【完結】*君がいるから*   作:ラジラルク

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episode,3 夢追い人

 

 

 

 

 声優の養成所へと通うことを決めてからは早かった。武内プロデューサーから養成所の話を聞いた数時間が経ち夜が明けた頃、私は一度ホテルに戻りチェックアウトを済ませると新大阪までの切符をビリビリに破り捨ててお母さんに電話をした。突然だが大阪へは戻らないと、東京に残ってもう少しだけ頑張るのだと。お母さんにそう伝えたのだ。

 

 

 

 

「何言ってるの!? 馬鹿なこと言わないで大阪に帰って就職しなさい!」

 

 

 

 

 電話越しのお母さんは怒っていた。今まで黙って私のアイドル活動を応援してくれていたお母さんだったが、私が声優を目指すことには大反対だった。昔、ほんの少しだけ芸能界に携わる仕事をしていたというお母さんはもしかしたら私以上に声優という世界がどれだけ過酷な世界なのかを知っていたのかもしれない。

 頑固なお母さんと、その頑固さをそのまんま引き継いだ私。そんな頑固な親子の二人はお互い譲らず電話越しに口論へと発展した。どれだけ私が本気なのかを伝えるために何度説得しようとしても私の声優への挑戦を認めてくれないお母さん。全く終わりが見えない親子喧嘩の火ぶたが切って落とされてから一時間が経過しようとした頃、こう着状態が続いていた親子喧嘩を終わらせたのは予想外の人物だったのだ。

 

 

 

 

「少しで良いので代わってもらえませんか」

 

 

 

 

 ずっと静かに隣で親子喧嘩を聞いていた武内プロデューサーが手を差し出すと私の返事を聞かずに耳元に当てていたスマートフォンを手に取る。私の思わず何も言えずに長時間の電話で熱くなっていたスマートフォンを武内プロデューサーへと渡してしまった。

 

 

 

 

「お願いします、もう少しだけ前川さんに時間をあげてください」

 

「シンデレラプロジェクトで輝けず、こうして最後まで移籍先が決まらなかったのは単にプロデューサーである私が実力不足だっただけです。前川さんは……、前川さんは間違いなくトップアイドルになれるポテンシャルを秘めています」

 

 

 

 

 聞いているこっちが恥ずかしくなるような言葉を躊躇いもなく何度も口にしては電話越しなのに何度も何度も頭を下げるようにして頼み込んでいる武内プロデューサー。そんな熱意にあそこまで頑なに反対していたお母さんも次第に折れ始めたのか、ほんの少しずつだが私が声優の養成所へ行く話が進み始めている。武内プロデューサーは私に見せてくれたパンフレットを片手に養成所の詳細や養成所を卒業した後にどのような職に就くことができるのか、それこそまさに養成所のセールスマンのように力説していた。武内プロデューサーの話を聞き、ようやくお母さんも納得してくれたようで私の養成所行きが現実味を増してきている。お母さんに必死に説明をしていた武内プロデューサーから衝撃の言葉を聞いたのはそんな長かった電話も最終盤に差し掛かろうとした頃だった。

 

 

 

 

「えぇ、はいそうです。でも養成所代はご安心ください。346プロダクションの名義で私が責任を持って全額一括でお支払い致します」

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 この言葉を聞き、私は思わず目を見開いた。武内プロデューサーが見せてくれたパンフレットの後ろの方に載っていた養成所の授業料。正直私が想像していた以上の額に私は驚いた。何に重点を置くか、週に何回授業を受けるか、などにもよるがどのコースもとてもじゃないが一般人が一括で簡単に支払えるような額じゃなかったのだ。それに加え、入学金も別途に支払わなければいけない。授業料と入学金を合わせた凄まじい額を頭に浮かべ、その資金を何処から調達するかが一番の問題だと私は頭を悩ませていたのだから。

 

 間もなくして武内プロデューサーがスマートフォンを耳元から離し、通話終了の画面を静かにタッチすると通話を終わらせた。そのまま私の元へと差し出されたスマートフォンの画面には二時間にも及ぶお母さんとの通話履歴が残っている。その証拠として、受け取ったスマートフォンの充電があと僅かで切れそうになるまで減っていた。

 

 

 

 

「Pちゃん、養成所代の話はホントなの?」

 

「はい。多少ではありますが346を辞める際に出た退職金もありますので。ご心配はありません」

 

「そ、そういうことじゃないよ!」

 

 

 

 

 私は何度も何度も髪を揺らしながら首を横へと振る。

 

 

 

 

「どうして? どうしてそこまでしてくれるの?」

 

「前川さんの進路が決まらなかったのはプロデューサーである私の責任ですから。これくらいの事をするのは当然ですよ」

 

 

 

 

 武内プロデューサーはそうは言ったものの、養成所代が「これくらい」じゃ済まされないほどの額なことくらい私でも分かっていた。

 初めて会った時からずっと私の事を信じてくれていた武内プロデューサー。デビューできるか不安でストライキを行ったり、何かあれば生意気に口ごたえをして全く武内プロデューサーを信用していなかった私のことを武内プロデューサーはずっと真摯に向き合ってくれていた。迷惑も怒られるようなことも沢山してきたのに、それにこうして私だけ進路が決まらなかったのは武内プロデューサーだけの責任じゃないのに。私はシンデレラプロジェクトが解散になってようやく気付くことのできた武内プロデューサーの優しさに、ただただ黙って泣くことしかできなかった。

 

 

 

 

「反対されていたお母様も前川さんの事を心配して反対されていたのだと思います。そんなお母様の為にも過酷な道になるとは思いますが声優としての挑戦、頑張ってください。私はもうプロデューサーではありませんが、前川さんの一人のファンとしてずっと応援しています」

 

「Pちゃん、本当にありがとう……。わたし……、私、頑張って有名になって、いつか絶対養成所代返すから……」

 

 

 

 

 武内プロデューサーはそんな私を見て何も言わず、ただただ暖かい眼で私を見つめていた。

 

 

 

 

 東京の肌寒い冬空が広がる朝、こうして私の声優として人生が始まった。だがこれから始まる生活がどれだけ過酷で辛いものなのかを、この時の私は知る由もなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――Episode.3 夢追い人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ミンミンウーサミン! ミンミンウーサミン!

 

 

 

 

 肌寒く薄暗い部屋の中。最近になってようやく聴き慣れてきた変な音楽によって目を覚ました。寒さのせいか、それとも変な音楽のせいか、私の身体に鳥肌が走り私は身体を丸くして毛布の中へと潜る。毛布の中に潜っても尚聞こえてくる変な音楽を私は寝起きのぼーっとした意識のままで暫く聞いていると、誰かの手によってその音楽は止められてしまった。

 

 

 

 

「メルヘーン、チェーンジっ!」

 

 

 

 

 部屋が静まり返ったのもつかの間、次は元気な女の子の声が薄暗い部屋に響き渡る。それと同時に、カチッ、カチッ、と二度ほど音が聞こえ一気に部屋が灯りに照らされた。

 

 

 

 

「みくちゃん、朝だよー! ほらっ、起きて起きて」

 

 

 

 

 ハイテンションな声の主に強引に毛布を剥ぎ取られ、私の眼を眩しいまでの電気の灯りが襲う。眩暈がしてしまいそうなほどの灯りから逃げるようにして私はうつぶせになると、毛布が奪われ一気に寒さを感じるようになったせいか思わずくしゃみをしてしまった。

 

 

 

 

「菜々ちゃん早いよ……。まだ六時前でしょ?」

 

「ウサミン星ではもう朝の八時なんですぅ!」

 

「なんだそりゃ……」

 

 

 

 

 イマイチ何を言っているのか意味が分からないが、私はゆっくりと身体を起こしながら枕元で充電をしていたスマートフォンに手を伸ばした。スマートフォンの画面に映っているデジタル時計は六時を表している。そのデジタル式の時計の下には私が寝ている間に届いたLINEと着信の通知が表示されていた。三通のLINEも一通の着信履歴も、全て李衣菜ちゃんからだ。私はそんなスマートフォンの画面を閉じると、大きな欠伸をした私の横でテキパキと動きながら布団を畳む菜々ちゃんを見た。

 

 私が菜々ちゃんの家にやってきたのは一週間ほど前の事だった。声優の養成所へと通うことになり東京に残ることになったのはいいが、東京には346のアイドルを寮を退寮した私に戻る場所がなくなってしまっていたのだ。お母さんを説得した後武内プロデューサーの車で養成所へと行き正式に手続きを済ませたその日は東京駅前のネットカフェで一晩過ごした。武内プロデューサーは最後まで自分の家で良ければ、と言ってくれたが、さすがにこれ以上迷惑をかけるのは忍びないと思い友達の家に泊まりに行くと嘘を付いて武内プロデューサーの家には行かなかった。

 だが私の口座には悲しいほどのお金しか残っておらず、ネットカフェで連泊する余裕もなくなっていた。このままじゃ声優として活躍する前に東京で凍死してしまう……。悩みに悩んだ結果、こうして私は菜々ちゃんに頼み込み、一緒に住ませてもらうことにしたのだ。

 

 

 

 

「全然良いですよ! 私も昔、お金がなくて家もなくて色んな人に迷惑かけてましたから!」

 

 

 

 

 あ、昔ってのは本当にちっちゃい頃の話ですよ? ウサミンは永遠の十七歳なんで。

 申し訳なさそうに大きなキャリーバックを持って菜々ちゃんの家へとやってきた私を菜々ちゃんはそう言って笑顔で出迎えてくれた。色々と苦労をしていたようでその度に沢山の人に助けられたから今度は私が誰かを助けたいのだと、菜々ちゃんは私にそう話してくれた。

 

 

 

 

「どうですか? ウサミン星での生活にはもう慣れましたか?」

 

「うん、朝の妙な音楽以外は慣れたよ」

 

 

 

 

 玄関の真横にある小さなキッチンで朝ごはんの支度をしている菜々ちゃんの小さな背中を見ながら、私はそう答えた。

 東京の外れにあるこのアパート。ウサミン星と呼ばれる家賃二万二千円のこのアパートは六畳ほどの畳の部屋があるだけの小さなワンルームだ。エアコンは壊れてて窓はキッチリと閉まらないから隙間風が容赦なくドンドンと入ってくる。ウサミン星に来て初めての夜はあまりの寒さに震えて眠ることができなかった。ちなみに菜々ちゃんはこのウサミン星に住み始めて五年ほどになるらしいが、未だに冬の寒さには慣れないらしい。

 

 菜々ちゃんは未だに346に残っていた。相変わらずメイド喫茶でのアルバイトと声優メインのアイドル活動の両立で慌ただしい毎日を送っているようだが、最近はメイド喫茶のアルバイトの日数が減り始めたのだと嬉しそうに話をしてくれた。それだけ声優やアイドルとしての仕事が増えてきているのだ。

 ウサミン星で一緒に生活することになって菜々ちゃんの生活を見た私は驚かされるばかりだった。毎朝必ず六時には起きるとすぐに朝食を済まし、出社予定より何時間も早い時間に346に行ってはずっとボイストレーニングや自分が出演しているアニメの台本の予習など、時間まで徹底的に自主トレをしているのだ。それから仕事をこなし週三回ほどはメイド喫茶でも働き、夜遅くにウサミン星へと帰ってくる――……。そして私の布団の隣で僅かな電気の下、台本の復習をしながら疲れ切って寝ている菜々ちゃんの姿を私はずっと見つめていた。

 菜々ちゃんは寝る間も惜しんで努力をしていた。一日の限られた時間の全てを努力の時間に費やしていた。そんな菜々ちゃんはこれから声優を目指そうとする私にとって誰よりも見本になる先輩だったのだ。

 

 

 

 

「わ、私は才能ないですから! だから誰よりも頑張って、ようやく一人前の仕事ができるんです」

 

 

 

 

 菜々ちゃんはそう言っていたものの、寝る間も惜しんで努力をする菜々ちゃんのひたむきな姿は本当にカッコ良かった。これが夢追い人なのだと、私は菜々ちゃんの夢へと向かう真っすぐな姿を見てそう思ったのだった。

 

 

 

 

 

「みくちゃん、バイトは決まりましたか?」

 

「うーん、まだかなぁ」

 

 

 

 

 布団の中へと再び戻った私は寝っ転がりながら枕元に置いたままになっていた昨日コンビニで貰って来たフリーペーパーの求人誌をゆっくりと眺めながらそう返した。とりあえず住む家は決まったもののアイドルを辞めた今の私は収入源がなく、なおかつ貯金も底をつきかけているのだから今すぐにでも仕事を探さないとこれから生活していけないほどに切羽詰まっていた。ここに住む以上ウサミン星の家賃もちゃんと払いたいと思っているし、何より武内プロデューサーが払ってくれた養成所代も少しでも早く貯めて返したいと思っている。それ以外にも来月から通う養成所までの交通費に食費、携帯代、毎年引き落とされていく年金代など生きていくだけで沢山のお金がかかってしまうのだ。

 

 

 

 

「でも来月までは346の給料も入るんじゃないですか?」

 

「そうなんだけどねぇ……。ほら、最後の一カ月は移籍先探しであんま仕事という仕事をしてなかったから期待はできないかぁ」

 

 

 

 

 最後になる346からの給料もあまり当てにはできないだろう。勿論、アルバイトが見つかったからと言ってすぐに給料が入ってくるわけではないが、それでもなるべくなら早く見つけるに越したことはない。

 でも今までアルバイト経験がない私はどのようなバイトが良いのかサッパリ分からなかった。自分の声優としての勉強を優先して空いた時間で出来るバイトとなるとかなり限られてしまう。菜々ちゃんに聞いても菜々ちゃんは「それなら私のメイド喫茶に来ますか?」としか言わない。どうやら菜々ちゃんのメイド喫茶はバイトが足りていないようで声優としての仕事が増え始めた菜々ちゃんも毎回休み希望を出すのが内心心苦しいらしく、毎回必死になって菜々ちゃんは私にメイド喫茶を勧めてくる。さすがにメイド喫茶で働く私は想像できないからやんわりと毎回お断りしているが、もしこのまま良いアルバイトが見つからなかったら菜々ちゃんのとこで働くことも考えないといけないのかもしれない。今の自分には仕事を選んでる余裕などないのだから――……。

 

 綺麗な寮、完璧な設備、お金のことなどあまり気にすることなく暮らしていた。ほんの最近まで送っていた346でのそんな生活が今の私には既に遠い過去のように感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 菜々ちゃんが仕事に行き、一人になった私はバイトを探すために街を歩くことにした。年末を目前に控えた東京の寒さはより一層厳しさを増し、ここ最近は毎日のようにどんよりとした雲が覆い尽している空からは今にも雪が降り始めそうな気配を醸し題してる。

 私が“それ”を見たのは、歩き疲れ休憩がてらに公園のベンチに座った昼下がりだった。偶然スマートフォンで開いたYahoo!のトップページ。Yahoo!のトップページのニュースの欄に見覚えのある名前を見つけたのだ。

 

 

 

 

“346退社の多田李衣菜、如月千早ら豪華歌手と合同名義でアニソンカバーアルバム発売へ”

 

 

 

 

 そう書かれたタイトルをクリックすると記事の一覧が出てくる。その最後尾にはアスタリスクとして活動していた頃の李衣菜ちゃんの写真が載っていた。マイクスタンドを握り締めてウインクを決める李衣菜ちゃんが中心のその写真の右端にはまるで消し忘れたかのように僅かに私の左手が映っていた。そんな写真を見てるとなんだか無性に自分がむなしく思えてくる。

 

 

 

 

「……李衣菜ちゃんは凄いなぁ」

 

 

 

 

 白い息と一緒に出てきたのはまるで他人事のようなセリフ。ほんの少し前まで一緒に肩を並べてステージに立っていたはずなのに、今はこうして私を一人残してドンドン新しい世界へと進もうとしている。その傍ら、私は進路が決まらず結果として声優の養成所に『声優候補生』として入学することになっていた。私が候補生として勉強をしている間に李衣菜ちゃんはもっともっと先に進むだろう。その差を私はいつか埋めることができるのだろうか。正直自信がなかった。自分が選んだ声優の養成所の道は、自分の思い描く夢へ遠回りをしている気がしてならなかったのだ。

 いつの間にか自分たちでも気付かないうちに二人に差が出来ていてしまった。私だって頑張っていたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。悔しい気持ちと空しい気持ちの二つが入り乱れる私の心。如月千早と言えば紅白にも何年も連続で出てるトップアイドルの一人だ。そんな一流と合同名義でのアルバム発売が決まった李衣菜ちゃんの『元』パートナーはお金に困って友人の家に居候をして、生きていくためにこの寒い中アルバイトを探している。その現実が、私を躊躇いもなく追い詰めていた。

 

 

 

 

 

『李衣菜と一緒だったあのネコ耳はどこ行ったんだ?』

 

『話聞かないしアイドル辞めたんだろ』

 

『顔もそこまで可愛くないし歌も微妙だったからな。あの子は厳しいだろうね』

 

 

 

 

 

 李衣菜ちゃんの記事に添えられ心無いたコメント。昔、武内プロデューサーがアイドルとして活動していく上で批判やアンチは付き物だと教えてくれた。そういう人たちの相手をするより自分の事を応援してくれる人たちだけの相手をすればいいのだと、そう言ってくれた。私もそう思うしアイドルとして活動する中、世界中の誰からも愛されて誰からも批判されない人はいないのは分かってる。そう分かってはいるが、実際にこういった類のコメントを見ると気分が滅入る。

 そして今、この状況なら尚更だ。

 

 

 

 

――東京に残ったのはもしかして間違えだったのかなぁ。

 

 

 

 

 せっかく武内プロデューサーに救ってもらって最後のチャンスを得ることができたのに、今の私はこれからもこの厳しい東京で生きていく自信がまるでなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、菜々ちゃん。ちょっと変な事聞いても良い?」

 

 

 

 

 その日の夜遅く、私の横で布団に入ったまま枕元の小さな電気スタンドの灯りの下で台本を読む菜々ちゃんに声を掛けた。

 

 

 

 

「どうしたんですか?」

 

「菜々ちゃんって、夢を諦めようと思ったことない?」

 

 

 

 

 私の言葉に菜々ちゃんは握っていた台本を置くと私の方へとゆっくり体の向きを変えた。相変わらず隙間風の音が鳴り響く部屋の中、菜々ちゃんはじっと私の方を見ている。

 

 

 

 

「ありますよ、何度も。何度も何度も諦めようって思いました……」

 

 

 

 

 暫くして返って来た返事は振り絞るようなか弱い声だった。

 

 

 

 

「今でも親から『いい加減帰ってきて花嫁修業でもしなさい』ってメール着ますし……」

 

「そうなんだ……」

 

 

 

 

 意外だった。菜々ちゃんはいつも前向きで自分の夢に向き合っていてストイックに努力を続けている姿しか見たことがなかったせいか、そういった事はあまり考えていないものだと思っていたのだ。

 でも今、私の隣にいるのは私の見たことのない表情の菜々ちゃんだった。何かに怯えるような不安げな表情――……、菜々ちゃんも私一緒だったのだ。

 

 

 

 

「いつまで夢を追いかけていられるのかなって、よく思うんです。もしこのまま追い続けても叶わなかったらどうしようって」

 

「菜々ちゃん……」

 

「でも……。でも、それでも前を向くしかないと思うんですよ。周りから何言われようと、笑われようと、自分が一番自分を信じないといけないと思いますから……」

 

 

 

 それから菜々ちゃんは少し昔の話をしてくれた。346に入社する前は地下アイドルとして活動していたけど全く有名になれなかったこと、それでも夢を諦めきれず自分で直接346に売り込んで半ば強引に346に入社したこと、346での初のステージではお客さんが二人しか来なかったこと、ミニライブの時にチケットが全く売れず自分で買ってバイト先や違う部署の友達たちに無料で配ったこと、声優の養成所に通いたくてもお金がなくて通えなかったから独学で勉強したこと――……。

 そんな私が知らない壮絶な話を菜々ちゃんは恥ずかしそうにしながらも沢山してくれた。上手く行かないことだらけでその度落ち込んで泣いたこと、そんな毎日を何年も何年も繰り返しながら過ごして、ココまで来たらしい。

 

 

 

 

「最近はスマートフォンが主流になってSNSもすごく流行ってるじゃないですか。 FacebookとかTwitterとか……。ああいうので昔の同級生が結婚したとか、家を建てたとか、そういう近況を見るとどうしても虚しくなっちゃうんですよね……」

 

 

 

 

 だから菜々ちゃんはスマートフォンを持たずに未だにガラケーを使っているらしい。そのガラケーの契約も通話とメールのみでインターネットが使えない設定にしているのだとか。

 その話を聞いて私は昼間のことを思い出した。ネットに書かれた私への心無い沢山のコメント。スマートフォンが主流になって情報の入手が簡単になった今の時代だが、入ってくる情報の全てが自分にとってプラスになるとは限らないのだ。莫大な情報の中には自分が知りたくないことだって沢山ある。そんな知りたくもない情報をいちいち知る度に落ち込むくらいなら最初から全て遮断すれば良いのだと、菜々ちゃんは考えているらしい。

 

 

 そんな話を聞いて私は自分の事を見つめ直していた。必死に夢へと向かってストイックに進んでいく菜々ちゃんに比べて私はどうだろうか。せっかく頑張ると覚悟を決めたはずのに、先に進む李衣菜ちゃんを見て私への心無いコメントを見て、挫けそうになってしまっていた。菜々ちゃんは私なんかよりずっと大変な想いをしてきたのに、こうして無理矢理にでも前だけを向いて自分の信じた道を突き進んでいる。そんな勇気やメンタルが、私にはあるのだろうか。

 

 

 

 

「みくちゃんが今辛くて苦しいのは分かります。李衣菜ちゃんに置いて行かれるかもしれないって不安になるのも分かります。でも、みくちゃんはみくちゃんのペースで歩いていけば良いと思うんですよ。周りばかり気にして自分を見失うのが一番ダメだと思うから……」

 

 

 

 

 菜々ちゃんは私の不安に気付いてた。声優になると決めたのにそれが本当に正しい選択だったのか今更になって迷っていることも、李衣菜ちゃんや他のシンデレラプロジェクトのメンバーたちを見て自分だけ置いて行かれてるのではないかといった不安も、菜々ちゃんは全部見抜いていたのだ。

 枕元に置いた私のスマートフォン。そのスマートフォンには昨日の夜に届いたものの既読すら付けずになったままの李衣菜ちゃんからのLINEが残っていた。346を出た時から一度も李衣菜ちゃんからの連絡に返事をしなかったのは、一度でも李衣菜ちゃんの声を聴くと今の私は全てから逃げ出してしまいそうだったからだ。アスタリスクとして活動していたあの頃の思い出の中に逃げてしまいそうな気がしたのだ。

 残念がら武内プロデューサーと李衣菜ちゃんがかけてくれた魔法は解けてしまい、私はもうシンデレラではなくなってしまった。十二時を過ぎてしまった今、私はシンデレラだった頃の思い出に浸るより、この苦しい現実と向き合わなければならないのだ。

 

 

 

 

 

――夢を追いかけ続けるのってこんなに大変なんだな。

 

 

 

 

 予想はしていたがそれ以上に過酷だった現実。正直、今にでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。それでもこれが自分が選んだ道なのだ。アイドルを辞めて大阪に戻ることを土壇場で辞めたのは私なのだ。

 私は菜々ちゃんのように強くなれるだろうか。どんなに辛いことがあっても菜々ちゃんのように笑顔で自分の夢を貫き通すことができるだろうか。

 

 

 

 

――いや、そうならなくちゃダメなんだ。

 

 

 

 

 李衣菜ちゃんに追いつくために、そしてキラキラした憧れる自分になるために、強がりでもなんでも自分を信じなければならないのだ。

 

 

 

 そんなことを教えてくれた私の隣でいつの間にか疲れ果てて台本を握ったまま眠っている夢追い人の姿を私は暫く見つめると、スマートフォンのトップ画面に何通もの通知がついたままになっていたLINEをアンインストールしたのだった。

 

 

 

 


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