骨舞う旅路   作:ウキヨライフ

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幕間
第18話:牧場


 やまいこが〈転移門(ゲート)〉をくぐると、シャルティアの説明通りそこは数名の夢魔(サキュバス)たちが書類仕事をする事務所然とした部屋であった。

 部屋の天井と床は板張りされており壁は煉瓦で組まれている。窓が無い為にそこが地上なのか地下なのか判断がつかなかったが、事前に隠蔽をするよう指示していたためナザリック直通のこの場所は恐らく地下であると推察できた。

 唯一の光源は天井と壁に設置された青白い光を放つ永続光(コンティニュアル・ライト)だけだ。

 

「こ、これはやまいこ様!」

 

 夢魔(サキュバス)たちが書類仕事の手を止めて跪こうとするのを制し用件を伝える。

 

「そのまま仕事を続けてもらって構わない。一人、デミウルゴスを呼んできてほしい」

「はい! ただいま」

 

 デミウルゴスを探しに一人の夢魔(サキュバス)が部屋を出ていくと、別の夢魔(サキュバス)に応接室へと通される。

 

「やまいこ様。どうぞ、紅茶です」

「ありがとう」

 

 シャルティアのところにいた吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)もそうであったが、ここの夢魔(サキュバス)たちも種族の特色か、同性から見てもなかなか煽情的な格好をしている。

 

(こんな職場でデミウルゴスは性欲を持て余さないのかな)

 

 ともすれば危ういオフィスラブ、職場のドロドロとした三角関係なんかに発展してしまうのではと勝手な想像をしていると、部屋の入口にデミウルゴスが現れ片手を胸に一礼をする。

 相も変わらずこのオールバックに眼鏡の悪魔は余裕のある態度で羨ましい。

 

「お待たせいたしました、やまいこ様。お越しいただきありがとうございます」

「急にすまないね。君の牧場を視察しにきた。施設を軽く案内してほしい」

「畏まりました。ご案内させていただきます」

 

 デミウルゴスの案内で永続光(コンティニュアル・ライト)の青白い光が点々と続く廊下を歩く。外界の情報が届かない廊下はどこまでも不気味だ。

 

「では、主要な施設に向かう途中ですが、この牧場に関して軽く説明させていただきます」

「あ、現在地から教えて。転移で来たからここがどこだか分からないんだよね」

 

「畏まりました。まず現在地ですが、ナザリックから北西に150キロほど行った先にあるアベリオン丘陵の中腹でございます。整地した地上部にダミー牧場を建て、地下に直径200メートル、地下六階層の円柱型施設を建造いたしました。

 地上のダミー牧場は野生のイノシシを集めて繁殖と食肉加工を行っております。地下一階はダミー牧場専用の倉庫として現在利用しています。

 そして地下2階以降が、モモンガ様からお借りした本を参考にした円柱構造の施設となっております。中央に吹き抜けの螺旋階段が通っており、物資の運搬はその吹き抜けを利用しております。全体像としてバウムクーヘンを想像していただければ問題はないかと」

「あぁ、なるほど!」

 

 突然、洋菓子を例にだされて思わず強く同意してしまう。

 

(というか、デミウルゴスはなんでバウムクーヘンを知っているんだろ……?)

 

 現実(リアル)ですらその特殊過ぎる製法から発祥とされたドイツでは絶滅した洋菓子だ。辛うじて日本で生産が続けられていたが、アーコロジーでは高騰しすぎて庶民の手には届かなくなっている。

 元々ドイツですら一般的では無かったバウムクーヘンが遠く東洋の地で生き残っている様は何とも哀愁を誘うが、問題はそんな現実(リアル)で絶滅に瀕しているバウムクーヘンを何故デミウルゴスが知っているのかだ。

 シモベたち、とりわけ賢いと設定されたNPCの知識がどこから来ているのか、非常に気になる。

 

「施設にとって重要な設備は螺旋階段を中心に集められており、その周囲を各階層ごとに飼育場、繁殖場、皮紙工場などが囲むように配置されています。

 この構造は刑務所や収容所で活躍したらしく、管理する側にとって理にかなったものとなっております。各階層の出入りは必ず警備の厳重な中央の螺旋階段を経由せねばならず、そのため裸の羊たちが脱走する事は不可能と断言してよいでしょう」

 

 これはアーコロジーの一部の学校でも採用されている構造だ。同心円状の校舎の中に校庭があり、その中心に職員棟が配置されているのだ。教員はこの棟から360度を見渡すことが可能で、子供たちを()()()ことができる。

 現実(リアル)と違う点を挙げるとするならば、ここには消防法は無く、デミウルゴスの牧場は地下に作られており出入り口が限られている点だろう。

 

「地下二階の中央部に事務所兼従業員の宿泊施設、その周りは今のところ空き状態です。私たちが今いる場所も地下二階でございます。

 地下三階と地下四階はまったく同じ構造で、各階とも繁殖場と飼育場で占めており、一割ほどの敷地が異種交配の実験場として使用されております。

 そして地下五階が皮紙工場です。以前報告書に挙げた、皮を剥ぎ、加工し、回復させるための階層ですね。地下三階や地下四階で力尽きた羊も工場に送られます」

 

 デミウルゴスが説明を一旦区切り螺旋階段を指し示す。

 

「こちらがこの施設中央の螺旋階段。ここを下り、さきほどご説明した地下三階へ向かいます」

 

 やまいこは螺旋階段と全階層を貫く吹き抜けが想像以上に広かったことに驚く。確かにこれだけの広さがあれば物資の搬入は余裕だろう。

 下を覗くと光源が限られているため、どこまでも続く奈落のようだ。

 

 

 

 

 

 地下三階に到着し、案内されるままデミウルゴスに付いていくと、廊下の看板に「飼育場」と書かれた区画にたどりつく。

 そこは古い養鶏場を思わせる作りで、三段組の木枠の各段に羊が一匹ずつ四つん這いの姿勢で固定されていた。木枠がなければさながら組体操をしているようで不謹慎にも滑稽に見える。その木枠が区画一杯に隙間なく整然と並べられており、まさに飼育場に相応しい場所だ。

 泣き腫らした羊たちを見ると、耳に管理用のタグが付けられているのが分かる。巡回している悪魔たちが羊の状態を調べてはタグを追加したり手元の書類に何やら記入していた。

 

 羊たちは四つん這いのまま食事と排泄ができるようになっており、現に今も数名の悪魔たちが羊に餌を与えている反対側では、呻き声、すすり泣き、嗚咽に混じり、下品な排泄音が響いていた。

 上段の羊の排泄物が下段の羊にかからないように配慮はされていたが、そんな小さな心遣いは当の羊たちにとっては何の救いにもなっていないのは明らかであった。

 

(分かってはいたけれど、すごいな)

 

 半魔巨人(ネフィリム)の姿でいるせいか動揺は少ない。人間の姿で来ていたら表情を隠し通すのは難しかったであろう。

 

「デミウルゴス。この羊たちはずっとこの姿勢なの?」

「はい。後々皮紙工場へ送ることを踏まえ、背中が傷つかないように配慮しております」

「なるほど。でも、この姿勢のまま眠れるの? 両腕で体を支え続けるのは辛そうだけど」

「ご心配には及びません。上半身を支える柱が差し込んでありますので体重を預けることが出来るようになっております」

 

 羊たちの下を覗き込むと、確かに脇の下から胴体を支えるように太めの木の棒が差し込まれていた。長時間寝るには向いていないが無いよりは大分マシだろう。

 

「デミウルゴス、もし突然死や窒息死する個体が現れたら羊たちに与える水分を増やしてみて。あと支えに使っている木の棒を改良するんだ。面積を広くするとか流線形を取り入れるとかして身体の血流を止めないような形にしてみて。それでも死ぬ個体が現れたら定期的に運動させる必要があるかもしれない」

「畏まりました。因みにどのような理由で水分や運動が突然死を防ぐのか、参考までにご教示いただけますでしょうか」

 

「うーん、ボクも専門家じゃないから詳しくは説明できないけど。体質や与える餌によってはずっと同じ姿勢を続けることで血液の流れが滞ることがある。血管が何かで詰まると思って。で、続けてた姿勢が急に変わったりして血流に変化があったとき、今まで血管を詰まらせていた何かが肺や脳といった重要器官に到達して疾患を及ぼすことがあるんだ。

 これを予防する手段として水分補給と運動がある。水分補給は単純に血を潤滑させるためだね。運動は血管に大きな詰まりができる前に身体を動かすことで血を循環させて流してしまおうって感じ。あと、あくまでも予防であって防ぐわけじゃないからね」

「ご教示ありがとうございます。大変参考になりました」

 

 デミウルゴスを窺うと何やらメモをしたためている。

 専門外の知識をうろ覚えで披露した挙句、メモに取られると意外に恥ずかしい。

 

(出来る男はメモを取る、とか昔見た気がするけど。人の手で黒歴史を綴られているようでこそばゆい)

 

「デミウルゴス、動物は元来自由に動き回るものだ。身体の構造上、こうして姿勢を固定されることは想定されていない。だからそこに身体を壊す原因がある。折角捕まえた羊だ。直ぐに死なせてしまったら勿体ない」

「やまいこ様の仰る通りかと。今後は羊たちの健康を注意深く観察いたします」

「うん。じゃあ、次、行ってみようか」

 

 

 

 

 

 次に案内された場所は看板に「繁殖場」と書かれた区画。飼育場とは違いここでは広大な敷地に羊たちの嬌声が響いていた。

 真っ先に目に付くのは種付け用に広く間切りされた空間で、飼育場で三段だった立体構造もここでは二段だ。さらに飼育場とは異なりここでは雌だけが固定されており、大きく股を開く雌に覆いかぶさるようにひたすら雄が腰を振っていた。

 

「これは、なかなか壮観な眺めだね」

「はい。ここは命を育む場所。施設内で一番活気づいている場所です」

 

 命を育む。物は言いようだと思いながら羊たちがまぐわうのを見ていると、種付けを終えた雄が悪魔に別室へと連れられていくことに気付く。

 

「あの雄たちは何処に?」

「ご覧にいれましょう」

 

 雄が連れていかれた別室を覗くと、飼育場よりも待遇の良さそうな空間になっていた。一匹に与えられる敷地が広く、鎖に繋がれてはいるものの身体が固定されている訳ではないのである程度自由に動き回れるようになっていた。

 

「他とはずいぶん扱いが違うようだね」

「はい。ここは種付け用に選別した雄を飼育する場所です。肉体的に優れ、かつ従順な雄から選んでおり、ご覧のように待遇を良くしております。餌も一般的な飼育場のものとは異なり精の付くものを与えております」

 

 確かに飼育場にいた雄よりも体格が良く健康的に見える。

 

「なるほど。すると妊娠した雌も待遇が変わるのかな?」

「はい。母子共に事故が起こらぬよう手厚く飼育しております」

「そう」

 

「あ、やまいこ様ぁ。どーしてここにぃ?」

 

 自分を呼ぶ舌足らずな甘い声に振り返ると戦闘メイド(プレアデス)のエントマ・ヴァシリッサ・ゼータが餌を乗せたカートを押しながら現れた。

 

「久しぶりだね、エントマ。元気にしていた?」

「はぃ。元気にぃ、やらせていただいておりますぅ」

 

 種族が蜘蛛人(アラクノイド)である彼女は喋る時も口が動かない。というよりも、そもそも可愛らしい表情が一寸も変わらない。様々な蟲の集合体である彼女はその愛くるしい顔でさえ擬態した昆虫なのだ。

 

「今日は施設の視察に来た。エントマはここの仕事はどう?」

 

 やまいこはエントマの頭を撫でながら、彼女の新しい仕事に関してリサーチする。

 撫でられるとは思っていなかったのかエントマの動揺が身体を構成する昆虫たちに伝播し、わちゃわちゃと身悶えている。

 

(こ、これ、喜んでくれている……んだよね?)

 

「ナザリックの為にぃ、頑張って飼育をお手伝いしていますぅ。たまに新鮮なお肉も頂けるのでぇ、天職ですわぁ」

「そう。それは良かった。じゃあ仕事の邪魔をしてはいけないから我々は行くよ。エントマもお仕事頑張ってね」

「はぃ。では餌やりがあるので失礼いたしますぅ」

 

 ペコリと頭を下げてエントマは来た時と同様、カートを押して去ってゆく。

 

「待たせたね、デミウルゴス。エントマの働きぶりはどう?」

「はい。羊に対して物怖じせず接しておりますし、仕事も真面目に勤めてもらっているので重宝しております」

「ふむふむ。やっぱ仕事を与えて正解だったかな。じゃぁ、次に行こうか」

 

 

 

 

 

 次の区画は「異種交配」と書かれていた。

 種付けされる(つが)いが互いに異なる種族同士である事を除けば、先ほどの繁殖場と基本的には同じ作りの広場であった。強いて違う点を挙げるとすれば、行きかう夢魔(サキュバス)の姿が多いことだろうか。

 

夢魔(サキュバス)が多いみたいだけど、なんで?」

「幻術や催眠などの魔法で雄を()()()にさせるためでございます。種が違えば美意識も異なるため、組み合わせによっては雄が全く役に立たないのです」

 

 デミウルゴスはそう言いながら両手でヤレヤレといった仕草をする。

 

「例を挙げますと、ビーストマンのように体が毛に覆われた種は、毛のない雌は無毛症などの奇病を患っているように感じて欲情できないみたいですね」

「美意識の違い。まぁ、確かに」

 

(目隠しだけじゃダメなのかな)

 

 周囲を見渡すと先ほどの繁殖場と違う点をもう一つ見つける。

 

「ん? 固定されている雌の姿勢に違いがあるようだね」

 

 固定された雌を観察すると、グループ毎に様々な姿勢を強いられていた。

 四つん這い、お尻を掲げたうつ伏せ、仰向け、中には天井から吊るされていたり、壁に固定されているグループもいる。

 

「はい。なにぶん異種交配は成功例が極端に少ないので、少しでも妊娠の可能性が上がる姿勢を検証しているところです」

「あぁ。昔興味本位で見た不妊治療のサイトにそんなのがあったなぁ」

 

(初めは職場の健康診断に触発されて乳癌のサイトを見てたはずなのに、リンクを辿っていくうちにいつの間にか別のサイトを見てたんだよね)

 

「不妊治療。それは興味深い。どのようなポーズがあったか伺っても宜しいですか?」

「あ、ごめん。うろ覚え過ぎてダメだ。うん。適当な事を言って検証を妨げては申し訳ないから、この話は悪いけど無しで」

 

 やまいこは内心冷や汗をかきながらデミウルゴスの質問をはぐらかす。

 いや、断固として拒否する。

 

「左様ですか。残念でありますが、了解いたしました」

 

(流石にウルベルトさんが創った子とそんな話はしたくない!)

 

「悪いね。そういう訳だから自分の力だけで頑張って」

「畏まりました。必ずや良い結果をご覧に入れましょう」

「う、うん。楽しみにしているよ」

 

(正直結果を聞かされても困るけど。あー、ナザリックも身体測定だけじゃなくて健康診断もしなきゃかな。NPCたちは皆働きすぎなんだよね。ヘロヘロさんみたいに身体を壊さなければいいけど……)

 

 指摘しないと与えられた仕事を休みなく延々と続けるNPCたちに、いかにして「休憩時間」をとらせるか、モモンガと共にNPCの説得に苦労したものだ。

 因みに給金に関しては未だ説得に至らずNPCたちは無給である。

 

(NPCが望んでいる事とはいえ、このままじゃブラック企業だよ)

 

「では、やまいこ様。最後に地下五階の皮紙工場へご案内いたしましょう」

「あ、うん。ナザリックを支える重要な施設だ。楽しみだよ」

 

 

 

 

 

 螺旋階段で地下五階へ下りる。

 皮紙工場へと向かう途中、中央区の控室で休憩する拷問の悪魔(トーチャー)たちを見かける。

 

「ちゃんと休憩時間を取り入れているようだね」

「はい。初めはご奉仕の時間を取り上げられ不安を覚えていたようですが、休憩時間があるからこそ、限りある貴重な時間に全身全霊を打ち込める事に気付いたようです」

「そ、そうか。まぁ、今は休憩することでメリハリが生まれる事を実感してくれるだけで十分だ」

 

 話しながら進む廊下に悲鳴が届き始め何度か角を曲がると、「搬入口」と書かれた両開きの扉の前までたどりつく。重厚な扉にもかかわらず外に漏れるほどの絶叫。中でどれほど凄惨な事が行われているのだろうか。

 違う。知っている。ここで何が行われているのか、知っているのだ。

 

(来てしまった)

 

 覚悟はしていてもやはり目の前まで来ると躊躇いが生じる。

 しかし、デミウルゴスは待ってはくれない。

 

「やまいこ様、こちらが皮紙工場です」

 

 そう言いながらデミウルゴスが両開きの扉を開け放つと、室内からむせ返るほどの湿気と濃厚な血の臭いが襲う。

 

 やまいこはぶるりと身を震わす。

 

(血の臭い。いや、()()、か)

 

 小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)、カルネ村を襲った野盗たちを殺した時にも感じたそれは、やまいこの心を僅かにくすぐる。

 血の香りに嫌悪感を抱かない。

 

(改めて自覚すると、キツイな)

 

「如何なさいましたか?」

「ん。血の香りにちょっと酔っただけ。案内してちょうだい」

「畏まりました。ではこちらへ」

 

 デミウルゴスに導かれながら周囲を観察する。

 入口付近には、繁殖場で使われていた木枠ごと四つん這いの羊たちが運ばれていた。どうやらあの木枠は移動式だったようだ。

 羊たちは聞こえてくる絶叫に己の運命を悟ったのか、必死に身体を揺らし拘束を逃れようとしているが木枠は僅かに軋む程度で壊れそうにはない。

 

 区画の中ほどに差し掛かり、見えてきたのは皮紙工場の肝とも言うべき皮剥ぎ場。羊は舌を嚙まぬよう口枷を付けられ、また剥ぎ取り中の脱糞を防ぐために肛門にも栓がされていた。

 

 拷問の悪魔(トーチャー)が慣れた手つきで羊たちにメスを入れていく。うなじから肩、肩甲骨と脇腹をなぞり臀部まで切れ込みを入れる。それを左右同じように切れ込みを入れ、羊の背中を大きく一周したところで目を背けたくなる皮剥ぎが始まる。

 うなじを捲って皮を掴むと、皮と肉の間に手のひら大のナイフを滑らせ、背中から削ぎ落していく。羊は叫びながら大きく跳ねるが、口枷と木枠によって抑えられているために拷問の悪魔(トーチャー)は意に介さない。

 その手際は良く、背中の皮が綺麗に剝がされるのにそれほど時間はかからなかった。切れ込みを入れてから剥がし終わるまで30秒とかかっていないだろう。

 

「ご覧のように皮を剥いだ後、あちらの水槽で消石灰を混ぜた魔法溶液に1時間程漬けます。この工程を経ることで体毛と余分な組織を取り除くことができます。〈道具鑑定(アプレーザル・マジックアイテム)〉で確認できるのですが、取り出した皮を()()()()から()()()()()()()()に変化させることができます。

 以前ご報告した“回復魔法の法則”、傷を負った直後に回復魔法をかけると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をこの工程で回避する事ができるのです。

 ですのでこの1時間の間は回復魔法をかけずに薬草だけで耐えてもらいます」

 

 皮を剥ぎ終わった羊たちはただただ痛みに耐え続けるしかないようだ。

 

「こちらが一時間たった皮です」

 

 見ると白くブヨブヨに変質している。確かにここまで変化していると、皮というよりは材料と言えなくもない。側で作業をする拷問の悪魔(トーチャー)を見ると、素材となった皮を台座に乗せて残った肉や脂肪を削ぎ落しては水洗いをする作業を繰り返していた。

 

「意外と手間のかかる作業なんだね」

「はい。鞄や本の装丁に使用するのであれば多少は簡略できるのですが、スクロールの素材として使用するためにはここでしっかりと脂を取らないといけません」

 

(ん? そんな皮で装丁された設定の転職アイテムがユグドラシルにあったような)

 

「そういえば先日捕まえたビーストマンはどうだった?」

「彼らは羊よりも剛毛で毛穴が大きいという欠点がありましたが第四位階魔法のスクロール制作に成功しております」

「それでも第四位階か。できれば第六位階くらいまでを込められればいいんだけど」

「申し訳ありません。今後の探索と品種改良にお時間を頂ければ必ずや」

 

「あぁ、いや、催促している訳じゃないから。この調子で研究を続けてもらって構わない。デミウルゴスの働きにはボクもモモンガさんも満足しているよ」

「ありがとうございます。そのお言葉だけでこの牧場にいるすべてのシモベたちが報われることでしょう」

 

 会話が一段落し改めて周囲を見渡す。皮剥ぎから一時間経過した羊たちが回復魔法で癒されている。背中の状態を確認された後、体力を取り戻すために()()()()()()()()へと運ばれていく。彼らは二度と上の階層には戻れないのだ。

 

 やまいこはふと以前報告を受けた治療魔法の問題点を思い出す。

 

「治療を魂で拒否すると治りが悪くなるって報告があったけど、その対策も考えないとね」

「それに関して一つ試してみたい事が。ただ、結果が出るには長い時間が必要なのですが……」

「どんな内容?」

「この牧場で生まれた羊たちに特殊な教育を施そうかと思っております。皮を提供することに喜びを感じるように育てれば、将来的に羊の損耗が減るのではと」

 

 なんともおぞましい話だ。しかし、皮を剥ぐ羊をこの牧場の中だけで生産し維持することができれば外界から羊を攫ってくる必要が無くなる。長期的に見ればとても良い事のように思える。

 

「提案書にまとめてちょうだい。前向きに検討するようモモンガさんに伝えてみるから」

「畏まりました」

 

「それじゃぁ、施設はだいたい見終わった感じかな? そういえば地下六階の説明を受けてなかったけど、何かないの?」

「最下層はゴミや下水の処理施設になっております。ただあまりにも不浄ゆえ、御方にお見せするには憚られます。一応ご説明いたしますと、皮紙生産で生じた廃水や羊たちが垂れ流した汚物を飲み水にするためにスライムにろ過させ、集まった水を蒸留しております」

 

「うへぇ……。蒸留しているからには普通の水なんだろうけど、飲みたくないね。でも資源を無駄にしない仕組みはいいね。うん」

「あとは食料自給率をもう少し上げる事ができればこの牧場も安定するのですが……」

「それは追々考えよう。じゃぁ、他に見る所も無さそうだし、ボクは戻るよ」

「畏まりました、やまいこ様。またのお越しを楽しみにしております」

 

 〈転移門(ゲート)〉を開くと、やまいこは羊たちの悲鳴を後にナザリックへと戻る。

 

 

* * *

 

 

 ナザリック地下大墳墓へと戻ったやまいこは、モモンガとクレマンティーヌが玉座の間で実験をおこなっていると聞きつけ、ユリ・アルファと共に足を運ぶ。

 

「ただいまー。……何しているの?」

 

 モモンガは玉座に座り、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン片手にギルドのマスターソースを開いていた。そして玉座の下ではクレマンティーヌが跪き、そのクレマンティーヌの両脇にアルベドとナーベラル・ガンマが控えている。

 

「あ、おかえりなさい、やまいこさん。ちょっとこれ見てもらえます?」

「ん?」

 

 ギルドのマスターソース。

 それは、ギルドメンバー、NPC、資金、各階層設定、コストシミュレーション、各種オプションなど、ギルドに関わる項目を閲覧、編集する事ができるコンソールだ。モモンガとやまいこはほぼ同等の権限を持つが、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持たぬやまいこは当然のことながらNPCやギルドの基盤となる設定を変更することはできない。普段からマスターソースを利用している階層守護者統括のアルベドも、各階層の簡単な設定しか触れないように制限されており、閲覧に関してもギルドメンバーや他のNPCたちのリストの閲覧はできるが、キャラクター設定などより深い情報、個人情報には触れることができない。

 本来、ギルド内であればどこからでもコンソールを呼び出すことができたのだが、この世界ではユグドラシル時代とは異なり玉座周辺でしか呼び出せず、やや不便なものになっていた。

 

 その玉座に座ったモモンガが指示したコンソール画面には「同盟リスト」の文字と、その一覧にクレマンティーヌの名前が載っていた。

 

「試しにクレマンティーヌを登録できるかどうか実験してみたらできちゃいました」

「できちゃいましたって……。どうやったの?」

「互いに宣誓しただけです。ほら、ユグドラシルでは承認のダイアログがポップアップしたじゃないですか。代わりに昔見た映画っぽく誓いを立てた感じです。たぶんこれ、ギルド加入もできますよ。ギルドメンバー枠なのかNPC枠なのかは検証が必要ですけど」

 

「ふむふむ。同盟ってギルド単位だと思ったけど、個人相手でもできるんだね。でもそうすると、この間条約を交わした竜王国が載っていないのは変じゃない? あれも一応正式な契約でしょ? 書面じゃダメってことかな?」

「そこなんですよね。たぶんですけど、この玉座の間で交わすか、ギルド長が直接交わさないとダメなのかもしれません。竜王国との条約締結はアウラたちに任せて先方の城で交わしたので条件が発動しなかった可能性があります」

 

「なるほど。……で? 同盟の次はギルド加入の実験?」

「いえ、フレンドリーファイアが解除されているので加入したところでお互いメリットがありません。まぁ、強いて言えば死んだときNPCと同じようにユグドラシルの金貨だけで復活できるかも、という可能性くらいです。それに万が一NPC欄に追加されてしまうとギルドのコスト計算が狂うことの方が問題なので、今は同盟のままでいいかなと。資金回収が安定するまで保留ですね」

 

 やまいこは「コスト計算が狂うことの方が問題」という説明に納得する。ユグドラシルプレイヤーではないこの世界の住人を加入したら何が起こるか分からない。実験の結果、ナザリックが破綻してしまっては元も子もない。

 

「それで、あれは何しているの?」

 

 アルベドとナーベラルが神妙な表情でクレマンティーヌを観察している事に気付く。

 

「あぁ、そうだった。同盟者だったらNPCたちの人間蔑視が軽減されるかなと思って」

 

 そういうとモモンガは玉座から立ち上がり階下のアルベドとナーベラルに声をかける。

 

「アルベド、ナーベラル。これでクレマンティーヌは同盟者となったわけだが……。今どんな感情か述べよ。自覚できる変化はあるか?」

 

 アルベドとナーベラルは互いに目配せするとアルベドから答える。

 

「御方やNPCとは比ぶべくもありませんが、自動湧きするモンスターよりは親しみを感じます。今の状態で同盟者であると紹介されれば受けいれることができます」

「私も同じく、ミカンコミバエからゲジゲジ程度には親しみを感じます」

 

(ナーベラルが何を言っているのかわからない)

 

 やまいこは振り返り自分の後ろに控えているユリに視線を向ける。

 

「ユリはどう? クレマンティーヌに今までと違う何かを感じたりする?」

「はい。他の姉妹たち(プレアデス)程ではありませんが、親しみを感じます」

「そう。モモンガさんの推察通り良い感じじゃない?」

 

 アルベドたちの答えにモモンガも頷き満足しているようだ。

 

「ですね。これならクレマンティーヌとNPCだけで行動させても大丈夫ですね」

 

 クレマンティーヌを見るとなんとも味わい深い表情をしている。その顔には「勘弁してくれ!」と素直に言えないもどかしさを感じる。

 

「とまぁ、こんな実験をしていた訳です」

「りょーかい。じゃあボクは大浴場でひとっ風呂浴びてくるよ。クレマンティーヌもどう?」

 

「え? あー。ど、どうしようかな」

 

 流石に昨日の今日で警戒しているようだ。

 

「お酒飲んでないから大丈夫。昨日のお詫びに背中を流してあげるから」

 

 その言葉でアルベド、ナーベラル、ユリから嫉妬とも取れるオーラが一瞬発せられると、階上のやまいこに悟られぬよう「御方の誘いを断わるなんて愚かなことはしないよな?」と凄まじい眼力で伝えている。

 

「は、はい! 喜んでご一緒します!」

「よし。じゃぁ、そういう訳だから、モモンガさん。クレマンティーヌを借りていくよ」

 

「やまいこさん、折角ですし親睦を深める意味でも女性守護者や戦闘メイド(プレアデス)も誘ってみては?」

「あぁ、確かにそれ良いかも。アルベド、残っている女性守護者と戦闘メイド(プレアデス)に連絡してちょうだい。時間は一時間後。第九階層の大浴場に集合。急な話だから他に予定のある人は無理に来なくていいと伝えてね」

 

「畏まりました。ではさっそく行ってまいります」

 

 アルベドはそう言うと一礼して玉座の間を出ていく。

 それを合図にこの場はお開きとなるのだった。

 

 

 

 

 

 一時間後、大浴場でとある事件が起こるのだが、大浴場に居合わせた女性陣はそこで何があったのか、多くを語ろうとはしなかった。




やまいこ「羊だね?」
デミウルゴス「羊ですね」
エントマ「羊ですぅ」

羊「……」

独自設定
・デミエモン牧場の位置
・羊皮紙の製造方法
・ビーストマンの皮に込められる位階
・マスターソースの仕様

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