伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚 作:OTZ
第三十五話 帰郷
―12月18日 午後4時 マサラタウン―
セキエイ高原を発ち、およそ一年ぶりに故郷へと帰ってきたレッド。
そして、その隣には、才女の誉れ高いエリカを連れている。既に周知の事実であったものの、やはり周囲の目を引いたのは想像に難くない。
二人は予め母と打ち合わせしていた、町の入口でリザードンから降り、大きく背伸びした。そして、日が沈みつつあった我が故郷を見、エリカに話しかける。
「うーん、やっぱりふるさとの空気はうまいなぁ! エリカ、お前はどうだ?」
エリカはおもむろに首を動かし、ゆっくりとした口調で答える。
「なるほど、マサラの名にふさわしく、まるで純白なユリを思わせるところですわね。心が洗われる気がいたしますわ」
そう言うと彼女は深く息をつく。
「マサラは白って意味だもんな?」
レッドは脳の片隅にあった記憶を取り出し、エリカに尋ねた。
「その通りですわ。よくご存知で」
そう入り口に入りながら話していると、聞き慣れた声がレッドの耳に入る。
「レッド。お帰りなさい」
この前来た時とは、少しも変わっていない母親である。彼女はゲートの柱の前で待ち構えていたかのように、その場にいた。
相も変わらず自由そうな気風である。
「貴方、どちら様ですか?」
「母さんだけ」
レッドがそう言い掛けると、エリカは急に姿勢を正し、深々とお辞儀をした。
「これはこれはお義母様でしたか! お初にお目にかかります。タマムシで小さな華道教室で師範を勤めております、エリカと申します。以後お見知りおきを」
と、エリカは凛とした所作で話す。流れるようなお手本の礼儀を見た母親は、やや気圧されたような間を作った後
「これはこれはどうもご丁寧に。レッドの母でございます。息子がいつもお世話になって」
と、形式通りの挨拶を済ませると、母親はレッドを手招きして耳打ちしてきた。
「レッド。本当にあの子の彼氏なの?」
「そうだよ。そんなにおかしいか?」
「別にそうじゃないけど……。タマムシのエリカさんって言ったらあんたね。ジムリーダーってだけじゃなくて、この国で一、二を争うお花の流派の師範で、将来は家元になろうかって人なのよ?」
「だからなんだよ」
レッドにとっては本来分不相応な相手なことは、自身も重々承知である。そのため、やや不機嫌そうに聞き返した。
「何か失礼になるような事、してないでしょうね?」
母は少し間を空けてレッドに尋ねる。
「し、してねえよ!」
レッドが少し大きな声で返すと、エリカが間に入った。
「あの。お義母様?」
「はい……。って、あれ。お義母様?」
「私にとってはもう、レッドさんの母御ということはお義母様も同然ですから。……、あの、もしご迷惑というのであれば」
エリカが少しだけ悲しみを帯びた声で後半部分を告げようとすると、母親はすぐに
「いーえとんでもない! うちの子を、そんな立派なところで貰っていただけるなら、これ以上嬉しいことはないもの」
「それならば光栄ですわ。今後とも、宜しくお願い致しますわ」
エリカはにこやかな笑顔で母親に返した。もはや義理とは言え既に母子関係が形成されたようだ。
「いいからこんなところで喋ってないで、家帰ろうぜ。周りの人釘付けになってんぞ」
こうして、三人はとりあえずレッドの自宅へと向かった。
―家路―
マサラの町は、住宅街がその多くを占めており、さほど規模は大きくない。
レッドの家は街の入り口から南に15分ほど歩いたところにあり、中央通りからは少し外れているので、付近含めて閑静なところであった。
「へー。どうにもその月からだと上手く育たないと思っていたけど、そういう組み合わせの土壌で育てるって手もあるのねー」
「ええ。特にキーの実などは微妙な配合の違いで収量も食味もまるで違いますから、私もなかなか骨が折れますわね」
レッドから数歩遅れて、エリカと母親が和やかに会話している。レッドの母はガーデニングを趣味としているため、エリカとはその方面で話が合うようだ。10分ほどしか会話していないが、かなり打ち解けられたようである。
「レッド」
「ん?」
レッドは母に呼びかけられ、背後を振り向く。
「今からエリカさんと、お夕飯の材料買いに行ってくるから、レッドは家に入る前に水やりしておいてね」
「はあ? 帰ったばっかなのにこき使うのかよ」
「なーにいってんの。普段無沙汰なんだから帰ってきたときくらい、親の手伝いちゃんとしなさいって」
母親はケラケラと笑いながらそう口を叩いた。
「その通りです。親孝行は出来る時に、目一杯しておくものですわ」
エリカも同調してそう返した。
レッドは言い返そうとしたが、彼女の両親は既に他界していることを思い出した。
帽子を目深に被り直し、彼は深い溜め息をつく。
「わーったよ」
そう言ってレッドは家の方向に向き直し、ゆっくりとあるき始めた。
―自宅―
家に着くと、彼はとりあえず、木の実に水をやった。オボンやオレン、クラボにモモンなどいろいろな木の実をはじめ、様々な観賞用植物が栽培されている。
あまり植えてから時間がたっていないのか、芽しか出ていないものが多い。ベランダや庭、ビニールハウス。最低でも20種類以上植えているので、それ全てにやるのは中々に難儀である。ピカチュウやカメックス等に手伝ってもらいながら進めていた。
30分ほどかけてすべての木の実に水を遣った。ピカチュウはレッドと一緒に右半分に水を遣り、カメックスは水量を調節しつつ、左半分に水を遣る。
「マスター、全て終わりました」
のそのそと、カメックスがやって来た。水遣りが終わったらしい。
レッドは、左半分を一瞥する。
「うん、やり過ぎてはいないみたいだな。よくやった」
そういって、レッドは安堵した表情でカメックスの頭を撫でてやった。
「へへ、どうもー」
カメックスは照れながら答える。
「ピカー」
ピカチュウは、レッドのズボンの裾を引っ張る。どうやら同じことをしてほしいようだ。
「おお、ごめんよピカチュウ。お前もよくやった」
レッドはそう言ってかがみ、ピカチュウの頭も撫でてあげた。ピカチュウは嬉しそうに頬を緩ませて満足げな様子だ。
「お帰りなさい。レッドくん」
生け垣の外から俄かに声がする。幼い頃、グリーンと共に遊んでいたとき、後ろから見守り、時々は一緒に遊んでくれた、彼の姉、ナナミである。
「ナ、ナナミさん! お久しぶりです」
「どうしたの? そんなかしこまっちゃって。昔みたいにお姉さんって呼んでくれていいのに」
彼女はにこやかに笑みをうかべながら返す。その柔和な性格は昔から変わっていないようだ。マサラから旅立ちをして以来、四年間ぶりに会ったせいもあるのか、彼の記憶に比してかなり大人びている。長い栗毛の髪が北風にたなびき、元の美しさを際立たせていた。
レッドは、呼び方を直して
「お姉さん。お久しぶりです」
「本当に久しぶりね。でも、元気そうでよかった」
彼女は本心からレッドの無事を喜んでいるようだ。
「おかげさまで。俺のことそんなに気遣ってたの?」
「弟に様子をきいても『知らねー』ってばかりでねぇ。去年、また旅に行くってきいて戻ってきたときはちょうど私はいなかったし、顔見るまでは気がかりだったの」
「あいつそんな雑に言ってたんだ……。まあ確かに連絡はしなかったけど」
「あの子。エリカさんとレッドくんが今回旅立つって聞いて、すっごく不貞腐れてたし、どうにも何か思うところあるみたいよ?」
「え!? そうなんですか!?」
レッドにとってそれは寝耳に水であった。電話口や、先日の選挙でリーグで会った時もそんな様子はなかったからである。
「この前の騒動から更に塞ぎ込むようになっちゃったし……。おじいちゃんもあれから見てないの。ねえ。なにか知らない?」
エンジュ騒乱の首謀者はあくまでロケット団ということになっていた。オーキドの関与については明確な証拠がなく、グリーンの立場もあるので、みだりに外に触れてはならないというのが暗黙の了解になっていた。
「さあ。俺は何も聞いてないけど」
「レッドくんもそこにいたんでしょ? 何も知らないの?」
「俺はグリーンとは違う場所に配置されたから」
レッドは内心苦い思いをしながら、話せる限りのことを話した。
「そう……。レッドくんなら何か知ってるかなと思ったんだけど」
ナナミは残念そうな声で話す。弟の事がやはり気がかりなところがうかがえる。
「博士は、あれから帰っていないんですか」
やや間をあけてレッドは、既に答えを知っているはずのことを尋ねる。
「そうなの。大学に置き手紙を残してからずっと。研究所も閉鎖になって、今取り壊してるところ」
それを聞いたレッドは研究所の方向を見る。何台かの重機がうかがえ、本当であることを裏付けた。
「なんてことだ……」
レッド自身にとって思い出ある場所のため、さすがに動揺を隠せない。
「レッドくんにとっても、やっぱりショックだよね」
「どうにか……ならなかったのか」
「元々あそこは地主さんとの契約で、いつかは取り壊す予定になってたみたいでね。おじいちゃんがいないんじゃどうにもできないのよ」
ナナミにとっても。少なからぬ思い出があるのだろう。どこか寂しげな表情で話す。
「そうだったのか。しかしお姉さんも大変だね色々」
「まあねえ。おじいちゃんはいないし、弟は何考えてるんだかわかんないし……、ちょっと思うところはあるわ。私がコーディネーターじゃなくて、弟と同じトレーナーだったら、もしかしたらこうなる前になにかできたんじゃないかって」
「そうなんですか」
「ま、今そんなこと言ってもしょうがないんだけど。それじゃねレッドくん。弟を宜しくー」
そう言ってナナミは出会った時と同じく、柔和な表情を浮かべてグリーンの家の方向へ、踵を返した。
レッドはナナミに何も本当のことを伝えてやれない自分に、腹を立てながら黙って見送ることしかできなかった。
―自宅内―
やりきれない気持ちを抱えたまま、レッドはピカチュウとカメックスを戻し、自宅へ足を踏み入れる。
廊下を歩いてとりあえずリビングに行く。母一人で暮らしているためか、特に散らかっているわけでもなく、ただ読みさしのカタログ雑誌と椀に入れられている茶菓子に、ほどほどの生活感が出ていた。リモコンがラックにしまわれずテーブルの上に置きっぱなしなので家を出る直前までテレビを見ていたことが分かる。
レッドはやや温さの残るソファにどっかりと腰掛け、なんとなく母のカタログを読んでいると、玄関の扉が開く音がした。
出迎えてやるかとばかりに、読むのを中断し、レッドは玄関へ戻った。
「お帰りー」
レッドが次に続けようとすると、エリカはそれを遮るように、
「貴方、この袋持って頂けますか? お義母様! お台所は何処に?」
「台所なら、玄関からまっすぐに行けばあるわよー」
母親がそう答えるや否や、すぐにエリカは私物の入ったバッグを床に置き、靴を揃えて、そそくさと台所に向かっていった。
「張り切ってんなー、エリカ」
「そーねー、スーパーに行った時も、じっとお野菜とか、お肉見つめて、一番良さそうなのを取り揃えていたし。それにしてもあんた良い嫁さん捕まえたねぇ。レッドには勿体ないくらい」
「うるさいな」
「照れるな照れるなぁ~。褒めてるんだから」
「そ、それに俺はまだ嫁にするってハッキリ決めたわけじゃ」
レッドがそう答えようとすると、割烹着を着たエリカが戻ってきた。
「お義母様、本日の夕食は私が作らせていただきますわ。貴方、早くその袋を……」
「おお、悪いな」
そう言いながら、レッドは台所へと急いだ。
―リビング―
色々と落ち着いたのち、レッドはダイニングの椅子に座り、その奥のシステムキッチンに居る、母親がエリカの後ろについている所を、遠巻きに見ていた。
エリカの料理している姿は、旅をする中で何度も目にしている。しかし、こうして家庭で見てみると、その技量の高さを改めて実感させられた。野菜や魚等は素早い包丁の捌きで適当な大きさに切られ、しっかりと分量を見極めつつ手早く調味料を入れているなど、その所作には一切無駄が無かった。プロの料理人と同格かそれ以上だろうとレッドの素人目には感じられた。
そんなエリカを横目にしつつ、庭も使ってポケモンの世話をして時間を潰していると、調理開始から一時間後、座っていた椅子の上のテーブルに料理が出てくる。
いつものエリカらしい、季節の野菜中心の和食であった。
調理過程の技量もさることながら、味も実によく、レッド含め食卓を囲む者を満足させるに足る出来栄えだった。
母親は、感動したような、高い声を出し、
「ここまで美味しい料理なんて、いつ以来かしら。エリカさん。あなた、店出しなさいよ。きっと繁盛するわよ~」
と、冗談半分な風にエリカに言ってみせた。
「まあ。義母様にそこまで褒められると、作った甲斐がありますわ。しかしこれは、あくまで幼少の頃に手習いしたのをなぞっているだけに過ぎません、まだまだですわ」
エリカは自らを謙遜している。母親は、買い物前の園芸談義に加え、完全にエリカを気に入ったようだ。
―午後8時―
こうして、夕食を食べ終わり、後片付けをして、風呂を沸かしている最中。レッドとエリカはリビングに居る。
母親は、台所で木の実を取り出し、デザートを作っている。エリカは手伝おうとしたが、母親は「いいからいいから」と、適当に押しとどめて、一人で作っていた。
レッドとエリカは、先ほど夕食を食べていたダイニングで向かい合って着座している。曲がわりにテレビをつけっぱなしにしている。
「母さんね、有る時は、穫れた木の実を使ってデザートを作ってくれるんだ」
「へえ、そうなのですか……、料理お好きなのですね。先ごろもずっと、手元をうかがっておりましたし」
実際、エリカが料理を作っている時、母親は上から覗き込んで、ほうほうと感心していた。主婦なので元々あるとはいえ、レッドの母はより強い関心を持っていた。
「そーだよ。お前とは方向性は違うけど、母さんも料理上手いんだ」
エリカは、レッドの言外の意を察したのか、それ以上深くは聞いてこない。レッドはこれからの旅路に話題を切り替える。
「ジムに挑む順番は、ニビから順々にやっていくでいいよな?」
「左様ですわね。その方が貴方も、行き慣れた道をいくわけですから、やりやすいでしょう」
そう返すと彼女は、先程自分で淹れた茶を一口飲んだ。
レッドが卓上にあらかじめ広げていたカントー地方の全図を眺めて、ジムの順番を追っていると、あることに気づく。
「そういやタマムシ、本来はお前だよな? どうすんの?」
「さあ、どう致しましょうか」
エリカが不意に浮かべた笑みに、レッドは思わず反応する。
「おいおい、なんかたくらんでるな?」
「着いてからのお楽しみです。それにしても」
彼女は庭の窓の横壁に貼り付けられている月めくりのカレンダーを見た。上にはカントーの名所の写真があり、下の日付部分はメモ欄が大きく取られていて、実用重視な仕様である。
17日まで斜線が引かれており、他にはスーパーの特売日や、近所の奥様方とのお茶会の予定などが書き込まれている。一番下には母がよく行くホームセンターが書かれており、粗品で貰った事がうかがえる。
「もうすぐ冬至ですか……。トキワに着くまでに柚子でも買っておきましょうか」
エリカはにわかに風流な事を言う。
「冬至って、夜が一番長いんだよな」
レッドは自信満々に答える。
「その通りですわ。因みにお聞きしますが、冬至の次の節気は」
危機を察知し、レッドはわざと素っ頓狂な声を上げてごまかす。
「ということは、もうすぐ旅に出て一年かぁ。色々あったよな」
「そうですわね」
そう言って、彼女はもう一口、茶を飲んだ。
「私、貴方にはとても感謝しておりますわ。タマムシや、その延長線上の狭い世界しか知らなかった私に、色々な事を教えていただいて」
エリカの口から告げられた感謝の言葉は、普段の社交辞令や、世辞などではなく、心の底からのものであることがうかかえた。
「な、なんだよ照れ臭いな。それに、俺のほうがずっとお前から教わりっぱなしだよ」
「私の身につけてきたことなど、所詮は書物の上のことですわ。こうして旅に出て初めてわかることのほうが多いですし、身にもなります」
「そういうものかな」
レッドも、淹れられた茶を飲むと、テレビより二人にとっても関わりのあるニュースの音声が流れた。
『――14日未明に発生したセキエイ高原のポケモンリーグ本部で起きた爆発事件について、セキエイ警察は本日、事件のあった副理事長室において現場検証を行いました。』
ニュースはそれからも数分ほど、例の爆発事件について報道を続けていた。
「そういえば、あの事件、結局どこの仕業がわからずじまいだったな」
「シロナさんを狙ったにしてはあまりにもお粗末ですしね……。どうにも意図が見えませんでしたわね」
「そういえば、レッドたちもあの場に居合わせたのよね?」
母親が、デザートをのせた皿を二人に配り、次いで紅茶の入ったカップを置いた。
「ご存知でしたか」
「もちろんよ! テレビはずっと選挙とあわせてこれ一色だし、嫌でも記憶に残るわ」
「そりゃまあ俺たちもいたけど、今画面に映ってるとうりだよ。シロナさんの部屋は大変だったみたいだけど、俺らはずっと下の部屋で寝てたし、なんともなかった」
テレビ画面には事故直後の本部ビルよりもうもうと、黒煙を吐き続ける映像がうつしだされている、
「そう。まあ無事ならよかったけど」
言っている間に母親は皿を並べ終えた。
その後、三人はデザートに舌鼓をうって、和やかなムードで十分程時が経過すると、風呂が沸いたことを知らせる電子音が響いた。
「お風呂、沸いたみたいね。さてどうすんの? 二人で入っちゃう?」
母親の冗談半分の言葉に対し、エリカはほんのりと頬を上気させた。
「ばっ……、母さん何いってんだよ!」
エリカが答えるより先に、レッドが声を荒らげて反応した。
「どうせ旅先で、もう何回もそういう事してるんでしょ~? そんなウブな反応見せなくたっていいのに」
母親はニヤニヤと笑いながら、レッドの反応を楽しんでいる。
「してねぇっつうの!!」
その声は、途方もない拒絶を表すかのように大きく、近くにいたエリカも反射的に身構えてしまうほどだった。
「え……。あ、うん。ごめんね。じゃあ先入っていいから」
そう言って母親はダイニングのすぐ側にあるタンスからハンディタオルを取り出し、レッドに渡した。
レッドは黙って受け取り、浴室へ向かう為、リビングを後にする。
ドアの閉まる音がした後、母親はエリカに話しかけた。
「ねえ、エリカさん。もしかしてレッドとは」
「い、いえ! そのような事をしていないわけではないのですが……」
エリカはそこまで言うと流石に言葉を濁してしまった。いくら将来の義母とはいえ、流石にそうおいそれと、今日会ったばかりの人に話せることではない。
「あぁ~……。うん。だいたい分かった。皆まで言わなくていい」
「申し訳ありません」
エリカは本当にすまなそうな声色で謝った。役目を果たせてない自責があるのだろう。
「あー、いいのよ。貴女が謝ることじゃないから」
そう言いながら母は空いた皿に手をやり、片付けようとする。
「私がやりますから」
「いいのよ。少なくとも今はまだお客さんなんだから。ゆっくりしてて」
「さ、左様にございますか」
エリカは暫し間をおいた後、言葉を続ける。
「お義母様、もしお時間が取れるのであれば、話をしておきたい事があるのですが」
―午後9時 同所―
皿洗いを終えた後、母親はエリカの話を聞くことにした。
エリカはバッグから薄めの書類を取り出し、母親の方に向けて見せた。
「今、屋敷内に建てる予定のレッドさんの館をどう設えようか悩んでおりまして……。これまでの旅でそれなりの好みは把握しているつもりですが、お義母様の意見も伺いたいなと」
それを聞いて母親は目を丸くせざるを得なかった。
「や、館ですって……?」
「まだ私の構想段階ではあるのですが、これまでの旅のペースや、終わる時期などを考えるとそろそろ着手しようかなと思っているところなのですわ」
「へ。へぇぇぇぇ……。さすが」
あまりにも住む世界が違うことを理解させられ、さしもの母親も圧倒されっぱなしである。
「今回の旅ではタマムシにも立ち寄る予定なのですが、その頃には流石に間に合わないにしても、レッドさん好みのゲストルームくらいはなんとか用意したくて」
「私よりも、レッド本人に聞いたほうが早いんじゃないかしら?」
「それも道理ではありますが、やはり屋敷に招いた際にびっくりさせたいのです」
彼女はいたずらっぽく笑ってみせた。その年相応な微笑ましいとも言える感情と、やろうとしていることのスケールのあまりの乖離に母親は理解が追いついてない。
「な、なるほど。そういうこと」
と、とりあえずは言ってみたが状況の認識に暫くかかりそうであった。
「なにか不安な事でも?」
「いやその、お金とかは大丈夫なのかなーって」
やはり一市民の主婦としては、そのことが最初の不安として出てきてしまうのだった。2ページ目にある間取り図の下に書いてあった、¥の後に続く9桁の数字に目をとられたのもある。恐らく建てようとしている館の見積額であった。
「何を仰せになるのですか。これから当家に迎え入れる予定の御方ですよ? もちろん当家で都合させていただきますわ。もしお義母様もお望みならば」
「いえいえいえ。私はこのウチでじゅーぶんだから!」
「左様でございますか……。それで、レッドさんの好みの物について」
エリカは少し残念そうな表情を浮かべた後に、改めて母親に尋ねる。母親は少しは落ち着いたのか、幼少期の話も交えながら少しずつ話し始めた。
―午後9時40分 同所―
「ふう……」
レッドが風呂よりあがってきた。
リビングに通じるドアが開けられると同時に、エリカはそそくさと出した書類とメモ用のノートをカバンにひっこめる。
「あれ? どうした? ずいぶん盛り上がってたみたいだけど」
「い、いえ。ちょっとお義母様と春にはお庭に、何を植えたらいいかのお話をしたら盛り上がってしまいまして」
ダイニングテーブルに近付いたレッドに対し、エリカは取り繕ったかのようにそう返した。
「そ、そうなのよ。エリカさんが外国からとても珍しくてキレイな花の苗を取り寄せてくれるーっていうからつい嬉しくなっちゃって。ねえ」
「はあ? いくら相手が金持ちだからって、あんま無茶なこと言うなよな」
「いえいえ。これからのお義母様との縁を思えば、この程度の事はなんでもありませんわ」
エリカはにこやかに話す。事の真偽はともかくその思いは真正のようだ。
「あぁそう……。じゃあ母さん、俺は部屋戻ってるわ。旅の用具とか色々チェックしておきたいし」
「そう。分かったわ。それじゃあおやすみー」
「ん。そうだ、お前も風呂入ってこいよ」
レッドはバスタオルで頭を拭きながら言った。
「いえ、お義母様から先に」
「私ちょっとまだやること残ってるから、先入っちゃって」
エリカは遠慮がちな仕草をみせようとしたが、やがて元の様子に戻り、
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきますわ」
といって、バッグからバスタオルや石鹸、着替えを用意してそそくさと浴室へ向かった。
廊下への扉が閉まると同時に、母親が思い出したかのように案じる。
「エリカさん。お風呂の使い方分かるかしら……。もしかしたら自分でお湯入れたりしたことないとか」
「ポケセンの客室は風呂つきなんだぞ? 最初はちょっと戸惑ってたけど今はもう平気さ」
「そう。ならいいんだけど……」
そう言って母親は飲みかけの紅茶を全て口に入れ、台所へ持っていく。
数分ほどすると、浴室からシャワーの音が少しだけ聞こえてきた。
「な?」
「そうね。ちょっと世間知らず度を大きく図りすぎてたみたい。こっちが失礼しちゃってたわね」
そう言って母親は、小さく舌を出して自分の言動を悔いた。
「母さんが思ってるより、少なくともあのお嬢様は浮世離れしてないよ」
レッドはやや含みのある言い方をして、母親をたしなめる。
彼はそのままリュックを背負って自室へ帰ろうとした。
しかし、その前に母親に背後から呼び止められた。
「ねえ、レッド」
「ん?」
「本当に、エリカさんと、一緒になるつもりあるの?」
その声色はそこまで真剣味のあるものではなく、純粋な疑問として尋ねている風だった。
「えっ……」
「まあそりゃあね。レッドくらいの歳でそういうこと考えるのは早すぎるし、ついていけないと思うのも仕方ないことよ」
「いや、俺はそんなつもりは」
「でも。これだけは分かって。エリカさんはすっごく、すごーーく真剣よ。あまり私が口挟むことじゃないのは分かってるけど、レッドもいい加減に捉えたり、曖昧にせずに、少しの合間でもいいから真面目に考えてあげるくらいの事はしてもいいんじゃないの」
今度の母親の言葉には、どこか棘に近いものがあった。
レッドは何も答える気にはなれず、階段に足をかけたまま静止してしまっている。
「ま、私個人としてはエリカさんに婿入りでもしてくれれば、色々と楽できるんだけどねぇ~」
母親は冗談めかした風にそう締めくくって、紅茶のカップ洗いと、水回りの掃除に取り掛かっていった。もう話は終わったことを暗に示しているとレッドは察して、2階へと戻る。
―午後10時すぎ 2階 レッドの部屋―
レッドは久々に自室に戻るとリュックの中身を床にぶちまけた。
ピカチュウもついでに出して、一緒に荷物整理を行う。回復道具やわざマシンを含め、要るものと要らないものを選別し、要らないものは全てパソコンに預けるのだ。
「えーっとこれは何だったかな……」
そう言いながらレッドはケースを開け、ディスクラベルに書いてある文字をみる。『秘伝03』と書かれている。
「ああ波乗りか……。必要な奴は覚えちゃってるしなあ。おい」
レッドはケースの端でピカチュウの尻尾をつついた。
ピカチュウはキズぐすりでお手玉をして遊んでいたため、反応がやや遅れてレッドのほうを見る。
「お前これさあ」
「ピ」
ディスクを見たピカチュウは、反射的に首を横にふる。
「やっぱそうなんだよなあ。やっぱなみのりピカチュウなんてガセ情報か。覚えてくれれば地面に対応できて技範囲も広がるのに」
そう言いながらレッドはディスクをカバーに掛け直し、保留スペースにおいた。
「ピカ!」
ピカチュウはレッドの背中を叩く。
「なんだよ」
そう答えると同時に、ピカチュウはとりあえず広げてあるわざマシンのディスクのうち、一枚を指さした。開けてみると、そこには『わざマシン25』と書かれていた。
「雷? お前とっくに覚えてんだろ」
「ピカピ」
ピカチュウは首を素早く横に振った。
「誰かに覚えさせたいのか? でも雷なんてそもそもでんきタイプ自体お前とレアコイルくらいしかいないしな……。ギャラドスもありだけどでもあいつは物理向けだし」
ピカチュウはまた首を横に振る。どうやらそうでもないらしい。
「じゃあなんだよ」
ピカチュウは自分に指を差す。
「なんだまさかもう一回覚えたいのか?」
「ピカ!」
ピカチュウはどこから持ってきたのか、二重丸のプラカードをレッドに見せた。当たりのようだ。
「そうだなあ。あまえるあたり忘れさせて、実質PP30に……ってアホか。そういうことはできないの」
「ピカー……」
ピカチュウはしょんぼりと落胆した顔を浮かべ、だしてある木の実の方へ歩いていった。
こうして時間を過ごしていると、レッドの背後でドアの開閉する音がする。
「あら、荷物整理くらい私も手伝いますのに」
「ん? ああ、エリカか。部屋は他にもあいてるだろ? 何も俺の部屋で寝なくても」
「いえ、お義母様が、貴方の部屋しかあいてないって」
「いやそんなわけないだろ。二階はもう一部屋……、あ」
そういってレッドは視線をあげて部屋を見渡す。奥にあるベッドが記憶よりも大きかった。
「おい、あのベッドまさか……」
「ダ、ダブルサイズですわね。前からこの大きさで寝ておられたのですか?」
レッドは大きく首を横にふった。
「なわけないだろ! 母さん、この日のためにわざわざ買ったのか……」
レッドにとっては半分ありがた迷惑であったが、どこか嬉しいような気持ちもあった。
「おい、どうするエリカ? 俺は別に床でもいいけど」
「いえ。このままで構いませんわ。今までは二段ベッドか、別々の寝床で寝ていましたものね……。ときには同じベッドで寝るのも良いものですわ」
エリカはやや頬を赤くするも、満更でもない様子だ。
「そ。そうか」
「それにしても」
エリカは広く部屋を見渡す。
「ここが、貴方のお部屋ですか」
「4年は使ってないけどな」
しかし、母親が定期的に掃除してくれているのか、ホコリ一つなく、レッドがマサラから旅立った時のままである。
勉強机に本棚、ベッドに液晶テレビと、一般的な子供部屋と同じ作りと広さである。
「ほう……なるほど」
エリカはまっさきに本棚へと近づいた。当然と言うか、なんというべきか、並んでいるのは使い古された漫画本か、それに比してやけに真新しい百科事典や参考書の類だった。その他にはポケモンバトルの大会などを収めたDVDのアルバムが大量にあった。
「な、なんだよ」
「思っていたよりは。ご本の数が多いと思いまして」
「どうせエリカには勝てないさ。お前の部屋にある本なんてさぞかしすごいんだろうな」
「いえ。私の部屋の本棚はここまで多くはありませんわ」
「え? そうなの」
レッドは汗牛充棟とばかりに列せられているのを想像していたため、思わず聞き返した。
「我が家には書庫がありまして、読む分は予め申し付けて、寝る前にもってきていただいてますわ」
「あ……あぁ。そう」
聞く相手が悪かったとレッドは大いに後悔した。
「しかし本読むにも事前に言わないといけないのか。面倒なんだな」
「申しつける時は数十冊単位ですから、一人ではなかなか難儀しますの」
「す、数十冊!? それ一日でよんでるのか?」
「まさか。流石にそこまでは……」
じゃあ何日で読んでるのか聞き返そうと思ったが、みじめになるだけなので思いとどまるレッドであった。
「あ、Wiiだ! 母さん残しといてくれてたんだな」
レッドは唐突に話を本棚の隣にあった、液晶テレビの下にあるゲーム機の方にうつした。
「あら? ゲームキューブではないのですか……?」
「え!? お前ゲーム機わかるの?」
どうせ気にもかけないだろうと思っていた、エリカからの意外なリアクションにレッドは思わずやや大きな声を出した。
「まあ、バカにしないでくださいまし。これでも学生時代や、ジムにいるトレーナーなどから情報は仕入れているのですよ」
「にしては、情報が旧世代なんだなお前……。まあ俺も、ゲームからは離れて時間経ってるから人のこと言えないけど」
既にこの頃には、Wiiより新型のゲームハードがでていることはレッドでも小耳に挟んでいた。
レッドはテレビ台の下からWiiとコントローラーを取り出して、しげしげと懐かしんでいる。
「これがコントローラーですか。それにしては変わった形ですわね」
「そうだねー。あ、そうだせっかくだしエリカもちょっとゲームしてみるか?」
そう言って、レッドは2つあるwiiリモコンの一方をエリカに向ける。
「宜しいのですか? 私、友人がやっていても後ろからみているばかりで、ほとんどやったことはないのですけれど」
「全然! 俺、初心者にゲーム教えるの好きだし」
というわけで、レッドは何本か持っているソフトで、エリカと二人でテレビゲームをすることになった。
しかし、ちょっとのつもりがいつの間にか夜更けになり、いつの間にか二人は寝入ってしまった。
――
―12月20日 午前10時 レッドの部屋―
二人は母親に叩き起こされ、朝食を食べた後、昨日半端に終えてしまっていた荷物整理を再開していた。これを終えたらマサラをたつ予定である。
「まさか夜3時までやることになるなんてな……」
「ええ。ですけど分かりますわ。なかなか止め時というものがありませんもの。ハマってしまうのもうなずけます」
二人とも荷物を選り分けながら昨夜のことをやや後悔していた。
「でもお前センスあるわやっぱ。最初はなかなか出来なかったあのハメ技、最後の頃にはできるようになってたもんな」
「傍から見てるととてもできる気がしなかったものですが、慣れてしまえばどうにかなるものですね」
「こりゃあほんと時間さえあったら俺なんかあっという間に抜かれるかもなあ」
と言いながらも、内心ではエリカに優位を取れる事が増えて得意になっているレッドであった。
「うう……。次は絶対に負けませんから」
「ま。せいぜいがんばれ。あ、そういやこのへんの防寒具ってもう流石にいらないよな?」
こうしてあと小一時間、二人は荷物整理を行い、出立の準備を進めていった。
――
―午後2時 マサラタウン―
荷物整理を終え、寝足りない分を少し昼寝した後、二人はいよいよ故郷から出発する。
「久々に帰ってきたんだから、もっとゆっくりしていけばいいのに」
母親はやや名残惜しそうにそう言う。
「それもいいけど、長ければ長いほど、旅立ちが辛くなるからな。一日も休めば十分だよ」
「そう……。まあ、レッドがそういうならいいけど」
母親はそう言って、これ以上の逗留を求めることをやめた。
「お義母様、旅が終わりましたら色々とご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、その際は何卒」
「いいのよエリカさん。前も言ったけど、本当に逆玉もいいところなんだから、大歓迎よ」
母親はエリカにニコニコと笑いかける。
そして、母親はレッドにしっかりと向き合って言葉をかけた。
「気をつけなさいね。レッド。エリカさんをきちんと引っ張っていきなさいよ……、まぁ、エリカさんの気性をみた感じ、アンタがひっぱられるのがオチだろうけど」
レッドは図星で、まったく言い返せなかった。
「お義母様、どうか御達者で」
「そちらこそ、怪我とかしないように……ね」
そう言って、二人は家から歩み始める。が、3歩ほど歩いたところでレッドは立ち止まって振り返った。
「母さん、次に来るときこそ、ポケモンマスターになって帰ってくるよ」
そのレッドの答えに対し、母親は
「無理せずに、頑張りなさいよ。あんたは、きっとやれるよ。だって母さんの子だものね! それじゃ、行ってらっしゃい」
と、にこやかに返した。
こうして、二人は今度こそマサラタウンを去り、最初のジムのある街、ニビシティへと向かうのであった。
―12月某日 イッシュ地方某所 ロケット団臨時本部 5階―
ロケット団はまたもある場所で幹部を集めて、会合を行っていた。
中央の卓上モニターには、例の爆発事件の映像とニュースが映っている。
「リーグはようやく、警察に検証させる気になったようですね」
「今更何をしたところで遅いですけどね……。しかしラムダ、久々によくやってくれました。まさかあんな堂々と変装して、このファイルだけ盗んでくるとは。サカキ様も大変に激賞しておられましたよ」
アポロはそういってラムダを珍しく褒めてみせた。
「なあに、俺が本気出せばこんなもんよ。服用意すんのはちょっと手間だったがな」
アポロの前には一枚の紙とゼムクリップで写真がとめてあった。この紙一枚を奪うためにわざわざロケット団はあの騒動を引き起こしたのである。
「でも、こんな写真一枚に、しかも背景に目立たず写ってるくらいのあの爺さんの写真なんかでわざわざ騒ぎ起こす必要なんてあったの?」
紙はシロナがあの秘書に回していた資料の一枚で、写真はイッシュ地方のヒウンシティの一角を撮影したものであった。被写体はなんのことはない大都会のヒウンに行き交う人々であったが、そのなかの一人にオーキドと思しき人影が写っており、本人もまさにエンジュからこの本部に移動してる間を撮られたものと認めたものであった。
「アテナ、前にも言った通り、あの国においてはオーキドは完全に逐電したことになっています。シロナが仮に気づいていなかったとしても、あの写真つき資料がマスコミやジムリーダーなどに知れ渡れば、オーキドなのでは? という憶測を生んでしまいかねないのです。だから先手を打つ必要があった」
「いやそれは分かるんだけど、やっぱり、なんだか割に合ってないって感じがするのよねー」
アテナはどこか不興顔である。
「なんだぁアテナ。俺が手柄たててそんなに悔しーんか?」
「調子に乗るんじゃないの!」
アテナはそう言って、ムチを一発ラムダに食らわした。
「いってえな! やりやがったな」
そんな応酬を聞き流しながら、アポロは話を続ける。
「さて、それはそれとして、サカキ様は再び、ヤマブキのシルフカンパニーを再度――」
―同本部 オーキドの部屋―
オーキドはいつもの通り、モニターを多数並べ、レッドとエリカの行動を逐次監視していた。
そしてふと、画面を見ながら彼は一言呟いた。
「あの家の主になるということがどういうことか。分かっておるのかのう。レッドくんは……」
そう言ってオーキドは好物のプリンを一口、口に入れた。
―第三十五話 帰郷 終―