〈ユグドラシル〉で獣人としてプレイしていた男、プレイヤーネーム『ホヒンダ・オロゴン』は困惑の極みにあった。
十二年前に発売されDMMORPG<Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game>『ユグドラシル<Yggdrasil>。圧倒的なデータ量と緻密な世界観が売りのゲームである。
ホヒンダはそのゲームの中で獣人の派生であるゴリラ種、その中でもグランド・シルバーバックと呼ばれるゴリラの最上種であり、完全なネタ種族を極めた変人プレイヤーである。
「ゴリラ種のwikiは俺が半分埋めた」というが彼の自慢だ。
大ヒットしたこのゲームだが、それももう昔のこと。
こういったネットゲームは流行り廃りが速く、それでも〈ユグドラシル〉は長かった方だが、今日をもってサービスを終了する運びとなった。
ゲーム終了まで一時間を切った頃、ホヒンダは〈ユグドラシル〉全盛期でも一週間に一度人に会えば良い方という、〈ユグドラシル〉の最果てにあるジャングルにいた。
このジャングルはホヒンダの様に獣人のロールプレイをしていたプレイヤー達が良く集まっていたジャングルであり、ホヒンダにとっても思い出の場所だ。
獣人としてロールプレイをしていた者達は「獣は知性を持たぬ者」としていたので、ギルドを作らず、自由きままにジャングルを闊歩している者がほとんどだった。
そして遭遇した際には、魔法も武器も使わず己の肉体のみで戦う。それが獣人としての──いやゴリラとしてのホヒンダの矜持だった。
〈ユグドラシル〉には2000を超える職業と種族がある。どの職業や種族も最大レベルが15であり、プレイヤーレベルの上限が100である。つまりはどんなプレイヤーでも100レベルに上げるには、7つ以上の職業か種族を取らなければならないのである。
ホヒンダは所謂ガチプレイヤーではなく、ゴリラとしてのロールプレイを楽しんでいるプレイヤーだったので、職業も当然そっち関係のものばかりとっている。
ホヒンダはレベル100──つまりはカンストプレイヤーであるが、魔法の一つも覚えていない。こんなプレイヤーほかにいるだろうか、いやいはしない。
魔法が使えない代わりに、ペナルティーなしで木の枝にぶら下がったり、バナナの位置などを臭い──設定上臭いなだけで実際にはMAPに表示される──で感知することが出来る。
要はゴリラっぽいことは大体できるが、他は出来ないのだ。
「ウホッ。ウホホッ、ウホ……」
サービス終了まであと一時間というところ、ホヒンダは一人嘆いた。
ホヒンダはゴリラであるため、人の言葉を話せないので、何と言っているかは分からないが……
同じゴリラ種のプレイヤーがいれば、彼の言葉の意味を理解し、彼に同意したかもしれない。
尤も〈ユグドラシル〉全盛期でさえ、ホヒンダ以外のゴリラ種プレイヤーは二桁も居なかったが。
10……9……8……7……
カウントが進んでいく。
ホヒンダはコンソールを開き、バナナを取り出した。
何の変哲もないバナナ、体力がほんの少し回復するだけのゴミアイテムだ。
ホヒンダの持つ職業の力で少しだけバナナの効能が上がるが、それでも下級ポーションとどっこいくらいである。
しかしホヒンダはこのバナナを良く食していた。初めはロールプレイの一環だったが、今ではもう癖になりつつある。
もちろん味など感じないが、現実世界ではバナナの様な高級食品は食べることが出来ないので、せめてゲーム内でくらい好きなだけ食べたかった。
好きなだけバナナを貪り、本物のゴリラになったようだ、とホヒンダは少し嬉しく思った。
バナナを齧りながら、カウントを見つめる。
3……2……1……0……
……?
カウントが0を超えたのに、〈ユグドラシル〉が終わらない?
辺りを見渡してみると、先程までの鬱蒼としたジャングルではなく、爽やかな草原が広がっていた。
サーっと一陣の風が吹き、ホヒンダの頬を撫でた。風を感じるなど、あり得ないことだ。
何事かと思い、GMコールをしてみるも、何の反応もない。
魔法が使えたら《フライ/飛行》で飛んで辺りを見渡すなど出来たのだろうが……
ゴリラは空を飛ぶことが出来ない。つまりホヒンダも飛ぶことが出来ない。
困ったホヒンダは、全力で助けを呼ぶことにした。
「ウホーーーーーーー!」
自分でも驚く程の轟音が響く。
あまりの衝撃に、ホヒンダを中心に草原が揺れた。
恐らく自分の持つスキル《咆哮》が発動したのであろうが、これは叫び声で敵を威圧するという設定のスキルなだけで、当然ながら実際に使っても声は響かず、固定のSEが鳴るだけに過ぎない。
しかし実際に声を出せた。
これは一体……?
ホヒンダ・オロゴンは混乱の極みにあった。