィオーラ王国と接触するために供回りを連れてカルネ村自治領へと足を運んだのだった。

 皇帝からの指示はフィオーラ王国との足掛かりを作ること。その為にひとつ条約を結ぶ使命を負ったのだ。もしそれが叶わぬときは、代わりにその同盟相手であるカルネ村自治領と条約を結ぶ手はずだったのだ。

 しかし、いざカルネ村自治領へ到着すると何の滞りもなく滞在していたフィオーラ王国の外交官と接触でき、さらには人生で初めての転移を経験しフィオーラ王国の首都へと飛ばされたのだ。

 ほどなく使徒との謁見が叶い、ロウネはそこで初めてフィオーラ王国を治めるのが双子の闇妖精(ダークエルフ)であることを知ったのだ。

 ロウネは根っからの文官だ。だから双子の闇妖精(ダークエルフ)を前にしても武人のようにその強さを測ることはできなかった。ただ漠然と王者の風格、上位者としての雰囲気を感じ取ったが、なによりもその美しさに目を奪われてしまった。森妖精(エルフ)闇妖精(ダークエルフ)は元々容姿端麗で知られた種族だ。しかし目の前に現れた双子は幼いながらも輪をかけて美しかったのだ。まさに完璧だったのだ。

 

 ロウネはそんな相手と貿易に関し幾つか取り引きできたことに安堵した。

 しかしその安堵を軽く吹き飛ばす出来事があった。

 フィオーラ、正式にはアウラ・ベラ・フィオーラと名乗った女王が発した言葉が、一瞬にして謁見の場を凍らせたのだ。

 

「ねえ、帝国が森妖精(エルフ)を奴隷扱いしてるって、本当?」

 

 ロウネは“まるで心臓を鷲掴みされたようだった”と振り返る。

 彼は帝国の奴隷制がいわゆる人権を一方的に蔑ろにするものではなく、主人と奴隷の間にそれ相応の契約が交わされ法で守られている事を必死に説明した。同時にその法から森妖精(エルフ)が漏れていることも素直に認め改善を約束したのだ。

 あの瞬間、謁見の場にいた外交使節団の命が自分の答弁に懸かっていたのかと思うと今でも震えが襲うとロウネは言う。

 

 ジルクニフはそんなロウネを労う。

「無事に戻ってくれてなによりだ。……しかし奴隷制度に関しては早急に調整が必要だな」

「はい。側近はそれほど強い反応は示さなかったのですが、アウラ様とマーレ様からはハッキリと怒りや不快感といったものを感じました」

「近親種が奴隷扱いされていてはそれも当然だろう。このままではいい関係も築けまい。この件は最優先で対応させろ」

「畏まりました」

 

 続いてジルクニフは話題をフィオーラ王国の都市に移す。

「それで都市はどんなだった? お伽噺のように木の上に住んでいるのか?」

「御冗談を。青く茂る木々と清涼な流水に囲まれた見事な都市でした。建築物に始まり街路や水路にいたるまで高度な文明を感じましたね。陛下、私は“亜人は野蛮”という固定観念を改めましたよ」

「それ程か。一度見てみたいものだが……。軍事力に関しては何か気付いたか?」

 

 その質問にロウネは首を振る。

「いいえ。残念ながらそういった施設には案内されませんでしたので。ただ都市内で我々を警護していた者たちは闇妖精(ダークエルフ)の戦士でした。ああ、一度だけ森を警邏中の一団とすれ違いました。我々の基準で言えば分隊だと思いますが、闇妖精(ダークエルフ)小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)魔狼(ヴァルグ)からなる混成部隊でしたね」

 それを聞いてジルクニフは渋い顔をする。

「やはりフィオーラ王国がトブの大森林を掌握したと思っていいのだろうな」

「はい。彼らが言うには有力な種族や部族の8割は傘下に治めたと。その他、交渉の余地のない相手や、そもそも言語が通じない魔物に関しては放置しているみたいですね」

「……その放置している魔物に我々が襲われているんだがな」

 

 この問題はジルクニフの新たな頭痛の種になっていた。

 トブの大森林付近からは確かに小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の目撃情報が減った。恐らくフィオーラ王国が上手く制御しているのだろう。しかし代わりに獰猛な魔物が頻繁に目撃されるようになったのだ。常備軍でも対処可能だがその頻度があまりにも多いため、国防に割いている軍団の比率を調整する必要が出てきているのだ。

 さらには魔物の発生源を断ちたくとも森の深い部分への侵入をフィオーラ王国に禁止されているためそれもできない。元々危険な森ではあるがこれでは完全に手詰まりだ。

 

 ジルクニフは深く息を吐く。

「練兵になるとでも考えなければやってられんな」

「確かに。新兵を鍛えるにはもってこいですね。トブの大森林近郊に配置し、経験を積ませてから各軍団に再配置させるのは如何でしょう」

 事実、脅威度としては東の妖巨人(トロール)牛頭人(ミノタウロス)には遠く及ばない。それが救いでもある。

「将軍たちに話をしてみるか」

 

 ジルクニフはざっと資料を再確認する。

「他に議題がなければ会議を終了するが、どうだ?」

「陛下、カッツェ平野で捕らえた捕虜は如何いたしましょうか」

「農民は帰してやれ。貴族は王国に買い取るかどうか打診しろ」

 それ以上議題が挙がらないことが確認されると会議は解散となる。

 

「ロウネ、議事録をまとめたらフールーダに渡しておけ」

「畏まりました」

 最後にロウネに指示を出すとジルクニフは会議室を後にする。

 

 今回の戦いで帝国側の総死者数は約12000。対する王国側の10万を超える数と比べればだいぶ少ない。不死者(アンデッド)によって勝敗の行方は有耶無耶になってしまったが、国家として新たに団結できた王国とは異なり帝国側は戦果と呼べるものが無かった。

 国民の視点で見れば引き分けかもしれないが、総評としては痛み分けどころか帝国の敗北だろう。

 

 戦後の印象操作をどうするか。

 思い悩むジルクニフであった。

 

 




やまいことクレマンティーヌでモモンガをサンドしたかっただけ。

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