伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚   作:OTZ

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第三十話 時には昔の話をしようの続きです。
未読の方は先に読んでおくことをお勧めします。


過去編 玉虫色の一族(前編)

 話は今から50年以上遡る。

 卒業記念で貰ったポケモンを片手に修行をし、タマムシシティジムを破ったオーキド、ヤナギ、カツラの三人はジムを制覇する為にカントー、そしてジョウトを渡り歩く。

 そして、二人は制覇したことを一番最初に戦ったリーダーであるカルミアへ報告するためにタマムシシティにいた。カツラも破ってはいたが、私事で忙しいという理由で断られた。

 

 

―1957年 2月10日 午後2時 タマムシシティ―

 

 タマムシシティで二人が別れてから三年近くが経過した。

 オーキドは研究の資料とするために数多くのポケモンを捕獲して観察を行い、研究者としての経験を積み、バトルに勤しんで動態に関する調査も行った。しかし、彼は万能であった為についでであるはずのバトルでもかなりの実力を誇っていた。(ジムはカントージョウト+α程度)

 一方のヤナギはポケモンバトルに重きを置き、強いポケモンを求めて内国中を渡り歩き、既存のジムを全て撃破した唯一のトレーナーであった。(現在非公認となっている地方のジムも突破しているため唯一なのだ)

 今現在ヤナギの主力となっている氷ポケモンはこの時期に捕まえたものであるが、その他のタイプも数多く取り揃え、内国中で彼に勝てるトレーナーは居ないのではないかとトレーナー界隈では囁かれている。栴檀は双葉より芳しの言葉通りヤナギは頭角を現しつつあったのだ。

 カルミアはオーキドから連絡を受けて男子禁制のジムではなく喫茶店で受ける事としたのだった。

 この当時、オーキドとヤナギ、カルミア三者共に24歳であった。

 

―同時刻 タマムシシティ 噴水前―

 

「おーいヤナギ! こっちだ!」

 

 オーキドは爪先立ちして手を大きく振りながら自分のいる場所をヤナギに示した。

 さすがに休日であるだけに人通りが多い。ヤナギは群衆をかきわけてオーキドのもとへと向かった。

 

「ふう……。全く久々にタマムシに来たと思ったら相変わらずの賑わいだもの。参っちゃうよ……」

 

 ヤナギはため息をつきながら言う。

 

「まぁそういうな。これもタマムシの風物詩だ。なかなかここまでの賑わいを見ることは出来ないぞ」

 

 オーキドはタバコをふかしながら言う。1950年代。それは東京、もといヤマブキおよびタマムシへの集中がはじまった頃である。特にタマムシは住宅地としての需要が高くよりその傾向は顕著であった。

 

「まぁそれもそうだけどさ……。さてと久しぶりだね。オーキド君」

 

 ヤナギは一礼して言う。

 

「かれこれチョウジ以来だったか……。ヤナギは相変わらずのようで何よりだ」

 

 彼らは旅している最中、ヤナギの故郷であるチョウジにてばったりと会いそのついでにバトルをしていたのだ。オーキドは言い終わると吸殻入れにタバコを投げ入れ、もう一本の煙草に火をつけた。

 

「そっちもね。さてとこれからどうする?」

「一つ寄りたい所があるんだ」

 

 オーキドは煙を吐きながら言う。

 

「ん? どこ?」

「喫茶店だ」

「喫茶店……? どうしてまた」

 

 ヤナギは神妙な顔して尋ねる。

 

「嫌か?」

「嫌っていうか……君普段行くところと言ったら映画館とかシガーバーとかジャズバーとかそういうとこじゃん。急に趣向を変えたら誰でも気になるよ」

 

 当時のオーキドはタマムシ大で二番目か三番目程度に忙しいといわれる携帯獣研究課程に入っていたためそのストレスを紛らわすためかテスト終わりに有り余る仕送りの金をそういったところで発散していた。ちなみに喫煙をはじめたのもその為である。

 オーキドはとても気前が良かったため十人程度連れ添っては全部支払うという事を何度も繰り返していた。だから苦学生であるヤナギもおこぼれに預かれたわけだが。

 

「ふ……ま、それもそうだな。実はな。カルミアさんと待ち合わせているんだ」

 

 オーキドは決然とした表情で言った。

 

「カ、カルミアさんってあの?」

 

 ヤナギは初めて挑んだ時のことを思い出しながら言う。少し瞳孔が開いていた。

 

「そうだ。せっかく戻ってきたんだし報告の一つでもしようと思ってな……」

「そうなんだ……。でもいいの? 僕が行って」

「いいんだよ。今日会うことは分かってたし、ヤナギも来ることは伝えてあるから」

「なるほど。そういう事か……。分かった。僕も行くよ。久しぶりに会ってみたいし……」

「うむ。じゃあ行くか」

 

 オーキドは二本目の煙草を投げ入れて前に歩み出る。

 

「ねえ、オーキド君」

 

 オーキドはヤナギの方に振り返る。

 

「どうしてそんなに緊張してるの?」

「は……はぁ? 何言ってんだおめ」

 

 オーキドはやや動揺したふうに返す。

 

「だってなんかしゃべり方がいつもと違ってなんか堅い気がするしさぁ……。それに君、普段はもっとタバコ長くのにやたら短いもの」

「うるせえな。そんなのお前の主観だろ。俺は緊張なんかしてねぇ! 行くぞ」

 

 そう言いながらオーキドは足を鳴らしながら喫茶店の方向へ向かう。あまりの威迫によける群衆の表情もやや怯えているように見える。

 ヤナギはため息をつきながら

 

「はぁ……ほんと。相変わらずだ」

 

 と言いながらゆっくり後に続いた。しかしその表情はかわらぬ友人を見てどこか安堵した表情であった。

 

―午後2時30分 喫茶店―

 

 10分ほど歩いたところに喫茶店はあった。

 個人経営の店なのかこじんまりとしていたが、アンティークな机や椅子、カウンターなどが置かれており、店主が老齢なせいか明治や大正の気風もうかがわせるノスタルジックな雰囲気の店である。

 オーキドは窓側の席をとる。

 

「まだ来てないみたいだね」

「約束は15時と決めているからな……。ま、早いに越したことはないだろ。じゃあ俺はちょっとトイレに。注文来たらエスプレッソのホットで頼む」

 

 そういってオーキドはそそくさにトイレへと向かった。迷わず行ったところを見るとどうやら何度か来たことはあるみたいだ。

 ヤナギはエスプレッソとホットティーを頼んだのち、落ち着かない様子で周囲を見ている。

 オーキドはトイレといったきり戻ってこない。あまりに暇なのでそっとヤナギが覗いてみるとかなり入念にうがいと歯磨きをしていた。そんなに気にするなら最初から喫まなきゃいいのにと内心思いながら席に戻った。

 そうこうしているうちにカルミアが和装姿でやってきた。

 約三年ぶりとはいってもやはり彼女は美しい。彼女に見とれているとカルミアの方から話しかけてきた。

 

「あら……。もしかして、ヤナギさん……ですか?」

「は、はい。そうです」

 

 ヤナギは思わず立って言う。

 

「あらやっぱり! 大分以前お見かけした時より精悍になられましたわね」

 

 彼女はにこやかに言った。

 

「い、いやあ。そんなことないですって」

「三年近く経っていろいろなことを経験されたのですね……。よろしい限りですわ。ところで……オーキドさんは?」

 

 彼女が言ったところでオーキドはあわてたようにやってきた。

 

「やーやーカルミアさん! お久しぶりですね!」

 

 オーキドの口からは爽やかな香りがした。タバコのにおいなど一切消え去っている。

 

「ど……どうも。こちらこそお久しゅうございますわ。オーキドさん」

 

 オーキドの勢いにやや気圧されたふうにカルミアは返した。

 三人は席につく。

 

―午後3時頃 喫茶店―

 

 世間話もそこそこにオーキドが本題を切り出す。

 

「今日こうしてカルミアさんに時間を割いてここにお呼びしたのはですね……」

「お二人とも、カントーとジョウトの全てのジムを突破したそうですわね」

 

 彼女は食って話すかのように言う。

 

「え!? どうしてそれを……」

 

 二人が二地方のジムを制覇したのはつい数日ほど前の話である。(ヤナギは道なりにジムを破っていった為地方ごとではなく、いびつなルートをたどっていた)

 ヤナギもオーキドも今日タマムシに着いたのだ。

 現代ほど通信が発達していたわけではない(無線はあったが基本は電話か郵便)為どうして彼女が知っているのか彼らには不思議でたまらなかった。

 

「これでもジムリーダー間の連絡は綿密に取られていましてね……。特に貴方がたのように目立つ功績をあげていましたら嫌でも情報は伝わってくるのです」

 

 二人は目を丸くした。

 確かにジムは街の顔であり、町民たちの社交場としての一面もあった為他の街の話がそれなりに伝わってくることは二人でもわかっていた。しかし、ここまで綿密なネットワークが形成されているとは夢にも思わなかった。(しかし、このネットワークがリーグ設立への大きな原動力となった。十年ほど後にヤナギはこのネットワークを発展、昇華させた形でリーグを作り上げたのだ)

 

「ま……まさかそんなに早く伝わっているとは夢にも思いませんでした……」

 

 何よりも驚いていたのはヤナギだった。そしてこのことは深く彼の脳に刻まれた。

 

「あら。左様ですか……。なにはともあれ、ジム制覇本当におめでとうございます。中々できることではありませんわ。きっとこの事は永くトレーナーの記録に残るでしょう」

 

 カルミアは恭しく頭を垂れながら言う。

 

「いやぁ……どうも」

 

 オーキドはにやにやとだらしない顔をしながら答える。

 

「さて……もしかして用件というのはそれだけですか?」

 

 彼女はやや冷たい表情で言う。分かり切っていることだけを伝えて終わりでは彼女もあまり来た甲斐がないのだろうか。

 

「え、えーっと」

 

 ヤナギが何か適当な用件を思い付こうとしたが、それよりも先にオーキドが切り出す。

 

「いえ、あります!!」

 

 オーキドは喫茶店全体に響くような大きな声で言う。

 

「お……おい。急にどうしたんだよ」

 

 ヤナギは冷や汗をかきながら耳打ちする。しかしオーキド当人はカルミアの方しか見ていない。

 

「いえ、別にそれだけならそれだけでも本当に構わなかったのですが……。なかなかジムを制覇した方というのはお目にかかれませんし」

 

 彼女は本心から言っている様子だ。

 

「いいえ! それでも俺には用があるんです」

「そ……そうですか。ではどうぞ」

 

 カルミアはオーキドに気圧された様子であった。

 

「俺、初めてジムで出会った時からカルミアさんのことずっと好きです! 結婚を前提にお付き合いしてください!」

 

 オーキドはどこから持ってきたのか花束を用意し、起立して手を差し出した。

 喫茶店。しかも客がそれなりにいる白昼堂々の告白である。

 一瞬の静寂と共に客の注目はカルミアたちのテーブルにむけられる。 

 

「あぁ……なんとなく、初めてお会いした時からそんな予感はしていましたわ」

 

 彼女も最初は驚いていた様子だったが、やはり告白され慣れているのだろうかすぐに平静を取り戻した。

 

「おい……オーキド……君。本気なのかい?」

 

 ヤナギは少なからず動揺している。

 元々豪放で大胆な所がある人だとは思っていたがここまでの勇気があるとは夢にも思っていなかったのだ。

 そして、ヤナギ自身淡いながらもカルミアに対する恋情はある。先を越されて悔しい気持ちも大いにあった。

 

「そうさ……。ヤナギ、お前を呼んだのは俺の告白、そして成就を親友であるお前に見届けてほしくて……そして」

 

 オーキドは婚姻届と思しき用紙を机上に出す。

 

「この婚姻の証人欄の一つにお前の名前を書いてほしくて……呼んだんだ」

 

 証人の欄は二つあり、これは法律上成人であれば誰でも良い事になっているが、新郎新婦の親友や恩師、両親などの名前を書くことが慣習となっている。

 普段だったら、というよりヤナギにとって恋愛感情のない女性に対してだったら非常識だとか考えすぎだとかの罵倒の一つや二つを言えただろう。

 しかし、今回の相手はカルミアである。あらゆる懸念よりもオーキドがそこまで真剣にカルミアの事を想っている事が信じられなかったのだ。ヤナギは何も言えなかった。

 そして、これまで築き上げてきた友情が音を立てて崩れ去るような。そんな予感が身を過った。

 当のカルミアは暫し考えた後

 

「少し……考えさせてください」

 

 と言ってすぐさま店を出ていく。

 ヤナギはこうしてはいられない。これを逃したら二度とカルミアへ思いを告げる機会はなくなってしまうかもしれない。という一心で喫茶店から出たカルミアを追いかけた。

 

「そうですか……って、おいヤナギ! 待てよ!」

 

 オーキドもすぐさま追いかけようとしたが店主に首根っこ掴まれる。

 

「オーキドさぁん。彼女さん追いかけたい気持ちは分かりますがね。お代払ってくださいよ」

 

 オーキドはこれまでに何度も来ており店主とはそれなりの仲であった。

 

「え、ああ、分かったよ……いくらだ?」

「680(現在の価値にして約3060円)円です」

 

 いつの間にかレジにいた従業員がそう答える。

 

「はぁ……相変わらずぼってんなあ……ほらよ」

 

 と言いながら丁度の代金を財布から出して追いかけようとする。

 が、またも店主に首根っこをつかまれる。

 

「あぁもうなんだよ! 金は払っただろが!」

「なぁに言ってるんです。これまでのツケもこの際払ってもらいますよ! しめて5500円!」

「そんな持ってないっての! ほら財布見てよ! まだ帰ってきたばかりで銀行にも行ってないんだ!」

 

 オーキドは黒革の長財布の中身を見せた。500円札が8枚と当時発行されたばかりの100円玉が2枚あとは雑多な小銭ばかりであった。

 

「あぁそう。じゃ、あと残り1000円分ここで働いてきなさい」

「嫌だっ! 今すぐ銀行行くから離し」

「今日、銀行は日曜日でお休みよん。それとも貴方この事を大学に告げ口してもいいの? おたくの学生さんがうちで無銭飲食はたらいて挙句踏み倒しかけましたって……。嫌ならほら、来い」

 

 店主は年齢には到底につかわしくない甘い声を出した。

 

「ぎゃあああああああ!!」

 

 オーキドの断末魔と言うべき悲鳴は店中にこだました。これはオーキド一生モノのトラウマとなった。

 この年代のアルバイトの時給はせいぜい2、300円くらいなので1000円とはいってもかなりのものである。

 

―午後4時 噴水前―

 

 ヤナギは彼女を追いかけ、ようやく噴水前で止まったので話しかけた。

 この時間帯になると少しだけ人ごみは落ち着き、それなりにスペースが確保されている。

 

「あら、ヤナギさんではありませんか。どうされました?」

 

 ヤナギは考えをまとめ、言葉を返す。

 

「カルミアさん……僕からも言う事があるんです」

 

 オーキドに負けてなるものかという奮起で、ヤナギは一気呵成に告白を行う。

 

「僕も……カルミアさんの事、好きなんです! 僕はオーキド君みたいにそんなに頭良くないし、物理専攻だから貴方ほど教養や植物に明るい訳でもない……。でも、今まで女の人にあってきて貴女ほど清楚で美しい人にあった事はない……。生まれて初めて男として大事に護っていきたいと……」

 

 そこまで言うとカルミアはヤナギの口前に人差し指を立ててみせる。

 

「ここでは人目につきます……。もう少し静かなところでお返事を聞かせてさしあげますわ」

「え? でもオーキドには」

「良いのです。さぁ」

 

 そういって彼女は南東にある森の近くまで移動した。近くには彼女のジムがある。

 

―午後4時15分―

 

「ふぅ……ここまで来ればいいでしょう。ここは本当に落ち着きますわ」

「そうですね……」

 

 木々は基本的に葉を落としているが、針葉樹は葉っぱをつけている。耳を澄ませば冬眠している生物の声が聞こえてきそうな気もする。

 

「ヤナギさん……。貴方は私にとってそういう存在です」

「え?」

 

 ヤナギは当惑する。

 

「ジムリーダーの職も決して楽ではないのです、特に私のジムは先代から受け継いだ木々を守るという使命がありますしね」

「そうですよね……」

「私は長らく、伴侶とするならばそういう忙しなく激動の毎日を共に乗り越えていけるような……そういう方を求めていました」

「それが、僕……ということですか?」

 

 ヤナギは余程信じられないのか、ずっと目が点になっている。

 

「はい。ヤナギさんは普段は沈着でいらしているのに、此度のようなしっかりと思いや考えを伝えなければいけない場面では熱も交えながら語れる。そういう切り替えがしっかりとできる人というのはなかなかいるものではありません」

「そ……そうですか」

「殊に……タマムシ大学を出た人となると」

「え?」

「別に全員というわけではないのですけれど、タマムシ大学を出た方というのはエリート意識が凄まじく、常に強気に出られる方が多くみられるのです。人というものは悲しくも権威に弱く、この国においてタマムシ大卒というのはその大学を出てない人に向けては莫大な効力を発揮します。それに驕ってしまう人のなんと多い事か……」

 

 カルミアはそう嘆く。

 

「残念ながらオーキドさんはその典型です。まぁそれ以前の問題にあのお方は非常識な部分が目立ちますし、人前、特に非喫煙者と会う時にタバコを(のむ)だなんて問題外ですわ」

「あれ……気づいてたんですか」

「ああいうふうにやたらと消臭剤の香りを漂わせるのは却ってボロをだしているようなものです」

「な、なるほど……」

 

 それからは少しの間沈黙が続いた。

 太陽は西へ沈もうとしており、夕焼けの情景が二人を包んでいた。高層建築がまだあまり行われてない時代であり、自然の美しい表情は容易に見ることが出来たのだ。

 雰囲気は自然とロマンチックになっていった。

 

「綺麗な色ですね……」

「ええ、私はジムの近くから毎日のように見れるこの光景がたまらなく好きなのです」

「へぇ……それはどうしてです?」

 

 ヤナギ自身綺麗だと言ったにも拘らずそう言ったのは視界を遮る森林が夕焼けをやや邪魔しているように見えたからである。

 

「私は幼い頃より何度となくこの情景を見ています」

「それはそうでしょうね……」

「その頃からもここの情景は好きでしたが……、先の大戦でタマムシとヤマブキが焼け野原になったことを覚えておいでですか?」

 

 忘れるはずもない。ヤナギの生まれ故郷であるチョウジタウンも空襲に晒されたが、首都の惨状に比べればまだマシなほうであった。(ちなみにヤナギもオーキドも大戦当時は8~12歳だった為兵役は免れている)

 ヤナギはこくりと頷く。

 

「あの空襲でジムは完全に破壊され……、明治の創設以来大事に育て、管理をしていた植物群は燃え尽き、リーダーであった御祖母様まで植物を守りながら亡くなられました。その後、終戦の詔勅(玉音放送)を聞き私含め多くの人々が悲しみに暮れる中、夕方にこの夕焼けを見たのです。そしてジムを継いだ母は、『国は敗れても、私たちは負けてはなりません。この美しい情景に負けない新しいジムを、自然を作り上げるのです』と仰せになりました。私もそれを聞いて母の手伝いをし、ジムを継ぎどうにかここまで乗り切れた……。この情景はそれを見守りつづけてくれた自然の深い慈愛を示しているように思えるのです」

 

 当時、強力なポケモンを持っていたジムリーダーやジムトレーナーたちは徴兵を免れる代わりに国策でジムの街から離れることが許されなかった。1944年7月にサイパン島が陥落し、絶対国防圏が崩壊。いよいよ追い詰められていた軍部は禁忌とされているポケモンの軍事利用を本土防衛として実行する為に行おうとしていた。その為、カルミア一族も疎開が許されず終戦までタマムシシティ近辺に居た。(しかし、禁忌とされている以外にも高度な知性を持つポケモンたちを軍務に隷従させる事が困難な事や強力なポケモンを使う事による危険性を解消できないまま終戦を迎えた為計画段階で終了した)

 

「なるほど……」

「とはいえ、まだまだ今のジムは戦前ほどの美しさには程遠いのです。私や母が植えた植物はまだまだ育ちきってはおりませんし、数も不足していますわ。志半ばで流行り病で亡くなってしまった母の遺志を継ぎ、私の代できっと往時以上のジムに育て上げ次代へと伝えてみせますわ!」

 

 彼女は目を輝かせ、天に誓うかの如く力強い声で言ってみせる。

 ヤナギはただただ感心する他なかった。

 

「へぇ……大したものですね。尊敬しますよ」

「当然の事を申し上げているまで……。あ、すみません。急にこんな話してしまいまして……」

 

 彼女は少しだけ頬を紅潮させて恥じる。

 

「いえいえ、貧乏人の子だくさんの家庭から生まれた僕からすると、親から受け継いで護っていくものがあるって凄く憧れる話ですもん」

 

 ヤナギは8男4女家族の四男坊であった。

 

「まぁ。そうなのですか。そのようなご家庭ですと親御さんも色々と大変でしたでしょうね……」

「ええ、まあ……。カルミアさんにはご姉妹は……?」

「おりませんわ。父が軍医で方々を飛び回っておりましたから中々難しかったのでしょう……」

「へぇ軍医ですか。そいつは凄いですね……。今はどうされているのですか?」

「現在はタマムシ大学病院に勤めていますわ」

 

 それからも何気ない世間話は続いて行った。

 そうこうしているうちに日は沈みかかり、森から半分だけ顔をだしているほどになっていた。

 

―同所 17時すぎ―

 

 40分もすると会話は少なくなり、沈黙のムードが再び二人を包んだ。

 話しているうちにヤナギの方も少しずつ恋情が深まり、接しているうちに彼女に劣情を覚えつつあった。

 

「あの……カルミアさん。手を、握ってもいいですか?」

 

 しかし、羞恥とためらいからか、彼は遠慮がちにそう言う。

 

「フフ……。やはりヤナギさんは晩生ですわね。もう少し、先に進まれても私は構わないのですよ?」

 

 彼女はヤナギに身を前に寄せながら迫るように言う。

 

「えっ!? ということは……」

 

─付近の森林─

 

 オーキドはあれから、ゴミを燃やす為に用いる薪を伐採するために従業員数名と共に森林に繰り出されていた。

 慣れない力仕事に汗をしたたらせながら付近を歩き回っていると人など殆ど居ないはずの森林の近くに人らしき姿を見つけた。気になった彼は従業員の目を盗んでその場所に近寄ってみる。

 するとそこにはカルミアに唇を奪われているヤナギが目には入った。オーキドは愕然としていたが、その場に留まった。

 

─二人の場所─

 

「んっ……ふぅ。ヤナギさん。如何でしたか?」

 

 カルミアは数十秒ほどヤナギにキスをしていた。

 しかし、ヤナギから返答はない。目は虚ろで、カルミアが話しかけているのかどうか知覚しているのかも分からない。

 カルミアが不思議に思い始めるとヤナギはばったりと倒れ込んでしまった。

 

「え……ヤナギさん! ヤナギさん! どうされたのですか!」

 

 カルミアはヤナギを横たわらせて何度か肩を揺さぶるが返答はない。

 そうしていると、オーキドがカルミアの反対側へ入った。オーキドはヤナギの呼吸の有無を確認し、瞼を開いて瞳孔を確認した。

 

「気絶しているだけです。大事ないですよ。そのうち目を覚ますでしょう」

「あぁそうですか……。良かったです。それにしてもどうしてあれだけの行動で……」

「こいつ、高校時代はずっと勉強に明け暮れてて、大学入ったらたまに一緒に飲んだとき以外は殆ど遊ばないしで女に縁がなかったんですよ。だからたったキスしたくらいでもこいつにとっては充分なショックに成り得るんです。……相手が貴女というなら尚更」

 

 オーキドは頭を掻きながらそう答えた。

 

「覗いていらしたのですね」

「まぁ……近くを通りがかったんでね。そうですか。貴女はヤナギを選ぶんですか」

「ええ。オーキドさんには悪いのですが。伴侶としてはこの方の方が相応しいと考えましたから」

 

 カルミアからその言葉を聞くとオーキドは軽く笑いながら

 

「あなたにそう言われちゃ適いませんね……」

 

 と言って後ろを向く。

 

「正直、こいつに取られるのは惜しいし、くやしいけれど、貴女を真に愛するからこそ、俺はカルミアさんの意思を尊重しなくちゃならん。潔く俺は身を引きます。それじゃ」

 

 とだけ言い残してオーキドはスタスタとその場を去った。そして、その言葉には自分への戒めも多くあっただろう。

 カルミアはせめてもの敬意かオーキドの背中に向けて深々と頭を下げた。

 

 

──────────

 

 こうして、ヤナギとカルミアは交際を開始した。しかし、運命は二人を平坦な道へ誘うことをしなかった。

 話はすこしだけ時間を遡る。

 

─2月9日 午後7時30分 タマムシシティ カルミア邸宅─

 

 この日の昼、カルミアはオーキドからのあいたいという旨の手紙に承諾の返事を送った。

 それから、仕事を終えてジムを閉め邸宅へ戻ると執事から父親が久々に家に帰っているとの知らせを聞いて久々に会おうと荷物や着物などをそこそこに食堂へ向かった。

 そこで夕食を済ますと話があると言われた為カルミアは応接間へと向かった。

 カルミアの邸宅は古くは武家屋敷であり、日本建築の建物であったが、明治維新に伴う欧風化の流れに乗って場所を移し大幅に改装がなされ和洋折衷の建築となっている。都心近くにあったジムとは違い、比較的郊外に建てられた(五十キロ圏内)この邸宅は戦火の影響はさほど受けず幾度かの修繕工事を経て現代まで残っている。

 広さは千二百五十坪。時価は現代の価値に直して27億8千万円程度。

 

─応接間─

 

 応接間へつくと、高級な木材から作られた大きな机に向かい、父親と相対する。

 部屋にはカルミアと父親。父親の専属メイドとカルミアつきの執事の四名がいた。

 何カ月ぶりかに会った父の顔はほうれい線が増え、疲れが大いにうかがえる。年齢は51歳。

 

「カルミア。お前は今年で何歳になる」

「24ですよ? 娘の年齢を忘れるだなんてお父様ったら……」

 

 カルミアは冗談めかしたふうに笑ったが、父は表情一つ動かさずに話を進める。

 

「そう。24だ。そろそろお前は当家の血筋を継ぐ子どもを授からねばならない。そこで父さまはな、我が家の血筋を汚さぬ上に旗頭になって働いてくれるであろう素晴らしい男を見つけてきた」

 

 と、言いながら執事に見合い写真の入った二つ折りの冊子を持ってこさせ、カルミアへ渡す。

 カルミアが興味なさそうな表情で冊子を開くと目を見開かせる。そう、何を隠そうオーキドの写真だったのだ。

 

「お、お父様。この方って……」

「なんだ、知ってるのか?」

「一度ジムにこられましたし、何度か構内で見かけましたから……」

 

 カルミアとオーキドは学科は違えど同じ生物学部であり、カルミアは一学年飛び級だったのであまり同じ講義やゼミなどで一緒にならなかった物の顔くらいは知っていた。

 

「それなら話ははやい。どうだ近々オーキド君と見合いをしてみないか? 私の総合生物学研究サークルに入っていた子なんだが最近じゃ珍しいくらい意欲的で頭のいい子でね……。今度の旅を通じて発表したポケモンたちの生態研究の功績が認められて来年度から最年少で国立生物研究所の研究員になることが決まっている。家柄も代々国を支えてきたアカデミーの研究員と全く申し分が無い。どうだい? この子ならばお前の伴侶としても申し分ないと思うが」

 

 カルミアは表情を曇らせる。

 

「あの、この事はオーキドさんは承知しておられるのですか?」

 

 カルミアが受け取った手紙には一切そんなことは記されていなかったのだ。

 

「近々生まれ故郷のマサラに帰ってくるとは聞いているから向こうの親御さんに当人が帰り次第伝えるようにお願いをしてある。先方もかなり乗り気で二つ返事で承諾してくれたよ。あとはお前たちさえ良ければ来月にも式を行うつもりだ」

 

 父親は自信を多分に感じさせる声でそういった。

 

「そ、そうですか……」

 

 カルミアはさらに表情を曇らせて答える。

 

「どうした? 元気ないぞ」

「少し、お時間を頂けますか……何分突然のことでして……」

「ん……そうか。まぁそれもそうだ。考えるのは結構だがあまり時間が無い。17日には見合いをする予定だからそのつもりでな」

 

 そう言って父親はおやすみと言い、メイドを従えて応接間を後にした。

 残されたカルミアは机に伏してしまった。

 

「お嬢様。そろそろお部屋に戻らねば翌日のジムに……」

「わ、分かってますわ」

 

 カルミアは体を起こして応接間を後にしようとする。

 

「全くお父様ったらなんて勝手なのかしら……」

 

 彼女はそう言って不機嫌な様子で廊下を歩いて行く。

 執事が道すがらカルミアに尋ねる。

 

「お嬢様はあのお方はお気に召さぬので……?」

「一度だけジムに挑戦に来たとき、あのお方とは生理的にあわないと直感で感じ取ったのですわ。確かにお父様の言われる通りの面はありますが、オーキドさんと私は水と油の如く決してかみ合う事はないでしょう。たとえ結ばれても私……ひいては当家の将来にとって良い結果になるとは思えませんわ」

「しかしそうも行きませんぞ。お嬢様は十分承知おきだと思いますが当家は千利休様より続く名家でございます。やはり相応の相手と結ばれねば家の権威というものが」

「爺や。それは古い考えですわ。これからの結婚というものは家と家を結ぶものというよりも、個人と個人の自由意志に基づいて為されて然るべきものです。私は私のやり方で伴侶を見つけてみせますっ!」

 

 そう言って彼女は自分の部屋に着いたので、部屋に入った後やや強めに引き戸をしめた。

 

「お、お嬢様! はぁ……やれやれ参りましたなこれは……」

 

 執事は頭を抱えながら部屋を通り過ぎた。

 

―2月11日 午後5時 同所 玄関前―

 

 こうして、カルミアはヤナギと交際する事となった翌日、父親を説得させる為にヤナギと連れ立って自宅に居た。ヤナギは着慣れない上に入学式の時やっとの思いで買ったスーツ姿である。

 長らく貧乏暮らしだったヤナギにとってカルミアの豪壮な邸宅は非常にインパクトのあるものであり、やや気後れこそしたが覚悟を固めた以上死地に臨む思いで玄関に立った。

 

「よしっ」

 

 ヤナギは自らの頬を叩いて玄関の扉を開けて見せ、中へ入った。

 入ると執事の案内で応接間へ通され、お茶を出されてしばらくするとカルミアの父親が苦虫を潰したかのような表情で入り、二人と相対して着座した。

 父親は海老茶色の和服を着ており、やや大きめの身長であり壮年ながらしっかりとした骨格や筋肉をうちにあることを悟らせる恰幅の良い男であった。

 入ったと同時に二人は起立し、父親が座って一呼吸置いた後にヤナギが話し始めた。執事やメイドは出払わせ、三人のみとなっている。

 

「お、お初にお目にかかります。私、ご息女であるカルミアさんと結婚を前提としたおつきあいをさせて頂いておりますヤナギと申します」

「そうか……。まぁ座りなさい」

 

 父は二人に座る事を勧め、それに従って二人は席に着く。

 それからヤナギは交友関係や自身の生い立ちなどを説明し、カルミアに対する強い想いと結婚の意志を伝えた。父は特に返すことなく、時折頷いたりして相槌をとる。

 

「……こういう訳でカルミアさんとは交際をさせて頂いております」

 

 ヤナギは十分程話したのちそうしめくくった。

 

「なるほど……」

 

 父親は三本目の葉巻に火をつける。

 父親は終始落ち着いた表情であり、目は据わっている。

 深く煙を吐いた後、話し始める。

 

「君がうちの娘をそれほどまで想っていることはよく分かった」

「は、はい」

 

 ヤナギはやや父親の威迫に押されたように答える。

 

「だが。悪いが君に娘をやることは出来ん。帰りなさい」

 

 父親の返答は簡潔で、そして冷酷な物であった。無論、ヤナギは納得できるはずもなく食ってかかった。

 

「そんな! 私はこれほどまでにカルミアさんを想っており、そして、カルミアさんも私の事を好いているのですよ! ですからどうか! お願い致します!」

 

 ヤナギは席を立って土下座して願い出た。

 

「お父様。私からも一生のお願いです。どうか私たちのことを認めてください!」

 

 カルミアも同様にヤナギと並んで土下座をして頼み込む。

 しかし、父親の返答は変わらなかった。

 

「駄目だ」

 

 この一言であり、非情さを示すかの如く葉巻の火も消された。

 

「どうしてですか。私が気に食わないのですか!」

「そういう訳ではない。まぁ座って聞いてくれ」

 

 父親の勧めに従って二人は椅子に座る。

 

「娘にはな。今縁談の話が来ているんだ」

 

 カルミアは眉をややひそめる。

 

「ぞ……存じておりますよそれは」

「ほう。知った上で交際していると?」

「はい。先刻、話は全て彼女から伺いました」

 

 そう言うと、父親は先ほどまでの比較的穏やかな声から物々しい声で話す。

 

「ならば聡い君には分かるだろう。当家は君のような定職にもつかず太陽族のようにふらふらと喧嘩を売る事を生業としているポケモントレーナーなどより、研究者として名を立て、次代を担う人間にこそ婿に来てもらいたいのだ」

「ど、どうしてご存じなのです?」

 

 ヤナギは自分の事が知られていて驚いた表情で答える。この時代、まだ専業のポケモントレーナーは将来への保障があまりされていない上に、むやみやたらに所構わず勝負をしかける為、特にハイソサエティ(上流社会)に属する人々からは忌避される存在だったのだ。因みに太陽族とは当時流行していた映画に流行された人々を指す言葉で不良とほぼ同義である。

 

「君の事は若い子からよく噂に聞いたからな……。その上、これからこの国はどうなるか分からない。また先の大戦のような塗炭の苦しみを味あわねばならぬこともあるかもしれない。そうなった時も兵士にとられずしっかりと家を守れるのは政治家か理系の技術者や科学者だけだ。私は軍医として様々な戦地を見、大黒柱を失った人を多く見てきた。我が家、そしてカルミアにそんな思いはさせたくはないのだ。だからどうか悪いが帰ってくれ」

 

 そう言うと、父親は言いたいことは全て言ったとばかりに立ち去ろうとする。しかし、堪えきれないとばかりにヤナギは大声で呼び止めようとした。

 当時の国際情勢は東西冷戦の真っただ中であり、前年のスターリン批判による”雪解け”で戦争の危険は幾分か和らいだものの、西側陣営であり米国の喉元にあたるキューバが革命の成否次第で西側陣営から脱落する可能性が危惧されていた。(史実では革命は成功し、キューバ危機の遠因となる)仮に戦争となれば防共の防波堤と目されているこの国が参戦せざるを得なくなるのは自明な為、父親の懸念も当然といえるだろう。

 

「待ってくださいよ! 確かに貴方は僕らのように銃後に居た人間と違って戦地を直に見てきた分そう思うのは私にだって十分理解できます。しかし、現時点で私と別れて……彼女が好きでもないオーキドと結婚させたらそれこそ悲しい想いをするとお考えにはなられないのですか!」

 

 それを聞き、背中を見せていた父親は背中を震わせて答える。

 

「君に言われるまでもなくそんな事は何度も考えた……。だが、今ならば、現時点で別れればその傷は浅く済むのだ。それに、カルミアは庶人の子ではない、この国有数の資産家である当家の娘であり、数百年のれっきとした伝統がある家の娘なのだ。ヤナギ君、君の過ごしてきた市井の色恋と一緒に考えないでもらいたい。この国が如何に平等を唱えようと見えない身分は厳然として存在するのだ。それを忘れて貰っては困る」

 

 そう言って、カルミアの父親は今度こそ出て行った。

 二人きりになった室内で、ヤナギは突っ伏してしまう。

 

「くそっ……。時代錯誤のアナクロがぁ!」

 

 ヤナギは感極まって珍しくそう毒づいた。

 

「ヤナギさん……落ち着いてください」

「しかし。このままでは僕たちは……」

「とにかく、場所を変えて考えましょう」

 

 二人は応接間を後にする。

 

―午後6時 カルミアの部屋―

 

 その部屋は一室とはいっても教室一つ分はありそうな広い場所であった。和室である。

 カルミアはドアに鍵をかける。そして煎茶を二人分用意し、机に相対して座る。

 彼女の淹れた茶を飲むと、ヤナギも漸く落ち着いた様子である。

 

「ふぅ……美味しい。さて、それにしてもどうしましょうか……」

 

 落ち着くと、現実がよりよく見えてしまったのか彼は一層落ち込んでいる様子の表情だ。

 

「ヤナギさん……。はっきり申し上げますと、お父様を説得するのはもう不可能のように思えます」

「そっ……そんなことないですって! もっとちゃんと思いを伝えれば必ず……」

「私……お父様があそこまでしっかり考えておられたとは予想外だったのですわ。病院や任地にかかりきりで家庭にはあまり帰らず、仕事一筋な人でしたから……」

「そ……そうですか」

 

 ヤナギは落胆している。

 

「じゃあ、僕らはもうどうにもならないって事なんですか?」

「時間さえあればまだ手は打てましたが、事の次第が全て伝わっている今お父様は必死に婚儀の準備を進めるはずです。そう遠くないうちに私は……オーキドさん……の所へ」

 

 彼女も感極まって泣いている。ヤナギ同様現実をより深刻に受け止めているのだろう。

 

「どうして……どうしてっ……」

 

 彼も連鎖するかのように机を叩く。茶が少しだけ零れた。

 数分程しただろうか、ヤナギは顔を上げて話す。

 

「カルミアさん……こうなったらもう駆け落ちしましょう! 僕らが結ばれるにはもうこうするしか……」

「ヤナギ……さん」

 

 カルミアは紅涙を拭い、ヤナギを目を点にしながら見る。

 数十秒ほどの沈黙の後、

 

「いえ……申し出は大変嬉しいのですが……。私には先祖代々受け継いできたジムがあり、リーダーたる私にはそれを守っていく責務があります……。それに、私一人ならばともかくここで逃げてしまうと何十人もの私についてきてくださっているトレーナーたちに多大な迷惑をかけてしまいます。私にそこまですることは……とてもできません」

 

 彼女は絞り出すような声でそう言った。断腸の思いで言っている事がひしひしとヤナギに伝わる。

 それを聞いて彼は

 

「そうですか……そうですよね。僕と貴女とでは持っている物が違いすぎる……。ごめんなさい」

 

 と陳謝した。

 彼女は膝を強く握りしめて、頬を赤らめて言う。

 

「あの……ヤナギさん」

「はい」

「私を……その、だ、抱いていただけませんか?」

「え……!?」

 

 ヤナギは一瞬何を言われているのか理解できなかったようだ。

 何度か脳内に言葉を反芻させ、意味を咀嚼して答える。

 

「ず、随分と唐突ですね……本気なのですか?」

「私は……貴方を好いて、そして結ばれたくてこうしてお父様に直談判を申し入れました……。しかし、どうやらそれは叶わない夢のようです……。駆け落ちてすべてを擲つ事も出来ず、説得してしっかりした形でヤナギさんと結ばれることも叶わないのならば……せめて、体だけであっても貴方に捧げたいのです」

 

 彼女は相当思いつめた様子で言っている。目からするに本気で言っているようだ。

 

「えっ……しかし、結婚もしていないのに……」

 

 ヤナギは酷く狼狽している様子だ。

 

「私も……婚前の男女が契りを交わすことはふしだらだという事は承知しております。しかし、それが叶わない以上、こうするしかないではありませんか……」

 

 彼女は立ち、ヤナギに縋るように身を寄せる。白檀の良い香りが彼の鼻をつく。

 そして、ヤナギを押し倒したかのような格好になって続ける。

 

「それに……私、オーキドさんに……純潔をささげたくはないのです。全てが破綻してしまった今、私が出来るのはもうこれしか残されていないのですわ。私の最後のわがまま聞き入れてはいただけないでしょうか……?」

 

 彼女は潤んだ瞳でヤナギに訴えかける。

 

「わ……分かりましたよ。僕だってカルミアさんの初めてを……いくら親友とはいってもあいつなんかにとられたくはないです!」

 

 彼は決然とした表情で返す。どうやら覚悟が固まった様子だ。

 

「フフ……良かったですわ。本当に……。でしたら、今、褥を共にしている最中だけでいいですから私の事を……カルミア……と呼んでくださいまし。私もその……”貴方”とお呼びしますから」

 

 彼女は満面に朱を注いだ様子で言う。

 

「うん……分かったよ。カルミア」

 

 そして二人は唇を合わせ、夜通し激しく肌を重ねた。執事は気付いていた様子だったが、察してカルミアの部屋のまわりに関して人払いを行う。

 

―2月12日 午前6時 カルミア邸 裏口―

 

 カルミアは女中姿に変装してヤナギを見送ろうとしていた。

 

「それじゃあ……、カルミアさん。僕はこれで。オーキドと……末永くお幸せに。僕の事は忘れてください」

「えぇ、はい……。ヤナギさんも。どうかお気をつけて……」

 

 これが二人の交わした最後の言葉である。彼が後にリーグ理事長となってからもカルミアには配慮して言葉をかわさず、またカルミアからも言葉をかけなかったのだった。

 

 

 それから約二週間近く後の2月23日、オーキドとカルミアはまるでとり急いだかのように祝言を行った。

 あれからカルミアの耳にヤナギに関する消息は入っていない。彼が言った通り忘れようと、彼は死んだのだとばかりにカルミアは自らに言い聞かせていた。

 ヤナギは居なかったのだと思う事によって、彼女は新たな生活に気持ちを切り替え、結婚生活を過ごしていこうと心に決めたのだ。

 運命に抗おうと懸命にもがき続けた一輪の花はかくして折られる結果に終わった。

 しかし、この一連のなんということは無いただの色恋沙汰が後の歴史に重大な影響を及ぼそうとは誰も知り得なかっただろう――

 

―過去編 玉虫色の一族(前編) 終―

 




後編は結婚後~カルミア逝去までの50年間を扱います。

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