李衣菜ちゃんと再会したあの日からあっという間に時間は流れて行った。復活ライブの前日には最終確認という名目で集まれる人たちだけで会場に集まり、李衣菜ちゃんはスケジュールの都合で参加できなかったが、アイドルに復帰した卯月ちゃん、千葉で女子アナとなった美波ちゃんとファッションモデルへと転向したアーニャちゃんのラブライカの二人、子供を抱えてやって来たかな子ちゃんと346の他の部署へと移籍したみりあちゃん、莉嘉ちゃん、今でも他社でソロシンガーとして活動を続けている蘭子ちゃん、そして仕事の愚痴をブツブツと呟きながらやってきた杏ちゃんの八人ものシンデレラプロジェクトのメンバーたちと再会することができた。
「卯月ちゃん! Pちゃんから聞いたよ、アイドルに復帰したんだってね!」
「はい、これもみくちゃんのお陰です! 本当にありがとうございます!」
久しぶりに見た卯月ちゃんはあの日私が会った卯月ちゃんとは別人のように良い表情をしていた。
――本当に良かった。やっと武内プロデューサーの手を握ることが出来たんだね。
シンデレラプロジェクトの皆が大好きだったあの頃の卯月ちゃんが帰ってきてくれたのだと思うと、思わず涙が零れそうになってしまう。
それと同時に、前日の今頃になって私はいよいよ復活ライブが始まるのだなと、李衣菜ちゃんと別れてからもあまり実感のなかった現実がようやく近付いてきた気がしたのだった。
「明日は頑張りましょうね。“Power of smile”で。武内プロデューサーに全員で恩返しをしなきゃ」
美波ちゃんの言葉を最後に私たちは別れた。
久しぶりに訪れた346プロを出た時にはもう外は暗くなっていた。たった半年前まではこの会社と女子寮を毎日のように往復していたのに、そのことが今は遠い昔のことのように感じられて思わず寂しくなってしまう。
もう一度だけ私の背後にそびえ立つ大きな346プロダクションを見上げると、私はシンデレラプロジェクトにいた頃の懐かしい想いを感じ、あの頃とは真逆の帰路に着いたのだった。
復活ライブまで、もう二十四時間を切っていた。
―――――Final Episode.1 今、再び走り出す夢とキセキ
「ら、蘭子ちゃんは相変わらずだね……」
「あれでも最近は少し恥ずかしくなってきてるらしいよ。本人が言ってたけど」
私と李衣菜ちゃんは肩を並べて舞台袖から蘭子ちゃんのステージを見ていた。
あの頃よりほんの少しだけ背が伸びて大人の表情になった蘭子ちゃんが、あの頃と変わらぬゴスロリ衣装を着て、あの頃と変わらぬ独特の言葉遣いで、会場を余すところなく埋め尽くしたお客さんたちを盛り上げている。そんな蘭子ちゃんの頬が少しだけ赤くなっているのはきっとステージ上の演出で使われているライトのせいだけではないと思う。
そんなことを考えながら呑気に蘭子ちゃんのステージを見ていた私だが、よくよく考えれば今お客さんたちを煽っている蘭子ちゃんのステージが終わったら次は私がステージに立つことになるのだ。シンデレラプロジェクトが解散してから一度たりともステージで歌うことなんかなかった私からすれば、本当に久しぶりのステージになる。それもこんな二万人収容のライブ会場を埋め尽くす超満員の人たちの前で歌うとなると、もしかしたら数年ぶりくらいになるのかもしれない。
そのはずなのに、何故か今の私は逆に不安になりそうなほどに、全く緊張していなかった。
「みく、緊張してないの?」
ほんの少しだけ、頬を硬くさせた李衣菜ちゃんが私に問いかけた。その視線の先では蘭子ちゃんがマイクを握り締めて自身のデビュー曲である『仇なす剣 光の旋律』を高らかに歌っている。
蘭子ちゃんは私たちも何度も聞いたこの曲の最後のサビを歌っている最中だった。
「そうだね、怖いくらい緊張してない」
「さすがだねみくは……。 あ、そうだ!」
李衣菜ちゃんは何かを思い出したかのようにし手を叩くと、ステージ上で歌う蘭子ちゃんに背を向けて走って行ってしまった。
何が何だか分からず、その場で取り残されてしまった私。呆気に取られてその場に立ち尽くしたままの私がふと我に返ると、蘭子ちゃんはいつの間にか歌い終わっていて会場から地響きがするような大歓声が沸き起こっていた。
「我が下僕たちよ……。ふふふ、闇に飲まれよ!」
若干開き直った感も感じられる蘭子ちゃんの決め台詞が飛び出し、会場はまた一段と熱が籠った大歓声に包まれた。そんな大観衆たちを少しだけ恥ずかしそうに見ていた蘭子ちゃんはゆっくりと私がいる舞台袖とは反対側の舞台袖に向かって歩き始めている。蘭子ちゃんが完全に舞台袖に隠れたら次はいよいよ私の番だ。
ジッと静かに蘭子ちゃんの姿を見守っていた私の横で、私と同じように舞台袖へと向かう蘭子ちゃんを静かに見つめていたディレクターと目が合った。眼鏡をかけたディレクターは私にそっと近づくと、ギリギリ私に聞こえるような小さな声でそっと呟く。
「神崎さんが完全に捌けたら一分後、予定通り前川さん行きます」
スタンバイ、お願いしますね。そう言い残すとディレクターは私に軽く会釈をして背中を向けると李衣菜ちゃんが走り去っていった方へと小走りに去って行ってしまった。
一人残された私は蘭子ちゃんが去ったステージを一人で眺める。この会場の独特の雰囲気、そして久しぶりに感じられる妙な緊張感――……、全ての感覚が懐かしかった。
やっぱりアイドルって良いなぁ、って思う。この背筋が伸びるような緊張感の中、自分の精一杯の力を出して歌を歌って沢山のお客さんに自分の気持ちを伝えて――……、私は二十年間生きてきた中でアイドル以上に楽しいことに出会ったことがなかった。そして、きっとこれからもアイドル以上に興奮するものに巡り合うことはできないのだろうと断言できる。
やっぱりアイドルとして立つステージは、私にとっていつまでも変わらない夢の舞台なのだ。緊張感など一ミリも私の中には存在しなかった。あるのは溢れんばかりの高揚感だけ。
「良かった、間に合った!」
背後から聞こえてきた李衣菜ちゃんの声に私は振り向いた。振り向いた先では李衣菜ちゃんが肩で息をしながら、両手を後ろで組んで何かを隠している。
「李衣菜ちゃん、どこ行ってたの?」
「みくに渡したいものがあって……。はい、これっ」
そう言って得意げに笑っている李衣菜ちゃんは両手を背中から離し私の方へと差し出す。背中に隠していて、李衣菜ちゃんが私に差し出した右手に握られていたのはピンク色の猫耳だった。
無意識に受け取った猫耳に私は見覚えがあった。シンデレラプロジェクトにいた頃、私は意地でも猫キャラに拘っていて、毎日欠かさず手に持っていた愛用の猫耳だったのだ。耳の部分の毛がほんの少しばかり乱れていて、その乱れた毛先が私があの頃に使い込んだ痕跡を表していた。
「これ、どうしたの……?」
「みくが346の寮に忘れてたから私が預かってたんだよ」
これはみくにとって大事なものでしょ? そう言うと李衣菜ちゃんは私の手からそっと猫耳を取ると、私の頭に優しく付けてくれた。
「やっぱりみくはこれじゃないとね」
「……李衣菜ちゃん」
李衣菜ちゃんは得意げにウインクをして右親指を立てて見せる。
そのタイミングで李衣菜ちゃんの後方からディレクターが小走りで戻ってくるのが見えた。小走りでこっちに向かってきながら、何度も何度も暗い中で眼を凝らして腕時計を確認している。
その様子から察した。そろそろ私のステージが始まるのだと。
「いってらっしゃい。私も後ですぐそっちに行くから」
「うんっ!」
李衣菜ちゃんと視線を交わす。李衣菜ちゃんの視線が何処か懐かしくて、アスタリスクとして李衣菜ちゃんと活動していた頃を思い出してしまった。
アスタリスクとして初舞台に立った時、ガチガチで緊張していた私たち。いよいよステージに立ってお客さんたちを盛り上げようと必死に『にゃー!』と掛け声をかけてもイマイチ反応が薄かった事があり、あまりの反応の薄さに思わず臆してしまいそうになった私を勇気づけてくれたのは隣に立つ李衣菜ちゃんだった。それまで散々「猫耳はロックじゃない」と言って頑なに猫耳を認めてくれなかった李衣菜ちゃんが、咄嗟に大声で『にゃー!』と言ってくれたのだ。
あの時、隣でどれだけ私が勇気づけられたか――……、デビューから四年半が経って解散してしまった今でも私は鮮明に覚えていた。
――李衣菜ちゃんがいたから、私はここまで来れたんだよ。
デビューのステージで何ともいえない空気になって思わず臆してしまいそうになった時、解散して別々の道を歩むことになった時、いつも挫けそうな私を支えてくれたのは李衣菜ちゃんだった。
どんなに辛いことがあっても『李衣菜ちゃんも頑張ってるんだから私も頑張らないと』と思える人が私のパートナーで本当に良かった。本当に私のユニットメンバーが李衣菜ちゃんで良かったと、私は今でも心の底からそう思える。あれだけ最初は疑問に感じていた李衣菜ちゃんとのアスタリスクも、今は二人でユニットを組んだことが間違いじゃなかったのだと。
「前川さん、お願いします!」
ディレクターの声を聞いて、私は憧れのステージへと走り出した。背中に李衣菜ちゃんの視線を感じながらも、一度も振り返らずに走ったのだった。
☆☆☆☆
ステージには物凄い熱気が漂っていた。それはトップバッターとしてステージに立ったラブライカの美波ちゃんとアーニャちゃん、そしてその二人の次に立った蘭子ちゃんが残してくれた会場のボルテージを最高潮に高めた熱気だった。その熱気を私は李衣菜ちゃんに、そしてまだまだ続くシンデレラプロジェクトの皆の為に繋がなくてはいけないのだ。
私がステージの中央へと辿り着こうとした頃、丁度私にスポットライトが当てられた。そのタイミングで観客席から湧き上がる大歓声。様々な色のペンライトが作り上げていたカラフルな海が、一気にピンク色に染まっていく。
そんな絶景を見て、私は思わず足を止め立ち尽くしてしまった。
「え~っと……、皆さん。お久しぶりです、前川みくです」
私が立ち止まった場所が全然ステージの真ん中ではなくて、私は慌てて再び足を動かした。そんな中途半端なことをしたせいか、考えていたセリフとは全然違う言葉が私の口から飛び出してしまう。
ピンク色の一色で埋められた観客席からはドッと笑い声が上がった。そしてその笑い声に紛れて、私の名前を呼んでくれる声も聞こえる。
ようやくステージの真ん中に辿り着いた私は、改めて立ち止まるとピンク色に染まる観客席をゆっくりと見渡してみる。それは圧巻の光景だった。ピンク色のペンライトを持った沢山のお客さんが私を観て必死にペンライトを振ってくれて、私の名前を呼んでくれている。
シンデレラプロジェクトが解散して私だけ公式の発表がないまま芸能界から姿を消して、でもみんなは私の事をちゃんと覚えてくれていたのだ。その事が嬉しくて嬉しくて、ピンクのペンライトの海を見ていた私の瞳が思わず潤んでしまった。
「皆さん、今日は来てくださって本当にありがとうございます!」
マイク越しに聞こえる私の声はまるで自分の声じゃないように聞こえた。深々と私が頭を下げると観客席からは一段とボリュームの上がった大歓声が聞こえてくる。
「まずはみんなに私が今、何をしているかを話さなきゃだよね」
ゆっくりと顔を上げて、何度も瞬きをして、しっかりとピンク色の海を見つめる。二万人の観客は私の言葉を待つように、静まり返っていた。
「私は……、今はアイドルではなく“声優”をしています。でも実はまだ声優の養成所に通っているだけでデビューはしてないんです」
一瞬だけ沸き上がった観客席が続く私の言葉を聞いて再び沈黙に包まれる。
「正直、結構悩みました。アイドルとして生き残れなくて自分には才能がないんじゃないかって思ったこともあったし、何回もオーディションに落ちてデビュー出来なくて、もしかしたら声優に私は向いてないんじゃないかって、ずっとそんなことを考えていました」
だから、今日この復活ライブに参加するのも初めは乗り気ではありませんでした。私の言葉に観客席は不気味なほどに沈黙していた。
でもこれが私の本音だった。独りで生きる事となったこの半年で私にはいつもそういった不安が付きまとっていたのだ。いつの間にか離れてしまった李衣菜ちゃんとの距離を感じる度に、オーディションに落ち続ける度に、何度も何度も私はそう思っていた。
「夢を追いかけるって、響きはすっごくカッコいいと思うけど現実は全然カッコよくなくて……。生活も苦しいし、自分が惨めに思う時だってあるし、『自分は何してるんだろう』って思うこともよくあったし……」
シンデレラプロジェクトにいた頃、私は“覚悟”が足りなかったのかもしれない。夢を追い続けるということがどれだけ過酷で辛い事か、私は全然分かっていなかった。分かっていたつもりでも、現実は私の想像以上に過酷だったのだ。
「私もいつの間に二十歳になって、夢だけ見て生きていけなくなって、叶う保証のない夢を追い続けることが勇気なのか、見切りをつけて現実的に生きることが勇気なのか、何度も何度も自問自答を繰り返していました……。だけど何度考えても答えは分かりませんでした」
それでも、そんな弱気な私を応援してくれる人たちが沢山いてくれた。何度も相談に乗ってくれては時には厳しいことも言ってくれた菜々ちゃん、私の姿を見て馬鹿にするのではなく純粋に応援してくれていた大阪の同級生たち、そして私の少し先を歩く李衣菜ちゃん――……。
そういった人たちに囲まれて、私の大好きな夢を応援してもらえて、私は幸せだった。そして私はようやく“覚悟”を決めることができたのだ。“ダメだったから”とか“才能がないから”とかじゃなくて、自分が納得できるまで夢を追い続けようと、そう思えるようになったのだ。
「歳を取るにつれ、分からないことって沢山出てくると思うんです。でも例え何がどうしたら良いのか分からなくなっても、最優先事項は“チャレンジ”することだと思うから――……」
そこまで言うと、私はマイクを両手で握り締めた。そして一度だけ目を瞑って深呼吸。目を開いた先に広がるのは私の次の言葉を待っているピンク色のペンライトの海――……。私は大きく目を見開いて、腹の奥底から声を張り上げた。
「だから――……、みくは自分を曲げないよ!!」
私の言葉に静まり返っていた観客席は一気に息を吹き返したように盛り上がった。湧き上がる大歓声、そして何度も何度も私の名前を呼んでくれる沢山の人たち。
やはりここは私の憧れの世界なのだ。やっぱり復活ライブに出て良かったと思う。こんな素晴らしい世界を体験したら、もう“諦める”だなんて選択肢が消え失せてしまうほど、私にとって魅力的な世界なのだから。
私はアイドルになりたい。昔も今もその夢に嘘偽りはなかった。あとは自分を信じるだけなのだ。世間の目に負けず、自分の夢を信じて叶うまで努力し続ければ――……。
――夢を叶える確率は必ず百パーセントになるのだから。
「それでは聞いてください! “ØωØver!!”」
今、ようやく再び走り出した私の夢とキセキ。
もう隣に李衣菜ちゃんはいなくて、二人三脚ではないのかもしれないけど、私は私で二人三脚では出せないスピードで走って行こうと思う。
二人三脚じゃ保てない私だけのスピードで、まだ見ぬ夢の世界へ――……。
――もう、ずっと振り返らずに前だけを見て進もう。
みく編はこれにて終了です。
次回は李衣菜編になります。