咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第十話 国麻への道のり~長野、東京編

 臨海女子高校 月曜部 昼休み

 

「サトハー!」

 

 辻垣内智葉が昼食を終えて教室に戻る途中で、背後からメガン・ダヴァンに呼ばれた。あまりにも大きな声だったので、周囲の人間は皆そちらを向いている。

 智葉も振り返ってみると、10メートル以上の位置にメガンたち留学生四人がいた。ということは相当な距離から智葉を呼んだことになる。

 彼女たちは小走りで近づいてくるが、会話が可能になるまでさらに数秒を要した。

 

「そんなに遠くから呼ばなくても……私は逃げたりしないよ」

「昼休み中……ずっとサトハを探していたノデ」

 

 疲れ果てたというような顔でメガンが言う。雀明華(チェーミョンファ)郝慧宇(ハオホェイユー)、ネリー・ヴィルサラーゼも同様だ。もう午後の授業開始まで10分足らずなので、智葉は悪いことをしたなと思い彼女たちに謝った。

 

「すまない。今日は学食に行く気分じゃなくてね。でもスマホで呼んでくれたらよかったのに」

「何度も呼びました。でも、全然通じなくて」

 

 少し怒りながら雀が言った。そういえばスマホはロッカーに鍵をかけて保管していた。武芸の家系で育った智葉は、学校でも瞑想(めいそう)修行をすることがあった。その際は、外部との繋がりを一切遮断する。

 

「また瞑想? もう、正直に国麻に出るって言えばいいのに」

「正直じゃないのも私らしくていいんじゃない?」

「自分らしいなんて本人が言うことじゃないよ」

 

 ネリーからの指摘。まったくそのとおりだなと思った。それは他者に評価されるべきことがらであって、本人が言ったらただの自己満足だ。ネリーは時々こういった本質に迫ることをなにげなく発言する。とはいえ、なんらかの反論をしなければならない。

 

「郝、ネリー、時間がありまセン。サトハいじりはその辺にして本題に入りまショウ」

「……そうだね」

 

 その矢先にメガンが口を挟んだ。彼女は小さなせき払いをして、その『本題』を話し出した。

 

「昨日四人で東陽町のラーメン屋に行ったんデス」

「またラーメン屋? 雀は嫌いじゃなかったっけ?」

「最近美味しさが分かってきました」

「こってり系は苦手だけどね」

「ネリー、話を脱線させナイデ」

「そうだ、時間がなかった」

 

 どうせ部活で集まるのだから、話は放課後でもいいのではないかと智葉は感じた。ところが、メガンたちはなにやら必死の形相だ。

 

「そこで珍しい人に会って、智葉にこれを渡してくれと頼まれまシタ」

「……」

 

 メガンから封をされた事務用の封筒が差し出された。綺麗な文字で『辻垣内智葉様』と書かれている。

 智葉は受け取り封筒を裏返す。

 

「弘世菫……たしかに意外だね」

「でショウ。彼女にスイーツをご馳走になりまして、これをサトハに渡してくれと頼まれました」

「ラーメンにスイーツ……カロリー爆弾だね」

「それを言わないで!」

 

 雀と郝が絶叫した。本人たちもまずことをしたという自覚はあるようだ。

 

「つまり四人は弘世菫に買収されたってこと?」

「そういう言いかたもありまスネ」

 

 悪びれる様子もなくメガンが言い切る。智葉は苦笑して「ありがとう、後で見るよ」と封筒を受け取ったが、メガンたちはそれを許さなかった。

 

「変なことを弘世さんから聞かれたんだよ。智葉は髪をほどいたり、眼鏡を外したりすることはあるかって」

「……それは変だね」

 

 ネリーの言葉どおり、智葉も違和感を覚えていた。だから、マナーには反するが、この場で開けてみることにした。そうしなければこの四人も納得しないだろう。

 

「なんと書かれていまスカ?」

 

 字は体を表すと言うが、まさにそれが当てはまる。罫線のひかれていない便箋(びんせん)に、真っ直ぐに美しい文字で菫からのメッセージは書かれていた。

 

 

 辻垣内智葉様

 

 突然のお手紙、大変失礼致します。私、白糸台高校麻雀部 弘世菫と申します。

 実は、私の友人である宮永照に関しまして、辻垣内様にご相談したいことがございます。つきましては、本日十九時にお会いできませんでしょうか? 勝手ながら、清澄庭園(きよすみていえん)入口で三十分ほどお待ちいたします。無論、手前勝手な行動になりますので、無視されても結構です。ただ、ぜひ、お話だけでもお聞き頂けたらと存じます。

 

 弘世菫

 

 

「うわ、難しい。智葉、なんて言ってるの?」

 

 漢字には免疫のある郝でも意味が分かりかねるようだ。まあ、そう思ったからこそ封を開いたのだが。

 

「チャンピオンの件で話があるから今日の七時に清澄庭園前に来てくれとのことだ」

「清澄だと昨日のカフェの近くデスネ……そういえば家が近くだとか言っていたヨウナ」

「そうか」

 

 智葉は便箋を封筒の中にしまい、四人と一人ずつ目を合わせた。皆、興味津々といった顔をしている。

 

「絶対についてくるなよ。これは礼儀の問題だからな」

「ええー」

「ええーじゃない。私が礼儀にうるさいのは知っているだろう」

「……分かりました」

 

 不満たらたらで四人は答えた。しかし、彼女たちが分かったと言えばそういうことなのだ。決して約束は違えない。その点では信用できる。

 

 

 午後7時 清澄庭園入口

 

 手紙にははっきりと『清澄庭園入口』と書いてあった。そうなると場所は一か所に特定できる。これが『清澄公園』ならば入口が多数あるので交差点の名前も付け加える必要がある。簡素な書面に納めたいという工夫が感じられた。

 そして、弘世菫はその入り口の看板前に立っていた。地元らしく当然ながら私服であった。薄手のサマーコートにハイウエストのパンツが、長身の彼女によく似合っていた。

 

「待ちましたか?」

「いいえ、時間ピッタリなのはさすがと言うべきでしょうか」

「わざと遅参(ちさん)したほうがよかったですか?」

「私と決闘でもするつもりですか?」 

 

 なかなか機転の利く会話ができる人だなと辻垣内智葉は思った。そういう人間は嫌いではないが警戒もしなければならない。

 

 ――菫の提案で、昨日のメガン・ダヴァン一行と同じカフェに向かった。少し離れているので二人で庭園の外周を回る。

 

 東京の夏の夜は、それほど不快なものではない。特に智葉たちの臨海女子高校のある臨海地区は、海からの風が体感温度を下げてくれる。この清澄白河はそこから少し離れているが、さほど違いはない。

 

「なぜ臨海に来なかったのですか?」

「実は後悔しています」

 

 この辺に住んでいるのなら、臨海女子高校までは徒歩でも通学できる(それなりに時間はかかるが)。そういう意味での質問だったが、董はユーモアあふれる答えを返した。

 

「照君に振り回されたからですか?」

「ええ、でもそれも終わりそうです。辻垣内さんに協力して頂けるのならですが……」

「興味をそそるのがお上手だ。なるほど、話の続きが聞きたくなる」

「いいえ……もしかしたら怒らせてしまうかなとも思っています。とりあえず、貴重な時間をさいて頂いて感謝します」

「弘世さん」

「はい」

「同い年なので普通に話しませんか?」

「そうですね」

 

 

 ――実に落ち着いた雰囲気のカフェであった。気取った装飾品は一切なく、照明も暖色系で柔らかかった。菫のおすすめのガトーショコラと酸味の強いコーヒーをオーダーした。

 コーヒーの香りと適度なカフェインが智葉を落ち着かせた。

 

「ウインダム・コールとの対面は……衝撃でした」

「そうですか。弘世さんはすぐ(そば)で彼と会ったのですね」

「ええ、私は、照の隣にいましたから。もちろん、彼は私など見ていなかったでしょうが」

「……」

 

 麻雀界の帝王である“巨人”ウインダム・コールは個人戦開始前に小鍛治健夜と共に、インターハイ会場に現れた。そして、宮永姉妹に宣戦布告をしたと聞いている。

 

「私はね……絶対に彼には勝てないと思ってしまった。見えているもの、生きている世界、あらゆるもの違い過ぎたのです」

「……」

「でもね、あの姉妹は違いました」

 

 菫も智葉と同じものをオーダーしていた。そのコーヒーを口に含み、酸味苦味によって、彼女の眉が少しだけ動いた。

 

「まるで定められていたかのように、彼との闘いを約束したのです」

「だから……あなたは照君のサポートに徹するということですか?」

「ええ、あれは、途轍(とてつ)もなく不器用ですから」

 

 なんということだ。どうやら自分は、この弘世菫を好きになりそうだ。それならば、こちらの話も聞かせなければならない。

 

「私は伝統武芸の暗黙のルールに縛られていました」

「?」

 

 いいぞ。分からないものは分からないと言える率直性。あいまいな受け答えで流す人間ではない。それだけでも稀有(けう)な存在だ。

 

「私たちの価値観では、敗北は死を意味します。だから、負ける可能性があるのなら逃げても良いというものです」

「なるほど」

「麻雀は負けても死にはしない。でも、私は、その暗黙のルールを当てはめてしまったのです」

「照に対してですか?」

「そうです」

 

 智葉は少し間を置いた。だれにも話していないことを会ったばかりの弘世菫に告げようとしていた。

 ここはひとつ、彼女を友人として認定することから始めようと思った。

 

「あなたを好きになりました。無論、あなたには松実宥さんというパートナーがいらっしゃる。だから、私の友人になって欲しい」

「つ、辻垣内さん」

 

 菫の顔が赤くなる。そして、ごまかすようにコーヒーを飲み干した。

 

「いいですよ」

 

 菫はわざと音が鳴るようにコーヒーカップを置いた。

 

「でもね、友人ならば名前で呼ぶことに決めています。いいですか智葉」

「もちろんだよ、菫」

 

 これでいい。これで、なぜ自分が現役プレイヤーにしがみついているかを話すことができる。

 

「もしも……宮永咲と闘っていなかったら、私は現役を引退していた」

「……」

「菫がウインダム・コールに勝てないと思ったように、私も、宮永照には勝てないと思った。勝てないのなら逃げても良い。それは決して恥ではない」

「それは違った?」

「そうだね……それがただの言い訳だと知った。だから私は引退しようとした」

「……」

「そして……咲と闘った。彼女はね……本物だったんだよ」

「そうか……負けると死んでしまう」

 

 智葉は頷いた。そして、自分のちっぽけさに気がついた。なぜ逃げる? なぜ全力で闘わない? 咲の問いかけに答えられなかったからだ。

 

「最後の局……私は、全力だった。全力で挑んで、咲に負けた」

「生き返った?」

「さすがだね、菫。そのとおり、私は、あの闘いで死んで生き返ったんだよ」

 

 妙な満足感だった。友人に自分の恥部とも言える話を聞いてもらえた。今度は彼女の要求を満たさねばなるまい。

 

「話が長くなりすぎたね。それじゃあ、董の“相談”を聞かせてよ」

「うん、聞いてくれ智葉――」

 

 友人に名前で呼ばれることの心地よさに、智葉は身を任せた。きっと無理難題を押し付けられると思うが、ここは、新しい友人のために骨を折ろう。

 

 

 翌日 白糸大高校麻雀部部室

 

 弘世菫が部室の中に入ると、宮永照と大星淡を中心にして4,5人の小さな輪ができていた。

 

「どうした? なにかあったのか?」

「あ! 菫、聞いて」

 

 淡が嬉しそうに話しかけてきた。もちろん、なにがそんなに嬉しいのかは分からない。

 

「なんだ?」

「先鋒 渋谷尭深(たかみ)。どう思う?」

「……」

 

 正直悪くないと思った。いや、それどころか、ベストな選択ではないとさえ思えてきた。

 

「お前が考えたのか?」

「誠子だよ」

「亦野か……そうだろうな」

「どういう意味?」

 

 菫は淡を無視して、照に意見を求める。

 

「どう思う?」

「先鋒戦で得点は稼げなくなる。尭深のあれを見てしまったからね」

 

 相変わらず口数は少ないが、若干、照の表情にも嬉しさが見えている。インターハイ後、感情表現が苦手な“絶対王者”も変りつつある。

 

「でも四分の一だぞ」

 

 照の言った『尭深のあれ』とは、団体戦での親の役満三連荘のことだ。その究極の“ハーベストタイム”で阿知賀女子学園を崖っぷちに追い込んだ。

 

「25%は警戒してもいい数字だよ。ポイントゲッターは効果的に使いたいだろうからね」

「ね? 誠子は凄いでしょ」

「亦野はな、お前じゃないぞ」

 

 淡のふくれっ面を見て、照が笑った。本当に表情が豊かになった。

 

「その亦野は、渋谷と国麻のミーティングに行ってるんだろう? 淡、お前は行かないのか?」

「ジュニアBの打ち合わせは明日だよ。まあ、任せなって。こっちは東京が優勝だから」

「こっちはって……ジュニアAは優勝できないのか?」

「だってテルーが出ないし……辻垣内さんも出ないんでしょう」

「辻垣内智葉は強いか?」

「私の最終戦見たでしょ? なんにもできなかった。完敗だったよ」

 

 負けず嫌いの大星淡が、素直に辻垣内智葉の強さを認めていた。それには、二人に共通の価値観があるからだ。真の敗北を知った後の再生。二人共、宮永咲に敗北し、あらゆる細胞がリフレッシュされた。そして、強さとはなにかを学んだのだ。それが、二人の共通の価値観だった。

 

「咲ちゃんが出てたら、お前も大口は叩けないな」

 

 菫は、わざと咲の話題を提供した。照に警戒されてはならない。国麻に行かないなどと言われては、おぜん立てが台無しになってしまう。

 

「咲は出ないんでしょう?」

 

 淡が照に確認する。もうびくびくする必要はない。普通に妹のことを聞ける。

 

「うん、おそらく来年のインターハイまで試合には出ないと思う」

「そっか、しかたないね。それまでは、ノドカとシズノをいじめて遊ぶよ」

 

 淡が歯を見せて笑う。自信過剰の振りをするが、半年前とはわけが違う。そこには、相手へのリスペクトの気持ちが感じられた。

 

「長野は原村さんだけじゃないからね。片岡さんもいれば南浦さんもいる」

「ナンポ? だれ?」

 

 とはいえ、淡の自分の力への過信が消えたわけではない。あいかわらずの脳天気さで、董に視線を送ってきている。

 

「南浦数絵。南浦プロの孫だ。片岡と真逆の性質を持っていると考えろ。淡、お前は大将になると思うが、長野の布陣は、それまでに勝負を決定づけてしまうものだ。明日のミーティングはそこを話し合え」

「テルーも一緒にきて」

「……」

 

 今度は照だった。行ってもいいのか? そんな顔をしている。

 

「コーチングのルールには違反していないと思うよ。一緒に行ったらいい」

「分かった」

 

 これは淡のファインプレーだと思った。これで、照は、必ず国麻に同行する。

 

(染谷……こっちの準備は整った。咲ちゃんを頼むぞ)

 

 

 翌日 清澄高校 放課後

 

 昨日の夜、新しい麻雀部部長である染谷まこからメールが入った。今日の放課後に和だけに伝えたいことがあるので、片岡優希、宮永咲、須賀京太郎などよりも早く部室にきてほしいとのことであった。

 早くと言っても、あまり大差がないので、このメールか電話で話してはどうかと返信したが、直接話したいとの返答があった。しかも、優希と咲は掃除当番で、京太郎には備品の買い出しを頼んであると言う。そして、上級生の竹井久は、国麻の打ち合わせで敦賀学園に移動予定だった。

 実に用意周到な人払いだが、まこがそこまでして自分に伝えたいことがあるのかと考えてしまった。

 

(咲さんに関わることでしょうか?)

 

 でも、それならば、優希や前部長まで除外する必要はない。大きな問題を抱えている咲のためならば、全員喜んで協力するはずだ。

 

 和は、答えの出ぬまま部室の扉を開けた。

 

「和、手間をかけてすまんかった」

「いいえ、でも、どんな話かなって、いろいろ考えました」

 

 苦笑いともとれる笑みを浮かべて、まこは雀卓の東家に座った。和は、その隣の北家に腰をおろした。

 

「あまり時間がないけぇ手短に話すが……ちいとだけ無駄話をさせてほしい」

「ええ」

「うちゃ、竹井前部長を尊敬しとるし、この麻雀部はあの人が長年望んどった姿にしよう思うとる」

「そうですね」

 

 人数不足で、大好きな麻雀をやりたくてもできなかった悔しさを、竹井久と染谷まこは共有していた。だから、まこの言っていることは理解できる。しかし、自分はそれに異を(とな)えたことはない。

 和は、違和感を覚えながらも、もう少し話を聞いてみようと思った。

 

「昨日、弘世菫さんから電話があった」

「……白糸台の部長さんですか?」

 

 まこは大きく頷いた。

 

「実はね、うちゃあの人に憧れとる。竹井さんたぁ別の意味での憧れじゃ」

「……」

「あの人は、国麻で照さんと咲を仲直りさせるつもりじゃ。うちゃ、ぶち前からその協力を約束しとった」

「うーん」

 

 和は眉をひそめる。それは他者が口出ししても良いことではない。宮永姉妹が抱える問題は彼女たちにしか解決できないはずだ。

 

「それは、自然解消するのを待つしかないのでは?」

「うちもそう思うとった」

「?」

 

 どうやらこれからが本題のようだ。無論、納得できない話なら、協力するつもりはなかった。和の愛する咲に関わることは、冗談半分では付き合えない。

 

「なあ和、もしもおぬしなら、咲に嫌われてでもお節介したい思うか?」

「……いいえ」

 

 そうだろうなという顔でまこが見ている。そして、どこか遠くを見るように視線を外した。

 

「ほんじゃがあの人は違うたんじゃ」

「弘世さんですか?」

「うちが咲を連れて観客席に行く、あの人が照さんを連れて隣に座る。そのあたぁどうするんじゃと聞いた。お互いにちいと用事を思い出した言うて二人だけを残して移動するのかとね」

「……」

「そがいしたらあの人はなんて言うた思う?」

「……分かりません」

 

 まこは、なぜか嬉しそうに笑い、話を続けた。

 

「ここでしばらく話せと二人に言うんじゃと」

「え?」

「そんなんしたら照さんに嫌われるよと聞いた。そしたらあの人は、当たり前じゃ言うた」

「……」

「嫌われることを恐れてなにも言えんのなら、そりゃ友人じゃたぁ言えんと」

 

 その言葉は、和にも突き刺さった。たしかにそうであった。地区予選の決勝戦、団体戦の準決勝、和は、弱気になっている咲に、強い口調で叱咤激励をしていた。それもこれも咲を思ってのことであった。だが、あのインターハイの衝撃は、和から、その友人としての役割を忘れさせていた。

 そうだ弘世菫の言うとおりだ。恐れてはならない。咲のためならば、嫌われる役割だってしなければならない。

 

「よく分かりました。それでは、私はなにをしたら良いですか?」

「咲は土壇場(どたんば)怖気(おじけ)づいて、やっぱり行かないなんて言いそうじゃ。確実に国麻にくるようにしてほしい」

「それでは、明日のジュニアBの打ち合わせに咲さんを連れていきますね」

「そりゃええ。竹井さんと同じ敦賀じゃったかな?」

「ええ」

「分かった、咲も遠征の申請をしとく。和、よろしゅう頼む」

 

 

 同時刻 敦賀学園麻雀部部室

 

 長野県のほぼ中央にある諏訪地方から、敦賀学園のある北部地方への移動は結構時間がかかる。そのため、竹井久は、六時間目を切り上げて敦賀への移動を開始していた。それでも、到着は風越女子高校、龍門渕高校の面子よりも遅くなってしまった。

 

「ごめんなさい。やっぱり最後になってしまったわ」

 

 ほとんど竹井久に私室と化している清澄の部室や、豪華なゲストルームである龍門渕の部室と比べて、この敦賀学園麻雀部部室は質素極まりない。会議用の長テーブルにパイプ椅子、古い雀卓と、妹尾佳織が懸賞で当てたという真新しい雀卓があるだけの余計なもののない部室だった。

 そこに集まっている5人は、国麻優勝候補筆頭と呼ばれるにふさわしいものであった。布陣は風越女子コーチの久保貴子の提言でほぼ決まっている。

 

「まあ、諏訪は遠いですから。お疲れ様です」

 

 先鋒を任される福路美穂子が久を笑顔で労った。おそらく唯一になるであろう宮永姉妹と同卓で闘った強者だ。柔軟な思考回路、優れた対応力。先鋒に求められるスキルを最高レベルで兼ね備えていた。

 

「風越は近いからいいわね」

「ええ」

 

 そして、美穂子は久の親友だった。新たな目標を打倒宮永照に定めて、これからは二人で歩むことになる。

 

「帰りは蒲原に送らせようか? 無理にとは言わないが」

 

 中堅の加治木ゆみが、ほとんどリップサービス的に言う。蒲原智美は運転が乱暴なので、だれも彼女の車には乗りたがらない。

 

「酔い止めを忘れたんで今度にするわ」

「そうか。そのほうがいい」

 

 彼女の冷静さは見習わなければならないものだ。伝説になりつつある長野地区団体戦決勝。天江衣、宮永咲、ムラが多いが爆発的な攻撃力を持つ池田華菜を相手に、彼女は一歩も引けを取らなかった。その卓越した分析力は、自分よりも次鋒向きではないかと思った。しかし、久保貴子は、ゆみではなく久を次鋒に据えた。次鋒は荒れることの多い先鋒戦を落ち着かせる役割がある。はたして自分にその適性があるのかと考えてしまう。

 

「よろしければ私たちと一緒に帰ります?」

 

 龍門渕高校の二年生二人、龍門渕透華と天江衣だ。昨年のインターハイでのセンセーショナルなデビューは全国に衝撃を与えていた。臨海女子高校の機転により、惜しくも準決勝で敗退していたが、ポスト宮永照として天江衣の名は必ず上がる。

 

「助かるわあー」

「それでは、ハギヨシに連絡します」

 

 透華がスマホを取り出し、執事に連絡している。その隣では、天江衣が難しい顔をしていた。

 

「竹井(うじ)

「衣ちゃん、その呼び方はちょっと」

「それでは、なんと呼べばいい」

「普通に竹井さんでいいんじゃない。私も衣ちゃんを衣さんて呼ぶから」

「なるほど、交換条件か」

「……」

 

 妙に子供っぽいところもあれば、大人っぽいところもある。頭の良すぎる人間の典型的な例が衣だった。

 

「衣ち……衣さんは宮守のことを気にしているんだ」

「宮守? 岩手の?」

「竹井さんは団体戦で対戦していますよね? そこの姉帯さんが脅威だと衣ち……衣さんが言うのです」

「……」

 

 ゆみと美穂子が、衣の言葉を代弁した。無言ではあるが、衣はそれを否定していない。

 

「姉帯さんね……あの人不思議よね。咲じゃなければどうなっていたか」

「透華と智紀の分析だと、東北ブロックは岩手が抜け出す可能性が高い。竹井う……さん。もしも、岩手と対戦したならば、大差をつけて衣に回してほしい」

「……衣さん」

「……」

「もしかして優勝したいの?」

「妙なことを聞く。言わずもがなのことだ」

「実は私もそうなの」

「あら、ずいぶんと欲張りですのね。インターハイだけじゃ満足できないとでも?」

 

 電話を終えた透華がやれやれといった表情で久に言う。

 

「透華、私は三年なのよ。それにインターハイは……咲がいなければ出場も優勝もできなかったと思うの。だから国麻はなにがなんでも勝ちたい」

 

 真剣な表情で話す久に、美穂子、ゆみ、透華、それに衣までも、顔を見合わせ、弱ったなあと言わんばかりの渋い笑顔を久に向けた。

 

「竹井……さん。それは一側面では真実ではあるが、総合的な真実ではない」

「え?」

 

 あいかわらず難しいことを言う。衣の言葉の意味が理解できず、久は透華に助けを求める。

 

「あなたのおっしゃるように咲はとても強い。でも私たちは咲に負けたわけではありません」

「龍門渕も敦賀も、私たち風越も……みんな、あなたに負けたのですよ」

「わ、私?」

 

 苦笑ともとれる笑いが漏れた。そこに止めとばかりに、加治木ゆみの説法が始まった。

 

「衣さんが言ったように、久の話は一側面でしかない。それでは、もう一方の側面の話をしたいと思う」

「……」

「なぜ荒川憩のいる三箇牧(さんのまき)が二年連続で団体戦の切符を手にできなかったか? それを考えてほしい。荒川も、咲も、牌に愛されていると言われるほど強い。でもね、突出した力だけでは結果はついてこない」

「……」

「咲、和、優希……強い雀士だが、もしも、そこに久がいなければ、あの決勝は敦賀が勝っていた」

「風越ですよ」

「ナンセンスですわ! 私たちが連覇していたに決まっています。ねえ衣」

「そういうことだぞ。竹井氏」

 

 悪待ちと呼ばれる久の戦法は、はっきり言えば、自分のネガティブな側面を麻雀に反映させたものだった。どうやらそれは、麻雀だけではなく、常日頃の思考回路にも影を落としていたようだ。彼女たちの助言どおりだ。国麻は楽しめばいい。自分の麻雀に対する純粋な気持ちに従えばいい。

 

「ありがとう。衣ちゃん」

「ちゃんではなく……」

「交換条件よね? 私を竹井氏って呼んだんだから。私も衣ちゃんって呼ぶわ」

「……」

 

『“結果は求めるものではない。ついてくるものだ”』

 

 久の心の中で、ゆみの言葉が何度もリフレインされていた。

 

 

 翌日 敦賀学園近郊

 

 そのちょっとした小旅行を、原村和は存分に楽しんでいた。麻雀部としての合宿や遠征も楽しくはあったが、片岡優希、宮永咲。親友二人との旅は、格別だった。三人で悩みながら電車を乗り継ぎ、駅でタクシーを拾った(学校からタクシー代込みで移動費を貰っていた)。

 

「のどちゃん、はしゃぎすぎだじぇ。これから、国麻の打ち合わせだからな」

「そうでした……ついつい楽しくて」

「本当にそうだよね。このままどこかに行きたいよね」

 

 以前のようにとはいかないが、咲の表情はかなり豊かだ。きっと、彼女なりに努力しているのだと思う。和は、咲の光の無い目に微笑みを返した。

 

「残念だけどもう敦賀が見えてきた。観念するのだな」

 

 普段は破天荒な優希だが、たまに常識人になることがある。今日はその日なのだろう。

 

 ――タクシーが鶴賀学園の校門前で止まった。お金を預かっているのは和なので運賃を運転手に渡した。

 

「なんだー。連絡してくれたら私が迎えに行ったのに」

 

 校門で和たちを出迎えたのは、鶴賀学園麻雀部元部長の蒲原智美だった。

 

「はい、竹井元部長から、蒲原さんの車には絶対に乗ってはいけないと言われまして……」

「でも久も乗ったんだから、みんなも乗るべきだぞー。じゃなきゃ価値観を共有できないからな」

「私は乗ってみたい気がするじぇ」

「どうだー? 片岡君は乗りたいって言ってるぞー」

「蒲原の口車には乗るなよ。君たちに怪我(けが)でもされたら大事(おおごと)だからな」

 

 困った時の助け舟だった。和がずっと部長だと思っていた加治木ゆみが智美を睨みつけて黙らせた。

 

「さ、中で桃と南浦君が待っている。帰りのタクシーは頃合いを見計らって私が呼んでおく。こいつのジェットコースターには絶対に乗るなよ」

「ありがとうございます」

「気が変わったらいつでも声をかけてくれー」

「黙れ蒲原」

 

 ゆみに校内を案内される。女子高で私立の敦賀学園は、共学の清澄高校に比べ、なにか清潔感があるように思えた。なるべく人のいない廊下を選んでくれていたのだろうが、それでも珍客である和たちは人目を()いていた。

 目的の麻雀部部室は校舎の奥のほうにあり、その前でゆみは立ち止まる。

 

「中にあるものは自由に使っていい。桃にもそう言ってある」

「ありがとうございました」

 

 三人でゆみに礼をして、部室の扉を開ける。

 

「遠いところお疲れ様っす。待ってたっすよ」

 

 桃子が助かったというような笑顔で和たちを迎える。その隣では、数絵が面白くなさそうな顔をしている。きっと、二人はあまり会話が弾んでいなかったのだろう。

 

「遅れてすみません。きれいな部室ですね」

「そうっすか? おっ……原村さんの所はもっと汚いっすか?」

「汚いと言うよりはごちゃごちゃしてる感じだじぇ。な、咲ちゃん」

「はっきり言えば、汚いかな」

 

 桃子は楽しそうだが、数絵はムッとしたままだ。

 

「当てが外れました」

 

 口を開いた数絵が、あからさまに咲を睨んでいる。

 

「ここにくれば、あなたと対局できると思っていた。でも、東横さんの話だと、今、宮永咲は戦闘不能だという」

「そうだね」

「私はね、今でもあなたとの対局を夢で見ることがある。悪夢としてね」

「私もそうだよ」

「え?」

「ごめん、ちょっと違うかな。南浦さんみたいに夢には見ないね。でも、よく覚えているよ、あの対局……そう、東横さんとの対局も」

「私もっすか?」

 

 申しわけなさそうに頷く咲に、桃子と数絵は戸惑っていた。和と優希は口を挟まなかった。ちょうど良い機会だ。誤解は解かなければならない。そのためには、本当の宮永咲を知る必要がある。そう、自分のように。

 

「私は怖がりだからね。南浦さんの時も、東横さんの時も……怖くてたまらなかった。だから、よく覚えているよ」

 

 “魔王”と呼ばれ、姉の後を引き継いで全国高校生共通の敵となった宮永咲からの告白であった。数絵は力が抜けたように肩を落とし、桃子は、目を細めて、口角を上げている。

 

「こうして四人が集まったっすから、一局打ちませんか? 咲ちゃんに見ていてほしいっす」

 

 桃子の提案に、数絵は小さくため息をついて咲を見る。

 

「……いいよ。でも、私の後ろにはきてほしくない。それでもいい?」

「なんだ? 南浦は恥ずかしいのか?」

「……片岡。久保さんから私が先鋒であんたが次鋒だと聞いている。あんたは私が作る流れを維持できるのか?」

「私は南浦の先鋒を認めたわけじゃないじぇ。先鋒イコール片岡優希じゃなきゃ全国のファンは納得しない」

「ふーん。前みたいに叩きのめされたいってことだな」

 

 勝気な性格の優希に火がついてしまった。こうなるとだれにも止められない。和は咲と顔を合わせる。やれやれといった表情だ。

 

「桃! 雀卓を借りるじぇ。南浦、南場に座れ。私は東場だ。文句あるか?」

「構わない。なんならお前の親から始めてもいい。私には東場ブーストなどというまやかしは通用しないよ」

 

 二人は勝手に申告した席に着いた。完全にルール無視であったが、これは練習ですらない。いわば、同じチーム仲間の意思のキャッチボールなのだ。それもいいだろう。

 

「咲さん、見ていてくださいね」

「うん、わかった」

 

 和も空いている北家に座った。

 

「私も見ていてほしいっす。悪いところがあったら指導もほしいっす」

 

 最後に桃子が西家に座る。

 

「うん……桃ちゃん」

「……」

「さっき私を『咲ちゃん』って呼んだから。私も『桃ちゃん』って呼んでいいかな」

「もちろんっすよ」

「じゃあ、南浦はなんて呼ぶのだ」

「南浦さんは南浦さんでいいんじゃない?」

「ダメだじぇ! こんなやつは数絵で十分だじぇ」

「片岡……」

 

 数絵が少し笑っているように見えた。それは決して間違いではないだろう。咲も、桃子も、そして暴言を吐いた優希も、彼女を見て笑っていたからだ。そして、その数絵も、結局は笑いの輪に加わった。

 大丈夫だ。きっと勝てる。大星淡のいる東京にも、高鴨穏乃のいる奈良にも、このチームなら勝てるはずだ。

 国麻までおよそ一週間だ。インターハイのように、また大きく世界が変わるかもしれない。しかし、和にとってそんなことはどうでもよかった。染谷まこから提案された宮永姉妹の和解の場を作り上げること。それが最優先事項であった。

 

(これが、あなたに対する最後の嘘です。どうか、許してください)

 

 和は、後ろをチラリと振り返った。優しくはあるが、邪悪を潜ませている光のない目がそこにあった。咲が小さく頷く。もしかしたら、こんな嘘は見破られているのかと思ってしまう。

 

(そういうことなのね……嫌われることを恐れてはならない。それが咲さんのためになるのならば、買ってでもその役割を引き受けるべきだわ)

 

 和は、弘世菫の言葉を理解した。あの愚かで哀しい姉妹が和解できる可能性がある。もっと端的に言うのならば、和の愛する咲に、また一つ光が戻ってくる。一時的に嫌われることがなんだというのだ。自分と咲は、そんなやわな関係ではない。

 




次話「国麻にて」

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