インターハイ翌年 3月12日
霧島神宮 社務所 石刀霞
石刀霞たち六女仙は、霧島神宮の本職巫女であり、本来ならば他の神社で奉仕(本職に対して、アルバイトの巫女は助勤巫女と言う)を行うことは禁じられていた。
しかし、
古来より国の
そこに鋭く切り込んだのが戒能良子であった。彼女は、宮永咲と再戦し、勝利することこそが、威信回復の方法だと提案した。長老たちから
石刀霞、狩宿巴、薄墨初美の高校三年生組は、スライド式の大学進学は認められていたものの、麻雀などの部活動は一切認められておらず、学業専念が厳命されていた。霞たちには、職業選択の自由がなかった。大学卒業後は、それぞれの地元に戻り、伝統の維持と継続が義務付けられていた。その悪習も良子の戦略で破棄されそうだ。霞たちには、小蒔が咲を倒すまでという条件付きではあるが、大学での麻雀の継続が許可された。
午後7時30分。六女仙全員が社務所に集まっていた。霞は、神代小蒔の阿知賀遠征の補助を説明していた。だれ一人不満を訴える者はおらず、むしろ全員楽しそうにしている。もちろん、霞もその一人だ。なぜならば、基本、六女仙にはアルバイトは許可されておらず、おそらく、最初で最後のアルバイトになるはずだ。その貴重な経験を心待ちにするのは、ある意味当然なことだ。
「霞ちゃんはボーリングをやったことがあるのですか?」
鷺森レーンでボーリング場の受付サービス担当になった薄墨初美が楽しそうに聞いてきた。霞が初美と十曽湧を選んだのは、多分だれもボーリングを知らないと思ったからだ。それならば運動神経の良い初美と湧が適任だ。
「いいえ。だれかやったことのある人は?」
五人とも顔を見合わせるだけで、だれも
「一度みんなで行きましょう」
「そうですよ。ルールが分からないと、質問された時に答えられませんよ」
それもそうだなと霞は思ったが、初美と湧の嬉々とした顔を見ていると、ただ遊びたいだけなのではと
「小蒔ちゃんがきたら相談してみましょう」
その小蒔は、阿知賀遠征について総代と打ち合わせ中だった。
一年以上続くと言われていた小蒔の自我喪失状態は、その元凶となった宮永咲が、小蒔の本質に触れたことで回復が促進された。9月から少しずつ話せるようになり、年明けにはほぼ完全な状態だ。いや、それどころか、小蒔の欠点とされていた優柔不断さ(六女仙は欠点とは思っていなかった)がなくなり、神境の当主としての威厳すら芽生えていた。
「お客様はどちらからお越しですか?」
従姉妹の明星が旅館従業員のシミュレーションをしている。元々自分たちは子供の頃から礼儀作法は厳しく教育されているので、姿勢や言葉遣いは問題ないが、口調は少し堅苦しく感じる。
「明星ちゃん、もうちょっとリラックスして」
「浴場はこちらになります」
今度は滝見春だ。口調は良いのだが、愛想がなさすぎる。
「春ちゃんはもう少し愛想よく」
「はい」
まるで遠足前の子供のようだ。まだ、何週間も先の話なのに、待ちきれない様子だ。
「霞ちゃんは大丈夫なの?」
と、言ったのは狩宿巴だ。彼女にはその語学力(巴は英語に堪能)と計算力を武器に、お土産屋を担当してもらっている。自分を心配してくれているようだが、助勤巫女とはいえ、やることは大体同じだろう。
「新子さんのところなら問題ないと思います」
「そうじゃなくて……その、なんというか装束のほうが」
「……それもそうね」
巴が言っているのは胸のサイズのことだろう。今身につけている装束も、確かに特注品だ。同じサイズのものが、新子憧の神社にあるとは思えない。
「新子さんに装束を持ち込んで良いか聞いておきます」
「霞お姉ちゃん、私たちは?」
明星と春もかなり胸が大きいので心配そうだ。しかし、巴の沈着冷静な分析が二人を安心させる。
「松実宥さんの胸囲は春ちゃんとほぼ同じだよ。だから大丈夫」
「良かった……」
「わ……私たちも心配ですよね?」
無縁な話になった湧が、意地と根性で話に割り込む。のりの良い初美も湧に付き合って頷く。だが、そこでも巴の分析力が冷徹な回答を下した。
「鷺森灼さんは二人よりも身長も胸囲も大きい。心配無用」
「……」
本当に楽しいなと霞は思った。この時期にこんな話ができるなんて想像できなかった。進学は決まっていたことだが、六女仙としての活動からは一歩引く予定であった。良い意味ではあるが、なぜこんなことになったのかと考える。
(小蒔ちゃん……あなたが、咲ちゃんと出会ったからね)
運命の出会いだったのだなと思う。当初は似すぎている二人の出会いは、悲劇的結果を霞に想像させた。そして、小蒔が咲に敗北し、それが現実になったと絶望した。ところが、それは二人に(特に小蒔に)凄まじい成長を促した。神境の掟を破り、最高秘術で敗北してまで、もう一人の自分(小蒔は咲を語る時そのように表現する)を救おうとした気高き精神は、古来の神々の心も動かしたのだろう。滅ぼすべき対象であった咲が、
(咲ちゃん……もしも、阿知賀であなたに会うことができたら、私たちは、あなたに『ありがとう』と言うと思います。きっと驚くでしょうね。でもね、できることなら、理由を聞かないでほしい。だって、説明できませんから。それはね、私たちの心の声。そんなものは、説明できっこありません)
自分たちは慣習を破ることを恐れていた。それは決して良い結末をもたらさない。代々受け継がれてきた記憶が霞たちを縛っていたのだ。しかし、当主である神代小蒔が、破滅の危険を冒してまで、それを打破した。
(私たちも……あなたについて行きます)
戒能良子は、小蒔と六女仙で、ニューオーダー派や保守連合に対抗するチームを作ろうと計画している。もしも、小蒔がそれで良いというのなら、自分たち六女仙も加わるだろう。もちろん、だれもそれを恐れない。小蒔が教えてくれた。結果に後悔しない覚悟があるならば、新たな一歩を恐れる必要はない。
「遅くなりました」
「姫様!」
神代小蒔が、戻ってきた。真っ先に反応したのは、薄墨初美だ。以前は、神境の礼儀作法を無視することが多かった初美だが、真名井の滝での出来事以来、小蒔に心酔し、態度を改めている。
「どうしたのですか初美ちゃん? 楽しそうですね」
「姫様、土曜日にボーリングに行きましょう!」
「ぼうりんぐですか? ああ、そうですね。初美ちゃんと湧ちゃんは覚えておいたほうが良いかもしれませんね」
「姫様はやったことがあるんですか?」
「もちろん……」
「……」
「ありません」
まあ、オチは分かっていたが、その優しい空気が、全員を笑顔にさせる。そう、これが小蒔の魅力なのだ。そこに彼女がいるだけで優しさに包まれる。人を束ねる力とは、言葉でも行動力でもない。その人間が持つ心なのだ。
「それじゃあ決まったの? 小蒔ちゃん」
「はい、みんなで阿知賀に行きましょう」
歓声が上がる。それを眺めている小蒔も嬉しそうだ。
「ようやく咲ちゃんに会えるわね」
「言葉で話すのはインターハイ以来です」
「言葉で話すのは?」
「うまく言えません。私たちは、一人ではありませんから」
「そう」
目を細める小蒔は、どこか懐かしむように見えた。あの、咲と融合していたというインターハイの数時間は、二人の人生すべてを共有した時間なのだろう。融合は解けているはずだが、その記憶は永遠に小蒔の心に残っている。
「あの、姫様」
湧が初美と共に小蒔の前に立つ。なにを言いたいのか分かっているのか、小蒔は直ぐに笑顔で答えた。
「みんなで行きましょう」
湧と初美は小躍りして喜んでいるが、霞は少しだけ憂鬱だった。ボーリングは自分にはできない競技だなと思っていた。実は、胸が邪魔をして足元がよく見えないのだ。
「私は、見学しようかしら」
「霞ちゃんも一緒にやりましょう」
小蒔にそう言われては断れないが、もう少しだけ抵抗してみることにした。
「でも……」
「もしかして、おっぱいが邪魔で球が見えないんですかー?」
初美が、胸に手を当ててバカにしている。さすがにカチンときた。最近は無沙汰だったが、以前はよく初美を説教したものだ。どうやら久々にその時がきたようだ。
「初美ちゃん、後で私の部屋にいらっしゃい」
「ひ……姫様」
「言葉には責任を持たなければいけませんよ、初美ちゃん」
「はい」
とは言いつつも、霞に穏やかに、と、目で合図を送ってくる。まったく、これだから小蒔にはかなわない。
「小蒔ちゃん」
「はい」
「遠征、楽しみね」
「ええ、とても楽しみです」