伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚   作:OTZ

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第三十三話 伯仲

―12月14日 午後11時40分 セキエイリーグ 正面入口前―

 

 セキエイリーグの前には記者団がつめかけており、翌日の選挙での観覧抽選を待って徹夜で正面入口付近で粘っていた。

 この日の夜空はすっきりと晴れており、月や星々が落ちてきそうなほどに満天である。

 そんなとき、突如として、山を二つに引き裂くかの如き、耳を聾する爆発音が高原中に響いた。

 記者たちは音の方向に目をやると同時にあたりは騒然となり、中に入ろうとするマスコミと、落ち着いた対応を求める警備側とで揉み合いになった。

 

「何が起こったんですか」

「中に入って、話を伺いたいだけです! 通してください」

 

 記者たちは、凄まじい熱気と、今にも切りかかりそうなほどに切迫した声色で、スクラムを組んで内部への侵入を防ごうとする警備員に詰め寄った。

 

「ですから、落ち着いてください! リーグからの広報があるはずです」

 

 警備員たちは理性を以て抑えようと努めるも、時間の経過と共に、じりじりとそれは削られていった。

 リーグからは宵闇を増そうとばかりにもうもうと黒煙があがり、外部で怒号や衝突音などが入り交じる中、内部でも相応な混乱がおこっていた。

 

―同時刻 7階 副理事長室 仮眠室―

 

 爆発音で飛び起きたシロナは衣服を整え、部屋の外にでようとした。

 しかし、ドアノブを回して出ようとしても何かがひっかかっているのか、びくともしない。

 ふんぬと声をあげて、力ずくでこじ開けようとしても全く意味はなかった。

 中で何かが燻っているのか、煙が侵入しはじめており、このままでは生命の危険がある。

 

「ガブリアス。ドラゴンダイブ」

 

 仕方ないとばかりにシロナはモンスターボールを取り出し、ガブリアスを繰り出した。

 モンスターボールが出たガブリアスは目の前にある扉を見て、躊躇する。

 

「い、いいんですか? マスター。ここ一応リーグの中でしょう」

「いいから、早く」

 

 シロナは殺気立った様子で、ガブリアスに指示する。ガブリアスは問答は無意味と理解して、渾身の力で体当たりを仕掛けた。凄まじい破壊音と共に、彼女の前に道ができる。

 シロナはガブリアスに礼を言って、副理事長室の執務室に戻った。

 

「な、なによこれ。どうなってるの」

 

 そこには変わり果てた自らの机や、展望窓が割れ、風通しのよくなった部屋がある。

 あまり大きな爆弾ではなかったためか、入口付近から書架や秘書の机あたりまでは無事であった。

 しかし、シロナはそれ以上に衝撃的な光景を目にする。

 

「え」

 

 彼女はかつて自らの机があったところまで歩みをちかづける。

 そしてそこには、人間の下半身と思しき部位があり―――服装から察すると、それは自らに、ずっとついてきてくれた後輩の変わり果てた姿であることを認識せざるを得なかった。

 シロナはあまりのことに叫び声を上げるまもなく、昏倒する。

 

「マスター!」

 

 ガブリアスはのしのしと彼女のところまで歩み寄り、シロナを支える。

 それとほぼ同時に、副理事長室のドアが開けられた。

 

「シロナ君!」

 

 音を立てて入ってきたのは、向かいの部屋で同じく準備を進めていた理事長のワタルだった。

 後に、ワタルの秘書たちや、警備員などがぞろぞろ入って、持参した消火器や、ヌオーやクラブなどといった水ポケモンを繰り出し、消火活動にあたった。幸いにも火はそれほど強くはなく、すぐに止められそうだった。

 ワタルはガブリアスのところまでそそくさに歩いた。

 

「良かった。シロナ君は無事そうだね」

 

 気を失ってはいるものの、シロナが無傷なのを確認して、ワタルはとりあえずは胸をなでおろす。

 

「で、ガブリアス。これは」

 

 ガブリアスが事の概要を説明すると、彼はじっと眼をつぶった。

 

「そうか……。無理もないな。大事な部下を失ってしまったもの」

「理事長。どういたしましょうか」

 

 秘書の一人がワタルに話しかけ、今後の指示を仰ぐ。

 ワタルは30秒ほど間を開けて考えた後、指示を出す。

 

「マモル君はすぐに3階に行って、リーグ委員に連絡をつけてくれ。ああそう、ボタン君とアヤネ君」

 

 ワタルは散らばった資料を集めていた、女性の秘書二人をよびかける。

 

「君たちはシロナ君を、2階の医務室へ連れて行ってくれ。運んだら、そのまま、委員内の人事部に行き、職員名簿からシロナ君の秘書たちにも連絡をつけておいて」

 

 二人は資料を抱えたまま、短く明瞭に肯定の返事をした。

 

「ヤスオ君、君は1階で騒いでいる聞屋たちに起こったことをそのまま説明してくれ」

「しかし、ここでもそれとなく、分かるくらいには尋常じゃない騒ぎですよ、それでどうにかなりますかね」

 

 7階からでも分かるほどに、マスコミと警備隊は一触即発であった。ヤスオは不安気に尋ねる。

 

「10分でいい。時間を稼げればあとは委員たちがおさめるから。それでも収まらなければ僕が出ていく」

「わ、分かりました。それで理事長は?」

「僕かい? 僕はね」

 

 ワタルはモンスターボールを取り出す。

 

「この割れてしまった窓を塞ぐよ。資料が吹き飛ばされでもして、選挙に負けた言い訳にされるのはごめんだからね」

 

 ワタルは快活に笑ってみせた後、モンスターボールからハクリューを数体出した。

 

―12月15日 午前0時55分 1階 第二会議室―

 

 爆発事件を受けて、今後の対応を協議するため、緊急で理事会議が開催された。

 理事として召集された四天王たちは皆眼をこすっていたが、起こったことの次第は伝わっているのか、緊張が走っている。

 挨拶と謝辞もそこそこに、本題に入る。

 議場の机は円卓になっており、各地方の四天王やチャンピオンが座っていた。

 

「それで。結局どこの仕業なんです」

 

 最初にワタルに対し声をあげたのは、同じセキエイリーグ四天王のイツキだった。

 

「それはまだ分からない。査察部と警察の捜査を待たなければならないが」

 

 ワタルは少し間を開け、言葉を選んで話す。

 

「シロナ君の机を中心に破壊があったから、恐らく犯人は飛行ポケモンを使って、展望窓の外から爆発物を投げ込んだだろう。爆発物の正体は周囲にマルマインと思しき破片が散らばっていたから、多分それだ」

「質問の答えになってないわよ。そんな見れば誰でもわかる程度の情報じゃ、何の対策も立てられないじゃない」

 

 同じくセキエイリーグの四天王であるカリンが、そうワタルを詰った。

 

「だから分からないと言った。それで、とにかく現段階においては事態の収拾を優先しよう。夜が明ければもっと大勢のマスコミがくるだろうから、それについて協議したい」

「とにかく今は何も分からないのだし、黙ってた方がいいんじゃねーか? 余計なことをいうとあることないこと、書きかねねーぞあいつら」

 

 サイユウリーグ四天王のカゲツが、頭を掻きながら言う。

 

「それはあまり宜しくないのではないでしょうか? 答えるべきことは誠実に言うのが、リーグとして有るべき姿だと思いますよ」

 

 シンオウリーグ四天王のゴヨウが、メガネの真ん中をあげながらカゲツに反論した。

 

「だからその答えるべきことがわかんねーから、今は何も言わねーほうがいいって言ってんだよ。話聞いてないのかメガネ」

「落ち着きなさいなカゲツ。今はリーグの真価が問われているとき。あちらの言うことの方がもっともだと思いますわ」

 

 2つ隣に座っていた、サイユウリーグ四天王のプリムが、諭すようにいってきかせた。間に挟まっているフヨウは、話についていけないのか寝息をたてていた。

 

「だ。だけどよ。天下のポケモンリーグがどこの誰かも分からない奴に、本部を襲われて、委員一名を惨殺されましたなんて、それこそ恥だぜ。もう少し分かってから話したほうが」

「そもそも殺人事件は我々ではなく、警察の管轄です。管轄が違うものが分からないというのは至極当然というべきでしょう」

 

 ゴヨウはつとめて冷静に意見を述べている。死体は既に近隣の病院の霊安室に運ばれているが、事件現場については不介入を盾に選挙期間中は警察といえども立ち入らせないことになっている。

 

「理事長の話きいてなかったのか。これは明らかにポケモンによる殺人だぞ」

「いや、ゴヨウ君の意見は尤もだよ」

 

 ワタルが間に入って口を挟む。

 

「カゲツ君の言うように、確かにこれをそのまま言えばリーグの恥だ。だが、何も言わないのもプリムくんやゴヨウ君の言うようにリーグの信義を損なうことになる」

 

 ならばどうするのだという、圧力が議場内に満ちた。

 

「発表はするが、マルマインによる自爆ということは伏せた上で言う」

 

 議場内から反発の声があがりそうであったが、それに先んじてワタルは続ける。

 

「この目でみたとは言っても、所詮は僕の眼で勝手に判断したにすぎない。本当はマルマインに似せた模型かもしれないのだからな」

「理事長殿! それはいわば」

 

 セキエイ四天王であるキョウが口を開くが、それよりも先にワタルが遮る。

 

「とにかく、今はそういう事で話を進める。詳細はまた分かった後に随時発表すればいいだけのことだ。さて、次の議題だが今日の10時に迫っている選挙をどうするかだ」

 

 ワタルは声をあげさせぬ間に、次の議題へ移った。

 

「今日は無理でしょう。一度このリーグにいる人は任地に戻って、再度仕切り直すべきでは」

 

 ゴヨウは順延を提案するが、ホウエンリーグチャンピオンのミクリが反論する。

 

「随分簡単に言ってくれるね。今このリーグにいる人たちは何年も前からこの3日間をあけてるんだ。逆に言えば役員や理事が全員揃うのはこの日しかないとも言い換えられる。私だって来週から海外でイリュージョンニューイヤーセレモニーでこの国にはいないわけでね」

「ミクリ君。そうは言うが、対立候補のシロナ君がいつ戻ってこれるかわからないんだ。選挙を行うにもこれではどうにも……」

 

 そう言うと、議場の扉が開かれた。

 

「誰が。戻ってこられないのですか? 理事長」

 

 そこには、シロナが何もなかったかのように立っていた。

 

「シロナ君!」

「皆様。お騒がせいたしました。私はこのとおり元気です。秘書が揃い次第、諸事を済ませたいので当初の時間は難しいですが、日取りは予定通り行いたく思います」

 

 シロナは毅然なように見せているが、足がかすかに震えており、ショックは未だに癒えていないのは明らかだった。

 

「し、しかし今日は明らかに無理だろう。第一マスコミの対応だって」

「報道への対応なんて、この座についてから私の仕事だったでしょうが。うまくまとめておきますわ。今回の爆発事件は私の部屋しか被害に遭ってませんし、こんなことで選挙日程を伸ばすわけにはいきません。それでは」

 

 そういってシロナはツカツカと、議場を去っていく。

 理事会議もシロナがそこまで言うなら、と日延べはせずに、時間を遅らせて行う事で決議した。

 

―午前7時20分 4階 408号室―

 

「おはようエリカ」

 

 エリカは彼よりも30分ほど早く起きて、朝食を作り終えていた。

 

「貴方、昨夜大きな音がしませんでしたか」

 

 この部屋は理事長室側の方向にあり、音以外に事件について知る由はなかった。

 エリカは二人分の緑茶を入れると、席につく。

 

「大きな音? 聞こえなかったな。気のせいじゃないか」

「左様でございますか。私の思いすごしですかね」

 

 そう言うと二人とも、お茶に口をつける。

 朝食を食べていると、室内の電話がコール音を鳴らした。

 エリカは箸を箸置きにおいて、そそくさと電話をとった。

 

「はい。もしもし」

「タマムシシティジムリーダーのエリカ様でございますか? こちら理事長選挙管理委員会です」

 

 やけに改まった口調で電話口の声がする。エリカはやや当惑気味に肯定の返事をした。

 

「昨日の23時36分頃に、副理事長室において、爆発事件が発生しました」

「えっ」

「驚かれるのも無理はありませんが、落ち着いてお聞きください。副理事長は無事ですが、選挙の日程に少々変更が生じました。当初は午前10時からの予定でしたが、本日未明に行われた理事会議の決定に従い、午後4時からの開催に変更となりました」

 

 エリカはやや時間をかけて言われた内容を咀嚼し

 

「私にかけずとも、ナツキさんにのみお伝えすれば良いのでは? 私は選挙での投票権はナツキさんに委ねましたので」

「念の為、正規のリーダーにもお教えしたほうが良いと思いまして」

「まあ。分かりました。お手数をかけましたわ」

 

 この返事を確認すると、返礼をして電話は切られた。

 エリカは静かに受話器を置く。

 

「どこからだ?」

「貴方。どうやら気のせいではなかったようですわ」

「なに?」

「副理事長室で爆発が起きて、シロナさんは無事だったそうですが、その影響で選挙が本日の午前10時から午後4時に順延となったようです」

「爆発って。いくら無事つっても、今日中で大丈夫なのか?」

「万全ではないでしょうね。しかし、それでもやるしかないでしょう。シロナさんからすれば」

 

 エリカは意味ありげなことをいいながら、席につき、緑茶を一口だけ口につけた。

 

「どういうこと?」

「この三日間しかないのですよ。シロナさんが、まともにワタルさんと戦えるのは」

「意味がわからん」

「今日の選挙を見れば、自ずとわかると思いますわ」

「え?」

 

 エリカは、最後の一つかみのご飯を食べ終わると、すぐに食器を片付け、スーツケースを取り出して、一枚の和服を取り出した。

 

「エリカお前、選挙に参加するつもりなのか?」

 

 彼女が和服を出したときは、ジムリーダーとして職務を執行する証である。

 

「昨日とはもう状況が違いますからね。それに、ナツキさんもお疲れ気味のようですから、選挙期間中は休暇をとらせます」

 

 レッドは関心のなさそうに、相づちを返した。

 

「てことは俺は選挙やってるあいだ、何したらいいんだ? 外へ出てもいいのか」

「貴方は投票権はありませんけど、その身内ではありますからね。機密を守るためにも、期間中は外に出ることは控えていただきたいのですが」

「そうか。しかし退屈だなあ」

「リーグ内を探索する分には構わないでしょうから、探検でもなされたらいかがですか」

 

 エリカはレッドに眼は合わさず、和服に触れて、チェックをしている。

 

「そうだな。そうするか」

 

 レッドはそうこう言ってるうちに朝食を食べ終えた。

 

「さて、では早速ここから出ていただけますか。私はその、着替えをしなければいけないので」

 

 エリカは少しだけ頬を赤らめて言う。

 

「あ、ごめん」

 

 そう言いながらレッドは食器を台所にやって、出ていった。

 ただそこにいても仕方がないので、しばらくのあいだリーグ内を見て回ることにした。

 

―午後2時44分 3階 廊下―

 

 2階及び3階部分はショップやトレーニングルームなどのレクリエーションや業務の為に必要な店があるスペースになっており、間仕切りを隔てて委員たち職員の仕事場がある。

 職員スペースとレクリエーションやショップスペースは自由に行き来できるようになっており、簡素なガラス扉はあるものの、特に施錠はされていないようだ。

 昼はエリカより、ナツキと諸事について打ち合わせするというので、別個で適当に済ませ、午後からもトレーニングを行ったが、気分転換にリーグを見て回った。

 広い廊下を歩いていると、聞き覚えのある声が彼を呼びかけた。

 

「よう、レッドじゃないか」

「お、久しぶりだな」

 

 相変わらずの、斜めに反り上がっている髪に、洒落たジャケットを羽織っているその人物は、グリーンであった。

 

「珍しいなお前が一人でいるの」

「さすがにここまでハニーたちは連れてこれないからねえ。ジムリーダーは辛いよ」

 

 グリーンはそんなことを、闊達に笑いながら言う。

 立ち話もなんだからと、二人は建物内にある喫茶店に入った。

 

―喫茶店―

 

「全くあの爺さんがとんでもないことしてくれたおかげで、こっちは定例会の度に冷たい何かを感じるよ」

 

 陽気なグリーンには珍しく、彼は愚痴からはじまった。

 ポケモン研究の第一人者の孫から、全国を恐怖の底に陥れた怪物の孫である。元々人の機微を感じ取ることに長けていた彼にとっては、その色の変わりようはひしひしと感じ取れていた。

 

「事が事だものな。同情するよ」

「ま、寛大な俺だからこんなでも耐えられるけど、お前じゃ三日でリーダーを降りるね」

「ははは。しかし、そんなに酷いのか? こういうときくらいは励ましの言葉くらい」

「だから尚更くるんだよ。いっそのこと、全力で罵倒されたほうがスッキリするぜ」

 

 グリーンはそういいながら、出されたストレートティーをがぶ飲みした。

 

「そんな状況なら、世間に博士の仕業だと公表されなくてよかったのかもな」

「まあな。さすがにそうなったら俺のメンタルも、どこまでもつことやらな」

 

 グリーンはため息をついて、あさっての方向をみていた。

 

「全く爺さんも、そんなことするなら、俺にも一言くらいいってくれたっていいのにな」

「は?」

「なんでもねえよ。独り言だ」

 

 彼の眼はオーキドへの怨嗟とともに、後悔をも孕んでいるようにみえる。

 

「それよりも、お前、エリカさんとはどうなんだ? 上手くやってるのか」

「まあそれなりにな。この前マフラー編んでくれたよ」

「ほー。順調で結構なことだな。どんな感じのだ?」

「このくらいの長さの、真っ赤で、右端に花の刺繍がしてあったよ」

 

 レッドは手振りをしながら説明した。

 

「花か……」

 

 グリーンはそれを聞くと、サンドイッチを一口放り込んだ。

 

「お前、気をつけたほうがいいぞ。他の女ならいざしらず、あの人なら何かしらの意味があるだろう」

「意味って。考えすぎだろうそんなの」

 

 そうこう話していると、後ろの席で話し声がするのが聞こえた。

 

――あの件についてはどうしましょう?

――中止についてか? 選挙の議題にはしたくないと言ってたが……

――しかし、既に一方は内国の全てのバッジを集めたんですよ? ここまで進んでいるものを止めてしまうのを黙っておくのは……

――余計な事を今言って選挙に勝てなくなったら意味がない。先生には勝ってもらわなければ……

 

 その直後、電話が入って会話は中断された。

 レッドは七割くらいしか聞き取れなかったが、それでも大筋は知れた。そしてそれの意味するところは政治に疎い、彼であっても推察は容易である。

 提案したワタル自身がポケモンマスター計画中止を提言することは、考えにくいのでシロナの政策の一つであることもレッドにはすぐに分かった。

 

「ん? どうしたレッド黙り込んで」

「悪い。ちょっと出るわ」

「そうか。ま、これまで散々旅をしてたんだ。この三日間くらい故郷にいるのもいいんじゃねえか。骨休めだと思って気楽にな」

 

 そう言ってグリーンは代金を置いて、去っていった。

 レッドは会計を済ませて、とりあえず廊下に出る。

 彼はこれをどうしようか悩みながら、客室へ一旦帰っていった。

 

―午後3時57分 セキエイリーグ 1階 第一会議室―

 

 第一会議室。

 国会の本会議場をモチーフにした、この荘厳な場所が開かれるのは五年に一度の理事長選挙のときのみであり、1989年の第一回より25年近くその慣習は破られていない。

 そこは会議室というよりは議場と言ったほうが近く、1000人ほどが収容できる二階の傍聴席にたいして、1階の席は100に満たないというアンバランスな構成が特徴である。

 議席は地方ごとに弓の形状で8人(ホウエンのみ9席)ずつ左右に配置され、ジムリーダーたちはそこに着座し、四天王やチャンピオンたちは議長と候補者の席の左右にまた、予備を含めて地方ごとに5人分ずつ配置されている。

 議場の左奥には議長席と、その前に書記席、更に前に討論台がある。また、地下にポケモンバトル用のフィールドが格納されており、三日目のバトルには1階にせりだすという仕組みになっている。

 傍聴席は既にマスコミでごった返しており、100台に迫ろうかという大型のテレビカメラが1階にそそがれていた。

 ちなみに傍聴席の更に上の3階部分には貴賓席があり、政府の高官や、リーグのスポンサーである企業の重役や社長たちが30人ほど観覧に来ていた。

 立候補者や役員(ジムリーダー)以上の投票者は既に席につき、議長の入場をまつばかりであった。

 

――わぁぁぁ

 

 1分ほどすると、大きな歓声があがった。

 議長席の左側にある扉から、前理事長のダイゴがゆっくりと登場し、議長席に腰を降ろす。この一連の動作に、数多くのシャッター音が響く。

 議長席上部の、リーグの紋章でもあるモンスターボールをあしらった、大型時計の長針が、12を指したのとほぼ同時にダイゴは口を開いた。

 

「これより、第六回全国ポケモンリーグ理事長選挙を開会する」

 

 その声はマイクを通じて議場中に響き渡り、先程までの歓声は静まり返って、厳粛な場となった。

 

―午後8時11分 同所―

 

 それから、簡単な経歴と人物紹介の後に、数時間に亘る討論会がはじまる。

 前回の選挙より今日に至るまでのリーグが直面した問題の討議や、政策の論議が主な内容で、この時間になるとシロナの目玉政策の一つである、トレーナー保険制度の創設が議題となっていた。

 

「このような、昨今のポケモントレーナーの経済事情を鑑みますと、現状の自己責任ですべて貫徹させるというのは、多大な負担を押し付けていることになっているのは明白です。トレーナーに対する包括的な保険制度を作ることは、急務であると考えます」

 

 シロナはリーグに寄せられる、トレーナーの情報を基に緻密な分析を行った。そしてその結果を、討論席の間にあるスクリーンにわかりやすくグラフでまとめて表示し、主張の根拠とした。

 

「確かに、トレーナーの皆様方には、少なからぬ金銭的、精神的負荷を与えてしまっている事は、私自身も否定は致しません」

 

 対するワタルは、シロナの主張を聞いた上で、つとめて冷静に言葉を返す。

 

「しかし、ポケモントレーナーとは元来、そのような苦しみをも受け入れて、困難に立ち向かっていくことこそ肝心、要であることを忘れてはならないのです」

「まだトレーナーが、一部の求道者たちだけのものであれば、その主張は頷けます。しかし、今や数千万人もの人々がトレーナーカードを持ち、老若男女が関わっている今となっては、それは通じません」

 

 シロナは、スクリーンのスライドを切り替えた。ある様々な事例が記載されている。

 

「トレーナー保険というものは、既に類似の商品が保険会社によって幾つか提供されていますが、どのサービスも一長一短です。たとえば一番上のA社では、掛け金は月に数千円程度と安い部類に入りますが、賞金負担額の基準が高く、あまり意味していなかったり、その下のB社では、賞金負担額の上限、下限は定められていないものの、掛け金は月に数万円と貧しいトレーナーにはとても手の届かないものとなってしまっています」

「話をそらさないで頂きたい。私は内容を吟味したいのではなく、保険制度そのものが」

 

 ワタルが言い終わる前に、シロナが返した。

 

「ええ。ですから、このような保険商品に代わって、我々リーグが豊富な資金と余力を基に、安い掛け金で充実したものを作るべきなのです。そうすればトレーナーの皆さんに行き渡りますし、他の保険に惑わされたり、渋い保障に泣くことはなくなるのですから」

 

 ワタルは見事にシロナの誘導にひっかかり、閉口するしかなかった。

 このような調子で、ワタルは弁舌のたつシロナの前には、押される一方で、傍聴からもそれは明らかである。

 

―午後10時12分―

 

「そこまで! これより、質疑応答に入ります。理事、役員でこれまでの討論、または政策について疑問のある者は遠慮なく挙手を以て質問し、候補者は誠実に答えること。こちらは指名以外は特になにもしませんが、リーグ法128条に記載されている、特段の事情を認めた場合には職権により中断を命じます」

 

 議長が規定通りの言葉を連ねた後、しばしの間をおいて何人かが挙手する。

 四天王の一人から二人それぞれに宛てて、今全国に1万人ほどいるとされている無所属のベテラントレーナーについてどうするつもりなのかという質問があった。

 

「勿論、ポケモンリーグとして優秀なトレーナーは、一人でも多くこちらで道を用意すべきだと考えてはいるが、簡単に解決できる問題ではないので、具体的な方策についてはここでは話せない」

 

 ワタルは、当たり障りのない回答に終始した。

 

「このような事ではいけません。私はベテラントレーナーにつきましては、先程議題として取り上げました保険制度を用いて生活の負担を軽くするだけでなく、指導トレーナーの職を用意し、新人トレーナーの具体的な育成にあてることで、知識及び経験の継承をスムーズに行うだけでなく、より高度なバトル環境の整備に資することをお約束します」

 

 その他にもシロナは数個ほど腹案を述べて、聴衆の関心を引く。

 カントー地方のリーダー席にいたエリカは、じっとその内容に聞き入っていた。

 やがて、質疑応答も終わり、定刻を20分程過ぎて一日目の選挙日程が終了する。

 

―午後11時45分 408号室―

 

「どうされたのです貴方? 電気も消されたままで」

 

 部屋に戻ったエリカは、玄関のスイッチを押しながらいう。

 レッドは自室に戻ってから一人でずっと、喫茶店で聞いたあの言葉を反芻させていた。

 

「いや別に大したことじゃあ、ないよ」

「とてもそうは見えないのですが」

「そうか」

 

 そういってレッドは、またも下のカーペットに視線を落とした。

 

「もう夜更けではありますが、何か召し上がりますか?」

 

 エリカは気を使ってか、話題を変えた。

 彼はそういえば夕食をとっていないことに気づく。

 

「そうだな……。なにか軽いものでも頼むよ」

 

 エリカは備え付けのキッチンで、おにぎりを数個用意し、レッドに渡した。

 それを食べながら、レッドはおもむろに有ることを切り出す。

 

「エリカあのさ」

 

 自分の分をついでに作っていた彼女が、こちらを向く。

 

「昼に妙なこと聞いちゃったんだけど」

「どのようなことですか」

「俺たちが今している旅を、中止にしようという話があるみたいで」

 

 レッドは喫茶店で聞いたことをそのまま、彼女に話した。

 

「ただの噂でしょう?」

「いやでも先生とかなんとか言ってたし、関係者しか入れないところで聞いたもんだから」

「そうですか」

 

 そう言って彼女は、キッチンの方へ向き直った。

 

「これ多分シロナさんが、やろうとしていることだろ」

「そうでしょうね。ワタルさんがなさる理由はないでしょうし」

 

 その点についてはエリカも同じようだ。

 

「しかし貴方。このことは私たちだけでどうにかなる事ではありませんわ。もう少し冷静に」

「お前……なんでそんな冷静なんだよ」

 

 レッドは静かに怒りを覚えていた。

 

「はい?」

 

 彼女は再び、レッドの方へ向く。

 

「俺たちのこれまでの旅が全てなくなるかもしれないのに、なんでそんなに冷静なんだってきいてんだよ!」

 

 レッドは気がつけば、立ち上がり、吐息がわかりそうなほど、エリカのすぐ近くにまで迫っている。

 勢いは憤然としていて、今にも殴り掛かりそうである。

 

「え、え?」

 

 エリカにとってその反応は予想外だったのか、目を大きくして戸惑っている。

 

「答えろよ。なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」

「で、ですから、慌てたところでどうにかなる話ではないのですから、ここは冷静に状況を」

 

 そういうとレッドは思い切り、台所の壁を殴った。

 拳はエリカの右頬を掠め、髪が数本抜けるほどにそれは凄まじい。

 

「そんなこと聞いてるんじゃない。お前にとって、この一年はその程度だったのかってきいてんだよ!」

「え、えっと、その」

 

 理不尽。

 彼の言い分は理不尽ともとれるものである。

 しかし、普段ならばそのようなとき、次々と反論の言葉を繰り出してくる彼女だったが、このときはどうしてか、言葉を出せずに居た。

 怯えているわけでも、呆れているわけでもなく、どこか別の感情が彼女のロジカルな領域を制しているようだ。

 

「なあ。どうなんだよ」

 

 当惑していた彼女は、落ち着きを取り戻して答える。

 

「も、申し訳ありません貴方。そこまで思っていらっしゃったとは露知らず、心無いことを言ってしまいました」

 

 エリカはとっさに頭を下げた。

 

「お前らしくもないな。いつもならもっと」

 

 レッドが言葉を続ける前に、彼女が口を挟んだ。

 

「いえ。私にも貴方を怒らせるだけの、非はありますから」

「そうか」

 

 そういうと、レッドはいささか落ち着きを取り戻し、拳を引っ込めた。

 

「このまま計画をなくされては、私も嫌です。なんとか私なりに手段を考えてはみましょう」

「手段って、どうする気なんだよ」

「やりようはありますわ。一応は私も役員ですから」

 

 そう、エリカはレッドをなだめて、この場はおさまった。

 

―12月16日 午前8時40分 7階―

 

 エリカは再び、リーグ最上階のセキュリティゲートの前にきていた。

 シロナに訪問の旨を警備員に伝えると、

 

「本日は選挙準備の為、一切の来客をお断りするよう、仰せつかってます」

 

 とつれなく返された。

 なるほど、ガラス戸の向こうでは秘書が慌ただしくでたり入ったりしているのが伺える。

 

「わかりました。それでは、この手紙を秘書の方にお渡しいただけますか」

 

 エリカは懐からおもむろに、白い手紙を警備員に手渡した。

 

「よろしくお願いいたします。それでは」

 

 そう言ってエリカはそそくさと、エレベーターに戻った。

 選挙二日目のこの日は、地方別のリーダー、四天王間の特別定例会で、前日の選挙の議題や討論の検討、投票者の見定めについてなどを話し合う日として設定されている。

 定例会は9時から、第二から第四会議室で行われ、1時間の昼休憩を挟んで、15時頃に終わるのが例年である。

 

―午後0時30分 3階 フレンドリィショップ―

 

 レッドは、トレーニング施設でポケモンを鍛え上げた後、傷薬や諸道具の補充の為、ショップにいた。

 ショップといっても2階と3階をあわせた大規模なもので、リーグ30キロ四方にまともな商店がない分、ここで食品から電子機器まですべて補えるほどの品揃えである。

 ちなみに、1階の挑戦に来たトレーナー向けのショップとはまた別個の施設であり、接続もされていない。

 自らの買い物に加え、朝にエリカから頼まれた食材や雑貨などを一通りカゴに入れてなんとなく、トレーナー用品のコーナーを所在なくうろついていると、聞き覚えのある声がレッドの耳に入ってきた。

 

「レッドじゃない。久しぶりね!」

 

 声の方向に顔を向けると、髪を下ろして、カジュアルなスーツに身を包んだ女性が居た。

 

「すみません、どちら様ですか?」

「やーね。気づかないの? って無理もないか。ジムにいるときと全然格好違うものね」

 

 そう言って彼女は、懐から水滴を模したジムバッジを、彼の前に見せた。

 

「そのバッジは……。えっ!? もしかして、カスミさん?」

「そうよ。思い出してくれた? あんたのピカチュウに散々いじめられた、あのカスミさんよ!」

 

 カスミは軽く冗談めかした口調で言う。レッドにとっては5年以上前にあたる、カントー序盤のジムで、エンジュ騒乱のときは別の部隊に所属していたため記憶の奥底にしまわれていた。

 

「な、なんでそんな格好を?」

「一応ジムリーダーだから。公私の分別はきちんとつけないとね! それにこういう時くらいしかスーツ着る機会なんてないし」

「でもタケシさんとかは、普段着のままきてましたけど」

「あいつは案外そういうところルーズだから……」

 

 そんなことを言っていると、カスミの背後から当人が歩いてきた。

 

「おいおい。随分言ってくれるじゃないか。なあ。カスミ」

「出たわね。全く、少しはTPOってものを考えたらどうなの?」

「いいんだよ。これは俺のジムリーダーとしてのトレードマークなんだぞ。なあレッド、いつも同じような服着てる者同士、わかってくれるよな?」

 

 タケシは笑いかけながら、レッドの肩を叩いた。

 

「あはははは」

 

 セキエイに来る直前に、いつもの服に着替えていたが、シンオウにいるときはさすがに厚着していたとは言えないレッドであった。

 

「全くこれだから男は……。まあいいわ。それよりも、レッドにこの際、言いたいことがあるのよ」

 

 レッドはゆっくりとカスミに視線を向けた。

 

「選挙が終わったら、そのままイッシュ地方にいくつもりなの?」

「いや、シロナさんと戦いますけど」

「そうじゃなくて! カントーのバッジを取り直す気はないのかって聞いてるの!」

「は?」

 

 レッドはカスミの言ってることの意図をはかりかねていた。

 

「つまりだな。カスミは悔しいんだよ。ピカチュウに手も足も出ずにボコボコにされたって聞いてるからな」

「あんただってフシギダネに完封負けされたでしょうが!」

 

 カスミはタケシを睨んで言い返した後、咳払いをして続ける。

 

「とにかくね。納得いかないのよ。他の地方は全力のジムリーダーの力を見てバッジを受けているのに、たまたま最初の地方となっただけのカントーでは全力の10分の1あるかどうかも怪しい、モラトリアムだけでいいだなんて、そんなのおかしいわよ! 不公平だわ!」

「そうだな。カスミの肩を持つわけじゃないが、俺もこの約一年でどれだけレッドが強くなったか、気になるところではあるし」

 

 タケシはカスミの意見に同調してうなずく。

 

「いやでも、ワタルさんからは、カントーのバッジをもう一回とれなんていわれてないし」

「そんなのね。知ったことじゃないわよ! あたしは納得いってないからね。すぐにでもそこのトレーニング場で白黒つけたいくらいよ」

 

 カスミは手を前に出して、モンスターボールを見せつける。

 

「おい落ち着けって。今はまだ選挙期間中だぞ。勝手なことすると何言われるか分からないぞ」

「そんなことタケシに言われなくたって分かってるわよ。とにかく、このままイッシュ行きなんて、ぜーったいに、認めないからね!」

 

 そうとだけ言うと、彼女は午後の召集に間に合わなくなるかもと言って、そそくさと会計の場所へ去っていった。

 

「あいつの言ったことは気にしないでやってくれ」

「ははは……しかしまあ、気持ちはわからないでも」

「まあ俺自身も、フシギダネにやられっぱなしのまま、っていうのは悔しいからな。もしまたジムリーダーとして戦う機会があるなら、嬉しいけど」

 

 タケシとはその後も3分ほど話して、去っていった。

 レッドは彼らの話を内心、奢りを以て聞いている。

 

―午後3時5分 1階 第二会議室 出入り口付近―

 

 二日目の特別定例会がおわり、各地方のリーダーや四天王はそれぞれの会議室から出て、自室やショップ、飲食店など思い思いのところへ向かおうとしていた。

 第二会議室はカントーとジョウト地方の四天王とリーダーが会議をしていたところで、エリカもそこから帰ろうとしていた。

 そんなさなか、彼女はナツメに呼び止められた。案の定レッドのことであった。

 

「エリカは、結局昨日、話はしたの?」

「いえ、しようとしたのですが、夫がその前にお怒りになられまして」

「なによそれ? まさか殴られでもしたの?」

「いいえ。そこまでは。ただ、そのときにどうしてか、いつものように反駁をする気が失せてしまいまして。それどころか……その」

 

 エリカは突如言葉を濁した。

 

「あんたそれってもしかして……。いや、いいわ。もしかしたらきのせいかもしれないし。とにかく早いほうがいいわよ。ズルズルと続けるものじゃないわ」

「いいえ。もう少しだけ、レッドさんの本質を見極めさせてください。お話はそれからでも遅くはないと思いますわ」

 

 エリカのあくまでもレッドを信じ続ける姿に、ナツメは少しずつ危機感を抱いているような、そんな表情をしていた。

 

―午後5時 2階 選挙管理委員会 議長室―

 

 ポケモンリーグの職員スペースの一画に、選挙の年に設置される選挙管理委員会があり、その奥に議長室は存在した。

 理事長選挙の議長は慣習として先代の理事長がつくことになっており、権限の恣意的運用を防ぐために、本来理事の持つすべての投票権を持たず、選挙期間中は定例会へ出席せず、選挙管理委員会の内部にとどまることとされていた。

 ちなみに、議長室後方に階段が設置されており、そのまま第一会議室の議長席に繋がっている。

 リーグ法の上では上級役職とされているのにも関わらず、他の理事以上のようにリーグ本体の費用で設置される秘書はいないほどに、議長というのは名誉だけの閑職であった。

 過去における理事長の権威というものは強く、選挙の公正さを妨げるものとされていたが、こと今回の選挙の議長であるダイゴはその影響力は理事長時代の失策や、七光りと軽侮されていたことなどの事情から限定的であった。

 そんなところに、先ほど、小包が届き、中身を開けたダイゴは不敵な笑みを浮かべていた。

 

「これでやっと、5年前のお返しができるよ。シロナ君」

 

 そういうと彼は自前のポケナビを開いて、あるところに電話をかけた。

 

 

―午後8時 408号室―

 

 定例会が終わって五時間経過したというのに、エリカは部屋に帰ってこなかった。

 二時間ほど部屋でピカチュウなどの、世話をしていたレッドは、心配になってポケッチに電話をかけようと思ったその矢先、玄関の扉が開かれた。

 

「申し訳ありません貴方。遅くなりまして」

 

 そう言った彼女の声はいささか暗いものがあった。

 

「おいどうしたんだエリカ? 心配したんだぞ」

「いささか用事がありまして。けれどもう済みました。お夕食、支度しますわね」

 

 そう言った彼女の目には、わずかながらも決意のようなものを、のぞかせていた。

 

 

―同時刻 7階 副理事長室―

 

 副理事長室では、前日の早朝に出勤命令が出されて、総出で資料の整理や再構成などを行っていた4人の秘書、そしてシロナ自身が先程まで仕事に没頭し続けていた。

 割れた窓には応急措置として、ワタルのハクリューが作り出した透明なリフレクターが全面に貼られている。かつて、シロナが鎮座していた机より後ろの部分には現場保存のために規制線がはられ、立ち入ることはできない。とはいえ、ポケモンは例外のため、ハクリューたちはすぐそばで壁を張り続けている。

 この時間になると、ほとんど整理がつき、他の業務を行っている。そんな一息ついているムードのところ、シロナはこれまでにきた書類や手紙などを同じ階にある備蓄倉庫より引っ張り出した臨時の机の上で目を通していた。

 

「どうにか三日目の討論会にはこぎつけそうですね。副理事長」

 

 秘書の一人がコーヒーを置きながら言う。

 

「無理を承知の上でがんばってくれた、貴方達のおかげよ。ありがとう」

 

 シロナは視線は書類に向けながらも、言葉には感謝の気持ちがこもっていた。

 書類を読み終わり、次のものに視線を向けたその時、彼女の声が変わる。

 

「ちょっと。これいつ届いたの?」

「今日の9時前だったと思いますけれど」

 

 その言葉を聞いて、すぐさま彼女は目を怒らし、

 

「どうして今頃もってきたの?」

 

 その言葉は冷静ではあったが、明確な非難の色を帯びていた。

 

「散逸した資料の整理などを行っていて、とてもすぐお読みになれる状況ではないと思料したもので」

「この人からの手紙、もしくは来訪のあったときはすぐにお通ししなさいと言っておいたはずでしょう?」

「申し訳ございません。あまりにも突然の事の上、ここしばらくはここの業務についていなかったもので失念しておりました」

 

 シロナは12月に入ってから、特に信頼の置ける人物だけと、準備を進めるつもりだった。その為、例の後輩のみを残して、それまで今年中選挙準備やエンジュ騒乱の対応などで、ほぼ休みのなかった秘書たちに冬期休暇という形で、休日を与えていたのだ。

 手紙の裏には、差出人の身分を証明する印章である、レインボーバッジを模した封蝋が押されていた。

 それまで討論を優勢に進めていたシロナは、忍び寄る、嫌なものの気配を感じ始めていた。

 リーグの次の五年を決定し、前の五年の審判が下る日は、すぐそこへ迫っていた――

 

―第三十三話 伯仲 終―

 


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