一週間が経ったが私のスマートフォンに電話が来ることはなかった。あのオーディションが本当に最後のオーディションで、私に残された唯一のラストチャンスだったのに、だ。
だけど不思議なことに後悔はなかった。全てを出し切って得た結果なのだから、この結果を受け入れて私は復活ライブのステージに立とうと思う。
そして、復活ライブが終わったら大阪へ帰ろう。声優はキッパリ諦めて、一般人として生きていくために。
シンデレラプロジェクトの復活ライブまで二週間をきり、今まで不透明だった私の未来がこの頃からうっすらとだが、確かに見え始めていた。
―――――Episode.13 あの頃の私へ
シンデレラプロジェクトの復活ライブまでもう十日になっていた。結局ラストチャンスだったオーディションが終わり、受けることの出来るオーディションは全てなくなってしまった今の私にはどうすることもできなかった。足掻こうにも足掻くことすらできず、あとは無常に過ぎていく時間を過ごし、シンデレラプロジェクトの復活ライブのステージに立つ日を待つことしかできないのだ。
怒涛のようにレッスンを受けてはオーディションを受けていたここ数週間とは比にならないくらい、今週の時間の流れは遅く感じられた。オーディションは終わってしまったが一応養成所には通い、通常通りレッスンを受けると夜は最近シフトが減っていたコンビニでバイトをして帰る。そんな数ヶ月前まで送っていた平凡な日常に、私は久しぶりに戻ったのだ。
「前川さん、ちょっと良い?」
復活ライブを十日後に控えた日の夜、バイトの休憩中に休憩室で廃棄の弁当を食べていた私は休憩室へと入って来た店長に声を掛けられた。
三十代でまだ若い男性の店長の右手には一枚のチラシが握られており、眼鏡の奥の目はそのチラシを見つめている。
「この『シンデレラプロジェクトの復活ライブ』ってやつ、前川さんも出るの?」
「え? ま、まぁ……。一応ですけど」
店長が手に持っていたのは数日前に店頭のレジ横に何枚も重なって置かれていたシンデレラプロジェクトの復活ライブの広告だった。私のバイトしているコンビニが偶然スポンサーの一社だったらしく、私がオーディションを受けまくってバイトを休んでいる間に、いつの間にかこのライブの告知のチラシが店頭並ぶようになっていたのだ。
私の言葉に驚いたように眼鏡の奥の目を見開くと、チラシから私へと視線を移す店長。その視線に私は思わず箸を置いてしまった。
「へぇ、前川さんって凄いんだね! 元アイドルとは聞いてたけど、こんなに凄かったとは思ってなかったよ」
「いや、全然ですよ。今はもうアイドルじゃないし声優としてデビューも決まってないし……」
キラキラした眼で私を見つめる店長。そんな店長に反比例するかのように思わず伏し目がちになってしまい声のトーンが落ちてしまう私。
いくら昔はシンデレラプロジェクトのメンバーだったとしても、今はアイドルでもなく声優でもなく、私はただのフリーターなのだ。そしてこのライブが終わった後は正式に引退して大阪に帰り、一般人として生きていこうと思っている。
だから、私は何も凄くなかった。所詮シンデレラプロジェクトにいたことは今になると過去の栄光に過ぎないのだから。本当に凄いのは、今でもそれぞれの場所で輝ている私以外のシンデレラプロジェクトのメンバーたちだ。
「……俺さ、前川さんみたいに夢に向かって頑張ってる人、好きだよ」
少しの間を置いて、私の隣の椅子へと腰を下ろした店長はボソリと独り事のように呟いた。思わず顔を上げた先には、いつもとは少し雰囲気の違う表情の店長が私をジッと見ている。
「俺もさ、昔前川さんと同じような夢があったんだ。それこそ前川さんが大阪から出てきたように、俺も夢見て田舎から上京してきた」
遠い過去を思い出すかのようにして、店長はゆっくりと話し始めた。昔を懐かしむような、だけど少しだけ恥ずかしそうな、そんな眼をした店長は私ではなく店内の防犯カメラの映像が映し出された小さなモニターへと視線を移し、頬杖をつく。
「こう見えても田舎ではそこそこ名の知れたバンドでさ、当時組んでいたバンドメンバーと高校卒業して東京に出てきたんだ。あん時はホントに馬鹿で世間知らずで、『東京に出れば俺らもメジャーデビュー出来るんだ!』て信じ込んでた。今思い出すだけでも恥ずかしくなるけど、あの時は本気でビッグになれるって思ってたんだ」
私は何も言わなかった。人の好さそうな表情でいつもニコニコしているこの人がバンドをしていたというのはちょっと意外だった。どちらかと言えばどのクラスにも数人はいるような目立たないけど地味でもない、というような微妙なポジションの人なんだと失礼ながら勝手に思っていたからだ。そんな目立たないけど地味ではない店長が薄暗いライブハウスで楽器を演奏しながら汗を流す姿はちょっと想像できない。
店長も私の反応は期待していなかったようで、相変わらず防犯カメラの映像が映ったモニターだけを頬杖を付きながらずっと見つめている。
「でもやっぱ現実は厳しくて、俺らより実力も才能も倍にあるような奴らが東京には沢山いてさ。上京して二年くらいで辞めちまったよ。バンドも解散して、俺もそのタイミングでバイトしてたここのコンビニの社員になって……」
「……後悔、しなかったんですか?」
私の言葉に店長はようやくモニターから私の方へとゆっくりと視線を向けた。店長は眉を八の字にして笑っていた。
「してるよ、今になって後悔してる。どうしてあの時もうひと踏ん張りしなかったんだろうかってね。頑張れたのに勝手に理由付けて『俺らには才能がなかった』って言い訳して挑戦すらしないで、まだやれるって思ってたのに結局逃げて……。まぁこの歳になってからそう思っても遅いんだけど」
今は今の生活を気に入っているよ、嫁も子供も可愛いしね。店長は溜息を一度だけつくと恥ずかしそうになりながら頭を掻き、苦笑いをしてそう言った。
そんな店長の姿が、最近になってうっすらと見えてきていた将来の自分の姿に重なって見えた。復活ライブが終わって大阪に帰って何処かに就職してあっという間に歳を重ねて、今の私のような夢を持った若い人を見て同じような話をする私だ。「昔はこう見えてアイドルやってたんだよー」だなんて言いつつ、アスタリスクとして李衣菜ちゃんと並んでステージに立っていた昔の私を思い出しながら。
それは私がずっと思い描いていた、アイドルとしてステージに立って大勢の前の人で歌を歌って元気を届けて――……、そんな憧れの私とはかけ離れた未来だった。
「夢見て東京に出てきたはずなのに、上京して二年後にはバンド解散してメンバーもバラバラになって――……、あっさり過ぎるよね。ドラムやってた奴は東京でアイドル部門を抱える大企業に就職してアイドルのプロデューサーになったって聞いたけど、他のメンバーはみんな音楽とは全く関係ない仕事に就いちゃったみたいだし。そのプロデューサーになった奴も今はどうしてるか分からないな、ドラムは上手かったし作詞とか凄いセンスあったけど愛想ないし強面だったし」
まぁ、そんな事はどうでも良いか。店長はそう言って笑い飛ばした。
「だから、前川さんみたいに必死に夢に向かって頑張ってる子見てると応援したくなっちゃうんだよ。俺がそうなれなかったからなのかもしれないけどさ」
俺みたいに最後まで頑張りきらないで後悔しないように、ダメだと思っても納得いくまで頑張りなよ。
店長はそう言い残すと椅子から腰を上げ、一度だけ私の方を見ると何も言わずに店内へと戻って行ってしまった。
そんな未来の私の姿に重なって見えた店長の後姿を私は見えなくなるまで静かに見つめていた。
――私は、私はこのまま諦めて後悔しないのだろうか。
このまま大阪に帰る選択をして、私はこの先長く続く人生を悔いなく生きることができるのだろう。
私は自分自身に自問自答してみたが答えは返って来なかった。私の目の前に置いたままになっている廃棄の弁当は、冷たくなってしまっていた。
☆☆☆☆
電車を降りた私はホームに足を付いた瞬間に一気に懐かしいような心地の良いような、何とも言えないノスタルジックな想いになってしまった。
雲一つない真っ青な空、そんな空に手を伸ばすかのように上に伸びた沢山の雑居ビルたち。東京とはまた違った独特の雰囲気を醸し出すこの街に帰ってくる度に、やはりここが自分の故郷なのだと感じてしまう。
私の横をすり抜けていく大勢の名も無き人たちは皆、夏の始まりを感じさせる暑さを気にもしないかのように軽快な足取りで楽しそうに笑い声を上げ過ぎ去っていく。地域柄のせいか、エネルギッシュな人が多いこの街の夏は東京よりも余計に熱く感じるのだ。
そしてそんな事を考える度に、私は思う。
――帰って来たんだなぁ、と。
最後に帰って来たのはいつだったっけ。確か去年の冬だった気がするから約一年ぶりになるのだろうか。
一年ぶりに帰って来た新大阪駅のホームに備え付けられた電光掲示板。その電光掲示板のデジタル時計の隣には今日の気温と日付が映し出されていた。
「あっついなぁ……」
思わず呟いて額の汗を一拭いする。
キッカケは菜々ちゃんだった。
一昨日の夜遅く、バイトから帰って来た私は突然菜々ちゃんから新幹線の切符を渡されたのだ。
「はいこれっ、オーディション頑張ったみくちゃんへのご褒美です!」
そう言われ菜々ちゃんから受け取った封筒に入っていたのは東京駅から新大阪駅までの新幹線の切符だった。そしてその切符の後ろには三日後の日程が書かれた新大阪駅から東京駅までの帰りの切符。
この切符が何を意味するのか、私はすぐに分かった。大阪に着いたその日の夜には私の中学校の同窓会が予定されていたのだ。恐らく菜々ちゃんはこの前お母さんから掛かって来た電話の話を聞いていたのだろう。そして私の不参加の意を聞いた上で、こうして「大阪に帰って同窓会に行ってこい」と無言のメッセージを込めた切符を買ってくれたのだ。
菜々ちゃんは私の心の奥底まで、全てを見透かしていた。アイドルになれたものの移籍先が決まらず表舞台から消えてしまって、声優として再起を誓うもなかなか芽が出なくて、そんな今の状態でかつての同級生たちに会うことを恐れている私を。
“『変わりたい』、『こうなりたい』って思ってても、そうやって逃げてるだけじゃ同じじゃないですか”
シンデレラプロジェクトの復活ライブへの参加を渋っていたあの日の夜、菜々ちゃんが言った言葉を思い出す。李衣菜ちゃんが如月千早と合同名義でカバーアルバムを出すと知った時、ようやく掴んだデビューのチャンスを潰してしまった時、そして自分に自信が持てずにシンデレラプロジェクトの復活ライブへの参加を渋っていた時、菜々ちゃんは何度も何度も挫けそうになってしまった私に“逃げるな”と言い続けてくれた。どれだけ夢を見て努力をしても、自分自身に向き合うことから逃げたらダメなのだと教えてくれた。
きっとこの新大阪までの切符もそう言った菜々ちゃんの想いが込められているのだろう。そしてちゃんと一緒に入っていた帰りの切符――……。もしかしたら菜々ちゃんは最後のオーディションに落ちて大阪に帰ろうとしていた私のことまで見抜いていたのかもしれない。
『必ず東京に帰ってきてほしい』、菜々ちゃんのそんな暖かい想いを、私はこの切符から感じていた。
幾つもの雑居ビルたちが手を伸ばす青空を見上げてみる。雲一つなくこの大空の主役として君臨している太陽は新大阪駅のホームから空を見上げる私を容赦なく照らしていた。
よしっ、と口にしてみる。太陽の暑さに負けないような瞳で私はもう一度だけ太陽を見ると、小さなキャリーバックを引いて歩き出した。
新大阪駅からバスに乗って数十分、小さなバス停で降りた私はタクシーを拾って久しぶりに実家へと帰った。一年ぶりの実家は変な感じがした。なんだか少しだけ家が小さくなったような気がするし、何より一年前と何も変わっていない私の部屋を見ると本当に一年の月日が流れたのか思わず疑いそうになってしまう。
「珍しいわね、みくが同窓会に参加するなんて」
私の部屋に置かれたままになっていた小さな写真立てを手に取って見ていた時、お母さんが独り事のようにそう呟いた。お母さんは結局成人式にも参加しなかったし電話越しでも同窓会には参加しないと言っていたのに帰ってきた私を物珍しそうな眼で見つめている。私は何も言わず、小さな写真立てに挟まれた幼い頃の私と昔家で飼っていた猫との写真を見つめていた。
――猫の気持ちがわかった子供の頃の気持ちを忘れないようにしたいから。
昔猫キャラでシンデレラプロジェクトのオーディションを受けた時に言っていた自分の台詞を思い出し、思わず笑ってしまう。確かにあの頃はこの写真に写っている猫の気持ちが分かったような気がしていた。周りの大人や友人は笑って信じてくれなかったが、あの時の私には確かにこの猫の気持ちが分かっていたのだ。
「『子供の頃の気持ちを忘れないように』、か……」
思わず言葉にしてしまう。
今の私は……、今の私はどうなんだろう。あの頃は純粋で前しか見えなくて、デビュー出来るのか不安になって346の喫茶でストライキを行ったり、全然理解できないロックなアイドルを目指す李衣菜ちゃんとぶつかっては我が儘を押し通して何度も喧嘩したり、本当に自分勝手でめちゃくちゃな事ばかりしていたと思う。だけど例え行動は間違っていたとしても、あの頃の私は自分の納得いくまで行動し続けていた。
そんな純粋だった頃の私に、今の私は胸を張って“頑張ってる”と言う事ができるのだろうか。
分からなかった。このまま夢が叶うと信じて進み続けるのが正解なのか、それとも見切りをつけて現実的に生きるのが正解なのか。
プロデューサーも李衣菜ちゃんも、シンデレラプロジェクトのみんなもいない今、この問いに答えてくれる人は誰もいない。自分で自分が納得する答えを見つけなければならないのだ。
私はそれから暫く、私のアイドルとして生きる原点を作ってくれた猫との写真を見つめ続けていた。
☆☆☆☆
それから暫く久しぶりに実家でゆっくりと過ごした後、私は再びバスに乗って新大阪駅までやってきた。
バスを降りて腕時計を確認する。少し早い時間に家を出たが丁度いいくらいにバスが遅延し、同窓会の時間まではもう五分も残ってなかった。実家に届いた同窓会の招待状に載っていた簡易地図を頼りに足を進めてみると、ものの数分で会場である居酒屋に着いてしまった。
居酒屋の入り口を前に、私はもう一度腕時計を確認してみた。時計の長い針はちょうど十二を指しており、時間ピッタリだと私に教えてくれている。もうみんな来ているのだろうか、中学校の卒業式を最後に一度も会っていない同級生たちのことを考えると居酒屋のドアノブに手を掛けた私に躊躇いが生まれてしまった。
――あの時のように馬鹿にされたらどうしよう。
胸の音が大きくなっていくのが伝わってくる。ペースを上げドクンドクンと音を鳴らす鼓動が私にこのドアを開ける勇気を奪っているのだ。
「……前川さん?」
突然背後から聞こえてきた私の名を呼ぶ声に、私は驚いたように肩を上げてしまった。恐る恐る振り返った先には、いかにも『今時の若者』と言えるようなオシャレな格好をした茶髪の女の子が私をジッと見つめている。
誰だが分からなかった。思えば中学校の卒業式からもう五年の月日が流れているわけで、その五年間で私たちは高校生になり、成人式に出て“大人”になった。人間の一生で一番人が変わる五年間と言っても過言ではないこの時期が空白で、未だに中学校の卒業式の日の思い出が最新のままになっていた私の記憶は最早何の意味も持っていなかったのだ。
「前川さんでしょ? 凄い久しぶりだねー、まさか今日来てくれるなんて思ってなかったよ!」
そう言ってコツコツとヒールの音を鳴らしながらやってきた女の子は私を抱きしめてくれた。何と言えば分からず思わずフリーズする私。そんな私をか細い白い腕で抱き締めてくれた女の子は暫くそのまま抱き締めると、突然パッと私を離した。
「あれ、もしかして私が誰か分からない?」
解放されフリーズが解けた私を見て女の子は笑っている。私もその笑顔につられ、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「藤井だよ! ほら、よく学校帰りに先生にバレないようカラオケ行ってたじゃん!」
「あ、え、えぇ!? 藤井モン!?」
あはは、その呼び名懐かしー。藤井はそう言うと手を叩いて爆笑した。
卒業してから一度も思い出すことがなかった思い出が一気に蘇ってくる。当時は学校側から禁止されていた寄り道を私たちはいつも先生に隠れてやっていた事、そう言えば修学旅行も一緒の班で北海道を回った気がする。
懐かしかった。当時の面影は見る影もなくなってしまっていたが、この藤井と話す感覚だけはあの中学校の頃のままだったのだ。
「でもまぁ、変わったねぇ。何処のキャバ嬢かと思ったよ」
「あはは、ホンマよく言われるわ! さ、早く入ろ。みんなもう来てるはずだよ」
藤井に手を引かれ私たちはずっと躊躇っていた居酒屋の中へと足を踏み入れた。すぐに私たち二人に気付いた店員は色んな人の笑い声やグラスがぶつかる音で溢れかえる店内を歩き、私たちは一番奥の障子で遮られた部屋へと案内してくれた。薄い障子の奥から、どこか聞き覚えのある声たちが賑やかに話に華を咲かせている。
私たちは靴を脱ぐと既に沢山の靴がギッシリと埋めている靴棚の空いてる僅かなスペースに少しぎゅうぎゅうにして押し込んだ。そして藤井は一度だけ私を見ると、何も言わずに障子を勢いよく開いた。
盛り上がっていた話し声が一気に止み、大きな机を囲んで座っていた二十人もの人たちが皆私たちを見つめていた。ライブで大勢の人の前に出て行く時とはまた違う緊張感が漂う。静まり返って暫くの沈黙、そして一番手前で私たち二人を見上げていていた眼鏡をかけた黒髪の男がゆっくりと私たちを見上げたまま立ち上がった。
「前川……、さん?」
恐る恐るように確認するかのように、私の名前を呟く。私は静まり返った部屋の空気に負け言葉が出せず、黙って頷くことしかできなかった。
「おー、前川! すげー、むっちゃ久しぶりやん!」
二カっと笑うと眼鏡の男は少しばかりオーバーリアクションでそう叫んだ。その様子に影響されてか、静まり返っていた部屋には息を吹き返したかのようにドッと歓声が沸き起こった。
「前川、前川じゃん! 懐かしいな、卒業式以来だろ!」
「うわー、みくちゃんめっちゃ綺麗になってるー!」
「来てくれたんだね、みくに会いたかったよー!」
二十人もの人たちが一斉に立ち上がり、私を囲むようにして出迎えてくれた。
予想外の皆の反応に私は思わず困惑してしまう。それは、私が想像していた同窓会とは全く異なる姿だった。
☆☆☆☆
皆、大人になっていた。そりゃそうか、高校生になって卒業して成人式も終えたのだから。
ようやく席に着き注文したカクテルが届いて乾杯をした後、私は二十人もの同級生たちが大きな机を囲む様子を眺め、静かに心の中で呟いた。
正直、もっと違う展開を私は予想していた。それこそあの中学校の頃のような、夢を語る私を皆が揃って笑って馬鹿にする展開を。
だが誰一人としてそんなことを言う人はいなかった。まるで皆あの時の事を覚えていないのかと思ってしまうほど、誰一人としてあの頃のように私を見て馬鹿にする人はいなかった。
それから私は同級生たちの近況を教えてもらった。高校を卒業すると同時に就職した人もいれば専門学校や短大に通っている人もいれば有名大学に通っている人、二十歳だが子供を産んで結婚している人、皆それぞれ当たり前だがバラバラの生活を送っていることを教えてくれた。
「勝木のやつさ、前川さんと大して仲良くなかったくせに高校の時、『シンデレラプロジェクトの前川って、俺と同じ中学校で同じクラスだったんだぜ』って自慢してんだよ」
「や、止めろよ! 恥ずかしいだろ」
「それで高校二年の時の冬休みにさ、コイツバイトで金貯めて一人で東京まで行ってシンデレラプロジェクトのライブ行ってきたんだよ。しかも前川のグッズばっか買って帰ってきて」
「おい、まじで止めろ! もうそれ以上言うな!」
勝木君と同じ高校に進んだ玉田君の暴露話に思わず笑ってしまった。勝木君は誤魔化すようにジョッキに入ったビールを勢いよく喉に流し込むと、顔を赤くして苦笑いしている。きっと顔が赤いのは酔っているせいだけではないはずだ。
「前川はスゲェよ。ホントにアイドルになっちゃうんだもんなぁ」
「そうよね。あのシンデレラプロジェクトのメンバーが私たちと同じクラスだったって信じられないわ」
半分ほどになったビールジョッキを握り締めたまま独り事のように勝木君が呟く。その勝木君の独り言に反応したのは学級員だった河野さんだ。
「みくちゃんは今何処でアイドルしてるの? シンデレラプロジェクト、解散しちゃったんだよね?」
「えっ?」
河野さんからさりげなく聞かれた問いに私は思わず言葉を詰まらせてしまった。
皆は私がまだ何処かでアイドルをしていると思っていたのだ。恐らくシンデレラプロジェクトが解散して何処か別の事務所に移籍して今は鳴かず飛ばずのアイドルにでもなっていると想像していたのだろう。
カクテルの入ったグラスを握る手が少しばかり強くなる。私は黙ったままで何も言えなかった。アイドルを辞めて声優を目指すことになって、だけどデビューできずに今はコンビバイトで生計を立てている現実を口にしてしまうと、私がここに来る前に想像していたような同窓会になってしまいそうな気がしたから。
ワクワクしたような眼で私の言葉を待っている皆。そんな皆を見て私の目は思わず泳いでしまう。なんとも言えない、妙な沈黙が部屋には流れていた。
「俺、前川が羨ましいよ」
沈黙を破ったのは私から少し離れた部屋の隅の席で胡坐をかいて座っていた工藤君だ。中学校の頃から物静かな男子だった工藤君は今でも私の記憶の中の姿通りで、同窓会に来ているメンバーの中で一番あの頃の面影を残したままの数少ない同級生だった。
今まであまり言葉を発さずに黙々と飲んでいた工藤君の突然の言葉に、私も含む部屋にいる殆どの人が工藤君の方に視線を向けていた。
「もうさ、俺らの歳なると夢中になれる事ってなくない? 夢も目標もなく普通に生活してさ。何かに情熱を持って生きる事がないんだよ。だから羨ましいよ、前川みたいに今でも夢持って頑張ってるやつって」
「確かに……」
「眼が違うんだよ。前川って、今でも眼がギラギラしてるもん。カッコいいよ、そうやってギラギラした眼で夢追っかけてるやつって」
そこまで言うと工藤君は皆の視線を気にもせず、ビールジョッキを握ると残り少なくなっていたビールを飲み干してジョッキを空にしてしまった。
もしかしたら工藤君は私の今の現状を薄々勘付いていたのかもしれない。今は“アイドル”ではなくフリーターとして細々と生きている私を。
私はもう大人になったと思っていた。そして大人になったら夢を見ていないで現実的に生きなければいけないのだとずっと思っていた。そういった考えが私の根本にあったからこそ、私はこの同窓会に出席するのが怖かったのかもしれない。
だけど、二十歳を超えてもまだ夢を追い続けている私を工藤君はカッコいいと言ってくれた。そして、そんな私が羨ましいとも。
素直に嬉しかった。こんな私の事をカッコいいと言ってくれる人がいてくれて。思わず泣いてしまいそうになるほど、工藤君の言葉は私の胸に響いた。
「……俺たち、ずっと前川さんに謝らないとって思ってたんだ」
再び訪れた沈黙を破った玉田君が伏し目がちにそう言った。
「中学校の頃さ、前川さんのこと馬鹿にして酷い事むっちゃ言ってたよな。今更かもしれないけど、ホント申し訳ないって思ってる」
「私たちね、みんなあの後アイドルとして頑張るみくちゃんを見て話してたの。本気で頑張ってたのに私たちは何てことを言ってたんだろうって」
「いくら前川が本気だったと知らなかったとしても、ホントに酷いこと言ってごめんな」
それぞれが口々に「ごめん」、「申し訳ない」などと言いながら頭を下げる。
みんなあの頃のことを忘れていなかったのだ。そしてその事を五年経った今でも水に流すことなく、こうしてちゃんと言葉にして私に謝った。もう昔の事だから忘れたよ、なんて言って何事もなかったかのように誤魔化すことも出来たはずなのに――……。
私の心の奥底でずっと曇らせていた地元大阪での思い出が、すーっと晴れていくような、そんな感じがした。
それから私は今の自分の姿を包み隠さず皆に話した。アイドルとしてではなく声優としてもう一度華を咲かせたいと思っていた事、だけどオーディションを受け続けても受かることなくシンデレラプロジェクトの復活ライブを最後に夢を諦めて大阪に帰ろうと思っていること――……。
皆はそんな私の話を何も言わずに黙って最後まで聞いてくれた。
「でもね、やっぱり私諦めたくなんだ。二十歳越えてまで夢を追いかけて、現実見ろって思われるかもしれないけど、やっぱり私諦めたくないから! だから、もうちょっとだけ頑張ってみようかなって思うの」
いつの間にか人前で夢を語るのが怖くなっていた。馬鹿にされたらどうしよう、笑われたらどうしよう、年々そう思うようになってくると昔のように人前で胸を張って夢を語ることができなくなってしまっていた。
そんな臆病な私だったが、私は今、久しぶりに胸を張って自分の夢を語ることができた。もう二度と戻れないと思っていた昔の夢に向かって真っすぐで夢を叶えることしか考えてなかったあの頃に、この時私は戻れたような気がした。
「うん、良いと思うよ。その方がみくちゃんらしいよ」
「そうだよ、そうだよ! 俺、前川がアイドル辞めちゃったら何を楽しみに生きて行けば良いんだよ! シンデレラプロジェクトの復活ライブのチケット、落選しちゃったけど絶対またライブ行くからさ、前川も頑張ってくれよ!」
「……前川さん、アイドル続ける限り勝木みたいなキモいファンもいるんだけど大丈夫?」
玉田君の言葉に小さな個室は爆笑の渦に包まれた。私も思わず笑ってしまった。静かに流れ落ちた涙を誰にも気づかれないように、私も皆と一緒に声を上げて笑った。
ねぇ李衣菜ちゃん。
私、結局声優としてデビューは出来そうにないままシンデレラプロジェクトの復活ライブのステージに立つことになりそうだけど、私は諦めないよ。どれだけの時間が掛かっても絶対何時か夢を叶えて李衣菜ちゃんの隣に立てるように頑張るから。だから、私が来るまで待っててよね。
私は静かに心の中でそう呟いた。私の心の中の李衣菜ちゃんは、何も言わずにそんな私を見て優しく笑っていた。
居酒屋を出たのはもう日付が変わった頃だった。日付が変わって今日は日曜日、シンデレラプロジェクトの復活ライブのは丁度一週間後の今日だ。
ふと空を見上げると都会の大阪の街では見たことないほどの幾千の星々が輝ていた。それは、まるで私の心の中でずっとこの街への思い出を曇らせていた雲が完全に消え去った私の心のように、何処までも広がる星空だった。
☆☆☆☆
次の日の夕暮れ時、私は東京へと帰って来た。昨日新大阪に向かうためにここに訪れた時とはまるで別人のように、私の心にずっと残っていたしこりは完全に消え去ってしまっていた。
シンデレラプロジェクトの復活ライブまでもう一週間。結局声優としてのデビューは決まらなかったが、それでも私にもう恐れや躊躇いはなかった。
――夢が叶うまで頑張れば夢を叶える確率は百パーセントなんだから。
もう何か理由を付けて逃げようとするのではく、笑われても馬鹿にされても人前で夢を語ろうと思う。例え笑われて馬鹿にされたとしても、本気で頑張っていれば大事な人たちには伝わるのだと気付いたのだから。
時間にすれば二日間も大阪には滞在しなかったわけだが、この短い時間で私は失いかけていた私のアイドルとしての基盤を取り返せたような気がする。
この私を見失わなければ大丈夫。どれだけの時間がかかっても絶対夢を叶えることができる。
今の私にはいつの間にか消え去ってしまっていた“根拠のない自信”が確かに蘇っていたのだった。
「みくっ!」
その時突然背後から聞こえてきた私を呼ぶ声。
聞き覚えのある懐かしいその声に、私はすぐに振り向いた。