咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第十二話 国麻にて(前編)

 国民麻雀大会本戦当日 福井駅

 

 インターハイ時とは異なり、清澄高校麻雀部には国麻当日に福井県への移動が学校側より指示されていた。移動先が福井県ならば問題なしと判断したわけだが、そこには宿泊費節約の意図もあった。清澄高校は、龍門渕高校や敦賀女子学園のように私立ではなく公立なのだ。たとえインターハイを制覇した麻雀部でも、予算的な制約は受けてしまう。

 

 竹井久、原村和、片岡優希の国麻出場者3名と、部長として同行している染谷まこ、長野県からアドバイザーとして任命された宮永咲の5名は、長旅を終えて福井駅で腰を伸ばしていた(須賀京太郎の同行は学校側に許可されなかった)。

 

「えらい遠かったのぉ……」

「そうね、初めてきたけど、こんなに時間がかかるかとは思わなかったわ」

 

 新旧部長が疲れたとばかりに腰をさすりながら愚痴(ぐち)っている。原村和も同感だった。ここまでくるのに、3度の乗り換えをして4時間以上もかかった。10年後には北陸新幹線が開通するというが、それまでは不便さは変わらない。

 

「あれって姫松じゃない?」

 

 久が遠くを眺めている。そちらを向いてみると、たしかに見覚えのある面子が歩いている。

 

「本当ですね、愛宕さんがいますね」

「どっちの?」

 

 久の意地の悪い質問だ。実は和は名前を覚えるのが苦手だった。和が対戦したのは妹のほうだが、名前の記憶は曖昧だった。

 

「妹さんです」

 

 久が吹き出して笑った。その声が聞こえたのか、姫松の5人がこちらを見つけて近づいてきた。

 

「おお、清澄の。自分らも電車か?」

「そうね、ものすごく時間がかかったわ」

「ふーん。こっちからやと2時間でつくのにな。結構長野は不便やな」

「直通電車がないからね」

 

 愛宕洋榎と竹井久は対戦経験を経てか、もう普通に話ができるようだ。互いに笑顔での会話だったが、洋榎は咲を見つけるやいなや豹変(ひょうへん)した。

 

「宮永! なんで出―へんねん! こっちはやる気ぃ出んでどうしょうもなかってんで」

「ええー?」

 

 咲が慌てている。

 

「まあええ、インターハイの借りは、来年うちの絹がのしをつけて返すからな」

「おねえちゃん、どこ触ってんねん?」

 

 咲を睨んだまま妹の愛宕絹恵を指差したので、洋榎の指は絹恵の胸を直撃していた。

 和は突然、背後から片岡優希に押されて、咲の隣に立たされた。

 

「おっぱいなら負けないじぇ。のどちゃんに勝てるかな?」

「甘いねん片岡。うちは絹だけちゃうで。漫ちゃん!」

「なんですか主将」

 

 上重漫が前に出てきて絹恵の隣に並んだ。

 

「片岡、このツープラトン攻撃に勝てるかな?」

「ぐぬぬ……」

 

 なにが『ぐぬぬ』だと和は思った。バカバカしいにも程があるが、まあ、本人たちが楽しそうなのでちょっとだけ付き合うことにした。

 

「主将」

 

 末原恭子が洋榎の肩を叩き、後ろを見るように指示をした。

 

「お! 竜華こっちやー!」

 

 洋榎が大声で呼んだ先には、千里山女子高校の5人組がいた。名指しされた清水谷竜華が先頭になり姫松チームと合流する。

 

「そんな大声で呼ばんと……ああ、清澄の、そういうことか」

 

 洋榎は竜華の話を無視して勝ち誇ったように優希に告げる。

 

「この三人の前では、なんぼ原村かて勝ち目はあれへんやろ。謝るなら今の内だぞ片岡」

「のどちゃん……ここは負けを認めるしかないじぇ」

「なんの負けですか……」

 

 まあ、洋榎と優希以外は、そもそも呆れていた話なので、その帰結には苦笑いを浮かべるしかなかった。

 しかし、竜華に遅れて、千里山女子の4人が登場したことにより、場の雰囲気は一転した。

 

「咲! どういうことやねん。国麻に出えへんなんて!」

「セーラ! それはもううちが言った」

「そうか?」

「そや」

 

 江口セーラにしても、咲に文句を言いたいわけではないのだろう。いわば彼女たち流の挨拶のようなものだ。

 

「咲、負けたらあかんで、うちが倒したるさかいな」

「江口先輩、泉が倒したらあかんのですか?」

 

 厳しい顔でセーラに文句を言ったのは、愛宕姉妹の従妹である船久保浩子だ。そして、その隣では、同級生の二条泉が咲に鋭い目を向けている。

 和はその姿に警戒した。以前会った時(インターハイ個人戦の通路上で和と泉は会っていた)の二条泉とは別人だったからだ。なんというか、絶好調時の高鴨穏乃のような不気味さを感じていた。

 

「……あかんことはない」

 

 竜華と園城寺怜が笑っている。おそらく日常的なやり取りなのだろう。

 

「ほな、うちの絹が倒しても文句はないな?」

「……ないことはない」

「どっちやねん」

 

 話の標的にされている咲が笑ったことによって、場の空気が一気に(なご)んだ。

 

「それにしても……凄い面子ですね」

 

 染谷まこが惚れ惚れ(ほれぼれ)するというような口調でつぶやいた。姫松高校、千里山女子高校、全国に名の通った麻雀部の代表選手が勢揃いしているのだ。まこではなくてもそう感じるに違いない。

 ところが、当の大阪勢はそれに意見があるようだ。洋榎が方眉を上げてまこにつっかかる。

 

「染谷でええか?」

「いいですよ愛宕さん」

灯台下暗(とうだいもとくら)しって言うてな、自分のことはよう分からなんもんやで」

「え?」

 

 その会話を引き継いだのは怜だった。以前の病弱なイメージが完全に払拭(ふっしょく)されている。

 

「うちら大阪代表は、ジュニアAもBもあること目標にして結構練習してきたんやで。その目標ってなんやと思う?」

「……打倒長野ですか?」

「さすがは清澄の新部長さんや、よう分かっとる。これは倒しがいがあるな、泉」

「ありがたいことです」

 

 ただの挨拶では終わらなくなったが、竹井久の老獪(ろうかい)さがその雰囲気を変える。

 

「愛宕さんは先鋒だったかしら?」

「今のとこはな、国麻はオーダーチェンジが自由やからなんとも言われへん」

「あら、美穂子から逃げるつもり?」

 

 久の挑発に洋榎が笑っている。

 

「竹井は次鋒か?」

「今のところはね」

「セーラ! この清澄の悪待ちを泣かしたってや」

「自分に言われるまでもない。次鋒になったことを後悔してもらうで竹井さん」

「楽しみにしてるわね。江口さん」

 

「加治木さんによろしく伝えてください」

「龍門渕さんによろしく伝えてください」

「天江さんによろしく伝えてください」

 

「……ええ」

 

 とはいえ、最後は関西特有の集団芸にやられてしまった。竜華、恭子、怜の満面の笑顔による三連続宣戦布告には、久も返事をするのが精一杯だった。

 大阪勢は『それじゃあ会場で』と言い残して去ってしまった。清澄麻雀部は嵐のような訪問者たちに呆気(あっけ)に取られてしまい、しばらくの間、その場で立ちつくしてしまった。

 

「本当に怖い面子ね」

「そうじゃの……」

「咲、和、優希……あの二条さんは要注意ね」

「そうですね」

 

 答えたのは、本日対戦しない咲だった。リアリストの和でさえも二条泉の危険度が上昇したことに気がついた。ならば、咲が、それに気づかぬわけがない。

 

「突っ立っとっても仕方がない。体育館に急ごう。龍門さんとかはもう着いとるんじゃろう?」

「そうね、また社長出勤で言われそうね」

 

 駅から市民体育館までは約1.5キロで、徒歩だと20分ほどの行程だ。タクシーやバスを利用しても良いが、優希が城らしきものを見つけてしまい、そこを見物しながら歩いて行くことにした。

 

「石垣だけだじぇ……」

 

 優希が不満そうだ。福井城は立派な堀と石垣はあるが、当時の建造物は撤去されてしまったようだ。その代わりに、敷地内には近代的なビルディングが建っている。

 

「松本城みたいなのが珍しいのよ、皇居だってとっても大きいけど天守閣はなかったでしょう?」

「それもそうだな、これだけ残っていてば良しとするじぇ」

「ずいぶんと偉そうじゃのう……」

 

 咲がなにかを見つけて立ち止まる。

 

「どうしましたか?」

「花田先輩だ……」

 

 条件反射的に和は咲の腕をつかんだ。そして咲の視線の方向を確認する。

 そこには、花田煌と鶴田姫子が巫女装束(みこしょうぞく)(まと)った少女二人と福井城を背景に写真を撮っていた。そのカメラ(スマホ)を構えている小柄な女性に和は見覚えがあった。

 

「あれは薄墨さんですか?」

「そうだね、明星(あきせ)ちゃんも湧ちゃんもいる」

 

 咲の突進力が強くなった。和はたまらず優希に助勢を求めた。

 

「優希も……片方を」

 

 結局はいつもと同じ展開だった。二人がかりで煌に突進しようとする咲を抑え込むことになった。

 

「花田先輩!」

 

 咲に大声で呼ばれた煌は、逆に咲たちを手招きしている。咲に引きずられる形で、新道寺、永水チームと合流する。

 

「咲ちゃん、みんなで写真を撮りましょう。さあ、原村さんも片岡さんも入ってください」

「私が撮るわ。薄墨さんも入って」

「ありがとうございます」

 

 竹井久が薄墨初美と交代した。その初美を中心にして、新道寺女子高校3人、永水女子高校3人と清澄高校4人で写真を撮った。

 

「もう一枚。今度は竹井さんも入ってください」

 

 今度は煌が久と交代した。相変わらずこの人は気が利くなと和は思った。

 

「はい、すばらでしたよ」

 

 その言葉に、和と優希は反応し、咲をホールドした。

 

「だ、大丈夫だよ、もう花田先輩は花田先輩なんだから」

「?」

 

 たしかに咲は落ち着いていた。インターハイの事件の時とは違っている。しかし、咲の言葉の意味は分からなかった。

 

「咲、元気にしとった?」

「はい、鶴田さん」

「そう、なんか、博多で会うたとががばい昔に思えんしゃい、顔ば見れて嬉しか」

「そうですね、まだ一か月しかたっていないんですけどね」

「今回は残念やった。ばってん、来年、また闘おう」

「はい」

 

 姫子は笑顔で頷き、その顔をまこに向けた。

 

「清澄ん新しか部長さんに、うちの新部長と咲の同級生ば紹介します」

「姫子……」

「と……いうことは、花田先輩が新道寺の部長?」

「まあ、そういうことになりますね。すばらとは言えませんが」

 

 優希も咲も、いや、清澄全員で驚いていた。もちろん、煌のリーダシップや実力は、和も認めるところだ。だが、煌は長野出身であり、九州では外様(とざま)だ。その彼女が伝統校である新道寺女子の部長になるとは思っていなかった。

 

「うちの一年生の友清さんを紹介します。原村さんや片岡さんと手合わせできるのを楽しみにしているみたいですよ」

友清朱里(ともきよあかり)です。よろしくお願いします」

 

 丁寧(ていねい)に頭を下げたのは、優希よりは大きいが、実に小柄な女性だった。やや眉毛が太く、それが彼女のチャームポイントになっていた。和は初対面であったが、久やまこはよく知っているよという素振りで礼を返した。だとすると、彼女の実力は相当なものだろう。

 

「あの……どうして花田先輩なんですか?」

 

 和は、さきほど咲が言った『花田先輩は花田先輩』という言葉の意味が気になった。それに不思議なこともあった。煌はたとえどんなに仲が良くても人を名前で呼んだりはしない。『原村さん』や『片岡さん』のように、苗字に敬称をつけて呼ぶ。例外なのは鶴田姫子だけであった。しかし、煌は、咲のことを『咲ちゃん』と呼んでいた。

 

「まあ、原村さんたちのおかげですね。博多で咲ちゃんと意気投合しまして、元長野県民として咲ちゃんの先輩になることにしたのです」

「花田もまんざらじゃなかけんね」

 

 姫子がからかい半分で捕捉をつけ加えた。きっと博多で良い出会いがあったのだなと思う。その証拠に当事者の三人が、皆楽しそうに笑っていた。

 そして、煌と姫子は少し後ろに下がり、永水の三人と入れ替わった。

 

「それじゃあ私たちも咲ちゃんのライバルを紹介しますよー」

 

 待ちかねたとばかりに薄墨初美が六女仙の石刀明星と十曽湧を紹介する。咲にというよりは、清澄や新道寺のメンバーに対するものだろう。なにしろ二人はまだ中学生なのだ。

 

「薄墨さん。それに明星ちゃんも湧ちゃんも」

 

 とはいうものの、咲は初美の紹介より前に二人の名前を呼んでしまった。その嬉しそうな顔から、鹿児島でも良い思い出があったのだろう。

 

「咲ちゃん、会いたかったですよー」

「私もです」

「姫様も会いたがっていますよー」

「小蒔さんが!」

 

 薄墨初美の赤い目が動き、和を捉えた。そして観察するように周囲を見ている。

 

「はい、もうだいぶ話せるようになりました。今度は原村さんと一緒に神境にきてくださいね」

「すぐにでも行きたいですね……」

「姫様はもう大丈夫です。慌ててはなりません。私は咲さんからそう教わりました」

「ごめんね明星ちゃん」

「あれから私たちも努力しています。だから、また対局してくださいね」

「うん、湧ちゃん。また打とうね」

 

「薄墨さん、二人を紹介してください」

 

 染谷まこが初美に言った。明星たち二人に関してはまだデータが不足している様子だ。

 

「六女仙最後の二人の石刀明星と十曽湧です。今は中学三年ですが、来年は永水の一年生になります。姫様を守る役目を引き継ぎますよー」

「石刀……石刀霞さんの妹さんですか?」

「同じ姓ですが、霞ちゃんは私の従姉です」

「ふーん、でもよく似てるわね」

「あんた……どこ見て言ってんじゃ」

 

 初美が笑っている。そういえば、和の知っている薄墨初美は巫女服を胸まではだけた少々危ない服装であったが、今は正しい着こなしをしていた。そのせいか、年齢相応の大人っぽさを感じる。

 

「姫様の家系は胸が大きいですからね。石刀家は直系ですから。私と巴ちゃんと湧ちゃんはちょっと違います」

「初美ちゃんよけいなことは言わないでください」

 

 湧が困った顔をしている。その表情から、彼女は少しコンプレックスがあるらしい。

 

「あのう、薄墨さん。変なこつ聞いてんよかか?」

 

 姫子が首を傾げて初美に話しかけた。

 

「変なことですかー?」

「永水では、年上ん人でんちゃん付けで呼んでんよかと?」

「永水ではありませんよ。それが許されるのは六女仙の人間だけです」

「神代さんは違うと?」

「小蒔ちゃんと呼ぶこともありますよ。普通は姫様ですけどね」

 

 姫子が不思議そうに煌を眺めている。

 

「煌ちゃん」

「……気持ち悪いからやめてください」

 

 和たちには見せたことのない煌のいやそうな顔だった。二人はそういう間柄(あいだがら)なのだ。遠慮なく感情を出すことができる友達以上の友達。つまりは親友だ。

 

 

 ――清澄高校、新道寺女子高校、永水女子高校の一団は、市民体育館までの道のりを、楽しく話しながら歩いた。多分、周りの人間からは、修学旅行生に見えたに違いない。

 薄墨初美たちや花田煌たちとは、体育館が見えたころに別れた。それぞれ県別の集合場所に向かうためだ。それなりのマスコミがいるはずので、県単位で一括入場が望ましかった(大集団だと取材等をスルーできる)。

 

 清澄高校のメンバーだけになったので、和は気になっていたことを咲に(たず)ねた。

 

「さっき、薄墨さんが私を見て驚いたような顔をしていたのですが、なぜか分かりますか?」

「……和ちゃんは信じないと思うけど」

 

 なんとも言いづらそうだ。きっと、あまり良くない話なのだろう。

 

「薄墨さんは悪霊が見えるんだよ」

「悪霊ですか? そんなものいるのですか?」

「いるよ……ここにね」

 

 咲は、自分の左胸に手を置いた。わずかに笑みを浮かべてはいるが、言葉は真剣そのものだ。それは和も否定できない。咲の心には〈オロチ〉という悪霊が住み着いているからだ。だとすると、初美が見たという和の悪霊とはなんであろうか?

 

(荒川さんに見抜かれたものね……咲さんへの独占欲)

 

 インターハイ個人戦。和は咲との闘いで力尽きてしまった。その大きな要因となったのは、前半戦での荒川憩との闘いであった。咲戦に匹敵する大消耗戦だった。そこで和は、咲への独占欲を憩に見抜かれ、敗北していた。

 

「……」

「悪霊の正体ってね、人間の心の中にあるものだよ」

「でも、それが見えるなんてありえません」

 

 そうは言うものの、リアリストとして反論はしなければならない。その和の答えを予想してか、咲はいつものように笑ってくれた。

 

 

 ――和たちは、長い路面電車が走る軌道線(きどうせん)を越えて大きな商業施設に入った。そこで、長野のメンバーと合流するためだ。

 

「サキー!」

 

 咲を見つけるやいなや抱きついてきたのは、天江衣だった。彼女も咲をライバル視する一人なのだが、プライベートではがらりと変わる。一つ年上なのだが、妹のように咲や和になついてくる。

 

「あら、清澄はフルメンバーですの?」

「ええー? みんなは選手だけ?」

 

 久が驚くのもよく分かる。風越女子高校は福路美穂子だけ、敦賀女子学園は加治木ゆみと東横桃子のみ、そして龍門渕透華、天江衣と、ジュニアBの南浦数絵の国麻出場選手だけがそこで待っていた。各校の次期部長である池田華菜や津山睦月の姿は、そこにはなかった。

 

「華菜たちは後からきます。うちは部員が多いから別行動ですね」

「こっちは応援団みたいになっている。私たちとしては……迷惑なのだが」

 

 ゆみの隣で桃子が頷いている。事情が分かるとなんのことはない。風越や敦賀は麻雀部の国麻出場を学校のイベントとして扱っているらしく、身内だけで行動している清澄高校が特別なのだ。

 

「透華のところも?」

「当然ですわ。バスで後ほど参ります」

「……」

「か、数絵はどうなんだじぇ」

 

 優希が桃子の隣にいる南浦数絵に聞いた。

 

「私は一人できた。集団行動は好きではないからね」

「仲間を見つけたじぇー」

 

 冗談半分で優希が抱きつく。数絵は迷惑そうに優希を押している。

 

「離れろ優希」

「いやだ」

 

 仲が良いのか悪いのか分からないが、数絵はそれほどいやそうにはしていない。優希の天真爛漫さがなせる(わざ)だろう。

 

「愛宕さんの言った意味が分かったわ……」

「染谷さん。どういう意味ですの?」

「実はですね、駅の近くで姫松と千里山の集団に囲まれまして……そこで私は彼女たちに言ったんです。『凄いメンバーですね』って」

 

 普段は広島弁で話すまこだが、外の人間と話す際は、標準語を使用することが多い。まあ、親密度によっては広島弁になってしまうのだが。

 

「そうしたら、愛宕洋榎さんに『灯台下暗し』じゃ言われて」

「灯台下暗し?」

「ここにいるメンバーを見ていると……やっぱり勝てる気がしませんね」

「それこそ『灯台下暗し』だぞ、染谷殿。長野県にとっては清澄高校こそが堅牢堅固(けんろうけんご)。ただ、衣たちはそれを意識しない。意識することは敗北に(つな)がるからな」

「そ……染谷殿?」

「ここにいる咲も、衣が必ず倒す。だが、それに束縛(そくばく)はされない。今は咲と遊びたい」

「衣……すぐに試合なのですから、咲と遊ぶのは日を改めて」

「はあい」

 

 渋々と衣は咲から離れる。あの合同合宿以来、学校間の垣根がなくなったように感じる。とはいえ、勝負となれば別の話だ。春季大会や来年のインターハイでは、全国レベルの強敵として清澄の前に立ちはだかる。

 

「透華も衣さんも、今日は仲間なんだからね」

「そうでしたわね。やるなら優勝。以前申したとおりです。原村和! ジュニアBも優勝以外ありえませんからね」

「ええ」

「承知しているならそれでよろしい。それでは参りましょう」

 

 計算された強引さ。和は最近、龍門渕透華を見てそう思うようになっていた。個性的な龍門渕のメンバーをまとめるには必要なものなのだろう。

 

(私にも必要でしょうか……)

 

 仮定の話は好きではない。しかし、染谷まこの次に部長になるのはだれかと考えてしまう。咲にそれを任せるわけにはいかない。優希は引率力はあるものの計画性が皆無(かいむ)だった。だとすると、自分がやるしかないのではと思う。

 

 

 ――龍門渕透華を先頭に、長野連合チームが会場に向かっている。予想どおりかそれ以上のマスコミが進路を(さえぎ)る。

 フラッシュの光で目が痛くなりそうだ。聞き取れないほどに連続して浴びせられる質問は、咲に関するものが多かったが、久々の公の大会に出場する衣へのものも多かった。

 和たちは打ち合わせどおり、質問には笑顔だけで答えることに徹していた。

 

「……疲れた。久たちはもう慣れっこだな」

 

 取材ラッシュに免疫のない加治木ゆみと東横桃子が疲れ果てている。膝に手を置いて肩を揺らして呼吸している。

 

「団体戦より個人戦よね。ね、咲」

「すみません」

 

 こういうところは見習うべきだと和は思った。過剰な気遣いをされると、逆に萎縮してしまうものだ。冗談交じりでいじられたほうが気楽になる。

 

「そういえば、照さんはいらっしゃるの?」

「分かりません。多分、くると思います」

「会えるといいわね」

「まあ……まだ早いかなって思っています」

 

 その咲の言葉には説得力があり、ほとんどの者はそのほうがいいと納得していた。あの個人戦の闘いを見せられては、そう考えるほうが自然だった。だが、和とまこは違っていた。弘世菫と共謀して宮永姉妹を会わせようとしていた。

 

「私たちは中学生と待ち合わせがありますのでここで失礼します」

 

 和は、罪悪感から逃げるように言った。染谷まこと目が合う。これからはどうにもできないので、ただただ成功を祈るしかない。

 

「待つんだのどちゃん。アドバイザーから助言を聞こう」

「ええー。もう大丈夫だと思うな……」

「咲から見て最も注意すべき相手はだれだ?」

 

 弱り顔の咲に、数絵が真顔で質問する。そうなると、咲の表情も変わる。

 

「言うまでもないけど、淡ちゃんかな。……それと、二条さん」

「二条泉か……彼女は大将枠だろうな」

「なんだ、数絵は知ってるのか?」

「敵を研究するのは当然だ。優希は気楽でいいな」

「なんだとぉ……」

「やめるっす。もう、二人は本当に仲がいいっすね」

 

 練習でさんざん見たやり取りだった。桃子も咲も、二人の口喧嘩を本気で取り合わない。

 

(咲さんが名前を出すほどの相手。二条泉、ミドルで闘ったことがあると言っていましたが……)

 

 中学生時代、和は対戦相手や勝敗の経緯はどうでもいいと思っていた。デジタル打ちの追求で、結果はおのずとついてくる。だから、二条泉との対戦も記憶がないのだ。しかし、咲の評価が、和に期待感を持たせた。和も大将であり、勝ち進めば対戦する可能性は高い。

 

(なにを考えているの……これじゃあ、あの時の咲さんと同じ)

 

 和にとって、敵の強弱は問題ではなかった。もっと言うならば、勝敗すら問題ではない。デジタルの化身と呼ばれた自分のスタイルを徹底することが重要なのだ。

 和は、咲と出会ったころ、強敵が現れるのを楽しみにしていた咲を(しか)ったことがあった。それを自分の強さへの(おご)りと感じたからだ。だが、今の自分はどうであろうか? あの時の咲と同じではないのか?

 

「それでは、行ってまいります」

 

 集中力が欠如しているのがよく分かる。インターハイ団体戦は負けたら転校というプレッシャーがあった。そして、個人戦は、咲を救いたいという願望が、和の集中力を極限まで高めていた。

 

「いつもどおり、いつもどおりの和ちゃんなら大丈夫だからね」

 

 和の心を(のぞ)いたような咲からの助言だ。自分でもそう思う。だが、和には、そのいつもどおりのスタイルを貫けなかった相手が二人いた。それは、荒川憩と、目の前にいる宮永咲だ。

 

(そうですね。どんな状態でも、自分のスタイルを忘れない。それをテーマに闘ってみます。今度あなたと闘う時は……もっと強くなって……)

 

 それは和のジレンマであった。〈オロチ〉からの解放の願いを叶えたいという自分がいる。その一方で、宮永姉妹の和解する姿を見たいという自分もいた。染谷まこの(はかりごと)に協力したのもそのジレンマゆえのことであった。

 

「はい」

 

 かなりの間を置いてからの返事だったので、心の迷いを見破られたはずだ。でも、咲は何事もなかったかのように笑顔を向けてくれている。これこそが咲が人を()きつける要因だろう。無限に思える優しさ。和も、その(とりこ)になっていた。

 

 

 

 十分後 福井市民体育館

 

 演技はこれほど疲れるものなのかと弘世菫は思った。今日は朝から演技ばかりしている。染谷まこから、会場への到着予定時間の連絡があり、それに合わせて遅刻や腹痛を訴えたりもして、タイミング合わせることに苦労した。そのせいでチーム虎姫だけの会場入場になり、マスコミの取材に捕まってしまった。とはいえ、それも菫の計算通りであった。宮永照や大星淡が受け答えしている間に、董は、スマホでまこからの現状連絡を確認していた。

 

(席に着いたか……西口F-11)

 

 菫は、素早く指を動かし、そのメールを辻垣内智葉に転送する。これで準備は整った。

 

「すみません。そこまででお願いします。結構時間が押していまして、このままでは失格になってしまいます」

 

 マスコミはそんな言いわけでは引き下がらない。菫は、少々強引に前進し、道を開いて場内に入った。

 

「もう、董のせいで取材に捕まった!」

 

 淡が乱れた髪を直しながら菫を非難した。普段は、やれ時間を守れだの、体調管理をしっかりしろだの淡に言っているので、彼女には菫を非難する権利があった。

 

「迷惑をかけてすまない。今日は本当に体調が悪くてな」

 

 体調不良に見せるには演技だけでは不十分だ。菫は前日に200ml(ミリリットル)の献血をしており、睡眠も少なくして、朝食も絶食していた。バカバカしくはあるが、それぐらいしないと勘の鋭い菫の友人たちは(あざむ)けない。

 

「淡、尭深、集合場所に急ごう。照、アドバイスがあったら今の内に言っておけ」

「分かった」

 

 急ぎ足で選手控室に向かった。八県だけとはいえ、関係者を含めると大人数になってしまう。そのため、控室には、選手と指導者数名しか入れない。

 菫たちは、そのギリギリの場所で大星淡と渋谷尭深を送り出す。

 

「尭深、今回は深追いしてはダメだよ。多少凹んでも、相手にポイントを稼がせないこと、それを第一に考えて」

「はい」

「テルー、私には?」

「ない」

「ないの!」

「ない」

「……」

 

 淡が茫然としている。まあ、これまでにいくつかのアドバイスはしてある。今現在は特につけ加えることはないという意味だ。照だって冗談として言っているのだ。

 

「じゃあ、好きにさせてもらうわ。私とノドカが闘うってことは、テルーとサキの代理戦争なんだからね。負けてもいいの?」

「……」

「あはは」

 

 淡に一本取られたというところだろう。照が苦笑いしながら手を振っている。

 

「それじゃあ、私たちは観覧席に行こうか」

「はい」

 

 照は頷くだけであったが、亦野誠子からは返事があった。彼女にも今回の件は伝えてあり、いわば共犯者なのだ。

 三人で宮永咲と染谷まこのいるF-11の席に向かう。誠子は、照を挟むように最後尾に続いている。

 西口はここから最も近い。普通に入っても違和感がないだろう。三人はドアを開けて観覧エリアに入った。F-11は角の薄暗い場所にあり、人もまばらで、最高のロケーションだった。

 

「菫……」

 

 目の良い照が、妹を発見してしまうことは分かり切っていた。だから、偶然などを装う必要はない。菫は、この行為は自分の意思によるものだとはっきり親友に伝える。

 

「すまん。照、そういうことだ」

「……」

(あきら)めてくれ」

「……」

 

 三人は、無言で席と席の間を歩いて行く。菫から見て、咲、まこの順番で座っていた。姉の接近に気がついたのか、咲がこちらを向いた。

 咲は、光のない目を大きく見開いている。菫はその表情ではなく呼吸を読み取った。恐れ、不安、戸惑い、それらのものが入り混じった呼吸が、咲を支配していた。しかし、董は、その中に(かす)かに潜む呼吸音を聞き逃さなかった。それは“希望”だ。そして、その呼吸音とまったく同じものが、董の背後からも聞こえていた。

 




次話:国麻にて(後編)

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