国民麻雀大会 ジュニアB 二回戦 大将戦 長野県代表
試合前のミーティングで、南浦数絵から二つの戦術が提案された。ひとつは、決勝戦までは手の内を見せずに闘うというものだ。駆け引きを重視する数絵らしい提案であった。負けたら終わりのトーナメントでは選択できない案だが、本大会は敗者復活戦でリカバリーできる。これには東横桃子も賛成していた。もうひとつはコンディション維持のためにストレートで決勝戦まで進むというものだった。一回戦二回戦とも二位以内で勝ち上がる。最大のメリットは疲労度だ。敗者復活戦に回ると一試合多く闘わなければならない。集中力が要求される麻雀にとって、それは重要なファクターだ。特に1Dayトーナメントの国麻では、勝敗の分かれ目になるかもしれない。
原村和の選択はそのどちらでもなかった。
“仲の良い”優希と数絵がいつもの口論になり、それではということで中学生の二人に意見を聞いてみたが『先輩たちにお任せします』と恐縮している様子だ。
そこで数絵はアドバイザーである宮永咲に判定を求めた。
(『数絵さんと桃ちゃんはそれでいいと思う。優希ちゃんと和ちゃんもそれでいいと思う』)
どちら付かずの咲の判定に、首を
しかし、その戦法は安定感を欠くものになった。この二回戦で長野ジュニアBは苦戦している。先鋒の数絵は力を温存し、それほど点が稼げなかった。次鋒の優希もいつものムラが出てマイナスの結果になってしまい、中堅の中学生は、愛媛代表の戒能清子に狙い打ちされて大きく点数を失った。かろうじて桃子が挽回したが、現状は三位に甘んじている。
(久しぶりの感覚ですね……)
和は、高遠原中学時代の自分を思い出していた。大将を任され、劣勢の状態でバトンタッチされることが多かった。序盤はなんとか挽回できたが、和のデジタル打ちは、こういった条件戦は不向きだった。準決勝で限界点に達し、悔し涙を流すことになった。
(咲さんならと考えるのは、敗北主義でしょうか?)
清澄高校に入ってから、和は副将にポジションチェンジし、大将は宮永咲が務めていた。彼女は、絶望的と表現してもよい点差を跳ね返し、清澄を勝利に導いてきた。実にハイリスクハイリターンな打ち方ではあったが、和を含め、清澄麻雀部全員が咲に信頼を寄せていた。
(信頼と
一切の感情を排除したデジタル打ち。それが和のスタイルだった。そして、それが崩れた時には良い結果を残せないのも明確な事実だ。ジュニアミドルの団体戦
和は気持ちをリセットする。デジタルの速攻麻雀で得点を積み重ねる。それが現状での最善だ。
――大将戦東三局目。トップの大阪代表には28600点差、二位の東京代表には22200点差だ。
友人である大星淡が親となりサイコロを回す。出目が
動きが完全停止している淡を不審に思い、和は顔を上げて確認する。淡の目はモニターに釘付けになっており、口がへの字に曲がった。そして、目からは涙がダラダラとこぼれ始めた。
「淡さん?」
自摸牌を取ろうとしていた淡の手が、山をガラガラと崩してしまった。場が騒然となり、監視員が走ってくる。
和は立ち上がって振り返えった。そして、淡が見たものを確認した。
「ああ……」
そこには、原村和が望むものが映し出されていた。運営側のだれかがその光景を見つけてカメラを向けたのだろう。
宮永姉妹が並んで座り会話をしている。姉も妹も、長年のわだかまりが解消しつつあるのか、実に穏やかな笑顔だった。
(良かった……本当に、良かった)
淡と同様に、もう麻雀どころではなくなってしまった。和も、映像が切り替わるまで、それを見続けた。涙にも色々ある。悲しみや悔しさ。あるいは嬉しさなどだ。しかし、今、和が流している涙は、喜びによるものだった。宮永姉妹の複雑な関係を知っている和と淡にとって、モニターの姉妹の姿は、これ以上ない喜びだった。
「大星選手、原村選手! 速やかに競技を再開してください。大星選手は
「……」
和は返事ができなかった。監視員に言われるまま席に戻り、牌をリロードする。和の親番なのでサイコロを回そうとしたが、隣で鼻をすすっている淡が気になる。彼女はまだ泣いている。そして、それは和にも伝染する。
「淡さん……しっかりしてください」
「……ゴメン」
なんとか立ち直り、試合を続けようと努力した。サイコロを回すまではできた。しかし、左八の牌を取ろうとして山を崩してしまった。監視員が呆れ顔で近づいてくる。
「原村選手……悪質な遅延行為ならば失格としますよ」
監視員から厳重注意を受けた。そう思われてもしかたがないなと和は思った。なぜならば、自分は今、隣にいる大星淡と同じ顔をしているはずだからだ。それは、大量の涙を流した笑顔だ。なんということだ。もう、試合などどうでもよくなっていた。それもこれも、すべて咲のせいだ。
「淡さん……あとで二人に謝ってもらいましょう」
「……そうだね」
和と淡の笑顔は止まらなかった。監視員と二条泉が打つ手なしと言うように肩をすくめていた。
福井市民体育館 東口付近 観覧席
弘世菫は、腕を組み、鼻から大きく息を吐いた。東京ジュニアBの大星淡が大崩れしてしまい、最下位に転落して試合終了となった。宮永姉妹の様子がモニターに映された時点で、こうなるかもと思ったが、あまりにも酷すぎる。
「まあ、午後の敗者復活戦をがんばったらええ」
隣で観覧していた染谷まこも溜息混じりだ。長野ジュニアBも原村和がとんでもないことになって3位の結果だ。
「うち(東京代表)はAもBも敗者復活戦だよ。長野とは違う」
「福岡と岩手か……結構厳しいの」
「部長、そろそろ戻りましょう。
「そうだな」
菫はまこに感謝の意を伝えることにした。親友である宮永照の大きな心の鍵を外すことができた。自分一人では到底できない話だった。亦野誠子、染谷まこ、原村和の助力がなければこのミラクルは起きなかった。
「染谷、お前には感謝している」
「咲にとってもええことじゃけえ。お互い様じゃ」
「そうか」
そういえば笑顔でまこと話すのは初めてだなと思った。結構つっけんどんな対応ばかりだったなと反省もしていた。
「弘世さん。ひとつ質問があるんじゃが?」
「なんだ」
「さっき咲たちがモニターに映った時、その二列前に見たことがある人がいたんじゃが、あれは弘世さんが仕組んだのか?」
「染谷さん、見たことのある人ってだれですか!」
誠子が
「あれは、多分――」
「染谷! 約束は守れよ。二年後だからな!」
「……それはこっちのセリフじゃ」
まこが空気を読んでくれた。それにしても、なかなかのふてぶてしさだ。清澄の新部長という
(まあいい。今日は借りておく。その代りお前との約束は必ず守る。ただし、それは負けるという意味ではない。次も自分が勝つ。それでも悔しかったら、もう一度約束を受けてやる。面白い。お前との対戦、少し楽しみになってきたぞ)
国民麻雀大会 昼休み
この二回戦は、これまでの原村和のキャリアの中で最悪なものだったと言える。
東四局のチョンボ以後、和は一度も和了できなかった。大星淡が和以上にメタメタになったので三位は維持したが、それでもトーナメント脱落には変わりがない。
午後は敗者復活戦からのスタートになり、チームに迷惑をかけてしまった。和は、メンバーに平謝りをするしかなかった。
「和だけのせいじゃない。私も力をセーブしてたからね。悪いのは大失点した優希だよ」
「数絵が
「なんだって?」
和に気をつかっているのか、南浦数絵と片岡優希が小芝居をしてくれる。
「やめるっす! 別に終わったわけじゃないっすから。午後頑張ればいいんすよ」
二回戦で唯一プラス収支だった東横桃子が二人の演技に付き合っている。ありがたいとは思うが、和のすまないという気持ちは変わらなかった。
「午後は全力で闘います……」
――清澄高校以外はそれぞれ応援団が到着しており、メンバーは所属校に戻って昼食を取ることになっている。一人で来たと言っていた南浦数絵を誘ったが、どうやら祖父が来ているらしく、結局は和と優希だけで仲間のもとに向かっていた。
「のどちゃん……あれ、お姉ちゃんじゃないか?」
「え?」
正面から宮永照らしき人物が歩いてくる。でも、なぜここにいるのだろうと和は思った。彼女が進んでいる方向は、和たちの来た道で、試合会場に向かう道だ。
和は優希と顔を合わせる。
「咲ちゃんのお姉ちゃんだからな……」
「聞いてみましょう」
照も和たちに気が付いた様子で、顔に笑みを浮かべて近づいてくる。
「照さん、どちらに?」
「淡たちを探しています」
「お姉ちゃん……そっちじゃないじぇ。そっちに行くと会場に出ちゃうじぇ」
「そうなの?」
やっぱり道に迷っていいたようだ。あまり似ていないと
――遠くから大星淡の声が聞こえた。照の名前を呼んでいる。
「のどちゃん、デジャヴってあるんだな」
「本当ですね」
和たちも、何度も迷子になった咲を探し回った。その都度予想外の場所で見つけて大声で彼女を呼んだ。まさにデジャヴだった。淡が照を大声で呼んでいる。
「まったく、なんでこんな所にいるんだ」
最初に到着した弘世菫が息を詰まらせながら言った。かなり走ったようで、肩が上下に動いている。
「来た道を戻ったつもりなんだけど……」
菫は、和たちを見つけて軽く礼をした。
「清澄の人に迷惑をかけたんじゃないだろうな?」
「どうだろう」
「いいえ、私たちもさっき出会ったばかりですから」
亦野誠子、渋谷尭深も到着する。最後に、運動が苦手な大星淡が倒れ込みながらやってきた。
「もぉー。テルーのせいで散々だよ」
「淡さん」
和が手を伸ばすと、“なんでここにいるの?”というような顔で淡が見ている。
「ノドカ? うちのテルーが……なんかした?」
「なにも、なにもしていませんよ」
どういうわけか、和は楽しくなっていた。自然と笑顔になり、それが不機嫌だった淡を落ち着かせた。
和の手を借りて、淡が立ち上がる。そして、長めの
「テルー、サキと話せた?」
「話せた」
「今度はいつ会うの?」
「決めていない……でも」
それは個人戦の時に見た
「今度……長野に帰ろうと思う。そうしたら、もっと、咲と話せるような気がする」
「……そうか」
と、言ったのは、弘世菫だ。気丈に振舞ってはいるが、目がウルウルしている。淡はもうだめらしい。和も優希も、同類項だ。
――和たちは、チーム虎姫のメンバーたちと別れ、咲たちとの待ち合わせ場所に向かった。泣き疲れたせいか、和の目は真っ赤になっていた。優希が目薬を持っていると言うので、それを借りて点眼した。短時間での効果は見込めないが、少しはましになるはずだ。
「お疲れ様。和ちゃん、優希ちゃん」
「……」
和たちを
(咲さん……いつかとは今日だったのですね)
和は、団体戦顔合わせ時を思い返していた。その時、咲はこう言った。
(『今は憎まれてもいい。でも、いつかは分かり合える』)
それが、たとえ仕組まれたことだったとしても、咲の望みが叶ったのならば喜ばしいことだ。咲に嘘をついていた罪悪感が、和から消えていった。
(今度は私の番ですね……)
そして、和は、咲にいまだに
(あなたから〈オロチ〉を取り除きます)
それが姉妹の完全和解するただひとつの方法だ。和は、それを強く心に想った。
個人戦後、和は宮永姉妹に遠慮をしていた。もしかしたら、このままでも咲と照は元に戻れるかもしれない。あるいは、姉妹がもっと良い方法を見つけるかもしれないと思った。しかし、咲の心に〈オロチ〉が住み着いているかぎり、それは無理なことなのだ。和は2秒ほど目を閉じて、その決意を新たにする。
「そういえば、途中で照さんに会ったんですよ」
束の間の安らぎを得た咲のために、和は、想いを心の奥底に沈めた。そして、大星淡と同じように、今、咲が一番話したいであろう姉のことを聞いた。
「お姉ちゃんに?」
「ええ、迷子になっていました」
「……お姉ちゃんも方向音痴だからね。それにお母さんも」
「お母さんも?」
「うん。子供の頃ね、東京の公園で三人で迷子になったことがあるんだよ。その時は電話でお父さんに迎えに来てもらって」
屈託のない笑顔で話す咲を中心に、笑いの輪が広がっていた。とても優しい空間であったが、和は満足できなかった。
そのためには、咲の目に光を取り戻す必要があった。
(私しかいない……私だけが咲さんに真の安らぎを与えられる)
次話:国麻ジニアA決勝戦