Side:ドン=フリークス
「っててて、呑み過ぎたか」
やはり祭りというのは楽しいもので、もう今年で30になるというのに年甲斐にもなく種族の垣根を越えてドンチャン騒ぎをすれば酒も進む。もしかしたら人間界で同じように仲間と騒いだときよりもペースが速かったかもしれない。しかも此方で呑む酒は、その原料からして人間界で作られているものとは原料も仕込みも大きく違うため、度数こそ然程変わらない印象だったが、かなり効いた。今でこそ魔獣たちには劣るものの、俺もかなり呑めるようにはなった(とはいえ、貴重なものなので1年を通して、そうそう呑む機会は無かったが)
ちなみに八尋は、下戸だとかで基本的に酒は飲まないのだそうだ。以前、此処ではない何処かで余りの酒癖の悪さに飲酒厳禁を言い渡されたのだとか。まぁ、本人がそういうのなら勧めるのは悪手以外の何者でもないだろう。
それで俺が唐突に起きてしまったのは、てっきり酒の呑み過ぎが原因で身体が水分を欲しているのかと思ったが、どうやら原因は違ったようだ。
どこか、とても遠いところから歌が聴こえてきた気がしたのだ。
だが、俺には聴こえてきたソレを本当に "歌" と形容して良いのか分からなかった。耳を澄ませて聞き入ると、聴こえてくるソレには一定のリズムはあるように感じるが、余りにも遠いところから聴こえている為か、それとも歌の内容そのものが
『■■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■』
遠く、遠く、どこから響いてくるのか分からないが、それを聴くだけで哀を懐かせる "歌" らしき何かに暫し聴き入り、そういえば、この世界を長く巡ってきたという八尋なら何か知っているかもしれないと聞いてみようかと思ったところで同じように起きていたらしい集落の長老から声を掛けられた。
「哀歌、ですな」
「哀歌? 長老は、これが何か解るのか?」
「いえ、恥ずかしながら内容については全く。ただ、そういう感情が込み上げてきます故、そう呼ばせていただいています」
そう教えてくれた長老は「とはいえ、私も聴いたのは、これでまだ2度目ですが」と付け加えた後、その歌に身を委ねるように瞳を閉じた。
「2度目?」
そう聞いた俺の言葉に瞑目したまま頷きを返す長老。そして「今から、ちょうど500年前ですかな、当時の私は未だ若く、今の若い衆と同じようにヤンチャをしては親の代、祖父の代の者たちには、よくどやされたものです」と遥か昔のことを語って聞かせてくれた。
もともと長老たちの種族は極端に寿命が短く、それをニトロ米を育てることで補ってきたのだそうだ。そうして長い年月を連綿と築いてきた集落の魔獣たちの歴史の中で、今から500年以上前にフラッと現れたのが八尋だったという。八尋は、集落の魔獣たちに様々な知恵を授け、同時にそれまで弱かった集落の魔獣たちを、その強さを持って庇護する立場にあったという。しかし、それでも上から支配するようなことはなく、あくまでも対等の立場で接してくれていたのだと。
最初は集落の魔獣たちも余所者である八尋の存在を疎み、除け者の様にしていたそうだが、それも次第に打ち解け、その在り方を認め、慕うようになっていったのだと。そんな折に、この "歌" らしき何かを聴いたそうだ。
とはいえ、俺を連れて此処へ戻ってきたときには記憶にあった彼の像とは、かなり印象が違ったらしく最初は戸惑いもしたが、今ではもう慣れたとのこと。たしかにアイツの性格や口調は、その日その日どころか、タイミングによって大きく異なるような印象を受けることが多々あった。長老の思い出の中では清廉潔白を地で行くような、まさに高潔な人物像を連想したが、今の八尋を見て、それと同一人物ですと言われても悪い冗談としか思えなかったからだ。
とにかく唯我独尊を地で行くような面を見せることもあれば、慈愛に溢れ他者を慈しむような面を見せることもあり、見た目相応の少し背が高いだけの子供の様な素振りを見せることもあれば、話に聞いたとおり教師や指導者と呼ばれるに相応しい面もあったように思う。また、そういった数々の貌の中には、目を合わせただけで己の "死" を連想させるような恐ろしい面も。最後の最も恐ろしかった面については、これまでの手合わせの最中に1度だけ見たというくらいだが実に心臓に悪かったのをよく覚えている。
そこまでアイツについて考えていたところで当初の目的を思い出し、この歌について聞こうと周りを見渡したところで、俺が誰を探しているのか察したらしい長老は夜明けを迎え始めた曇天の空を指差し「八尋殿なら、おそらく、あそこに」と言った。
「!!」
息を呑む。長老に指差された先にある雲には3対6翼?に長い尾?を持っているように見える文字通りの化物の絵が映し出されていたからだ。普段、俺と同じ何処から見ても唯の「人間」と同じ姿のそれとは似ても似つかないシルエットに「嘘だろう」と呆然と呟く。しかし、辺りを見回してみても八尋の姿が何処にもなかったことで、長老の言葉が真実なのかとも思い始める。何よりも、今、この場で長老が俺に嘘を付くメリットが無い。それに例え驚かそうとしているにしても、これは度が過ぎている。
「あれが、八尋?」
「おそらく、ですが」
俺の全うな疑問に予測の範囲でしかないがという前置きをした上で長老は答える。500年前の新年を迎えたときの夜明け頃の空も同じだったという。その場に居合わせることの無い客人、空に映し出されるシルエットと理解不能の音階による "歌" と形容しても良いのか定かではない、歌。
それは、これまで喪ってきた何かを己の裡に想起させる、とても切ない哀歌だった。
・ ・ ・
一体、どれくらいそうして居ただろうか。それほど時間は経っていないような気もするし、かなり長い時間を過ごしたような気さえする。その間、空に映り何かに許しを乞うように見えていたシルエットと辺りに響いていた "歌" のような何かは、気が付けば、どちらともなく消えていた。
そして・・・
「ドン? 長老? こんなところで何やってるの??」
少し前まで話題に上っていた人物は実に朗らかな声を響かせながら現れた。
「ちょ、おま。今まで何処に行ってた?」
「何処って? 今日は、ちょっと疲れちゃってたのかな、いつも寝泊りさせてもらっているところに早々に引き上げて先に休ませてもらっていたけど?」
その話を聞いて長老と互いに顔を見合う。長老は「先程のアレは、本当に自分の勘違いだったのだろうか?」と首を捻り、俺は幾らか酒に酔っていたとはいえ、八尋の気配を見落としたのか? と訝しむ。
しかし、当の本人から「お祭りは楽しそうだったね」「ドンも去年よりも舞踏が上手くなっていたんじゃない?」「俺は、お酒は禁止されてるけど少しくらいなら挑戦しても大丈夫かな」などと、祭りが一段楽する前までの様子をまるで何処からか
だが、先程の "歌" のような何かの意味そのものは全くといって良いほど分からなかったはずなのに、俺には確かに聴こえた気がしたのだ。他でもない目の前に佇む男の話し声と似た声色で喘ぐ『
だからだろうか、目の前で相変わらずキョトンとした表情で此方のことを見ていた、少し背が高いことを覗けば見た目の容姿そのままの子供っぽい存在に対して浮かんだ疑問を口に出してしまったのは。「ところでさ、八尋は何か
「別に・・・」
八尋が絞り出した言葉は、たったそれだけだった。それだけ言葉を返すと俺たちとは目線すら合わさずに背を向けてスタスタと歩き去ろうとしてしまう。その後姿を見ていられなくて俺は声を荒げてしまった。「何か悩みを抱えているなら言えよ!」と。
しかし返ってきた言葉は・・・
「ドン達には関係ない!」
と普段とは打って変わって苛立ちを乗せた声。それに触発されたかのように更に声を荒げる。「関係ない訳あるか!!」と。
そのまま振り向かせた八尋と互いに無言で睨みあう様な形となっていたが、少しして八尋のほうが折れたのか「もういい」と言って足早に立ち去ろうとするのを腕を掴んで止める。
「何が『もういい』なんだ! まだ何も聞いてねえだろうが!!」
「ドンには関係ないって言ってるだろ! これは俺の、俺自身の問題なんだ。だから、もう放っておいてくれよ!!」
そこにあったのは最初の驚愕の貌でも、苛立ちを募らせた貌でもなく、ただただ今にも泣き出しそうなほどの苦痛に歪んだ貌。何が八尋をそんなに追い詰めているのか、俺には全く分からなかったが、それでも『答え』を得るまでは俺は絶対に引けないと思った。ここで引いてしまえば、恐らく二度と八尋からは、この件に関して何も引き出せないと思ったから。
「放っておけるか! お前が、あの時、俺を助けたように、俺も八尋を助けたいんだ!!」
「・・・(まだまだ弱っちぃくせに)」
「何か言ったか?」
「別に、何も・・・」
もごもご口元で何かを言った気配があったので問い詰めたが、それすらはぐらかされる。普段がそうであるように、こういう時こそ言いたいことがあるならハッキリ言えと思ったが、それは口には出せなかった。
そうして少しの間をおいてから八尋は「付いて来い」と一言残して集落の外れにある森へと消える。長老を見ると「任せます」という言葉とともに頷かれた。この件に関しては部外者である自分たちが、おいそれと立ち入ってはいけない領域だと判断してくれたのだろう。そうして俺は何があっても言いように覚悟を決めると八尋を追って森の中へと入っていった。
・ ・ ・
森の中に入って少しすると開けた場所がある。そこに八尋は独り待っていた。
「それで? 一体、何が聞きたいの?」
「八尋が隠していることだ。あんな今にも泣き出しそうな面しやがって、放っておけるか」
正直に思いのたけを伝えると、今度は羞恥心でも刺激したのか、カァっと表情を赤らめる。その様子を見てこうしてみると・・・なんていう変な想像をしてしまったが、今はそれどころではない。さすがに、今、それを言ってしまえば此れまでの全てが台無しになるだけじゃ済まないからだと直感したことも手伝って俺は頭を振って意識を切り替えた。
それから、また少し時間を掛けてから整理が付いたのか、八尋はポツリと呟いた。
「
「おう、覚えてるぜ」
「今は、どう思ってる?」
「どう思ってるって・・・
あまりにも突拍子もない質問だったので多少の困惑はあったが、俺は正直に答えた。だが返ってきた答えは俺の想像の斜め上を行くもので俺は、その事実に唖然とするしかなかった。
「違うよ・・・ 俺はね、死ぬことを許されていないんだ」
「な、それはどういう」
「言葉のままの意味だよ」
俺の驚きの声を遮り、その言葉に嘘は無いと言い切られる。そうして八尋は顔を伏せた。
『
そうハッキリと告げられた。その意味が俺には分からなかったが、落ち着いて告げられた言葉を頭の中で整理して行く。そうして出された結論は、まるで何時までも
そりゃあ、最初の内は良いだろう。俺に例えて言えば何時までも
だが、やりたいことを全てやり尽くした
想像してしまった。決して
「どうしたの? 俺の悩みを聞いて助けてくれるんじゃなかったの? ねえ、あの言葉は嘘だったの? ねえ!」
「い、いや、そういう訳じゃねえが・・・」
「じゃあ早く助けてよ! 俺をこの
一見すれば完全に八つ当たり、出来ないことを口にしてしまった俺への嫌味とも言える物言いだが、俺の肩を掴んで揺する手には全く力が入っておらず、切羽詰った様子で『答え』を求める姿は、余りにも痛々しい。そうであるが故に、これは俺の無責任な言葉に対する嫌味でも当て付けでもない本心からの言葉であることを伝えてくる。だが、その痛ましい様子を見てさえ、俺には返す言葉が何1つ見つからず口を噤むしかなかった。
黙ってしまった俺の様子に呆れたのか、それとも別な理由か、もう俺には分からなかったが、「ほらね」と呟いて八尋は掴んでいた肩から手を離すと背を向けて森の更に奥へと向かって歩き始める。その様子を見て俺は制止の声を掛けた。
「待てよ!」
「なんで?」
腕を取って、その歩みを止めさせる。止めさせたところで答えなど出るはずも無いのだが、ここで八尋を1人行かせることだけ絶対にダメだということはだけ分かっていた。分かっていたが、引き留めたことで振り返った姿を見て別な意味で息を呑む。そこにあったのは、先程までの迷子になった子供のような姿
「もういいから。今、ここで見聞きしたことは全部忘れてよ。それがお互いの為でもあるし、俺は、もう大丈夫だからさ。だからごめんね。強く当たっちゃって。それと、このことで『契約』そのものを反故にするような真似はしないから安心して」
完全に熱が抜け切った表情で淡々と俺に必要なことだけを伝えると、今度こそ話は終わりだと言わんばかりに踵を返して俺から離れていく。
そして、1人残された俺は事情が分からなかったとはいえ、自分から言い出したことに対して何1つ責任を取れなかったことに後悔した。初めて八尋と遭ってから3年近い時を一緒に過ごした中で一体何を勘違いしていたのかと。八尋は初めから何1つ
それなのに、俺は相手の言葉を冗談だと決め付けて笑っていた過去の自分を思いっきり殴り飛ばしたくなった。
「全然、大丈夫じゃねえだろうが!!」
ここで感情的になって叫んだところで事態は何も好転しない。そんなことは分かり切っている。それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
「待て!」
前を行く歩みに追いすがるように歩を進めようとしたところで振り返った八尋の口から俺には聞き取れない理解不能な言語が紡がれたのと同時に目の前が真っ白に染まり、俺は意識を失った。
・ ・ ・
窓のような隙間から漏れてくる柔らかい光と朝を告げる鳥たちの囀りに促されて俺は目を覚ます。
「っててて、呑み過ぎたか」
「うん。実に豪快なイビキに俺の睡眠は悉くじゃまされたよ。なので謝罪と賠償を要求する」
痛む頭に呟いた俺の傍で、からかう様に響く快活に声に目を向けると、そこには
「わりぃ。気をつけるわ」
そう答えると「よろしい」と笑顔で答え、次いで「おはよう、ドン。よく眠れた?」と声を掛けてくる。
「おう」
まだ若干痛む霞がかった頭をスッキリさせる為に外に出ようとしたところで「それでいい、お前が俺の罪に気を掛ける必要はない」と、そんな声が聴こえた気がした。今、何か言ったかと振り返ると「え? 何??」とキョトンとした様子で返される。その姿を見て聞こえたはずの声も、その意味さえも俺の中からはサッパリと消えうせ、もう何も思い出せなくなった。その時には、俺が何故振り返ったのかも分からなくなり「顔、洗いに行くんでしょ? 早くしたら?」という声に促されて、そうだな、と返し、俺は今度こそ外へ出た。
空は蒼く何処までも透き通るかのように青空が広がっている。何か、とても大切な何かを忘れてしまったような、そんな喪失感を持ちながら、この何年かで見慣れた魔獣たちの姿を見つけたことで
こんなはずでは・・・ と思う。。
何故、こんな展開にしてしまったのかと・・・。
ただ、主人公(八尋)自身は、既に過去の「記憶」から同じことを何度も言われてきた「経験」(そして誰も彼を救うことはできなかった)があるので、ドンの言葉に対しても何も思うことはありません。
ただ時代の節目は、彼にとって特別な意味を持つ(フラグ)ので普段なら気にせず笑って済ませることでも少々ナーバスに反応してしまったというだけでした。
ちなみに書き始めは、いつもの通り勢い余ってのことですが、書き始めてから強く意識したのはJC26巻のゴンとキルアのやりとりですね。。
そして、JC33巻にてジンが自分自身の発言について「先に口に出してしまって後から理屈を追いかけることの方が多い」と言っているシーンも掛けています。
お互いに言いたい事を言えたら楽になることもあるけど、言ってしまえば、それ以上に辛くなることも、きっとあります。。
今回ばかりは、ドンの持っている能力では解決の糸口すら見つけられないレア・ケースだったという不運も重なった結果という風に見ていただけたら助かります。あと呑み過ぎていたとか・・・(ぉ)