咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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最終回 華ざかりの森(1)

 インターハイ翌年 3月11日 

 麻雀評議会本部事務所 小鍛治健夜

 

 東京港区のビジネスビルの三階に、プロ麻雀を総括する麻雀評議会の本部事務所があった。小鍛治健夜は、そこに(おもむ)き、自らのプロ資格を返納しようとしていた。自主返納は、剥奪や取り消しとは違い、資格を再取得できる救済措置がある。ただし、失効期間は三年で、再申請時の特例もなく一般人と同じ審査を受けなければならない。さらに評議会からの嫌がらせもあるだろう。だが、それでも健夜はアマチュアになろうとしている。

 

 最終目的は自らが提示したニューオーダー構想の実現のためだ。そのためには宮永親子(宮永愛、宮永照)との約束を守らねばならない。そして、個人的な理由として、健夜と同じ問題を抱えている宮永咲を助けたいという想いがあった。

 

(もう後戻りはできない)

 

 不退転の覚悟という言葉があるが、今の健夜はまさにその心境だ。

 予定の時間となり、健夜は麻雀評議会事務所のドアを開けた。

 

 ――自主返納の手続きはスムーズに行われた。健夜が清澄高校の指導者を希望していることは、正式発表はしていないものの、公然の秘密と言ってもよかった。評議会の担当者も、それを承知しており、健夜の持つ数々のプロ雀士の肩書(永世名人等)を取り消し、登録名簿の最上位にある健夜の名前を削除した。

 これで晴れて健夜はアマチュアとなり、高校麻雀指導者の資格を得たのだ。

 

 健夜は、評議会事務所を後にして、エレベーターの下降側呼びボタンを押した。直ぐにだれも乗っていないカゴが到着したので、健夜はそれに乗った。わずかな時間で一階に到着してドアが開く。少し離れた場所に、ウィークリー麻雀Todayの西田順子の姿があり、待ちかねたとばかりに駆け寄ってきた。

 

「終りました?」

「はい」

 

 約束済みの取材なので健夜も嫌がったりはしない。なにやら重要な情報を健夜に伝えたいようだ。もっとも、それなりの見返りは要求されるだろうが。 

 

「人目が気になります。場所を移動しませんか?」

「……西田さんにしては珍しいですね」

「はい、ネタがネタだけに」

「?」

 

 大胆さが売りの西田順子らしくない発言だった。健夜は疑問に思いながらもその提案を受け入れた。

 

 ――順子の行きつけの個人経営喫茶店に移動した。互いにコーヒーを頼み、それが届けられる。順子はそれに口をつけて、胸ポケットから、おもむろにスマホを取り出した。

 

「インターハイの時に”巨人”にメアドを教えていまして……先日、彼からメールが届いたんです」

「……」

「小鍛治プロ……小鍛治さんには教えていないとのことで、私から伝えるようにと指示されていました」

「彼らしいですね。それで、西田さんにそれを記事にしろと?」

 

 それはウインダム・コールの来日時のもてなしに対する謝礼だろう。順子が最も利益になるように気を使っている。自分勝手な理屈ではあるが、律儀(りちぎ)な部分は褒めても良い。

 予想どおり内容はミナモ・オールドフィールドに関するもののようだ。

 健夜は、ミナモがウインダムの配下になることを宮永愛から聞いていたので、それほどの驚きはなかった。

 

「以前、小鍛治さんは宮永姉妹の従姉妹のことを聞いていましたね?」

「はい、ミナモちゃんですね」

「なるほど、愛さんから聞いているのですね。どこまで御存じですか?」

「足の手術を受けて成功したことは知っています。あと、それを手配したのがウインダム・コールだということも」

「さすがですね。でも、これは知らないはずですよ」

 

 と言って、順子は自分のコーヒーを飲み干した。

 

「”巨人”はネリー・ヴィルサラーゼとミナモ・オールドフィールドをトレードしました」

「え?」

「ミナモちゃんは、4月から臨海女子の留学生です」

「それほどまでに……咲ちゃんを」

 

 予想外だった。”巨人”がこれほどアクティブな攻撃を仕掛けてくるとは思わなかった。ミナモを自分たちにぶつけてくることは想定していたが、仕掛けが早すぎる。

 

(なるほど、『弱いうちに潰してしまえばいい』ですか? あなたらしいですね、Mr.コール)

 

 健夜は手をつけていなかった冷めたコーヒーを一気に喉に流し込んだ。口に広がる苦味が、これからを暗示しているようだ。

 

「西田さん、これは記事にしますか?」

「もちろんです。大特ダネですからね」

「二日の猶予(ゆうよ)をいただけませんか?」

「二日ですか?」

 

 順子が渋い顔をする。それはそうだろうと思う。記者としての特ダネの価値は他社に先んじることにある。このビックニュースを一刻も早く(おおやけ)にしたいという気持ちはよく分かる。しかし、このことを咲に伝えるのは、メディア経由ではなく、自分から伝えなければと思う。そうしなければ、優しい咲の心に、もう一つ影を作ってしまう。

 

「明日、私は清澄のメンバーと顔合わせをします。できれば、その時に私から咲ちゃんに伝えたい」

「……」

「”巨人”はルールを守ります。あなたが記事にしなければ決して公にしません」

「そこまで言うのなら……ただし、二日だけですよ」

「ありがとう。西田さん」

 

 儀式的な伝票の取り合いをし、健夜がそれを奪った。数百円で貴重な猶予を貰えるのならただ同然だ。

 

「小鍛治さん」

 

 席を離れようとする健夜を順子が呼び止める。

 

「期待してもいいですか?」

「約束はできませんよ」

 

 その後に『努力する』『ベストを尽くす』をつけ加えるべきだが、努力もベストも個人差が大きいので、言うのをやめた。それでも順子は、満足そうに頷く。

 

(私がやらなければ……この村社会は変らない)

 

 無論、賛否両論なのは分かっている。だが、否定意見ばかり気にしていては、次の一歩を踏み出すことができない。

 いや、その一歩はとっくに踏み出していた。だから、最初に言ったように、『もう後戻りはできない』のだ。

 

 

 

 インターハイ翌年 3月12日 

 清澄高校 放課後 原村和

 

 麻雀部部室がある旧校舎への道を、原村和は一人で歩いていた。今日は大事なイベントがあった。国内最強雀士の小鍛治健夜が、来期より麻雀部監督に就任予定であり、本日、挨拶(あいさつ)にくるというのだ。

 正直な話、和は、この件に関して疑問を持っていた。健夜が自らの地位を犠牲にしてまで、なんのために片田舎の麻雀部監督に就任するのか? その理由は、何度考えても一つしかなかった。

 

(咲さんを確実に手に入れるため……清澄のためではない)

 

 健夜のニューオーダー構想には宮永姉妹の参加が不可欠だった。その最も不安定な要素である咲をなんとかしたいという気持ちは理解できる。だがそれは、決して咲のためでも、清澄のためでもなかった。健夜の理想実現のための偽善的(ぎぜんてき)な手法にすぎない。

 

(直接聞かなきゃ……満足できる答えがなければ、私は小鍛治さんには従わない)

 

 和は、咲の弱さを自分が一番よく知っていると思っていた。咲は、魔王でもなければ怪物でもない。あまりにも優しすぎるただの高校一年生なのだ。それをチェスの駒のように扱う大人たちを許すことができない。

 

「のどちゃーん!」

 

 背後から片岡優希の大声が聞こえた。彼女とは同じクラスではあるが、小鍛治健夜を偵察に行くといって。終業後、教室を飛び出していた。

 

「小鍛治さんはいましたか?」

「いたじぇ。身長はのどちゃんと同じぐらいだった。スーツを着ていてなんか大人っぽかった」

「それはまあ……大人ですから」

 

 優希は全速力で走ってきていたが、まったく息が切れていない。まるで阿知賀の高鴨穏乃のようだなと思った。

 

「のどちゃんは竹井先輩の忠告をどう思う?」

「多分合宿だと思います。だから今日、小鍛治さんが挨拶にきたのでは?」

 

 清澄高校麻雀部の土台を作った竹井久元麻雀部部長は、今月初めの卒業式で清澄高校を去っている。その際に、久は、春休みの予定を空けておけと忠告していた。小鍛治健夜というこれ以上ない指導者を迎えて麻雀部は再始動する。意識を高めるための強化合宿は、だれもが考えることであり、それは間違いではない。

 

「なんだ合宿か。優勝のご褒美(ほうび)にハワイ旅行でもさせてくれるかと思ったじぇ」

「ハワイ……」

「ところで、咲ちゃんは見たか?」

「いいえ、クラスをのぞいてみたのですが、もういませんでした。一応、須賀さんには連絡しておきましたので大丈夫だと思います」

「また、スマホを家に置きっぱなしみたいだからな。ちょっと心配だじぇ」

「そうですね」

 

 インターハイ後、咲はまともな練習をしていない。〈オロチ〉の特性上、咲は見学かPC相手の対局を繰り返していた。今年に入ってからは途中代打ち(半荘途中で二、三局だけ卓に入る。その条件では〈オロチ〉が発動しないことを久が偶然発見した)でなんとかモチベーションを保っていたが、最近は練習への熱意がなくなっていた。

 

(小鍛治さん……あなたは咲さんを助けることができるのですか?)

 

 ある意味、和は手詰まりになっていた。咲を救う方法はよく知っている。しかし、咲が和との対戦を拒否していた。それは、かつて姉を再起不能にしてしまったトラウマによるものだろう。

 

 国麻終了後、和は二度ほど咲に対局してほしいと頼んだことがあった。そして、その二度の答えは同じものであった。

 

(『もう少ししてから……』)

 

 咲の心に〈オロチ〉が住み着いてから7か月が経過している。いまだに咲はその制御方法を見つけていない。それならば、いっそのこと消し去りたい。そう思って和は咲に懇願(こんがん)した。しかし、その短絡的な思いは、咲に見透かされていた。和はまだ〈オロチ〉に勝つ自信がなく、咲が苦しむ姿に見かねての懇願にすぎなかった。

 

(私を照さんのようにはしたくないのですね……でもね、それは余計なお世話です。私はあなたのためならば、廃人になることだって恐れません)

 

 和は、インターハイで、咲の悲痛な選択を受け入れた。そして、そこから咲を解放することが自分に科せられた使命なのだ。だから、恐れることはなにもない。

 

 ――和と優希が部室に入ると、咲はすでにきていて、雀卓に座って須賀京太郎と雑談をしていた。

 

「おおー、京太郎、無事に咲ちゃんを確保したのだな。えらいじょ」

「確保って……別に咲は逃げたりはしないだろ?」

「咲ちゃんは時どき行方不明になるからな」

「時どきじゃないよ! たまにだよ!」

 

 咲の反論だ。実に愛らしいが、論理派の和としては聞き捨てならない発言だ。

 

「咲さん、時どきとたまにって、どう違うのですか?」

「……跳満と倍満ぐらい違うよ」

「なに言ってんの? 咲、おまえは跳満ぐらい普通に上がるだろう」

「……」

 

 咲が京太郎を睨んでいる。普通に振舞う咲は実に微笑ましい。しかし、彼女の目に光がないことが、和には気に入らなかった。

 

「みんな、揃っとるかー?」

 

 部室の少しガタピシしているドアが染谷まこによって開けられた。その後ろには優希が言ったとおりのスーツ姿の小鍛治健夜も見える。

 

「小鍛治元プロがお見えじゃ。とりあえず整列してくれ」

「染谷さん……その元プロってのはちょっと……」

「ああ、すみません。それでは小鍛治監督でいいですか?」

「ええ、まあ」

「みんな、小鍛治監督からお話があるから心して聞くように」

「……」

 

 まこが意図的にハードルを上げる。健夜は少し緊張気味に咳払(せきばら)いをする。

 

「小鍛治健夜と申します。微力ながら、4月から清澄高校麻雀部の監督をさせて頂きます」

 

 深々と礼をする健夜に、和たちも『よろしくお願いします』と返礼する。

 

「インターハイ団体戦の優勝校である皆さんは、悪い意味での目標になります。つまりはラスボスですね。皆さんを倒すべく、全国高校雀士が爪を研いでいることでしょう」

 

 健夜の顔つきが変わった。いつもの柔和な表情から、彼女が対局時に時折見せる勝負師のギラギラしたものになった。

 

「染谷さん」

「はい」

 

 まこもそれを感じ取り、返事に緊張感が隠せなくなっている。

 

「最も警戒すべき相手はどこですか?」

「……私は阿知賀だと思います」

 

 健夜は小さく頷いて視線を優希に移動する。

 

「片岡さんは?」

「全国よりもこの長野がやばいじぇ」

 

 さすがは優希だ。相手がだれであろうが物怖(ものお)じしない。健夜も笑顔になり、今度は和と目を合わせる。

 

「原村さん」

「白糸台です。と、言いますか、大星淡です」

「そうですね。宮永照さんの後継者と言えるでしょうか? 原村さんは大星さんとは友人だったでしょうか?」

 

 あえて宮永照の名前を出すわけは? 和はそう考えたが、答えは出なかった。ここは、ただ頷くしかない。

 

「三人とも正しいですね。その他にも大阪組や九州組も警戒すべきでしょう。けれどね、最大の障害は東京の臨海女子高校です」

 

 健夜が咲を見ている。咲にも答えを要求するかと思ったが、健夜は軽く息を吐いて、顔を柔和なものに戻した。

 

「ウインダム・コールから刺客を送られました。宮永さんならだれか分ると思うけど」

 

 咲の顔色が変わった。明かにその正体を知っている様子だ。

 

「……まさか」

「本当ですよ、宮永さん。私は、それを伝えるためにきたのです」

「……」

 

 この咲の顔は見たことがある。インターハイ前に姉のことを寂しそうに話していた時のものだ。

 

「咲さん! 大丈夫ですか?」

「うん……ただ……こんなに早いとは思わなかった」

 

 明らかに動揺している。だれなのだろう? 咲をこれほどまでに怯えさせる相手とはだれだ?

 

「私から言いましょうか?」

 

 健夜が咲に言った。

 咲は首を横に振る。

 

「ミナモちゃんですね?」

 

 健夜は首を縦に振る。

 

「ミナモちゃんって、あのミナモちゃんか?」

 

 和も知らない名前を須賀京太郎が知っている。ということは、以前に咲が話してくれた従姉妹のことかもしれない。

 

「須賀君は知っているの?」

「はい、子供の頃にたまに遊んだことがあります」

「印象は?」

「そうですね。咲よりも頭がよくて、咲よりも可愛くて――」

「ちょっと! 京ちゃん!」

 

 一気に場がなごむ。意図したものかは不明だが、人心掌握術(じんしんしょうあくじゅつ)ならば凄いと感じた。

 

「小鍛治監督。詳しく説明してください」

「もちろん。ただ、少し話が長くなるので皆さんもどこかに座ってください。私も失礼しますよ」

 

 と言って、健夜は近くにあった椅子に座った。

 

 ――その話は衝撃的だった。イギリスに従姉妹いると咲から聞いていたが、彼女が咲や照に匹敵する雀士だとは聞いていない。しかも、足を不自由にして、それが原因で姉妹と不仲になっているということも初めて聞いた。ようやく姉妹の関係が正常に戻り始め、和も安心していたが、これでは逆戻りだ。

 

「私は……ミナモちゃんとは闘いたくありません」

 

 咲の陰がどんどん濃くなっていく。これが”巨人”の策略だとするのならば、恐るべき効果を発揮している。

 

「小鍛治監督。私がミナモさんと闘います」

「和ちゃん……」

 

 和にとっては罪滅(つみほろ)ぼしとも言えた。宮永姉妹の対決を阻止できずに、咲を〈オロチ〉の呪縛に囚わせてしまった罪だ。今度こそは阻止しなければならない。

 

「それに、小鍛治監督に質問があります」

「はい」

 

 これは、さきほどまで考えていたこと、なんのために健夜は清澄の監督になったのか? 和はその質問をすることにした。 

 

「監督にとって清澄と咲さんでは……どちらが大事ですか?」

「宮永さんです」

 

 呆れるほどの即答だった。まるでその質問を予測していたかのようだ。

 

「隠してもしかたありませんし、隠すほどのものでもありません。原村さんの言うとおり、宮永さんのお母さん、そしてお姉さんとの約束を守るために私は清澄の監督になりました。無論、見返りは、宮永さんをニューオーダーの一員とするためです」

「監督は〈オロチ〉を制御できるのですか?」

 

 それは、和が最も知りたいことだ。もしも、YESと答えてくれるのならば、自分は健夜に恭順(きょうじゅん)してもいい。

 

「愛情とは……とても強い力を持っています。でもね、世の中には愛情でもクリアできない問題があるものです」

「愛情でクリアできないのなら……どうやってクリアするのですか?」

 

 健夜はその質問には答えずに話を変える。

 

「竹井さんから、春休みに予定を入れないようにと言われていると思いますが?」

 

 健夜がまこに聞いた。

 

「はい、全員に伝えてあります」

「4月1日から二泊三日で合宿をします。場所は、阿知賀の松実館です」

「ええー!?」

 

 その大声を出したのは和自身だった。

 

「なんじゃ和、騒がしいのお」

「だって、その時期の阿知賀は、ほとんど予約がとれませんよ!」

「なんでだじぇ?」

「阿知賀の桜はきれいですからね。満開時期は全国から人が集まります」

「へえー凄いなすこやん。どういう裏技を使ったのだ?」

「それはまあ……それなりのコネというか……」

 

 健夜がしどろもどろになっている。こういった素直さは好感が持てる。

 

「さすがアラフォーだじぇ」

「アラサーだよ!」

 

 優希に本気で反論する健夜を見て、和は吹き出してしまった。優希も、まこも、京太郎も笑っているが、咲は浮かぬ顔をしている。

 

「宮永さん。私は、あなたの心の闇を抑える方法を知っています。でもね、私でだけでは力不足なので、ある人の助けを借りることにしました」

「……」

「神代小蒔さんです」

「小蒔さんがくるんですか!? 行きます。阿知賀に行きます!」

 

 あっという間に咲が笑顔になる。まるで、ミナモ・オールドフィールドのことを忘れてしまったかのように、嬉しさを表に出している。

 

(咲さん……)

 

 いけない癖だとは分かっている。でも、これは抑えられないのだ。どうしても嫉妬してしまう。和は、神代小蒔に嫉妬していた。

 

 

 ――午後5時30分。和と咲は帰り道を二人で歩いていた。優希とは途中で別れるのでしばらくは咲と二人だけになる。だいぶ寒さも和らぎ、日は落ちているがまだ薄明るい。 咲は、楽しそうに春の阿知賀のことを聞いてくる。和が説明すると『楽しみだね』を何度も繰り返す。

 和の声質から察したのであろう。咲が話題を変える。

 

「あのね、和ちゃん」

「はい」

「和ちゃんは、私にすべてのことを話してくれている?」

「え?」

「私はね、和ちゃんに話していないことがたくさんあるの」

「……」

 

 自分のすべてを話すことなどできないだろう。和にしてみれば、咲への独占欲のことなど話せるわけがない。

 

「でもね、私と小蒔さんはちがうんだよ。小蒔さんは、私のすべてを知っている。私も小蒔さんのすべてを知っている。嫌なことも、恥ずかしいことも全部だよ」

「……」

「私は小蒔さんであり、小蒔さんは私。だから会うのが本当に嬉しいの」

「そうですか」

「私が好きなのは和ちゃんだけだよ」

 

 咲の無限の優しさを感じた。小蒔への嫉妬を和らげるべく、咲が自分を好きだと言ってくれた。あまりの嬉しさに心臓が止まりそうだ。そうだ、すべてを話す必要はない。だが、少しずつ秘密を減らせば良いだけだ。だから、自分も咲に想いを伝えることにした。

 

「インターハイで……私は荒川さんに負けてしまいました。なぜだか分かりますか?」

「……」

「咲さんを倒すのは自分だという気持ち。咲さんを独占したいという気持ちを荒川さんに見抜かれました」

「和ちゃん」

 

 薄明りも消えて、辺りは真っ暗になっている。良かったなと和は思う。今自分は真っ赤な顔をしているからだ。

 そして、その暗闇が和に大胆な行動をとらせた。和は正面から咲を抱きしめる。頬と頬が触れ合い、火傷しそうな熱が伝わってくる。自分を好きだと言ってくれた咲に、友人以上の愛情を感じている。和は、咲の柔らかい頬に、思わず口づけをしたくなったが必死にこらえる。

 そして耳元でささやく。

 

「阿知賀の合宿楽しみですね」

 

 なぜか声が震えてしまった。いけない。恥ずかしいといえばこれ以上恥ずかしいことはない。

 

「そうだね」

 

 咲の声も震えていた。和は嬉しくなり、もっと強く咲を抱きしめる。咲もそれを返してくれる。

 そして、二人は、いつものように手を繋いで、家路を歩く。冬の星空が和たちを祝福してくれていた。そう、あの去年の夏の星空のように。

 


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